2007年2月28日水曜日

確定申告


ぼちぼち確定申告の書類を揃えていかんと、税理士に怒られます。。
といって、あんまりやる気が出んのですね。
毎年、わりとチャッチャとやるほうなんですが、なんで今年は…、と考えていたら、仕事の幅を広げたので、カバーせなあかん範囲が広がっていて、それで例年になく面倒くさいことになってるということですわ。

出張行って、ホテルに泊まって、ホテルからFAX送ったとしますやん。
そしたら、ホテルの宿泊費は交通費に入れるけれども、FAX送信代は通信費。でも、領収証は合算でもらってるうえに明細がちゃーんと載ってるから分離させんとあかんし…。どないせえというんですか、こんなもん。
まあ、こんな細かいのが1個2個なら適当にすればいいんですが、無数にありましてな、適当にやってると税務署で突っ込まれるだけやし。。

しかも、今年から定額減税廃止でしょ。
ってことは、定額減税分の控除対象経費をなんとしてでも乗っけてですな、1円でも税金持っていかれるのを減らさんと、やってられまへんがな。

そのうえで、銀行対策もあるから、赤字にして税金を1円も払わんようにするわけにもいかず…。いろいろと細かい調整をせんとなりません。

ああ、面倒くさいっ!


さて、ウチの相方さん。
昨年秋口あたりからカフェ×ニット教室を記事で宣伝してもらうべく、あっちこっちの雑誌社の編集部に営業行っていたのが実りましてな、掲載誌5誌目にしてブレイクですよ。今月中旬、ドッカーンと反応があったみたいです。
で、今週月曜のカフェ×ニット教室は、満員御礼の大盛況。しかも、オリジナル毛糸も売れまくって、ホクホクやったそうです。
なっ、オレが言うことをちゃんとやってたら、結果が出るんですわ☆(笑)

で、
粗利で○○円儲かった~、と、鼻の穴をおっぴろげて、オレに電話してきたんですけどね。
そこで、オレ。
粗利って、意味わかってるんか?
相方さん。
…。…。
オレ。
知らんのか? 知らんと使ってる言葉なんか?
相方さん。
…。…。粗い利益や。粗く言うと、そんなところや。
オレ。
…。…。
やっぱりなんもわかっていないことが判明しました(笑)
ここでは「粗利」と書いてますが、相方さんの頭のなかでは、きっと、「荒利」になってると思うんですけどね(笑)
これで商学部を卒業してるんやから、今どきの商学部というのは、なにを教えているんでしょうか?
商学部を出たからといって、連結決算してるグループ企業の財務指標を読み解けとは言いませんが(本当は言いたいです…)、粗利くらい知っとけよ!と、思うんですけどね。

まあ、それでも、なんで相方さんが「粗利」なんちゅう言葉を使うようになったかというと、オレが、ちゃんと帳簿をつけなさい!と、口を酸っぱくして言ってきたからです。
それまでね、小遣い帳すらまともにつけてなかったんですよ。
だから、毛糸買って服つくっても、どんだけの費用がかかってどんだけ儲けてるんかも全然わかってないし、教室にしてもしかりです。
これでは、今、自分がやってる商売が、どれほどの規模のもんで、どこに問題があって、どこにカネをかけたり削ったりしたらいいのかが、まったくわからんやないですか。
闇雲すぎるんですね。
現状が把握出来てないから、現在位置もわからんし、どこへ進んでいいのかも、目指す先までの距離がどれくらいなのかも、なーんもわからんのですわ。
で、帳簿をつけなさい、と。
数字はね、いろんなことを教えてくれるんです。
毛糸売ったり、服をつくって売ったり、教室で教えたりと、事業別に見たら、3事業くらいを同時進行してるんやから、事業別に分けて、仕入れの経費と売り上げと、毎月の固定経費くらいはちゃんと出して把握しなさい、と。そうせんと、四半期も長期も、目標が立たんやないですか。
じつはそんときに、粗利と純利益と、それぞれどうやって計算するか、ちゃんと教えたんですけどね(笑)仕入台帳と売上台帳と勘定元帳のつけかたも、それなりに教えたんですけどね。でも、すっかり忘れてるみたいです。そもそも、商学部出の学士さんに、なんで大学ドロップアウトのオレが教えなあかんのですか(笑)

ほいで、今年度から、ちゃんと確定申告しなさい、と。役所に開業届もちゃんと出して、税務もちゃんとやりなさい、と、言ってきたんですわ。

税金を払うとね、見えてくることがたくさんありますから。
確定申告してね、自分の財布のなかから税金を支払うのとね、月給から知らんうちに天引きされるのとではね、身の切られかたが違うというか、痛みが違うんですね。
自分の財布のなかから身銭を切って税金を払うようになると、ちゃんと使えよ!と、国に言いたくなるし、ちゃんと仕事しろよ!と、政治家にも公務員にも言いたくなるもんですわ。
社会意識を持つということは、そういうところからはじまるんです。
自分が身銭を切って払ったカネが無駄にされたらたまらんわ!という怒りは、社会に目を向けさせるし、そのぶん、視野も広がって、まわりまわって、自分の生み出す作品に反映されるんです。

生意気にね、いつまでも着てもらいたい服を!とか言うんですけど、なんでいつまでも着てもらわなあかんのか、ということを、社会、環境、文化を踏まえて説明出来ないから、言ってることが、ただの雰囲気で、ただのエエカッコなんですよ。

そういうことが出来ないうちは、まだまだ半人前の鼻タレ小僧です。
ましてや、実家に住んで、家もメシも親御さん丸抱えの身ですからね。
そういうことをきちんとやって初めて、周りの人も、この人はちゃんと仕事をしている社会人や、と、認めてくれるんです。それをせんうちは、フリーター、ニートと同等の扱いですわ。本人がいくら、そうじゃない、服つくって売ってる!と叫んだところで、周りは、それは遊びとしか見ませんから。そんなん、社会の一員じゃないですから。

申告のやりかたがわからんかったら、お父さんに聞けばいいんです。相方さんのお父さんはご商売されてますから、申告のベテランですわ。それでなくても、娘がそういうことを聞いてきたら、飛び上がって喜んで教えてくれますわ。もう要らん!ってくらいに、教えてくれるはずですわ。
そういう喜ばせかたも、知らんというか出来ないというか、素直じゃない問題児さんもであるんですがね、ウチの相方さんは。

ということを、この1年ばかり口を酸っぱくして言ってきたんですが、きっとまだ、確定申告の用紙すら取り寄せてないと思います。
といっても、オレもまだ今年は申告してないので、自分の申告が終わってから、きっちりと詰めてやろうと思ってます(笑)



今日は、カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルのコラボ、聴いてます。
背筋が凍るほど素晴らしいです☆


Caetano Veloso & Gilberto Gil / HAITI

2007年2月27日火曜日

シングルベッド


毎週金曜深夜は『特命係長 只野仁』を観てます(笑) まあ、HDDに落として、時間が空いたときに観るんだけど。。漫画は読んでたし、ふとしたときにテレビで観て、それ以来、惰性で。。。

最初の頃は、エンディングがどっかのおねーちゃんが歌うブルハの『ラブレター』やったんですわ。これはもう、名曲中の名曲だし、歌そのものに力があるから、誰が歌ったって、それなりに聞けるんですよね。で、オレも思い出したように、チャリに乗ってるときなんかに歌ってました(笑)

で、今。
シャ乱Qの『シングルベッド』を、これまたどっかのおねーちゃんバンドがカバーしてるのがエンディングになってて。

この歌、嫌いなんですよね。ベタベタの演歌チックで、大嫌い。そもそも、シャ乱Q(キータイプするのが邪魔くさい名前やな…)自体が、嫌いです。嫌いというよりも、まったくどうでもいい存在なんですが。
ただね、その嫌いな歌を、この歌が流行っていた当時、カラオケで散々歌わされてたんですわ。いや、そんときのおねーちゃんのリクエストがすごくて(笑) もう、10年近くまえの話ですけど。

でも、カラオケで歌ってると、案外と気持ちいいんですよね、これが(笑)
やっぱ、歌そのものに力があるんでしょうな…。

ほいで、だ。
今、『特命係長 只野仁』を観ていて、エンディングでこの曲が流れると、イヤ~な気持ちになるんですがもテレビと一緒に歌ってるオレもいてましてですな(笑) 困ったもんです(笑)

ネットで調べてみたら、昨日今日デビューしたらしきバッタもんっぽいガールズバンドの、EU・PHORIAっちゅーのが歌ってました。
せっかくのドラマ・タイアップですが、売れんでしょうな(笑)

2007年2月26日月曜日

天神さんの梅



昨日、大阪の天満宮、天神さんの梅を見てきました。
本当は京都の北野天満宮にでも遠征しようかなと思ってたんですが、寒いので、あえなく断念。チャリで5分の大阪天満宮へ。

行きつけの喫茶店で聞いたら、鉢植えの梅の盆栽が本殿に展示してあるんだとか。
大阪天満宮の梅は毎年見てるけれども、盆栽は見たことがなくて、ということは毎年時期を外していたということかと思いながら、チャリを走らせていたわけです。

んで、境内に到着。
チャリを止めて、中に入って、本殿に行ってみるとですな…。

なんじゃこら!ってくらいにデカい盆栽。
盆栽のくせに、オレの背丈よりデカいです(笑)

この日記の上にある画像をクリックしてくらはい。本殿の壇上に、でーんと紅白の梅が鎮座してるのがおわかりかと思います。
こんなもん、もはや盆栽じゃありません(笑)

左側の紅梅が、あけぼの。右側の白梅が、唐衣と命名されてます。
あけぼのが樹齢約180年で、唐衣は樹齢280年ですと。
こないだ下鴨神社で見た光琳の梅とはまったく趣が違って、こちらは華やかというよりも威厳に満ちています。
それにしても、浅くしか根の張っていない鉢植えの梅で、しかもこのサイズで、よくもまあ長生きしたもんですな。オレは盆栽のことはなんも知りませんが、ここまで生かすのには、それなりに丹念な手入れが必要でしょうに。

なんかね、射抜かれた気分でしたよ。
どんな梅もそうだけれども、樹肌にね、修羅場をくぐり抜けてきたような逞しさを感じますね。
枝もね、よくもまあここまでというほどに、あらゆる方向に伸びていきます。それが、わがまま放題に伸びたというよりも、その方向に伸びざるを得なかった逞しさのようなものをね、梅からは感じるんです。

自然のしぶとさ、荒々しさのようなものを、梅からは感じるんですね。

オレは、あっさりしているようで、意外としぶといです(笑)

しかし、今年は単体の梅ばっかりで、梅園には全然行ってないな。

2007年2月25日日曜日

ホルモン・焼肉『河童』へ行く


金曜の夜、マイミクさんの寧楊さんと相方さんとオレとの3人で、焼肉を食べに行ったのでした。
でも、オレは、自分から進んで焼肉を食べにいく習慣がないので、手持ちの店がそれほどありません。なので、寧楊さんのお手持ちの店へ。いや、もともとが、寧楊さんが、肉!肉!と、飢えたオオカミのように連呼して数週間、やっと実現した肉会なのでした(笑)

寧楊さんもお初のお店でして、さてさてどんなお店ですかいな…。
でも、顔の広い寧楊さんのうえに、ご自身でも週1カフェをされてる寧楊さんのこと(ついでにグルメレポも!)、下手なお店に連れていくこともあるまい、ってもんです。

場所は、お初天神。
オレは焼肉屋の手持ちは少ないですが、自慢じゃないですが、どれもレベルが高いんです。粒ぞろいのお店ばっかりを手のなかのカードに持ってるんです。
と、前置きを書く元気もなくなるほど、すんばらし~お店でした☆

こんなかんじなんですが、店内写真は画像処理のマジックで、キレイすぎます(笑) こんなにキレイじゃない(笑)

お店のドアを開けた瞬間、狭い店内にすんごい人がギュウギュウで、店の人がところ狭しと走りまわっていて、もうね、それだけで、ああアタリ!絶対に美味い☆って確信が持てるお店。
ちなみに、北島三郎の『与作』が流れていたのは、オレ的には、ポイント高いです(笑)

お店に入った瞬間、全席満員御礼で、え~ダメなのか?って思った瞬間、全然オッケーです!と、お多福さんみたいなママさんが。どっかから椅子を持ってきて、カウンターに置いて、んで、カウンターの人は少しずつ詰める、と。はい、そういうお店なんです。

どーやら、ホルモンが美味いとのこと。

生センマイ好きのオレと相方さんは、当然、まずそっから注文するんですが、これ、ほとんど酢の物になってました。こんな処理の仕方した生センマイって食べたことないですが、激ウマ! なんのクセもなくなっていて、食べられない人でも全然食べられると思いますわ。
生キモ、生タンも、ちょっとヤバかったな。

ほいで、名物らしきホルモンなんですが、これがね、焼きかたからちゃんと教えてくれるんですわ。
ほら、お好み焼きなんかでも、焼きかたを指導してくれるお店ってあるじゃないですか。でも、そういうお店って、えらそうなところが多いです。そんな焼きかたじゃダメだ!とか(笑) ここはね、そういうのが一切なかったですわ。ちゃーんと、普通に、美味しい焼きかたを教えてくれます。
おかきを焼くみたいに、しょっちゅう裏返して、お店の壁の色(飴色)になるまで焼いてください!と(笑)
で、コンロの火は端っこにしかないから、端っこの肉と真ん中の肉を入れ替えて…、ほんとに、おかきを焼くみたいに。
10分くらいかけて弱火でじっくり焼くんですけどね。おかげで、普通のホルモンと違って、最終的にカリカリになります。それが、このお店の食べかた。これがね、これまた美味いんですよ。漬け込んである味噌ダレがまろやかで、しかもどれだけ漬け込んであるのか知らないけれども、これまたまったくクセがないし、ホルモン特有の臭みが、カケラもありません。ちょっと、タダモノではない逸品でしたね。

そうそう、最初に注文を聞いたら、食べる順番を考えてくれて、ベストの順番で出してくれます。塩タンが最後、って順番だったんですが、最後をさっぱり系で〆るというのは、悪くないコースですよ。

バラ、ハラミ、カルピ…。デカくてですな、ほとんどステーキ! 
ハラミなんて、もう☆

3人でガツガツ食べてましたね。

んで、焼いたり食べたりしている最中も、店のオヤジは、肉をさばき(目のまえで50cmはあろうかという牛タンのかたまりを削いでました。ホルモンに編目入れるのなんて、もう、手元すら見てない!)、カウンター各席のコンロのチェックに余念なし! ちょこちょこね、コンロの火を調節してくれるし、もう少し焼いてください!だの、もうオッケーです!だの、ほんと目配せが行き届いていて、とーっても素晴らしい職人仕事をされてました。

そうそう、カルピにしてもホルモンにしても、肉はもとより、漬け込んであるタレが絶品なんですが、サイトで少し調べてみたら、ちょっとビックリするような事実が。
この店のオヤジさん、なんと、フランス料理出身だそうです。
いや、そんなふうにはまったく見えなくて、どっからみても焼肉屋のオヤジさんなんですけど(笑) でも、内臓系の生ものの和えかただとか、漬けタレなんかは、なるほどな、と思わせるほどに手の込んだ仕事をしているので、そういうことか、と、ついさっき納得したところです。

お腹いっぱいで注文しなかったけれども、テールスープなんて、見てるだけで、フランス料理でしたよ。巨大なテールに、丸ごとのジャガイモが。。ほとんど、ポトフです。これだけでメシが何杯食えるのか!ってほどで。

グルメピア焼肉部門日本一だったり、魔法のレストランだったりと、メディアでも取り上げられてるみたいなんですが、そういうところとは縁遠いかんじで、口コミで広がっていくようなお店です。実際、ビルの地下にあるから、イチゲンなんて来ないし、年齢層も高いっす。オッサンとオヤジギャルばっかですな。

オレのマイミク、グルメ部のかずさん、ぜひ、レポ書いてください☆

キン肉マンの色紙が飾ってあったのが笑えましたが、お茶の先生の色紙も飾ってありまして、そこに書かれていたのは、こんなの。

春夏冬
大坂城

さてさて、上段の文句は有名ですが、下段の文句は、オレ、知りませんでした。物知り寧楊さんもご存知なく…。で、食べてるあいだ、ずーっと考えてたんですが、わからずに降参。お店の人に聞きました。
答えを見るまえに、考えてみてくだされ。

その心は…、







春夏冬→秋がない→商い
大阪城→ダイ・ハン・ジョウ→大繁盛

でした(笑)

2007年2月24日土曜日

魂とは、肉体を拒絶するなにかである

このニュースが胸に突き刺さっていて、しばらく頭から離れません。

2月6日午後7時30分ごろ、宮本巡査部長は、39歳の女性を助けようとして東武東上線池袋駅初小川町行きの急行電車にはねられました。女性は、自殺を図っていました。
7時ごろ、ときわ台駅近くの踏切から線路内に入った女性を見た通行人が、常盤台交番へ通報しました。死んだっていい!と大声を上げて抵抗する女性を、宮本巡査部長は線路から引っぱり出し、20mほど離れた交番へ連れていって説得していました。しかし、女性は、彼の制止を振り切って、交番を飛び出し、再び線路へと向かってしまったのでした。
遮断機が下り、警報機が鳴るなか、宮本巡査部長は、女性を線路の外へ引っぱり出そうとしたけれども、上手くいかない。電車は迫る。
彼は、電車に向かって手を激しく振りながら、止まってくれ!止まってくれ!と、大声で叫んだのでした。

李秀賢さんと、おなじです。
もう、5、6年ほどまえになるんでしょうか、新大久保駅で酔っぱらって線路に落ちた男性を救おうとして、電車に向かって立ちはだかり、両手をあげて、止まれ!と制したのでした。

万にひとつの可能性も、あったでしょうか?

踏切には障害物を報せるセンサーがあり、ホームには押しボタン式の非常通報装置が、数ヶ所設置されています。
しかし、2人の位置は、センサーから外れていました。警報装置は踏切の場所からは離れていて、咄嗟に気づけるようなものではないとのことです。

電車が、時速60kmで迫ってきます。
ところが、宮本巡査部長は、最後まで諦めなかった。せめて女性をホーム下の空間へ押し込もうとしました。

腰と両足首の骨を折る重症とはいえ、女性が一命をとりとめたのは、死に直面したなかでのギリギリの判断があったからです。
女性を救った宮本巡査部長は、頭の骨を折り、意識不明の果てに、1週間後の2月12日、病院で息を引き取りました。

鉄道事故は、年間に300も起きているといいます。
でも、この事故は、特別なものになったですね。
我がことのように、肉親の死のように、人々は泣いていました。

宮本巡査部長が命を救ったのは、ひとりの、行きずりの女性です。そしてまた、このニュースに接するオレもまた、行きずりの、なんの関係もない人間です。
貴重と献花の列が絶えない、と、いいます。



魂とは、肉体を拒絶するなにかである。
と、フランスの哲学者アランは、書いています。

たとえば、
身体が震えているときに、逃げるのを拒絶する、なにか。
身体が嫌がっているときに、諦めるのを拒絶する、なにか。

アランによって定義された魂とは、そうしたものです。
そのことを、このニュースに接したとき、オレは、不意に思い出したのでした。

これらの拒絶は、人間が人間たらんとする、営為です。
だから、卑しい魂などというものは存在しなくて、それはただ、魂を欠いているだけです。
宮本巡査部長も、李さんも、そういう魂を持っていました。

入念につくられたこの世界で、常に競争を強いられ、自分を守るだけで精一杯。あの、宮本巡査部長を襲った電車のなかでは、自分の席を確保するために他人のことなど一切考えることがありません。

誰が、他人を思いやるのか。
誰が、誇りと職業的責任感にかけて、電車を制止に走れるものか。
愛する人や大切な人になら、思いやることが出来るかもしれません。
そうしたいと願うことと実際にそうすることには大きな隔たりがあるけれども、出来るかもしれません。

そして、行いだけが、世のなかを変えます。

ときわ台駅の交番には、ありがとう、と、手を合わせる人が後を絶たないといいます。
この、ありがとう、は、とても奇異に映ります。映りますが、それでも、ありがとう、と、口を突いて出てしまう人たちの気持ちが、わからないでもありません。
宮本巡査部長が、この社会を少しはましなものに変えてくれたことに、オレたちは、感謝しているからです。
でも、そのじつ、感謝などしていても、仕方がありません。
行いだけが、世のなかを変えるのだから。
と、匕首をノド元に突きつけられたような気分に、今もまだ、なっています。
キレイごとであれなんであれ、そんな気分になっています。

2007年2月23日金曜日

ヤマトのミニカー


郵政民営化されて以来、ヤマトのヘビーユーザーになってるオレです。
担当がね、オンナ好きのどうしようもないやつです(笑)

だってね、オレと2人で喫茶店でお茶してるとき…、
テーブル挟んで向かい合わせに座ってるのにさ、気がつけば、やつは、横を向いて喋ってるんですよ~。
横には、まったく見知らぬ、でもちょっとベッピンさんの婦女子さんが座ってたりするんですけどね。
あと、一緒に歩いているとき…、
突然走り出して、前を歩いている婦女子さんを追い抜いてから、おもむろに振り返るんですわ(笑)
ほいで、再びオレのところに寄ってきて、後ろ姿だけやったわ~、とか言ってる。

いやいや、あのエネルギーは尋常ではないな。
オレと同年代の、妻子持ちですが。

でも、仕事はよく出来るんですよ。
気が利くし、融通も利くしね。
ほいで、ガンガン出世してます。

勝手にポイントカードとかつくって、どっから手に入れてくるのかわかんないですけど、ポイントが溜まったら商品券とかをくれるんですよ。
ま、オンナ癖は悪いですが、こやつが好きでヤマトに乗り換えた人もたくさんいます。

で、今日、こんなものをもらいました。
ヤマトのミニカー。。。
要らんのですが、ちょっとツボに来てしまったので、玄関にでも飾っておくことにします(笑)
運転席と荷台のドアが開きます☆

しかし、どこでこんなグッズを仕入れてくるんやろか?
ヤマトのサイトには、このグッズはどこにも存在してないんですよ(笑)

2007年2月22日木曜日

光琳の梅を見にいく

オレ、尾形光琳という日本画家が大好きでしてね。
日本画家のなかでは、たぶん、一番好きかもしれません。
繊細さとダイナミックさが同居していて、なんというか、スケールが大きくて、王さまの芸術とでも呼びたくなるような趣です。

なかでも傑作の誉れ高い『紅白梅図屏風』は、死ぬまでに一度は見たいなあと願ってる作品でして。熱海のMOA美術館にあるんですが、熱海に用事はないし。。
あ、これが『紅白梅図屏風』です。

ま、それはさておき、今週はなかなか暖かいじゃないですか。
なので、相方さんをつれて梅でも見にいきたいなあと思っていて、梅情報をつらつらと調べていたんですが、な、な、なんと尾形光琳が『紅白梅図屏風』を描く際に参考にしたという梅が、下鴨神社にあるというではないですか!
そんなん全然知らんかったんですが、今年のJR東海の「そうだ 京都、行こう」のキャンペーンで紹介されて、一気に人気者になっとるらしいですやん。

下鴨神社は何度も行ってるけれども、そんなん、全然知りませんでした。
ちょうど、あのあたりは椿がたくさんありますから、そっちも見頃やろうし、ほんなら行きまひょ!ということで、行ってきましたですよ、仕事サボって(笑)

それにしても、梅日和というか、いい天気でした☆
花を見るのには、こういう日が一番ですな。しかも、一応は冬の平日だから、人も少ない! いうことないです。

下鴨神社は京都で一番古い神社。上賀茂神社の親でもありますが、みたらし団子の生みの親でもあります。御手洗川も御手洗社もありますからね。
すぐ横には京都のジャングルというか、人の手の入っていない数少ない森、糺の森がありまして、さらにその向かいには京都家裁があります。「糺す」と命名された森の横に裁判所があるというのは、偶然なのかどうか知りませんが、なかなか意味深ですな。もっとも、本当のところは、賀茂川と高野川の合流点にあるので、只洲→糺す、となったとする説が有力ですが。

この森を縫うように下鴨神社の参道が続いており、今日みたいな天気のいい日には、原生林の森から木漏れ日が射し込んで、とーっても気持ちがいいです。この森は、夏に来ると虫が多くて閉口しますが、それ以外の季節だと、いつ来てもいい気持ちになれるから、大好きです。

さて、目指すは、本殿横にある「光琳の梅」です。幸いなことに、人影もまばら。
それにしてもあんなところに梅なんかあったっけなあ、などと思いながら歩いていくと、もうね、一瞬で目に入りました。



いやいや、艶やか! お見事です! って梅。
御手洗川に架かる輪橋(そりはし)のたもとにね、1本だけなんですけど、それはそれは見事な梅が。。
ちょっとね、これ、溜めいきが出ますよ。
一応、写真を撮る目的で来たんですが、ほえーっと、見とれてしまいました。
1本しかないからなおさらだけど、すんごい、フォトジェニックな梅です。
また天気がよくって抜けるような青空だから、そのコントラストが鮮やかで。











光琳が『紅白梅図屏風』の梅はかなりリアリスティックに描いてありますが、この梅をそのまんま模写するように描いたわけではないですね。
眺めていて、そう思いました。
そうではなくて、この梅が持っている本質、それは王さまの梅とでも呼びたくなるような桁外れの艶やかさと華やかさなんですが、それこそを、光琳は屏風に写しとったのだな、と、この梅を見て思いましたよ。
光琳の作品は、どれも、規格外です。繊細さと大胆さが同居するというウルトラC級を内包するのが光琳の作品の特長だとオレは思っているのですが、そういう光琳だからこそ、この梅が心に響いたのだな、と、そんなふうに思いましたな。

これで『紅白梅図屏風』の実物と対面する日が、ますます楽しみになってきました☆
誰か、熱海に行くような仕事をくれませんかね?(笑)
もしくは、屏風を熱海から関西に持ってきてくれるとか(爆)

下鴨神社の光琳の梅と前後して三条河原町の本能寺、下鴨神社の摂社である河合社にも立ち寄ったのですが、それはまた今度にでも。

あ、糺の森には、キレイな椿も☆


2007年2月21日水曜日

バカ毛


今日、仕事仲間のコピーライター女史から聞いた話なんですが…。

腕などに生えてて、うぶ毛とはひと味違って、気がついたら2cmくらいになっている細い毛を、彼女の地元、神戸の須磨では「バカ毛」と呼んでいるんやとか。
そーんな言いかた、聞いたことないんですが…。

土地土地によって呼びかたが違うんでしょうかね?
といっても、オレは、そもそもそういう毛の名称というものを、聞いたことがありません。。

バカ毛をぬくと幸せが逃げるという言い伝えまであるんやそうで。。。
そのバカ毛がね、オレの場合、首というか咽喉仏あたりに生えよるんですよ。
さて、どーしたもんか。。。

30すぎて何年か経ったあたりから、耳穴にも生えるようになりましたが、これは、毛抜きで抜くときの快感があるので、むしろ密かな楽しみやったりします(笑)

さて、みなさんはどないですかね?(笑)

2007年2月20日火曜日

日本銀行に行く



役所の仕事はこれまで山ほども請けてきたんですが、いわゆる日本国政府と直で取引したことはなくて、1月に、初めて仕事したわけです。
んで、支払ってもらうべきお金を支払ってもらわないといけないわけですが、期日直前になって連絡があり、振込と小切手とどちらがいいか?と。
振込だと1週間かかるというので、それじゃ小切手にして、と申しましたところですな、先週末、郵送されてきたわけですよ、小切手が。

これ、当然、日本国政府が振出人になってるわけですが(当然といっても、初めて見たですけどね。笑)、換金は、どこの銀行でも出来るというわけではなくて、な、な、なんと、日本銀行!
日本銀行で換金出来る貴重な小切手というべきか、日本銀行でしか換金出来ない難儀な小切手というべきか、そのどちらでもあるんですが、なんにしても初めて行ってきましたですよ、日本銀行大阪支店。

たしか、大阪市役所の向かいにある、国会議事堂みたいなやたらと重厚な建物だったはず、と、ネットで正確な所在地を確認することもなく、ウロ覚えでチャリを飛ばして行ってきましたですよ。場所は、ドンピシャ☆

いやー、あまりに威厳に満ちた建物をまえにして、なんぼ図太いオレでも、少し緊張しましたわ。べつに悪いことしたわけじゃないのに、妙に縮こまってしまったですよ(笑)
敷地の門で守衛に呼び止められ、建物の入口でまたまた守衛に呼び止められ、案内されたところは、普通の銀行の大きな支店の窓口といった風情なんですが、照明が少し暗くて、なにやら妙に荘厳なんですよ。
しかも、窓口が多い! 普通の銀行によくある窓口がですね、直線で50個くらい並んでるんですよ。なんであんなにデカい?
というのはですね、こんな場所に誰が用事があるのか知らないけれども(そりゃ、都銀や地銀の連中が用事でやって来ることはあるでしょうけれども、ここ、窓口ですからね)、直線で50個も窓口が並んでるくせに、客がオレひとりしかいないの!だから、すごーく静かで、すごーい緊張感!
オレ、こんなところで仕事出来ません(笑)

もっとも、やることは市中の銀行と同じで、小切手を窓口に出して、裏に名前と住所を書いて、あとは記載の金額を受け取るだけ。市中の銀行だと自分の口座に振り込まれるけれども、当然のことながら日本銀行に口座なんて持ってないから、ここでは現金受け取り。
で、市中の銀行と同様、待ち合い札をもらって待つんですが(といっても、客はオレひとり!)、その札に書かれてあるのは「業 406」。きっと、「業務」の「業」だと思うんだけど、オレには「業が深い」の「業」にしか見えましぇ~ん!

あ、現金受け取りの窓口の向こうでは、婦女子さんがたくさん働いてるんですが、大蔵官僚よろしくスーツをビシッ!ってわけじゃなくて、皆、普通のセーターやジーンズにエプロン(笑) エプロンですよ。きっと、現金を触るから、エプロンしてないと服が汚れちゃうんでしょうね。そのエリアだけ庶民的で、異様でした。

んで、換金を待っているあいだ、こんな場所に来ることはそうそうないだろうと思って、携帯でパシャってしてたんですよ。50個の窓口が直線で並んだ風景だとか、待ち合い札だとか。
いろいろとパシャってやってたら、窓口の向こうで仕事してる人たちが妙にざわつき出して、しきりにオレの顔を見るんですわ~。
ん?撮影禁止なのか?と思った瞬間、オレ、すっ飛んできた守衛5人に囲まれてました。。
撮影、ダメなんですと。。特に、ホール内は、現金を置いてあるので厳禁なんだとか。いや、洒落を言ってる場合ではなくて、そのとおりに言われましたもん(笑)
ほいでさ、オレの携帯から、撮影した画像を消去させるんですよ。サムネール一覧を出してさ、一個一個確認して、その場で削除されちゃいましたよ~。
唯一、許可が出たのが、待ち合いの札「業 406」のみ。。。。

まさか、オレの人生で日本銀行に行く日が来るとは思ってもみませんでしたが、この年で守衛に携帯を取り上げられるとも思ってませんでした(笑)
いや~、貴重な経験をした日なのでした。

2007年2月19日月曜日

やっぱり午が合うんでっしゃろな


織田作之助の『夫婦善哉』、今は、復刻版が出てるみたいですね。
amazonで調べてみたら、講談社文芸文庫から出てました。これ、長らく絶版でしたから、手軽に読めるようになって喜ばしいかぎり。

オレも、今、手元にないし…。それにしても、必要ないときには目につく場所にあるのに、肝心なときにどこにあるのかわからないというのは、どういうことなんでしょうかね。。。

さて、『夫婦善哉』。
大阪は道修町の化粧品問屋の跡取り息子、柳吉は、31歳の妻子持ちですわ。お人よしのボンボンで、カネさえあれば飲んでまわる放蕩息子。船場のアホぼんの典型ですな。
一方、曾根崎新地の芸者、蝶子は、小学校を出てからこっち、あちこち女中奉公に出て、17歳のとき、自分で希望して芸者になる。陽気で声自慢、座持ちが上手かったので、たちまち売れっ子になるわけです。
その蝶子が、柳吉に、ぞっこんホの字になるんですな。
惚れたら負けよ、あばたもえくぼとは上手いこと言ったもんで、柳吉の吃りにも誠実さを感じてしまう始末で。まあ、蝶子の押しの一手で、ふたりは結婚しちゃうんですけどね。
そんなこともあり家を勘当された柳吉を、蝶子はヤトナ(芸も見せる出張仲居)までして、支えるんです。支えるんですが、その間、柳吉は安カフェへ出かけて、女給を口説いたりしてます。
おまけに、柳吉くん、いろんな商売に手を出すんですが、どれも長続きせずで。

当時の大阪の生き生きとした町人文化の風俗が丹念に描かれていて、風俗小説として秀逸なんですが、恋愛小説としても一級品でしてね、蝶子のだめんずウォーカーぶりもさることながら、ほら、男女のことって、他人には窺い知れないもんがあるじゃないですか。その、しみじみとした優しさがね、ラストの大阪はミナミの法善寺通りにある甘味処でぜんざいを食べるシーンに集約されてるんですわ。

この小説、オレ、大好きでしてね。
人間観察が素晴らしくて、理屈で成り立ってないところが、心にじわっと来るんですわ。
この甘味処は、今でも営業してるんで、稀に行きます。

で、この物語の続編がある、というのは、かねてより噂では聞いていたんですが、最近、鹿児島で見つかったらしいです。
題は、『続 夫婦善哉』。
柳吉が小倉競馬で稼いだ金を元手にして、夫婦は、大阪から別府に移住するところから、続編ははじまるんやそうです。相変わらずのアンポンタンぶりが、笑えますが。。
で、別府の温泉客を狙って剃刀店を開き、繁盛する。
でも、戦争による金属品統制で商品の仕入れが思うように出来なくなり、商売替えを決意。大阪へ戻るんですが、戻る船のなかで、船員に夫婦円満を冷やかされるんですわ。
そこで、蝶子が、こう言うんです。
「なに言うたはりまんねん。いつも喧嘩ばかししてまんねんで。でも、やっぱり午(ウマ)が合うんでっしゃろな」
と。

理屈がすっ飛んで、最後の暴力的な結論。
「午が合うんでっしゃろな」。

そうやんな。
男女って、結局のところ、そこに尽きるな、と、この話を聞いて、強く強く思いましたわ。
概略をすでに聞きかじってしまいましたが、ぜひ、ちゃんと読みたいですな。
続編、刊行されるんやろか?

そんなことを思いながら、今日のお昼は、織田作之助が『夫婦善哉』の構想を練ったミナミの自由軒で名物カレーを食べてました。黄身なしで(笑)

法善寺の夫婦善哉

自由軒

2007年2月18日日曜日

緊縛日和



責め絵師、伊藤晴雨の『美人乱舞』を古本屋で発見してしまい、全財産つぎこんでも、という勢いで、うむ、なかなかよい、というお値段で買ってしまいました(笑)
ちなみに、同時に、土方拳の『古寺巡礼』も結構な値段で見つけてしまったんですが、今回は、伊藤晴雨に軍配(笑)
 
婦女子さんを責め、撮影し、描くことに生涯をかけた最後の浮世絵師、伊藤晴雨。 
「女ってものはだまして使うものでござんすよ」
む~、わかってらっしゃる(笑)
わかっちゃいるけど、なかなかそうは出来ないのが、凡人の凡人たる所以ですが。
いや、オレのことですけど。

この人の絵は、霊気さえ感じます。

乱れ髪と、紐と紐で結ばれた肌のぷくって盛り上がるかんじが素晴らしいです。
白いつきたての餅を連想させてくれるのが、なお嬉しい。
乱れる髪の場合、結った髪からばらける髪の本数によっても、また、印象が違います。

和と、縄と、黒い髪と、着物。
日本人でよかったと思う瞬間でござんすよ(笑)

春の訪れを感じる今日この頃は、緊縛日和?(笑)

ちなみに、もっと画像を見てみたい方には、こんなページがあります。

2007年2月17日土曜日

チャリの鍵の謎


ぎたときに、衝動的に、新しいのに買い替えたのでした。
手持ちがあんまりなかったので、5000円のチャリ(笑)

これがねぇ。。。
銀色のありふれたやつなんですが、ありふれてるだけに、よく間違えます。

こないだなんて、鍵を鍵穴に入れたはいいけれども、解錠出来ないんで、しばらく格闘していたら、自分のチャリじゃないことに気がつきました(笑)
でも、まったく同じチャリ…。そう、ありふれたチャリなんですよ~。きっと、鍵のメーカーも同じで、鍵穴に鍵が入ることは入るんでしょうな。

ま、それはいいです(笑)
よくもないけど(笑)

ところが、です。

昨日のことです。
家の下のチャリ置き場で、いつものようにチャリに乗るべく、いつものように鍵穴に鍵を挿入したわけです。
カシャーン☆
勢いよく、解錠されました。
んで、颯爽とサドルにまたがったんですが、どーも様子が変。。
ん? と思ってよく見ると、なんと、オレのチャリじゃありません!
よくよく見ると、またしてもチャリを間違えてました。
といっても、間違えたチャリはオレのチャリの横に置いてあっただけで、似ても似つかないチャリなんですけどね(笑)

間違えた間違えた!と思いながら、自分のチャリに乗り直そうと思い、ここで疑問(笑)
オレのチャリじゃないのに、なぜオレの鍵で解錠出来たの?(笑)
よく鍵を見ると、安いありふれた鍵とはいえ、シリアル・ナンバーらしきものが刻印されています。
No.854
3桁のシリアルって、シリアルじゃないような気もしますが(笑)
なんにしても、オレの鍵で、まったくべつのチャリの鍵が解錠出来ちゃうんですよ!
ということは、そいつの鍵でオレのチャリの鍵も解錠出来ちゃうってこと????????

安いチャリも考えもんです(笑)

2007年2月16日金曜日

東国原宮崎県新知事の語り


東国原宮崎県新知事の所信表明演説を、見ました。
テレビで長い時間をかけて何度も報道されてましたな。連日の報道ぶりだけをとっても、宮崎県の宣伝効果って、広報費換算したら1億円を越えてると思いますよ。

選挙のころは、オレ、留守にしてたので、彼が知事選をどう戦ったのか、詳細を全然知りません。
全然知らないけれども、何度もテレビで報道されるのを見て、宮崎県のサイトも見てみて(就任時の記者会見の録画動画がノーカットでアップされてます)、大体のところがわかってきました。

政治のプロが信用も信頼もされなくなって、しがらみのない無党派を支持した、ということはあるんでしょう。
その追い風はあっただろうけれども、きっと、本質はそんなところになかったろうと思います。

オレは、政治の本質は、語り、なのだと思っています。そうあらねばならないと、思っています。
政治家は、語りによって、国民に、目指すところを説き、導き、諭さねばなりません。
リンカーンが、そうでした。
ケネディが、そうでした。
ヒットラーが、そうでした。
ゴルバチョフがそうだったし、サッチャーがそうだったし、フィデル・カストロがそうだし、クリントンですら、そうでした。
日本にだって、板垣退助のような人がいました。

語りがね、そのまんま東の語りが、すっごくいいんですよ。
メディア慣れしているというのは、もちろんあります。それこそ彼のスキルのひとつでしょうが、スキルだけじゃなくて、熱意というか、必死さというか、人柄というか、そういうものがね、ぐんぐん伝わってきます。胸に突き刺さってきますね。

特に変わったことや目新しいことを言っているわけでないです。今日日、どんなに保守的な政治家であっても改革を旗印に掲げるわけだから、彼の言っていることに、目新しいことなんて、ひとっつもない。
ひとっつもないけれども、すごく伝わってきます。
こんなにも言葉が伝わってくる政治家って、まずいなかったですね。

本気の度合いが違う、ということはあると思います。
いや、どんな政治家だって本気だろうけれども、本気で改革してやろうとする熱意が、他の追随を許さないんだと思います。
それと、熱意の純粋さ。
宮崎をよくしたい、という以外の野心が、彼には見えません。その純粋さが、彼の語りからは伝わってきます。

政治に染まっていない、というのも、語りにおいて、プラスに作用しています。
彼は、役人言葉、政治屋言葉を使わないですね。オレたちが普段使っている言葉を使いますね。宮崎弁を使うということは、そういうことの一環でもあるけれども、言葉遣いがオレたちと同じかオレたちの延長線上にある言葉です。
安倍総理がどれだけカタカナ・新語を使おうとも、そこに新しさも説得力も感じないのは、彼が、政治屋の文脈、役人言葉のなかで、語るからです。小泉前総理は、その点、まだマシだったけれども。

なにもオレたちと同じ言葉遣いをする必要はないけれども、同じ言葉を使うということは、オレたちと同じ目線でモノを見ている、と、感じるもんです。
政治家なんだから、もっと大所高所(←政治屋や役人の好きな言葉!)から見てくれたらいいんだけれども、少しはオレたちと同じ目線でも見てくれよ、という、悲鳴みたいなものが、今回、新知事を支持した票の正体でしょう。

政治家は、なにも語りだけではやっていけません。清濁併せ飲む度量も必要です。でも、理念が、語りが説得力を持たない政治屋は、それ以前に失格なんですよね。
その意味で、今の日本の政治家なんて、ほとんどが失格です。
票を入れたい人がいない、というのは、まさにそういうこと。
そんななかで、東国原新知事は、説得力のある語りで、理念を示しました。
久しぶりに、楽しみな人が出てきたな、という印象ですわ。

ただ、
知事公舎の扱いを、コストの面だけで考えるのはどうかな、と、個人的にはそこだけ異論がありました。
どんな政治家でもコストの圧縮は口にするし、改革派の政治家だったら、知事公舎が立派すぎるから売れ!くらいのことは言います。そのほうが受けもいいでしょうから。
でもなあ、
知事公舎には、県外や国外からお客も招くわけですよ。
そこがしょぼかったら、県がしょぼく見られちゃうし、首長はそれなりの格のある環境を用意してあげてないと、と思うんですけどね。
首長が立派じゃなかったから、そんなに贅沢な公舎なんて要らないってことに、今はなっちゃうんだろうけれども、長い目で見たら、贅沢な公舎もハイヤーもそれなりの費用対効果を得られる資源に出来るはずだしね。
むかし、サッチャーが、どこか国に置いてある大使館に立ち寄った際、応接に飾ってあるしょぼい絵画を、名画に変えさせたのでした。イギリスがなめられる、と言って。そういうことも大切なのだと、オレは思います。



ani difranco / 32 Fravers

2007年2月15日木曜日

こんな義理チョコもらいました(笑)


要らぬ!というのに、持ってくるやつがいるんですよ、義理チョコ!

ホワイトデーがいつだか知らないし、お返しとかしたことないし、する気もないし…、だから最初から要らないんだってば!

少しまえにですな、嫌いな上司にチョコあげなきゃならないから、不二家のチョコを探して贈ってやる~!って息巻いていた友だちの婦女子さんがいまして、なんでも、駄菓子屋で見つけてきたそうです(笑) 今どき、よく店頭に並んでましたな。。。

そしたらさ、面白いからって、全部買い占めて、あっちこっちにバラまいてやんの。オレんところにも、きっちりやって来ましたですよ。

だから、要らないんだってば!
あ、でも、これは今となっては貴重品だからもらってもいいけど(笑)


でも、お返しは、しません。。。
あ、またゴハンでも誘います。。。

2007年2月14日水曜日

Dixie Chicksのグラミー受賞に見るアメリカの動向


今年のグラミー、Dixie Chicksがまさかまさかのグラミー5冠でしたな☆
最優秀アルバム賞、最優秀レコード賞を含む、最優秀ソング賞を含む、完勝。

ニュースにも出てますが、この人たち、反ブッシュを旗印にし、そういう発言を繰り返し、また楽曲も最近はその手のものばっかりだったので、よくもまあ、グラミーが選出したな、という、驚きの結果です。

ディスコグラフィを見れば、デビュー盤が1998年となってますから、その年ですわ。オレ、デビュー盤はよく聴いてたんです。
普段、カントリーはあんまり聴かないし、チェックもしてなかったんだけれども、馴染みのレコード屋の店長がやたらに勧めてくれて、それなら、ってことで聴いてたんです。
カントリーっぽくなくて、どっちかというと、ロック・テイストにアレンジされているものが多くて、そこが聴きやすかったし、キャッチーだし、BGMにはちょうどよかったんですけどね。
一応、若いくせに本格的なカントリーを聴かせる、って触れ込みでしたが、フィドルとマンドリンとバンジョーを操るってだけのことで、本格的なカントリーとはほど遠いというのが、オレの印象だったんです。ま、でも、聴きやすいし、キャッチーだし、それはそれでいっか、と(笑)

だいたい、カントリーというのは…、
アメリカにおける演歌。
なんですけどね…。

カントリー・ミュージックについては、過去、相当研究しました。現場まで、フィールドワークに行きましたから。

行きます! ちょっと長いです(笑)

アメリカの東海岸をハイウェイを何時間も走ると、平坦だった風景の遠くに、やがて山脈の影が見えてきます。アメリカ北部の奥地から、ヴァージニア、ケンタッキー、ノース・キャロライナ、テネシーを経て、ジョージアの北部まで連なってます。これが、アパラチア山脈。
地図で見ると、この山地のなかには、古く小さな町の名がいくつも記されていて、ブリストル、ノックスヴィル、オークリッジ、パインヴィル、メアリーヴィル…とあります。
ヴィルとは、「町」を示す古い言葉です。んで、じつは、こういった小さな町から、アメリカの音は生まれてきました。レコードやラジオが普及する1920年代よりもまえから、小さな町や村落に住む人々によって愛され、そして伝えられてきた、アメリカの音楽の原型ともいうべきものがここにはあるんですが、これがそのまま、カントリーの原型となります。

その音楽、つまり商業と出会うまえの、純粋な生活の音としての音楽は、マウンテン・ミュージックとかオールドタイム・ミュージックなどと呼ばれていて、まあ、俗称としては、ヒルビリーという言いかたが一般的です。ヒルビリーって、田舎者とか野蛮とかいったような意味ですけど。

このときの音楽で、今も名残を残しているのは、いわゆるフォーク・ダンスです。
あれ、マウンテン・ミュージックではバーン・ダンスというんですが、ルーツはアイリッシュ。
みんなで輪になって踊るやつです。2重の輪が互いに逆方向に回転していって、ペアの組み合わせが次々と変わっていくやつです。
男女で輪を分けて、キライな人とのペアがまわってきたら、指一本で繋がるくせに、好きな人とのペアの順番がまわってきそうでドキドキするときにかぎって、その人とペアになる直前でダンスが終わってしまうという…、あれです(笑)

この、マウンテン・ミュージックをルーツに持ち、もっとも直接的な影響を残しているのが、カントリー・ミュージックです。マウンテン・ミュージックの基本的なフォルムは、ギター、マンドリン、フィドルなどですが、これらの音をアコースティックからエレクトリックに換え、ドラムとベースを加えると、ほとんど現在のカントリー・ミュージックの音とおなじになります。

マウンテン・ミュージックがカントリー・ミュージックというジャンルへと名前を変えたのは、レコード会社の単なる商品イメージ戦略によるものです。
ヒルビリーでは品が悪いし、マウンテンでは都会のリスナーの共感を得られないため、カントリーという響きのいい言葉に変えられました。都会の人がカントリーという言葉を聞くとき、そこにはのどかな田園風景やきれいな空気を思い浮かべる傾向があったわけです。まして、当初のカントリーはオール・アコースティックだったのだから、いかにも清潔で楽しい音楽として聞こえたに違いないんですね。

ただ、このような言葉のごまかしによって、カントリーという音楽の本質は、都会の消費者によって誤解されてしまいました。
元来のマウンテンという言葉が示すように、カントリーは山間部における厳しい現実を歌ったタフな音楽であったはずなのですが、その本質がいつしか忘れ去られて、単なる娯楽音楽へと変容していったわけです。

このへんが、アメリカ版演歌、カントリーの誕生です。

そこに、開拓時代の伝説のカウボーイのイメージが加わることで、カントリーという音楽は、いよいよわけのわからないものになっていきます。
銀ラメの衣装をまとい、大げさなカントリー・ハットをかぶったカントリー歌手がラスベガスでショーをする、というような商業的現実は、まさにアメリカ的悪夢の象徴ですな。
大体、カウボーイが活躍した地域と、マウンテン・ミュージックが生まれた地域は現実にもかなりかけ離れているし、現実としてのカウボーイは、白人ではなくメキシコ系の移民労働者ですから。

でも、中西部におけるカウボーイの存在は、いつしか白人を主人公としたヒーロー伝に変わってしまい、マス・マーケットだった東部にその噂が届くころには、かなりディテールが演出されたストーリーとなってしまっていました。
んで、このようなストーリーが、作家たちの手によって短い小説として書き留められ、ダイム・ノベルズとして人気を博したわけです。ダイム・ノベルとは、1ダイムで買うことの出来る粗末な本のことで、安酒場などで主に売られていたんですが、その本を読んだ労働者階級が、ヒーロー伝にそのままそそのかされ、実際に開拓に参加するような動機となっていったわけで…。

こんなかんじで、山間部に埋もれていたマウンテン・ミュージックがレコード会社に目をつけられ、レコードという商品となって都会に出ていったとき、その音楽とカウボーイのヒロイズムが合体することとなり、現実にはもはやカウボーイなどほとんどいないのに、脳のないシンガーはレコード会社のイメージ作戦にそのまま乗って、カウボーイのロン・サムな生活を、マウンテン・ミュージックの旋律とともに歌ったんですね。いわゆる、シンギング・カウボーイの誕生です。

その後,音楽が都会に定着すると、カントリーは都会のことを歌うようになりました。失恋や仕事の歌です。まさしく、演歌!女にふられた男が、そのまま職も捨ててある日ふらっと町を出て旅を続ける、というような歌が今でもカントリーには多いのですが、そういうことです。

アイリッシュ好きのオレとしては、だから、マウンテン・ミュージックはすごく好きです。
カントリーとは、アイルランドからの移民がもたらしたものが、ある種のアメリカナイズを経て出来たものです。

でも、それが商業化されてわけのわからないモノになってしまったカントリーは、好きじゃないです。
ただ、だからこそ、カントリーはアメリカの大衆音楽としての地位を守り続けている、とも言えるんです。イメージは借りものであるにせよ、それは多くのアメリカ人の琴線に触れる、現実以上のリアリティを持っているものであり、カントリーの最大の特徴である「歌詞というストーリー」の素材には事欠かないから。カウボーイ気取りの男が、いかにもアメリカに古くからある男のイメージをもって(つまり、ドナルド・レーガン風)、「オレの町にもホンダが来た。前の工場は閉鎖され、友人も町から出ていく。しかし、オレはホンダに勤める。ジャパンに心を売ったんじゃない。この町に残るために、この町でアメリカ人として生きるために、オレはホンダで働くんだ」と歌えば、これは多くのアメリカ人が涙なくしては聴くことの出来ない、立派なカントリーになってしまいます。

一方、マウンテン・ミュージックは、ロックンロールにも強い影響を与えました。アパラチアと隣接する南部の綿花地帯で、ブルーズと音が混じったのだ。ザ・バンドのギタリストであるロビー・ロバートソンは、こういう言葉を残しています。
「ロックンロールとは、ブルーズとカントリーの結合なのだ。黒と白が結合したとき、まったくべつのものが、ひとつ、生まれた。私たちの音楽は、このロックンロールなのだ。エルヴィス・プレスリー、ファッツ・ドミノ、リトル・リチャードたちの伝統を受け継いでいる」

マウンテン・ミュージックを基盤とした従来のカントリーではなく、その後の商業化されていったカントリーでは、歌詞(ストーリー)が重要視されるんですが、一方のロックンロールでは、音やビートが強調されます。
つまり、心に作用してくるものよりも、身体に作用してくる要素のほうが、重要だったってことです。そのため、ロックンロールは白人的な生活のリアリティを、元々は含んではいません。白人として日常生活を送る人たちの琴線に触れるようにつくられた音楽ではなく、本来は白人からは遠い音楽なんですね。
60年代初頭からのアメリカにおける意識革命に、ロックンロールが大きな役割を果たしたのは、これが原因です。
ロックンロールは政治的であったとか、ロックは政治性を持つべきだとか、メッセージを持つべきだとかいうような幻想や期待は、だから完全な誤解で、白人の生活にそのままマッチするような音や価値観を持たない音楽を、白人の親を持つティーンエイジャーが支持したから、それが政治的な意味を持ったわけです。

ロックンロールそのものは、元来、政治とはなんの関係もない。アパラチアの山間で辛い日々を送っていた人たちが、唯一の救いとして楽しんでいた音楽と、明日のない日々を強いられていた黒人たちの末裔が心の底から絞り出したような音楽が、どこか底辺の部分で共通していたからこそ、そのふたつの音楽は融解したのだし、その融解を可能にしたのは、なによりも音楽のなかに宿る真実でしかないです。
つまり、現代のカントリーにおける真実は、白人の日常生活というレベルでの真実であり、ロックンロールにおける真実は、従来その音が持っていた、生命のような力のことですが。

アメリカの音の流れのひとつを、本当にざっと大雑把に遡ると、こういうかんじなんですが、そういうなかで、保守的でしかありえないカントリーのなかから、反ブッシュを標榜するDixie Chicksが出現し、全米でバッシングを受け、最後にグラミーをかっさらってしまったということは、なかなか驚愕するに値しますよ。
もともとが保守的なカントリーで、アメリカ的保守主義に異を唱える存在自体が珍しいですから。
しかも、アメリカという国は、意外なほど棲みわけが出来ている国で、たとえば、カントリーしか聴かない白人保守層は、黒人音楽であるヒップホップなんて聴いたこともない人も多いし、逆もまたしかりです。
その、南部の保守層向けのいちジャンルに成り下がっているカントリーにカテゴライズされる人たちが、現体制に異を唱え、バッシングの果てにグラミーをかっさらう…。

よくある波といってしまえばそれまでですが、なにかが変わるかもしれませんね。
アメリカの次期政権は、初の黒人オバマ氏か初の女性ヒラリー・クリントンかで騒がれてます。どっちの初が最初に誕生するかといえば、きっと、順番からいって初の「女性」だろうと思うんですが、いずれにしても次は民主党から大統領が選ばれるんでしょう。(ヒラリーになれば、アメリカの大統領職は、この20年間、ブッシュ家とクリントン家が交替でつとめることになるわけですが…)

世は歌に連れませんが、歌は世に連れますから、しばらくはアメリカの動向を、音楽の面から注視していきたいと思っています。



オレが好きなのは、デビューのころの彼女たちです。


グラミー受賞の原動力になった曲はこっち

2007年2月13日火曜日

現代トイレ事情


見た人も多いでしょうが、こないだ、ブロードキャスターを見てたら、公衆トイレについて特集をやっていて、ちょっと食い入るように見てしまいました。

なんでも、トイレの設計でメシを食ってる売れっ子デザイナーさんが冒頭で登場するんですが、最近出来ている施設のトイレは、すごすぎます!

漆塗りの屏風に生け花で、超高級な和テイストのトイレとか…。
特に婦女子さん用のパウダールームが充実しまくってて、鏡はバカでかいし、ドライヤー完備だし、ついにPCまで置くところが出てきたそうですな。トイレでPCって、なんに使うんだか(笑)
あ、便器に座ると、好きなメロディを流せるというのもありました(笑)音姫さん、進化してますなぁ。。

有料だと、受付がいてるトイレもありました。もちろん、15分おきくらいに清掃してるんで、オレの家よりもキレイなんじゃ…(笑)

有料と言えば、京都の観光名所、嵐山に有料トイレがあります。
10分100円。
まず、便座が自動的に交換・クリーニングされる仕組みになっていて、清潔です。そして、床に無数に溝が切ってあって、トイレを使うたびに、床に洗浄液が流れて、これまたキレイになります。

ま、キレイに越したことはないんですけどね。

ただ、件のデザイナーさんが言ってましたが、和式のトイレだけは、絶対に外せないんだそうで。
マーケティング的に、確実に、ニーズがあるんだとか。
特にアンケートをとったわけではないらしく、ではなんでそんなことがわかるのかというと、洋式便器だけの場所だと、便座が割れる・ヒビが入る確率が非常に高いんですと!
ということはですね、これ、便座の上に足を置いているということです。下手をすると、ヒール履いたまま便座に乗っかって、ヒールの踵で便座を割っちゃってるんですね。
ようするに、不特定多数が座る公衆トイレの便座になんて、気持ち悪くて座れない、と。
なので、和式があれば和式に、なければ、便座の上にのぼって用を足す、と。で、便座が割れる、と。

こういう婦女子さん、多いんですかね? 多そうですね(笑)

ここから転じて、世界各国の公衆トイレ事情はどうなってるのか、なんて話に特集は流れていきまして。
といっても、ヨーロッパを数カ国だけですが。
イタリアにしてもイギリスにしても、そもそも公衆トイレの概念自体が乏しく、数が少ない。
少ないなりにメチャクチャきれいなんですが、それでも、気持ち悪くてそんなところに入れない、って人が多いんだとか。
まあ、テレビのいうことだから鵜呑みには出来ませんが、それでも、ヨーロッパをウロウロしていて、公衆トイレって見た記憶がないです。少ないんでしょうね。
あっても、便座がない。
便座がなけりゃどうやって座るのかというと、座らずに、中腰になって、用を足すんだとか。
それほどまでに、不特定多数の人が座る便座に対する嫌悪感がある、と。
ただ、中腰だといろんな筋肉を使いますから、それはカンベン!という人のために、ポータブル便座が用意されているんですね。

そうそう、イタリアだと、賃貸住宅を借りるとき、便器に便座は用意されていないそうです。便座専門店に行って、マイ便座を買って、それを装着する、と。
便座専門店があるってのが、面白いです☆

イギリスは…、なんか、オレの理解を越えてましたね。あの国も、基本的には公衆便所の存在を認めたくない人が多いらしく、男性小便用便所が、道路に埋め込み式になってました。週末だけ、地下から浮上するんですと(笑)
でも、それって、道のど真ん中にあるんですよ! 大阪でいえば、御堂筋並みに人通りのあるようなメイン・ストリートのど真ん中。んで、後ろ姿が丸見えのトイレなんですわ。それ、いくらなんでも出来んだろうが!(笑)

オレ、海外に行きまくっていたのはずいぶんとむかしのことなので、今では事情が変わってるかもしれませんが、紙を使わない文化圏が多かったですな。
20年前、紙を使うよりも使わない文化圏のほうが多かったですから。
最初は抵抗あったけれども、こっちのほうが清潔感が圧倒的にあるし、帰国してから紙文化に戻って、相当キツかった覚えがあります。まだ、ウォシュレットは一般的じゃなかったし。。

インドから西のアジア、アフリカは大半が紙を使わない文化圏ですが、インドはキツいですよ~。
インドのトイレはどういうわけかジメジメしているところが多くて、そこへ水をかけて洗っちゃう文化だから、常に常に、床がビショビショなんですよね。んで、暑いからいつもビーサンだし、ビーサンでビショビショの臭いトイレに入るのって、なかなか勇気が要りました(笑)
ま、慣れるんですが(笑)

中国なんて、天安門事件以降行ってないけれども、あんときは、衝立なしの丸見えで大も小もやってました。今、どーなってるんでしょうか? アメリカナイズされちゃってるような気がするんですが。

んで、冒頭に書いた、受付のあるトイレ。
これは、植民地にされた経験のある国に行くと、かなりの割合でありますね。
小錦みたいなオバァがトイレの入口のまえに座っていて、カネとるの。おしぼりとかくれますけどね。

一番デタラメだったのは、フィリピンはマニラの空港で行ったトイレですわ。
有料でもなんでもないはずなのに、入口んところに立って、料金を徴収してるやつがいるんですよ。しかも、空港関係者のネームプレートなんてつけてるんですが、どーみても偽造っぽい(笑)
オレ、ゼニを要求されたけれども無視して入っていったら、なかまで追っかけてきやがる。ちっこくてしょぼそうなオッサンだったんで、ケンカになっても勝てる!と思って、無視してたんですけどね。
んで、小便しようとしたら、今度は、紙を持って横で待ってるんですよ。いや、紙は要らんし…。
気持ち悪いし、小便してるときは無防備になるから、それもイヤだったので、やむなく個室に入って小便をしようとしたら、個室のドアを閉めさせないの(笑)ほいでまた、紙を持って立ってやがんの。
でも、この個室は鍵が壊れていて、オレ、仕方がないから手でドアを引っぱりながら小便ですよ。。なにやってんだか。
ほいで、小便が終わるでしょ。そしたら、そのオッサン、精一杯の力でドアを開けて、づかづかとオレがいてる個室に入ってきて、なんとですな、トイペでオレのチ○チ○を拭こうとするんですわ(笑)いや、いーから! 余計なことしなくていいから! なにやってもカネは払わんから!
なんて目に遭ったことがありました(笑)

トイレ事情は身近な問題だけあって、本はわんさか出てます。
おおむかしに、妹尾河童さんが世界のトイレ事情について書いたのが我が家にあったはず。探してみるかな。

そうそう、我が家のトイレは、世界地図が貼られ、本棚が据え付けられ、考えるためのヒントがわんさと用意されてますが、トイレで名案が出てきた試しは、オレの場合、ありません(笑)

さてさて、みなさんのトイレ体験はいかに?(笑)

2007年2月12日月曜日

音楽紹介業としてのレコード屋


関西のとある老舗レコード店主が、この稼業はちっとも実入りがええことないのに、その厳しさを知ってる若い人にかぎって独立したがる、とのたまってました。
開店して25年になるこの店から、ここ数年で番頭クラスの店員が相次いで4人も独立し、自分でレコード・CD店をはじめたのだそうだ。           
オレの世代で開業したレコード・CD店主は、音楽やレコードを好きだから常に接していたいということと、努力と才覚さえあればなんぼでも面白い商売を展開出来るかもというロマンチックな願望から、手探りではじめた人が多いです。
ところが、です。90年代以降、状況がどんどん悪化するなかで、既存のレコード店での修行を経て、この業界の酸いも甘いも分かったうえで独立した30歳代の若者たちが、あまたいるんですよ。
彼らにこの稼業を選ばせたものは、なんだったんでしょうかね?

ひとつ言えるのは、彼らの誰もが、自分が投げ込んだ石で社会的に大きな波紋を起こそうなどとは考えず、せいぜいが自分と仲間たちの楽しみとして、ささやかながらも手堅く商売を続けていこうとしていることです。だから、彼らは、まず、自分自身にとって居心地のよい空間を築こうとしているように思われます。
ただ、居心地のいい時間と空間とを求めるのなら自分の部屋ででもくつろげばよいことで、どーしてまた好んで、実入りも少なくリスクも多く経営の安定しない中古や輸入のレコード屋などをはじめるのか。

『なんでも鑑定団』というテレビ番組がありますな。
なにやら胡散臭い鑑定士たちのなかでは、北原照久というおもちゃ鑑定士が、オレは好きです。なぜなら、北原さんが価値の基準として最優先するのは、コレクターたちの品物に対する思い入れの度合いだからです。
彼はきまって、「その品なら○万円払っても欲しいという人はきっといます」と言います。つまり、彼の品物にたいする評価は、あくまでそれを求める人の気持ちによって決定され、社会的に評価が定まっているわけではけっしてないことを窺わせます。
一方で、西洋アンティーク鑑定士の某というなまずひげのオヤジは、いつでも歴史的評価や、由緒正しさや、伝統や、ブランドという社会的評価を、持ち出すんですね。挙げ句の果てには、「まだまだこれから価値が高まるから持っていらしたほうがいい」などと言う…。
評価のベクトルが、まったく逆です。換言すれば、本音の拝金主義をさまざまな権威づけでカモフラージュしているだけなのですね。
このなまずひげオヤジほど露骨ではないにせよ、世の鑑定士と呼ばれる人々の多くは、知識を武器にモノに社会的な評価を確定させます。
あのバブル経済の時代、雨後のたけのこのように乱立したレコード店の多くも、一種の拝金主義に毒されたセレクト・ショップでした。社会的(業界的)に評価の定まったいわゆるレア盤を、途方もない「標準的な」プライスをつけて展示し、個人としての思い入れとは関係なしに、死ぬまで真剣に聴きもしないようなレコード収集に客たちも翻弄させられていたのでした。

そこには、もはや、レコード屋本来の目的であるはずの音楽を提供する姿勢など、ありませんでした。
そもそも、盤の希少性と音楽的な価値とは、無関係です。個人の感性に訴える音楽なればこそ、人によって評価が異なって当然なのですから。人の数だけ名盤があって当然。たとえ値段のつかないような駄盤でも、ある人にとっては終生忘れえぬ名盤であることは、よくあることです。

オレは、レコード屋とは、音楽紹介業だと思っています。
中古盤を取り扱っていれば、国や地域や時代を越えてさまざまな音楽が集まってきます。国内盤として発売されるCDの種類も数多いし、さらに輸入盤ともなれば、世界各地の文化を反映した数え切れないくらいのディスクが日々発売されているわけで。
わずかな情報が載った膨大なカタログから、店にとって、お客にとって、そしてなにより自分にとっての宝物となるような音楽を選びとり、解説し、展示してゆく…。自分が介在しなければ、けっして人の目に触れず、人の耳に響かず、人の心に刻みつけられるようなことのなかっただろう音楽を紹介し、彼らの人生になんらかの刺激を与える。
その喜びは、なにものにも代えがたいもんやと思いますよ。
けっして、あらかじめ設けられた価値ではなくて、その評価は、オレたち客とともにつくっていくもんですわ。
おそらく、若いレコード店主たちも、その歓びゆえに、先輩の志を受け継ごうと考えたのだと思うのでした。


昨日、日帰り広島出張。往復の新幹線は、ずーっと、70年代NYサルサを聴いてましたわ。サルサ誕生の瞬間ですな。
その中心、ファニア・オールスターズは、今もって最高にかっこよくて、全然色褪せてないです☆
あのころのサルサは、こんなにもゆったりだったのですよ。



FANIA ALL STARS / 『Nuestra Cosas (Our Latin Things)』

2007年2月11日日曜日

阪神タイガースの新ユニフォームをあれやこれや

少しまえの話。
関西のスポーツ新聞では1面を飾ったんですが、阪神タイガースのユニフォームがリニューアルされて、金本選手が、自分のユニフォームの背番号「6」の書体にイチャモンをつけました。まあ、「6」については、下半分がちょっと大きいんですよ。で、この「6」だけ、書体を少しいじることになったんですけどね、この件で、オレらのあいだで、ちょっとした盛り上がりを見せましたですよ。

この「6」がカッコいいのかかっこ悪いのか、という話ではなくて、納品してからイチャモンつけられても…、ってことなんですけどね。

想像の域を出ないんですが、流れはこうです。
デザイナーから提出された新ユニフォームのデザイン案数点のなかから、喧々諤々やって、球団の新ユニフォーム担当者がオッケーを出す。
ユニフォームのデザインが決まり、実際に試作品としてユニフォームはつくったけれども、すべての背番号分の試作品をつくるのはコストがかさんでしまうので、任意の背番号を抽出して、それで試作品をつくる。あとは、書体見本をつけて、他の背番号も同様の書体です、と説明する。
担当者が、それでオッケーを出す。
選手が試作品を見たのかどうかはわからないけれども、少なくとも、自分の背番号をつけた試作品を全選手が見たということはなかろう。
で、担当者がオッケーを出したので、全選手の必要分のユニフォームを生産発注する。
で、金本選手のところにもめでたく新ユニフォームが届き、そこで初めて自分の背番号もついた新ユニフォームを見て、背番号の「6」の書体が、なんか変。。。
と、まあ、常識的な流れで推測すると、こんなかんじです。

これ、デザイナーはたまりませんよ。
なんせ、担当者のレベルであれなんであれ、発注者がオッケー出したんだから、オッケーだもん。金本選手がNGを出しても、それは球団内の発注者と金本選手とのあいだの問題だもん。

デザイン的には、他の背番号と統一した書体を使ってるんだから、変えたらダメなんです。でもこれは、芸術品ではなくて商品だから、使う人に気持ちよく使ってもらわなければならないこともたしかで。ここらの兼ね合いは、難しいんですよね。

個人的には、変えるしかないだろうな、と、思ってたんですが、どうやらそうなる模様。
ただ、他の背番号の書体との兼ね合いがあるから、微妙な変更しか出来ないというもどかしさはありますけどね。

問題は、ちゃんと追加変更分の料金が出るかどうか…。

まあ、でも、金本が気に入らんって言ってるんでしょ! じゃ、虎キチとしては、喜んで変更するで! タダでもなんでも!
って、ところに話は落ち着いていくのでした(笑)


あ、今日の朝、仕事に行く途中、家の近くで、中尾彬、橋下弁護士、ハイヒール・モモコの3人がロケやってましたわ。なんの番組やろか? 中尾彬は、やっぱり、ねじねじ巻いてました(笑)

2007年2月10日土曜日

上手く燃えてくれません




仕事で、文字を燃やしてるんですが、どーも狙っているかんじに出来ません。

なので、気分転換に炙ってみました。あぁ、焼肉が食べたい!





grooooooooooove!!がね、すごいんです☆
4月、待望の新作は2枚組!


DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN / Mirror Ball

2007年2月9日金曜日

居心地悪すぎ!


いや、あんまり見慣れない光景でしたわ。

昨日の夕方、地下鉄に乗ったのですよ。
駅に滑り込んできた車両を見ると、わりに混んでいて、かなりの人が立っていたんですけどね。
でも、オレの目のまえに停まった車両の右側だけには人がほとんどおらず、大きな空間が出来てるんですわ。
疲れてたから座りたかったし、でも、そこだけ混んでるのって、ちょっとイヤな予感がしたんですよね。
空いてるからって、そこを目がけていったら、床一面にゲロがぶちまけられていた…、なんてことも、あるわけで。

でも、最終電車じゃあるまいし、夕方の地下鉄。なにがあるんかいな?と思い、電車に乗り込んでから車両の右側に視線を走らせるとですな、20歳前後のキャバ嬢っぽい出で立ちの婦女子さんが、5人は座れるであろう優先座席を全部占領して、うつ伏せで寝ていたのでした。。。シャネルだかグッチだかのブランドもんのバッグを枕にして、通路側に顔を向けて、寝てるんですよ(笑)

またバカがいるよ、で、終わりっちゃ終わりの話なんですが…、
この、熟睡している婦女子さんのスカートが完全にめくれ上がってましてね、黒いパンツが丸見えになってたんですよ(笑)
座席を占領して寝てるだけなら、バーカ!で終わりなんですが、パンツ全見せのおかげで、なんか、車内が異様に凍りついているというか、異様な緊張感が漂っていたのですね。
もうね、完全に、非日常。

半径2メートルくらい、誰も近寄らないの(笑)
全員が全員、かかわりあいを避けてましたから。背広にネクタイのサラリーマンは能面みたいな表情で背中を向けてるし、阪急百貨店の紙袋をさげた妙齢の婦女子さんは、くちびるの端に微妙な薄笑いを浮かべてるし…、いつもなら絶対にワーワー騒いでるはずのヤンキー・カップルまでが無言(笑)

ほいで、次の駅に電車が停まると…、
この婦女子さんはすっくと立ち上がって、誰に遠慮することもなく、んーっ!と伸びをすると、両手を突き上げるのでした。
ほいで、おもむろにスカートを直すと、なんら動じることなく、その駅で降りていきました…。

立ちっぱなしだった乗客が突進して座席を奪い、空間はあっという間に埋まり…。車内にいつもの日常が戻りました。

いや、すごく不思議な時間でしたわ。


居心地に悪さといえば、これを思い出したのだけれども、今聴いてみると、意外とポップ☆


あぶらだこ / 冬枯れ花火

2007年2月8日木曜日

一休寺と浄瑠璃寺

昨日、メチャクチャ天気がよかったので、今年最初の神社仏閣巡りツアーに出かけたのでした。

いや、本当は、数日前から予定していたのだけれども、相方さんは無類の嵐を呼ぶ女。ピンポイントで台風を連れてきたり爆弾低気圧を連れてきたりなので、この日もあんまり期待はしていなかったのですが、な、な、なんと、この冬の暖冬を象徴するかのような、日中の気温15℃のおだやかな日和☆

今年は幸先がいいのか?(笑)

天気がいいので、町中のお寺さんではなく、遠出をしようということになり、かつてより狙っていた、一休寺、浄瑠璃寺へ向かったわけです。


場所は、京都府の端っこのほう、京田辺&木津。
京都というか奈良というか大阪というか、そのあたりの境目にありましてですな、この3県のどの地図を見ても端っこに載っているような、どっからも行きにくい場所にあるんですわ。

でも、このあたり、いいお寺さんが集中していることもあって、まえまえから目をつけてはいたんですよね~。
地図を見ただけでね、インパクトのある名前のお寺さんが多いんですよ。
一休寺、浄瑠璃寺だけじゃなくて、神童寺、蟹満寺、観音寺、禅定寺、海住山寺…、なんか、そそる名前が多いでしょ。

今回は、一休寺、浄瑠璃寺をメインに、残りは行けるところまで行こう、と。
結局、この2つしか行けなかったけれども(笑)

んで、今回は、オレとしたら極めて珍しいのですが、デジカメ持参してみました。
昨年末に新調したデジカメ、じつはまだ一度も出動させてないんですよね。なので、仕事で使うまえに試運転しておこう、ということで。いや~、撮りまくってしまいました(笑)


まずは、一休寺から。

はい。ご想像のとおり、あの一休さんが草庵し、晩年を過ごしたお寺さんです。
梅がキレイですね。



一休さんといえば、反権威主義者であり堺の商売人とも交流を持ち、およそ僧侶らしくない魅力の素敵な人ですが、そうでありながらも、大徳寺の住持にも登りつめた、魅力的な人。
なので、晩年を過ごした山寺である一休寺は、こじんまりとしたお寺さんかなあ、と、勝手に想像していたんですわ。
そしたら、行ってみたら、結構大きな伽藍で。ちょっとビックリしました。



オレの大好きなお寺さん、奈良の秋篠寺に、どことなく雰囲気が似ていて、このお寺、いっぺんで好きになりました☆ でも、しょっちゅう来るには遠すぎるんですけどね。。



メインは方丈ですが、北庭南庭とも素晴らしいです。
北庭は白砂の庭。形式からいって、江戸初期の作庭やと思うんですが、これは未確認。
白砂にサツキのよくある組み合わせですが、極端に抽象化されていないところが、オレの好みにぴったり合ってました。つまり、ほどよく植物が配されているんですわ。サツキに山茶花、ソテツなど。なぜかヤシの木までが植えられているのにはビックリしましたが、それでも、上手く馴染んでるし。
借景となっている山はまったく知りませんが、空と借景のコントラストも鮮やかで、見ていて飽きないお庭です。
一休さんって、禅を極めるタイプ、つまり狂気の人ではなくて、あくまで俗世の垢にまみれたなかで生きようとした人やと思うんですが、極端に抽象化されていないお庭、ある意味、中途半端ともなりかねないこのお庭を見て、一休さんの人間性がよく出てるなあと思いました。うん、好きな庭です☆

んで、ここ、来にくい場所にあるせいもあって、参拝客が、あんまり、というか、ほとんど来てませんでした。
おかげで、お庭を眺めながら、縁側でなんぼでも寝っ転がれます!
ましてや、この日は、冬とは思えない陽気。
もうね、これが至福のときでして。オレはこれを楽しみに神社仏閣を巡っているといっても過言ではないですからね。
趣味、お寺さんの軒先でお庭を眺めながら昼寝、ですから。

ちなみに、寝っ転がってお尻を向けている先には、狩野探幽筆の襖絵を配した部屋がいくつかあり、一休禅師木造が安置されてます。
この木像、重文なんですが、なんやしらん、フラッシュ焚いて撮影しても、なにも言われませんでした。こんな太っ腹なお寺さん、知りません。もっとも、光量が弱いのと、遠かったのとで、上手いこと撮影出来ませんでしたが。。。ちなみにこの木像、頭髪は実際の一休さんのものが植え付けられているとのこと。

方丈の東側には庭石と刈り込みを置いて十六羅漢を表現、北庭は石組だけで蓬莱山の瀧から水が流れ落ちて海へ流れるさまを表現してます。
つまるところ、この方丈には、北、東、南と3面で庭がしつらえられているんですが、あんまりないですね。4面も少ないですが、3面でも、なかなか贅沢な趣です。





この方丈以外にも伽藍はたくさんあるんですが、書院や東司、本堂など、ほとんどの伽藍は未公開。でも伽藍と伽藍を繋いでいるお庭は結構広くて、散策して楽しめますわ。



途中、後付けでしょうが橋がしつられてあって、「このはしわたるな」の立て札が…。そう、あの、一休さんのとんち話に出てくる、橋を端に読み変えて難題解決を図る、あの橋がありました(笑) 親しみやすさを持たせようとの配慮でつくってあるんでしょうが、こんな媚びは要らんねん!(笑)





媚びといえば、アニメの一休さんの絵ハガギが売られていたり、セル画が展示してあったり、商魂逞しいというかんじではないんですが、どーも、媚びてるような印象が(笑)
そのあたり、興醒めなんですけどね。



そうそう、最後に、一休寺納豆をいただきました。
大豆をむしろで蒸す、それを常温で干す。
はったい粉と麹を混ぜて寝かせ、発酵させる。
塩水のお湯のなかで、さらに発酵させる。
この行程で1年間かけてつくってるそうです。一休さんのころからつくってるんだとか。
それとお茶をいただきました。塩味が利いていて、お茶受けによくあいますな。
拝観料500円だけですから、安いです☆





さて、一休寺を堪能して次に向かった先は、浄瑠璃寺。途中、蟹満寺があるんで、名前のインパクトに惹かれて向かったんですが、山道で完全に迷ってしまい、断念しました(笑)

なので、一路、浄瑠璃寺へ。

ここはもう、写真集かなにかで見て以来、行きたくて行きたくて仕方がなかったお寺さんですわ。
まず、名前が、美しい。浄瑠璃のお寺ですからね。
んで、写真で見たかぎり、本堂がかなりスタイリッシュ。余計なものが一切省かれているフォルムに惹かれまして…。
今回、念願叶って行ってきましたですよ。まあ、遠かったですけど…。

んで、着いたのが3時くらいやったんですが、じつはお昼ゴハンがまだでした。
今回は、久方ぶりに相方さんがお弁当をこしらえてくれたのですが、食べる適当な場所が見つからなくて。木津川に沿って車を走らせてきたものの、いい場所がなかったんですよ。
なので、浄瑠璃寺の駐車場で、食べたんですけどね(笑)
ちなみに、シートを持ってきてなくて、駐車場の管理人さんが、シートを貸してくれました。

さて、浄瑠璃寺。

参道がいいかんじです〜。



このお寺さんは、西方九体阿弥陀堂と東方三重塔の2つの伽藍で構成されてます。あいだに、浄土式庭園を挟んでますが、それだけです。

どちらも藤原時代建立の建造物で、宇治の平等院と同時期の、古い古い建物です。一度も焼失してませんから、正真正銘、藤原時代のものです。

で、西方九体阿弥陀堂。





この、平べったくもスタイリッシュなフォルムを持つ西方九体阿弥陀堂は、文字通り、9体の阿弥陀如来さんを安置するためだけに建てられた建物です。そういう建物としては、現存する唯一のものですね。
中に入ると、ずらずらっと9体の阿弥陀如来さんが横並びで鎮座されている風景は、圧巻です。
両脇を持国天、増長天、不動明王三尊像の四天王メンバーが固め、9体の阿弥陀如来さんのあいだには、吉祥天女さん、大日如来さんがおわします。もっとも、吉祥天女さんと大日如来さんは秘仏で、この日は見れませんでした。

翻って、浄土庭園の池を挟んで東方に眼を向けると薬師如来さんを祀った東方三重塔があります。



これはね、なかなかありがたい配置ですよ。

少し解説を加えておきますと…、
薬師如来さんは過去世から送り出してくれる仏さんでして、過去の因縁や苦悩を超えて進むための薬を与えてくれる仏さんです。オレたちを送り出してくれるんですが、その仏さんが、太陽の昇る東に安置されています。
一方で西には、9体の阿弥陀如来さん。
阿弥陀如来さんは、阿弥陀如来さんは理想の未来にいて、そこへ向かって進むオレたちを受け入れ、向かえてくれる、来世の仏さん、未来仏なんです。その仏さんが、西方浄土(極楽浄土)のある方向である西に、ちゃーんと安置されている。
だから、
仏教では、東は過去(苦悩)、西は未来(理想)なんです。この2つの真ん中に位置する浄土式庭園の池は、ですから、東を此岸、西を彼岸としているわけです。東の薬師、西の如来、ってわけです。

薬師さんに遺送されて出発し、この現世へ出て正しい生きかたを教えてくれた釈迦の教えにしたがい、煩悩の川を越えて彼岸にある未来を目指して精進する。そうすれば、やがて阿弥陀さんに迎えられて西方浄土に至ることが出来る、と、こういうストーリーが、このお寺さん全体で表現されているわけです。

彼岸から此岸を目指すんですが、あいだにあるのは、浄土式庭園。

これはもちろん、極楽浄土を表したもので、宇治の平等院にある庭園と同じ意味合いを持ってます。

だから、なんで浄瑠璃寺なのよ、浄土寺でいいんじゃないの?って疑問があったんですが、住職さんにお聞きして納得しました。
このお寺さんのご本尊は、東方三重塔に安置している薬師如来さん。そして、薬師仏の世界では、浄土のことを浄瑠璃と表現するらしいのです。なので、こちらのお寺は浄瑠璃寺。

んで、そうしたお話を伺い東方三重塔に行った折り、このなかに祀られてるご本尊の薬師如来さんが、ご開帳されてるんですよ。普段は、秘仏です。毎月8日、彼岸の中日、正月3ヶ日のみのご開帳らしいのですが、なんと、訪れた日は、掃除の日(笑) 運よくご開帳に居合わせたわけです。しかも、通常のご開帳では開かない、横の扉が開いてまして。いやいや、珍しいものを拝みましたですよ。



写真で見るかぎりでは、吉祥天女像がなかなかふくよかでよろしいのですが、こちらもまた秘仏。拝むこと叶いませんでした。
さらに、せっかくの浄土式庭園も、冬のあいだは、草花もなく…。
関西花の寺霊場にも数えられるほどのお寺さんなので、桜、アヤメ、カキツバタ、紫陽花、桔梗、萩、紅葉…と、季節が季節なら、色とりどりに咲き乱れてくれて、それこそ浄土の世界が展開されるんですけどね。

あ、でも、馬酔木が咲いてました!



また時季のいいときに、他の仏さんのご開帳も狙いつつ、リベンジします~。

2007年2月7日水曜日

極めてmacなwin環境


わはは。
おもろいページ、見つけました。

http://www.wwwwww.tv/mac/extreme.html

手持ちのwin機をひたすらmac風にカスタマイズしてます。
インターフェイスのカスタマイズはたまに見かけるけれども、外観そのものをmac風にカスタマイズしているのは初めて見ました。

わはは。
ここまでカネかけてやるのならmac買えよ!と思ったんですが、macを使いつつもwin環境も必要ということで、泣く泣く買ったwin機をmac風にカスタマイズしてるのだとか。。。そこまでしてmacに愛着ありますか~。

いや、オレもメインがmacで、仕事の都合上win機も必要だから、両方使ってますが、さすがに、win機をmac風に改造しようなんて思ったことありません。ましてや、外観をカスタマイズするなんて…。

それにしても頑張ったなあ~。こいつはかなりmacですよ☆

ちなみオレのmacは、こいつです。
http://store.apple.com/0120-APPLE-1/WebObjects/japanstore.woa/wa/RSLID?mco=C1211F78&nclm=iMac
これの24インチ。

でも、上記写真(右)のように、キーボードの特定のキーが、すでにヤニで茶色くなっちゃってます。
なんか、負けてるような気がしてきた…(笑)