2006年9月17日日曜日

マウスの電池


いや~、重なるときは重なるもんですな。

デカい仕事が3件同時にやってきて、寝る時間もメシ食う時間もなくなりました…。

寝ずにやって1ヶ月かかる仕事をどうやって2週間強でやるんだ?(笑)

PC、すげー酷使してます。
うちのリエちゃん、そろそろ反乱起こすでしょうな。。。


マウス&キーボードはワイヤレスを使ってるんですが、この、マウスがまた電池を食うこと!

1日に15から20時間くらいは余裕でPCの電源がONになってるのですが、そのペースで、2週間持ちません。
2週間以内に、単3電池2本、軽く消費してくれます。Panasonic純正のアルカリ電池ですよ。。。

これ、失敗しましたわ。
こんなに電池を食うのなら、コード付きにすればよかったです。
単3電池、ヨドバシで大量に買ってきてストックしておいても、すぐになくなる…。。

一体全体、なぜにこんなにも電池を食うのだ?

試しに、本日、PC本体からどんだけ離れて操作出来るのかやってみました。

結果。
なんともはや…。壁を挟んで隣の部屋に行き、PCから10m離れたところからでもマウス操作出来るでやんの!

あのさ、そんなに強力じゃなくてもいいからさ、PCとマウスの距離なんて15cmもあればじゅーぶんだからさ、お願いだから、電池の大食いをやめてくださいませ、マウスさん。

どんだけ大食いでも、優勝しても、賞金は出んのよ…。


…などというしょーもないことを合間にやって気分転換しながら、仕事仕事仕事の日々です。

mixiの日記なんて、とてもじゃないがアップ出来ません。
コメントも書きにいけません。
しばし、謝!謝!

2006年9月14日木曜日

名古屋めし×台湾ラーメン×アメリカン×初級編


な、な、なに?

名古屋めし×台湾ラーメン×アメリカン×初級編。




チャンプルーにもほどがあります(笑)


サイトで調べてみました。



すると…、
昨年の愛知万博以来人気を博している「名古屋めし」なる独自食文化のなかでも激辛ラーメンの「台湾ラーメン」の辛みを抑えて食べやすく「アメリカン」にし、名古屋めしの「初級編」としたのだとか…。


食べたくないです(笑)



強引なチャンプルーといえば、モーツァルトの曲をサンバにしたものがあります。
強引すぎます(笑)

2006年9月13日水曜日

京都情報バブル


ここ数年、京都は沖縄と並んでブームになってますね。
京都本の出版物が増え、あちこちの雑誌で京都特集が組まれます。京都情報バブルですな。

そのおかげで、オレみたいなところにも、その手の誌面作成の仕事が来ることがあります。

京都の観光客数は1999年からずっと上昇し続けていて、昨年度は4727万人だったそうです。まあ、そのなかには、オレみたいに、隣県の大阪から足繁く通ってる人も含まれてるんでしょうが。
この上昇傾向は、5年前のNY同時多発テロが影響していると言われています。この年、海外渡航者数は激減し、雑誌は海外旅行情報を自粛しましたな。
でも、雑誌に、旅行情報は欠かせないじゃないですか。
そこで、脚光を浴びたのが、京都。
京都というところは、海外に代わる、国内の外国って位置付けですね。

東京発の全国雑誌が京都特集を組むとして、取材情報は、多くの場合、京都在住のライターが集め、それを東京の編集担当者が取捨選択します。
この段階で、東京の担当者の視点と京都地元民の感覚とのあいだに、ギャップが生じます。
なんでって、東京の担当者が望むのは、東京から見た、京都の外国度の高さだから。

たとえば、
誌面で紹介する店を選ぶ際、古い店構えや暖簾などの写真映えや、老舗であるかどうかといった記号性が、サービスや味よりも重視されるからです。内容がよくても、エキゾチズムをくすぐる要素がないと、取材リストには残らないということです。
たとえば、相方がバイトしているcaffe Luccaというカフェは、どの街に持っていっても恥ずかしくないレベルの高いカフェだと思うけれども、でも、京都と聞いて思い浮かべるイメージからはかけ離れているので、取材対象からは除外されるわけです。たとえば、caffe Luccaが東京の荻窪あたりにあって、どこかの雑誌が荻窪特集でもやれば、載るんでしょうな。

だから、大量に出まわっている京都情報の中身は、海外リゾート地ガイドのそれとおなじで、いかにもそれらしいお店が並んでます。いくらかマニアックになったところで、その枠組み自体は変わらない。

まあ、ガイドだから当然なのだけれども、外国的要素だけで構成された誌面は、やっぱ、ヴァーチャルな世界ですね。地元民やオレみたいな半地元民からすると、違和感ありまくりです。京都にかぎらず、観光地に住む人は皆感じていることだろうけれども。

世襲制が長く続く暖簾、着物姿、むかしからの町屋、伝統工芸、季節感とともにある和菓子や京料理…、これらはすべて、なんでもあるはずの東京にはないものばかりです。
自分にないものをありがたがり、逆に、それ以外のものには価値観を見出さないメディアの態度は、意地悪な言いかたをするなら、アジアや辺境地に自ら反対の価値を押しつけ、ノスタルジーに浸る類いの旅行者の植民地的なセンスに通じています。

とはいえ、京都にやってくる旅行者の、京都で癒されたい、日本を感じたいという欲求は、切実に聞こえます。
mixiにも京都旅行をテーマにしたコミュニティはたくさんあるのだけれども、どれもビックリするくらい充実しているし、そこに顔を出す人たちのなかには、何度も新幹線に乗って京都に通い詰めるマニアックな京都ファンがたくさんいます。

たぶんね、ヴァーチャルな京都のイメージとその魅惑は、欠乏感の裏返しなんだと思うのですよ。
だから、こうした京都ファンのあいだで共有される京都のイメージは、修正されるどころか、ますます硬直化しているように感じます。


というようなことを考えるようになったのは、
mixiで、旅日記を連載している人がたくさんいるとわかってからですわ。
現在進行形の日記じゃなくて、いつかの長旅を、時系列で毎日アップしていくようなスタイル。
で、
そのほとんどが、雑誌やなにかで調べたものを実際に観にいって感動してるのやら、牧歌的な風景や人の人情に触れて癒された感動したって話ばっかりで。
感情がそうなのか、感情の発露の仕方がそうなのか知らないけれども、はっきりいって、紋切り型なのですよ。
大草原の雄大さに惹かれてモンゴルに行く人はたくさんいるんだろうけれども、なんかね、それを再確認して、感動した、って、それだけ。
オレなんて、大使館員の機嫌損ねてビザを発給してもらえなかったから、モスクワ行きのシベリア鉄道に乗って、モンゴル国内で電車から飛び降りて、しばらく密入国状態で遊んでたら、地元警察に見つかって、国外強制退去させられましたよ。だから、オレ、モンゴルは嫌いなんです。

そういう人、オレ以外にもいてると思いますよ。
でも、モンゴルに行ってモンゴルを嫌いになった人を、オレは見たことがありません。

石庭で有名な竜安寺は、今、工事中です。石塀があってこその石庭なのに、今、その石塀には醜いブルーシートが被せられています。でも、拝観はしてるし、拝観料も通常通り。
そのことをきちっとフォローしている記事は、いわゆる京都特集もののなかには、ないですね。

ブルーシートは、京都エキゾチズムには似合わないですからね(笑)
ブルーシートは見えないことにして、せっかくの貴重な石庭だけを見て感動しろ、と?(笑)

ちなみにオレは、竜安寺の石庭にブルーシートがあろうとなかろうと、あんまり好きじゃありません。

2006年9月12日火曜日

職人気質だけが拠りどころの職人さんへ


相方さんの新作、「room shoes」が好評らしいです。

裸族のオレにはさっぱり理解出来んのですが、5200円もするくせに、売れてるらしいんですよ~(笑)

売っているのは、京都の本屋さんで、最近はオシャレ雑貨に力を入れている恵文社さん。
通販サイトもありましてですな、そっちでも販売中。
(ジャイ子さん、お買い上げありがとうございます☆)
恵文社さん通販サイトはこっち。
(top>雑貨>恵文社の生活感>台所道具、住まい、布物・子ども服)

彼女にとって、企業さんらしい企業さんと取引をするのは初めてのこと。
なので、細かいトラブルもあるみたいですが、ここでそんなことを具体的に書くわけにはいかないので、そっちは割愛するとして、ま、頑張りなされ、と。なにごとも、いい経験です。

ただ、以前から、機会があるごとに言うんですが、
どーも、職人気質が抜けないというかね。
ここらへんが、今の、壁ですね、彼女の。

使う人のことを考えて、いいものを頑張ってつくる…、
こだわるところはこだわればいいし、無駄なこだわりだと思うところはこだわらなければいいし、安く出来るのなら安くすればいいし、早く出来るのなら出来るだけ早くつくる。
それは、つくり手としてはあたりまえ。

職人気質って、こんなところですかね。
でもね、それだけで生き抜いていけるほど、今は、牧歌的な時代じゃないのですよ。

つくり手の思い入れとこだわりだけでモノヅクリが成立するような牧歌的な時代は、幸か不幸か、とうの昔に過ぎ去ってしまいました。

今、やっぱり、販売や自己プロデュースを念頭に入れてないと、ただ、いいものをつくる、だけでは無理です。甘いですわ。

たとえば、
使う人が心底喜んでくれるようなものをつくったとします。
でも、それを売るのは小売店の販売員です。小売店の販売員の人が、その品物に込めたつくり手の思いを理解していなければ、それは使う人にまでは伝わりません。伝わらなければ、どんなに素敵な品物であっても、売れない。
職人さんがつくるものは、作品ではなくて商品だから、売れなければ、それはどんなに素敵なものであっても、ゴミです。

だからこそ、ビジネス感覚というか、商売人としての資質が、職人さんにも求められます。ましては、フリーランスでモノをつくっている人なら、職人と商売人の資質の両方が、絶対に求められます。

この商品は、こういう人に使ってもらいたくて、つくりました。この商品の特性は、こういう人たちに絶対に訴求するはずです。
ただし、それをわかりやすく伝えるためには、売り場でこういうふうにディスプレーしてもらって、こういうトークをしてもらわないと伝わりません。
この特性さえ、この層の人たちにきちっと伝われば、この商品は、この価格でじゅうぶんに売れるはずです。
この価格で売ることが出来れば、ウチはこの値段で卸しますから、そちらにはこれだけの利益が出ます。そうなれば、お互いハッピーですよね。

こういう商談を提案出来なければ、つまり、自分がつくったものをプロデュースすることが出来なければ、販売の人は乗ってきませんね。
商売とは、売り手と買い手が等しくハッピーになる取引の総称ですから、相手が儲かることを提案してあげて、それに自分がこういうかたちで協力する、そうすれば、あなたが儲かり、あなたが儲かることで私も儲かる、そういう話を持っていってあげないと、誰も動きません。みんな、忙しいからね。

つくり手からの視点で話をしていますが、売り手だっておなじことです。
こういう品物があれば、こういう層にこういう展開で売れるから、つくれないか?と、売り手からつくり手に向けて提案がなされるのなんて、しょっちゅうです。
川上よりも川下のほうが強くなり出した80年代後半くらいから、流れは、まさしくそうでした。

コンビニに置いてあるポッキーの箱のサイズが小さく薄くなったのは、まさにそういうことですね。
少しでもサイズを小さくして、たくさんの商品を置いたほうがより多く売れると確信したコンビニが、メーカーにサイズダウンを提案して、そういうことが実現しました。

だから、売り手からつくり手に向けてのメッセージというのは、この15年で完全に定着しているんですが、逆方向の、つくり手から売り手に向けての提案というのがね、つくり手さんの職人気質が邪魔をするのか、まだまだ足りないように思うんですよね。

ウチの相方さんは、モノをつくることばっかりやってきた人だし、売るということに関してはまったく未経験の人だから、そのあたりの感覚が、決定的に欠けてます。

未経験なのだから仕方のないことなのだけれども、それでは、生き抜いていけないので、今、そういう話をずーっとしているところです。いろいろと勉強してるみたいですけれどもね。

たとえば、オレは、原稿を書いたり印刷物のデザインをしたり、webサイトを構築したりする仕事をしています。
で、たとえば、沖縄に行きたいなあ、と思ったとします。南の島を数週間かけて点々とまわってみたいなあと思ったとします。でも、そんなカネも時間もありません。
ならね、
どっかの雑誌社に目星をつけて、オレが沖縄に行ける企画を考えて提案しますね。
今、沖縄がブームだけど、どこもかしこも似たような記事ばっかりで読者もそろそろ飽きてきてるでしょ、だからね、もっと違う視点で、○○な視点で沖縄を捉え直したら、新鮮な記事が出来るよ、それをやれるのはオレが最適だから、この企画やりましょうよ!
って、ザクッと言えばそんなかんじで、提案しますね。
提案次第で、自分のやりたいことは実現出来ますから。
オレは自分の仕事がモンキー・ビジネスだって自覚がありますから、他人のカネで自分のやりたいことが出来るようにすることばっかり考えてますけれどもね。

ニットなら、
新進の女優さんやモデルさんに目をつけて、ひとつのテーマを決めて、そのテーマに沿って彼女が素敵に着こなせるニット服を数点つくる、あるいは編み図を書く。で、それを雑誌社に持っていって、こういう企画で、このモデルを使って、服はこんなのをつくるから、これで誌面展開したら、メチャクチャ素敵な誌面になるよ!
って、提案します。

漫画家の卵が漫画雑誌の編集部に作品を持って売り込むよりも、カメラマンの卵が自分で撮った写真を持って雑誌の編集部に売り込みむよりも、自作のニットを持ち込んで、「なにかのときに使ってください!」って売り込むよりも、こうした提案のほうが、はるかに聞いてくれます。ほとんど、相手の(編集部の)仕事の領域に踏み込んでるからね。

そういうね、相手が儲かることを提案してあげて、そのなかで自分を売り込んでいく、そういう、自分と自分のつくったものの両方をプロデュースする能力を磨いていくことが、ただ単に職人気質の持ち主で終わるかどうかの、分かれ目だと思っています。

だからな、相方さん、頑張れよ。

room shoesだってね、国際線の飛行機のなかで履いてもらえるために航空会社に売り込む、→乗客に喜んでもらえたら航空会社の株は上がる。
超高級ホテルのアメニティ・グッズとして、ホテルに売り込む、→宿泊客に喜んでもらえたらホテルの株は上がる。
そのことが雑誌に取り上げてもらえるようなことにでもなれば、航空会社、ホテルの株はさらに上がり、あなたの名前も世に出る。

…というふうにね、量産と安定供給の問題をクリアしないとダメだけれども、プロデュース次第で、いろんな販売チャネルを開拓することは出来ます。


繰り返す。
商売とは、相手を儲けさせることで自分が儲かる取引のことなのですよ。
自分が出来ること、で、留まらず、自分が出来ることを使って相手を儲けさせることを考える、ここまで出来るようになると、殻をぶち破れるし、壁を乗り越えられます。

2006年9月11日月曜日

終戦の年1945年(昭和20年)の世界の音楽の潮流を探る


自民党の総裁選がはじまりましたね。
安倍で決まりみたいですが。。
安倍で決まれば、初めて戦後生まれの首相が誕生するわけで、戦後生まれの首相らしく、憲法改正するんですかね?

これからしばらく、「戦後」という言葉が、蒸し返されるような気がしています。

ということが関係しているわけでもないんですが、今、終戦直後、昭和20年、1945年あたりの世界の音楽の潮流を研究していて、今回はそれの中間報告を。

昭和20年、1945年あたりの世界の音楽は、どーなっていたのか?

えーっと、久しぶりだとは思うんですが、相当にマニアックです(笑)

戦時下にある兵士にとって、大きな憩いとなるのが、芸能人たちによる慰問団ですね。
かつての日本でも漫才や歌手など、多くの人たちが戦地に赴いたことが知られています。
有名なところでは吉本興業の慰問団「わらわし隊」、『青い山脈』『長崎の鐘』など戦後の大ヒットで知られる藤山一郎らが参加した南方慰問団…、このほか各地の芸妓さんたちにも声がかかり、彼女ら彼らは慰問隊の一員となりその芸を披露しました。
米軍にも同様の慰問があります。1954年に、日本から帰国の途中のマリリン・モンローが、米・極東司令部の求めに応じて在韓米軍駐屯地を10箇所以上も巡演したのは有名な話ですな。

第2次大戦中、アメリカにはV-DiscというSP盤シリーズがありました。生身の慰問団ではないんですが、海外にいる兵隊たちを大いに喜ばせた、音楽の慰問です。
V-DiscのVは、もちろん、ビクトリーの頭文字。
アメリカ政府からの依頼により、ジャズからクラシックまで、トップ・クラスのミュージシャンが所属レコード会社の垣根を越えて、数々の名セッションを、この、「海外にいる兵士のための特別レーベル」に記録しました。
そういうことなので、ジャズの世界でV-Discといえば、今でも貴重な音源として有名です。
このレーベルでは、トミー・ドーシーやらグレン・ミラー、カウント・ベイシーなどと、白人黒人問わぬ人気者がずらりと顔を揃えて素晴らしい演奏を録音したことでも知られていますが、この録音にはもうひとつ重要な側面があります。
じつは、この時期というのは、アメリカでは有力な音楽家組合による歴史的な大ストライキと重なっているのです。ストライキが決行されたのは、1942年から44年。足掛け3年間ですが、この間、米軍が、海外にいる兵士のためだけに録音させてほしいと申し出たことが、V-Discの発足に繋がりました。

やがてストライキが終わり、アメリカの音楽業界はさらに再編され、世界的に大変な影響を及ぼすにいたります。つまり、V-Discがなかったら、20世紀アメリカン・ミュージックの重要な部分がスッポりと抜け落ちていた、ということになります。
なにしろ1940年代といえば、20世紀におけるアメリカ音楽がいよいよ充実してきた極めて重要な時期ですから。
…しかしですな、世界的な大戦争をしている真っ最中に、米国内では4大メジャーのレコード会社に向かって、オレたちミュージシャンの要求を呑まないとレコーディングなんかしない! と言って長期にわたる実力行使に出る人たちがいたという事実が、まずすごいですな。
そりゃ、戦争に負けるよ!


1944(昭和19)年。
太平洋戦争においては、南方における日本軍の一大拠点だったトラック島がアメリカ軍によって攻撃され、多くの戦艦や戦闘機、そして人命を失った年です。2月17日、18日の、しかし太平洋のまっただなかではうだるような暑さだった日のことですな。
トラック島空襲のあと、サイパン、テニアン、グアムなどで次々に日本軍が玉砕することになるから、ここが太平洋戦争の転換点です。

で、南洋で日本軍が追い詰められていたこの時期、フランスはどうだったか?
フランスにとっての1944年は、パリ解放の年でもあります。
1940年、ナチス・ドイツの侵攻によってパリが陥落し、花の都はジャズすらも禁止されました。
それが、1944年6月6日のノルマンディ上陸作戦開始、8月25日、市民のレジスタンスと自由フランス軍の手によってパリ解放。
この、抵抗の時期、フランスを初めとして多くのヨーロッパ人が口ずさんだのが、ロマンチックで甘酸っぱいメロディの『雲』でした。
『雲』は、ロマ(ジプシー)のギタリストでパリを拠点のひとつとした、ジャンゴ・ラインハルトの代表作です。
オレの相方さんは高校時代にすでにジャンゴを愛聴していたという驚くべきおませさんですが、それはともかくとして、ジャンゴは驚異の早弾きプレイヤーでもありました。
が、驚くべきことに、その左指は、ロマ・キャンプでの出火によって大怪我を負ったため3本しか使えない。
ナチス・ドイツによってユダヤ人とおなじように徹底した弾圧を受けたロマですが、その哀切を、(禁止されていた)ジャズの手法を借りながら、独自の世界を切り拓いたのが、この才人でした。
『雲』は、そうした背景があったからこそ、ヨーロッパの多くの国の人々の口の端に乗ったのでした。

このジャンゴ・ラインハルトと並んで、ドイツの占領下にあったフランスのパリを沸かせた人物を、もうひとり挙げなければなりません。
モロにアメリカン・ジャズ・エイジをイメージさせた舞台で大センセーションを巻き起こした男、イブ・モンタンです。そう、あの、シャンソンを代表するシンガー、イヴ・モンタンですね。

すでに有名な伝説ですが、1944年2月18日、彼は、パリのミュージック・ホールに出演したとき、テンガロン・ハットで格子柄のシャツという出で立ちで舞台に立ち、観客に向かって「ヘイ、ボーイズ!」と英語で呼びかけました。
ナチス・ドイツの睨みがきくパリで、よくもまあこんな大胆な行動に出られたもんですが、それこそが、このやんちゃなオッサンのすごいところです。
ちなみに若き日のイヴ・モンタンは、「ザズー」(ジャズかぶれ)と言われたそうですが、その後、庶民派、労働者階級のために歌うシンガーとして、さらに大きなステップを踏み出すことになるのです。そもそも、シャンソンというジャンルは、もともとが、そうした労働者階級のための大衆歌ですから。


次に、長崎を見てみます。
1945年8月9日は、歴史上、実戦で核兵器が使われた2度目の日です。投下時刻、午前11時2分。
1度目は、もちろんその3日前の8月6日、広島への原爆投下。投下時間は午前8時15分。
長崎では、当時、約24万の人口のうち、約14万8000人の人々が死傷したとされています。そして、昨年の8月9日の時点で、原爆死没者名簿に載った方々の総数は、13万7339人。

その長崎の被爆者のひとりに、永井隆という医学博士がいました。永井博士が被爆したのは、彼が在籍していた長崎医科大学ででした。奥さんは自宅で即死。博士も重傷を負いました。しかし自分自身の状態も省みず、博士は学生たちとともに救護活動に入ります。
敬虔なクリスチャンでもあった永井隆博士(長崎市名誉市民)の命を賭けた活動は、長崎から発信される「核兵器廃絶」「世界平和」の大きな起点ともなりました。

長崎原爆資料館のホームページには、永井博士について、次のように紹介しています。
「永井隆は、助教授をつとめる長崎医科大学附属医院で被爆した。自らも重い傷を負ったその直後から、負傷者の救護や原爆障害の研究に献身的に取り組んだ。やがて、彼の思いは医師としての役割から、長崎の町の文化の復興、そして平和の願いへと広がっていく。被爆以前から患っていた白血病が次第に悪化するが、病床についてからも、執筆活動を通してその実践を貫いた。被爆から6年の命だったが永井隆の足跡からは、平和への切実な祈りが聞こえてくる」

この永井博士が、重い病に苦しみながら書き上げ、1949(昭和24)年に出版したのが『長崎の鐘』でした。長崎の鐘とは、原爆によって廃墟と化した東洋一の大聖堂、浦上カトリック教会の天主堂にあった鐘のことです。
この本は瞬く間にベストセラーとなり、これをもとに、同49年、戦前からのスター・シンガーだった藤山一郎による『長崎の鐘』が発売され、これも大ヒット、翌50年には映画化もされました。

ヒット曲『長崎の鐘』を作詞したのは詩人のサトウハチロー。彼も戦争で3人の兄弟を、そして広島では原爆投下によって2つ年下の弟も亡くしています。サトウはこの詞の依頼に際して、神さまが書けと命じているんだ、という運命めいたものを感じたそうです。
平和を望む歌、戦争を憎む歌は、日本でも数多くつくられ、歌われてきましたが、『長崎の鐘』は、戦後最初の、日本の、平和を望む歌でしょうね、たぶん。
 

1945年、昭和20年というのは、世界でも日本でもいろんな意味で転換期の年になってるわけですが、同時に、ポピュラー・ソングもその潮流に飲み込まれているとしでもあるわけです。ま、歌は世に連れるので、あたりまえと言っちゃあたりまえなんですが。(そのわりには、その視点で見た考察が皆無に近い状態だというのはどういうこと?)

次は、日本以外のアジアに視線を移します。

テレサ・テンらで有名な『何日君再来』(ホーリー・チュン・チャイライ)と並ぶ東南アジアを代表する名曲『ブンガワン・ソロ』が、インドネシアで流行した年でもあります。

『何日君再来』(最初の流行は昭和15年=1938年ころ)も、のちの台湾&中国本土とのあいだの政治的な軋轢にもまれた名作だけれども、『ブンガワン・ソロ』もまた、も単なる流行歌ではなく、インドネシアの独立とともに歩んだ歌でした。

この歌が生まれたの1940年。
ソロ(現在のスラカルタ)に生まれたグサン・マルトハルトノによって作られました。題名はジャワ島最長のソロ河のことで、この河の流れを美しいメロディで歌い上げてるんですが、ここにはインドネシア独立への願いが込められており、オランダの植民地であった同国で広く口ずさまれたといわれます。

面白いのことに、地元の文化にさほどの興味を示さなかったオランダと違い、1942年、この地域(オランダ領東インド=現在のインドネシア)に侵攻してきた日本軍は、音楽を「割合に大切にした」(評論家・中村とうよう)そうです。この歌をつくったグサンも、インドネシアを巡回した日本兵の慰問団に加わっていたそうで、こういうことが縁となり、『ブンガワン・ソロ』は、藤山一郎、松田トシらによって日本語で録音されます。そしてついには、アジア諸国から取り入れられた歌としては、日本最大のヒットとなっていきました。残念ながら、レコードの出荷枚数が不明なので、どこまでのヒットだったのかは、オレにはわからんのですけれどもね。


中米・南米に目を向けると、ここは完全に戦争特需の時代ですね。
ブラジルやアルゼンチンでは、第2次大戦中、特需が起こり、その後押しで音楽も活況を呈したといわれています。

ブラジルでは、ショーロというエレガンスなシティ・ミュージックが完成されたのが、1940年代の半ば。ちなみに、ショーロは、サンバやボサノバの土台を成す重要な音楽です。

アルゼンチンでは、ブエノス・アイレスで生まれたタンゴが、「黄金の40年代」「タンゴが一番に幸せだった時代」と言われるまでに成長します。
第2次世界大戦中、ヨーロッパが戦場と化したために、両国から鉱山資源や食料がたくさん輸出されたことが背景にあります。
経済的な余裕が、音楽に発展を促したってわけです。
ブエノス・アイレスのような都市では、ダンスホールに毎晩、懐具合のいい人たちが大挙して詰めかけるようになり、ラジオでは連日、高名な楽団や歌手がたくさん登場して優れた音楽を披露しました。

フアン・ダリエンソ、アニバル・トロイロ、カルロス・ディ・サルリなどの新進のタンゴ楽団が登場してきたのもこのころ。
往年のタンゴブームを経験している日本のオジィやオバァは、このあたりの名前に懐かしさを覚えるんじゃないですかね。

おなじころ、アメリカでは、チャーリー・パーカーやディジ・ガレスピーらによる、ジャズのバップ革命が起こっていました。
その隣りでは、のちのソウル・ミュージックの母体となるブルーズや、リズム&ブルースが一大勢力となり、彼らを支える小さな独立系のレコード会社もたくさん生まれきます。今、どこもかしこもインディーズ云々と言っているそのルーツも、ここにあります。

アメリカの白人ボーカルの筆頭に名乗り出たのが、フランク・シナトラ。彼は、今ではどこでもあたりまえのようになっている、いわゆるソロ・シンガーという存在を確立した歴史的な人物です(その前の歌手とは、楽団のお付きや、ラジオだけで歌いかける、といったスタイルが普通なので)。

そしてキューバ。スパニッシュ・ラテンの牙城だったキューバでは、世紀のダンス音楽、マンボが生まれます。
マンボはキューバのハバナからニューヨークへ、メキシコへと伝播し、あっという間に日本にもやってくるのでした。マンボを世界的にした有名にした功労者としては、ペレス・プラード(あ~ウッ、の掛け声の人)、そしてザビア・クガートがいます。


ふう。結構中途半端にいろいろと書き殴ってしまいましたが、ま、今調べていることの中間報告ということで。
『本日の1枚』で、エラそーに音楽を紹介しているくせに、音楽ネタについての日記をまったく書いてないじゃないの、という声が出てくるまえにですね、それらしいことを書いておこうかなと、そういう姑息な意図が見え見えの日記です(笑)

2006年9月10日日曜日

ヤサカタクシーの四ッ葉のクローバー


京都にはヤサカタクシーっちゅーのがありまして、京都市内では最多台数を誇るタクシーであります。

シンボルマークは、三ッ葉のクローバー。
後部ドアや屋根に、三ッ葉のクローバーがあしらわれております。

ところがですな、ごくまれに、四ッ葉のクローバーが走ってるのですよ。
ヤサカタクシー保有台数1200台のうち、わずかに4台だけが、四ッ葉のクローバーを背負っている、と。
四ツ葉だから4台。

見たこともないし、噂でしか知らなかったんですけれどもね。

今日、朝っぱらから仕事で京都に行ってまして、その足で取材。
烏丸から吉祥院へ行くのに、カメラマンの荷物が多かったこともあって、じゃタクシーで行くべ!ということになって、烏丸通に出たら、なんと! 目のまえに四ッ葉のクローバーが停まってるじゃありませんか!!
しかも、乗客を降ろしているところ。

しかも、四方を確認すると、
通りの向こうから、道路を横切ってタクシーに向かおうとしているらしきオバハンを発見。
さらに、左手からダッシュして向かってくるカップル発見。

ダメダメ、オレが乗るの! オレが一番至近距離にいるの!
もうね、乗客が降りるのを目のまえで待ってましたから、オレ。

オバハンとカップルの悔しそうな顔ったら、ない☆

いやいや、こんなかたちで思いがけず乗ることが出来たとは!
なんか、すごく幸福な気分です☆

運転手さんが言ってましたが、もうね、見つけたらとりあえず飛び乗って、それから行き先を考えるってお客さんがわんさといるんだとか。
先ほど、争奪戦を体験したばっかりなので、さもありなんってかんじです。

降りるときに、乗車記念シールもらいました(笑)


ちなみに、バレンタインデーの前日と当日の2日間限定で、女性ドライバーが運転するラブ・クローバー号というのも走ってるらしいです。三ッ葉がピンクになってるんだとか。

あと、ゴールドの三ッ葉も走ってるらしい…。

オレはべつに限定品に弱いわけではないんですが、ひとつのものに手をつけるとコンプリートしたくなる習性がありまして、これはすべて乗ってみたくなってきましたぞ(笑)

2006年9月9日土曜日

風に吹かれて男前豆腐店よどこへ行く


男前豆腐店のホームページ、まえからちょっと気になってはいたんですが、昨日だか一昨日だか、mixiニュースに出てて、サイトのリンクも貼ってあったので、ポチッとしてしまいました。

ちなみに、URLはこちら。

いやいや、大笑いですな~。
まさか、こんなことになってたとはっ!

全編Flashなのがうざいですが、サイトからグッズからメインの豆腐まで、見事にビジュアル・マーチャンダイズが成功してますね。
しかし、ここまで徹底していたとは。。

かなり隅々までサイトをチェックしてしまいましたよ。

オープニングのムービーをスキップするボタンなんて「飛」ですからね。
ボタンを押すクリックのマークなんて「押忍」ですから。
ベタすぎるんだけれども、細部まできっちりとつくられていて、いいかんじです。
英語版のページも、「準備中」なんかじゃなくて、ちゃんとつくってありました。

テーマ曲ほか、いくつか曲を出してるみたいで、すべて試聴出来るんですが、どれもこれも、どっかで聴いたことのあるようなメロディばっかりで、パクリかたが露骨です(笑)

とにかくね、徹底してるんですけれども、、、、
(唯一、徹底出来てないのが、グッズの通販ページ。購入ボタンを押すと、サーバが用意してある買い物サイトに飛びます。ここまで凝るんなら、自前のCGIくらい用意してほしかったですな)


ただですな…、
ちょっと、あざとい。

まあ、つくるほうは楽しんでつくってると思いますし、クライアント(社長さんかな)も勇気を出してゴーサインを出したというよりも、ノリノリのイケイケでやってるんだと思うんですが、肝心の豆腐の味はどーなのだ、という点は、これはもう、バッサリと切り捨ててますね。一切、触れてない(笑)

その潔さには感服するし、豆腐を売るというよりもキャラクターを売るという手法で商売をされてる印象なんですけれども、キャラクターって、よほどの魅力がないと、長続きしないでしょ。

そこを考えるとですな、この手法で当面行って、次の展開はどうするんだろか、って思ってしまいますね。

このサイトを見ていると、中島らもさんがやってたカネテツ新聞が即座に思い出されるんですが、カネテツはすでにブランドイメージが確立してたからこそ、らもさんが遊ぶ余地もあったわけで。
それを考えると、男前豆腐はどうなんでしょうね。

肝心の味がね。
スーパー・百貨店レベルだと上位ランクなんでしょうが、少なくとも、オレが毎日買ってる天満市場のオバァがつくる豆腐屋さんの足元にも及んでないですし。

こないだ、不法投棄で摘発されてましたよね、この会社。
ぼちぼち信用をつける方向に向かわないと、キャラクター一本槍だと手詰まりが出てくるはずです。
ただ、前人未到の荒野の道を行っているのはたしかなので、その意味でも、次の展開が非常に楽しみです。

あ、リンク集も、結構面白いです♪


ちなみに、テーマソングの『なんだかもう物凄く』はじゃがたらの『みちくさ』のイントロをパクってますな。

2006年9月8日金曜日

ミスター・ソウルキャブ


深夜の堺市界隈を、アフロヘアでブリブリのソウル・ミュージックをかけながら流す個人タクシーがある…。
というような話を聞きつけたのが、5月半ばのとある飲み屋さんでした。

ソウル好きのオレとしては乗りたいじゃないですか♪

ので、件の話の主を頼って何度かコンタクトをとろうと試みた結果、昨日、やーっとアポがとれましたよ。
一応、仕事にして、取材の体裁はとってるんだけれども、完全に趣味ですな、オレの。

待ち合わせの大阪・ミナミのソウルバーに現れた男性は50歳くらいです。
アフロヘアで…、あれ、違う? 髪は、長いけれども、ポニーテイルです。

「アフロにしたことはないですよ(笑) それはデマですね」

そうなのですか。
彼の名前は、通称「OTIS」。数百人はいる黒人の友だちにも「OTIS」の名で呼ばれている彼こそが、ミスター・ソウル・キャブ☆

「まあ、僕はとにかくソウルが好きでね。特にオーティス・レディングが好きなんだけれども、車内にはソウルにかぎらず、ファンク、ラップ、ブルーズ、レゲエ、ジャズなど、黒い音楽を用意してますよ。お客さんが乗ってきたらそれを流してあげて、気持ちいい音楽を聴きながらリラックスして家まで送れたらいいな、と。そういうものなんです」

う~ん。素晴らしい。ソウル・ミュージック好きが高じて、自分のお商売にソウル・ミュージックを持ち込んだ人といえば、道頓堀の焼肉屋の『セックス・マシーン』が思い浮かびますが、あそこもジェームス・ブラウン好きが高じて、店名、店内、ジェームス・ブラウン一色。でも、今は代替わりしちゃったしなぁ。

「でも、みなさんがソウル好きってわけでもないですから、やっぱり相手を見ながら曲を選んであげるんですよ。若いコなら、アイズレー・ブラザーズみたいな軽いかんじのやつとか。カップルだと、メチャ甘のスウィートなやつとかをね」

ははは。運転しながらDJまでやっちゃってるかんじですね。
ちなみに、車のなかでソウル・ミュージックを流しっぱなしにして、ぼちぼち15年くらいになるそうです。
堺が根城ですからオレは気づかなかったけれども、大阪市内なら、絶対にオレのアンテナに引っかかってたでしょうね。

市内から北は走ってくれないんでしょうか?

「いや、そんなことないですよ。どこでも行きますよ。ただ、やっぱり、堺で流してることがほとんどだから、大和川から上はあんまり行かないですけれどもね」

こんなタクシーだと、お客さんとのあいだで、面白いエピソードなんてゴロゴロあるんじゃないですか?

「オレ、意地悪だからさ。お客さんが乗ってきて、オレもオーティスが好きでさぁなんて言ってると、黙って話を聞いてるのね。それで、ひととおり話が終わったあとに、すげえディープなやつとかをかけちゃうわけ。知ったふうなことを言うお客さんには、そういうことしちゃうときもあるね。逆に、真面目にソウルを歌ってるなんていう若いコには、これも聴いたらいいんじゃない?ってアドバイスすることもあるよ」

まさにソウル伝道師です。
このミスター・ソウル・キャブ、最初は敬語で話してたんですが、だんだん地金が出てきたというか、結構、口調がぞんざいになってきて、いいかんじです☆ 根が、不良なんですよね。ちょい悪とかじゃなくて、普通に、不良(笑) 大好きです、そーゆー人。

だいたい、ここまでソウル好きだと、黒人になりたいと思うものです。
オレの知り合いにも、なんでオレを黒人に生んでくれなかったんだ!と、泣きついた連中がわんさといますから(笑)

「そりゃ、あるさ。というより、なんでオレが黒人に生まれてこなかったのか、わからん。今でも、なれるものならなりたいね、黒人に」

この人、きっと死ぬまでソウル・キャブやってるでしょうね♪

取材の帰り、大阪・ミナミから天満までOTISさんのソウル・キャブで送ってもらいました。堺とは真逆の方向だったので、心苦しかったのだけれども。でも、賃走だし。

車内にしっかり組まれたサウンド・システムのドープな低音で、ディープソウルを聴きながら走る大阪市内は…、悪くないです☆

途中、OTISさんの携帯が鳴りました。運転中にもかかわらず、携帯に出るOTISさん。
「ああ、仕事終わったの? じゃ、家に来いよ。迎えにいくからさ~」

OTISさん、今のは?

「ああ、彼女。オレ、今でもメチャメチャ遊んでるからね。彼女っていっても、たくさんいるんだけれどもさ、ハッハッハ」

さあすが、ファンキー・ソウル・キャブ☆ 不良だ!


otis redding / My Girl

2006年9月7日木曜日

「ん〜、場面」(ダルそうに言うのがポイント)


電車のなかで、女子高生が交わしていた会話。

「昼ゴハン、どーする?」
「ん~、場面」

「今日、断りの電話入れんとあかんねんやろ。どーする?」
「ん~、場面」

「なあなあ、土曜の夜、どーすんの?」
「ん~、場面」

場面って!(笑)
なにやら、また新語が生まれてるようです。。。
そんときになったら考える、みたいな意味ですかね?
観察していたところ、ダルそうに言うのがポイントみたいです(笑)

オレも使ってみようかな。

「明日、締切ですよ~。このデータ、どーするんですか?」
「ん~、場面」

「明日のミーティング、出るんですか?」
「ん~、場面」

なかなか、便利かもしれません(笑)

2006年9月6日水曜日

今週の献立


こないだつくった鶏挽肉+いろいろのバジル炒めが思いのほか美味かったので、もっかいつくってみました。キヌアも余ってることだし。。

今回はちゃんと、というか初めて写真を撮ったのですが、なんだかボケボケの写真でちっとも美味そうに見えません(笑)
でも、美味いのよ☆

今日はですね、今週末までの食材を全部買っちゃいました。
どうやら野菜が食べたい週なので、野菜をごっそり。

水曜
●万願寺唐辛子の甘辛炒め。
フライパンに万願寺唐辛子を放り込んで、砂糖をごっそりぶっかけて、そのまま炒ります。万願寺唐辛子がしなってきたら、しょうゆをかけまわして火を止める。そんだけ。

木曜
●ピーマンの挽肉詰め
ピーマンを縦に半分に切って、合挽+たまねぎのみじん切り+塩コショウ+卵+パン粉を混ぜたのを詰めて、フライパンで焼く。そんだけ。ウスターソースとケチャップを混ぜたのをかけて食べます。

金曜
●夏野菜の炒めもの、お酢ぶっかけ
ピーマン、パプリカ、なすび、ズッキーニを乱切りにして、フライパンで炒めます。火が通ったら、お酢+塩コショウをぶっかける。そんだけ。これ、暑い夏の盛りに食べるとメチャクチャ美味いですよ。

土曜
●ロールキャベツ
合挽とキャベツでロールキャベツつくって、コンソメ+ホールトマト+牛乳+モッツァレラ+塩コショウのスープでぐつぐつ煮込む。そんだけ。

日曜
●フォー
普通だったら、鶏の挽肉+バジルを乗せて…ってかんじなんですが、たぶん、揚子江ラーメンに行って、排骨買ってきて、それを乗せて食べる予定。そっちのほうが好きなんだもん☆


あとは、気の向くままに、冷や奴買ってきたり、刺身盛り買ってきたり、おひたしやら酢の物やらつくったり…、ってかんじです。
まあ、でも、仕事がずれ込んで、つくれない日も出てくるだろうから、果たしてどうなることやら…(笑)

2006年9月5日火曜日

どーしてデザインはタダ扱いなのですか?

しばらくなかったんですけれどもね、最近、またですよ。。。。

結婚式のハガキ、引越しましたのハガキ…、印刷代は払うからタダでデザインして…。
名刺のデザイン、空いてる時間でいいから、ちょこちょこっとタダでやってくんない?

や・ら・な・いっつーの!

結婚式の二次会するから、おまえんところの店貸して、料理も出して、原価だけ払うから、とは言わないでしょ?
赤帽さん(あれは個人事業主です)に、引越するから荷物運んで、ガソリン代は払うから、とは言わないでしょ?

なんで、デザインだけは、タダでやってくれって話になるのですか?

オレね、それでメシを食ってるんですよ。。。。
たしかにね、あなたとは友だち付き合いをしてきました。だから、貸しも借りもあります。持ちつ持たれつです。お互いさまです。でもね、だからって、なんでタダで、オレが本業の仕事をしなくちゃならんのよ!
しかも、オレは、自分の時間を会社に売って金に換えてる社員さんじゃないから、あなたの仕事をタダでやってる時間、ゼニを稼ぐチャンスを逸しているわけですよ。。。

オレは引越屋さんじゃないから、あなたが引越をするときに手伝ってくれと言われたら、喜んで手伝いますよ。もちろん、それでおカネをもらおうなんて、これっぽっちも思ってないですよ。
でも、オレは、引越屋さんじゃなくて、印刷物を製作する人。そのオレに、本業の仕事を、なぜ、タダで頼もうとする?

友だちならね、友だちだからこそね、カネを払おうとするもんだと思うんですけれどもね。

どーもね、原価がかかってないと思ってるみたいです。
デザインやら原稿書きやら、軽く見られてますよ。
その技術を習得するのに、どれほどの時間的物理的コストを費やしてることか。
どれほどの情熱と意思と努力を積み重ねてきていることか。

引越祝い? 結婚祝い? それは、あなたから請求するもんじゃないでしょ。

という話がね、延々と、クリエイター&デザイナーというコミュで盛り上がってるんですが、これ、すべてのクリエイター&デザイナーが一度は体験していることです。

オレも、散々体験してきたし、今また、そのようなオファーが来てしまいました(笑)

大阪は特にひどいですね。

カネはないけれども、プロに頼んでカッコいいものをつくってもらいたい?
ははは。カネがないなら、普通は諦めます。
カネがないなら、松の弁当は買わんでしょ。梅にするでしょ。それもダメなら、自分で弁当つくるでしょ。
どーして、デザインだけは、カネはないけれども、って理屈が通る?



こーゆー問題に積極的に取り組んできた人といえば、真っ先に、フランク・ザッパが思い浮かびます。
海賊盤が出りゃ、そっくりのもので録音クオリティがはるかに高いものを、公式盤として発表してました。
著作権法の改正でアメリカ政府を何度も何度も攻撃してましたね。
彼の素敵なところは、戦争反対がどーたらとか、自分には直接関係ないことで闘いを挑むようなキレイごとをしなかったところ。著作権法という、まさに自分に直接かかわるところで、ケンカをした人です。

2006年9月4日月曜日

鶏挽肉のバジル炒めをつくってみました


キヌアという穀物がありましてですね、まあ、ヒエ・アワの類いなんですが、南米はペルーのアンデス高地で食べられている食品です。アレルギーにいいということで、最近は日本にいくらか輸入もされてますけれどもね。

オレ、20年近くまえに、こいつの輸入を考え、実際に1度はペルーから入荷したんですが、ほとんど商売になりませんでした(笑) これはかなり苦い思い出ですな(笑)

そんなキヌアも、最近、とんと見ることもなかったんですが、ペルーに遊びに行っていた知り合いが帰ってきて、お土産にいただきました。

といっても、美味くないんで、どーしたものかと(笑)

そーいや、タイでもキヌアは食べるしなあ、なんてことを考えていて、挽肉を使って、キヌアと白米を半分半分にして、混ぜゴハンにすることにしたのでした。

タイで散々食べたことあるし。。。

これ、キーになるのは、バジルです。

用意するのは、鶏の挽肉。
野菜は炒めものに向くものであればなんでもいいんですが、ここはちゃんとつくることにしたので、赤ピーマン、ピーマン、ズッキーニ、セロリ。。。タイで食べたのを思い出しながらなので、あやふや極まりないんですが、たしか、そんなかんじです。

ちなみに、料理の名前をまったく覚えていないので、レシピを調べようにも、検索のしようがありません(笑)
なので、舌の記憶だけが頼り。。。

えーっと、
1)フライパンに油を引いて、ニンニクのみじん切り、タマネギのみじん切り、鶏の挽肉を炒めます。
2)赤ピーマン、ピーマン、ズッキーニ、セロリをみじん切りにして、炒めます。
3)味付けは、オイスターソース、ナンプラー、チリソース、醤油、砂糖、コショウですかね。あ、量は適宜(笑)
4)最後に、バジルを手でちぎって、さっと炒めます。
5)そうそう、白米とキヌアを半分半分の割合で炊きます。水加減は、白米のみのときと同じ要領で。
6)ご飯をプレートによそって、鶏の挽肉炒めを横によそって、あと、タイ料理なので、それっぽく、目玉焼きを添えたりなんかして、出来上がり☆

うん、上手いこと出来ました☆
なかなか美味いっ! やっぱ、バジルがいいアクセントになってますな。
でも、これ、なにもわざわざキヌアを炊かんでも、白米だけで全然オッケーのような気もします(笑)

今回こそ、写真を撮って日記にアップしようと思っていたのですが、気がついたのは、食べ終わって、この日記を書いている、まさに今(笑) しゃーないから、必死になってネットで画像探しましたよ。なんせ、料理名がわからんので、大変でした。。。

んで、見つけたのが、左の写真。
それを載せてるんだから、ほとんど反則ですな(笑)
でも、これが一番近いかんじです。。。

2006年9月2日土曜日

相方さんの趣味…、だそうです


今日は月初。昨日、月末を無事乗り越えてヘロヘロになっているオレはですな、本日は基本的にお休みです。といっても、夜に1件だけ打ち合わせが入ってしまいましたが…。

ま、そんなわけなので、夕方、相方さんと会って、ノホホンとしてたわけですよ。

んで、今日は、わりかし涼しかったじゃないですか。ぼちぼち、夜も涼しくなってきていて、全裸では寝てられないような気温になってきましたが、今日は夕方も涼しかった。
なので、久方ぶりに、鴨川の川べりで夕涼みしてました。昼寝ならぬ、夕寝ですな(笑)

相方さんに膝枕してもらいながら仰向けに寝てたわけですが、相方さん、最近はオレの鼻ばっかりいじってます。。。。
それもかなり真剣な眼差しで。。細い目をさらに糸のようにして、眉間にしわ寄せて。。。。

あのね、オレの鼻をつまんでは、白いのをニョ~っと出して、遊んでるんですよ。
鼻のてっぺんから、小鼻の付け根まで。。。
なにがどんなふうに出てなにが楽しいのかオレにはさっぱりわかりませんが、かなり真剣な眼差しで熱中してます(笑)

オレの鼻を、トコロテンかなにかと完全に間違えてますな(笑)

黙っとき! これはなあ、ウチの趣味やねん!

ですと(笑)
どんな趣味やねん!(笑)



ところで今、はっぴいえんどのトリビュート盤を聴いてます。

昨日、マイミクさんのシチロさんが、はっぴいえんどのトリビュート盤について書かれてました。
オレ、あの盤に入っている、つじあやのちゃんが歌う『暗闇坂むささび変化』が大好きなんですよね。この盤には入ってないけれども彼女がカバーした『モモンガ』も大好き。はっぴいえんどのオリジナルだと『はいからはくち』とか『さよならアメリカ さよならニッポン』とかが好きですけれども。

ああ、はっぴいえんどを聴いてたら、なぜか、phew、山本精一あたりが聴きたくなってきた。
明日は、そっち方面を聴き倒すことにします。


こっちははっぴいえんどじゃないけれども、ティン・パン・アレイの奇跡のライブ映像が見つかったので。
あの、天才・吉田美奈子が信じられないくらい初々しいです☆

2006年9月1日金曜日

ミックスジュース


今日、とあるマイミクさんの日記につけたコメントと被るんですが…。


家の近くのいつも行きつけの喫茶店がありまして。。。

朝、モーニングを食べにいって(これがまた質実なサンドイッチの素敵なモーニングなのですよ)、ダッシュで自宅に戻ってトイレに駆け込むのは大昔に書きました。

で、多いときだと、昼ゴハンのあとの食後の1杯、夕方にもう1杯…。下手すると日に3度行ってるときもあるくらいで。

オレ、来る日も来る日も、ホットコーヒーですわ。
雨が降ろうが槍が降ろうが冥王星が惑星じゃなくなろうが阪神タイガースが負けようが、来る日も来る日も、ホットコーヒー。
昨日もホットコーヒーだし、さっきも、きっと明日も、ホットコーヒー。

かれこれ3年くらいは通ってますから、365日×3年×1日に2回と計算して、2190杯。それくらいは、ここでホットコーヒーを飲んでることになります。

そんなわけで、席に座ると、お冷やを持ってくると同時にホットコーヒーが出てくるようなかんじでして。

ところが、です。
こないだ、初めてミックスジュースを注文しました。

ソフトボール大の丸いグラスに、なみなみと注がれたミックスジュースがあるんですよね、この店には。
同伴者が注文したときに少し飲ませてもらったことがあるんですが、かなりレベルが高いです。
そして、それだけでお腹がふくれるくらい、太っ腹な量です。

どーゆー風が吹いたのかはわからんのですが、なんとなく飲みたくなって、注文したんですよ。
そしたらさ…、

「えっ? ミックスジュースですか?」
ほい、それでお願いします。

聞き返されてるオレ(笑)

それからしばらくして、厨房からべつの店員さんが出てきて、
「あの、ミックスジュースって聞いてるんですけど、いいですか?」
ほい、いいです。それでお願い。

確認までされてるオレ(笑)

なんかしらんが、ミックスジュース飲むのって、ハードルが高いのか?(笑)
これでメロンジュースなんか頼んだ日には…。