2007年8月31日金曜日

rice meets peace!

我が家のマンションは、1FとB1Fが市場、B1Fには業務スーパー、マンションのまえにはさらに業務スーパ-2軒と市場の続き、と、歩いて5分圏内に普通のスーパーが2軒、と、食材確保にはまったく事欠かない冷蔵庫要らずの環境なのですが、米がね、値段が手頃でいい米が、ちょっと手に入りにくいのですよ。

野菜は、買った野菜から晩ご飯の献立を言い当てられてしまうくらいに仲よくなってしまった八百屋さんがいます。
肉は、白衣とマスクで完全武装して、まるで無菌室で作業するかのようにして肉を扱ってくれる良心的な肉屋さんがいます。
豆腐は、オバァが毎朝つくってる美味い豆腐と揚げがあるし、鶴橋直系の韓国食材屋のオバァがつくるキムチは、水菜のキムチがたまりません。
鰹節と昆布は、オジィが好きなだけ削ってくれるし、切り分けてくれるし。。。
刺身をいっつも倍以上おまけしてくれる魚屋さんには、オレは足を向けて寝れんし。。。
調味料各種、加工品は、業務スーパーで、業務単位で買います(笑)
遅い時間の買いものは、スーパー。
ちなみに、市場なので、夜中の3時からメシを食わせてくれる定食屋さんもあります。

と、それぞれ行きつけが決まってしまってまして、それはそれで便利でいいのですが、問題は、米なのですよ。

米がね、地下の業務スーパーで買って、そのままエレベーターに乗って家にひょいと持ってかえるんですが、10kg5,000円出そうが6,000円だそうが、コシヒカリだろうが魚沼産だろうが、いまいち美味くないのですよね。

釜は、今年の冬に思い立って高いのを買いましたから、釜はいいはずなんです。
でも、米がね。
そりゃ、魚沼産コシヒカリと書かれてあっても、混じり気なしの純度100%の魚沼産コシヒカリが入っていると信じるほど、オレもウブではないですけど、でも、米粒の大きさが一定してないってのは、あんまりでしょ!

で、米をなんとかしたいな、と、ずーっと思っていたら、マイミクさんの寧楊さんが、オレの家の近所に、素敵なお米屋さんを見つけてくれはってですな、やーっと、積年の課題が解決しましたです~。

行ってみますとね、きれいなガラスの容器に産地別種類別にお米が分けられていて、なんとですな、1kg単位で売ってくれるんですよ。だから、北海道産のきららを2kgと宮城産のコシヒカリを1kg!なんて注文も普通に出来ちゃいます。
しかもですな、その場で精米してくれるので、玄米でも白米でもオッケー。何分搗きにするのかまで、ちゃんと指定出来ちゃいます。
まあ、オレは出がビンボー人なので、バクシャリなんて食べたいとは思わないから、すべて銀シャリ、もしくは10分搗きくらいにしてもらいますが(笑)
精米したてだから、熱を持ってあったかいんですよね。だから、袋の口は開けておいて、そのままチャリの荷台に積んで、持ってかえります☆
あ、五穀米とか雑穀米とか、そっち系のもたくさんありますわ。
さらに毎週火曜日は消費税なしの日!!!

やっぱね、ちゃんとした米屋さんで買うと、美味いですな☆
ひと粒ひと粒がちゃんと立っていて、つやつやしていて、甘い!
今の時期の米って、季節柄一番古い米のはずなのに、それでもちゃんと美味いですね☆

今日は、なんと新米が出ていたので、新米を!
徳島のこしひかりで阿波美人ってやつです。
もう、新米が出てるんですよね。すごい早稲の米だと思うんですけど。

それにしても、徳島でもお米をつくってるのね。
知らなんだです。
米は、美味しい水と、夏冬の寒暖差が大きいと美味いのが出来るっていいますが、徳島のお米って、どうなんだろうか?

お米屋さんのオバァに聞いてみると、オバァの田舎の四万十川の上流は米が出来んけれども、吉野川は米どころだから、美味しいよ~、って。品のいい甘みがあるらしいです☆
でも、オバァの田舎の四万十川は、絶品の鮎とウナギがいるじゃないか!
オバァとは一発で仲よくなってしまいました☆

明日、新米を食べます☆
にゃごさん、ごめん! 美味い米食ってると、それだけで顔がニコニコしてきます~。


みなさんは、どこの産地のどのお米が好きですか? 教えてくださいませ~。
次にどこのお米を買うのか、参考にしたいのです~。

2007年8月30日木曜日

永遠と一瞬は両想い

京都は山科あたりへ仕事で行ったので、これ幸いとばかりに、お寺さんに立ち寄ってきました。
山科から醍醐にかけては大ゴマのお寺さんがそろいまくってる黄金地帯なのですが、ちと遠くて、なかなか行けてません。
なので、ちょっとの隙をついて、今回、ひとつだけ行ってきました~。

行ったのは、随心院門跡


梅園が有名、ということ以外にはなーんも知らずに行ったんですが、ここは小野小町さんが晩年を過ごしたお寺さんなのでした。
醍醐の山の麓にある山寺なのに、ものすごく広くて、どことなく御所に似ていて、格調の高さを思わせます。門跡というのは、皇室出身者が出家し、構えたお寺さんのことですから、格調が高いのもさもありなんなのですが。
ただし、小野小町さん自体は皇室の人ではなくて、貴族出の宮使い。仁名天皇の寵愛を一身に受けた人ですから、扱いとしては、皇室の人間同様だったのでしょう。

で、小野小町さんから連想するんですが、ここはね、小さな御所といった趣があります。
参道が広々としているところも御所を連想させるし、景色がね、計算されまくってますわ。いち山寺でね、こんなにも広々とした参道を持っているお寺さんって、なかなかないですよ。

10個近い堂宇があるので、そのぶん、やはり山門が10個近くあります。
で、山門によって切り取られた風景がね、ことごとく美しくて、どれもこれも、一幅の絵のようです。

醍醐の山を借景にしたり、構図のなかに収まるように松を植えてあったり…、とにかく、これでもかというくらいに計算され尽くしています。

苔むした庭も立派だし、梅園があり、襖絵は三十六歌仙が描かれ…、お寺さんというよりも、名勝庭園のような趣です。

小町さんに思いを寄せる深草少将から寄せられた手紙が埋められているという、千束の文塚。
小町さんがこの水を使って毎日メイクしたという、化粧の井戸。
深草少々の百夜通いの折、小町さんがカヤの実を糸に綴って数をとり、あとにその実をこの地に撒いたものが育ったといわれる、カシの大木。
多くの人たちの手紙を下張りに使ってつくられたという、文張地蔵尊菩薩。

ここは、婦女子さんが喜びそうなアイテムが満載です(笑)
あまりに艶っぽいお寺さんで、お寺さんには似つかわしくない縁起が満載です。

そういうことを思いながら、山門に切り取られた風景を、しばらく眺めていました。

山門に囲まれた四角を額縁に見立てて、その額縁に切り取られた風景を見せるのだから、これは、計算されまくっているわけです。この景色を見よ、と、あたかも写生された一幅の絵であるかのように、そこに飾られているようですら、あります。

その風景を見ていると、オレは、いつも、アンドリュー・ワイエスを思い出します。
彼の描く風景画は、どれもセンチメンタルが溢れていて、そのことを指して、彼は、
私の絵を見てセンチメンタルだと感じる人がいたとすれば、それは、私が、この美しい風景がいつかなくなってしまうことを知りつつも、なくなってくれるな!と思って、描いているからだ、というようなことを言っています。

そのことをね、いつも思い出すんですよ。
ましてや、随心院の山門に切り取られたものは、絵ではなくて、風景。
変わっていくもの、移ろいゆくものでもあります。
風景は移ろい、作庭者が当初考えたものとは、変わっていきます。そしてもちろん、そのことの虚しさ、自分ですべてをコントロール出来ないことの虚しさを、作庭者は、知っています。
知りつつ、それでも、借景を取り入れてしまうのは、なんなんでしょうね? 業なのかな?

ひとときとしておなじ表情を見せない風景を切り取り、かつ、切り取ることでそこに永遠を見いだそうとする作庭者の、自身ではコントロール出来ない、何者かに委ねたその姿勢の潔さがね、オレは好きだったりもします。潔さ、というよりも、儚さ、なのかな。

一瞬と永遠がね、同居しています。
山門に切り取られた風景を眺めていると、いつも、そういうことを思ってしまいます。
ここ、随心院門跡は、そういうことを感じさせてくれる山門が、たくさんあります。


庫裡の入口です。松の姿勢のよさに惚れ惚れしてましたが、屋根の上の櫓もいいかんじです。


塔頭のひとつ、大乗院の山門。端正です。


本堂の大玄関から山門を見た図。山門に切り取られた風景が絵のようです。


山門に切り取られた得ような風景をアップで。


中庭です。苔が立派なんですが、この夏の暑さで元気をなくしていたのが惜しいです。


本堂と薬医院のあいだにある庭です。手前が本堂。


入母屋式が見事です。


薬医院の山門から見た梅園です。これもまた一幅の絵のようで。つつじがいいです。


本堂です。仏壇正面は、文張地蔵尊像、左が卒塔婆小町像です。


三十六歌仙がすべて描かれた襖絵。


こういうのも絵になりますね。


梅園横の参道です。御所のように、広々としています。


梅園から大玄関を臨みます。背後の山は、醍醐山。


大乗院の山門に切り取られた風景。これまた一幅の絵ですね。


総門へ至る参道。ここも絵になりますね。


こういう参道をくねくね歩いて、寺域を進んでいきます。


薬医院の山門から本堂、その後ろに醍醐山。

2007年8月29日水曜日

白い恋人がやって来た!



2週間ぶりに会った仕事先のOLの婦女子さんが、2週間前に行ってきたという北海道旅行のお土産をくれたのでした。

「白い恋人」…。

イヤゲモノか?(笑)

買った直後に例の問題が発覚したらしいのだけれども、そもそも、買ってから2週間も放置しておくって、どうなのよ?(笑)

買った直後に問題が発覚して、渡していいものかどうか悩んだ末に、オレに渡したんだとか…。

2週間も、悩むなよ!(笑)
悩んだ末に、渡すなよ!(笑)

ま、そういうものを嬉々としてもらうだろうというオレのキャラを読み切った点は、褒めてつかわしますが(笑)

相変わらず、美味いですよ☆
問題発覚でお蔵入りになってる「白い恋人」があるんだったら、オレがまとめて引き取ります☆
なんなら、「黒い恋人」に書き換えてくれても、よろし☆



白い恋人の隣の画像は、韓国料理屋さんでゴハン食べたら、あとでオバァがくれたコーン茶の飴。ポップコーンの味がする、ヘンな飴☆ 塩味の飴なんて、初めて食べたぜ!



当然、サニーデイサービスの名曲、『白い恋人』なのだけれども、YouTubeに落ちてませんな。。
なので、べつの曲。曽我部の書く曲は、どれも名曲☆



『さよなら!街の恋人たち』 / 曽我部恵一

2007年8月28日火曜日

視線を向ける先

こないだの、相方さんのモノヅクリ話の続き。

まあ、相方さんの勤めている毛糸屋さんでニットの作品集を出すことになり、相方さんも、そこに載せる作品をせっせとつくってはいたのですが、最終的には全ボツ。

あいだに、相方さんの上司さんが入り、その上司さんが社長に向けてプレゼンをしてくれているらしいのですがね。
で、それがことごとく跳ね返されて、ここをこう直して!だとか、ここがダメ!だとか、まあ、路頭に迷ってはるらしいのですよ。

そして、この上司さん、最後には、社長がなにを求めているのか、わかんない~、って(笑)

ちなみにこの上司さんは、オレはもちろん会ったこともないですが、相方さんから話を聞くかぎり、まあまあモノのわかる人みたいだし、相方さんはじめ、部下からの信頼も厚いらしいのですね。
部下のことをものすごく考えてくれて、部下である相方さんのつくったものがなんとか審査をパスするように、必死で考えてくれてはるみたいです。
で、その結果、社長がなにを求めているかわかんない~!と、なるのですが…。

だから、きっと、いい人なんだと思います。
でも、この話を聞くかぎりだと、ちょっとテンパっていて、見失ってるなあ、と、オレなんかは思ってしまいますね。
オレは、どうしたって、社長の立場で社員を見ますから、じつは、この会社の社長さんの歯痒さのほうが、よくわかったりもします。

まずね、この社長は、自分の求めているモノをつくってほしいとは、これっぽっちも思っていないはずです。
そうではなくて、顧客さんに喜んでもらえるようなモノをつくってくれ、と。そのことを、もっと考えてくれ、と、この社長は言っているはずなのですよ。
もし、オレがこの会社の社長だったら、オレの好みを把握し、オレ個人に気に入られるようなものをつくろうとしてきたら、それがわかったら、オレは、その社員をぶん殴りますけどね。
媚を売る先を、間違えてます。
いや、媚を売る必要なんてさらさらなくて、自社のお客さんが喜んでくれるものってなんだろう、ってことを、もっともっと真剣に考えなければ、ということです。
視線の向かっている先が、社内や社長だなんて、悲しすぎます。

だから、もし、自分が、お客さんのことを考えて、考えて、考え抜いてつくったものをボツにされたのなら、それは、社長に怒鳴り込んでいけばいい。社長よりもオレのほうがお客さんのことをよく知っているし、よく考えています!と、言えばいい。
それを言う自信のないものなら、ボツにされて当然です。

モノヅクリも商売だし、商売である以上、視線は、必ず、お客さんのほうを向いていなければなりません。
お客さんがいなければ商売など成り立たないのだから、これは、あたりまえのことなんですけれどもね。

でも、ときどき、そのあたりまえのことを、オレもですが、人は外しがちですね。
気がつけば、上司に認められようとすることだけを考えている自分がいる。
気がつけば、社内の人事にばかり眼を向けて、あの人はここがダメでこの人はこんなポストの器じゃないとか、そんなことばっかり言ってる自分がいる。
あいつにだけは負けたくないと、無用の競争心を焚きつけている自分がいる。

勢いのある会社、世間の評価の高い会社の社員は、どこも、仕事の話ばっかりしてますよ。
飲みにいって、オレのお客さんは今こういう課題を抱えていて、オレはこういう提案をしているんだけれども、もっといい方法はないかな、とか、そんな話ばっかりしてます。
仕事が楽しくて仕方がないんでしょうね。お客さんが喜んでくれる顔を見るのが、楽しくて仕方がないんでしょうね。
そういう人たちは、社内のゴタゴタや人事に関心がないですよ。それよりも、仕事のことやお客さんのことを考えているほうが、全然楽しい☆
そういう人たちと付き合うのは、楽しいですよ。

お客さんが喜んでくれる顔だけが、商売におけるモノヅクリの原動力になります。
その顔をいっぱい持っている人は、社内で、社長に、評価されます。
社長が求めているモノって、そういうものですよ。
そうじゃない会社って、潰れますからね。
社会が必要としない会社には、誰もゼニを落とさないから、売り上げが立ちません。
売り上げが立たないということは、裏を返せば、誰かが喜んでくれるものを提供していない、ということです。
売り上げが立たずに潰れる会社というのは、だから、社会から必要とされていないということです。
市場経済の世のなかでは、そういうことになってますから。

もっとも、お客さんのためになるからと、不当に値引きをしたり、不当にサービスするなんてのは、全然違っててね。
商売上の売り手と買い手のやりとりは、お互いが相思相愛で、お互いがハッピーになることなので、どちらかにシーソーが傾いてもダメなのですね。
あなたが喜んでくれることで、私はハッピーになる。この、両方がハッピーになるのが、商売ですから。

そして、この、あなたとは、お客さんにほかなりません。

2007年8月27日月曜日

スペインオムレツ…ではないが(笑)




goutさんの奈良倶楽部にご招待いただいたとき、朝食に、えらいこと美味いオムレツをいただいたのでした。
聞けば、goutさんのご主人がつくられたのですが、スペインオムレツをアレンジして、一見、普通のオムレツなんですが、ジャガイモに加えて、カボチャが入ってるんですわ。完全に、goutさんのご主人のオリジナル☆

いやいや、オムレツにカボチャって、感動的に美味い組み合わせですよ。こんなん、知らんかったし、思いつきもしなかったです。

ということで、こういう美味いもんが奈良に行かないと食べられないということになると、オレは奈良倶楽部に年中連泊しなくてはならず、それだとただでさえ少ない稼ぎがまったく追いつかないので、自分でつくってみることにしたのでした(笑)

で、冷蔵庫を見てみるとですな、ここんところ外食が続いたせいもあって、買い込んでいた野菜が傷みはじめており、これ、使ってしまわなあかんやん!という、喫緊の事態まで発生しておりまして…。

なので、あえなく路線変更。。。
やっぱ、オムレツじゃなくて、固めの卵焼きのようなスペインオムレツをベースにすることにしました。
だって、ふわふわのオムレツに入れるのには、野菜の量が多すぎるねんもん!

ジャガイモとタマネギとカボチャは使うとして、
ズッキーニ、ナスビ、オクラも使わなあきまへんねん。ナメタケと長芋もあったんですが、さすがにナメタケと長芋は使い道がなく、これは頑張って明日まで生き延びてもらうことにして…。

さて、と。

タマネギは糸切り。
ジャガイモとカボチャはスライスしてからブロックに。
ズッキーニ、ナスビ、オクラはスライス。
あ、ベーコンがあったほうがいいよね。なので、ベーコンを短冊に。

糸切りタマネギは、弱火で飴色になるまで炒める、と。
フライパンを洗ってから、ズッキーニとナスビを中火でしっかり炒める、と。
ベーコンも炒める、と。
その横で、カボチャとジャガイモを煮る、と。
さらにその横で、卵を…、えーっと野菜の量がエラい量になってるんで、これに見合う卵の量って、もしかして6個か7個くらい? オレひとりが食べるんですけど(笑)
しゃーない、明日の朝と夜もこれを食べるつもりで、卵を7個、割りました…。
卵にコンソメスープを足して、塩コショウして、ニンニクパウダーも入れて、やっぱり牛乳入ってるほうが好きやから入れて、泡立て器でひたすら泡立てて。。

煮るのと炒めるのと泡立てるのと世界陸上見るのとで、この料理、結構、面倒ですな(笑)

下ごしらえが終わったら、フライパンにオリーブオイル敷いて、溶き卵を半分ほど、どばーっと流し込む。
弱火でゆるゆるかき混ぜながらですな、静かに静かに卵を固めていく、と。
んで、ある程度固まったら、野菜を片っ端から卵のうえに敷いていって、最後に、残り半分の溶き卵を、どばーっと流し込む。

直径32cmのフライパンにてんこ盛りなので、重量がエラいことになってます(笑)
というか、これ、どないして引っくり返しましょか。。。。

手首を返してポンっ!と引っくり返すのは…、絶対に無理ですな。
といって、こいつを丸ごと乗せるほどの大皿もなく…。
あ、フライパンの蓋を使えばいいのか☆

そんなわけで、フライパンに蓋をかぶせて、フライパンごと引っくり返して、蓋にオムレツ乗せて…、うっ!重い! あ、女子棒高跳びの予選がはじまってる! あ、相方さんから電話! 無理! 無視! 悪いっ!
というような、作業を経てですな、蓋に乗せたオムレツを横滑りさせてもっかいフライパンに戻して、ん? ちょっと焼き焦げがつきすぎましたですな。まあ、これぐらいのほうが香ばしくてよろし。

とまあ、無事に大技もクリアしまして…、ん? トマトがあるやん! ギリギリやん!
今から、トマトピューレつくってソースにしてオムレツにかけて…、なんて気力はないので、ま、普通にスライスして、心尽くしのサイドメニューに(笑)

さ、今から3食、スペインオムレツ(ではないな、もはや。笑)が続きます。。。。
goutさんのところでいただいたものとは全然違うものになってしまいましたが、これはこれで美味い☆
で、カボチャがやっぱり美味い☆
オクラが入っているから、ちょいアフリカ風。
スペイン…、半分アフリカみたいな国だし、それもまたよろし。

明日は、長芋とオクラとなめこの三練りが加わる。
明後日は、ゴマ豆腐を開ける。

2007年8月26日日曜日

宝くじくらい、ドライブスルーにしなくてもいいじゃないか!


今日、神戸の山奥へ仕事で行ったんですが、道中、見つけたのが、これ。

同乗していた運転手のカメラマンは、マクドのドライブスルーで店員の婦女子さんを口説くようなやつですが、ここではさすがに自粛してました(笑)
ドライブスルーったって、マイクとスピーカーがあるわけじゃなくて、普通に窓口に車を横付けするだけですからね。
で、窓口の向こうにちらと見えたのが、あんぱんまん、基、食パンマンみたいなオバァ(笑)

しかし、急ぐ旅じゃあるまいし、宝クジくらい、車から降りて買ったらいいと思うんですけれどもね…。

2007年8月25日土曜日

万人という名の人は、いません

相方さんはニットアーティストで、今、毛糸屋さんに勤めています。
その毛糸屋さんで、ニットの本を出すらしく、相方さんも、いろんな作品をつくってました。
もちろん、社内で選考あり、そのまえに上司のチェックやアドバイスあり…、いろんな人からいろんなことを言われて、四苦八苦してはりましたな。

結構な数の作品をつくったらしいのですが、最終的には、全部ボツになったのかな。
まだ新人さんだし、仕方ないっちゃ仕方ないんでしょうけれども。

まあ、どんなものをつくっているのかはオレは知らんのですが、いろいろ言われるたびに、へこみ、悩み、考え、また奮い立ち、腹も立ち、忙しくやってはりましたわ。

その四苦八苦ぶりを、オレは横目で眺めていただけですけれども、毛糸のこともニットのこともオレはなんも知らんから、言えることなんて、知れてます。

ただ、端で、漏れ聞こえてくる話を聞いているとですな、いろいろと頓珍漢なことも多いですよ。

相方さんは、個性的なものをつくる(と、言われる)ことが多いらしいのですが、それを指して、もちょっと万人受けするものを、と、上司から言われるらしいのですよ。

それを耳にしたときは、なんもわかっとらん人が上司についとるなあ、と。

モノヅクリをするときの、絶対に外してはいけない点は、それは誰に向けてつくっているのか、ということです。
雑誌であれwebであれ、それを商売としてつくるのなら、訴求対象を明確にしておかないと、輪郭のぼやけた、頓珍漢なものにしかなりません。
オレは、なにをつくるにしても、それは誰に向けてのものなのか、を、必ず、明確にしておきます。
年齢は何歳で、男なのか女なのか、服装の趣味は、どんな音楽を聴いて、どんな食べものが好きで、どんなところに住んでいて、可処分所得はどれくらいで、なににどれくらいのお金を毎月使うのか…、なんてことを、出来るだけ細かくリアルに想像していきます。リストにすら、しますね。
どういう価値観の持ち主に訴求したいのかを細かく考えて、その人のライフスタイルを、細かく細かく、リアルに想像していきます。
最終的に、該当する要素をすべて持っている自分の知り合いに辿り着けたら、しめたもんですね。その人が喜んでくれるものをつくればいい。それだけ考えてつくれば、半分は成功したも同然です。

だから、なにかをつくっていて、迷ったときは、オレは、必ず最初に立ち返ります。
あの人は、こっちが好きかな、こっちのほうが喜んでくれるかな、って、そこに立ち返って考えます。

こんなことは、おそらく、マーケティングの本の第1ページ目に書いてあることです。でも、そこがぼやけていると、出来上がったものが完全にぼやけてしまって、頓珍漢なものになってしまいます。

万人受け、という言葉は、言葉としては存在しても、そもそも、万人という人間が存在しません。
オレは、万人という名前の人なんて、会ったことも見たこともないしね。
会ったことも見たこともない、想像すら出来ない人に喜んでもらえるものって、なんですかね?
つくりようがないですね。
これはね、言葉を換えれば、誰にも訴求しないものをつくっているのと、じつはおなじことです。

訴求対象をね、最終的に自分の知り合いひとりにまで絞ってしまうのは、そりゃ、怖いことですよ。
そこまでレンジを絞ってしまってもいいものか、と、怖くなります。
誰だって、たくさんの人に喜んでもらいたくて、モノをつくりますからね。
でもね、不思議なもんで、訴求対象を絞って絞って絞ってモノをつくると、かえって多くの人に訴える、多くの人の琴線に触れるものになることが、多いんです。
なぜって、それだけシャープなものになっているから、輪郭がくっきりしたものになっているから、わかりやすいんですよね。
わかりやすさは、モノが売れる大きな要素なので。
わかりやすくさえあれば、多くの人が理解するし、多くの人が理解すれば、自分が想像すらしていなかった層の人の心にヒットすることもありますから。

たとえば、かわいい!って商品をつくったとして、それは果たして、どういう人にとって、「かわいい!」のか。かわいさなんて、人それぞれで感じるところが違うのだから、「誰にとって」の部分が抜けていたら、どうにもならんです。
でも、こういう人は必ずこれをかわいいと思うはずだ!というモノなら、それはその人にヒットするだけでなく、誰もがそれを見て思うところがあるほどわかりやすいのだから、こんなのは絶対にヤダ!という人もいれば、あ、これは好き!って人も、いるわけです。わかりやすくさえあれば、人は、反応しやすいのだから。そのなかには、自分が想像すらしていなかった層の人の心に、深く届くことだってあるわけです。

だから、個性的というのは褒め言葉でしかなく、万人受けという言葉は、言葉のうえだけで存在している空虚で実態のないものだということを理解しないと、モノはつくれんですね。

ちゃんと訴求対象を細かくリアルに設定したのに、売れなかった。
それは、訴求対象を間違えているか、訴求対象の欲求に応えきれていないからですわ。そういう失敗はね、経験を積めば回避出来るようになるから、どんどん失敗すればいいんです。
その失敗が後々に大切な糧となることを、オレは経験で知っています。
でも、万人なんてことを考えていたら、まともに売れるものは絶対につくれません。

モノをつくる人で、売ることをキチンと考えない人って、案外多いですね。
もちろん、そうじゃない人もたくさんいるけれども、自己満足でモノをつくる人って、やっぱ、意外なほど多いです。
遊びや趣味でやるのなら、それでいいんですけれども、商売でやっていくなら、それではしんどいですわ。第一、誰も喜んでくれない商品をつくってどうするのか(笑)

モノをつくる人、特に、手づくりを大切にする人ほど、それで儲けることに罪悪感を感じる人が、多いような気がします。
儲ける、という言葉の実態をね、よく掴んでないんではないか、と、オレは思うんですけれどもね。
売れる、ということは、それを必要としている人がたくさんいて、その人たちの欲求に応えている、ということです。
自分がつくったモノで、たくさんの人がハッピーになる、ニコニコっとしてくれる。
売れる、儲けるということの実態は、そういうことです。
そこには、罪悪なんて、これっぽっちもありません。
媚びろと言っているわけでもない。
あの人が喜んでくれるものをつくる、その気持ちを原動力としたものだけが、売れるということです。

モノをつくるということはね、じつは、あの人に宛てたラブレターにほかなりません。

もちろん、阿漕にお金儲けをしている、なによりもお金が大好きな人もたくさんいます。モノヅクリをしている人のなかにも、そういう人はたくさんいますよ。

でもね、お金よりもラブレターのほうが好き!という人のほうが、やっぱり多い。
多いからこそ、この社会では、市場経済が曲がりなりにも成立しています。

2007年8月24日金曜日

『私の小さな楽園』


最近、仕事でDVDを観ることが減っていたんですが、今日、久しぶりに観ましたですよ。
やっぱ、定期的に観ておかないと、いろんな感覚が鈍ってきますね。
映画を観る、音楽を聴く、物語を読む、美味いものを食べる、なにかに触れ合う、人と出会う…、インプットするのは、もちろんその行為自体に目的があって、それ以上でもそれ以下でもないんだけれども、でも、自分の感受性やバランス感覚の現在地を知る、いい機会にはなりますね。
むかしはこんなもんで泣かなかったのに、とか。

そんなわけで、今回観たのは、ブラジル映画の『私の小さな楽園』。2000年公開の映画ですわ。

この映画を観て、オレはやっぱり情けない男が描かれている映画がとっても好き、人間が讃歌されている映画がとっても好き、ということを再確認しましたです、はい。

本作の舞台、ブラジル北東部ノルデスチです。
ここは、アフリカからの奴隷が陸揚げされた拠点、バイーアはサルバドールを含むエリアで、ブラジル音楽の故郷でもありますね。あの、重層であり複雑なブラジル音楽の源泉は、この地でアフリカン・ブラックが陸揚げされ、リオの洗練を受けて、完成します。
この地のカーニバルを見に行ったことがあるけれども、リオのカーニバルがバカっぽく見えるくらいに、ブラック・テイストが溢れてて凄まじいカーニバルですわ。
サンバもボサノヴァも、この大地がなければ、どれほど薄っぺらくて味気ないものになっていたことか。

そんな故郷の、広陵とした剥き出しの大地と、どこまでも広がる青空が舞台の映画。人々が旱魃に苦しむ、極端に降雨が少ない乾燥地帯でもあります。リオのスラムの殺伐とした対極にあるのだけれども、ここもまた厳しい大地です。
そんな厳しい自然環境を舞台に、女主人公・ダルレーニのおおらかな積極思考が、希有な物語を産み出してます。

ひとりの婦女子さんに、彼女を愛する4人の男。
生活能力もあれば、人生を楽しむ術も知っている婦女子さんダルレーニと性格のバラバラな男4人が、ひとつ屋根の下、絶妙な距離を保ちながら共同生活するわけです。
けっしてベッピンさんとはいいがたいダルレーニ(だからいい!)なんだけれども、彼女の持つ逞しく、得もいわれぬ魅力に、男たちは次々とノックアウトされていきます。
ブラジル社会は、同時にマチスモ(男性優位思想)の色が濃い社会でもありますが、正にイスラム社会の一夫多妻の逆をゆく、ダルレーニの痛快な実話がもとになっている映画でして、ジルベルト・ジルの軽快な音に乗せて、このフェミニズム映画は、男たちのありようの本質に迫ります。
男たちは家とメシと肉体を捧げ、婦女子さんは愛を捧げる。あぶり出されてゆく人間の性のオルタナティブ・サイドに、常識は木っ端微塵に粉砕されていきますね。いまだ日本にもあまた棲息する家父長信者(特に婦女子さん!)には、まず理解出来ない映画なんじゃないですかね
原題の「EU TU ELES」は、ポルトガル語で「私、あなた、彼ら」。この、関係性!

さて、物語は、ダルレーニが結婚式を挙げるところからはじまります。
結婚式には新郎が現れない。そんな新郎に背を向け、妊婦のダルレーニは、馬車で都会へと旅立ちます。
それから3年の月日が流れ、男の子を抱いたダルレーニが村へ戻ってきます。彼女は、初老の頑固者オジアスから「家を提供するから結婚しよう」と持ちかけられ、あっさりと結婚するのですね。
でも、蓋を開けてみれば、指図するだけでまったく働かないオジアス。家事も仕事も女まかせのグータラ亭主は、日がな一日、ハンモックの上でラジオを聴いている家父長野郎だったのでした。

ダルレーニは、朝6時から夕方5時までさとうきび畑で太陽に灼かれる重労働。そして、家へ戻ると家事と夫のお相手が待っている。
でも、元来が楽天的な気性のブラジル女。鼻唄を歌いながら家事をこなし、夜にはちゃんとパブで踊ってたりもします。大地のおおらかさに太陽の明るさを合わせ持ったダルレーニの、笑顔がじつにいいですわ。

物語が動くのはここから!
ダルレーニの天真爛漫な逆襲がはじまります。
黒人ではないダルレーニとオジアスとのあいだに生まれたはずの子供は、何故か黒人なのですよ(笑)

さらにさらに、同居することになったオジアスの義理の従兄弟のセジーニョの優しさに惹かれ、情交。またもや妊娠し、当然パパはセジーニョですわ。
ただ、フェミニストのゼジーニョは、ダルレーニに代わって家事をこなし、彼女の働くさとうきび畑まで毎日嬉しそうに弁当を運ぶような男で、オジアスからいつも馬鹿にされながら、秘かにダルレーニとの愛を育むのでありました。

で、それだけで終わるような映画ではなくて、次に登場するのが、若い色気を発散させるイケメンのシロ。季節労働者の彼を同居させたのが運の尽きです。
セジーニョの不安は的中して、いつも通り弁当を届けた折に、さとうきび畑の茂みでシロとセックスするダルレーニを見てしまうのでありました。そしてまたもや父親の違う息子の誕生(笑)

もう、めちゃくちゃ☆
でもね、男たちによる錯綜する嫉妬と牽制を尻目に、一家の稼ぎ手のダルレーニは、男たち、息子たちを平等に愛しながら、暢気に逞しく生きていくのですよ(笑) わははは。

娼婦なのか天使なのか。はたまた宿命の女なのかビッチなのか。
どれも、外れてる。
だってさ、ダルレーニを必要としているのは、男たちのほうだからです。打算などこれっぽっちもないダルレーニの愛のカタチに、じつは、男たちこそが、「楽園」を見い出しています。

人間誰しも、自己の欠落した部分を他者に補完してもらうことによって、生きることが出来ます。だから、絶妙な4人のバランスが生んだ相互扶助に、因襲もクソもないですね。
結局、ダルレーニがいい女なのだ!ってことです。

この自由をゆく情熱の女ダルレーニを演じたのが、ヘジーナ・カセー。彼女の好演なしでは、本作の説得性もクソも、なかったでしょうね。

家父長的で人種の混ざり合いがあたりまえのブラジルにあって、メスティーソ(混血)のことや、貞操感の違うブラジル社会の背景は、ブラジルを知らない人にとっては、やや、理解しがたいものになっているかもしれません。
なにしろ、妻が、夫以外の男の子を次々に産み、それがみな夫に似ていない混血児。でも、最後には、混血の子供たちの出生届けをして、めでたしめでたしという展開ですから。
暴力を振るわないダメ親父、女の機能をフル活用する精力絶倫おばさん…、もう、抱腹絶倒☆

今や世界第10位の経済規模を誇るブラジルは、また世界一激しい所得差、貧富の差を抱える社会でもあります。
苛烈な暴力とドラッグの一方で、燦々と降り注ぐ太陽の国が、ブラジルです。
この落差は、まじめに向き合うと目眩を覚えるほどクラクラするものだけれども、この落差が焙り出すのは、じつは、目映いばかりの生の充溢ですね。

アジアでは、生きたい生きたい!と、叫ぶ人がたくさんいます。
キリスト教的価値観のヨーロッパでは、死にたくない!と叫んでいる映画がたくさんあります。
ブラジルは、南米大陸は、どちらでもあり、どちらでもないですね。

死ぬまで生きることを楽しむ!というかんじ。
かつてオレが乗ったタクシーの運ちゃんは、70歳だか80歳だかでしたが、そりゃ教会に行ってるときは神のことを考えるけれども、それ以外は寝ても覚めてもサンバのことばっかりだな、と、のたまってましたわ。

楽しんで生きることの達人だけが讃歌される。

この映画を観ていると、そういうブラジルのオジィ、オバァ、婦女子さんのことを思い出したりもしたのでした。
人は、燦々とした太陽を浴びていると、みな、そうなるのですかね?




『PALCO』 / Gilberto Gil

2007年8月23日木曜日

妖怪電車に乗って妖怪になる

京都市内の大宮というところから嵐山にかけては、京都に都が移ってくるまえから開けていた場所で、京都でも最も古いエリアです。
京都の水を司る龍神が住む場所であるともいわれ、冥界に通じる入口でもあり、今でこそ市街地からは外れますが、そのむかしは、京都でも最も重要で神聖な場所なのでありました。

そのエリアを、京福電車というレトロな電車が、走っています。
京都市街地と嵐山を結ぶので、通称、嵐電。
駅名の読みかたが日本一難しいとも言われている路線ですね。

四条大宮
西院
西大路三条
山ノ内
蚕ノ社
太秦広隆寺
帷子ノ辻
有栖川
車折神社
鹿王院
嵐電嵯峨
嵐山

さあ、関西圏以外にお住まいの方で、すべて正しく読める方は、いらっしゃいますかね?(笑)

さて、この嵐電、このエリアを走っているだけあって、この時期、妖怪電車なる電車が走るのですよ。


車内は妖しく青に染まり、不気味な音楽が流れ、ところどころでボーッと鈍く光っていたりするのですよ。
「千と千尋の神隠し」で、千尋が銭婆を訪ねてカオナシと一緒に乗る電車よりも、はるかに怖いですよ。
しかも、これ、普通に夕方に走ってますから(笑)

で、これは乗らねばならん!と、オレ、相方さん、aikaさんの3人で、急遽、乗車と相成ったわけです。
わけですが、サイトをよく見てみると、
大人200円子供100円と、通常の運賃なのですが、なんと、妖怪50円!

妖怪だと50円で乗れてしまうのですよ☆
これは、妖怪になるしかないではないですか!(笑)
もうね、子供、泣きまくりですよ(笑)

京都市側の始発駅、大宮駅。なかなかレトロな駅です~。電車も1両だけ。


途中から路面電車になります。これは、普通に道路で信号待ちする嵐電(笑)


ときどき、バスに抜かれます~(笑)


終点の嵐山駅。ここは駅のホームに足湯があります。有料150円。寒くなったら行こう☆


いよいよ妖怪電車が入ってきました☆ 普通に、通勤時間に走ってる電車なんですがね(笑)


でも、一応、臨時電車扱いです。


この電車は、妖怪さんは50円で乗れます。


乗り込んでみると、なかは、妖しい真っ青です。


オレたちは妖怪になって乗り込みました。50円の運賃のために、1個500円のお面を購入してます(笑)


妖怪の出現に子供たちが怯えてます(笑)


妖怪を怖れて、妖怪の周囲には妙なスペースが出来ました(笑)


左がatricot妖怪、右がaika妖怪です☆


atricot妖怪が、ちびっこたちを襲ってます!


怖がってお父さんのところに逃げるちびっ子…。


車内は真っ青。吊り広告はすべて妖怪知識ネタで埋め尽くされ、夜光塗料で妖しく光ってます☆


ときどき妖怪が乗っていないというクレームがあるらしいです。今日は大丈夫だったはず(笑)

2007年8月22日水曜日

だるまの次はおかめ(笑)

だるまの次はおかめです(笑)

こないだ、だるま寺に行ったときは5軒ほど神社仏閣をまわったのですが、だるま寺の次にヒットだったのが、千本釈迦堂ですね。

千本釈迦堂。正式には、大報恩寺。

千本通りの近くにあって、釈迦如来をご本尊としているので、千本釈迦堂。
ちなみに、千本通りの名称は、平安時代に供養のための卒塔婆が1000本立てられ、それに平行して1000本の桜が植えられたからということになってますが、今では、卒塔婆も桜もなく、ま、どこまでほんまの話か?ってかんじですが。

京都のお寺さんというのは、創建当時から焼けずに残っているところってほとんどなくて、木造だから焼失しちゃったものもたくさんあれば、応仁の乱で大半が焼けちゃったりもしているので、今現在あるのは、どこも、なんらかのかたちで再建されたものばっかりです。

でも、この、千本釈迦堂の本堂は、数少ない、創建当時のものでして、鎌倉時代初期からの姿をそのまま残しています。その価値もあって、本堂自体が国宝なのですね。

なので、それなら見たいじゃん!って、わりと胸躍らせて行ったのですよ。
事実、それがウリだし。

上七軒の色街(もはやその面影もないですが…)から六叉路のうちのひとつを北に進むと、細い直線の路地が続いていて、その突き当たりに、あります。
思いっきり町中にあって、それこそ庶民のためのお寺さんなんですが、この道を歩いているとね、次第に境内に近づいていくのが、寺参りの期待感をちょっと高めてくれます。

で、小ぶりの山門を入ると、正面に、でーんと、本堂(釈迦堂)がありますわ。これが、噂の国宝建造物。
なかなか立派な入母屋式の本殿なんですが、大瓦屋根じゃなくて桧皮葺きの屋根なので、でっかくても威圧感がなく、むしろ軽快さがあって、まさに、庶民のためのお寺さん!ってかんじです。

創建が鎌倉時代初期の1227年ですから、当時の流行である浅いカーブを描いた屋根のフォルムが素敵です。オレ、この時代の屋根のフォルムがかなり好きなので、これはちょっと見とれてしまいました。

さて、千本釈迦堂といえば、おかめです。
本堂横にも、おかめ塚なるものがあります。

でも、なんでおかめなんでしょうか…。
縁起を見るとですな、こんなことが書かれてました。

なんでも、本堂を造営の際、棟梁が、柱の寸法を間違って短く切っちゃったらしいんですよね。でも、この柱の材木は、信徒が寄進してくれた貴重な木材で、そのことで棟梁は大変苦慮していた、と。
んで、そんな棟梁を見かねた奥さんのおかめさんがですな、いっそのこと、枡組にしてしまえば!と、提案したんですと。
大黒柱にして点で屋根を支えるんじゃなくて、細かい木を枡のように組んで、点じゃなくて面で支えるようにすればいいでは、と。
このアドバイスのおかげで本堂は無事に建立なり、上棟式も行われたのですが、おかめさん、上棟式を待たずして自害してしまうのですよ。
夫である棟梁は大任を果たして名声を上げたのですが、そこに妻の助言があったと世間に知れたら棟梁の名に傷がつくので、それを怖れ、この身はいっそのこと夫の名声に捧げましょう!と、自害。。。。

そんなんで死んじゃったら、かえって、妻に助けてもらった夫として、大々的に世間の知れるところになるような気がせんでもないんですが、まあ、美談になってます。

そんなこんなで、おかめさんのお寺さんでもあるわけなんですが、やっぱりありましたですよ、おかめのコレクションが(笑)
だるま寺といい、どーも京都のお寺さんは、コレクションに走る傾向がありますな…。

このお寺さんも、あっちゃこっちゃに、おかめさんが出没してます(笑)

ちなみに、おかめさんは、漢字で、「阿亀」と書くんですが、亀は幸運を運んでくる動物なので、福々しい名前ですね。お多福さんと同一人物で、これが、その当時のベッピンさんですわ。

町中なので間口は小さいですが、国宝です☆


立派な枝垂れ桜。おかめは、「阿亀」と書くんですね。知らなかったですが、当て字かも


この本堂が国宝です。京都最古の木造建築物。


おかめさんと相方さんのツーショット。そっくりです(笑)


屋根のフォルムがたまりません☆


賽銭箱の横にも、おかめさんがひょっこり☆


やっぱり、募集に走る…。おかめさんだらけです。。。


まだまだおかめさんが…。


なんぼでもいます~。


こんなおかめさんもいます~。


お面もたくさんあります~。


本堂内には、おかめさんの石像がありました。たぶん、撮影禁止(笑)


ボケ封じの観音さんもいらっしゃいます。


ボケないように、オジィとオバァが観音さんにすがってます~。