2006年7月26日水曜日

mixi病

なんか、mixi病なるものがあるらしいですね。

マイミクさんを増やしたり、他人の日記にコメント付けてそれに対してコメントが返ってきたり、自分の日記にコメントがたくさんついたり、足跡がついたり、たしかにね、労働の対価としての報酬に似たようなものが、mixiにはたくさんありますからね。

日記を書くのはむかしから習慣化しているので、なんの苦もなく、mixiだからってこともないんですが、書いた日記にコメントがまったくつかなかったら、かなりイヤです(笑)

このへんが、mixiのワナですな(笑)

だからさ、本当はもっともっとマニアックの極北まで突き進んで書きたいんですが、それは、セーブしてます。
誰からも反応がないとわかっているものを書くことに意味があるとかないとかは関係ないけど、それを公開するのなら、やはり、オレの場合は意味を持ちます。

このへんが、誰にも見せない日記帳とmixi日記の一番大きな違いですかね。

公開が前提なのだから、やっぱ、某かの反応は欲しいですね。

やっぱ、雑誌とか広告とか、反応がすべての商売を長年やって来たことの、完全に職業病ですね。

ただ、迎合はしませんよ。
伝えたいことを書くのが大前提にあって、そのうえで、ちゃんと伝わりやすい方法を考えて書く、という作業をします。
あとは、あまりにもあまりにもあまりにもマニアックすぎる話題は、書かない。それは、べつの場所ですればいいことですから。
それくらいです。
基本的には、息抜きですから。
息抜きなんですが、そこにすら職業病がかぶさってる(笑) そんなかんじです。


少しまえですが、とあるコミュが荒れに荒れて、その首謀者の人物が、ネット世界ではかなりの有名人であることを知りました。

Kusakabeという人物です。
当人のトップページには怖くていけないので、IDは知りません(笑)
足跡のつかないところで紹介しておくと、
「iPod User's」コミュ。

もうね、こやつのおかげでコミュ住民の99%がうんざりしていて、「さようなら」トピまで立ちましたから(笑)

一番笑ったのが、
「Kusakabe氏の強制退去を望む方」なるアンケートまで実施されたことです。

とにかくね、揚げ足取りを延々と繰り広げていて、いったいいつ仕事をしているのか、というほどで。
しかも、当人は「コミュニティの荒らし方」なるトピまで立ててらっしゃる(笑) 完全に確信犯です。

さらに、「Kusakabeさん」なるコミュニティまで存在してます(笑)

こういう人も、mixi病ですかね?(笑) つか、ネット病か。。

2ちゃんで大有名人らしいですが、「mixi Kusakabe」でググったら、ビックリするくらい検索に引っかかりますよ(笑) 日本のインターネット界を代表する~、なんて書かれかたも!(笑)

2006年7月25日火曜日

天神祭なのに…





いや~、ご無沙汰してます☆
もう、連日怒濤のように忙しくて、仕事の鬼と化してました(笑)
なんか、九州地方とか雨がすごいらしいですが、全然知りませんでした。。
ベッドに行って寝る間もなく、連日、明け方近くにPCデスクに突っ伏して、気がつけば2時間寝てたとか、完徹とか…。久しぶりに、かつてないほどの忙しさでしたわ。
メシとか、つくる時間がないどころか食べる時間すら惜しいという状況で…。

その間、
祇園祭は気づく間もなく疾風のように去っていき、気がつけば、地元では天神祭ですわ。。
ピーヒャラピーヒャラドンドコドンドン、笛や鐘や太鼓の音がですね、聞こえてくるんですよ。
これをね、家の周囲360度でやられるから、たまったものじゃありませんよ…。
仕事してるし、でも行きたいし…。。

今日ね、久しぶりに、商店街を歩きました。
そしたら、
あちこちで御神輿に遭遇。もう、完全にはじまってます。つか、昨日からはじまってる。
今日は浴衣を着た人も多いです。
いつもの喫茶店に久しぶりにお茶を飲みにいけば、法被を着た人が大挙して店を占領してました。
屋台もいっぱい出てます。
なぜだか、屋台なのに、マツゲパーマのお店が出店してました。

さあ、また仕事の続き。
今晩は花火です。
マンションのホールに出れば花火が丸見えなんですが、そんな暇はどこにもありません。

なんだか、取り残されてます…(笑)

2006年7月17日月曜日

掟破り南米無宿

新聞の隅っこのほうに載っていた記事。

ブラジルの刑務所で、受刑者が独房をホテルの部屋並みにリフォームして、豪華な生活を送っていたことが発覚し、刑務所責任者が更迭されたんだとか。

どんなんですか!(笑)
でも、ブラジルなら、ありそうな話です(笑)

独房には大型テレビやDVD、ホームシアター、ステレオなどが完備され、ミニキッチンまで造りつけられていたとのことです。
壁も塗り替えられ、とてもシックな内装の部屋で、ケーブルテレビ三昧の快適な刑務所ライフを謳歌していたんだとか。。
ちなみに、この刑務所は定員の3倍近い受刑者でひしめきあっていたのですが、そんななか、ここだけは独房2部屋をぶち抜いてのスウィート・ルーム☆

麻薬の密売で服役中の部屋の主が、他の受刑者も看守も雇って、この部屋を完成させた、と。
検察当局に見つかって、もちろん没収。刑務所責任者も管理責任を問われて更迭です。

南米に住んでいたころ、そーいえば、この手の話はよく聞きました。南米の麻薬王って、とんでもないカネ持ってるし、看守も警察もコロコロ買収されますからね。まあ、買収に応じなかったら、家族が狙われるんですけど。

ペルーにいたころ、インフレがすごすぎて、新札が発行されることになりました。通貨の単位も変わったんですけどね。
新聞に、3ヶ月後にデノミ、新札発行。そういう記事が載ったんですが、肝心の新札がどんなのかは、写真では紹介されませんでした。
それをいいことにですな、勝手に新札をデザインして、本家の新札が発行されるまえに、私家版の新札をバラまいたやつがいましたよ。それで旧札をガッポリ集めて…って算段ですけどね。

ものすごーく乱暴な詐欺ですが、田舎のほうはキチンとした情報が伝わってないですから、交換に応じた人も多かったみたいで、犯人は億単位のカネを荒稼ぎしてました(笑)

南米は、そういう、わけのわからないことがあるから、愉快☆

あ、日記のタイトルは、なにも考えずに適当につけました(笑)

不穏な音楽





発売してから1ヶ月以上たつのに、ついつい書きそびれていました。

ソウル・フラワー・ユニオンのチンドン別働隊、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの新作『デラシネ・チンドン』について、思ったことをツラツラと書いておこうと思っていたのでした。

ヤマトンチューにウチナンチューの流行歌、壮士演歌など、人と人、魂と魂、文化と文化を繋ぐ、究極のトラディショナル・ソング第3弾です。

「それは暗い時代の、ええじゃないか、であったと思う」
春日八郎の『お富さん』をとらえて、作詞家の阿久悠はそのように表現しました。
あの、なぜか胸騒ぎが消えぬ陽気な大ヒットを、彼は、出口の見えない社会のアナーキーな気分を映し出していると指摘したわけです。
この歌は、力道山と死の灰(第五福竜丸の被爆事件)の1954年に、世間を一気に駆け巡りました。阿久悠は、その様を、単なる流行り歌とは考えず、昭和の『ええじゃないか』と喩えたのでした。『ええじゃないか』は、江戸末期にあって、膨大な数の人たちが路上に出て、群をなし声を上げ舞った、きわめて大衆的で、猥雑な世直しの熱のことです。

今回のアルバムに収められているモノノケ版の『お富さん』を聴いて、一瞬、ドキリとしました。作詞家のあの言葉がね、モノノケにも当てはまってると思えたからです。
懐かしの歌謡曲をロック・ミュージシャンがカバーしたから、ではありません。ビートがね、どうにも胸騒ぎを起こさせるような、不穏なビートなのですよ。
本土ではチャンチキ、ドドンパ、それを総合したチンドンのリズム、奄美・八重山では六調、沖縄本島のエイサー…、長い時間のなかにあって、これらは、じつは、世直しの熱の結晶体だったのではないか。そんなことを、思いました。

『デラシネ・チンドン』には、このような、歌の味わいのなかに隠された、根や歴史を十全に伝えてくれてます。とにかくね、不穏という言葉がこれほど似合うアルバムもなかなかないし、その意味で、本来的な意味でのロック、パンクになり得ている作品ですな。
ロック・ミュージシャンが民謡やエキゾチックなテイストを取り入れることは、もはや珍しいことでもなんでもありません。むしろ、定番と言ってもいいくらいです。
でも、そこから、不穏なものを抜き出しているバンドなんて、モノノケくらいでしょう。

今回のアルバムでは、かつて炭坑で真っ黒になって働いた日本人や、半島から連れてこられたコリアンの名曲をカバーしています。あるいは、流れ着いたドヤ街で、それでも太く生きるオレたちの熱い心の中身よ…そんな歌もあります。未だに植民地支配の終わらぬ南島の切ない名歌も、そのウチナーの土俗を微笑ましくまとめた歌もあります。被差別部落の歌もりますね。
ないのは、金持ちの歌だけ。為政者に微笑む歌だけが、ありません。
壮士演歌から半島歌謡、酒場の卑猥なな戯歌、セルフ・カバーと、以前にも増して広いジャンルをカバーしており、にもかかわらずどっしりとした統一感を持っているのが特徴的です。

オープニングの『ああわからない』は、モノノケのトレードマークともいえる、かつての壮士演歌(日本のメッセージ・ソングの原点ですな)のリメイク。中川クンは背筋をしっかりと伸ばし、凛々しくマイクロフォンに向かって歌ったらしいですが(笑)、もはや日本のロックあってこの人だけの格別の姿となっています。オレらは特別でっせ!からスタートし、いやいや普通にやってるだけですねん!の人になったはずなのにな(笑)

続く2曲目が『竹田こいこい節』。京都の被差別部落で大切にされてきたムラの歴史の美しき結晶です。
これについては、過去に日記に書いたので、繰り返しません。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=93370151&owner_id=1792293
少しだけ書いておくと、これは『竹田の子守唄』のルーツ。絶滅しかかっていたルーツをモノノケが甦らせたという、それだけでも貴重な録音です。
アイリッシュ・トラッドの大物、ドーナル・ラニー(ブズーキ)を中心とした淡いバンド・アンサンブルの妙は、ムラのそばを流れる高瀬川のせせらぎのようで…。そして、チンドンのカネや管楽器の優しさに包まれて、中川の歌は微動だにせず立ち、竹田の地を掴みます。いい歌です。

そして、3曲目に『お富さん』が来ます。
作曲者の渡久地政信(とくち・まさのぶ)は、沖縄本島に生まれ奄美で育ち、南島のビート感を本土のメイン・ストリームへ持ち込んだ重要な作家です。
 
モノノケ・サミットは、阪神淡路の大震災が結成のきっかけでした。
この10年余りの歳月、バンドにはたくさんの有志・仲間が出入りし、今に至っています。
彼らは、被災者になにができるか、というところからこのバンドを立ち上げましたが、逆に、彼らの歌を聴いてくれるオジィやオバァたちから、歌のありかを教えられたと言います。
しかし、ライブやるということは、そういうことですね。
そうしたコミュニケーションというか、タマのやりとりがなければ、ライブなどやる意味もありません。
ラスト・ナンバーは『あまの川』。リーダーの伊丹英子(チンドン、コーラス)が、震災をきっかけにつくった鎮魂歌です。
この陽気なチンチンドンドンが、思いもかけずあの世へとわたった人たちの魂を、踊らせています。

2006年7月16日日曜日

急告! 今晩深夜、清志郎35周年記念ライブ放映!

今晩!
7月15日25:30-27:00 NHKで「忌野清志郎35周年記念ライブ」放送です☆

関西だけかも知んないけど、一応、告知!

2006年7月15日土曜日

59円て…





ウチのマンションの1階は天満市場ですが、地下1階は業務スーパーです。ちなみに、マンションの向かいとその隣に、1軒ずつ業務スーパーがあります。
徒歩1分圏内に市場+業務スーパーが3軒☆ 永久に引越出来ません(笑)

この業務スーパー3軒、当然のことながら競争原理が働いて、いろんなものがビックリするような値段で出てくることがあります。

んで、ここ数ヶ月のなかでも、段違いでビックリしたのが、これですよ、これ!

本日の超特価:たまごLサイズ10個入り59円!

どんな値段ですか!
絶対に、鶏の卵じゃないような気がします。カエルの卵かなにかです。
絶対に、鶏に生ませてないと思います。工場でつくってるはずです。

この店は、普段でもLサイズ10個入り100円で特売します(貼紙には通常価格198円て書いてありますけど、あれは嘘。しょっちゅう、100円で並んでます)。
それだけでも、軽く驚異です。
でも、
むかし、100円に飛びついて買ったんですけどね、失敗しました。
まず、Lサイズじゃありません。これは、不当表示です。他のスーパーに行ったら、Sサイズのところに並ぶような大きさですから(笑)
それと、不味いんですよ(笑)
これだったら、あと30円くらい足して、普通の店で普通に売られている普通の卵を買います。

でも、今回、59円!
北朝鮮からでも仕入れてるのか?(笑)

悩んだ末に、やっぱり買うのはやめました(笑)

2006年7月14日金曜日

拝啓、忌野清志郎さま





ワールドカップが終わって、もちろん仕事にしわ寄せが来てます。間が悪いことに、特急の仕事まで来てしまいました。

ここんところ、徹夜続きです。

んで、よせばいいのに、昨日は、ちょっと息抜き、のつもりで、momokoさんの「桃屋の献立」アルバムにコメントを書こうと思ったら(催促するんだもん!笑)、アルバムの写真が50枚…。
ほいで、催促されたら…、お呼びのかかったお座敷は断ってはイケナイ、と、死んだオヤジの遺言もありましたから、コメント書いてたんですよ。そしたら意地になってしまって、写真全点にコメントを書くようなことになってしまってですな(笑) いや、しょーもないことしか書いてないんですけどね。でも、いいんです。量はある点を超えたら質に転化しますから(笑)
おかげで、貴重な深夜の仕事時間が2時間ほど消えてなくなり…(笑) いや~、我ながらなにをやってるんだ?と思いました(笑)

ちなみに、momoさんの献立アルバムはこちら。
http://mixi.jp/view_album.pl?id=549467&update=20060713012941

美味そうですよ☆ なにをつくっていいか思い浮かばないときの、いいヒントがたくさんありますよ。ついでに、オレのコメントが、ストーカーのようにズラズラっと並んでます(笑)

それと相前後してですな、ぺ。さんとはリコーダーを巡る使用方法でちょっとした論争がありましてですね(笑) オレはヘンタイ呼ばわりされてしまいました(笑)
まあ、ヘンタイなのは名誉なことなので、それはそれでいいんですけど、仕事がはかどらんのがなあ(笑)
ちなみに、その論争の火種となった日記は…、いや、リンクは貼りませんよ。探せばすぐに見つかります。。。

その、ぺ。さんとの論争にも一応の決着がつき(ついてないか。笑。平行線のままだわ)、昼過ぎでしたかね。
飛び込んできたのが、忌野清志郎氏、喉頭ガンで入院!
yahooのニュース見た直後に、ぺ。さんからメッセージ。

仕事しなきゃ、仕事しなきゃ、と思いながらも、頭んなか、結構、虚ろでした。
そしたら、ひぃさんも、清志郎日記を! あとでコメント書きにいきます。



拝啓、忌野清志郎様

オレは、あなたに道を外されてしまった人間です。
なにが正しくてなにが間違ってるのか、なにが美しくてなにが醜いのか、なにが尊くてなにが下らないのか、進むべきなのか退くべきなのか…、そういうことのほとんどすべてを、あなたから教えられた人間です。

あなたは、黒人音楽のなんたるかをオレに教えてくれて、あなたの背後にあるオーティス・レディングやスタックスの音楽はこんなにも素晴らしいんだぜ、と、あなたから学びました。でも、オーティスやエディ・フロイドやパーシー・スレッジやドナルド・ダック・ダンを聴いて、なんや、RCのほうが全然ホンモノやん!と、オレは思ったものです。

いつも、あなたに、見張られてると思って生きてきましたよ。
16歳の誕生日の夜、ドカドカと部屋のドアを蹴破って、もうひとりのオレが部屋にやって来たのでした。そいつは、オレの目のまえまでやって来て、オレに1枚のアルバムを差し出したんですよ。これ、聴いてみ、って。
あなたとあなたのグループがつくった『シングルマン』です。
そんときからですよ、もうひとりのオレはいっつもオレの傍にいて、それでいいのか?それでいいのか?って、問いかけます。うるさいこと、このうえない。
この、もうひとりのオレは、あなたがよこしたんでしょう?
でも、おかげで、オレは、大丈夫です☆

また教えられましたよ。
この新しいブルースを楽しむような気持ちで…、
そっか、病気は、闘病は、そういうふうに考えればいいんですね。
やっぱり、あなたはサイコーです☆

今年のフジロックでの再会は、叶いそうにありません。
ありませんか?
そんなことはありません。
オレの頭のなかでは、いつでも、あなたが踊ってます。歌ってます。

会いましょう! 会いましょう!
またいつか、きっと、会いましょう。
オレの頭んのなかのあなたと、あなたと、オレとで、ランデブーしましょう☆

早く元気になってくださいね。

この歌、全宇宙に鳴り響け☆
RCサクセション / スローバラード

2006年7月13日木曜日

高校野球、豊中にはじまる





用事があって、豊中へ行っておりました。
豊中といっても、阪急の曽根。ま、そんな細かいことは大阪以外の人にはわからないので、どうでもよろし。
むかし、1年ばかし住んでたんですよね。
閑静な住宅街だけれども、新興じゃないし、きどったところがなくて、いいところです。
久しぶりだったので、少し散歩してました。
ちょうど駅の裏に大きな公園があって、市民プールもあって、その横に野球場があります。
こぢんまりとした野球場ですけどね。
『豊中ローズ球場』と言います。
なんでローズ球場なのかは知らないけれども(笑)

この野球場の入口に、ひとつのプレートがあります。
「高校野球、豊中にはじまる」。

そう、高校野球夏の大会の前身、全国中学校優勝野球大会が初めて行なわれたのは、この球場でした。
厳密には、この球場はすぐ近くから移転されていて、名前も豊中球場だったんだけれども、この野球場が歴史のいち証人であることには変わりありません。
今から91年前の、1915年のことです。

この球場自体は今もむかしも豊中市の持ちものですが、高校野球の第1回大会を主催したのは、当時、箕面有馬電軌と呼ばれていた阪急電鉄です。
それがどこでどうなったのかは知らないけれども、会場は鳴尾球場に移り、やがて甲子園球場という格好の場所を得、そこは高校野球の聖地となっていきます。

当初、阪急電鉄の主催ではじまった夏の高校野球は、阪神のホームグラウンドである甲子園に移り、その阪神は阪急に統合されました。

夏の高校野球が、再び、阪急の手に戻ったとも言えます。

なにやら奇妙な巡り合わせを感じながら、豊中ローズ球場とその周辺の公園をウロウロと散歩してました。

2006年7月12日水曜日

実印にはぽっちがない

今日、実印を押す機会があって、とある書類に押そうとしたんですけどね…。

そんとき、大先輩の社長さんが同席していたんですが…、
その社長さん曰く、
「実印は、彫りを見んと、どこが上かわからんやろ。なんでか知ってるか?」
…知りません。

たいていの印鑑は、持ち手のところにぽっちがあったり少しへこんだりしてあるところがあって、そこが天地の天だということがわかるようになってます。そこを上に持ってきて、捺印すればいいわけですね。

ところが、なるほど実印には、ぽっちもへこみもなんの目印もない。
んなこと、考えたこともないです。

「あのな、実印を押すというのは、重要な書類に捺印するときやろ。どんな印鑑でもそうやけどな、押すときには、ちょっと立ち止まって考えなあかんわけや。実印やったら、なおさらやな。
実印にぽっちがついてないんは、その、考える時間を与えてくれてるんや。彫りの面をじっと見てな、クルクルまわして、天地を揃えなあかん。その間、よう考えや、っちゅーこっちゃ」

な、なるほど☆

オレは、ローンの契約でもなんでも、裏面約款の隅から隅まで読んでからでないとハンコをつかない人間ですが、それはあたりまえ。そのうえで、さらに、捺印する直前にもっかい考えろ、と。

昨日、近江商人の話を書きましたが、勉強せなならんことは、いっぱいありますな。
商人道は、奥が深いです。

最近の実印は、ぽっちがついていたりするのもあるらしいですが、件の社長曰く、それはダメだそうです。

2006年7月11日火曜日

ハーヴェスト・ムーン





1ヶ月の長きにわたったワールドカップが、ついに幕を閉じました。
サッカー・バカ世界一はイタリア、MVPはジダンでした。
それにしても、至福の1ヶ月でしたよ。
過去3大会を現地で観戦(日本戦は日韓大会のときに1試合のみですが)してきたオレにとっては、久々の、オールTV観戦となりました。

この、4年に1回というのは、人生の歳時記というか、マイルストーンのようになっていて、なにがしかの思い出がこびりついています。その大会、その試合を思い出すと、そのときの自分が置かれていたさまざまな状況が一緒になって思い出されるんですね。

12年前の94年アメリカ大会のときは、クソ暑いアメリカだったのにもかかわらず、初めての現地観戦ということもあって精力的に飛びまわってました。あの当時は今の36ヵ国参加ではなくて、24ヵ国参加の大会だったので、今ほど日程がタイトではありませんでした。なので、試合のない日にメキシコに遊びにいったり、いろいろ出来たんです。チケットがダフ屋経由でバンバン溢れていて、決勝戦を見ることが出来ました。ブラジルvsイタリアの世紀の凡戦でしたが、バッジョがPKを外したときの、バーにあたったカーンという鋭く乾いた金属音は、今でも頭のなかで鳴っています。考えてみれば、ワールドカップの決勝戦がPK戦までもつれたのは、このときと今回の大会だけ。もっとも、試合内容はまったく違いますが。

オヤジが亡くなって、それまで住んでいたペルーから帰ってきて、ペルーで生活するか日本で生活するか、迷いに迷っていました。その合間を縫っての、ワールドカップ観戦でした。
アメリカで大会観戦を終えたあと、ペルー、ブラジル、キューバ、ロシア、ギリシャ、タイ経由で1ヶ月くらいかけて帰ってきました。ほとんど世界一周です(笑) 安いチケットがあったんですよね。

98年フランス大会は、日本が初出場したこともあって、チケットをとるのが熾烈だったのを覚えています。結局のところ日本では買えず、フランスの友人に頼んで、買いました。決勝トーナメントのベスト16から準決勝まで6試合を観戦。フランスが勝ち進むにしたがって、それまでサッカーに関心があるとは言いがたかったフランス人が盛り上がりを見せていったのが感動的でね、優勝した夜にそれが一気に爆発しました。いや、あれは感動的な風景でした。

フランスでは、再会を果たしたかった人がいましたが、叶いませんでした。

02年日韓大会。地元開催のためにアジア予選を免除された大会でした。しかし、あの、ジェットコースターのような感情の起伏を味わえる予選がないのは、淋しいもんですね。いろんな意味で、予選を闘ったほうがいいと感じた大会でもありました。
地元開催なので、チケットを手に入れるのは、ほぼ絶望的でした。ありとあらゆるコネを使ってスポンサー・チケットを奪取してましたね(笑) おかげで、日本が初めて勝利したロシア戦など、合計4試合をスタジアム観戦。神戸でロナウジーニョも見ました。全部、招待チケットで観戦しました。
ただ、いろんな国の代表のキャンプ地を訪れることが出来たのは、地元開催ならではのよさでもありました。和歌山でキャンプを張ったデンマークとかね。
大会直前のテストマッチもいくつか見ることが出来ました。ベッカムは大会直前にケガしてましたけど、テストマッチのときは試合後にひとりだけピッチに出てきてリフティングしたりして、観客を楽しませてました。

仕事が忙しすぎた時期でもありました。引退して、隠遁生活を送ろうかと本気で悩んでいる時期でもありました。事実、ワールドカップ観戦に向けて、すべての仕事を打ち切ったんですよ。あの年の6月、一切仕事しませんでした。
いろいろと悩んだ末に、また仕事を続けることにしたんですが、今でも、あのときに引退していたらどうなったかなと夢想することがあります。

それ以前のワールドカップにも、もちろん、なんやかんやと思い出がこびりついてます。
マラドーナの大会だった86年メキシコ大会、守備的なサッカー全盛&暑さで退屈な大会になった90年イタリア大会など。

ワールドカップ本大会だけじゃない。
ドーハの悲劇のとき、オフトが初の外国人監督として代表監督に就任したとき、ジョホール・バルで初出場を決めたとき、木村和司が伝説のフリーキックを決めたとき、カズが帰国したとき…。

まあ、いろいろあります。
そーいえば、ワールドカップ毎に、付き合ってるおねーちゃんが違います(笑)


今回のワールドカップで印象に残ったことを少し。

まず、守備力が問われた大会でありました。
守備的というわけではなく、強い守備、攻めるための守備、積極的な守備、高い位置からの守備がきちっと出来ているチームが多かったですね。そのうえで攻撃力を持っているチームとバランスの取れたチームが上位に進出してきました。
なので、得点の少ない大会だったけれども、ちっとも退屈じゃなかった。逆に試合は締まったし、スピーディーな試合が多かったですね。

そういう大会である、ということを最初に印象づけてくれたのが、アフリカ勢でした。
攻撃と個人の身体能力のすごさに比べて、守備に難があるのがアフリカ、ゆえに勝てないのがアフリカ、とうのがこれまでのアフリカでした。でも、アフリカはすっかり新旧交代が行なわれていたんですね。かつてのアフリカの代表格だったナイジェリアやカメルーンが今回、本大会に出てこなかった意味が、初参加組を見ていてよくわかりました。次の南アフリカ大会に向けて、アフリカは強くなりますよ。

ただ、フランスの強さは…、どうなんだろう。
フランスは、たしかに強くなりました。でも、かつてのシャンパン・サッカーと呼ばれたころの、華麗なパスまわしはなくなりましたね。あの美しさと引き換えに、フランスは強くなったように思います。問題は、それでいいのかどうか。今回の準優勝を、フランス自身がどう評価するのか、それを見てみたいと思います。

新星に期待が寄せられた大会でもありましたが、実際には、ベテランが最後の輝きを放った大会でもありました。フランスのジダン、マケレレ、テュラム、ポルトガルのフィーゴ、パウレタ、イタリアのデル・ピエロ、トリニダード・トバゴのヨークは、じつにじつに渋い輝きを放っていました。そして3位決定戦に出場したカーンも。今回輝いたベテランの選手たちは、背負っているものの重さ、紡いできた物語の量で、今大会でスターになると予想されていた選手たちを圧倒していたように思います。ひとつひとつのプレイに込められている情報量が、他の選手とはまるで違って見えました。

新たな発見は、フランスのリベリ、ドイツのシュバイツタイガー、ポドルスキ、イングランドのレノンくらいですかね。
アルゼンチンのメッシやブラジルのシシーニョ、イングランドのルーニー、スペインのセスクは輝けなかったし、ポルトガルのC・ロナウド、ブラジルのロビーニョ、オランダのロッベンはすでに世界デビューしている選手です。

アジア勢は全滅でした。韓国がわずかに染みを残したように思いますが、イラン、サウジアラビア、日本はなんの印象も残さずにドイツのピッチを去りました。セルビア・モンテネグロ、コスタリカ、クロアチアも同様。

日本代表のことは、以前にも書いたので、ここでは繰り返しません。
さまざまないきさつを超えて、オシムには期待したいです。
日本が初めて迎える名将は、この国のサッカーにどのような道筋をつけてくれるのか。非常に楽しみです。
個人的には、三浦カズが、少なくとも1回は代表に呼ばれるような気がしています。

何年か先で、今回の大会をどのように振り返るでしょうかね?
mixiで盛り上がったな、なんてことを振り返っているかもしれません。
まだ日本代表が全日本と呼ばれていたころ、代表のシャツがブルーじゃなかった頃、サッカーで盛り上がれる友人は、ほんとにわずかでした。海外では、見知らぬ人たちとその場かぎりのサッカー談義に花を咲かせていました。
日本にプロリーグが出来、ワールドカップに出場し、決勝トーナメントに進出することが現実的なノルマとなり、居酒屋で職場で隣近所で、いつでも誰とでもサッカー談義に花を咲かせることが出来るようになりました。その代償として、ワールドカップのチケットを入手することが現実的にはかぎりなく不可能に近くなってしまったけれども、でも、今のほうが全然嬉しいですよ。
そして、ブログやmxiの出現のおかげで、話し相手は無限に広がりました。こうしたツールがサッカー世論を形成するところまで来たとも思っています。

何年か先で、そういう現象面のことを振り返りつつ、個人的なキャリアでは、なにを思い出すのかなあ。
今はまだ、放心状態で、心地いい疲労を味わっています。

今晩、満月ですね。季節外れの、ハーヴェスト・ムーンです。

2006年7月10日月曜日

彼が不在





フランスvsイタリア=1-1(PK5-3)

先制したのは、白のユニホームのフランス。
前半7分、マルーダがペナルティー・エリア内でマテラッツィに倒されてPKを獲得、これをジダンがループ気味のシュートで見事に決めて、フランスが先制しました。
しかし、その12分後、マテラッツィがPK献上の汚名返上とばかりに、ピルロのコーナーキックを高い打点でヘディング・シュート。弾道は豪快にゴールネットを揺らし、イタリアが1-1の同点に追いつく…。
守備の堅い両チーム、しかも疲労もピークに来ているはずの決勝戦で、前半にこれだけ試合が動くとは思いませんでした。

もっとも、後半、フランスはリベリのドリブル、そして少し引き気味の位置からアンリを中心に組み立てるなどして何度かチャンスをつくるも、効果的な攻撃参加を見せるビエイラが後半早々に負傷退場したのが響きました。
対するイタリアは、チームにフィットしていないトッティとペッロッタに代えて、デ・ロッシとイアキンタを投入。さらにデルピエロを送り込んで攻撃の活性化を図りましたが、両者ともに守備の集中は途切れることなく、試合は1-1のまま延長戦に突入…。

そして、事件は起こりました。
延長後半5分。ジダン、レッドカードで一発退場。この試合をもって現役生活を終える、あのジダンが退場です。
ジダンとマテラッツィは最初は談笑していたものの、マテラッツィのひとことにジダンが逆上、頭突きを食らわせた…。いったい、どんな悪魔の言葉を囁いたら、談笑していた相手が烈火の如く怒り出し、頭突きを食らわせるまでにいたるのか。

しかし、ジダンという人には、そういうところがありますね。98年フランス大会でも、自分が倒した選手を踏みつけるという愚行に出、2試合の出場停止を食らいました。ジダンのなかには、制御不能なマグマが内包されていて、ときおり、思わぬかたちで吹き出します。そういえば、ジーコも、ヴェルディ戦でボールに唾を吐いて退場になったことがありました。あのジーコが、です。

おなじ匂いを感じるんですけどね。

フランスにとって、ジダンが不在だったのは最後の10分間だけです。でも、この10分間が大きかった。
PK戦にもつれ込んだとき、ジダンがいない。この不在は、フランスにとって図り知れないものがあったように思います。

勝負にタラ・レバはないし、イタリアの優勝に一片の傷をつけるつもりも毛頭ないけれども、
ゲームセットの笛が鳴るよりも早く、ジダンのラスト・ダンスが終わってしまったことに対する喪失感は…、オレにとっても小さくないものでした。

結局のところ、今大会のMVPに選出されたのがジダンだっただけに。

2006年7月9日日曜日

欽ちゃんの野球





こないだ、萩本欽一率いる野球クラブチーム、茨城ゴールデンゴールズの練習風景を伝えるテレビを観ていました。

じつは、欽ちゃんのクラブチーム、あんまり興味なかったんです。
東京の芸人だし、茨城のチームだし、大阪には阪神タイガースもあるし、クラブチームならNOMOベースボールクラブもあるし…、要は、いろん意味で、距離が遠いんですよね、オレにとっては。

なので、テレビも、なんの気なしに見てました。
でも、ちょっと見入ってしまった。

そもそも、こうしたクラブチームは、社会人野球の廃部・休部に伴って野球をする機会を失われた選手たちにプロを目指す場所を提供することを目的として、設立されました。
もちろん、野球を通じて人生や社会を豊かにする、という第一義的な目的があるのは大前提ですが、実質は、衰退しつつある社会人野球の受け皿という役割を負っています。四国の独立リーグなども同様ですね。

だから、もちろん、普通に野球の練習をしてるはずなんですが…、
欽ちゃんのゴールデンゴールズの練習は、ちょっと違う。

エラーをした後、イニングが終わってベンチに引き上げてくるときの練習をね、何度も何度もやってるんですよ(笑)
「エラーしたからって、下を向いて帰ってきちゃダメだ。ちゃんとお客さんを見て、笑顔で帰ってこなきゃ! はい、やり直し!」
欽ちゃんの檄が飛んでます。
野球にエラーはつきものなんだから、エラーしたからっていちいち下向いてシュンとしてたら、ベンチが暗くなっちゃう。ベンチが暗かったらヒットも打てないし、勝てないよ。だからね、エラーしても、笑って帰ってこい!
えへへへ、エラーしちゃいましたーっ!って顔して帰ってくればいいんだよ。
そうすればお客さんも笑ってくれるし、応援してくれるし。大体、お客さんは選手が下向いてる姿なんか見たくないんだよ。もっとお客さんを味方につけなきゃ。
欽ちゃんは言います。

お笑いで培ってきたものを、野球にぶちこんでるんですよね。
言われてみればまったくその通りなんだけれども、なかなか新鮮で、含蓄があります。

ある選手には、白粉を塗ってこい!と言ったそうです。
それだけでベンチが笑いに包まれる。
欽ちゃんは、ベンチが暗かったら勝てないってみんなわかってるのに、誰も明るくする努力をしない、と、嘆いています。そこで、白粉を塗ってこい(笑) 白粉塗っても、スタンドのお客さんからはわからないみたいですね。顔色がいいくらいに見えるんだとか。
これ、実際にやって来た選手がいるらしいです。

去年の全日本クラブ野球選手権にでは、準々決勝でNOMOベースボールクラブに負けました。
負けた理由を、欽ちゃんは、次のように分析しています。
「向こうに比べて、うちは物語が足りなかったね。勝負は、やっぱり、物語を持ってる人間が勝つよ。ウチの連中は、負けてもみんな泣かなかった。物語がないからだよ。ひとりだけ泣いたやつがウチにもいたけどね。そいつだけは、物語を持ってた」
これはつまり、その試合にかける思いが足りない、ということです。
それを、物語という、独特の表現で欽ちゃんは言い表します。

泣いていた選手は、高校卒業後にオリックスに入団するも3年でクビになり、その後、お父さんの援助でメジャーリーグを目指した選手です。でもダメで帰ってきた。そしたらお父さんが、簡単に諦めるな!と怒って、もう一度、彼のためにお金を工面しました。彼は、そのお金で再びメジャーに挑戦したんですが、またしてもダメで諦めて帰ってきた。ちょうどそのときに、欽ちゃんがクラブチームを立ち上げ、選手を募集していることを知り、入団。そういう経歴の選手です。親の援助を受け、何度か諦めかけたプロ野球選手として大成する夢を、彼は、まだ諦め切れずに頑張っている。そういう頑張りが、負けたときの涙となって表れます。

最後に、欽ちゃんは、とても素敵なことを言っていました。

夢はひとりで叶えるよりも、ふたり以上で叶える夢のほうが、実現しやすいね、と。
一緒に泣いてくれる、一緒に喜んでくれる人がいる夢でないと、なかなか実現しない、と。
プロ野球選手として大成したい、じゃダメなんです。
プロ野球選手として大成して、世話になった両親に立派な家を建ててあげたい、そういう夢でないと、なかなか実現しないのだ、と、欽ちゃんは言っています。

これはなかなか含蓄があるなあ、と思いました。

2006年7月8日土曜日

相方さんがオレの鼻で遊んでます

最近、オレの相方は、オレの鼻ばっかり触って遊んでます。。
親の仇でもとるかのような力の入れようでオレの鼻をつまみ、鼻の毛穴から皮脂をにゅ~って出して遊んでます。

ところてんか、オレの鼻は…。

仕返しにおなじことを相方にしようとしても、自分の鼻は絶対に触らせません。

ズルいです。

2006年7月7日金曜日

お役所仕事のお値段、奇々怪々

某省庁の仕事をしました。

Webの仕事で、単純なFlashで20分くらいのアニメーションとインターフェイスをつくって、DVD納品。
オレは、 Flashは触らないので、絵コンテだけ切って、実作業は知り合いに発注です。
これ、見積もり段階で150万円と書きました。見積もりなので、もちろん、多めの金額を出してます。
そしたらさ、
「えっ? これだけでいいの? ゼロの数はあってるよね?」
だと。
しかも、
「文房具の予算だな、こりゃ!」
とも。

結局のところ、オニのような変更・訂正…、しかも、そのたんびにハンコが4つも5つも押されるという、効率もなにもかも無視した大バカヤロウな仕事になりましたから、多めの見積もり金額を出しておいて大正解でした。
しかし、ゼロの数が少ないと疑ってかかるような輩が相手。
本当にゼロを1個増やしておけば、笑いが止まらんかったかも…。

かと思えば、やはり某省庁から、
「Webサイト600ページ全面リニューアルJIS対応付きを50万円でどうか?」
と。
出来るわけない、そんな値段で(笑)

お役所さんというところは、根本的に、モノの相場がわかってないんですね。わかってないくせに、調べもせずに発注する。まあ、自分のカネじゃないからな。税金だからな。

外務省は、パスポートのインターネット申請制度を構築したけれども、全然便利じゃなくて利用者皆無。
年平均約8億6200万円突っ込んで、利用者は133件。1冊当たりの発行コストは約1600万円ですよ(笑)
ちなみに、この制度は2003年に導入されていて、利用者の累計が133件ですよ(笑)


財政赤字だ増税だとかしましいですが、予実管理を民間並みにしたら、兆単位の経費削減がすぐにでも実現出来るんじゃないですか。
少なくとも、オレのタバコを20円も値上げせんでも済むでしょ!


話は変わって、北朝鮮。
ミサイル発射は、どうやら、アメリカを交渉テーブルに引っぱり込みたい模様。2国間でやりたいんでしょうね。偽米ドル札のマネーロンダリング用にマカオにつくってた秘密口座の凍結を、解除してもらいたいんでしょうね。でも、その口座にあるカネって、30億円程度らしいです(笑) 30億程度のカネを気にしなきゃならん国って、どんなのよ…。
大体、一晩で6発発射、同日夕方に1発追加は、絶倫すぎます! 今のオレは、一晩2発がいいとこですから(笑) ショーグンさま、オレよりもずっと年上なのにな。

阪神タイガースは、阪急と統合して経営母体が変更になったんだから新規参入扱いにする、だから加盟料30億円を納めろ、と、今、連盟から言われてます。
30億を諦め切れずにミサイルをぶっ放すバカな為政者がいるかと思えば、かたや、しぶしぶながら30億を納めて八方丸く収めようとする経営者…。
ショーグンさまが国家公務員なのかどうか知らないけれども、どのみち国の人間。

ほんと、税金を使うことを仕事にしている人間というのは…、救いようがないですな。
あ、スネークマンショーでお馴染みの、桑原茂一さんの「テポドン音頭」が視聴できます♪

天気がすぐれないこともあってか、散漫な日記になってしまいました(笑)





ワールドカップ日記:
フランスvsポルトガル=1-0
これは眠ることなく、すべて観戦(笑)
ジダンとフィーゴという、かつてのチームメート同士、復活、試合を重ねる毎に好調に…、と、共通点の多い両者の対決が見どころの試合です。
フランスも好きだし、ジダンの勇姿をもっと見たいし、でも、ポルトガルも大好きだし…、どっちを応援していいものやら非常に困る試合でもありました。
でも、ポルトガルは、いいチームになりましたね。中盤に珠玉のタレントを配し、美しいパスの旋律を奏でるものの、大一番では勝ち切れず、いつも大会の脇役でしかない。端的にいえば、それがポルトガルでした。でも、フェリペ(スコラーリという名前は、どうしても馴染めない!)が監督に就任して、そうしたメンタリティの弱さは払拭されましたね。加えて、C・ロナウドら若手の成長、DFラインの強化などが加わって、本当にいいチームになりました。
前半はまさに、両者の美しいパスワークの応酬でした。
ポルトガルが中盤でボールを優雅にまわし、一気にサイドに振ってクロス。これをフランスが拾って、中盤で流れるようなパスまわしを展開…。これの繰り返しです。片方が歌を詠み、もう片方が返歌を詠む。思わず陶酔しそうになるほどの、優雅さでした。サッカーは、こうでなくちゃイケナイ!
DFのちょっとしたミスで負けちゃったけれども、かつてのフランスだったら、逆転されてたんじゃないかな。
思えば、フランスも、上手くて美しいサッカーをするくせに、勝負に弱い国でした。ドーハの悲劇に日本中が落胆していたとき、フランスでは、ドーハ以上の強烈な悲劇が襲っていました。そう、あのころの、土壇場に考えられないほど弱いフランスは、今や、その面影すらありません。
そう考えれば、フランスもポルトガルも、本当に、素晴らしいサッカー大国になりました。そして、経験で勝るぶん、フランスが今回は勝ちを拾ったという試合でした。

かくして決勝は、レ・ブルー(フランス)vsアズーリ(イタリア)の青・青対決。
どっちが勝つんでしょうね。
日程から来る疲労度を考えると、フランスに分がある。
チームの完成度では、やっぱりイタリア。
でも、イタリアはドイツ戦での激闘を制したあと、もし喜びすぎてきたら、負けます。フランス大会のときのブラジルがそうだったように。
さあ、どっちかな。

その前に行なわれる3位決定戦は、ポルトガルvsドイツです。
ワールドカップは、言うまでもなくカップ争奪戦なので、順位をつける大会ではありません。だから、3位決定戦なんて要らないし、もともとはなかったものです。興行的な理由から、いつからか実施されるようになりましたが、もともとが不要なものなので、盛り上がらない試合が多いんですよね。3位決定戦に出てくるチームというのは、必然的に、優勝を狙えるチームなので、優勝を逃した今となっては、3位なんかどうでもいい。
でも、今回、ドイツは開催国の意地があるし、ポルトガルもここまで来るのは初めてのこと。案外、3位を狙った積極的な試合が期待出来るかもしれません。
そうなったら、やっぱ、ドイツに分があるのかな。

2006年7月6日木曜日

賑やかな夜

いやー、すごい試合でした、ドイツvsイタリア。
やっぱ、ワールドカップはベスト4が一番面白いですな!

連日の睡眠不足がたたってか、眠たくって。
落ちそうになる目をゴシゴシしながら見てたんですけど…。
眠気を吹っ飛ばすくらいに面白かった☆

前半は、完全に復調したトッティを中心に、イタリアが左からえぐってました。トッティの繰り出すパスの正確なこと!
ドイツも、ボール・ポゼッションでは負けていたけれども、演出した数少ないチャンスは、どれもビッグ・チャンス…。
中盤のつぶしあいになったけれども、攻守の切り替えが速くて、見ていて全然飽きなかったです。

ドイツ、嫌いですよ(笑)
嫌いってこともないけど、つまんない。
創造性もアイデアもなくて、ただひたすら組織で動いて、泥臭く勝つサッカーは、そりゃ強いんだろうけれども、全然面白くないです。

面白くないんですが、ここまでの死闘になってくると、そういうことはどうでもよくなりますね。

前・後半とも、あっという間に終わりました。
それほど、中盤でのせめぎ合い、攻守の切り替えがスピーディな試合でした。
足がね、全然止まんない。

それにしても、賑やかな夜でしたな。

前半の最中に、
「北朝鮮、ミサイル発射」
の、速報テロップ。

このニュースそのものにもビックリしましたが、まさか試合の中継を中断して、ニュースに切り替えなんてことはやめてよ!って思いながら、試合見てましたよ。
それに加えて、やっぱり、眠い!(笑)
試合は抜群に面白いし、とんでもないニュースまで飛び込んできてるのに、眠い!(笑)

ハーフタイムのあいだは、案の定、ニュースに切り替わってましたね。
発射されたミサイルの数が2発になり、3発になり、4発になり、またまた3発に戻り、最後は6発。おまけに、夜が明けて夕方、さらに1発追加?(笑)

悪いが、そのニュースにかまってられません。
それくらい、ドルトムントのスタジアムは、燃えてましたよ。

あー、眠い!
こんなに面白い試合なのに、なんで眠い!
わかった!
北朝鮮はミサイル発射したいけれども、発射すれば全世界から非難されるから、その間、世界中を眠らせにかかっただな。
そのせいで、オレは眠いのだな!

…すいません。

もう、オレはPK戦を覚悟してました。
こんなにすごい試合をPK戦で決着つけなきゃいけないなんて、もったいなさすぎるな、と、思ってました。
でも、眠い!(笑)

眠りに落ちたのは、たぶん、115分すぎ。延長戦の後半もそろそろ終わろうかという時間です。PKになったら、ドイツ有利かな、とか考えていたような時間です。
そこで、落ちましたねぇ。

寝てたのは、たぶん、一瞬です。ほんの数分です。
でも、気がついたら、画面はラジオ体操に!(笑)
時計を見ると、PK戦に突入しているのなら、今、まさにそれをやっている時間。
なのに、画面はラジオ体操。北朝鮮からミサイルが飛んできているのに、ラジオ体操!(笑)

ということは、延長戦ラスト5分で決着がついたってこと?
やばっ! 一番いいところ、見逃してる!
慌てて録画してたのを再生しましたよ。
そしたら、
なんと!
イタリアが119分と121分にゴール☆
す、すごいな…。

なんちゅー幕切れ!

世界中でこの試合を見ていた人たちからほんの数分遅れで、オレも、茫然としてました(笑)

なんちゅー幕切れ!

なにが、雌雄を決したんでしょうね?

どちらのチームも、持ち味はすべて出し切っていたように思います。
もちろん、ミスもありました。
でも、決定機に繋がるミスを、どちらのGKも防いだ。世界ナンバー1同士のGK対決も、素晴らしかったです。

ほんと、なにが雌雄を決したんだろうか?

…うーん、まだ言葉にできません。
この試合を、上手く言葉にすることが出来ない。それくらい、すごい試合でした。
これがサッカーだ、としか言いようがない。

ひとつ言えるのは、この試合もそうでしたが、この大会は、交替選手が試合を決定づける得点をあげていることが多い点。
ということは、試合終了間際に試合を決定づける得点が入っていることが多いということです。
それだけ、守備が堅い。
そう、今大会で目立つのは守備の堅さですね。といって、守備的なつまらないゲームが多いわけじゃない。
強い守備ですね。それをベースに持って攻撃にスピーディに転じるから、観ていて非常に楽しい。そういう試合が多いように思います。

ほいで、北朝鮮。
アンタ、なに考えてんですか!
世界中が注視しているこんな素晴らしい試合に、水を差すようなことをするんじゃないよ!

第一報に触れたとき、ショーグンさまが軍を抑えられなくなって、軍が暴走したのか?って思いましたよ。でも、最終的に合計7発? これは完全に不測の事態などではなくて、ショーグンさまの確信犯的行為ですな。

北朝鮮は、とことんブラフをかまして、なんとしてでもアメリカを交渉のテーブルにつかせたいんでしょうね。
日本はいい迷惑だわ。
日本海でおちおち漁が出来やしないじゃないですか。
これから盛りを迎えるオレの大好きな岩ガキ、だいじょうぶなんでしょうね…。

2006年7月5日水曜日

養源院にて宗達筆の白象杉戸絵に出会う嬉しい不意打ち





三十三間堂の周辺の神社仏閣、こないだは5つつぶす予定だったのがタイムオーバーで3つしかつぶせなかったので、火曜日に残りの2つを。

ひとつめは、養源院です。
三十三間堂の東向かいにあるんだけれども、三十三間堂が有名すぎて、ほとんど無視されてるお寺さんですな(笑)
まあ、でも、どんなに立派なお寺さんでも、人がわんさと訪れて、オバハンにワイワイガヤガヤやられた日には、興醒めってもんです。
それやったら、しょぼくてもいいから、静かなほうがいい。
そう思って訪れたところって、意外といいんですよね。こじんまりとはしてるけれども、いろんなもんがてんこ盛り、しかも、ゆっくりホッコリ出来る。。

養源院というのは、そういうお寺さんでした。
でもね、行って初めて気がついたんですが、このお寺さん、かなり有名な宝物をお持ちでした。
そういうことを、全然調べずに行ってるで、嬉しい不意打ちに遭います☆
ここにね、俵屋宗達筆の白象図杉戸絵がありました! 唐獅子、麒麟もあるんですが、白象が出色の出来!

日本画とは思えないほどの大胆な構図とタッチで、ちょっと圧倒されました。
思わず見入ってしまいました。
ぶっとさ、とでも言えばいいのかな。たっぷりとしていて、おおらかで、力強い。それでいて、画面にはギリギリの緊張感があります。
これ、マジで、溜め息が出ますよ。すげぇ~って。
日本の、しかも、京都のようなちまちまとした風土で育って、なにを食べたらこんな線を描けるのか!
ここは縁側から眺められるお庭がないんですが、この杉戸絵を見るだけでも拝観料500円の元は取れます。松図の襖絵も、光琳とはまた違ったタッチの大胆さが楽しめます。

縁起を抜粋しておくと…、
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀君が 、父・浅井長政の追善のために建てたお寺です。後に焼失してしまいましたが、淀君の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が伏見城の中御殿を移構して再建。以来、徳川家の菩提所となっています。

だから、徳川3代の遺骨が厨子のなかには納められているそうです。

あとの見どころは、鶯張りの廊下と血天井。
天下の大泥棒・石川五右衛門は、ここの廊下が鶯張りだったおかげで見つかって、お縄頂戴、油釜に入れられて処刑されたんだとか。

血天井も、なかなかのもんでしたよ。
伏見落城の際に自害した鳥居元忠らの血で染められた廊下の板が、ここの天井にそのまま移植されてます。手形や人の姿などが、そのまま血痕となって残されています。

んで、おもしろいのは、これらすべて、お寺のオバァがついてまわって説明してくれるんですが、全部、カセットテープなんですよ。オバァがテレコを持って、杉戸絵なら杉戸絵の場所に案内し、そこでテレコの再生ボタンをガシャ。解説が終わればテープを止めて、また次の場所に案内してくれたら、またまたそこでテレコの再生ボタンをカシャ。
でも、血天井だけは、オバァも長い竹の棒で天井を指し、ここが手形の血の跡で、ここに人のかたちをした血の跡があるからここで切腹して…、と、説明してくれるんで、ここはテープというわけにはいかないみたいです。だから、オバァ自身が説明してくれるんですが、これがもう、テープの解説を聞いてるみたいによどみなくて(笑) しまいには、どれがテープでどれがナマの解説なのかわからなくなってくるくらいでした(笑)

そんなわけで、養源院、縁側から眺められる庭こそないけれども、けっこういいかんじですよ。てんこ盛りです。

もうひとつ行った先は、妙法院。
こっちはお寺さんの境内には入れるんですが、建物の中には一切入れてくれないという、不思議なお寺さんでした。普通、入れないところは境内にも入れないんですけどね。
なので、境内をぐるっと散策して退散。
なんの印象もなかったです(笑)

2006年7月4日火曜日

みっともない引退劇

中田英、引退しちゃいましたね~。

代表はこれが最後かもって匂わせていたけど、まさかサッカー選手そのものを引退するとは!

なんか、テレビの速報で流れ、号外まで出たらしいですが、オレは全然知らなくて、報道ステーションのオープニングのニュースで知りましたよ。
自身のHPで発表されたらしいですが、報道ステーションでは、中田英が書いた結構な量の引退声明文を、全文、読み上げてましたね。

中田英が29歳で現役を引退しちゃうのは、日本のサッカー界にとっても損失だし、彼のキャリアを考えてもすごくもったいないとも思うんですが、まあ、それは、彼が決めたことだから、誰がなにを言うこともありません。

ただ、一連の報道を見ていて、みっともない引退劇だなあ、と思ったのも事実。

引退声明文には、
彼がどのような思いでサッカーに取り組んできたのか、
プロ選手としてどのような覚悟で過ごしてきたか、
理想と現実とのギャップに悩まされ続けてきたこと、
ブラジル戦終了後にどんな感情が込み上げてきたのか、
などが、長々と綴られていました。

彼は、日本のメディアの不誠実さに気づき、早くから自身のHPを持った人でした。アスリートがHPを持つ先駆けでした。
それは、ある種の自己防衛でもありました。
でもなぁ、
自由に発言出来るメディアを手に入れたというのは、彼にとってはマイナスのほうが大きかったかもしれません。
言うまでもなく、プロ・アスリートの表現の場は、競技場です。
彼は、引退声明文に書いたようなことを、すべてピッチ上で表現してきたはずです。
それは、伝わる人には伝わるだろうし、伝わらなければ、さらに熱いプレーをしていくしかありません。
黙して語らず、ではありません。
彼には、全世界が注視するなかで、ピッチ上で、自身のすべてを表現出来る場がありました。
それだけの場を持ちながら、まだ、言葉でなにかを補足するようなことをしたいのか? ということです。

オレがカネを払ってでも見たいのは、彼のプレイであって、彼の言葉にはなんの興味もありません。
HPを見れば、いろいろと載っているんですが、彼のお勧めの本、彼のお勧めのレストラン、彼のお勧めの音楽…、サッカーのことももちろん充実していますが、それ以外の、サッカーとは関係ない情報も、たくさんアップされています。
そんなの、要らない。
要らないうえに、みっともない。

ブログが発達して、いろいろなことが変わりはじめています。
たとえば、本を出すということ。つまり、世間に向けて発言するということですが、これには資格が伴うと、オレは考えています。
たとえば、自分が書いたものを、自分の出版社から発刊する。
これは、反則です。反則である以上に、みっともない。
なぜなら、そこには、第三者のチェックがないからです。
自分以外の誰かが、これは世に出してもいいよ、これはぜひとも世間に知ってもらいたい、と思い、本にするためのカネを出してもいい、と、そういう資格を得て初めて、本は世に出ます。
でも、ブログやHPには、そうしたチェック機能はないですね。
だからこそ、自己満足の価値も意味もない表現が垂れ流される。
それでもブログにはべつの意味があるし、誰でもが気軽に思ったことを書ける敷居の低さは大きな力を持ちえます。ブログには、ブログの意味も意義もあります。

でも、
中田英には、HPよりもなによりも、全世界が注視するピッチ上での表現が許されていました。彼にとって、そこに勝る表現の場なんて、ないはずです。
なのに、そこに言葉を重ねる。屋上屋をつくるようなもんです。それも、みっともないものを。

その、みっともないものを、全文報道する報道機関って、なんですか?
中田英は、疑いようもなく、日本サッカー史上、もっとも優れたサッカー選手です。でも、それ以上でもそれ以下でもありません。
報道は、彼の引退の事実を報道し、そのもととなったHPの引退声明文の要約を伝え、足跡を辿るだけでいいはずです。
少なくとも、メディアが検証するべきことは、彼のプレーであって、彼の言葉ではないはずです。



引退と言えば、これですかね?
結局、復活しちゃいましけど。中田英も、引退を撤回して復活することを願って…。

Cocco / 雲路の果て

2006年7月3日月曜日

近江商人に学ぶ





京都神社仏閣巡りもまだ半分も消化していないというのに、なぜか、心は、その奥の滋賀へ。
庭は京都、仏像なら奈良というのは定番ですが、滋賀にも素敵な仏像がわんさと眠っているんですよね~。延暦寺は滋賀県ですが、あそこは京都文化圏なので除くとしても、向源寺(渡岸寺)の木像十一面観音立像なんかは、死ぬまでに絶対に拝んでおきたい仏像ですわ。マスト・ミート・オア・ダイ!ですね。

そんなわけで、ぼちぼちと滋賀について調べはじめているんですが、やっぱ、目を引くのは近江商人。

よく、財を成した社長さんに会ってお話を聞くと、「しまつしてきばる」という言葉を耳にしてきました。
ざくっと言ってしまうと、金を貯めるのには倹約するしかないのだよ、ということですが、単なる倹約ではなくて、モノの効用を使い切るということですね。それにしても、この教訓、どれだけたくさんの人に言われてきたことか。

この教訓は近江商人の代名詞みたいになってるので、近江商人=ケチという図式がオレのなかではどうしても出来てしまっているんですが、もちろん、そんなもんですむはずがありません。それだけじゃ、名を成さんだろ(笑)

近江商人といえば、天秤棒を担いでの行商を思い浮かべます。
だから、富山の薬売りみたいなもんだと思ってたんですが、これも全然違った(笑)
天秤棒の中身は、商品じゃないんですね。
帳簿と現金、それと身のまわり品。
彼らは、これはと思った土地に出向いていって、そこで開店することを目的としていたんですね。
地元の有力者、たとえば寺院だとか庄屋さんとかの家に逗留し、信頼を得、やがては開店にこぎ着ける。取扱商品は、その土地のニーズに適ったものならなんでもいいってことです。つまり、自分を売り込んでいったわけですね。
これ、今の営業に通じる話ですね。優秀な営業マンは、商品の特性に頼ってセールスせずに、自分自身を信用してもらうことでセールスしますから、なんでも売れますよね。そういうこと。

それと、小売りだけではなく、卸業を本業としてましたね。
これ、知りませんでした。こうなると、おなじ行商でも、富山の薬売りとはかなり様相が違ってきます。
物販をしているのではなく、契約を取りにいったということです。だから、商売相手はエンドユーザーじゃなくて、小売店。
こうなると、おそらくですが、金融業もやってますね。

では、
自分(自社)を信用してもらうための心得とは、なにか。
有名なのが、三方よし。
売り手よし、買い手よし、世間よし、です。
売り手と買い手の双方がハッピーになるのが商売の本道ですが、世間のためになるものでなければならない、と。
なるほど。
たしかに、世間を敵にまわして潰れていった会社がいくつもあります。

人事制度も面白いです。
奉公人は最初は本宅のある近江で住み込みですが、やがて、遠国の出店に転勤になります。その間、女将さんが、本宅で読み書きからソロバンまで教えるんですが、その女将さんは、丁稚の適性を見抜き、出店に出すころには、この子はどこそこの出店がいい、と、勤務評定&人事異動を取り仕切るんだとか。
で、出店に出向くと、なかなか帰省出来ず、一般的に12歳で遠国の出店に出されるとして、最初の帰省(初登り)は5年後らしいですね。以後、数年旅に登り(帰省)が許され、これを繰り返して昇進していく、と。
この間、商売に向いていないと判断されると、解雇されたとのことです。
終身雇用じゃないんですね。実力主義の人事制度だったんですよ。これって、結構、驚きでした。
じゃあ、終身雇用というのは、いったい、いつから日本に根付いた制度なんですかね?
少なくとも江戸時代の武士は終身雇用だったし、近江商人が異質な考えの持ち主だったんですかね。

こうしたことは家訓として残っていて、いろいろな貴重な教訓が残されています。
「三里四方釜の飯を食うところに店を出せ」とかね。
釜の飯を食べるような、豊かな購買力のあると見込みをつけたところが開店地として有望であるという意味です。

「陰徳善事」。
人に知られないように善行を施すことです。陰徳はやがては世間に知られ、陽徳に転じるので、近江商人は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行なったとのこと。

一番驚いたのが、
「押し込め隠居」。
家業をおろそかにして道楽に走る当主が現れた場合は、後見人や親族が協議して当主を押込め隠居の処分にしたんだとか。積み上げてきた家財は、当主の私物ではなく、一種の法人財産と見なされたってことですね。こうした考えが江戸時代に確立されていたことに、ビックリです。取締役会で、出来の悪い代表取締役を解任するみたいなことです。


調べていくと、まだまだおもしろい話がいっぱいありそうです。
ありそうなんですが、お世話になっている社長さんたちから、かたちを変えて聞かされていることばっかりでもあります。
大阪は、やっぱ、近江商人の影響が大きいのかもしれません。




ワールドカップ日記
ポルトガルvsイングランド=0-0(PK3-1)
デコを欠いたポルトガル、ベッカムを欠いたイングランド。上がり調子のポルトガル、まだ本領を発揮出来ずにいるイングランド。それでも、前回のオランダ戦で壮絶な肉弾戦をやったポルトガルが、コンディションが原因で負けるのだろうと思っていました。ところがどっこい…。
試合自体は結構、凡戦。勝敗を分けたのはなんだろうか?
ポルトガルはC・ロナウドとフィーゴが絶好調で、イングランドはランパードとジェラードがついに爆発しなかった…、これに尽きるんですかねえ?
唯一の見せ場は、ルーニーの一発レッド! さすが、ルーニー!ってかんじで、笑ってしまいました。彼の悪道ぶりは誰もが知るところなので、8年前のベッカムのような扱いにはならないと思います。


ブラジルvsフランス=0-1
一向に状態が上がってこないブラジルと、ここへきてチームが上昇気流に乗ったフランス。戦前からフランス有利だとは思ってたんですが、ブラジルが爆発したらブラジルだし、そういう、予断を許さないなかで試合を見てました。
ブラジルは、なぜかアドリアーノを先発させず、ロナウジーニョを前線に。この布陣の意図がよくわからなかったのですが、これまであまり機能してなかったロナウジーニョをなんとか機能させようと苦心した末の布陣だったと思います。結果、これまで以上に機能しなかったロナウジーニョ。
一方で、フランスはジダンが最後の力を振り絞るかのように、コンディションを上げてきました。
結局のところ、フランスにはビエラとマケレレがいたけれども(そしてリベリ!)、ブラジルには彼らはいなかった、ということに尽きるのだと思います。
お互いのゲームメーカーの周りを衛星のようにまわって献身的に守備をしてくれる選手。この選手の有無が、勝敗を分けた。フランスのほうが、それだけチームとしてのバランスがよかった、ということです。
それにしても、ここでブラジルが敗退したおかげで、ベスト4は、すべてヨーロッパ。やっぱ、ヨーロッパ開催の大会は、どうしてもこうなるんですかね。ちょっと淋しいです。

2006年7月2日日曜日

ミュージック・マグ





最近、iPodを愛用している人が身のまわりに多いので、誕生日のプレゼントは、iPod関連のものを用意することが多いです。

スピーカーとか、iTuneで曲が購入出来るミュージックカードとか、名入れとか、ケースとか…、2台目にシャッフルをどうぞ、ってのもありました。

今回、友だちの誕生日プレゼント用に探してるのも、iPod関連。
ヨドバシに行ったら、面白いのを見つけましたよ。

カップ型になったスピーカー。
陶器で出来ているカップで、底がスピーカーになってます。んで、カップの底から伸びているミニプラグにiPodを接続して、カップに放り込むだけ。電源はiPodからとるので、コードもバッテリーボックスもない、見た目はカップそのもの。今流行りのデザイン家電の一種ですかね。

これだと、家で音を出して聴くとき、好きな場所に持っていけます。移動も出来ます♪

こんなのです。


4000円也。ヨドバシのポイントで購入。





ワールドカップ日記:
ドイツvsアルゼンチン=1-1(PK:4-2)
ホーム&調子をあげてきたドイツと、前回の試合でロングパス主体の無様なサッカーを展開したアルゼンチン。実力だけを単純に比較したらたぶんアルゼンチンだし、アルゼンチンの超攻撃的サッカーは大好きだから、アルゼンチンに勝ってほしいと思ってたんですけどね。
アルゼンチンは、やっぱ、GKの負傷交替が痛かったですね。おかげで、カードが1枚足らなくなりました。
後半も30分を過ぎたあたり、1点先制していたアルゼンチンがそろそろ守備固めってかんじで、守備要員を増やしたところで失点。すでに交替カードが尽きていたアルゼンチンは、メッシを投入することも出来ず、効果的な攻めを展開できず、PK合戦にまでもつれ込んでしまいました。PK合戦になったら、ホームのドイツは圧倒的に有利ですね。
俺の優勝候補予想ナンバーワン、アルゼンチンがここでドイツを去りました。寂しくなるなあ。

ウクライナvsイタリア=3-0
独立して初めてのワールドカップだったウクライナ。ドイツで国家を5回も響かせることが出来たのですから、当初の目標は達成されたんじゃないですかね。
この試合、世界ナンバーワンのエースストライカー、シェフチェンコvsイタリアのディフェンスの様相を呈しましたが、やっぱ、シェフチェンコだけではなにも出来ないのも事実で。でも、初出場でベスト8は、やっぱ、快挙です。イタリアは、相変わらず、カンナバーロの異次元の守備技術がすごすぎます☆

2006年7月1日土曜日

弁当屋さん戦争





月末越え、無事終了!
今月はワールドカップ月間なので、とんでもなかったですよ。
ワールドカップがあるときは徹夜で観戦でしょ、ないときは溜まってる仕事を徹夜でやっつけるでしょ。だから、結局は、連日連夜、徹夜。
それでも、ワールドカップ観戦のために仕事はセーブしてたから、売り上げは減ってるのに、起きてる時間は変わらず、で。
こんなことなら、ドイツに行っとくんでしたよ。仕事忘れて、現場で見てるほうが全然いい。

過去3大会は、現地で観戦出来たのに…。
今大会、ついにチケット取れず。会を重ねる毎に、チケットが取りにくい状況になってますわ。もう、ワールドカップをナマで見ることは、ないかもね。

さて、今日は午前中のうちに支払い関係をすませて、あとは、締切仕事をやっつけるのみ。これが案外手こずって、夕方には終わるはずが、なんだかんだで晩までかかってしまいました。
なので、晩ゴハンをつくる気力もなく、かといって外で食べるのも気が進まず、弁当を買ってきましたですよ。

商店街に、「じゃがいも」という弁当屋さんがあったんですよね。いや、今でもあるんですが、風前の灯。
家族経営みたいなかんじでこじんまりとやってるんですが、揚げ物以外にも、焼き魚やら煮物やらもあり、総菜だけもあれば白ゴハンだけもあり、もちろん、弁当もあります。んで、イートインのスペースも確保してあって、そこで買った弁当を食べることも出来ます。
ホカ弁よりも品数が多いし、安い弁当で350円~ってかんじ。
ただ、この弁当屋さんは、悪くはないんですが、特徴がない。ここでなければ!ってものが、ないんですよね。

そんなおり、なんと、「じゃがいも」の3軒となりに、新しい弁当屋さんがオープン。「デリ御前」。
こっちは、どうやらチェーン店だかフランチャイズ店といった趣。店内はコンビニ並みに明るく、品数もメチャクチャ多く、総菜、白飯、弁当、和菓子、寿司…、幅広いです。値段も、本日のお弁当が399円で、それ以外は500円~1200円ってところ。オードブルセットなんてのもあります。
こっちも品数の多さと弁当屋さんらしからぬコンビニ風情以外には、これといって、特徴はありません。
どっちも、味も、街の弁当屋さんだから、ってことを考慮すれば、こんなもんです。美味いわけでも不味いわけでもない。

ただ、「デリ御前」は半年くらい前にオープンしましたが、こいつの出現で、「じゃがいも」は完全に食われてしまいました。
どっちも商店街に面しているので、立地に差はありません。
駅の改札からは、「デリ御前」のほうが近いんですが、駅を起点に延びている商店街ではないので、人の流れは双方向に均等にあります。でも、夕方以降に弁当を買うのは会社帰りの人が多いことを考えると、駅を出てから先に店に辿り着ける「デリ御前」のほうが、少しは有利かも。

でも、オレがときどき行く晩の8時台、「デリ御前」のほうには、人だかりが出来ているんですよね。翻って、「ジャガイモ」では、その時間、閑古鳥が鳴いてます。

この差はなんなのかと、しばらく思っていたんですが、先日、ついにそのわけが判明しました。
「デリ御前」は、晩の8時半から、大半の商品が半額になってました。
これはデカいですね。
「じゃがいも」でも、おなじような時間に値引き札が貼られるんですが、100円引き、50円引きのシールばっかり。これじゃ、半額には勝てません。
で、半額目当てに「デリ御前」のほうに人が群がるから、人が人を呼んで、そっちに集まります。んで、「じゃがいも」のほうは、閑古鳥。
なんか、資本力の差が、モロに出ちゃってるかんじです。

最近、夜の8時半直前になると、「デリ御前」では、半額シールが貼られるのを待つ人でごったがえしてます。だって、半額シールが貼られるまで、みんな動かないんだもん。お目当ての弁当を見つけて、それに半額シールが貼られるまで、手を出さない(笑)
もう、あからさまです(笑)

オレも、今日は、その人だかりに混じりました。
でも、ごった返しのなかでもみくちゃにされるのはかなわんので、とっとと本日のサービス弁当を手にとって、店の人のところにツカツカと寄っていき、半額シール貼って!って言いました(笑)
それを見て、みんな、オレのやりかたを真似てましたよ(笑) 好きな弁当を手にとって、半額シールを貼ってもらいにいってやんの。全商品が半額になるわけでは、ないんですけどね。

そんなわけで、今日はサービス弁当399円を半額の200円で購入。
中身は、かやくご飯、ふきとワラビの煮物、サバの塩焼き、高野豆腐・人参・椎茸・コンニャク・がんもの煮物、コロッケ、卵焼き、ジャガイモ・竹輪・エビの天ぷら、キュウリの漬け物、枝豆でした。

帰り道、「じゃがいも」はやっぱり閑古鳥が鳴いてました。
昼間はどのような商況になっているのか、知りません。