2006年1月30日月曜日

なくしたものは





気・が・狂・い・そ・う・!



昨夕、macがぶっ壊れました。
いつものようにパワーボタンを押したら、なんと!起動しません。
OSが、起動しない。
ずーっと、ブルーの画面で、ポインターがクルクルと輪を描いてまわってるだけ。延々、まわってるだけ…。

でも、ここで焦ってはいけないのです。

なに、方法はいくらでもあります。
新しくG5のmacに新調して約1年。毎日毎日20時間くらいは立ち上がってるので、そろそろなにかがあっても不思議ではありません。
んで、
こういう場合は、
とりあえず、再起動と同時に、command+option+P+Rを押してみる。
これで、ハードディスクがある程度適正化されて、破損したOSが修復されることがあります。でも、早々に、ダメ…。

んじゃ、次。
もっかい再起動して、shiftキーを押し、起動音が聞こえたらキーを離す。これでsafe moodになるので、そっから、OSを立ち上がる。でも、これもダメ…。

なら次は、
やはりsafe moodにするショートカット。再起動時にcommand+cを押す。
!!!
やりましたね。safe moodになりました。safe moodの画面は、真っ黒な背景に白地で、なにやらよくわからないプログラムがズラズラッと出てくるというもの。このプログラムの最後に、rebootと入力してリターンキーを押せば、OSが立ち上がる。でも…、ん? キーボードが使えない? もしかして、ワイヤレスだから、OSが立ち上がるまえには使いものにならないのか? …ダメです、どうやってもキーボードが反応せず、rebootが打ち込めない。

なら、なにやってもダメやん!
ってなことで、ここはもう、あれこれ試行錯誤するよりも、OSを再インストール。なんだかんだで1時間程度かかるし、月末のクソ忙しいこの時期、再インストールなんかに時間をとられているヒマなどこれっぽっちもないのだけれども、試行錯誤したところで時間はとられるので、ここは思い切って再インストール。オレは、経験上、これが一番早いということを知っています。

ところが、macはOSが新しくなって、インターフェイスやシステムがかなり変わったんですが、オレ、新しくなってからOSを再インストールしたことないんですよね。データがなくならないように、ちゃんと出来るのかな…。ちょっと不安。

まあ、そんなことで逡巡していても刻々と時間は経っていくだけなので、とっととCD-ROMを放り込んで、もっかい再起動。今度は、ROMドライブからの起動になるので、cを押しながら、再起動。

オッケー。CD-ROMドライブからの起動、成功。早速、OSのインストール開始。元のデータを消さずに再インストールする設定はあるのかな? あった! ありました! よっしゃ、その設定をして、インストール開始。上手いこといきそう!

でも、ユーザー情報、一からもっかい登録ですよ。めんどくさっ。

約30分かかって、1枚目のdiscが終了。次、もっかい再起動して、2枚目のdisc。本日、何度再起動したことやら…。

2枚目のdisc、起動。順調に動いております。約15分後、2枚目のdiscも終了。ほいで、またまた再起動して3枚目のdiscを挿入。これが最後。

3枚目のdisc、起動。これまた順調に動いております。約15分後、3枚目のdiscが終了。これですべて終了。

おおっ! スタンバイの画面になったではないですか! なおった! やっぱ、再インストールしたほうが早かったよ!

と思ったのですが…、よく見ると、壁紙がね、ないんですよ。オレ、普段は和柄をコラージュした壁紙を貼ってるんですが、画面はそれじゃなくて、初期設定のもの。

単純に、初期設定に戻ってるだけならいいんだけど…。
と、一抹の不安を覚えながら、おそるおそるデータがぎっしり詰まったフォルダをのぞいてみる…。

データがぎっしり詰まった…、ん? 詰まってない…。詰まってないぞぉ!!!!

えっ? もしかして、ハードディスクのデータ、全滅?

ないんですよ。
どっこ探しても、データがない。
消えてる。
300GBあるハードディスクは、それはそれはガランガランときれいに…。

…、もうね、ブッ倒れそうになりましたよ。
こんなの、言葉で言い表せない。
世界の、終わり。
宇宙の、果て。



気を取り直したのは、2時間後くらいのこと。
とりあえず、ネットとメールのアカウントを設定して…、めんどくさっ!
バックアップを取ってあるデータはどれか確認して…。
ホームページ関係は、幸いにしてほぼすべてがネット上にアップされていたので、データを取り戻せます。
でも、印刷物関係の、作業途中のデータが…、全滅。。。。
4Pモノのリーフレット、DMのハガキ、書きかけの原稿、24Pモノのパンフの画像データ…、全滅。。。。
さらに、
大量にコレクションしていたフォントがすべてなくなってる!
これはバックアップがあるけど、インストールするだけで丸1日くらいかかるぞ!
でも、インストールしなきゃ、仕事にならんぞ!
その他、なんやかんやと使える素材用の画像…全滅。こんなのバックアップとってない!
ネットのブックマーク、全滅。バックアップなし。
アドレス帳、全滅。バックアップなし。
選り抜きのエロ動画、全滅。もちろん、バックアップなし。
iTunesに入れてる音楽ファイル、約5000曲、全滅。WinMXを使ってコツコツ集めてきた音楽ファイルなんて、バックアップとってない!しかも、wIinMXは、すでに閉鎖。あー、オレの貴重な音源がっ!!!


とりあえず、今…、
作業中だった仕事、印刷物のデータを、もっかいつくってます…。
締め切りは、明日とか明後日とかです。
もちろん、明日は、支払いやら入金やら資金繰りやらの仕事もせねばなりません。
ちなみに、この3、4日間、まったく寝てない、あるいは寝ても3時間、という日々が続いております。


もう、死にたいわっ!
あの世にいきたい!
ので、
とありえず、ASA-CHANG&巡礼でも聴きながら、死にかけてます。。


えーっと、マイミクさんところの日記のコメントやら、オレの日記にいただいてるコメントの返しなど、しばらく滞るかもしれませんが、ご容赦くださいませ。。




ASA-CHANG&巡礼 / 『花』

2006年1月29日日曜日

ファンクバカ一代






で、今日は徹夜続きであまりに疲れているので、ファンカデリックです。

そういうときは、ファンクを聴くにかぎるのですよ。

ファンクは人のうえに人をつくらず、流行の新旧を問わず、ビートの硬軟を問わず、バカとリコウを差別せず、カネのあるやつからもらい、団結は各自の意に任せてはいるものの、団結を妨げるやつを許さないのでした。

だいたい、音楽で平和がもたらされると思ったら大間違いで、古今東西、音楽は戦争及び国威発揚にどれほど利用され、加担してきたことか。
大体、歌は世につれ世は歌につれ♪なんて、半分は嘘っぱちで、歌が世につられることはあっても、世が歌につられたことなんて、いっぺんもないですから。

でも、ファンクは、違います。
団結の音楽ですから。

音楽の良し悪しはエネルギーの量と質の問題であって、楽理的正確さや知識量や理性などどうでもいいのだと教えてくれるのがファンクでもあるのは、ファンクがキーワードではなく実践であり行為そのものだからなのですよ。

言葉ではありません。
気配、力としての気、充満し放出される風のような、熱の玉やアドレナリン高濃度の状況とか、真夏のアスファルトの路面とか、まさに射精する寸前の男根、潮吹く女陰、紅潮した目尻、晴天下の嵐、襖を開けたらそこは真っ赤な夜だったり、井戸の底でプランクトンが輪になって踊っていたり、山奥で熊が自ら木彫の熊を彫っていたり、金ラメの褌、素手で薪を割ったり、素っ裸で選挙演説をしたり、逆立ちで富士山登頂、85歳で初産、101歳で15歳の娘を妊娠させたり、ボンナイフ1枚でカジキマグロを活け造りにしたり、指一本でキャッシー中島を持ち上げたりすることなのですよ、ファンクは。

そう、ファンクは、豪気なのですな!

優れたミュージシャンはすべからくシャーマンですが、ジョージ・クリントンは動物のように見える無邪気なオヤジだが脳の芯はものすごくクールです。クールであるから我を忘れてバカになったまんまということはないと思うのですが、ステージ上で飛び跳ねているあの姿は、ウソか?なんてことを言っちゃうと、シラケちまいます。演技であって演技ではありません。ファンクとは、プロレス技にも似た、芸なのですから。だから、見せることに関しての責任者として、ジョージ・クリントンは冷静なのですよ。この点、ビル・クリントンとは大違い!

そう、ファンクは、プロレスなのですよ!

で、冷静だからジャンキーじゃない、というのは、冷静に対する差別です。
ファンカデリックはドラッグやんなきゃ本当のよさがわからないと思っているやつらがいるらしいが、そんなやつはデタラメです。ドラッグやんなきゃわからないような、バカですね。アメリカの黒人、という漠然としたイメージは誰にでもあるのでしょうが、アメリカの黒人=貧乏人=弱者というふうに考えているやつらが今でも日本にいるから呆れます。
差別はいけない=弱者をいたわろう!だと。ふざけるな。アフリカン・アメリカンは弱者か?被差別者だ。差別する側の姿勢というものはよほどのことがないかぎり、変わりはしません。死んでまでも差別し続けますから。差別を支えているものは社会構造そのものであり、その構造に組み込まれていることに無自覚なひとりひとりです。右の頬を打たれたら左の拳で殴り返せ?暴力にさえ訴えられない状況だってあるじゃないですか。

ファンカデリックは、万人に参加を施す盆踊りと、異議申し立てのアジテーションと、前衛表出の3本立てですから。

だから、ファンカデリックは血判状であると同時に、お笑いなのです。
シリアスでドロドロでハードでも、その横にはいつもギャグがそっと寄り添っています。

今回は、ジャケットを大判で3枚もアップしちまったです☆

ファンカデリックは、この、ペドロ・ペルのイラスト世界そのままに、ドロドロでベチャベチャな攻撃を繰り広げますから。
ゴスペル? 闇夜の鉄拳のごとき合唱です。
結束とはけっして裏切らないということですが、その道がラクではないということを伝えています。
同時に、その塊となったボーカルのひろがり、ヘラヘラしたギターは、バラバラなようでいて、浮遊しながらグルグルと聴く者を巻き込んで結局は仲間化してしまう術の怖さを持っています。

まったくもって、妖しい。そして、怪しい。
猫の尾を踏んずけてしまったような、毒入りキケン食べたら死ぬで!と貼紙がついているような間抜けな美しさがあります。


さあ、みなさん、今宵はファンデリッ〜ク☆
すんません、わけわからん日記になってしまいました…。




Funkadelic / Red Hot Mama

2006年1月28日土曜日

驚きの判決





びっくらこきました。

27日、大阪地裁で、すごい判決が出ちゃったですよ。
なんと、大阪地裁は、公園で暮らしてるホームレスのおっさんに対して、その公園の住所を、「現住所」として認めてしまったんですよ。

こんなの、ありですか? (笑)

概要は、こんなんです。
大阪市北区の公園のなかでテント生活をしてるホームレスのおっさんが、そのテントのある公園の住所を「新しい自分の住所」として、住民票の転居届を市役所に提出したんですが、当初、市役所側はもちろん受け付けませんでした。で、これを不服としたおっさんは、公園の住所を自分の住所として登録しないのはおかしい!と言ってですね、大阪地裁に訴えたんです。まあ、人権派で名前を売りたい弁護士の入れ知恵だとは思いますが。

で、さすがにこんなもんは無理やろ!と思っていたら、地裁は、「公園内のテントであっても、そこに生活実態があれば住所として認められる。住民票転居届の不受理処分は違法である」として、公園での住民票登録を認める判決を出したのでした。

おもろすぎます!
これが通るんだったら、日本中の公共施設の敷地内に、どこでも引越して、住民票を移せるということではないですか!

ちなみに、大阪の公園で暮らしているホームレスのおっさん連中には、今、問題が起こってます。大阪城公園で暮らしてるホームレスと、大阪市西区の靭公園で暮らしてるホームレスのおっさんに対して、大阪市が強制撤去を目論んでるんですね。なんでも、5月に「世界バラ会議」なるものがあって、まあ、公園を再整備するためとかいってるけど、要は、世界からやって来る人々に対して見栄えが悪いからどっかいけ!と、そういうことです。

で、今月末には行政代執行の予定。強制的に立ち退かせる、ってわけです。
もちろん、ホームレス支援団体とか人権派の弁護士が煽って、これも大阪地裁に執行停止の申し立てを行なってますけどね。
ま、この問題はちょっと根が複雑なので、コメントは控えますが…。

ほいでですな、大阪市は「公園から出てけ」とやり、ホームレスのおっさんたちは「この寒空のなか、出てけというのは死ねというのとおんなじだ」と言い返し、揉めに揉めてるわけなんですが、そんななか、全然べつのところから、冒頭の判決が出てしまったわけなんですよ。

おもろくなりますよ!

今、公園を追い出されようとしてるホームレスのおっさん連中がですね、今いてる公園に住民票を登録することが出来るようになったんですから。
なんせ、生活実態があるのだから。
生活実態があるからこそ大阪市は、「出てけ!」と言ってるのに、大阪地裁は、生活実態があるからこそ、「そこに住民票を置ける」と言ってるわけで。
来週から、ホームレスのおっさん連中、みんながみんな、テント張ってる公園に住民票を置きに、市役所に殺到しますよ!
そすりゃ、大阪市はどうすんだ?
なにしろ、住民票があるということは、大阪市が、そこがアンタの住所だ!と、認定するわけで、それを認定してしまったら、今度は、おなじ大阪市が、「出てけ!」とは言えなくなりますよ!

いやー、それにしてもムチャクチャな判決です。
オレも、どっかの国定公園にテント張って住んで、住民票移しちゃおうかしら。奄美群島国定公園なんか、いいな。六本木ヒルズに住むよりも、はるかにロケーションいいですよ。

そうすれば、大音量でジミヘンとか聴いても、どっからも苦情来ないだろうし…。




Jimi Hendrix Experience / 『Hey Joe』

2006年1月26日木曜日

夜開く飯屋





家の近所に、メシ屋があります。
このメシ屋は、昼間は営業してません。
夜、
確かめたわけではないのだけれども、11時くらいにその店のまえを通るときは営業しておらず、12時以降に通ると営業していることが多いような印象があるので、おそらく、日付が変わるあたりの時間に暖簾をかけるんでしょうな。
朝は…、
10時には閉まってる。9時以前に店のまえを通ったときには、まだ開いていたような気がします。だから、たぶん、そのあたりの時間が閉店時間です。

要するに、そういう時間に営業しているお店なのだけれども、酒がメインというわけではなく、メシ屋です。入ったことはないけれども、外から覗くお店のたたずまいや雰囲気から察するに、あれは間違いなくメシ屋です。

このメシ屋の隣は天満市場といって、大阪中の飲食店関係者が食材を仕入れにくる市場なので、朝が早いです。
なので、考えられるお客は、市場の関係者、物流の関係者、タクシーの運ちゃん。近所では工事もしているので、工事関係者もいます。それらしい作業着を着たおっさんやにいちゃんたちが、大口を開けてゴハンを頬張っている姿を目撃したこともありますから。

営業している時間に、お店のまえを通ると、いつもいっぱい。
他に開いている店などないので、たぶん、シェア90%くらいは確保してるんじゃないですかね。

オレは元来、メシ屋が大好きで、贔屓にしてるメシ屋もたくさんあったんですが、この10年で、ことごとくつぶれちゃいました。
で、メシ屋までがチェーン化、フランチャイズ化しちゃってさ、○○食堂ばっかりじゃないですか。

メシ屋は、チョイスする皿の組み合わせで高くも安くもなるので、食べたいものをいかに安くするか、に、醍醐味があります。
それがね、○○食堂だと、どう組み合わせても安くならんのですよ。豚汁の具も少ないし、大メシをさらにてんこ盛りにしてくれるようなサービスはないし、お店のおばちゃんとの会話も、当然なし…。

べつにメシ屋にかぎった話ではないけれど、チェーン化、フランチャイズ化すると、お客に対する愛情みたいなのが、一気に失われてしまいますね。

ボチボチ月末で、仕事が徹夜続きになってきました。
ので、
夜、近いうちに、このメシ屋の暖簾をくぐってきます。


で、
夜のメシ屋といえば、SIONを思い出してしまいます。
なんとなくね、イメージがピッタリ。
デビューしたのは、80年代だったかなあ。
ボブ・ディランとローリング・ストーンズを足して2で割った男、なんていうわかりやすい形容がなされていました。
彼は、夜の妖しさや寂しさを歌うけれど、自分を卑下することもなく、誰かを鼓舞することもなく、淡々と歌ってました。
彼は、高性能のシオン・カメラを内蔵しているので、風景を描写するだけで、本質を射抜く力を持っていたのですよ。

日本では数少ない吟遊詩人ですね。

吟遊詩人が、夜のメシ屋でメシ食ってる…。
見てみたい絵ではあります。





シオン&森重樹一 / 『ルナティックムーンライト』

2006年1月23日月曜日

ダイエットでお悩みの方、ギターウルフです





腹が減ったらメシを食う、
のは、当然かもしれないが、腹が減ったらさらなる我慢、あるいは腹が減ったという意識を霧散させる行為へ心身を強引に向けることによって空腹そのものを忘れ去ることは、可能です。
腹が減ってもメシは食わない、あるいは食わなくってもどうってことない、と思うことが習慣化すればいいわけですね。
とはいうものの、それが出来ないから、みんな苦労しているわけで。

でも、かつてオレは、そう思って暮らしていました。
なぜなら、食べたくても食べるものが身のまわりになかったから。
腹が減ったら水飲んで、煙草を吸いまくればなんとなかってましたから。
別段、不都合などちっともなかったですな。

半年くらいだったか、それからだんだんと食べものを手に出来るようになっても、量はたいして増えませんでした。
元来、オレは大食なのですが、腹ペコであたりまえ、腹ペコのほうが具合がよろしかったくらいなのですよ。

というような、20年くらいまえの自分を、
ギター・ウルフは想起させてくれます。

ギター・ウルフのレコードはどれもこれも腹ペコでガサツで乱暴でビリビリで、とても裕福ではありません。
マフラーをどこかに落っことしてしまったボロいが高排気量のバイクをぶっ飛ばして、どこへ行きたいのか自分でもよくわからない夜が続いている音とビートと曲のまえでは、メシを食うことなどたいしたことではないと思えてくるので、オレはこの際、ギター・ウルフ・ダイエットを提案してみたいくらいです。

どうせ全曲4チャンネルとウォークマンによる一発録りだろうが、天然のひずみ度がすごくて、エフェクターでひずませた音などひとっつもないと確信出来る豪快作揃い。
どの曲もこれ以上削ぎ落とすべきものがなにもないけれども、ライブでの空気が焦げまくる臭いと汗と埃がごちゃ混ぜになってベットリとレコードにはこびりついているので、再生するといつもいつも臭気付き湯気が出ます。
なので、
ギター・ウルフのライブはよく効くが、レコードはそれを錠剤にしたものなのですね。

意味? 意味なんか、とにかくぶっ飛ばしてるってことじゃないでしょうか。くだらないことを聞かないでください。
環七環七環七環七フィーバー!
と聴くだけで、ウルフのウルフたる粗暴な根性は、しびれるほどわかります。
こんな作品でさえ、「観賞」してしまう先生方には、ご愁傷さまと言うほかありませんが。

今日は寒いけれど、寒さにかまけて閉じこもっているわけにもいかないので、気合い一発、ギターウルフをBGMにガンガンかけまくってバリバリ仕事しております☆
腹も満たされております☆



ギター・ウルフ / 『ビュンビュン』

2006年1月22日日曜日

日本ストリップ史に残る名曲





1970年代の中〜後期、残念ながらオレはまだ毛の生え揃わないティーンズだったので馴染みはないのだけれども、この時期、ストリップ劇場に慣れ親しんだ人なら、サンタナは別格の存在であるはずです。

どこの劇場でも、「ブラック・マジック・ウーマン」が流れなかった日はなかったといいますから。
なので、
サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」は、日本ストリップ史に残る名曲です。
加藤茶の「ちょっとだけよ」で有名な「タブー」 (アーサー・ライマンによる1959年のヒットでよく知られていますが、1934年、マルガリータ・レクォーナの作です) が60年代を代表するストリップ曲であるように、70年代は、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」です。
これは、ロック史のなかではほとんど記されていないので、ここに、オレが断言しておきます。
80年代初頭の奈良の小屋で使われていたのをオレはリアルタイムで知っていますから、もしかしたら、今でも日本のどこかの小屋でバリバリの現役である可能性も、否定出来ません。

この曲を、フリートウッド・マックもヒットさせていますが、使用されるのは、決まって、サンタナ。
なぜ、サンタナなのか。
といえば、その有名度の違いはもちろんのことですが、音質的まろやかさも秘訣であるかと。
サンタナとはもちろんバンド名で、その主役はバンマスでありギタリストのカルロス・サンタナですが、カルロスのタメと引き延ばし、一気の速弾きによるギターさばきによって、ストリッパーのおねえさんたちの腰つきも決まるってもんです。
カルロスがクイイイイィィィンといけば、薄物の腰布もハラハラと宙を舞うわけです。

でも、カルロスの技は、もちろんそれだけではありません。

スリチンモイも教えにハマってしまったように、音楽家とは、人と人、人と宇宙を結びつかせる触媒であり巫女であるとの強い覚悟のあるお人のことです。
なので、
カルロスは、演奏だけではなく、ジャケットや盤をも含めた作品そのものをシンボリックにして、人々に伝えることにも力を注いできました。
その最たるものが、LP3枚組22面ジャケット (!) のライブ盤「ロータスの伝説」でした。
世界の平和について、平和の実現について、音楽で提言/表現し続けたことでは、その継続力と機動性と親近感において、地球上でも1、2を争う人ですね。
神、それも人類に平安な心をもたらす存在を求めることでは、音楽界でも、現役ではトップ独走中でしょう。
オマ・イラマやネヴィル・ブラザーズのような具体的主張、パブリック・エネッミーやエイジアン・ダブ・ファウンデーションのような現状批判、を、交えたものではなく、サンタナとカルロス・サンタナが提示するものは、より直接的な抽象表現といいましょうか、つまり、人に必要なのは広い心の愛であり、宇宙と通じた至上の誠意、であるといったようなもんです。戦争をやめたり差別心を捨てたりということは、それらに当然のように含まれていますね。

「ボクの目標はいつも、ギターを心で弾くことだ。それが出来ているときはもう、弾いている、という感覚ではない。伝達している、というかんじなのだ」

ライナーのなかで、カルロスは述べています。

音楽家はチャネラーなのだ、とはリー・ペリーのお言葉ですが、まさにカルロスの指がエレキとなって世界中のおねえさんの服を脱がしてしまう。そういう脈動が、サンタナのどのアルバムからでも充満しているように、オレには思えるのです。


今日は、音楽を語らせたら人後に落ちない、マイミクのゆらりさんと初接触記念、ということで、サンタナについて熱く語ってしまいました。
ゆらりさん、今度は電話じゃなくて、ぜひ!




Santana / Blakc Magic Woman

2006年1月21日土曜日

お気楽な人





金曜日の報道ステーションで、ザ・フォーク・クルセダーズの特集やってたんで、観てしまいました。普段は、古館の顔なんて見たくないんだけど。

ザ・フォーク・クルセダーズについては、
1968年、「帰ってきた酔っぱらい」でデビューして、「イムジン河」が発禁になって、「悲しくてやりきれない」がオレのカラオケの十八番になっていること以外には、さして情報を持ってなかったんですよ。第一、音源が中古レコード屋で富士山みたいな値段で取引されてる代物なので。

そのむかし、70年代に、サディスティック・ミカ・バンドというバンドがありまして、このバンドは、おそらく、日本人で初めてイギリスでライブ活動&レコーディングしたバンドなんですが、ロックで、オシャレで、お笑いが入ってて、軽薄で、ゴージャズで、フェイクで…、まあ、フリッパーズ・ギターの 70年代版といった趣で、オレはかなりかなり好きなバンドだったのですよ。

ミカ・バンドは、その後のYMOやムーンライダーズにも影響を与えているバンドで、高中正義 (スーパーギタリストですね) 、高橋幸宏 (ご存知、YMO) 、後藤次利 (今はSMAPなんかも手がける大御所アレンジャーですね) 、坂本龍一 (はい、教授です) 、細野晴臣 (YMOだけじゃないです) 、小原礼 (これも大御所の作詞家に) 、つのだひろ (メリージェーンの人ですね。お兄さんは、つのだじろう) …、なんていう錚々たる面子が入れ替わり立ち替わり在籍していたバンドですね。

で、ミカ・バンドのリーダーの加藤和彦氏がそれ以前にやっていたのが、ザ・フォーク・クルセダーズ。

でも、フォークルって、所詮はフォーク。あの、時代の最先端を行くのが大好きなミーハー加藤氏がフォークってのもなあ、と、ずっと思っていて、今回、古館の番組でも観るか、となった次第で。

そんなに期待はしてなかったけれど、かなり、面白かったです。
いや、あんなに面白い中身になってたとは意外だったわ。

だいたい、「帰ってきた酔っぱらい」のヘンテコな歌声は、録音テープのスピードを速めて遊んでたら、出来ちゃったという代物。
だから、フォークでもなんでもないですな。フォークソングが持ってた生真面目さが、まったくない!

やっぱ、加藤氏はむかしっから加藤氏でした!
このお気楽さと遊び心がね、加藤氏の真骨頂なのですよ。

「悲しくてやりきれない」は、発禁になった「イムジン河」のメロディを逆さに演奏して遊んでたら生まれたとか。

つまり、あの名曲も、遊んでたら生まれたということですわ。
そこには過剰な物語もドラマもなくて、名作が生まれることとそんな物語はまったく関係ない!ということを、ほかでもないミーハーな加藤氏が身をもって示していてくれていたことが、とても痛快です。

名作誕生や大記録達成の裏に、過剰な物語を求めるのは日本のメディアの悪い癖ですが、やっぱ、加藤氏はそのことがよくわかってる人ですね。さすが!

「イムジン河」、この歌の内容が北朝鮮にかかわることで、当時、日本は北朝鮮を公式の国として認めていなかったために、発禁処分となったのだとか。
でも、ライブでは歌ってたみたいですね。

芸能界は、それまで、ライブの曲順なんかも全部レコード会社が決めてたらしいですが、そういう慣習事を、彼らはぜーんぶ無視してたらしい。
ライブじゃ、好きな曲を好きなように演奏した。
ジャケットのデザインも自分らでやった。

今じゃあたりまえのことでも、当時では、革命的なことだったのでしょう。

バンドも、結成からわずか1年後、人気絶頂のときに、唐突に解散。
やりたいこともなくなったし、もともとが遊びではじめたバンドだし、金儲けには関心がなかったから、あっさりと解散。

このお気楽さ、さすがですね。
加藤氏は、むかしっから加藤氏でした。
そんな加藤氏が、オレは好きですね。

ところで…、
フォークルの音源は、今、あの、エイベックスが持ってるらしいですな。
再発してください!



サディスティック・ミカ・バンド / 『黒船』

2006年1月20日金曜日

車内妄想





え〜、仕事してます。
あいだにプライベートな用事もてんこ盛りになってきて、忙しいです。
ので、
こんなときは、妄想するのです。

まあ、忙しくなくても、妄想はよくしますが。

電車に乗ることが多いので、電車のなかでは、本を読んでるか妄想してるかのどっちかです。

一番多いのが、若いおねえちゃんが近くに座ってたら、おばあちゃんになったらどんな顔になってるかな、って想像するやつ。もしくは、妙齢の婦女子が座っていたら、こちらの方はお若いころはどんなだったろうか、と、想像するもの。ちなみに、男はどうでもいいです (笑)

60歳くらいの、髪のボリュームが少なくなってしまっているけれど、口や目の各パーツが大きくてゴージャズな顔立ちのおばあさんなんかを見つけると、勝手に、セミロング・巻き髪バージョンにしちゃって遊んでます。で、30歳前後あたりまで時計の針を逆さに進めると、かなり華やいだホステスさんに変身♪ なんて具合に…。

タレ目の女子高生は、年とると、顔の筋肉も弱ってくるだろうから、タレ目がより一層タレ目になって、頬も垂れてきて、今はピチピチでかわいいかんじだけど、40年後には厳しいやろうな、とか…。

これだけでね、30分は遊べます♪

で、こればっかりやってるとヘンタイさんだと思われるので、もう一個。
こっちは、老若男女、対象は誰でもいいのですが、電車に乗っている人に片っ端から名前をつけていきます。
なんとなくね、風貌から連想出来る名前って、あるんですよ。

大学名の入ったジャージを着た体育会系の学生、丸刈り、切れ長の目、薄いくちびる、身長185の体重90…、彼は、三四郎ですね、まちがいなく。イヤ、知らないけど (笑)

髪の毛がアフロでバクハツしまくってる20代前半と思われるクラブ系ファッションに身を包んだ日サロ焼けの真っ黒なおねえちゃんは、案外古風な名前で、喜久枝さん、とか。イヤ、知らないけど (笑)

名前がわかれば (わかってはいないんですが。笑。) 、次は、歩んできた人生です。
体育会系の学生さんは、たぶん、アメフトかなんかやっていて、でもプロになれるほどの実力はなくて、大学卒業後はコネで大手商社に入る予定。ちなみに彼には弟がいて、弟も兄の姿を見てアメフトをはじめたんだけれども、弟のほうが才能があって、弟はすでにプロからスカウトも来てて、将来が有望視されている。兄は、そんな弟の才能に嫉妬してて、あんまり仲はよくない…、とか。

そして今日、なんと、猫村さんを発見しました!

地下鉄堺筋線扇町駅から日本橋駅まで、ずーっとオレの正面に座っていた20代前半とおぼしき、女性。さざえさんのような髪型をした、あなた。あなたの名前は、猫村さんです。

ここで、猫村さんについてご存じない方のために解説。
猫村さんは、大ヒット中のマンガ『きょうの猫村さん』の主人公。猫だけど、家政婦なんです。家政婦センターから、犬神家に派遣されている、家政婦。猫だけど気立てがよくて、人情深くて、ちょっとおせっかい焼きで、ミーハーで、負けん気が強くて、優しくて思いやりがあって、得意料理は「ネコムライス」で…、心がとってもあたたまる女性、イヤ、猫なんですよ。

アマゾン見る人は、こちら

で、その、猫村さんを発見!
まず、想像するに、エプロンが似合いすぎる! しかも、エプロンは絶対に縦結び。TVドラマ『家政婦は見た』シリーズも絶対に見てそう。それも、ビデオやDVDではなくて、リアルタイムで。ほいで、全身がユニクロらしきシンプルな服でまとめられている彼女からは、倹約家の匂いも…。
どうよ? こんな彼女の名前が猫村さんでないわけがないでしょうが。

そんなわけで、今日はなにかラッキーなものを発見してしまった気分で、かなりごきげんさんのオレです♪

さあ、仕事しよっと。

2006年1月18日水曜日

震災を偲ばず…ただの宴会





昨日の夕刊と今朝の朝刊、
宮崎勤被告の最高裁判決、
ライブドアの家宅捜索、
ヒューザー小嶋社長の国会証人喚問、
に、挟まれるかたちで、阪神大震災のセレモニーが報じられておりましたな。

これって、偶然なのか?

オジャマモンの証人喚問は、たぶん、震災の教訓を生かしてないのか!云々を言って大見得を切りたい政治家が、1.17というシンボリックな日を選んだんだろうな。
で、そのオジャマモンに国会でペラペラ喋られたら困る森派の議員が根まわしして、ホリエモンとこの家宅捜索に特捜を動かして、ニュースの分散をはかったんだろうな。
ホリエモンがどうなろうが知ったこっちゃないけど、ありゃ完全に、出る杭は打たれる式のイジメみたいなもんですな。普通の人が何回聞いても理解出来ないような、重箱の隅を突っついたような容疑じゃないのか、あれは。
で、コメンテーターと称するおしゃべりな人たちやおせっかいな人たちが、特捜の尻馬に乗って、ここぞとばかりにホリエモン攻撃をはじめる図、醜いったらありゃしない。恥ずかしいったらありゃしない。風見鶏のみなさんが、飲み屋じゃオネーチャンに、家に帰ればお子らに尊敬を強いているのかと思うと、情けなくなるわ。


オレはですね、昨日の昼間は彼女と会って、お手製のマフラーをいただきましたですよ。いろんな色の毛糸が混ざっていて、カラフル&超キュート☆ うれしいかぎりです。ハデ好きのオレにはピッタリの代物です。ありがとっ☆

ほいで、その後は神戸。長田。
当然、朝の5時46分からイベントは行われているけれど、四十路に突入した老体なんで、そんな時間は、無論、パス。寝てるって。
なので、
夕方、重役出勤。
どーせね、何時に行ったって、長田のオバァ連中は、ずーっと騒いでいるのだから。

全国からですね、縁が出来た人が集まるんですよ。
もう、同窓会みたいなもんです。
亡くなった方を偲ぶとか、そういう雰囲気じゃなくて、完全に、同窓会と化してます。
家族が増えた人もいるし、家族が減った人もいます。知り合いが知り合いを連れてきて、輪が広がっていったり…。
年に一回ね、この日にみんなで集まるんです。何時、と決めてるわけじゃなくて、好きな時間に来て、騒いで、好きな時間に帰る、それだけ。

オバァ連中は大半が在日コリアンとウチナンチューで、そこにオレみたいなヤマトンチューが来るでしょ、コリアンも来るでしょ、神戸に住んでるアジア各国の人たちが来るでしょ、ヨーロッパの異人さんたちが来るでしょ…、
もう、そうなると言語がムチャクチャ。

フランス人カップルが来てて、「この春に結婚することになりました」って話が、何カ国語かの言語を経てウチナンチューのオバァの耳に届くころには、「今、プポーズしました」に話が変わってましたから。

で、オレは、今日が誕生日で、今年は前厄で、厄というものをベトナム人に説明するのに四苦八苦でしたよ。「カネで神さま雇って悪運を蹴散らすんじゃ!」と言っておきましたが。

ひたすらキムチ鍋食って、プルコギ食って、ユッケ食って、ゲジャン食って、チヂミ食って、歌うたって、踊って、くっちゃべってただけだし、あとはなにをやってたのかもよく覚えてないけど、楽しかったですわ。

年に1回の同窓会。お祭り。
永田町のマツリゴトはバカバカしいけど、
長田のマツリは楽しいですわ。

年に1回じゃなくて、もっともっとやりたいな。
長田はまだまだ復興してません。荒れ地も多いです。
そして、横の繋がりがだんだんと細くなってきている。
孤独死される方が、増えてきてます。
だから、月1回くらいのペースで宴会が出来たらいいんだけど。
あ、でも、そんなことすれば、オバァ連中が調子づくしなぁ (笑)

そうそう、オバァ連中から、かわいいニットのカーディガンをいただきました☆
ニット尽くしの日になっちゃったな。

2006年1月17日火曜日

震災の日、誕生日に思う





阪神大震災から11年目の1月17日がやって来ました。

オレの誕生日でもあります。
この日はロクなもんじゃなくて、
ロスで大地震があったり、湾岸戦争が開戦した日でもあります。
山口百恵と村田英雄と坂本龍一と平井堅とアル・カポネと大杉栄とオレのオヤジが生まれた日でもあります。
今年は、ヒューザーの小嶋社長の証人喚問? どーでもいいな。

震災についてはいろいろと書きたいこともあるのですが、
なにが悲しいといって、
亡くなっても名前が残らないことです。

大量死の最大の悲劇は、亡くなった人の名前がない、ということです。
どこそこで、誰が、これこれの理由で、亡くなりました。享年○○才。
ではないのです。
○月○日現在、推定死亡者数○○人、まだ増える模様。
なのです。
言うまでもないことだけれど、人にはそれぞれ固有の生があって、だからこそ、固有の死があるはずです。名前は、それを象徴しています。名前のある死があって初めて、その人は、それまでの人生、生きて存在したことになります。
それが、ない。

だから、震災の日に向けたここ何日かの新聞各種の特集なんかは、震災を軸としたいろんな人の人生が具体的に書かれてあるものが多くて、興味深く読んでます。

たとえば、娘さんの誕生日の1週間前に震災があり、娘さんを亡くしたお父さんは、それまで仕事中心の生活であまり娘さんをかまってやれなかったことを悔いています。フラメンコダンサーになりたかった娘さんの夢を少しでも理解しようと、お父さんは今、スペイン語を猛勉強して、娘さんが憧れたスペインを旅しようとしています。

たとえば、西宮で被災し、親を亡くし、家をなくし、大切な品をなくし、そのうえ、その後の土地問題で兄弟姉妹が縁をなくし、なにもなくなったうえにガンを宣告されて、現在も闘病中の方がいます。

いろんな人生がありますが、どんなにしんどくても、どれだけあっけない死であったとしても、そこには固有の生があります。
死が記録され、人々の記憶のなかに残ってこその、生です。

あの日、オレは妻と一緒にベッドに寝ていました。
我が家は家のなかの食器類が割れた程度でそれ以外はすべて大丈夫だったのですが、妻が一番心配したのは、神戸にたくさんいた、知り合いの外国人連中です。
妻は外国人です。当日に連絡をとりあって、神戸がエラいことになってると知り、車で外国人の知り合いを迎えにいきました。

それからです、妻のボランティア魂が点火したのは。
妻は、看護婦の資格を持っていたのですが、日本では、その資格が通用しないのですね。でも、神戸の惨状を目の当たりにして、なんとかしなければならない!と思ったのでしょう。他人事ではなく、被災した仲間がたくさんいたのだから。

オレも、神戸に通うようになりました。
そのなかで、長田のオバァ連中とも知り合いました。
亡くなったオバァもオジィも、生き残ったオバァもオジィも、みな、逞しいですね。
「死んだら全部終わりやな」
とオレが言ったら、
「死んで全部終わってくれんことには、借金がなくならんやんかぁ」
とか言ってますから。
あの人たちは、逞しいです。
どんだけ悲惨な状況に陥っても、その状況の中でなんとかかんとか楽しむ術というか、図太さみたいなものを、持ってますから。

妻は、もともと、ボランティア活動を熱心にしてきた人です。看護婦の資格を取ったのも、そのこととは無縁ではありません。
「現場に行くと、誰かの役に立ててる実感というか、誰かに必要とされてる実感が持てる。それは、自分が世の中に存在していいのだと、神さまに言われてるみたい。だから、私は、誰かのお世話をしているようでいて、じつは、みんなからパワーをもらってるの」
と、彼女はよく言っていました。

その妻も、7年前に、アフリカのニジェールという国へ看護婦のボランティアに行ったきり、戻ってきませんでした。
内戦で欠けてしまった人々の身体と心に、某かを埋める作業をしに、彼女はニジェールに行ったのでした。
彼女が属していたボランティア団体は、災害地や紛争地にいち早く到着して、医療面からの適正なサポートを、政府や思想や社会体制によらずに、行なってきたところです。
そして、彼女が赴いた現場で、ゲリラ戦が起こりました。
そのゲリラ戦で亡くなったのは、数十人とも百人以上とも言われています。
今もって、正確な数字はわかっていません。

このことが意味するところは…、
死者に名前がないことですね。
名前が報じられない。人々に知らされない。
ということは、誰にとっても、彼らや彼女らの人生は、全うすることなく、尻切れとんぼの記憶の断片で終わってしまっているということです。
幸いにして、オレは、妻の亡骸を確認し、オレの手元に取り戻すことが出来ました。
彼女の死を無名の死にすることなく、名前のある、固有の死とすることが出来ました。
でも、日本での報道は、死傷者数推定数十人、です。
これはもう、仕方がないかもしれません。
外国の地で、外国人が亡くなったことを、いちいち実名を挙げて報道していたらキリがないから。
でも、でも、死傷者数推定数十人のなかには、死亡を確認されていない人だっています。
大量死には、そんな側面があります。
震災のときだって、おなじです。

震災以降、その日がオレの誕生日なのだということを意識することが、あまりなくなりました。
妻のことを思い出します。
そして、長田のオバァたちのことや、神戸で出会ったりすれ違ったりした人たちのことを思っていることが多くなりました。

思い出しはするけれども、今は、かけがえのない彼女と出会って、オレも、新しい人生を歩いています。それもまた、固有の人生です。震災以降の、妻を亡くして以降の、オレの、新しい人生です。

そういう人と過ごした時間を持っているオレを、丸ごと受け入れて、一緒に歩いていってくれる彼女がいてます。
過去はどうであれ、今現在のオレは、そのことにとっても満足しています。感謝もしています。


あと何時間かで、時計の針が止まった時間がやって来ます。
また、神戸中にろうそくの灯がともります。

震災を機にね、素晴らしい歌が生まれたのをご存知ですか?
ソウルフラワーユニオンの中川クンがつくった、『満月の夕』です。
彼らは、震災を機に、活動の形態を大きく変えました。
エレキギターを三線に持ち替え、ピアノをアコーディオンに持ち替え、ドラムをチンドンのタイコに持ち替え、電気が復旧していなかったころから、長田の公園で、オジィやオバァを励ますために、流行歌の演奏会を、何度も何度もやって来ました。
そうやって、聴く者すべてを飲み友だちにして、一緒に生きていこうや!って、仲間の輪をひろげていきました。
中川クンとは、神戸で何度か顔を合わせましたね。
オレは、中川クンとはたいして連絡をとりあう仲ではないけれども、どういうわけか、節目節目で出会います。
17日の今日も、たぶん、どこかで出会うんでしょう。

『満月の夕』は、神戸の街で、多く人が口ずさむようになりました。
チャートにあがってこなくても、多くの人々の、記憶に焼きついた歌になっているようです。
ご存じない方がいらっしゃったら、聴いてみてください。
5分07秒、どんな歌か聴いてみたいと思った方は、どーぞ。ほんの、5分07秒です。オレにとっては、大切な、大切な曲です。

2006年1月16日月曜日

職人か、商売人か





和歌山で桐簞笥をつくっている職人さんと、縁あって仲よくしています。

彼に言わせると、つい10年前は、職人になってくれる若い人がいてなくて後継者問題が最大の課題になっていたけど、最近は、若い職人希望が増えて、門を叩きにくる人が多いのだとか。

オレも、彼女が若いせいもあって、20代前半の人たちと接する機会が増えてきているんですが、おなじことを感じますね。

終身雇用の時代も終わり、給料が右肩上がりの時代も終わり、それならサラリーマンの管理社会で生きていく意味もあんまりないんじゃないか、ってことなんでしょうかね、職人さん希望が増えてるみたいです。

オレが20代前半だったころはバブル全盛の時代ですから、みんなよってたかって証券会社だとか銀行だとか保険会社に殺到してました。それからすると、時代は変わってきてますね。山一証券もつぶれちゃったし。

就社の時代から就職の時代になりつつあるのですかね?

最近、面白い本を読みました。
『職人暮らし』原田多加司著 ちくま新書700円。

著者は、230年以上続く桧皮葺・柿葺職人の10代目で、大学を出て10年ほど銀行員をして、その後、家業を継いだのだとか。

サラリーマンと職人の両方を経験されているので、双方を明快に比較してくれているのが、この本の特長です。

たとえば、サラリーマンの給与は年功的に上昇していくけれども、職人の場合は、1人前になるまでのあいだだけ年功的で、その後はフラットになる、と。

一概には言えないけれど、大雑把に言うと、そういうことになります。

宵越しの金は持たない、という職人イメージはじつは実態とかけ離れていて、じつは、しばらく仕事を干されても生活出来る程度のカネは蓄えていないと、意に反するような仕事もしなければならない、というのは、なかなか耳の痛い話でした。

実際、仕事を断るのは勇気が要ります。断れば、ヨソにまわされてしまうし、一度ヨソにまわされてしまった仕事は、容易なことでは取り戻せませんから。だから、耐震強度計算書を偽造してでも…、って発想にもなるんですけどね。

オレもまた、職人であります。
高校生くらいのころから、自分は、某かの文章を書いていくことで生きていくのだ、と、決めて、そのまま今に至っています。

ただ、職人仕事というのは、昨日の上に今日を淡く塗り重ねていくような、地道で景色の変わらない毎日の積み重ねでもあるのです。
そこまで、没頭出来るかどうか。

オレは、出来ません。
日本語を書き連ねていくことだけなら、四六時中でも、何年でも、出来ます。
でも、それが仕事となると、どうしても、変化がほしくなる。

だから、かどうかは判然としませんが、オレの仕事は、職人仕事半分、商売人仕事半分、とうかんじです。
どちらかに振り切れてしまうと清々しくていいのかもしれないし、何度か、どちらかに振り切ってしまおうとしたこともありましたが、どうやら、両方を行ったり来たり、バランスよくやっていくのが、オレの資質のようなのです。

実際、紙切れ1枚で能書き垂れて、代理店をだまくらかしてカネ出させるようなモンキービジネスも、たまらなく好きです。あれは、快感です。

ちょっとした思いつきがあって、それを企画書にして、それを実現するためのカネを出してくれるところを探して、口説いて、かたちにしていく…、そんな作業も大好きです。
大好きですが、それはもはや職人仕事ではなくて、商売人としての仕事の範疇に入ってしまいます。

でも、よくよく考えてみると、
自分は職人的な仕事をしたいがために、商売人的な仕事をあえてやるのだな、という気もします。
日本語を書き連ねるという大好きな仕事を安定的に継続してやっていくために、その支えとして、商売人的な仕事をやっているのだという気がします。

なにか、とっ散らかった話になってしまいましたが、オレは職人なのか商売人なのか、ということを自問自答しつつ、今日も仕事するオレなのでした。


似たような立ち位置に、ムーンライダーズというバンドがいます。
バンドのメンバー全員がプロデューサーで、おそらくそちらのほうが収入が多いでしょう。
でも、自分たちの好きな音楽を好きなバンドでやり続けていくために、プロデュースからなにから、なんでもやるんですよ。そのためなら、アイドルのバックバンドまでこなすバンドですから。
で、いつのまにやら、プロデュース作業のほうの夢中になってしまって、本業であるはずのムーンライダーズは開店休業状態、なんてコトにもなったバンドです。
60年代から活動していて、今もまだ現役です。ポップミュージックのフィールドでは、間違いなく日本最古の現役バンドでしょうね。
ちなみに、ヒット曲は、ありません。レコード会社も、何度移籍したかわかりません。
でも、大好きです。



ムーンライダーズ / 『大人の悩みに子供の涙』

2006年1月15日日曜日

鳩おじさん





午前中の通常の出勤時間、扇町公園を横切って梅田方面へ向かって歩いていたときのことでおます。

ときどき見かけたような気がしないこともないような気もするのだけれど、鳩オジサンがいました。
なんの餌かは知らぬが、サイババの砂金よろしく、どこからともなく餌を出してきては、鳩の群れに向かって投げ入れているのですよ。
で、あっという間に、鳩オジサンは鳩に囲まれる。
鳩に囲まれた鳩オジサンがいれば、お子らは、当然のこと、寄ってきますわな。

お子たちがなついているのは微笑ましい風景に見えるんですが、あれは、おそらく、お子らの親が知るところとなれば、即座に、あんな怪しいオッサンに近寄っちゃダメです!となるのでしょうな。

実際、平日の午前中に、いい年をしたオッサンが公園で鳩と戯れている図は、怪しいと言えばかぎりなく怪しいけれども、むかしは、こんなオッサンが、たくさん棲息していたような気がします。
都会には、このような、なにをしているのかさっぱりわからん謎なオッサンが、しかし、人畜無害なオッサンが、たくさんいたように思います。

そーいえば、ガッコの門のまえには、型押しのオモチャを売るオッサンとか、いたじゃないですか。

怪しい人種が、どんどん棲息出来ない世の中になってきてますね。
でも、そんな、クレンジングされた世の中はまっぴらです。子供を持たないオレは、そう思います。
それがどれだけ不健康な社会なのかは、オーソン・ウエルズの『ブリキの太鼓』のような古典にすら、すでに指摘されています。

ここ天満は、下町の香りを残しているだけあって、まだ、怪しい人種が他よりは多数棲息していますが、それでも、昔に比べればもちろん減っています。それはなにも、正道会館があるせいではないでしょうに。

そのうち、オレも始末されるのでしょうかね?(笑)
なんせ、昼間っから、割烹着着て天満市場で野菜やら魚やらを買って、市場の人と談笑し、ウロウロしているような人間ですから。
でも、鳩オジサンがポップコーンを投げて鳩と戯れているあいだは、子供たちが鳩オジサンと戯れているあいだは、オレも大丈夫のような気がします。

2006年1月14日土曜日

彼女の右手人差し指の目指す先は…





コトの発端は、フィッシュマンズの「ロングシーズン」です。

これ、参照。

んなわけで、その日も、オレは風呂場でひとり、抜いていたんです。
右73本、左81本だったかな。

ま、本数はよろしい。
ちょっと悔しいのは、抜きすぎて、ピコンと外に出てる根性のあるやつまで抜いてしまったこと。全部抜いてしまうと、オサレじゃないですからね♪

だからね、ちょっとはね、気になっていたんですよ。
そしたら、だ。

翌日…、

一瞬、寒波が和らいだような、天使が舞い降りたとしか思えない、陽光が燦々と降り注ぐ昼下がりのドトールにて、
テーブルに向かい合わせに座るなり、
彼女、
おもむろに、右手の人差し指をオレの顔のまえまで伸ばしてきてですね、
すぽっ。
オレの右の鼻の穴に、右手を突っ込んだのですよ!

な、な、な、な、なにをするかっ!!

公衆の面前で、チミはなにをするのだ!

「指にかかる抵抗が少ないな。昨日、抜いたやろ!」

…抜いたよ。それがなにか? 不満なのか? 出てないのが不満なのか?
そもそも、チミは…、

これ、参照。

それよりも、公衆の面前で、オレの鼻の穴に指を突っ込むのは、セクハラというやつではないのか?

ときどき理解不能なことをする彼女を持つと、苦労します♪
社会の常識というやつを叩き込まねばっ!

そんな彼女には、『右脳イメージトレーニング はじめての合格 3 常識推理思考』をプレゼントしてみようかと考えている、今日この頃です。

2006年1月13日金曜日

木下大サーカスに行ってきました





彼女が、読売新聞からタダ券を2枚もらってきてくれたので、行ってきました。
「スーパーミラクルイリュージョン木下大サーカス」ですよ。
サーカスなんて、何年ぶり? つか、何十年ぶり? (笑)

京都の梅小路公園。蒸気機関車の置いてあるところですね。

結構大きな公園に、どでかいテント発見。
そうそう、サーカスはやっぱ、テントですよね。
その旅芸人スタイル。好きなんです。

開演30分前に、吹きっさらしのテントの前に並んで、…平日にもかかわらず、結構、行列出来てます。圧倒的に、家族連れが多し。
そんで、出店が出てんです。それも、プロのテキ屋の出店じゃなくて、サーカス団が自前で出してる出店。ポップコーンとかポテトチップスとか売ってます。
オレと彼女は、直前にスタバに寄って、キャラメルマキアートとドーナツを仕入れてきたんですが、やっぱ、チョイスを間違いました。ポップコーンにしとけばよかった。そのほうが、サーカスっぽい…。

待つこと数分。
なかに入ってみると、1000人くらいは収納出来そうな、どでかいテント。
タダ券の自由席は、席もへったくれもなくて、長椅子です。で、前後左右、子連れファミリー。普段は、ガキが騒ぐだけで激怒するオレですが、こういう場所ではガキは騒ぐもの。背中を蹴られたって文句言いません。

アレグリアとかを観てしまうと木下大サーカスのセットのチャチさが目について仕方がないんですが、そこがまたノスタルジアを誘います。
だってね、本日、入場者が10万人を突破したとかで (カウントの起点がさっぱりわかんないんですがね) 、キリ番の人が壇上に呼ばれて景品贈呈があったんですけど、それが、スズキのスクーター。しかも、オッサンが出てきて普通のカメラで記念撮影つき。なんかね、景品も微妙なら、演出も微妙。ちょっと微笑ましい。

ステージは空中アクロバットとか鉄棒とか、体操競技系のパフォーマンスで前半ははじまるんですが、これがね、やっぱりアレグリアを観てしまったオレの目から見なくても、ちと、しょぼい。鉄棒なんか、最後に2回転ジャンプとかするんだけど、着地のところで転ばないように、介添えする人がいてるし…。

マジック (スーパーイリュージョン?) では、タネも仕掛けもありそうなでっかい箱が登場して、箱に入れたマネキンが、箱を開けてみたら、あらま、本物のダンサーに、とか、箱に閉じ込めたオネーチャンをギロチンで滅多切りにしたのに、箱を開けてみたら、あらま、ピンピンしてる、とか。いや、タネは知らないけど、でも、あの箱には、絶対にタネも仕掛けもあるって!
でも、マジック…、いや、スーパーイリュージョンは、アレグリアではやらんですもんね。

プログラムは結構充実してて、20種類くらいはあったかも。ただね、プログラムとプログラムのあいだのセットの入れ替え等の段取りがね、悪いんです。照明落としてガチャガチャやってるんですが、その時間、長過ぎ。で、そのたびごとにピエロが出てきてなんかやるんですよ、しょーもないことを。最初のうちは苦笑いしてたけど、なんどもなんども見せられると眠くなっちゃう。

イヤ、けなしてばっかですけど、でも、基本的には、微笑ましいんです。
アレグリアみたいではないし、カネのかかった外タレのライブともいかないけれど、手づくりの延長というか、小資本 (おそらく) でも、頑張ってここまで出来ます、みたいなノリで、ちょっとね、勇気がもらえそうなかんじなのですよ。

後半、猛獣ショーですよ。ライオンだトラだチータだと、怖そうなのがいっぱい出てくるんですが、それを操る猛獣つかいは、鞭持ってますから。鞭持って、火の輪をくぐらせたり、芸をさせるんです。いいんですかね? 動物愛護団体に訴えられますよ。いや、オレは好きですけど。ちなみに、このプログラムは題して「NEWミラクル世界猛獣ショー」。どのあたりが、NEWなんだか…。

そうそう、キリンとシマウマも出てきました。迫力ありました。迫力ありましたけど、なんの芸もしない。ステージをぐるぐるまわるだけ。ピエロが子供に餌をわたして、キリンがそれを食う、って、それだけ。いや、迫力あったからいいんですけどね。動物園でも、あんなに間近でキリンとかシマウマとか、見れないですから。

最後は空中ブランコ。お約束の空中ブランコ。目隠しで空中ブランコやったりして、すごかったですよ。でも、これもアレグリアを見てしまったあとには、…やっぱ、キツいもんが。

なんだかんだで2時間。途中、ダレたところもあり、眠気にも誘われ、ガキにも背中を蹴られ、尻も痛くなり…、でも、観てよかったです。さすがに自前でチケットを買って観る気にはならんけど、タダなら観てよかった。ちなみに、自前だと、自由席前売りで大人2500円、子供1500円ですから。これ、一番安い席ですから。映画より高いですから。

でもね、サーカスって、フリークスというか、村八分的な匂いがしてて、好きなんですよ。
だってね、アレグリアのライブもすごいし、今年に来日するローリングストーンズやU2のライブも、それはそれはすごいゼニがかかってて、すごいことになってますよ。かたや、木下大サーカスは、オーロラビジョンもなければ、照明はスポットライトだけですよ。
エンターテイメントなんてきれいな言葉になっちゃってるけど、所詮は、河原者じゃないですか。町に住むことは許されなかった人たちですよ。その精神がね、木下大サーカスには息づいているような気がしたんです。河原者のプライド、みたいなのがね、オレの魂を揺さぶりましたね。

観てよかったですよ。
カネ出してまでは要らんけど… (笑)

そういえば、昨日の夜、DVDで、「ラッチョドローム」を観たのでした。
こちらは、今公開中の映画「愛よりも強い旅」の監督トニー・ガトリフが製作したジプシーのドキュメンタリー映画。ハンガリー、ポーランド、エジプト、スロヴァキア、フランス、スペインと流れていくジプシーの音絵巻です。
昨日と今日、奇しくも、東西の旅芸人に触れたのでした。



Taraf de haidouks / 『Cantec de dragoste ca la Roata』

2006年1月12日木曜日

突っ込みどころ満載の広告

阪神電車に乗っていたときのこと。

応援するのはサッカーの日本代表、宗教は阪神タイガースと公言するほどの虎キチのくせに、阪神電車には滅多に乗らないんですけどね。

甲子園に応援に行けば、まず負けるし…。だから、行かない。行かないから、ますます阪神電車には用がない。というありさまで。

でも、ひさしぶりに阪神電車に乗ったんですよ。えべっさんに行くのに。
でね、見つけたんですよ、どんなんやねん!って広告を。中吊りで。
いや、仕事柄、広告は目に入るもの自然とチェックするんですけどね。

まずね、紙面下段にお仏壇の写真があるから、お仏壇の広告だろう、ということはわかるんですよ。

ところがですね、それ以外に使われている写真は、ニューヨークの摩天楼と自由の女神。なぜに?

で、キャッチコピーが奮ってる。一瞬、なんのことだかわからない。
KUYO IS LOVE
供養?って理解するまで、オレ、20秒ほど時間を要しましたから。

だって、ニューヨークの摩天楼と自由の女神の写真をバックに、赤文字で、「KUYO IS LOVE」ですよ!

電話番号、載せちゃいます。
0120-596910
下6ケタにルビが振ってあって、ゴクラクイーワ、ですよ。
ゴクラクイーワって、あなた…。
しかも、69をラクと読ませるんだから、無理矢理にもほどがあります。
つか、ゴクラクイーワを覚えたところで、0120-596910が出てきません!

HPのURLも載せちゃいます!
http://www.yagiken.co.jp/

ヤギケンという会社で、現代仏壇なるものをつくってらっしゃるところなんですけどね。HP自体はオールフラッシュで作成されていて、普通にしっかりとつくられているし、まともなのに、なんで阪神電車の中吊り広告だけが…。

やっぱ、阪神電車だからなのですかね?
こんな広告を中吊りに出させてるから、村上ファンドに…。(笑)


ところで…、
ラブ・タンバリンズ、復活ですね♪
90年代、渋谷系の最深部で静かにバクハツした伝説のバンド、ラブ・タンバリンズの歌姫エリーとギタリスト斉藤圭市が新ユニット結成で、元旦にシングル発売してました。しかも、クルーエルレコードから。クルーエル、まだ存在してたのね。
でも、予告しておきます。06年、間違いなく、クラブシーンの台風の目になります。




Girl it's U / Dancin' Beaty

2006年1月11日水曜日

えべっさんに行ってきましたですよ





行ってきました、えべっさん♪

西宮神社。どえらい人でしたけど。

じつは家の近所に堀川戎があるのだけれども、あそこは別名・貧乏戎だし、うちは代々、西宮なんですよね。

ガキの頃から、オヤジに連れられて西宮戎に行ってたんで、えべっさんといえば、そこだけだと思ってたくらいで、まさか大阪の人が今宮戎なるところに行ってるなんて、露、知りませんでした。

でも、うちは西宮。なんぜえびす宮総本社やし、鎌倉時代からえべっさんのお祭りやってるところだかんね。

オヤジからの伝統を受け継いで、早20年…。そっか、もう20年になるのか、と、我ながら年をとったことに少し目眩を覚えながら、今年も行ってきました。

駅ビルなんか出来て、駅周辺はむかしと様変わりしちゃったけど、屋台は相変わらず。で、祭のときになるとワラワラと湧いてくるヤンキー風ににいちゃんねーちゃんも、相変わらずです。

ちなみに、屋台で仏像が売られていたんで、かなりかなりかなり欲しかったんですが、首から下がってる値札見ると、120万円☆ …ムリっす。あぁ、菩薩さまが120万円か。

福男レースは、TV観てないんで知らないんですけど、きっと、今年も行なわれたんでしょう。オレの耳に入ってこないから、まあ、不正もズルも妨害もなく。

今年は何人かで行ったので、お茶でも、ってことになって、とりあえずは、駅前のカフェでお茶。
ほら、えべっさんは、笹をもらってきたら、滞りなく帰宅、ってのが、オレがオヤジから教えられたルールなので。だって、寄り道したら、福を落としちゃうでしょ。だから、寄り道は、神社に参拝するまえに。

んで、いよいよ参拝。押し合いへし合いは、人混みが大嫌いなオレには少々キツいんですが、商売繁盛の神さまだから、繁盛してるところに行かなければならないわけで、こればっかりは仕方ありません。

まずは表大門入口で昨年までウチの玄関で頑張ってくれた笹を納札所に納め、いざ、拝殿前の門へ。ちーっとも進まない人混みをかきわけ、えっちらおっちら歩いて、やーっと到着ですよ。

タコ焼きも射的もイカ焼きもスマートボールも焼きソバもフランクフルトもタイ焼きもチョコバナナも金魚すくいも焼き鳥もチヂミも、一切眼をくれず、拝殿前の門へ。

拝殿前の門のところで、宮司さんらしき人に、紙でつくったハタキみたいなので (悲しいくらいに、なにも知らんですな、オレ)、頭を撫でてもらって、いざ、門をくぐる。

ここに、どでかいマグロが奉納されてるんですよね。
招福大マグロ。兵庫県の水産組合かどっかの奉納らしいですが、なんでマグロ?
知らないけど、まあ、豪気だからいいんじゃないかと。毎年あります。
で、マグロにみんなペタペタと小銭を貼りつけていって、福を期待する。オレも、今年こそは3億円の宝くじが当たりますよーに! (買わんけど!) と、祈りを込めて、10円玉をマグロのトロのあたりにペタッ。

ほいでから本殿でお賽銭投げてお参りして…、いや、バカみたいに混んでるんで、そんな悠長なことはしてられなんで、素早く、ですけどね。

そのあと、本日のメイン行事、笹購入。
今年一年頑張ってくれる笹、というか熊手、購入です。

昨年は、ちょい右肩上がりだったんで、豪気 (でもないか) に、1万5千円のを。

売り子さんと丁々発止のやりとりして、2千円値切って、購入。
で、値切った2千円は、その売り子さんに、ご祝儀としてわたすんです。
こういう粋な買いかたをオレはオヤジに教わったんですが、最近の人はしないみたい。するんですかね?

帰りに甘いものが食べたくなったので、屋台でタイ焼き購入。パクつきながら、参道をあとにしたのでした。

これで、正月が終わったですよ!

今日はめでたく、米朝師匠の落語でも。あら、まだ正月気分?

2006年1月10日火曜日

間違い電話は続くよどこまでも





話は年末まで遡ります。

たまたま誰もいない事務所の電話が鳴り、留守電に電話の主からのメッセージが録音されてました。妙齢と思われる、女性の声。

「杉田工務店ですけど、壁の張り替えの件でお電話差し上げました。またご連絡いたします」

オレは、壁の張り替えを頼んだ覚えはなく、杉田工務店なる店も知らないので、これは間違い電話です。しかし、オレんとこの電話は発信者番号通知を申し込んでいないので、電話の主の番号は表示されません。留守電には、またご連絡いたします、だけで、○○○番まで折り返し~、といったことは入ってません。

だから、放っておきました。
また、間違いに気づかんかったら、電話してくるやろ、と。

で、年が明けて、昨日。日曜日。休日。

電話が鳴るので出てみると、
「杉田工務店ですけど、壁の張り替えの件でお電話差し上げました」
と。件の留守電とおなじ、妙齢と思われる、女性の声。
「え~っと、なんの件ですかいな? ウチは壁の張り替えはお願いしてませんが」
「へっ?」
「間違えてますよ」
「へっ? あの~、スナック・ベアさんじゃ…」
「違います」
「し、失礼しました」

ま、よくある間違い電話です。

と、思ったら、もいっかい、電話が鳴る。

「杉田工務店ですけど、壁の張り替えの件でお電話差し上げました」
と、またしても、妙齢と思われる、女性の声。ひつこい。
「だから、うちじゃないですよ。何番におかけですか?」
「○○○-○○○○番じゃないですか?」
「あー、たしかに番号はそうですけど、うちじゃないですよ」
「…そうですか。…失礼しました」

なんか、納得がいかないご様子。

そしたら、だ。またまた電話が鳴るんですよ。
留守電から数えて4回目。今日だけで3回目。
「イバタさんのお宅ですか?」
今度は、妙齢と思われる女性の、おそらくは娘さんらしき人の声。しかも、名乗らない。
なるほど。スナック・ベアのオーナーの自宅の番号かなにかと思ったわけですね。
でも、残念ながら、違う。オレは関係ない。オレは、イバタさんじゃないです。
「違いますよ」
「失礼しました」

なんなんだか。
よほど、のっぴきならないらしいです。

もうかけて来ないかと思ったら、数分後、再び電話のベルが!

「何度も申し訳ございません。杉田工務店です。あのぉ、スナック・ベアさんじゃないんですよね…」
今度は、オッサンの声。
「全然、まったく、なにひとつ、ウチはスナック・ベアさんとは関係ないですよ。パーフェクトに、間違い電話ですよ」
「はぁ、そうですか…」

思うに、杉田工務店は、オッサンが社長で、その奥さんが専務だか経理部長だかのとにかく職人さんではない唯一のスタッフで、家族経営的なちっこいところで、高校生くらいの娘さんがいて、その娘さんが私学の女子高なんかに通っているもんだから、カネもかかるわけで、スナック・ベアの壁の張り替えは話をもらったときからなんとしても受注しなければならない案件となっていて、それがどこかで電話番号を間違えたもんだから…、なんて妄想は膨らんでいくばかりなんですが、なんにせよ、オレんとこはまったく関係ない。

さすがにこれ以上は電話もかかってくることもなく、やれやれと思って、迎えた次の日ですよ。
佐川急便から電話。オレじゃなくて、社員さんがとったんですけどね。
「イバタさんのお宅ですか?」
「違います」
佐川急便は、電話してきて在宅確認してから配送してくることが多いので、その電話だと思われますが、にしても、イバタさん?

もしや、杉田工務店が、電話番号が間違ってて連絡がつかないもんだから、イバタさん宛になにか出したのか? もしくは、イバタさん/スナップ・ベアの連絡先として、ウチの電話番号が各地に出まわっているのか?
佐川急便の荷物、荷主と宛先の確認をしなかったことが悔やまれます。ま、電話を受けた社員さんは、間違い電話のやりとりを知らないので、それも宜ないことですが。

で、それから数分後、玄関の呼び鈴が鳴る。
すわっ!佐川急便、もしかして配送に来たのか?
と、思い、オレはいそいそと玄関口まで来ましたよ。
で、玄関のドアを開けた瞬間、
菜っ葉に塩をぶっかけたような、生気のないにいちゃんが突っ立ってました。
「ヒラノと言います。クリスチャンなんですが、このたび皆さまに聖書に慣れ親しんでいただこうと思いまして…」
あーっ、もう!

2006年1月9日月曜日

注意書きが奮ってます





東大講師にして稀代のダンス・ミュージック・マッド・サイエンティストである新宿歌舞伎町変態グルメ菊池成孔氏より、2月9日に催される『第1回革命舞踏会』のインビテーション・メール。

って、なんのことはない、彼のリーダーバンド、デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンのライブ告知なんですけど、注意書きが奮ってます。

1)大観衆、大音量、大グルーヴ、マルチ・リズム、熱気等によってパニックや過呼吸などの発作を起こす可能性がある方。→途中退場が難しいです(失神は構いませんが、必ず受け身を取ってください)

2)3時間のノンストップ・ダンスによって関節や筋肉などに致命的な損傷を追うと自覚される方。脱水症状を起こしやすい方→障害保険制度が確立していません。

3)ハイヒール以外は履かない。というフェティシストの方。→周囲の方の足の甲を貫通してしまうという事故が、ほぼ毎回報告されています。

4)ブッチャーの凶器シューズしか履かない。というプロレスファンの方。→周囲の方のフクラハギやアキレス腱などを損傷する可能性がありますし、反則を取られる可能性があります。

5)巨大なイヤリング、ブレスレット、ネックレス等を身につけないと生きて行けない。というゴージャスな方。→千切れる可能性があります。

6)打撃系に弱い方→無数の肘、膝蹴り、頭突きを回避できません。

7)外れ易く、高価なメガネが手ばなせない、という方。→拾う瞬間が最も危険です。

8)妊娠5ヶ月以上経過されている方。→早産の危険性があります。

9)財布を持たず、全財産をポケットに入れている方。→破産の危険性があります。


んで、このライブ、前売りが残200枚らしいのですが、
「この際詰め込めるだけ詰め込むので(笑)、当日いらっしゃっても大丈夫ですので、ミクシとかあちこちに触れ回ってくださると幸いです」
とありました。

ので、
触れ回っておきます (笑)
オレは、行きます!




Date Course Pentagon Royal Garden / 『Stayin' Alive』

2006年1月8日日曜日

ある贋作作家の顛末





今朝の読売新聞に、贋作画家のインタビューが掲載されてました。

オランダ人のヘルート・ヤン・ヤンセンさん62歳♂。

餌食にしたのは、ピカソ、マティス、ダリ、クリムト、カンディンスキー、マグリット、ミロ、シャガール藤田嗣治…など、時代も流派も越えて多数。
手法も、石版に銅板、油絵に水彩など、オールジャンルで。

すごいな。

ちなみに彼は、大学で美術史は専攻したが、絵画テクニックについては、独学。もちろん、贋作づくりも独学。

画廊の経営が立ち行かなくなり、家賃も払えなくなり、窮した頭に浮かんだのが、贋作づくり。
カレル・アペルの水彩を3週間で偽作し、競売にかけたところ、著名な美術収集家が約20万円で落札したのが最初だとか。これが1976年。

次に、もう1枚。アペルのべつの水彩画を偽作して、77年、ロンドンで競売。オークション業者が作成した目録には、アペル本人が自作であると認めた認証書がついていたんですと!

そっからより大胆になって、いろんな画家の偽作に手を染め、儲け倒したとか。アトリエもフランス中西部の城に移し、13室あるサロンにそれぞれの画家の名を冠し、「ピカソの間」「マティスの間」「ミロの間」などとして、本人になりきって制作していたんですと! で、その成果、約3000点。まったく、バレず。

すごいな。

ところが、このオッサン、意外なところでケチがつく。
94年、シャガールのペン画を偽作してドイツの競売業者に持ち込んだところ、偽造した売買記録でフランス語の綴りを1字間違えたために、偽作が発覚した、と。
サルも木から落ちたわけです。

ところがところが、話はまだ続きます。
この、世紀の偽作画家を重く裁く方針だった当局のもくろみとは反対に、美術界から被害届がほとんど出されなかったために、立件されたのは2件の偽造のみ。判決、禁固2年の執行猶予5年。実質的に、無実みたいなもんです♪
偽作でボロ儲けした画商たちと、偽作となって価値が下落することを怖れた所有者たちらが、沈黙したんですな。

ラッキーというか、美術界も欺瞞に満ちているというか…。

さて、わがロック界は、コピー、カバー、オマージュ、サンプリング、パクリが日常茶飯事的に行なわれております。
初心者はコピーからはじめるし、オリジナルのアーティストに敬意を表してカバーやオマージュを捧げることもあれば、新たな解釈で新しい価値を与えるためにサンプリングが行なわれることもあり、もはや音符の組み合わせは限界を超えているために図らずもパクリになっている場合もあるわけです。

で、思い出すのが、シナモン。
名古屋在住の、レッド・ツェッペリン馬鹿!
オレが彼らを見続けていたのは、10代の頃。当時すでに40歳前後の人たちでしたから、今、60歳前後なのかな。まだ、現役なんだろうか? 最近は、とんと噂を耳にしませんが。
もうね、ツェッペリンを敬愛すること神のごとし、ですよ。
だって、それしかやらないんだもん。完コピ。ジミー・ペイジがバイオリンの弓でギターを奏でるところまで、真似するんだもん。
んで、それをレコードにまでしちゃうんだもん。
もう、ツェッペリンそっくり!
んなもん、レコードにしてどうする?
ツェッペリンのレコードをかけてはシナモンを思い出し、シナモンのレコードをかけてはツェッペリンを思い出し、最後は、どっちのレコードかけているのかさえ判然としなくなることが…。

そんなわけで久しぶりにシナモンが聴きたくなったのですが、レコードが見当たらないので、ツェッペリンで代用することにしました♪



Cinnamon / 『Cinnamon Ⅲ』

2006年1月7日土曜日

夜の





パン屋を営んでいるくせに、夜な夜な飲み歩いて、道で寝っ転がって凍死しそうになってるオンナが、オレの友だちにいます。

パン屋のくせに、夜、生き生きしてるオンナ。
でも、だからこそ、オレは、彼女が好きなのです。

なんでもいい。
試しに、夜の、を頭につけてみてください。

「夜のmixi」
「夜のルイス」
「夜の清原和博」
「夜の牛肉」
「夜の耐震構造偽装問題」
「夜のおはようございます」

いずれにしても、夜は、どこかに後ろめたさと大胆さと投げやりなかんじとぬくもりと残酷さを想像させませんか?

もしも夜がなかったら、と思うと、ゾッとするのですよ。

寝れんし。
遊べんし。
思われへんし。

夜の、と冠してしっくりくるモノあるいは人というものは、もとより夜を所有出来る素養を持っているのであり、物事を裏表両面から見ることを普通にやっているというのが、オレの印象です。

そういえば、オレのマイミクさんたちは、夜、それもハンパではない夜に日記を更新されている方が多い。

オレは、正月からこっち、陽の光が射してるあいだに日記を更新してしまっているので、ペースが狂いっぱなしです。

こんなときこそ、大西ユカリを聴かねば。

夜とエロが単に直結しているとしか考えられぬバカ者どもに、夜の豊かさを歌で知らしめようという戦士こそ、今のオレには必要なのですから。

横浜には横山剣のクレイジーケンバンドがあるが、大阪には大西ユカリ姉御がいますね。

歌謡曲は粘液質です。それを大西ユカリは忘れさせない。
大西ユカリはジェームズ・ブラウン・マニアです。R&B、ファンクを体臭としている人です。それは、教養ではない。ジェームズ・ブラウンでさえ情報化することしか出来ない者の理解をぶち壊す力技など、大西にはあたりまえのものなのですよ。

しかも、大西は、聴かせるだけでなく、見せることもすべて込みで自らの歌世界を展開していく。
大西は、普通のライブハウスのみならず、各種の夜の世界で活動を重ねてきました。そのかたわら、ゴスペル歌謡を多くの人に教えることも続けています。で、世の中が薄味に傾こうが小ジャレに包囲されようが、自らの道が揺らぐことがない。

北米ソウル音楽と日本高度成長期歌謡の融合のために集まった大西ユカリ・バンド「新世界」の面々は、いずれ劣らぬ強者揃いです。

世間はなめても、夜をなめたらアカン。

これが、大西ユカリと新世界の豪気。
お色気があとからついてくる力技の数々は、しかし、腰が低い。楽しむということは、夜とまぐわい、心の子孫を増やすことでもある。
エロカッコイイの倖田來未? ああ、小便臭いだけですね。

大西ユカリと横山剣が対決する紅白歌合戦になれ。

まだ物の怪が闇で啼いていたかつての日本の夜には、ダメなやつ、愚図なやつ、怖いやつ、強いやつ、泣き虫におこりんぼがゴロゴロしていました。そんな日本の夜に思いを馳せることのある人よ、聴くべし。大西ユカリはいつでも夜の真ん中で笑っています。

そして、件のパン屋は、夜のタネ銭を得るため、今日もパンを焼く。



大西ユカリと新世界 / 『キューティーハニー』

2006年1月6日金曜日

選曲を間違えた!





仕事中、ふと聴きたくなって、リクオを聴いておりました。
関西出身の、気がつけば、シブいところでしぶとくやってるピアノマン。

でも、今日は、選曲を間違えたな。

歌詞がね、耳に入って入って、仕事にならない。

すべてをリセットしてやり直すなんて、無理アリ、とか、
贅沢に磨きをかけて揺れながら立ってる、とか、

年が近いせいもあって、感覚が似てる。図々しいところとかがね。

で、『パラダイス』という曲では、リクオがこれまで生きてきて心に刺さった偉人さんの心に刺さるフレーズが散りばめられているんですが、これが、ヤバい。

「現在にないものは永久にない。未来にあるものは、必ず現在にもある」(岡本太郎)
「雨は一人だけに降り注ぐものではない」(ロック・フェロー)
「無理すんな、安心すんな」(サウス・トゥ・サウス)
「天才はなんべんでも死ねる」(橋本治)
「ボクは何度でも起き上がる。朝だから」(中島らも)
「私は憂鬱を愛する。憂鬱を治すクスリなんて探さない。憂鬱こそが私の麻薬なのだから」(セルジュ・ゲーンズブール)
「馬鹿になれ!」(アントニオ猪木)
「頭で考えるな、肌で感じろ、アチョー!」(ブルース・リー)
「何をやってもいいけど、ひとさまに迷惑だけはかけたらアカンで」(ウチの母親)
「迷惑かけてありがとう」(たこ八郎)
「生きてるだけで丸もうけ!」(明石家さんま)
「ワイルド・サイドを歩け」(ルー・リード)
「幸福なんて、どう終わるかじゃない、どうはじめるかだせ」(ハッピーエンド)

というようなフレーズがね、連呼されるんですよ。
ほいでですね、これ、オレが若いころにノートに書きためてきた言葉たちでもあるんですわ。この偶然っぷりがね、なんぼ年が近いとはいえ、不思議な気分になって。まさか、明石家さんまの言葉までがかぶってるとは思わんかったし…。

言葉だけやったいいんですけど、言葉に引っ付いて、当時のいろんな感覚とか、気分とかも、思い出したりもするんで。だから、こんなのを聴いてたら、仕事になりまへん。ほんま、失敗した。


そんなわけで、リクオという人は、精神の同じ道を歩いてきたような親近感があるし、その意味で好きなんだけど、残念ながら、この人には、才能がない。うん。才能がないと思ってます、オレは。

マジメなんですよね。マジメすぎる。
音楽、ことにロックンロールなんてのは、どこか無責任な部分がないとダメなんですが、リクオさんには、それがない。
ちなみに、リクオは、「音楽、ことにロックンロールなんてのは、どこか無責任な部分がないとダメ」ということもわかってる人で、だから、一生懸命、無責任になろうとしてる。根がマジメなもんだから、マジメに、無責任を追求してしまってるんですよ。
そこがね、ちょっとイタいな。
音楽のなんたるかをわかってるのに、悲しいかな才能がない。
でも、これは仕方のないことです。
表現とは、そういうものなのだから。
才能がなければどうにもならないのは、残酷だけれど、仕方がない。

おなじ色鉛筆を使って紙に絵を描いても、描いた線が蛍光色になって光ってるやつだっているんです。それが、才能です。

リクオには才能はないけど、頑張ってほしいと思います。
才能がないところも含めて、好きなので。

2006年1月5日木曜日

残った2頭は…





イルカが10頭いたら、2頭は働かんらしいです。
彼女がどこからか仕入れてきたトリビア。

ちなみに、アリも、サルも、蜂も、そうだとか。
ま、どれも群れて行動するし、社会的な動物は、そういうふうになっているんでしょうな。

人間だって、そうなのだから。
中学で1番ばっかりとってる人が、そういう人ばっかりが集まる高校に行けば、それなりに順番つけられて、必然的にベッタだブービーだって人も確定するし、そのなかにはやる気をなくしちゃう人もいるわけで。

面白いのは、10頭のなかから働かん2頭を取り除くと、残った8頭のなかから今度は2頭が働かんようになるんだとか。

すると、だ。
順々に2頭ずつを除いていって、最後に2頭だけが残ったとき、そのイルカさんたちは、どういう働きをするんですかね?

逆に、取り除いた8頭を全部集めてひとつのグループをつくったら、6頭は働くのか?

そうなのだとすれば、会社の採用を根本から見直さなければならなくなるような気もするのだが…。

なんだか、トートロジーの袋小路に陥りそうなんで、このあたりでやめておきます。第一、帳簿は見れても、頭が理系じゃないのよ。

で、働かないといったらピエール瀧をおいて他にないことに、思い至りました。
知らない人は、タウンページのCMのペーイチ&ページの、ページのほうを思い浮かべてください。あの、なぎら健壱の弟役のほう。
電気グルーヴが世に出てきたとき、ピエール瀧の存在は、仰天でしたね。だって、バンドメンバーとか言いながら、なんにもしてないもん。担当、瀧ダンス?
でも、瀧は必要だよね。電グルに必要不可欠な人材ですよね。なんにもしないけれども、そこにいなくてはならない人材。それが瀧。瀧がいない電グルなんて、電グルじゃないもの。

そうか。働かないイルカは、ピエール瀧になれば、取り除かれなくてもすむのだな。




電気グルーヴ×スチャダラパー / 『聖☆おじさん』

2006年1月4日水曜日

頭のなかの五月蝿いハエ





本日の日記は、マイミクのジャイ子さんにスコープを当てております。
ジャイ子さん、あなた、昨晩、

>ロックって今はただのジャンル分けの言葉でしかないんですけどね。

と、聞き捨てならぬ発言をいたしましたですね (笑)
ので、
ロックがジャンル分けの言葉などであるはずがないだろうが、という熱いテキストを書くハメになってしまいました、オレは。

というのはもちろん嘘で、
ロックとはなんぞや? なんてことについて書いてくれ、というリクエストもずいぶんと前からいただいていたので、これを機会に書いてみました。ただし、熱いので、取り扱いにはご注意を♪


#   #   #


五月蝿いハエが身体のなかや頭のなかに飛びまわっているときが、あるんですね。そのハエは、ちょっとした瞬間にどでかい蛇やゴリラに変身したりもします。ハエのほうから変身したがって騒ぎ立てるときもあります。ちょっとした瞬間を、ハエから仕掛けやがるんですよ。
で、その、五月蝿く身体のなかで騒ぐハエたちのことを音楽にしたものがロックだから、ハエやその変身した蛇やその他のケモノたちが好むのは当然のことなのです。

20世紀以前にも世界各地で身体のなかにはさまざまな生きものやケダモノが暮らしていましたが、それらの身体内獣虫のためにつくられた音楽がどういうものだったのかについては、まだ判然とはしていない。判然とはしていないけれども、地面を踏みしめる両足や太鼓の乱打あるいは落雷の爆音がその身体内獣虫音楽の先祖や始祖であろうことは、たしかです。

身体内のハエやケダモノや象に餌をやりすぎたり、そいつらを甘やかしすぎたりすることを、世間ではよく、不良 (死後?) というらしいです。
分別というのは身体内脳内心内と外界 (シャバ) との折り合いをはかって人類として人さまに迷惑をかけないようにする術のことであるらしいです。
ロックはだから、分別とは仲よく出来ません。してたまるかという気概のない身体内獣虫など信用出来ません。物わかりのいい大人のためのロック、なんてモノは、それゆえに存在しません。ましてや、分別ある恋人同士のためにつくられたロックなど、嘘っぱち以外のないものでもありません。
今や、むしろ、老いていく身体内で再び騒ぎ出したハエたちのためにロックが重要であり、老年による新たなロックの発見、長寿の不良たちによってこの世がねじ伏せられることを密かにワクワクしながら支援している者は、年々世界各地に増えていますね。

たかが40数年の歴史、とはいえ20世紀の後半を完全に牛耳ってしまったロックは古典にもならなければ死滅したりもしません。
なぜなら、ロックはもはや形式などどうでもよくなってしまったから。ロックとは、身体内や人と人あるいは人と自然界とのコミュニケーションにおける欲望の、犯罪すれすれのエネルギーの暴発のことだから。
ノイズだけのロックもあれば、ただナンパし続けるだけのロックもある。ただし、他人のやりかたを真似てカッコつけているだけのやつはロックンロールではありません。なぜなら、闇雲な自発こそが、ロックの心臓だから。

それにしても、紛いモノほどカネになるらしい。四の五の言うやつは道端や便所のなかで泣いてろって。とりあえずはスッキリしたい心に幸あれ。ロックの目指すものそれは無秩序の平和なのですから。

2006年1月3日火曜日

なぜパンツが見えると嬉しいのか?





なぜパンツが見えると嬉しいのか。

プリーツスカートが強風を受けてめくれ上がったり、タイトスカートの女性が座ったはずみや足を組んだ瞬間に垣間見えたり、おつむテンテンの娘さんや気前がよくて善意溢れるおねーさんがどうぞどうぞとばかりに自らまくり上げて正面から観賞させてくれたりすると、人間の♂の大部分は歓喜の念をごく自然に覚える仕組みになっています。

その日一日、あるいは、その後2、3日はなんとなくほのぼのとしたホットな気持ちで過ごせたりもします。
それは、おみくじで大吉を引くことよりもはるかに御利益を感じるものでさえありますな。

それにしてもなぜ嬉しいのかと言えば、パンツがその下に隠しているものを自ずと想起させるものだからです。これ、自明の理。
剥き出されたそれと対面したときの驚きを予知させる、といってもいいですね。
でもそれは、あくまで思い描かせ予見させるものであって、ダイレクトなそれ、そのものではありません。
そこに、存在としてのパンツの奥ゆかしい美しさがあります。エッチであることは、イマジネイティブであればあるほど歓びも増すものなので。

かねがねオレは、グレイトフル・デッドの魅力は、ときに思いがけず出会う女性のパンツに似ていると、思っています。

たとえばほとばしるパッションよりも、ゆったりとした放熱。
激情を剥き出さずにそのエネルギーをスリリングに、しかしリラックスした状態で持続させる。けっして、モロに答えを求めたりしない。ある種の曖昧さを保ち続けることで、聴き手のイマジネイションを増幅させてしまう。そんな存在。
快楽を瞬間的に放出せずに、渦巻き状にして聴く者の周囲を取り囲むのが、デッドです。なんと、美しく奥ゆかしいことですか。

デッドは、友の背や肩を叩いて、がんばろう!などとはけっして言いません。
踊ろうぜ (古語!) 、とも、のってるかい (死語!) とも、絶対に言いません。
だから煮え切らなくてキライだという人もいます。
でも、そういう連中などハナから相手にしていないのです。
一見だらしなく見えるその空気のなかに、高揚がプカプカと浮遊していることに気がつけば、人の一生なんて緊張のみで出来ているのではないことがわかろうというもんです。
結論は、自ずと出ています。
それぞれのやりかたで気楽にやれば、とりあえずは上手くいく、と。
気楽にしていれば思いがけぬ歓びにも多く出会える、と。

正月徹夜麻雀で2万円負けた帰りの電車のなか、思わぬ眼の保養、僥倖にありついたオレは思うのでした。

2006年1月1日日曜日

あけましておめでとうございます









         け


  ま

                    し        て


    お
                 め

 で                     と

           う
     ご
                    ざ

               い
                         ま

        す

   今         年も
                       よ



       し
                             く



                         へ
   ろ
 へ

    ろ



                        の
                         で

         今 か
                      ら
    寝                    
               ま           す。

       た


 し

                       た





                         。