2007年12月31日月曜日

今年もお世話になりました☆

神戸の事務所の大掃除をして、自分の家の大掃除をして、実家の大掃除をして、買い出しに行って、先ほどからおせちにとりかかっております〜。

数の子やっつけて、田作りつくって、キンピラつくって、伊達巻きつくって…、クワイと里芋と炊いて…、まだ、そんだけ。

で、さっきまで、台所に立ちながら、『イカ天』見てたのよ。
BIGINとかどうでもいいんだが、フライング・キッズにたまにマルコシアス・バンプに大島渚にブランキーに。ヤバいくらいすごいバンドが出てましたな。たまとマルコシアス・バンプが対決していたなんて、知らなんだよ。
これ、当時、大阪では放映されなかったから(どっちみち、放送時にほとんど日本にいてなかったけれども。笑)、優勝バンドくらいしか知らないんだけど、こうやってみると、コスプレ大会みたいな番組ですな(笑)

さて、このあとは、くわいなどを炊きながら、録画しておいた『日本以外全部沈没』を見るの。『日本沈没』よりも、こっちのほうがきっとおもろい♪



今年もいろいろありましたな。
仕事もいろいろあったけれども、プライベートもいろいろあったけれども、mixiが楽しかったですわ〜。
夏あたりからブレイクして、コメントの数が倍増して(笑)
8月からこっちは意地になって毎日日記をアップしてきたけど、毎日書いただけのことはあって、いろんな人と知り合えて、オレのmixiは豊かな場になりましたですよ。

これいいよ!ってモノを送ったり送られたり、メシ食ったり遊んだり、ケンカしたり笑ったり、いろんなこと教えてもらったり…、そういうことがね、今年の夏からこっち、いっぺんにやって来ましたわ。

よくね、実生活が充実している人はネットには向かわない、って説が唱えられるんですが、あれ、嘘ですね。
そもそも、実生活が充実してないと、ネットは楽しくないですわ。
そりゃ、病気を患ってる人もいるよ。でも、その病気とちゃんと向き合ってるってことは、やっぱね、充実した実生活だと思うのですよ。だから、その人とのやりとりは、とても楽しい。

この年になると、仕事以外で人と知り合うことが、ほとんどありません。
ましてやオレは、生活のほとんどを仕事に捧げているので、仕事以外の場そのものが極端に少ないし。
だから、どんなに素敵な人と出会っても、それはほとんど、利害関係を伴います。
でも、mixiはそうでなくて、利害関係はまったくなくて、でもちゃんと、喜んだり悲しんだり怒ったり励ましあったり、他人なのに、我がことのように思うことが出来ます。

そういう関係を、今年、どれほどたくさん持ったことか。

つくづく、不思議なメディアですね。
不思議なんだけれども、とっても豊かな気がします。
オレはね、mixiでのやりとりでケンカもして、それがもとで離れてしまった人もいるけれども、まだ、裏切られたことがないですね。
騙されたとか、悪意を持って近づかれたとか、そういうことが一切ありません。ラッキーなだけなのかもしれないけれども、そういうことがないというのも、とっても嬉しいことではあります。

来年も、もっともっと豊かでありますように。
オレも、みなさんも。

あ、でも、来年は毎日日記はアップしませんから(笑)
少し、ペースを落としますから。さすがにね、少ししんどくなってきました。

ということで、
今年もお世話になりました。
そして、
来年もよろしくです。


そうそう、すこしまえに、間違い探し画像をつくったので、アップしておきます。
2枚の画像はおなじに見えて非なるもの。4ヶ所、違うところがあるんですよね。
わかった人は、答えを書くんじゃなくて、ヒントめいたものでも書いてくださいませ。

2007年12月30日日曜日

オレがおせちをつくるわけ

29日の朝に和歌山から大阪に戻ってきて、ヤボ用済ませて、その足で神戸の編集部に行って、編集部の大掃除。
そこではオレは偉いさんですから、たいして掃除することもないんですけど、自分の机の上がね、エラいことになってまして、1メートルクラスの書類のタワーが5個(笑) もうね、ずーっとシュレッダーを占領してましたですよ。。。
オレは家はマメに掃除しているほうですが、神戸のここは毎日来るわけじゃないので、なんだかんだと積み上げたままになってるものが多くて…。

まあ、それもなんとかやっつけて、夜に帰宅。
あとは家の掃除とおせちづくりだけですわ〜。

家の掃除はともかくとしてですな、そもそも、なーんでオレがおせちをつくらなならんのですか(笑)
それも実家に戻って。。。

うちのオカンはですね、オヤジが亡くなって14年、オレの妹が結婚して独り身になって10年になりますが、そっからこっち、いつの間にやらおせちをつくらんようになりましたな。
大体、普段から掃除もあんまりしない人だったし、なんかね、ラクをするのが好きな人で。。

オレはですね、オヤジともオカンとも、妹とも、全然仲がよろしくないのですよ。むかしっからだし、今もだし。

ほんまにね、この人たちにオレは育てられたんかいな?って思いますよ。
この人たち以外の人に育てられた気分のほうが強いですわ。

世間体が大好きな人たちでね。
オカンなんて、よそのお子を褒めるというかお世辞を言うときに、いっつもオレを引き合いに出して、うちの息子はこんなのに、そちらのお子さんは立派に…、なんてことばっかり言ってましたわ。
オレ、小学校のころから、そんなふうに言われてましたから。それもね、親戚、つまりオカンの姉夫婦とか、そんなの相手にしてるときもですよ。
なんであんな言いかたするんだろ、って、小学校のころから思ってましたな。とにかくね、自分の息子をさげることでよそさんのお子を持ち上げて、そういうお世辞を言うことで、わたってきた人ですわ。ちなみに、オレ、小学校のころは、学校はじまって以来の神道か?って言われていたのにもかかわらず、ですが(笑)

小学校のころはですね、オレ、勉強がすごい出来たんですよ。
まあ、それにも理由がありまして。
ちっこいころからですね、オレの両親は、どういうわけだかオレを、末は外交官か自衛隊の幹部にしたかったらしくて、なにかにつけて、オレの気持ちがそっちに向かうように仕向けてました。

で、子供ってのは案外と察しがいいから、親の意向に添わなきゃ!って思うものじゃないですか。
で、気がついたら、オレも、外交官になりたい!とか、進学塾に行って勉強する!とか言ってるし。
で、そんなわけで、小学校の4年生んときから、大阪で一番の進学塾に通ってましたよ。小学校で電車乗って、放課後すぐから夜の9時まで、毎日、塾。毎日ですよ。。土曜は毎週テストね。休みは日曜だけでしたわ。塾のテストの点数が悪かったら、家のベランダに放り出されて、なかから鍵かけられて、反省させられてましたからね。ほんまに、よくあんな生活してたな。

そんだけ勉強してりゃね、誰だって学年で1番を張りますて。
今はどうなってるのか知らないけど、オレの時代、中学受験する人も少なかったし、こんなに毎日毎晩勉強してる人なんていなかったから、そりゃね、ダントツで1番になりますよ。

で、それを小学校6年までの3年間、毎日やって、中学受験。
東京の開成中学は合格したけど、それはね、試験慣れするために受けただけで、行く気はまったくないの。本命というか、行きたいところは唯一、神戸の灘中学。日本一の中学ですわ。
その灘中学には落ちちゃってね。
いや、そんときのオヤジとオカンの落胆ぶりって、なかったですな。
それ以来、オレはぐれたんじゃないかと思いますわ(笑)

中学は家の近くの公立に普通に進んだんですが、ぐれたというかね、とにかく小学校の遺産で勉強は出来たし、暴力的な方面に進まなかったですけど、とにかく教師にも親にも反抗しまくっていたような…。
試験のときね、答えがわかっていても、わざと答えなかったりするの。解答欄に、あんまりいい問題じゃない!とか、これならこういう問題にするべきだ!とか、この問題つくったやつはバカ!とか、平気で書いてましたから(笑)
今と変わらず調子者だったから、クラスの輪の真ん中にはいたし、勉強も出来たけど、そういう反抗の仕方をしてたから、まあ、非常に扱いにくい生徒ではあったはずです。

で、オヤジは事業道楽で、事業起こしては失敗して、借金こさえて、オヤジとオカンはケンカばっかりしてる。。。
もうね、オレは、中学のころから、家を出たくて出たくて仕方がなかったですよ。
虐待されたとか、むちゃくちゃされたとか、そーゆーのはなかったけれども、とにかく、世間体みたいなもんが大好きな人たちで、外向きには、個性を伸ばして!なんてことを言ってたくせに、オレを、自分たちの思う鋳型にはめようとばっかりしてましたわ。中学のときから、オレは、オヤジとオカンをキッパリと軽蔑してましたよ。

まあ、こんな話を書きだしたら止まらないので(これだけで日記を100個は書けるぞ。笑)、このへんにしておきますが、そういうところで育って、息苦しさったらなかったです。

だからオレはこの両親を反面教師にしてきたところもあるし、彼ら以外の大人と付き合うことで、その人たちに育てられて気分はね、ありますよ。

こっから、なーんでオレが正月のおせちをつくってるのかに行きつくまで、話が長くなりすぎるなあ。。

オヤジもいい加減だったけれども、そのオヤジが亡くなってから、オカンのだらしなさに拍車がかかりましたな。世間体に敏感なのは相変わらずだけれども、とにかく家んなかについては、だらしがないの。

掃除しないでしょ。料理は、たいしてやんないでしょ。
そりゃ、コンビニで育ってないから、コンビニ弁当が食卓に並ぶなんてことはなかったけれども、料理はたいしたことなかったです。
子供が犯罪を犯したりしたニュースを見てるときに、親がしっかりしてないからこうなる!なんてことをオレのオカンは平気で言うんだけれども、オレからすれば、てめえが言うな!ってかんじ(笑)

で、オレは一方で、おせちとかね、そーゆーもんは、親が子に伝えて、子がまたその子に伝えていかなきゃすたれる、って思ってるから、オカンがつくらなくなったのなら、オレがつくるしかないじゃないですか。
オレ、それだけの理由で、おせちつくってますよ。

親戚も来るし、妹夫婦んところの姪っ子も来るし。
オレ、今も、オカンとも妹とも全然上手くなってないけれども、親戚やら姪っ子やらにはメチャクチャ人気ありますからね。その人たちのために、おせちつくるんですよ。

ま、話が中途半端になっちゃったけれども、この話はこれくらいに。
また機会があれば書きますわ。というか、ちゃんと書こうとしたら、これの100倍くらいは書かないとダメなのよ〜。

そんなわけで、30日は家の掃除と買い出し。31日、おせちつくってます〜。
お煮染め、鯛の塩焼き、伊達巻き、数の子、田作り、昆布、キンピラ、里芋、紅白なます、栗きんとん、ブリの照り焼き。
棒ダラだけは戻してる時間がないから、出来合いのを買うけど。

2007年12月29日土曜日

あと3日☆

年内も残すところ、あと3日ですやん!
もう、追われて追われて、あんまり考えてなかったですけど、いよいよ最後の仕事してます〜。

今、和歌山ですわ。
和歌山の桐箪笥をつくってる会社の社長さんのところで、今日は泊めてもらってますねん。
行かな行かな!と思っていて、ついにこんな日になってしまいました。
でも、その会社自体は、年内の仕事終わってるんで、のんびりしたもんです。
海の幸、たんまりいただいております〜。
マンボウのトロがね、めちゃくちゃ美味いんですけど♪

29日の朝に神戸に行って、編集部の大掃除。きっとオレは指図だけでなんもせんやろうけれども(笑)

30日、自宅の大掃除&買い出し。

31日、実家に戻って、おせち料理をつくらされます〜。
うちのオカン、いつからかおせちをつくらんようになって、かわりにオレがつくらなならんのですよ〜。
まあ、31日の1日だけでつくれるもんしかつくりませんが。
黒豆は毎年失敗しますが(笑)

それにしても…、あと3日か。。。
今年も頑張ったわ。

ほなほな。

2007年12月28日金曜日

自動卵焼き製造機を見にいく

仕事のラストスパートで徹夜続き。
ということは、それだけタバコの本数も増えているということです。
ということは、それだけ鼻毛の生育も早いということです。
もうね、伸びて伸びて!
お風呂に入ったときに、プチッと引っこ抜くんだが、今日、左右あわせて、191本抜けましたな(笑)
新記録です☆
抜いた鼻毛は、浴槽の縁に置いて、数を数えるのが、オレのささやかな趣味ですから〜(笑)


さてさて、枕はこのへんにしてですな…、
昨日の日記で書いた工場見学ツアー。じつは、こないだ、プレ見学ツアーというか、前哨戦らしきものを、3人集まって、敢行したのですね。

阪神百貨店の地下にある、自動卵焼き製造機見学(笑)
見学といっても、もともとが実演販売しているものだから、誰でも見れます。

これがね〜、優れものなのですよ〜。
まず、これ。



約15cm幅に区切られた4つの溝に、上部の卵タンクが左から右に動いて行きながら、溶き卵が流し込まれます。底が鉄板になっているので、薄く注がれた溶き卵は、たちどころに固まっていくわけですな。

んで、これ。



鉄板のうえに薄く固まってシート状になっている卵を、今度は、ローラーが後ろから押し出すようにして、クルクルと巻いていくのですよ〜。
ローラーに巻きつけるほうが全然簡単やと思うんですが、それだと、ローラーが芯になってしまい、芯を抜くと空洞が出来てしまいます。
それやと卵焼きではないので、シート状に鉄板に貼りついている卵の端をペリッと剥がして、端を中心にして、クルクルっと巻いていく…。

この機械の肝は、この、シート状に鉄板に貼りついた卵の端をめくる作業と、後ろからローラーで押し出してもかたちが崩れないようにクルクルっと巻けるようにしてるところやと思うんですが、その秘密は、残念ながら企業秘密。企業秘密といっても、単に、そこにいてた機械を操作しているオバハンが知らんだけやと思うんですけどね(笑)

卵が巻き付かないようにローラーに溝が切ってあったり、ローラーの材質だとか、ローラーが移動する速度だとか、鉄板の温度だとか、きっと、試行錯誤を重ねに重ねたはずなんですよね。特許を申請しているようなものも、ありそうな気がします。
きっと、料理屋さんの発想でないですね。技術屋さんの発想で出来た機械のような気がします。

が、しかーし、そこにいてるオバハンに聞いても、なんも知りませんでしたわ(笑)
やっぱ、ちゃんとアポをとって、しかるべき人に聞かなあかんということですな。
ちなみに、この機械、1台1000万円近くするらしいです。そーゆーことは、オバハンもちゃっかり知ってはりました。さすが大阪のオバハン☆

卵焼きが1個400円として、1000万円の初期投資やから、卵焼きを25,000個売ったら、元は取れるわけです。1日に250個売ったら、わずか100日で償却出来ますがな。そう考えたら、安いな…。



今日は、変態チックに、ゴーキーズ・サイゴティック・マンキを聴いとります〜。
久しぶりに聴いたけど、相変わらず、すごいセンスあるのに、まともな音が一個もないという…(笑)
イギリスはウェールズの、愛すべき怪人たち。

本日の1枚:
『Patio Song』
Gorky's Zygotic Mynci

2007年12月27日木曜日

世界最長寿企業

世界で一番の長寿企業って、どこの国の会社かご存知ですか?

じつは大阪にありましてですね。
金剛組、という会社ですねん。

お寺さんや神社の建築を手がける、宮大工の会社です。
創業578年、飛鳥時代の創業! 大化の改新よりもまだ古いの時代ですよ!
聖徳太子の発注を受けて、大阪の四天王寺の建設にあたった会社なんだとか。
聖徳太子が顧客だったって、おい!(笑)
現在は株式会社ですが、ちなみに株式組織にしたのは、昨年(笑)
社史とか編纂したら、どんだけ分厚いものが出来るんでしょうかね。。。

今、クリエイター仲間と工場見学ツアーを企画してまして、来春から実行に移します☆

んで、第1弾が、ここ。
第1弾に相応しいでしょ♪

日本には、どういうわけか長寿企業が多いです。

1400年以上も続いている金剛組はダントツで最長寿ですが、200年以上で調べてみると、
アジアだと、中国に9社、台湾に7社、インドに3社。
ヨーロッパでは、ドイツに800社、オランダに200社。
アメリカは14社。まあ、アメリカの場合は建国してから歴史が浅いですから、これは仕方がないことですが。
翻って、日本には200年以上続いている企業が3000社あるらしいです。
桁が、全然違いますな。
大体、今現在、会社の平均寿命って、たしか15年くらいです。それを考えると、200年以上も続いてるってだけで、とんでもないことですな。たとえそれがヤミ金であっても、尊敬してしまいそうです(笑)

なーんでこんなにもたくさんの長寿企業が日本にはたくさんあるのかというと、モノの本によりますとですな、まず、内戦が少なかったことと、侵略されたことがないのが主たる原因ではないか、と。
日本で唯一の内戦というと、室町末期の応仁の乱と戦国時代ですが、それとて1400年代半ばの出来事ですから、600年もまえのこと。

いろいろ調べていたら、こんな会社もありました。
1560年創業、岐阜の鋳造会社「ナベヤ」
思いっきり戦国時代の創業ですが、最初は鎧兜をつくっていたんだとか。織田信長の鎧をつくっていたらしいです。
ここも、社史とか編纂したら、とんでもないものになりそうですな(笑)


オレが稀に行く京都は南禅寺の料亭「瓢亭」は、1600年頃の創業です。料理屋さんとしては、これまた世界最長寿でしょうね。はっきり言って、吉兆なんざ、瓢亭に比べたら新参者ですから。


長寿企業にモノヅクリの会社が多いってのがね、オレたちクリエイターの心をくすぐるんですよ〜。
年が明けたら、まずは金剛組に行って、いろいろとお話をうかがってきま〜す。

2007年12月26日水曜日

大根餅


オレんところの業界は、新春特別号だとかのせいで、どの雑誌もページ増の分厚い雑誌をつくりたがるからか、ただでさえ稼働日数が少ないの仕事量は増えるという、むちゃくちゃな状態に突入するのですよ〜。
そのせいで、クリスマスも昼も夜もへったくれもなく仕事せなならんわけですが、さすがにね、ちょっと鬱々としてきましたわ〜。
オレ、今、神戸の編集部に5夜くらい連続で泊まり込みよ(笑)
で、きっと、このまま仕事納めまで、ずーっと家には帰られへんのですわ。。。
しかも今、東京で、大阪に戻ってからは和歌山にも行かなならんし。。。(goutさん、今日はありがとうございました。泣きそうになるところ、ほんまに助かりました☆)

で、ちょっとストレスが溜まってきたというか、イラッとしてきたというか、そういうときの解消法って、オレの場合、なぜか料理をするという…(笑)
これ、どーゆー資質なんですかね?

さて、中華街をうろうろしていて、あそこをうろうろするときは、わりと買い食いをするのですが、かなりの確率で、大根餅を買って食べ歩いてることがあります。

点心のメニューにあるやつね。
焼きたての熱々のは、かなり好きです☆

好きなんですが、はて、どーやってつくるのか、さっぱりわからん。。
なんとなく、大根おろしと米粉が必要なのはわかるのですが、あと、どーするんだろか?

わからんときは、オバァにピッポッパ(笑)

オレはですね、レシピをネットで調べることがほとんどありません。
大小各種のレシピサイトはブックマークしてるし、レシピサイトをつくることもあるんですが、どーもね、しっくり来んのですよ。
美味いもん屋を探すときとおなじで、不特定多数を相手にした情報って、あんまりオレには馴染まないんですよね。それよりも、この人の嗜好はオレの嗜好と一致している!って人に教えてもらうのがね、オレとしては一番なのです。だから、美味いもん屋を教えてもらう人も決まってるし、レシピも、大体は、mixiの日記上でマイミクさんの皆さんに教えてもらったりしてます。

で、台湾出身のオバァがいてるので、こやつにですな、大根餅のレシピを教えてもらおう、と。

材料は…、
上新粉に片栗粉、大根、中華ハム…、それに、中華ソーセージ、干しエビ、干し貝柱。。
おい、そんだけ揃えんとあかんのですか? ハードル、高いな(笑)

この時点ですでに断念してるんですが(笑) 一応、レシピを教えてもらいました。

1)
大根をおろし、水気を切る。

2)
中華ソーセージを10分ほど蒸して、小口切り。
干しエビを、水で戻す。
中華ハムを30分蒸して、短冊切り。
干し貝柱を水に浸けて2時間蒸す。

3)
上新粉と片栗粉を10:1の割合で混ぜ、塩、コショウ、砂糖を適宜混ぜ、冷水でトロトロの状態になるまで混ぜる。

4)
トロトロになった生地にサラダ油とごま油を入れ、中華ハム、戻した干しエビ、戻して裂いた貝柱、中華ソーセージを入れ、かき混ぜ、鍋に入れて、お湯を加えて、弱火にかけながらかき混ぜる。

5)
ホワイトソースのようにトロトロになるまで弱火で練り、大根おろしを加え、さらに弱火で練り混ぜる。

6)
全体の材料が混ざり、トロみがなくなり、固くなってきたら、耐熱容器に油をひいて、そちらに移し、1時間ほど蒸す。

7)
蒸し上がったら、粗熱をとって冷蔵庫で冷やし、適当な大きさに切ってフライパンでカリッと焼く。


とまあ、こんなかんじですが、材料だけでなく、レシピ自体のハードルも高いですな(笑)
下ごしらえと本格調理の両方のプロセスで、煮て、蒸して、焼く、やと?(笑)
無理です(笑) そんな時間も根気も、さらには、蒸すための道具もありまへん(笑)

んで、そんなん無理やわ〜、と、オバァにグチると、ほならつくって持っていったる!と☆

えーっと、24日に、つくってくれました☆
これが唯一の、心尽くしのクリスマス・プレゼント☆

大根の甘みに中華ハム&ソーセージの塩味がアクセントになって、もっちもちで美味いです☆
焼きたては表面がパリッとしていて、香ばしいですしね☆

お皿もいいでしょ♪ これ、むかしに中華街で50円で買ったの。

2007年12月25日火曜日

メリクリ〜




どちらさんも、メリクリです〜☆
オレは仕事してますが、気にせずに騒いだってくださいませ〜☆
もう長いこと、徹夜だぞ、っと(笑)

画像は、道端で見つけたサンタさんにポーズをとってもらって、パチリ。
今年、唯一のクリスマスらしいヒトコマでしたな(笑)

それと、息抜きでつくったクリスマス・カード。

クリスマス・ソングは、トロージャンから何枚か出ている『レゲエ・クリスマス』のコンピに入ってるのを、毎年、聴いてます☆

本日の1枚:
『Gable Hall School Choir』


2007年12月24日月曜日

ギター少年


昨日、仕事で移動中、少年が道端でエレキ・ギターを弾いているのを見かけました。
弾き語りでもバンドでもなく、立って、ひたすらエレキ・ギターを弾いていましたな。路上でなんだかんだとやっている人たちはたくさん見かけるけれども、これはなかなか珍しい光景。

コピーなんだけれども、めっちゃ上手い。
クラッシュの曲を延々とやっていて、ふ〜ん、と思っていたら、あっ!と気がついた。たしか、ジョー・ストラマーの命日なんじゃないか? そう思ってあとで調べてみたら、やっぱり、ジョー・ストラマーが亡くなった日でした。12月22日だけどね。

見ている人は、オレひとりでね。でも、そんなことはまったく意に介さずに、寒い冬空のしたで、彼はずっと弾き続けていました。
お客さんのためでもない。自分の音楽を売り込むためでもない。もちろんおカネを入れる箱なんて置いてない。
ただ、大好きなアーティストのことだけを思いながら弾いているのが、伝わってきて、かなり新鮮だったですね。

こんな気持ち、あったなあ、と思ったです。
歌詞をノートにただ書き写したり、アルバムの感想をただひたすら友だちに話して聞かせたり、そうしないといてもたってもいられないような気持ち。
書いていた走り書きだらけのノートや徹夜で話し込んだこととかを、つい、思い出してしまいましたわ。

不意打ちのクリスマス・プレゼントをもらったみたいな気分。

この少年は、これからなにかを見つけるんだろうか?
オレは、いっぱい見つけたぞ。


本日の1枚:
『London Calling』
Joe Strummer & The Pogues

2007年12月23日日曜日

バスネタ

大阪の北のほうに用事があって、久しぶりにバスに乗ったのでした。
京都だとバスに乗ることも多いんだけれども、大阪でバスに乗るのは久しぶりですわ。といって、べつになんの感慨もないけれども(笑)

終点まで行くから安心して寝ていられるわいと思って寝ようとしたら…、
後ろで、いきなり携帯で話し出す婦女子さん。それも、痴話ゲンカ(笑)
続いて、通路を挟んで隣の席で、赤ちゃんが500dbくらいの大音量で泣き出す。
痴話ゲンカの婦女子さんが、赤ちゃんがうるさい!と文句をいい、赤ちゃんのお母さんが謝るも赤ちゃんは一向に泣きやまず、そのうち、ケンカみたいになり…。

あ、の、な、おまえが一番うるさい!
と、オレが、痴話ゲンカの婦女子さんをどやしつけて、車内が一瞬のうちに、しん、となり、なんか、オレがバツが悪いじゃないか(笑)


バスと言えば、インドで乗ったバスが一番強烈でした。
ハルーちゃんに、ときどきは旅の話をしてくれ!と言われるので、今回は旅ものを。


インドの砂漠のど真ん中で皆既日蝕が見られるということになり、そこで皆既日蝕を見ながらレイブ・パーティが開催されるということにもなって、デリーで、そのツアーに参加したのでした。

朝の10時半に出発するはずだったバスは、遅れに遅れて、出発したのが夕方の4時半。いくらアジア時間とはいえ、いつ出発するとも知れんバスを6時間もポケッと待つのは、炎天下のもとではなかなか辛いものがありますな。

やってきたバスは30人乗りくらいの大きくて立派なものだったけれども、古くてね、サスがまったく効いていない、ガタガタのやつ(笑)
乗ってるのは、地元の人間でも普通の旅行者でもなんでもなくて、オレみたいなバックパッカーと、砂漠までレイブ・パーティに参加するようないかれたやつらばっかりだったので、すぐに誰かがハシシをまわしはじめましてね。もう、車内が甘い香りで朦々と(笑)
それぞれが持参したハシシに火を点けて、まわし出すんですよ〜。一服し、次にわたすと、すぐに前やら横やらからまわってきます。細いのやら、太いのやらの、パイプがまわる、まわる。
レッツゴー、マジック・バス! シャツを脱いで、裸になったイスラエル人の男が、叫んではりましたわ。

バスの運転手はキャプテン・ジジと呼ばれていて、そのジジが、運転席から後ろを振り向いて、吸うならカーテンを閉めろ!って叫んでました。
でも、バスのなかのイギリス人、ドイツ人、イタリア人、日本人は、んなことなんて全然言うこと聞かないから、カーテンを閉めずに窓を全開にしてましてね。
トランス・ミュージックが、インドの夕暮れにガンガン流れ出て、キャプテン・ジジ、大激怒☆
バスを停め、吸うならカーテンを閉めろ!オレが捕まっちまうだろーが!って(笑)
10回くらいはそんなやりとりをしてましたかね。
最後には、オレが捕まったら砂漠には行けないんだぞ、と怒鳴って、そのひとことで、オレたちは、なぜか我にかえって、ハシシを吸うのをやめたのでした。

その後、ハシシ入りのクッキーとかもまわってきて、なにげにそれを食ったら、翌日、熱が出ちゃって、お腹は下すし、エラい目に遭いましたわ。
エラい目に遭ったけれども、バスはやっぱり砂漠に向けて走っていて、車中2泊して、砂漠に到着☆

それから少ししてクリスマスがやってきて、そのころは、やっぱりインドのゴアで、あっついなか、クリスマスを過ごしておりました。
これまた、20、基、25年くらいまえのお話。


今日はおとなくし、カーティスでも。

本日の1枚:
『Move On Up』
Curtis Mayfield


2007年12月22日土曜日

君がロック☆

オレのマイミクさんのクワロフスキー将軍さんが悪い!

だってさあ、今頃になって、『アイデン&ティティ』のレビューを書くんだもん。
だからさ、そんなかの挿入歌の『君がロック』をYouTubeから引っ張り出して聴くのは、必然なわけですよ。

んで、そんなものを今聴いちゃったらさ、仕事になんかならないぢゃないですか!
もう、PCからも脳内プレイヤーからも、エンドレスで流れっぱなしなわけですよ!

君が持ってるもので僕を殺してほしい僕がほしいものみんな君が持ってる
君が持ってるもので僕を救ってほしい僕がほしいものみんな君が持ってる
君がロックで君がロックさ僕にとっての君がロックだ君がロックで君がロックさ僕にとっての君がロックだ


音楽はさ、音で伝わるもんだから、言葉なんてね、これくらい真っ直ぐでいいんですよ。
あとは、どう歌うかだ。その歌いかたに、歌ってるそいつの、熱情やら照れやら真っ直ぐさやら意思やら覚悟やらが表れるんであって。

キヨシロー、ヒロトと続く日本のロックのメインストリームは、銀杏の峯田クンが引き継いだと思うんだけれども、三者に共通しているのは、言葉に対する、照れ、ですな。
この人たちは、徹底的にロックで、徹底的に音楽で、だから、言葉に対する照れを持っているのだと思います。だからこそ、音楽人として、この人たちは、信用出来る。饒舌な音楽人なんて、それだけで胡散臭いですわ。

オレは、この年になってまだ峯田クンに圧倒的に共感出来る自分をね、ちょっと誇りに思ってます。
彼のことを若かった自分に重ねて懐かしむことも出来るけれども、オレはいつでも、現役で、今の峯田クンに戻れるぞ!って思ってます。




もうね、ほんとに今、頭から離れん!
相方さんよ、君がロックだ☆
勢いあまって、むかし、相方さんにプレゼントした自作の詩集絵本をね、引っ張り出してきてしまったじゃないですか。
オレは音楽人じゃないから、言葉の人間だから、饒舌ですぞ!

お蔵出しだよ、お蔵出し!
こんなの公開していいんだろうか?(笑)
2005年の春につくったの。
えーっと、お願いだから突っ込まないでください。かなり、恥ずかしいんで(笑)












徹夜明け、群青色の夜明け前、
○○○のことばっか考えてる。

あの、すべての感情をぶっとばしてくメロディみたいな○○○の長くてキレイな黒髪に淡い花飾りをつけたら、空はどんなふうに微笑むんだろうか、
とか。
あの、世界中のあらゆるものを祝福してしまうかのような○○○の優しい微笑みは、どうやったら手に入れられるんだろうか、
とか。
あの、エロティックな夢を見せる○○○のくちびるに、今日はどんなルージュを塗ってやろうか、
とか。
徹夜明けの夜明け前に、ずーっと、そんなこと考えてる。
楽しいから、○○○のことばっか考えてる。

昼にはきっと○○○と恋に落ちるはずの朝、写真が出来上がるときみたいなドキドキ感に襲われてる。
今日、○○○の大切なものにくちびるを寄せて、甘く溶け出す秘密を盗んでやるんだ。
もうすぐきっと○○○と一緒に踊るはずのほんの少しまえ、○○○の甘い香りがオレをさっとひと刷きしたような気がして、ちょっと立ち止まったんだ。でもそこには○○○の姿は見えなくて、ウグイスが鳴いてるだけだったんだけど。
徹夜明けの夜明け前に、ずーっと、そんなこと考えてる。
楽しいから、○○○のことばっか考えてる。

たしか、ボサノヴァでメッキした夜に、○○○はアクアマリンの三日月をしたがえて、オレのまえに現れたんだ。
たしか、ヒマワリの花が一斉に咲いた朝に、凱旋門で○○○が収穫のダンスを踊ってるのを、オレ、見てたんだ。
徹夜明けの夜明け前に、ずーっと、そんなこと思い出してる。
楽しいから、○○○のことばっか思い出してる。

まず、夢が叶えられた。だから、オレ、未来と○○○におじぎしたんだ。

幌馬車に乗って出発する午後、○○○はちっちゃなバンドネオンのアコーディオンをさげて、空にキスを投げたんだ。
西部の鷲が舞ってる夕暮れどきに、○○○は、月の使者からもらった秘密のティアラを飾ってたんだ。

バルコンで午後の紅茶を飲んでるオレと、エスメラルダのバスルームで泡だらけの○○○。
革命が起きそうな前夜にワクワクしてるオレと、買ったばかりのお気に入りの服でファッション・ショーをしてる○○○。
短編小説書いてるオレと、黄金時代のサルサで踊ってる○○○。
夜中にピーナツ食べてるオレと、昼間っから優雅にシエスタしてる○○○。
徹夜明けの夜明け前に、ずーっと、そんなこと考えてる。
楽しいから、○○○のことばっか考えてる。

わかってほしい、ではなくて、わかってあげたい、でもなくて、オレ、○○○と、わかりあいたいんだ。
オレと○○○が、ダイレクトに、ワイヤレスで、メイクラブ出来たら、そこには至上の風景が広がってるんだってことを、
オレ、ロックンロールから学んだんだよ。
人と人が、完璧にわかりあえることなんてなかったじゃないか、って、ビートルズのジョン・レノンもRCサクセションのキヨシローも言ったけど、それでも、完璧にわかりあいたいんだって希望と欲望を捨て切って絶望するなんてことは絶対にイヤだから彼らは歌い続けるんであって、だからオレもロックンロールを聴き続けるんであって、それは、たとえ、○○○の胸の奥深いところに刺青となって刻印された悲しみを、知る術がオレにはないのだとしても、○○○の身体を襲うさまざまなトラブルと痛みを、代わってあげられる術がオレにはないのだとしても。

オレが○○○に宛てたメールを送ろうとしているまさにそのとき、○○○が携帯のアドレス帳からオレの番号を探してるなんてことは、滅多にないことだとしても、
オレが○○○に宛てたラブレターを書いてる真夜中に、○○○がオレの夢を見てるなんてことは、ありえないことだとしても、
でも、そんな瞬間は、オレの宝物だったりするんだ。

○○○がオレの名前を叫んだそのとき、地球の裏側の路上で詩を書いてるオレにその声が届いたら、オレは光速のビンテージ・カーを操って○○○の元に駆けていけるじゃない。
○○○がオレを思ったそのとき、冒険物語のなかで異人と闘ってるオレにその思いが届いたら、オレはオーロラを翼にして○○○の元に飛んでいけるじゃない。
そんな瞬間は、オレの大切なものだったりするんだよ。

人はわかりあえる、って前提を持つより、人はわかりあえないもんだ、って前提を持つほうが好き。
わかりあえないもんだってことにうちのめされたとしても、わかりあいたいって思いが強ければ、繋がりは熱くなれるから。

なあ、秘密を持とうよ、ふたりだけの。

でもさ、とりあえずはね、
なにがあるわけでもないけど、
なにはなくとも、ここに○○○がいれば、
○○○がいてさえくれれば!
大好きな○○○がいてくれさえすれば。

まず、夢が叶えられた。だから、オレ、未来と、そしてもちろん○○○に、おじぎしたんだ。

2007年12月21日金曜日

『ひとはみな、ハダカになる。』


理論社という、社名からしてかった〜い出版社から出ているシリーズもので、『よりみちパン!セ』というのがあるのですが、このシリーズは、硬軟織り交ぜて、名著を連発している、なかなかのシリーズです。

日本、基、世界の漢字学の最高峰、白川静先生の『神さまがくれた漢字たち』、孤高のノンフィクション作家、森達也による『いのちの食べかた』なんていう珠玉の名作から、人気作家の重松清による『みんなのなやみ』、みうらじゅんによる『正しい保健体育』なんて軟らかいところまでカバーしていて、サブカル青少年は必読のシリーズですな。ちなみに、みうらじゅんの『正しい保健体育』は、震えるほどの名著です。

一応、対象年齢が、14歳、つまり中学生以上となってまして、全シリーズを図書館に揃えている中学校も全国にたくさんあります。児童書エリアの本ですからな。

が、しかし、こんなのもある。

『こどものためのドラッグ大全』(深見填)
『オヤジ国憲法でいこう!』(しりあがり寿)
『男子のための人生のルール』(玉袋筋太郎)

真っ直ぐに教育目的で敢行されているシリーズなのですが、下手をするとPTAから有害図書指定されかねないものもキチンと出すという、根性の座ったシリーズでもあるのですよ。

で、今回。
ついに決定版が出ましたわ。

『ひとはみな、ハダカになる。』(バクシーシ山下)

バクシーシ山下といえば、『女犯』シリーズで一世を風靡したAV監督。
その彼がこの本でなにを語っているかといいますと、もろ、アダルトビデオの世界(笑)
彼が実体験したエピソードが満載でして、それがいちいち面白いんですけどね。

彼がアダルトビデオの世界に飛び込んで一番最初にやった仕事は、ロバを迎えにいくこと(笑)
はい、獣姦モノの撮影ですね(笑)
おまけにこの撮影で一番の売れっ子出演者はロバでして、次はCMの撮影がありますから〜!って、分刻みでスケジュールをこなしていくロバらしいのですよ。

そういう、どうでもいいエピソードが満載なのですが、バクシーシ山下の射精産業を見る目は冷徹で、人間の欲望というのは、ハードの進化・普及とソフトの誕生、法律や規制と有機的に絡まりあって、それらによって変化させられ、方向づけられているものなのだという指摘は、相当に鋭いと思いましたです。
つまりですな、オレたちは、自分の意志ではなく、時代のトレンドによってちんちんを握らされている、ってことですが、これを正面から言い切った人を、オレはほかに知りません。

オナニーを覚え立ての中学生にとっては、厳しすぎる指摘です。

さらにですな、AV女優というのは、性格でも努力でも演技力でも才能でも教養でもなくて、唯一絶対に必要なものは、容姿である、という、容姿第一主義を説く、実も蓋もない結論(笑)

これ、無限の可能性を秘めている、と、建前上はされている、中学生男女を対象にした本なんですけどね(笑)

AVの世界を特殊と見なし、蓋をするのは簡単なのだけれども、特殊な世界から見えてくるものも確実にあって、目を背けるだけでは済まされないのはたしかだとしても、それにしても…、いや〜、理論社、やりますな。こいつを全国の中学校と高校の図書室にぶち込みますか〜。
核爆弾に等しいな☆

中学生がちゃんと読めるように、小学4年生以上で習う漢字にはルビが振られ、本文の文字サイズもでかく、挿絵も豊富。じつに丁寧なつくりで、中学生と向き合ってます(笑)

2007年12月20日木曜日

下仁田ネギ



えーらいこと立派なネギをいただきました。
八百屋さんから、いただいたんですけどね(笑)
売らないの?って聞いたら、サンプルがわりに仕入れてみただけだから、あげる〜!って。
売れよ!(笑)

群馬でつくられている下仁田ネギというらしいですな。
それなりに有名らしいのですが、西に住んでると、東のことはわからんです。それにしても立派なネギだこと。
直径5cmくらいあります。
栽培風景を探してみたら、ネギ畑とは思えん光景でした(笑)

これだけ網で焼いて食べても美味そうだし、いつものように鍋に入れてもいいんでしょうが、ほかに食べかたはないですかね? ネギがメインの料理って、なにがあるんでしょうか?

刻んで掻き揚げにして食べても美味いって聞いたんですが、天ぷらなんて面倒なものは、我が家では御法度です(笑)

各ご家庭秘伝のレシピ、よろしくです〜☆


(黒いやつの)なにが好きかと、ふじわらちゃんさんに問われて、そーいえば、ラテンとブラッグが蜜月期にある、サルサ前夜のNYシーンとかがめっちゃ好き!というのを、思い出しました。思い出したって…(笑)
バレットのコンガがヤバいです☆

本日の1枚:
『Acid』
Ray Barreto






ちょっとお願い)
ネット上に街をつくりました。遊びです。

ここを訪問すると、訪問するたびに人口が増えて、人口が増えると建物が建って、イベントやらなんやらが行なわれるらしいです。どんなことになるのかはオレも知らんのですが、ヒマなときに訪問したってください。えーっと、商業的な要素は一切ありません。

2007年12月19日水曜日

ロンドン、パリ

右目がロンドン、左目がパリを見ている目の持ち主を、ロンパリと言いますな。
斜視というやつでして、よーするに、どこを見ているかわからん!というやつです。

オレは、斜視でしてね。ま、写真のようなかんじで、左目が外を向いてます。


中学のときに、
掃除せーよ! やなこった!
みたいなしょーもないケンカがもとで殴り合いになって、膝を左目にまともに食らいまして、眼底骨折、脳挫傷の一歩手前という、なかなかなやんちゃをしておったのですよ。7時間という、大手術でした。
んで、そんときに、左目がピョコっと外を向いてしまい、そんときから、斜視。

見るというメカニズムは、
目のまえにリンゴがあったとして、右目と左目とリンゴの3つの点を結ぶ二等辺三角形をつくって、その頂点で結ばれた情報を視神経を通じて脳に送り、脳内で像を結び、見るという行為が完結しているわけですが、斜視になるとね、右目と左目が同時にひとつのリンゴを見るということが出来ないのです。
つまり、右目と左目と対象物とで、三角形をつくることが出来んのですね。

右目と左目とで見ている場所が違うので、それぞれ違う情報が脳に送られてしまい、同時にふたつの違う景色を見ていることになってしまいます。
簡単にいうと、風景がダブって見える。ダブるといっても、乱視のように微妙にダブっているのではなくて、思いっきりダブってますから、輪郭がはっきりせんとかぼやけるとか、そういうのではなくて、思いっきり、めいっぱい、ダブってます。
下の図がそうです。
ダブらせへんためには、右目か左目かのどちらかだけで見れば、オッケーです。



常時こんなふうに見えると、ややこしくてかなわん!と思うかも知れませんけれども、人間の身体とは上手いこと出来てまして、そのうちにですな、片目をつぶらなくても、どっちかの景色が消えてくれるんですわ。意識したら両方の景色が出てきてダブるんですが、意識しなかったら、オレの場合、ケガした左目の景色は、消えてくれてます。

だから、通常、右目だけでモノを見ていることになり、そのぶん、右目は酷使、左目はまったく使わん、という状態になってますから、きっと、目にはよくないはずです。眼精疲労は、人一倍かもしれんのですが、視力は両目とも今もって1.5、遠視も近視も老眼もなく、眼精疲労の自覚症状もなく、特段の問題もないですねん(笑) まあ、頑丈に出来てるんでしょう。首から肩にかけては相変わらず電気は走ってますが、これはきっと違うところに原因があるだろうし。

ただし、片目で見てるので、遠近感は多少失ってるかも知れません。
でも、ボーリングだって平均スコア120以上は叩き出すし、卓球だって相方さんをこてんぱんにするし(まいった!とは、相方さんは絶対に言わんのですがね。笑)、ボールペンの蓋だってちゃんと被せられるし、これまた自覚症状はまったくなし(笑)

だから、生活に支障があるかといえば、特段、ないんですわ。
障害者手帳を持つか、と、言われたこともあるんですが、障害を本人が自覚していない以上、要らんでしょ。第一、こんなので障害者手帳なんて持たされたら、卓球でオレにこてんぱんにされている相方さんの立場がないではありませんか!
男前ランキングからは外れるかもしれんのですが、これ以上もてても困るしな(笑)

テリー伊藤が、同様に斜視でしたけれども、彼は最近、手術をして治しましたな。
オレもね、中学から高校にかけては、何度か手術をしたのですよ。やっぱ、親が必死になって治そうとしますからね。本人は、なんの支障もないんで、いたって気楽なもんですけど(笑)

黒目というのは、筋肉である白目が黒目を左右から引っ張ることで真ん中に来るようになってまして、目を右に動かすときは、白目の右の筋肉が頑張り、左に動かすときは、白目の左の筋肉が頑張っとります。
正面を見ているときは、白目が両サイドから均等に引っ張って、黒目が真ん中に来るようにしとります。
んで、斜視で、ニュートラルの状態のときに、黒目が左を向いているということは、白目の左側の筋肉が頑張りすぎてるんですわ。というか、白目の右側の筋肉の筋が何本か切れちゃってるから、黒目が左に寄ってしまうんですけど、それを是正するのには、白目の左側の頑張ってる筋肉の筋を何本か切ってやればいいわけです。原理は、至極簡単。

この手術をね、中学から高校にかけて3回やりましたな。
まずね、点眼の麻酔をします。これで目に対する痛みの感覚がなくなり、同時に、視界もぼやけます。
次に、本格的な麻酔を、白目にブチって注射するんですが、いくら視界がぼやけているとはいえ、なかなかの恐怖ですぜ、だんな(笑)
ほいで、麻酔が完了したところで、メスで、白目の筋を何本か切るんですが、これがね、めっちゃ適当なんですよ(笑)
これを何度か繰り返して、黒目が正しい位置に来るように、それこそ何度か手術をするんですが、いかんせん、目分量というか勘というか、とにかく適当なので、上手いこと決まらんのですわ(笑)
日帰りで出来る手術なんだけれども、手術したあと、麻酔が切れたらシクシクと痛いし、こんなん何度もするのはかなわん!ってことで、3回でやめちまいました。

担当医の名誉のために書いておくと、大阪大学医学部のなかなか評判の先生やったんですが(うちの母方の家系が、阪大病院医学部に絶大なコネを持ってますねん)、当時は、そんなもんやったらしいのですよ。
今は、いろんな検査と計算で、レーザーで白目の筋を的確に狙い撃ちして焼き切るらしいですから、テリー伊藤はそれで治したんやと思いますが、オレんときは20年以上もまえの話。

そんなわけで、オレは今もって、右目はロンドン、左目はパリを向いているという塩梅でして…。
んで、それでもまーったく問題はないのですが、ひとつだけ問題というか、ちょっとしたことがありましてですね。

誰かと相対するときにね、ときどき、オレの左目だけを見る人がいるんですよ。
オレの場合は、普段は右目でモノを見てますから、誰かと相対するときは、右目はその人を見ているけれども、左目は違うほうを向いているわけです。
左目をその人に向けると右目があさっての方向を向くことになるんですが、左目で見るのはかなわんので、普段は、右目だけが、対象物のほうに向いてます。
ですから、なにかの拍子に左目だけを見られるとね、相対している人は、自分を見ているとは思わんわけです。
少し離れたところから、その人に向けて、毎度〜!とか声をかけた場合、その人がオレの左目だけをたまたま見ていたとしたら、自分に声をかけられたとは思わなくて、自分の斜め後ろあたりにいる誰かにオレが声をかけたと思って、後ろを振り向くわけです。でも後ろには、それらしき人がいない。それで、その人の頭のなかには、?マークが飛び交う、と。
そういうときは、オレの目はね、と、説明してわかってもらうんですが、ときどきね、わかってくれへん人がいるのですよ。

最近、仕事の関係で足繁く通っている某大手企業には、今どき珍しく受付がありまして、受付嬢なる婦女子さんが鎮座してらっしゃいます。
そこへ毎度毎度、毎度〜!と声をかけて近寄っていくんですが、そのたんびに、斜め後ろを振り返る。
いや、あなたの後ろはいつもいつも、壁ですやん。人なんかが立ってられるような隙間すらない、壁ですやんか。
何度か説明してるんですけどね、で、オレの顔もとっくに見知っているはずなんですけどね、何度説明しても、初めて聞いたような顔をしはります…。

べつにいいんですけどね。
でもね、ちょっと凹みますねん(笑)
ブサイクやったらどーでもいいんですけど、ここの受付嬢の婦女子さん、なかなかの別嬪さんでしてね、だからか、余計とちょっと凹むんですわ(笑)

ま、それだけの話ですが。。。



パリといえば、こいつらがやっぱり好きなのです☆ レ・ネグレス・ヴェルテス☆

本日の1枚:
『BURMAN VICOMTE PARIS』
LES NEGRESSES VERTES


2007年12月18日火曜日

『エレクション・テスト』

坂本龍馬でもチェ・ゲバラでも誰でもいいのだけれども、歴史の年表に画鋲を撃ち込んでいるような偉人さんたちは、ほぼ例外なく、存命中は毀誉褒貶のただなかに晒されていたらしいですな。

ときを経て、そうした凸凹が磨かれ、決定的な評伝とともに評価が定まり、後年に偉人さんとして確定されていくのでしょう。

偉人さんだけではなく、表現者の評価というのは、そういう側面がより濃くあるのかも知れません。

真の表現者は、革命的で新しい表現を携え、そのことで既存の表現を殺すことでしか、世に出ることが出来ません。そうでなければ、新しく世に出る意味が、社会の側にはありません。
過去の手法をなぞっているだけの表現というのは、当人には某かの意味があるのだとしても、社会にとっては、あまり意味がないですな。過去の手法で表された表現は、それこそアーカイブを繰ってみれば、いくらでも素晴らしいものが収められていますから。

そう考えると、革新的な表現を携えて出現する真の表現者というのは、論争の的、それこそ毀誉褒貶の嵐に晒されることになるのは、必然ですらありますね。

だから、いくらベストセラーを連発して、その時代に受け入れられたとしても、そこに侃々諤々がないのだとしたら、その人はきっと、後世に名を残しません。

たとえば、戦前から戦後にかけて、和田芳恵という小説家がいました。ベストセラーを連発していて、全集も出版されています。オレは、彼が描く当時の風俗描写が好きなのでたまに読むのですが、まあ、今となっては、研究者レベルでないと知らない作家です。一般には、残っていない作家ですね。
やっぱね、当時からしても、革新的なところが、どこにもなかったんだと思うのです。

革新的、というか、不穏な空気といったほうがいいのかもしれないですが、そういうものを纏っている表現者は、それゆえに、存命中は毀誉褒貶に晒されるけれども、時代が変わっても残るし、何度でも蘇ってくるのだと、オレは思います。


最近、野坂昭如を読んでまして、この人はそういう作家なんだろうな、と、思ったりしました。

野坂昭如といえば、参院選に出たり知事選に立候補したり、歌を歌ったり、一方で『火垂るの墓』なんていう珠玉の掌編をモノにしている、マルチな表現者。で、コトを起こすたびに、毀誉褒貶の渦を巻き起こしてきた人。

ある資料本を目にしていたときにハタと気づかされたのですが…、
この人の文体は、博覧強記の饒舌ぶりをして井原西鶴に似ていると誤解されるのだけれども、ご本人は、井原西鶴はほとんど読んでいない、と言います。
それよりも、自分の文学的原点は、少年時代に読んだ猥本にある、と。
猥本ねえ、と、ずーっと思っていたのですが、べつのことで資料にあたっていて、ハタと目に留まったのが、告白タイプの投稿手記集なのですよ。

大阪にはそのむかし、『性生活報告』という告白本があったのですが、饒舌ではあるけれども主語が抜けていてときどき誰のことかわからなくなるような、彼の文体は、その告白本に出てくる、ひそひそ声に、よく似ているのです。体言止めの多様や、息継ぎをしながら畳み掛けるような口調…、ああ、これか!と、ここに辿り着いたときは、ひとりごちたもんです(笑)

日記のタイトルは、最近読んだ彼の短編。

近未来、超高齢化社会を迎え、国力が落ちた日本を救う起死回生の一手として、ET法なる法律が制定されたのですね。
男子65歳になったら、むかしの徴兵検査よろしくエレクション・テストを国家がやり、「現役」として合格しなかった男は死刑! 役に立たない高齢者はこの世から退場してもらうってことです。そうするとですな、仕方ないからそれまでに残った金をじゃんじゃん使う老人ばかりが出現して、消費拡大、景気回復間違いなしっ!ってお話(笑)

大笑いしながら読んでました。
筒井康隆が似たような仕事をしているけれども、筒井康隆よりも、野坂昭如のほうが、嘘のつきかたが上手いですな。嘘にリアリティを持たせるためには、具体的な名前をいっぱい出さないとダメなのですが、その点、野坂昭如の引き出しは、相当深いです。



最近聴いているモダン・グルーヴ・シンジケート。うねりがね、なかなかヤバいです☆

本日の1枚:
『Courthouse』
Modern Groove Syndicate

2007年12月17日月曜日

ペルソナ・ノングラータ

毎週土曜日の日経新聞に挟まっている『NIKKEIプラス1』の「なんでもらんキング」が好きでしてね、毎週チェックしてます。

こないだのは、迷惑な訪問客ベスト10(笑)

1位 約束の時間に大遅刻。
2位 長時間、居座る。
3位 約束をしていないのに突然来る。
4位 断りなく家のなかを探検する。
5位 予定外の友人・知人を連れてくる。
6位 子どもの不始末を親が注意しない。
7位 トイレの使いかたが汚い。
8位 断りなく室内でたばこを吸う。
9位 夜遅くまで大声で話す。
10位 子どもがソファでジャンプする。
11位 子どもが室内を走りまわる。
12位 断りなく台所に入ってくる。
13位 子どもがぼろぼろと食べこぼす。
14位 香水や整髪料の匂いがきつい。
15位 約束の時間より早く来る。
16位 風邪を引いているのに来る。
17位 家具や食器の値段をしつこく聞く。
18位 家具や置物をベタベタとさわる。
19位 かかってきた携帯電話で長時間話す。
20位 料理の批評をくどくどと言う。


わはは。オレ、15位の「約束の時間に早く来る」というのは、かなりあてはまるんですけど…(笑)

やっぱ、上位を占めるのは、時間感覚を疑いたくなる振る舞いが多いですな。オレも、時間にルーズな人は腹が立ちます(笑)

「午前中の約束なのに来たのは午後。仕方なく次の予定をキャンセルした」(30代男性)
「子どもが寝る時間になっても帰ろうとしない。伝えても『気にしないで寝かせて』と、わかっていない人がいた」(30代女性)
「昼食だけのはずが夕食まで準備するはめに」(40代男性)

いるいる!(笑)
次の予定をキャンセルしないとダメなときって、あるんですよね〜。あるけど、カンベンしてほしいです〜。

次は、子供関係が多いですかね。

「断りなく家のなかを探検する」のなかには、「子どもに『ダメよ』と言いながら親が一緒になって部屋を見てまわっていた」(40代女性)
「子供がソファでジャンプする」、「子供が室内を走りまわる」(11位)、「子供がぼろぼろと食べこぼす」と、いろいろあるんですが、こんなのは子供には罪はなくて、「子どもの不始末を親が注意しない」に収斂されますな。

そして17位。「家具や食器の値段をしつこく聞く」 大阪人は皆、これをします(笑)
また、聞かれるほうも、聞かれることを待ってますから! えーそんなに安かったの!と、言われることに快感を覚える人たちが大阪人なので、これは聞いてもらわないと困るのですよ〜(笑)


さて、来月は、goutさんの奈良倶楽部で新年会☆
気をつけよっと(笑)

ティナ・ターナーの公私とものパートナーであったアイク・ターナーが、12日、亡くなりましたな。
合掌。

本日の1枚:
『Proud Mary』
Ike&Tina Turner

2007年12月16日日曜日

人生すごろく


誰のどんな挑戦でも受ける(by アントニオ猪木)で仕事してるので(まあ、じつはそうでもないですが、気分だけでも)、いろんな仕事をしてますわ。

関西の中高一貫の女子校から、入学案内の冊子をつくってくれへんか、と。2009年度版ですけどね。

教育関係は、ちょっとバッティングするところがあるのですが、ここはそういうバッティングとは関係がないので、あんまり深く考えずに、ハイハイ〜!って、引き受けたんですね。

んで、こないだ、初めての打ち合わせに行ってきました。
で、去年の入学案内の冊子を見せていただきました。
そしたらですな、最近のこの手の冊子って、えらいことになってますな。

表紙に、少女漫画風の絵。
ページをパラパラとめくると、説明文なんてほとんどなくて、写真と図版のオンパレードで、それで学校の様子やらカリキュラムの説明なんかが伝えられています。
これ以外にですな、生徒の写真集のような冊子があり、夏バージョンは、スイカのかたちをしたパンフですわ(笑)

他の学校のものも取り寄せてみたのですが、この手のものって、意外なほど多いですね。
少女漫画雑誌の付録みたいな入学案内もあるし、まる文字だらけの手帳もありましたわ。
各学科の説明はティーンズ雑誌風で、学内でのランチ特集やらカロリー計算表までついてま(笑)

極めつけは、さいころの切り抜きまでついた、すごろく☆

入学してから、さまざまな学内行事を経て、卒業。卒業後は、さまざまな進路が用意されていて、進学、就職に混じって結婚もあります(笑)ほとんど、人生ゲームの様相なんですが、ガッコの入学案内に、人生すごろくの付録って…。

少子化が進んで、一部のブランド校を除いては、私学の生き残り競争が激化しているのはわかりますが、すごろくの付録って、ねえ(笑)
女子校って、女子校って…。

女子校といえば、ケイト・ブッシュとかが、なんとなくイメージとして思い浮かびます。

本日の1枚:
『Wuthering Heights』
Kate Bush






ところで、双子座流星群でしたっけ?
昨晩、見える見える!って相方さんがいうから、外に出て見にいったんですが、いっこも見えませんでしたわ…。相方さんは、きっと、願望が幻となって出現したのでは(笑)

2007年12月15日土曜日

霊験の力について夢想する

こないだ、ひょんなことから、鎌倉のお寺さんを巡っている人に会いましてね、仏像話で盛り上がってしまいましたですよ。

めっちゃ詳しい人で、オレは東国方面はよく知らないですから、すんごい勉強にもなって、メチャクチャ盛り上がってしまいましたわ〜。

鎌倉といえば、12世紀後半の動乱を経て、源頼朝が幕府を開いた新興都市ですな。ま、今さら新興都市もへったくれもないですが。
その鎌倉には、日本各地の名刹とおなじ名前を掲げる新寺院が、いくつも出来たらしいですね。

そういえば、奈良の長谷寺と同名の長谷寺が、今も鎌倉にはあります。

すでに移転したりなくなったりしたけれども、長野の善光寺や京都の清涼寺、清水寺を移した寺院も、かつては存在していたのだとか。

よく考えてみると、これら元になったお寺さんは、いずれも特徴的な仏像を本尊に仰いでます。
長谷寺は、錫杖を持った十一面観音像。
善光寺は阿弥陀如来像ですが、袈裟を両肩に掛け、両脇の観音菩薩と勢至菩薩がひとつの光背に収まってます。

そういう仏像が、鎌倉ではそっくりそのまま模倣されていた、と。

これはどうしたことか、というのが話の主題だったのですが、どうもね、もとの仏像に備わっている霊験を、新都市の鎌倉にもたらすためだったのでは、というのが、結論で。

「霊験」の「験」というのは、「しるし」の意味です。たとえば、壱岐の神が海中に火光を発して漂流者を浜に導く霊験を現した、なんてことが、古い文献、たとえば古事記なんかには記してあったりします。
この場合は、仏ならぬ神ですが、光という「しるし」によって、人々を救っていた、ということです。

奈良の長谷寺や壺阪寺は霊験の蘭若と呼ばれ、これは霊験の寺という意味ですな。

霊験は、なんらかの具体的な「しるし」によって、神仏が人々の願いに応えるものであって、本来は、特定の場所で起こる現象なのですね。
で、そこにいらっしゃる本尊が、やがて、霊験を現す仏さんであることが強調されるようになる、と。
だから、人は、霊験を求めて、お寺さんに参拝したりするわけです。

そもそも、
長谷寺の十一面観音は、たたりを起こす神木を仏像の材料としたもので、その頭上の仏面は、火災の際、自ら飛び去って難を逃れたと伝えられています。
善光寺の阿弥陀如来も、インドから百済に飛来し、その足で日本にやってきた霊像とされています。

中世になると、霊場参詣も、救済してくれる特定の霊験仏に出会うことが主な目的になってくるので、そういう流れのなかで、鎌倉幕府は、名高い霊験の寺を模倣し、仏像を模刻し、東国にも霊験が現れるように願ったのではないか、というようなことを、2人で妄想してました。

じつは、運慶が、こうした模刻を東国でさんざん行なっているのですが、運慶が伝説的な名匠になったのは、仏像の見事さもさることながら、それが霊験仏だと伝えられてきたことも大きいのではないか、と、オレは思ったりもするのですね。
今でもそうだけれども、見事な美術品(仏像は美術品ではないけれども)をつくった程度では、伝説的な人物にまで祭り上げられないと思うのですね。みんながみんな、目利きなわけじゃないし(笑)
それこそ、そこに、伝説めいたカバー・ストーリーがあってこそ、なのだと思うのですが、霊験がある、とうお話が、運営の造った仏像には引っ付いていたんじゃなかろうか、と、楽しい夢想をね、2人でしていたのでした。


最近のお気に入りはこいつです。ビシ! 甘美なヴォーカルとシタールやタブラの音色が舞い踊る摩訶不思議なサウンドが笑ける、なかなかのマスターピースです☆  PVもなかなかマッド!

本日の1枚:
『Never Seen Your Face』
Bishi

2007年12月14日金曜日

神戸ルミナリエ2007

もう1週間前になるのだけれども、ルミナリエに行ってきました。
最初の年から欠かさず行っていて、もう何年目になるんだろうか。。

毎年だけど、長田のオジィやオバァを引き連れての、大名行列(笑)
人ごみに紛れてどこ行くかわからんので、縄で繋いでおきたいくらいです(笑)

毎年、ルミナリエに行って、毎年書いてるけれども、年に1回の墓参りみたいなもんです。

震災と震災以降に亡くなってしまった長田のオジィやオバァたちと語らいながら、その一方で、今もまだ生きる気力を漲らせているオジィやオバァと、ボケとツッコミの漫才のような丁々発止のやりとりで、ワーワーキャーキャー言ってます。

震災のことをね、もうめっきり思い出すことはなくなったけれども、このときはね、思い出すようにしてます。そのために行ってるようなもんですな。

だから、墓参り。
墓参りというのは、死者のためにあるのではなく、生き残った人間が、これからも生き残っていくために、死者と語らうためにあるのだと思うのですが、オレにとってのルミナリエというのは、そういう場になってしまってます。

鎮魂、といっても、湿っぽくならないところがね、長田のオジィやオバァのいいところですわ。
この人たちは、ほんとに湿っぽくならなくてね、ある種、日本人離れしてますね。

コリアンのオバァは相変わらずウチナンチューの悪口言ってるし、沖縄は本土と島とで差別があるみたいで、その出身地によってデカい顔したり小さい顔したりしてますわ(笑)
くだらないからやめろ!と言っても、生まれたときから染みついてることだから、聞く耳を持ちません。。
でもね、体験から焙り出された実感をまえにして、言葉なんて、どんだけ重ねても無力ですからね。オレは、それでいいのだと思っています。もう、しょーがない(笑)
そんなことよりも、そういう、剥き出しの感情を露にしながら、生き延びてきた人たちを目の当たりにするとね、もっともっと生きることを一生懸命にやらないとダメだなあと、思うのです。
オレの周りは、どうもね、年が若いほど元気がない傾向にあります。これ、世間的な傾向ですかね。

オレらはね、いろんなことを学びます。頭で学ぶことが、多いですね。頭で理解しようとする。
でも、そうやって身につけた知識は、薄っぺらいですね。
遠くの国の政治問題ほどキレイに苦悩出来る、
と、開高健は、インテリの痛点を刺すような至言を書き残してるけれど、ほんと、その通りです。
長田という、水はけの悪い安い土地に住みつくしかなった人が、安い革しか売ってもらえなくて安い靴しかつくれなかった人が、これでもかこれでもかと頭を押さえつけられて、なにかが間違ってるはずや!と感じて、そっから出てきたモノの考えかたというのは、やっぱり、迫力があります。
新聞や本や映画や音楽や演劇や絵や雑誌や写真から得た知識なんかでは絶対に太刀打ち出来ない、凄みがあります。
こういう言葉に接しているとね、数多の政治家がどんだけキレイゴトを並べても、寝言みたいにしか聞こえんですよ。

そういう話をいっぱい聞かせてもらえるのが楽しみで、何回も何回も長田に遊びにいってます。

もちろんね、そんなカタい話ばっかりじゃない。
椎茸の軸は繊維にそって手で裂いて、人参なんかと一緒にきんぴらにすると美味しく食べられる、とか。
大根の葉を刻んで、胡麻、とうがらしで炒めると美味い、とか。
火傷をしたときは、すぐに水で冷やて、その後、蕗の葉を貼っておくと火ぶくれにならず、治りもはやくなる、とか。
どこまで真なんかわからんそういうことをね、あるある大辞典に出てきそうなことをね、もう、惜しみなく教えてくれます。

そういう人たちとね、毎年、ルミナリエに行くんです。
ワーワーキャーキャー言いながらね。
もうね、震災から10年経ってるし、むかしとちがって、しょっちゅう会うわけじゃないです。恋愛の初期みたいにして盛り上がる時期はとうに過ぎてて、ワンクールに1回会う、みたいなかんじ。忙しさにかまけて。
だから、ルミナリエみたいなイベントがあると、すごく助かる。

オジィやオバァは、いくつか修羅場をくぐり抜けてきて、それこそ残りの人生はグリコのオマケみたいなもんだとうそぶいたりもします。そうなんだと思うんですが、オマケにしては態度がでかすぎるんですよね(笑)

いつからか、生かされているのだという感覚が、自身の裡に芽生えてきています。
天に召されたオジィやオバァと語らうたび、生かされているのだと実感します。
愛らしくもうるさいオジィやオバァと触れ合うたび、この人たちはなんだかんだ言って、オレを生かしてくれているなあ、と思うのです。
力があるからこそ、触れる人に自然と力を分け与えることも出来るのでしょう。

若いころは、生きることを、頭でばっかり考えてました。
でも、このオジィやオバァを見てるとね、生きるということは、つくづく、身体全体でなされる大事業なんだなあ、と、思い知らされます。


オジィやオバァと騒いでばっかりだったので、写真なんてほとんど撮ってないんですが(つか、オジィとオバァの写ってる写真ばっかり撮らされてました…。笑)、少しだけ。






なんか、去年とおんなじようなことを書いているので、去年とおなじ曲でも聴くことにします。
こういう夜は、ソウル・ミュージックにかぎりますね。
そして、これもまた、誰がなんといおうと、そういう意味でのソウル・ミュージックです。

本日の1枚:
『今夜はブギー・バック』
小沢健二 feat. スチャダラパー

2007年12月13日木曜日

高野第三住宅

京都は洛北、大原通を北に歩いていきますと、高野第三住宅という大きな公団住宅の団地があります。
明治40年にカネボウが紡績工場をこの地に建てたのですが、昭和56年に住宅公団が買い上げて住宅地としたのが、高野第三住宅。

当時の煉瓦建築がそのままでたくさん残っている、珍しい公団住宅ですわ。

ボイラー室を改良して集会所や管理事務所にしたり、煉瓦塀なんかが残されてます。
京都まで仕事に行った折り、ちょいと見物してきました。

まだ紅葉が残っていて、煉瓦とよくマッチしていますね。









昭和56年に住宅スペースが建てられ、そこは普通なのですが、当時の面影をそのまま残している集会所や管理事務所、煉瓦塀などに目を遣ると、いろいろなことが想像出来て楽しいです。

外塀と内塀があるのですが、外塀は、中と外をわけるだけでなく、逃亡防止用だったそうです。だから、ビックリするくらい、背が高い。

1920年代、ここで働いていた職工さんは3400人いたと言います。寄宿舎の清和寮には2500人の女工さんさんたちが高い塀に囲まれて暮らし、なかには映画館まであったそうです。この塀のなかだけで、職住のすべてが完結してしまう、独立した地域のようだったんでしょうね。現在では、隣接する場所にイズミヤがあるのですが、もとは鐘紡のグラウンドでした。
会社全体で職工さんの生活の面倒を見ていた、ということです。
ただ、そういえば聞こえはいいですが、逃亡防止を兼ねた高い塀だったということは、やはり、それだけキツい労働を強いていたということでもあるのでしょう。女工哀史なんかも、残っているかも知れません。

外塀をくぐると、ほどなくして内塀が現れます。塀の上部がのこぎり型のフォルムをしていて、この塀が工場の塀だったことが、すぐにわかります。





裏へまわってみると、塀の一角にお地蔵さんが祀られていました。煉瓦に囲まれたお地蔵さんも、なんだかいいもんですね。




部外者なので、そうそうなかには入っていられないんですが、住宅に引っ付いているかたちで、不思議なものを見つけました。どのように再利用されているんでしょうかね?






この、高野第三住宅は、「京都の近代建築を考える会」によって、明治期から戦前までの建物を表彰する「市民が選ぶ文化財」に選ばれています。
京都は、明治維新で皇族が江戸に移ってから、政府に見捨てられた場所です。
なので、これからはお上に頼るのではなく、自前でなんでもやっていこう!という気運が高まり、全国に先駆けて小学校を建設し、大学を設立し、企業を誘致して、盛り返していったんですね。
京都といえば、伝統や日本美といったものが真っ先に思い浮かぶけれども、今もむかしも、都というところは、新しいものを取り入れるのが大好きな、進取の気風を持った場所です。
だから、明治期にもたくさんの建築物が建てられ、それらだけをピックアップして巡っている人もいますな。

歴史ある建物も、放っておけば、知らず知らずのうちに容赦なく壊されていくもんですが、そのままのかたちで残すことが難しいのだとしても、せめて、こうやって一部を生かすだけでも、いっぺんに素敵なものになりますね。
なんといっても、むかしの建造物は、効率だけを考えてつくられたものではないから、様式美があります。
この煉瓦も、なんだか今の煉瓦よりも暖かみを感じるのは、どうしたことなんでしょうかね?

ここ、賃貸で、空き物件がいくつか出ていて、興味本位で調べてみたことがあるんですが、2DKでね、ちょっと狭いんですよね〜。もちょっと広かったら、住むことを考えるんだけど。。。


今日は、ゴキゲン・ジャズ・ファンクで☆

本日の1枚:
『j.t.q. theme』
james taylor quartet

2007年12月12日水曜日

四半期に一度の風俗店広告制作

はい、今回もやってきました、四半期に一度の風俗店広告制作のお仕事(笑)
相変わらず、安いギャラのくせに、要求だけは果てしなく高いです(笑)
とにかく、このジャンルの広告はセオリーががっちりと固まっていて、そこを逸脱することは、まったく認められていません。
そういう縛りが強固にあるなかで、果てしなくさまざまなことを要求してきてくれます(笑)
もう、やってられません(笑)

でも、やるの。
ほんっと、下衆でどうしようもないものしかつくらせてくれないけれども、そういうものをたまにつくることで、自分のなかのバランスや平衡感覚を、正常なものに保っておきたいのですよ。

そして、風俗店の広告をつくるときには、いつも、店名のリサーチをします。
この世界は、店名がコロコロ変わるのですよ〜。もうね、普通のお店では考えられないくらいのサイクルで、店名が変わりますから。店名が変わるだけで、オーナーはまったく変わらないどころか、内装も店長も変わりません。婦女子さんは、店名が変わったくらいでは、まったく関係ないですな。

おなじ店名が変わるのでも、店長が代わったりしたときは、対警察向けの戦略。
店名だけが変わって、あとはなーんも変わらないのは、目新しさがほしいだけ。風俗店に行くお客さんって、新鮮なものが好きなのですよ〜。そこで働く婦女子さんも、年齢に関係なく、新人さんってだけで、その人を指名するお客さんが後を絶ちませんから。もっとも、経験豊富なベテランさんも、新しい店で働いた直後は新人さんですから、なにが新人さんなのかわかりませんが(笑)

そんなわけで、この業界は店名がコロコロ変わるので、ときどきのトレンドというものがありまして、仕事を受けた直後は、どんな店名のどんな広告が流行っているのかのリサーチをするところからはじまります。
オレは、常時この仕事をやっているわけではないので、そういうところからはじめないとダメなのですね。

で、店名を集めてみました。
相変わらず、よく考えるよな〜、って感心したくなるような店名がわんさとありますわ。
欲望産業って、競争がハンパじゃないし、果てしなくいろんなものを考えますから、感心するくらいにオモロい店名が多いです〜。

以下、秀逸な店名リスト(笑)


ALWAYS曙町一丁目の夕陽
ボーイング99
デコポン
おかえりワン
ウルトラサロン満太郎
甘えんぼぅ将軍よしむね
人妻不倫契約書
支配と服従
くいこみクリニック
モンデミ〜テ
あかね治療院
初登校
教えてよ!KING先生
千太万太
妻味喰い
パイの実学園
姫の坊奥座敷
ムキたまご
おパンツ女学院
浪速撫子
黒薔薇婦人
平成女教員(淫)
汝々艶
新入社員
ギン妻パラダイス
おねだりマニア
部長&課長
トラの娘タイガース
倶楽部ポッキーニ
どない屋
ま・さ・か
日本一の桃太郎



どう? すごいでしょ(笑)
こーゆーことを日夜考えている人たちを相手に張り合うので、この仕事は大変です。



ちょっとビートルズ・マナーっぽいきらいはあるけれども、才能はあるんじゃないですかね。
カナダのシンガーソングライター、スフィアン・スティーヴンス
本日の1枚:
『Put the Lights on the Tree』
Sufjan Stevens

2007年12月11日火曜日

比内地鶏のスープで炊き込みゴハン☆


夕方のラッシュの時間、電車に乗ったときにですな、防寒服を着たオッサンと同時に隣同士に座ったのでした。
座るやいなや、防寒服のオッサンはおもむろに手帳を取り出して、さっとページを開く。
見るともなしにチラと見たんですが、その瞬間、目が点になりましたですよ。
見開きで2Pに30個の四角のマスがあって、1ヶ月のスケジュールが書き込めるようになってる手帳なのですね。マスひとつが1日で、横に1週間分の7マスが並んでて、縦に5マス並んでる、おなじみのページ。
あれの1マスずつにですな、予定が書き込まれているのではなくて、似顔絵が描かれている!
んで、この日記を書いている今は8日なのですが、きっちり7日までのマス目が似顔絵で埋まってましてですね、今からまさに8日のマスを埋めるべくペンを右手に持っているではないですか☆
これがね〜、老若男女とりどりが1マスにひとりずつ埋まってまして、非常に楽しい。思わず、見入ってしまったですよ〜。
きっと、手帳に予定を書き込むよりも、似顔絵を描いて埋めていくほうが、この、防寒着を着たオッサンにとっては重要なんでしょうな。いや、そういう人生のほうが、よっぽど幸せやろな。
オレはすぐに電車を降りちゃったので、10日のマスに描かれる似顔絵がどんな人なのかを見届けることはなかったのだけれども、なかなかいいものを見せてもらいましたですよ。
師走のせわしないなか、一服の清涼剤をもらったような気分でしたわ。



さて、それからもひと仕事やっつけて家に帰ったのは遅い時間だったのですが、晩ゴハン。

先月末に、菩薩さま・ポップンキラキラさんからいただいた突然の贈りもの、きりたんぽ&比内地鶏スープできりたんぽ鍋をやったあとにですな、せっかくの激美味スープをそのまま捨ててしまうのはもったいなさ過ぎるので、冷凍しておいたのでした。

んで、今日、解凍して、炊き込みゴハンをしましたですよ☆
米2合(すんません、いっつもひとりで2合食べてます。。。)に、水のかわりにスープと酒を釜に入れて、醤油を数滴垂らして、シメジを入れて、鶏…、あれ、鶏を買うのを忘れてる!(笑)
しまった…。鶏も入れようと思ってたのに、買うのをすっかり忘れてるわ〜。
でも、米にスープと酒を入れちゃったから、あとに引き返せません(笑)

そんなわけで、鶏なしになっちまいましたが、まあいいではないですか。この比内地鶏スープ、めっちゃ美味いですから、鶏なしでもじゅーぶん。

はい。1時間寝かして、念入りに炊きましたですよ☆

スープがまだ余ってたので、溶き卵を落として、片栗粉でちょこっとだけトロみをつけて、塩コショウで味付けして、中華スープ風に。

あと、陳さんの餃子があったので、そいつを焼いて、水菜をざくざく切ってピエトロのドレッシングかけてサラダにして、今晩の晩ゴハン、一丁上がり☆
ゴハンにお焦げもついて、やっぱ、激美味!


あ〜、幸せ哉、我が食卓☆

2007年12月10日月曜日

「はじめてのめいる」

オレはオカンが24歳のときの子供なので、オカンの年齢は、今年65歳。
えーっと、オレは人の年齢を覚える能力がまったく欠如してまして(だって、毎年変わるやん!)、かといって生年月日だと、昭和が何年で終わったのかをちゃんと覚えてないので、これまた計算出来なくなってしまい…。そんなわけで、オカンの年齢だけは、オレを生んだ年を頼りに弾き出してます(笑)

んで、年も年だし、身体のあちこちにガタが来ていて病院通いだし、近くに住んでるとはいえ別居してるし、遅ればせながら、携帯電話を持たせることにしました。

実家は未だにNTTからレンタルしてる黒電話だし、メールもPCも触ったことがないような人間なので、携帯を使えるようにするのには相当な困難を要するのは、目に見えています。でも、緊急事態に備えて、持たさんわけにはいかんではないですか〜。

携帯ショップで、操作が一番簡単なのを探しましたですよ。
文字がデッカくて、3件の電話番号がワンタッチでかけられるボタンがついてるやつ。
マニュアルがね、わかりやすく工夫されてましたわ。
「リダイヤル」は、「かけた相手にもう一度かける(リダイヤル)」って表記になってるし。
まあ、なんにしても、オレと、オレの妹と、自分ちの番号がメモリーされてりゃ、それでいいのですがね。

ところが、だ。
翌日から、オカンからメールが届く(笑) 一応、メールの機能はついてるんですよね。

件名「はじめのめいる」
本文「イロイロト、アリガトウ。とときますように。はは」

カタカナとひらがなが混在し、誤字脱字あり、漢字がなかったり、促音がなかったり、最初のうちは悪戦苦闘が続いていたけれども、最近、わりとマシな文章が届くではないですか(笑)

聞けば、近くの携帯ショップの店員を質問攻めにしてるんだとか(笑)
このぶんだと、そのうち、絵文字とか使ってきそうです(笑)

案ずるよりも産むが易しとはこのことですな。
ま、ボケ防止にhttp://www.blogger.com/img/gl.link.gif役立ててくれれば…。

さて、この日記と直接関係があるわけではないのですが、まったく関係ないとも言い切れないブログを発見☆ 安田大サーカスのHIROのブログ『ひろせ国立公園』なる、とんでもないブログを発見しました。内容を理解するのに、相当の努力を要します(笑)



ソウル・ミュージック界永遠の世界遺産、O.V.ライトのコンプリート・ボックスが発売されてる!!!

本日の1枚:
『Let's Straighten It Out』
O.V. Wright

2007年12月9日日曜日

紅葉絨毯




お酒の宣伝の仕事がありまして、その件で伏見に行ってきたんですが、ちょうどいい機会だったので、名残の紅葉を、と思って、伏見のお目当てのお寺さんに行ったら、デッカい法要が営まれているらしくて、拝観不可。

あらら、と思ったんですが、お寺さんの裏にまわってみましたら、紅葉が散りはじめていて、下がね、見事な紅葉絨毯になってました〜。

これが一番好きですね。
京都では例年、紅葉が散りはじめるのが12月の初旬で、全国からやってくる観光バスは11月末でピタッと終わりますから、京都の紅葉をゆっくり見ようと思ったら、じつは12月の最初がベストなのですよ。
んで、その時期になると紅葉が散りはじめますから、散った紅葉が地面に積もって、見事な紅葉の赤絨毯が出来ます。今年は、ちょっと遅れてるけどね。
毎年ね、これをゆっくり眺めるのが楽しみなのですよ〜。

人がいてないから、ゆっくりと見ていられるし。

ここは、伏見の名もないお寺さんの、しかも裏側だけれども、しばし見とれてました。ちょうど小春日和で、少しあったかかったしね。

もちょっと写真を撮りたかったんだけれども、デジカメのメモリーがいっぱいになっちゃって、仕事で撮った写真を消去するわけにもいかず(笑) 3枚だけ。場所は、長建寺というお寺さんです。


で、今、季節外れのボサノヴァを聴いてます〜。北海道のボサノヴァ・シンガーさん。

本日の1枚:
『Wave』
小泉ニロ

2007年12月8日土曜日

路上の本屋さん


オレが住んでいる天神橋筋の商店街には、道端に勝手に店を広げている連中がたくさんいてですな、そのなかには雑誌を売ってるオッサンもいます。

大半が漫画の週刊誌で、駅のゴミ箱なんかから拾ってきてですな、そいつを並べて売っているのですよ。すべて100円。発売日の夜には並びますから、これ、重宝してる人って、たくさんいるんじゃないかな。

オレは、漫画雑誌はすべてコンビニでの立ち読みですませてますから、今さら買うことはないんですが、漫画以外の週刊誌でたまにほしいものがあって、そういうときは100円握りしめて買いにいってますわ〜。

あれ、ショバ代とかどうなってるんですかね?
イラストレーターのタマゴみたいな人たちは、道端に店を広げて、カネもらって似顔絵書いたりしてるじゃないですか。あれは、結構、ヤクザにショバ代を請求されたりされて、いじめられてるらしいですわ。まあ、それ以前に、警察がうるさいだろうけれども。

雑誌を売ってるオッサンは、場所にもよるんだろうけれども、1日に30冊程度は売り上げるって言ってましたから、日商3,000円。仕入れも固定経費もゼロだから、まるまる粗利になって、月で計算すると90,000円の儲けですか。
ヤクザが抜くったって、いくらも抜けないじゃないか(笑) 今度、詳しく聞いてみよう。
でも、90,000円の売り上げが立つのだったら、ビッグ・イシューとかをホームレスの自立支援で売ってるよりは、儲かるんじゃないか?(笑)

ずーっと売ってるし、すぐそばに交番だってあるから、警察が知らないわけはないんですね。なので、対警察問題はクリアしてると思われます。一応、道交法だとか故買法だとかの違反になるとは思うんですが、んなところまで杓子定規に法を適用してたら、オッサン連中もせっかくそれで生活してるのにね、食いっぱぐれますからね。

犯罪には絶対犯罪と法定犯罪の2種類があって、たとえば殺人なんかは、法があろうがなかろうが犯罪ですわ。でも、スピード違反だとか、シャブをやっちゃいけない、なんてのは、法律があるからそれを破ると違反になるのであって、そういうのはね、適当にグレーゾーンを設けてね、ケースバイケースでやればいいんじゃないの、と、オレなんかは思うわけです。


むかし、ヨルダンだかシリアだったか忘れたけれども、中東のあのあたりでですな、やっぱり、路上に本を並べて売っているオッサンがいました。

天神橋筋の商店街の路上の本屋さんなんかとは店の規模が全然違っていて、5倍くらいはデカかったですな。横に10mくらい、延々と本を並べて売ってるんですよ。雑誌もたくさんあったけれども、普通の本がたくさん並べてあって、見てるだけでも楽しかったですな。

ところが、だ。

雨が降るんですよね。
天神橋筋の商店街のほうはアーケードがあるから雨が降ろうが槍が降ろうが商売にはそう影響はないと思うんですが、ヨルダンだかシリアだかのほうは屋根もなんもない普通の道端で、しかも剥き出しの土のうえで、おまけに、オレがいたその時期は1日に1回は必ず雨が降る雨期…。
で、雨が降りはじめればあわてて本を片付けてリヤカーに本を乗せてシートをかぶせて本を雨から守っていたのですが、雨が上がると、またいそいそと本を並べはじめる(笑) 剥き出しの、濡れた土のうえにね、汚れるのもおかまいなしに、本を並べていくのですよ。
そこまで汚れてもいいのなら、雨が降ってもそのまま並べておけばいいのに、と思わないこともないんですが、雨が降ると本を片付け、雨が上がるとまた本を並べはじめるんですな。
毎日、それをやってる(笑)
地面にシートを敷いて、シートで屋根をつくればいいと思うんですが、それはしない。
言葉が全然通じなかったので、なんでそれをしないのかはサッパリわからんかったのですが、なかなか不思議な光景だったですよ。

ただ、天神橋筋の路上本屋さんを見ていて思うのだけれども、こうやって商売することも出来るのだな、と。
むかし、インドはガンジス川のほとりで洗濯屋さんをしている人を見たことがあります。シーツや衣類を洗濯して、川岸にダーッと干しててね。なかなか壮観な眺め。
韓国のお葬式のときに登場する泣き屋さん、ベトナムで石を売っていたオッサン…。
人間、どんなことでも商売にして稼いで、生きていけるのだな、と、思ったもんです。



今日はジョン・レノンの命日なので。ベタですが。

本日の1枚:
『Jealous Guy』
John Lennon

2007年12月7日金曜日

90円


原油高のせいでいろんなもんが値上がりしているさなか、白菜だけは値は下がり続け、ついに90円☆ 我が家の下の市場。
おなじ分量の米の価格を考えたら、よくこんなもんをつくってるな、と思わないでもないけれども、つくってくれないと困るので(笑) でも、畑で収穫出来るものの売上坪単価を考えると…、う〜む、白菜を作ってくれているお百姓さん、ありがとう干し

この白菜、オレひとりで鍋したら、6回分ですから。

マイタケが1パックで200円(2回分)
シメジが1パック100円(2回分)
エノキが1パック70円(3回分)
肉厚シイタケ10個400円(5回分)
太ネギ3本100円(6回分)
水菜3束300円(6回分)
豆腐1丁100円(2回分)
お揚げさん1枚60円(2回分)
業務用冷凍ソーセージ50本400円(10回分)
トック1パック400円(20回分)
春雨1パック100円(10回分)

連日連夜の鍋なので、常備しているものは、大体こんなもん。
これ、計算すると鍋1回分の脇役具材は約485円。

これに、肉やら魚やらのメイン具材が加わるので、やっぱ1000円近くになりますかね?

あれ、そう考えると、白菜はビックリするくらい安くても、鍋そのものは、ビックリするくらい安くあがっているというわけではないのだな(笑)


オーストラリアから、こんなにもブルーズなバンドが出てくるとは! The Fumes☆
あそこもわからん大地ですな。

本日の1枚:
『Automobile』
The Fumes


2007年12月6日木曜日

あの夏のフラメンコ




この話は、いくつかのところですでに何度か書いているのだけれども…。

オレは、ちょうど20歳の秋から24歳の冬までの丸4年間、ずっと、世界中をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、ウロウロしながらほっつき歩いていてました。
東アジアを皮切りに、中央アジア、中東、イスラム圏、アラブ圏、ペルシャ圏、地中海沿岸ヨーロッパ、東ヨーロッパ、北海沿岸ヨーロッパ、北アフリカ、中央アフリカ、東アフリカ、西アフリカ、アラスカ、北アメリカ東部、北アメリカ西海岸、カリブ諸国、南アメリカ全域、南太平洋諸国……。
全部で107ヶ国、1日の生活費が宿泊費と交通費込みで5ドル前後というストイックな旅だったのだけれども、勉強も仕事もしないという贅沢の極みのような時間を、丸4年間、なにかに憑かれたような、そんな微熱を抱えて、ここでない、どこかを目指して、遙々と、未だ見ぬ土地に視線の先を据えていたのですね。

ピラミッドやアンコールワットの遺跡、あるいはルーブル博物館やNY近代美術館といった人類の偉大な先人たちが遺したお宝やガラクタを見たいとは、あまり思わなくて、ヒマラヤやナイル、アマゾンといった大自然の懐に悠然と抱かれるのも、なにやら退屈な気がしてました。

それよりも、日なが一日、道ばたで佇んでいるオバァやカフェで忙しく働いている婦女子さんと言葉を交わしたり、トラットリアやビストロでたまたま隣同士になった頑固そうな職人や生きることにしたたかな妙齢の婦女子たちとひと晩中話し込んだりすることのほうが、はるかに楽しかったですな。
オレは、さまざまな種類の雑誌をつくったり、音楽評論をしたり、アメ村文化から商工会議所までのさまざまなことがらについての文章を書き殴ったり、広告をつくったり、芝居の脚本を書いたり、翻訳をしたりしている、あえて言い切ってしまえば、一介のモノを書いてメシを食っている人間です。
モノを書いている人間などというのは、大半は、人間、に興味があるもので、オレも、興味の向く大半は、人間、だったりします。でも、旅をしている最中、人間に興味があったんだと言えばカッコいいのだけれど、それ以上に、誰かと繋がっていたいという、淋しさみたいなものがありましたな。

1987年、21歳の夏を、オレは、パリの下町、カルチェ・ラタンで過ごしました。ぶっ飛んだ若い連中や、目をギラつかせたアジアやアフリカからの移民、合法と非合法の境界線を綱渡りしながら歩いているような連中がたくさんいて、毎日が絵空事のように刺激的でした。
そんなとき、オレは、場末のビストロで、原形を留めないまでにドロドロに煮込んだタン・シチューを食べていて、とある妙齢の婦女子さんと知り合ったのですね。

ストリップ・ダンサーでね。
ちょうど、18歳の夏をオレは渋谷のストリップ小屋で住み込みバイトしてましたから、ストリップにはよくよく縁があります(笑)

ステージがはねたあと、彼女はきっとこの店で遅い夕食を摂っていると言っていました。オレも、ムール貝から子牛の胸腺までなんでも揃っているこの店が気に入っていて、何度か通っていたのでした。そして、2度目に見かけたとき、オレたちは、どちらからともなく話をするようになっていたのでした(タン・シチューを前にしながら!)。

オレは、極東の奇妙な国に覆う息苦しさから逃れたい一心で、アジアから中東を抜けて気がつけばこんなところまで流れてきていたんだ、みたいなことを話したように思います。
ベロニカ、というピカソのモデルになった女性とおなじ名を持つ彼女は、ハンガリー生まれのロマ(ジプシー)で、パリでストリップショーをやりながら生計を立てている、いろいろ辛いことはあるけれど、ダンスがあるかぎり生きていけるんだ、みたいなことを、訥々と話してくれました。
訥々とではあるけれども多くを語ろうとはしない彼女の話から透けて見える現実は、シビアな現実です。動乱のハンガリー現代史とロマのヨーロッパでの扱われかたを、オレはそれなりに知識として知ってはいたけれど、おそらくは、そんな生半可な知識では想像も出来ないような修羅場を、彼女はいくつもいくつもくぐってきたんだろうな、と、その場で僕は朧げながら感じとるのみでした。

どこかでシンクロすところがあったのか、なにかの波長が合ったのかは定かではないのだけれども、結局、その夜から、オレは、ベロニカの家に転がり込むことになりましてね。若さにも流れにも身を委せて、その年の夏の2ヶ月を、オレは、ベロニカとともに、彼女の家で過ごしたのでした。

ノー・ミュージック・ノー・ライフ、ってなくらいに音楽にのめり込んでいたオレにとって、ベロニカと過ごした日々は、煌めく宝石のようなものでしたわ。

サルサ、サンバ、スコットランド民謡にアイリッシュ&ケルト民謡、オキナワ民謡(!)、フラメンコ、ミュゼ、ルンバ、チャチャチャ、マンボ、ブーガルー、ガンボ、カッワリー、そしてロックンロールとブラックミュージック、レゲエ、スカ、ダブ、ロックステディ……。ベロニカは、世界中のありとあらゆるダンス・ミュージックに、その身を浸していたのでした。

まだ青くて堅いばっかりのパンク小僧だったオレには、それらはとても新鮮で、ピカピカに磨かれたおろし立てのブーツみたいに、魅力的なものに感じられたのですよ。いや、あのころは、触れるものなにもかもが新鮮でしたね。

いろんな話を、したのでした。
音楽について、音楽の未来について、ダンスについて、リズムについて、リズムの未来について、快楽について、感情と理性の揺らぎについて、ロマについて、共産主義について、資本主義について、自由について、不自由について、民族について、国家について、人が人を愛することについて、人が人を愛することのバカバカしさについて、交わることについて、男と女について、すれ違うことについて、旅をすることについて、旅をしながら生活をすることについて、流れていくことについて……。ホント、いろんな話をしたのでした。いろんなことを、ベロニカからは教わったような気がします。

旅をしていてよかったなと思う瞬間は、そういうときですね。
触れれば火傷をしてしまうような、熱い真実に出会うことがたしかにあって、まさに、そういう時間だったように思います。

夏の陽差しが心なしか柔らかくなってきた晩夏のある日、オレはベロニカの家を出る決心をした。次の旅をはじめる、再び流れていく決心を、オレは、したのでした。
目的のない旅の悪い癖でね、予定がないもんだから、居心地さえよければ、ダラダラといくらでもそこにいついてしまうのですよ。
だからね、ひと夏を費やしたけれども、えいやっ!と決心をしてですな、旅の続きをはじめることにしたのでした。

そのことをベロニカに告げたとき、
「旅をするんだったら、いろんなことを見て、聞いて、感じなさい。いろんなことを知りなさい。そして、知り得たことのすべてを、他人の立場や環境をリアルに想像するための手助けにしなさい。他人の立場をディテールまでリアルに想像することが出来たら、戦争や諍いはなくなるわ」
彼女は、オレにそう言った。

おそらくは個人の力ではどうにもならない巨大な力に翻弄され続けてきたであろう彼女は、そして自らの出自と生業に対して謂われのない悪意しか示さなかった人が圧倒的だった環境を生き抜いてきたであろう彼女は、それでも、なお、個人と個人は繋がることが出来るという希望を捨てずに、オレに、「人間は想像することが出来る」と、言うのでした。

そのときのベロニカの視線のオクターブの強さ、意志を持ったクチビルの動き、適度に緊張した力を漲らせた指先は、否応なく、オレの胸の奥の深いところに刺青のように刻印され、今でもまだくっきりと残っています。

今、ベロニカがどこでなにをしているのか、オレには知る由もありません。
1998年の夏にワールドカップを観に久しぶりにパリを訪れた際、かつてのベロニカの住んでいた場所に行ってみました。でも、すでに彼女はそこでは暮らしていないようでした。きっと、どこかの空の下で、オレが見上げれば広がっているのと同じ空の下で、彼女は今もきっとダンスしているのだろうと思っています。

年をとると、そういう思い出が澱のように溜まっていって、なにかの拍子にふと思い出して、言いようのない気持ちになりますな。

ベロニカには、よく、フラメンコを踊ってもらいました。


以上、3日間にわたったフラメンコ3部作、終了(笑)



最近よく聴いているのが、これ。オホス・デ・ブルーホ。彼を聴けば、フラメンコが遠くインドと地続きで繋がっているのが、よくわかります。

本日の1枚:
『Todo tiende』
Ojos de brujo


2007年12月5日水曜日

フラメンコの誕生を夢想してみる


今年、スペインのマドリーで列車爆破テロがあって、政権がひっくり返りましたな。それまでの親米政権だった国民党が倒されて、社会労働党が政権に返り咲き、イラクからの早期撤退を決めて、ずいぶんと話題になりました。
労働社会党の政権奪還は1996年以来といいますから、20年ぶりの奪還です。
その間、もっとも長きにわたって首相の座に就いていたのが、アスナール。
盆栽が趣味で、庭いじりに劣らず熱心なのが、フラメンコでした。その熱を息子が引き継ぎ、官邸に当代きってのフラメンコ歌手、カマロンを呼んでは歌わせているらしいです。なんせ、アスナール一家は、フラメンコの本場、アンダルシアはセビージャの出身ですからな。南スペイン、1年に300日は灼熱の太陽が降り注ぐセビージャ。

翻って、今年の4月に新首相に就任した労働社会党のサパテロ首相は、北の人。バジャドリー出身です。サッカーの城彰二がリーガ・エスパニョーラに挑戦していたときに在籍していたクラブがここだから、それで名前を知ってる人多いかも知れません。9ヶ月が冬で3ヶ月が灼熱地獄の、苛烈な土地。

スペインの北と南は、大きく異なりましてね。

食べる肉は、北が牛で南が豚。
北の魚は種類が豊富で、炭焼きから鉄板焼きまでなんでもござれ。南は種類が少なくて、オリーブオイルで揚げる一辺倒。
北がリンゴで、南がオレンジ。
物語の『カルメン』は南の婦女子さんだけれども、北の生まれを装い、リンゴ畑が忘れられないわ!などとのたまって、北の男ホセの郷愁を誘います。

北と南。
気候が違い、地理が違い、社会の成り立ちが違いますねん。

8世紀初頭、キリスト教徒の国スペインに、アラブ人率いるイスラム教徒が侵攻し、1年でほぼ全土を制圧。キリスト教徒の貴族は北の海沿いに逃れ、反抗の準備に備えます。
他の、逃げる資金も術もなかった一般庶民はですな、イスラム教徒に改宗する人、しない人に分かれたのだけれども、いずれも生活習慣はアラブ風に改めます。

反抗は、スペインらしいおおらかさで進みまして、100年で川をひとつ越え、次の200年でもうひとつ、といった調子で、共存と闘いを繰り返しながら、南へ進んでいくのでした。
キリスト教徒の中心勢力であるカスティーヤ王国がイスラム最後の拠点であるグラナダを奪還するのが、1492年ですからね。800年近くかけての奪還ですよ(笑)
これはそのままスペイン語の普通名詞になってまして、レコンキスタ(失地回復)と呼ばれています。

グラナダにいたのは、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒です。カスティーヤ王国は、これらすべてにキリスト教を強制し、これでやっと、スペインに、ひとりの王がひとつの法律で治める、ひとつの宗教で束ねる体制が出来たわけです。まあ、バスクの問題はあるのですが、それに触れると話がとめどなくややこしくなるので、ここでは一旦、除外ね。

その頃、東のピレネーの山の彼方から、スペインへ入る集団があったといいます。
それが、ロマ(ジプシー)。
インドに発した集団が枝分かれし、スペインへも入りました。
レコンキスタの戦勝景気に惹かれて、移動したといいますね。
異教徒の多くが国外へ脱出したあとの労働力の補充として、他のキリスト教諸国から植民が送り込まれていたころで、ロマ(ジプシー)も歓迎されたといいます。

16世紀、スペインは新航路を開拓し、交易を独占してヨーロッパ随一の強国となり、その基点であったアンダルシアにはヨーロッパ中から商売人が集まり、ロマ(ジプシー)にも定住者が増えて、農具なんかをつくっていたそうですわ。ま、ロマ(ジプシー)は、手先が器用ですからな。

が、しかしです。
人々をひとつの宗教で束ねようとする国家や教会の目に、イスラムやユダヤの習慣を捨てない人々や、異国語を使うロマ(ジプシー)のような人々は、不穏な分子でもあったのですよ。そもそも、古代インド語であるサンスクリット語を使い、服装も怪しい。
職人は職人、百姓はどこから見ても百姓、靴ひとつで身分や職業がわかってしまう社会にあって、宗教は、精神の領域である以前に、生活様式そのものだったのですね。だからこそ、教会は、この統一を重要視します。よくわからない人々の存在は、どこの国であっても、怖れられますからな。

定住しないことは、重罪。
監視がしにくいし、労働力にならない。
ので、住所不定、無職、無籍の取締令が出ます。
逮捕の1度目は百叩き、2度目は投獄と両耳落とし、3度目は終身奴隷にする、と。

アンダルシアはスペイン国土の約2割を占める、自然に恵まれた肥沃な土地なのだけれども、働く人々は貧しいままでね。レコンキスタのアンダルシアでの戦争は近代戦争であり、近代戦争であるからには莫大な戦費がかかるのですが、王家は、その莫大な戦費を多数の貴族から借金してまして、それは、奪還予定地との引き換えだったのですね。
その結果、アンダルシアの土地は、ひとにぎりの貴族のものとなり、北のカスティーヤが小規模自営農の土地であるのに対し、アンダルシアには大土地所有制が居座り続けて、それが今日まで続いています。
労働者、農民はすべて日雇いで、手配師が持ってくる仕事の口を求めて、人々は広場に集まるわけです。
だから、アンダルシアの都市は、どこも、大きいですよ。農民をそこに住まわせ、農作業の時期には畑地のなかの飯場に隔離したといいますから。

マシな暮らしを求めてよそに移ろうとすれば、浮浪者取締法で、牢獄か鉱山か港湾に送られます。逃亡者は、山賊になるしかないですね。アンダルシアは陸のなかに点々と島があるといわれるほど隔絶された土地でもありますから、山賊になるのにはうってつけです。スペインを北と南にわけるシエラ・モレナの山々やグアダルキビル川の流域に、山賊が跋扈しました。

そんな状況から涌いてきたのが、フラメンコです。

ロマ(ジプシー)には音楽の芸を身すぎ世すぎの足しにしてきた人々がいて、彼らは日常の粋や恋を歌ったのだけれども、そこに、この世の不条理が魂の叫びを誘ったのでした。
アンダルシアの特殊な運命とその重圧を共有する人々を代表して、ロマ(ジプシー)が、呻いたのでした。やり場のない訴え、聖母マリアにしか縋るところのないせつなさが声になり、フラメンコは誕生しました。




バルセローナのオリンピック・スタジアムやミロ美術館、カタルーニャ美術館は、すべて海沿いの丘にあります。つい20年ほどまえまで、この丘には1万戸以上の掘っ建て小屋がありました。手を伸ばせば届く高さで、ベッド2台がようやくという狭さで。外壁は漆喰の白で塗られたこの建物は、チャボラと呼ばれ、4万人が住んでいると、当時、いわれていました。アンダルシアからの、流民ですわ。
今は亡き香港の九龍かマニラのスモーキー・マウンテンさながらの、一度迷い混んでしまえば脱出不可能の、迷路ですな。
迷路ではあっても、通りには名前も番地もちゃんとあって、郵便も届いていてました。でも、市の地図では、丘は空白。
夜は、野良犬の天下。スタジアムは、当時はサッカー場の廃墟、カタルーニャ美術館は見捨てられた離宮だったのですが、どちらにもロマ(ジプシー)が住みついて、物乞いの拠点にしてました。

そのころね、19歳のロマ(ジプシー)の少年と、知り合ったのですよ。

アンダルシアで豚の世話をし、バルセローナに出てきてからはレストランでコックの見習いをしてました。3食付きで、社会保険付きで、月5000円ほど。
この少年の家族も丘に住んでいて、オレたちはなぜ姿勢がいいかわかるか?地べたに寝ているからだ!なんてことを言って笑ってました。
カルメン・アマージャが主演する『バルセローナ物語』は、ここで撮影されています。
そのチャボラもすでに消え、人々は工場群の近くのマンモス団地に移っていきましたが。

おなじく20年まえ。
マドリー駅から線路沿いに3kmも4kmも延々と続く、不思議な風景がありました。
廃品の捨て場と見間違えるほどの、廃物利用のチャボラ。もうね、スモーキー・マウンテンさながらですわ。ここもまた、アンダルシアからの流民の仮住まい。
こちらは、マリソルが主演する『太陽の朝』に、この風景が出てきます。

やっぱり、20年近くまえ。
マドリーの劇場で、珍しく、ロマ(ジプシー)ばかりが出演するフラメンコのステージがあって、オレは、いそいそと出かけたのでした。
客はさまざまで、途中、2階から人が降ってきましたですよ(笑)
ロマ(ジプシー)とそうではない人がケンカをして、どちらかが突き落とされ、両方が落っこち、劇場内は殺気立ったのでした。
そのとき、舞台にはバイラドール(踊り手)のエル・グイトがいて、
私たちの歴史は共存を願う年月ではなかったのか! こんなことで、出来かけた関係を台無しにしてもいいのか!
と、叫んだのでした。

オレは、その日、トマティートやチケテテよりも、グイトのひとことを聞きにいった思いがしたのでした。

ヒトラーは強制収容所でロマ(ジプシー)を50万人は殺したといわれているし、そのヒトラーの支援を受けてスペイン内戦に勝ったフランコは、第2次大戦中に、ナチス支援のための兵を6万人送っています。その、フランコの時代、ロマ(ジプシー)は、アウシュビッツを思って息を潜めていたことを想像するのは、そう難しいことではないですね。

15年くらいまえかな。
グラナダのシエラ・ネバダ山中で、秋祭りが行われていて、教会の境内には輪投げや射的なんかの屋台が出ていたのでした。この屋台をやってるロマ(ジプシー)たちと仲よくなりましてね。
ある晩、一家を率いる男が歯痛で七転八倒し、オレは見かねて、薬局を叩き起こしたのですよ。ロマ(ジプシー)が行っても、相手にしてくれないからね。
痛みが治まり、それからはおなじ釜の飯を食べ、おなじ屋台の下で寝て、輪投げや射的の客のポケットから財布を抜く技なんてのも、教えてもらいましたわ(笑)
この一家は、グラナダ郊外のチャボラに住んでました。

おなじころ、
オリーブの生産量が世界一というアンダルシアのマルトスで、住民200人がロマ(ジプシー)の住まうチャボラを放火し、2人が逮捕されました。
これに抗議して住民20人が決起し、やったのはオレたちみんなだ!と、共犯を名乗り出たのでした。
スペインでは、責任を全員で被るとき、やったのはフエンテオベフーナ!と、言います。むかし、フエンテオベフーナという町で悪代官を殺した人がいて、住民が彼をかばい、やったのはフエンテオベフーナ!と言い張ったことに由来する、と、教えてもらったことがあります。
のちに戯曲化され、アントニオ・ガウスは、これをもとに『アンダルシアの嵐』をつくったのでした。

昨日から聴き入っている、フラメンコにまつわる話を、つらつらと。。。
長くなりましたな(笑)


今、フラメンコ界で若手ナンバーワン、ニーニョ・ホセレを☆


『Paz』 / Niño Josele


2007年12月4日火曜日

プニュエルの『嵐が丘』にフラメンコを重ねてみる




「あの、ヒースクリフですよ。覚えてらっしゃいますでしょう。ご主人。アーンショー家にいたあの人です」
「なんだと! あのジプシーが…。あの野良働きの小僧が帰ってきたんだって?」
「しっ! あの人のことをジプシーだの野良働きだのとおっしゃってはいけませんよ、ご主人」

行間からフラメンコの音楽が聞こえてきそうなこの文章は、エミリー・ブロンテの名作『嵐が丘』の一節です。
物語の舞台は、いうまでもなくイングランド、ヨークシャー地方の荒野です。でも、これを、スペインのアンダルシアに置き換えても特に違和感はなくて、むしろそのほうが似つかわしいのでは、とすら思ってしまいます。

ロマ(ジプシー)という存在がどれほど蔑視されていたか、スペインや東欧ではなくイングランドで書かれたこの物語にまでこのような記述が見られることからも、察してあまりありますな。

『嵐が丘』は差別された者の反逆を描いた作品だし、一般的には、西欧キリスト教社会に対するアンチテーゼだと解釈されると思うんだけれども、ロマ(ジプシー)の特異な民族性から発生した悲劇だという観点を重ねあわせるべきだと、オレは思います。

ヒロインの悲劇は、幼なじみのロマ(ジプシー)の青年に、「常にあたしの心のなかにある」「あたし自身として」とまで一体感を抱きつつも、家柄や身分を保証された裕福な家庭の男を選ぶところからはじまります。
キメのセリフは…、
「あまりに品が悪すぎて、いくらなんでもヒースクリフとは結婚出来ないわ」。

でもこれは、弱き者、汝の名は…、という次元の問題ではなくて、西欧キリスト教社会がロマ(ジプシー)を拒否した一例として考えるのなら、このイングランドの小説とフラメンコのあいだにも、ひとつの絆が見えてきます。
そういうふうに捉えて初めて、ルイス・ブニュエルが描いた『嵐が丘』の、それを描くに至った動機が、なんとなく理解出来るような気がします。

今日、仕事でですが、ルイス・ブニュエルの『嵐が丘』を観たのでした。
『嵐が丘』はさまざまな監督によって映画化されてますが、オレは、ブニュエルの『嵐が丘』が一番好きです。

『ビリディアナ』、『小間使いの日誌』、『昼顔』…、ブニュエルは一貫して婦女子さんの心のなかに潜む背徳的な魔性を描き続けたけれども、ひょっとしたら、その原点にあるのは、ロマ(ジプシー)の青年の血の魅力に感染し、やがて安定した日常との対立に引き裂かれて滅んでいった、『嵐が丘』のヒロインだったようにも思えます。

ブニュエルがその小説の映画化を決意したとき、当然、母国スペインでも目撃することが出来たであろう無数の「嵐が丘」に、思いを寄せなかったはずがありません。

さらに、そこに、ブニュエル自身の心理が投影されます。
シュールレアリズムの古典でもある『アンダルシアの犬』をサルバドール・ダリとともにつくったブニュエルも、その芸術性ほどに進歩的な人間ではありませんでした。
自分の息子が結婚したいと連れてきた婦女子さんが処女ではなかったと知って、怒り狂って猛反対したというエピソードが残っていたりもします。
あの、貴婦人然とした人妻が売春婦に変身する『昼顔』のような傑作を生み出した人にして、プライベートでは、そのように振る舞う。

ただ、この強烈な二面性こそが、フラメンコの成立と発展を可能にしたスペインの感性だとも、いえます。
キリスト教の厳しい戒律を理性のうえでは受け入れつつも、抑えきれない自然発生的な血の騒ぎを素直に表現する神経回路の一端がフラメンコに繋がっていった、と、考えることも出来るのだから。

ロマ(ジプシー)は、行く先々で自分たちの独自のアートを開花させたけれども、フラメンコほど、地元の民衆の共感を得て定着した例は、珍しいです。世界を敵にまわしても自由であろうとする血を常にたぎらせながら、自らの民族内部には強固な掟を課す、その二律背反性が、光と影の対立と両立を理解するスペイン人の許容範囲にあったのでしょうな。

ルイス・ブニュエルに話を戻します。
その容姿が、フラメンコの神さま、エル・ファルコにどことなく似ているのは、つまらない偶然なのでしょうか。
映画作家としては最後の作品となった『欲望の曖昧な対象』に、フラメンコを踊るコンチータというセビージャ出身の婦女子さんを登場させていることを、どうしても思い出してしまいます。この婦女子さんにズブズブとはまり込んでいく初老の男が、谷崎文学的なデカダンさで、老境にしてなりふり構わず己の血のうずきに身をまかせるさまがね、なかなかいいのですよ。
そこに、フラメンコがあった、
ってかんじです。

『嵐が丘』から『欲望の曖昧な対象』にいたるブニュエルの映画人生に、揺れ動く彼の心の光と影を追うとき、『アンダルシアの犬』の冒頭、婦女子さんの眼球を切り裂くカミソリの刃に、フラメンコを感じます。

「現実の背後にある現実世界より一層現実的なるものを発見し掘り起こすこと」。
ブニュエルの『嵐が丘』を観ていると、シュールレアリズムの定義が、そのまま、フラメンコの定義のようにも、思えますな。


そんなわけで、本日はパコ・デ・ルシアのギターを。


Paco De Lucía / 『Entre dos aguas』

2007年12月3日月曜日

光琳の梅

今年の2月だったのですが、京都は下鴨神社に、光琳の梅を見にいったのでした。
これまた2月にアップした日記とほとんどダブってしまいますが、ま、お付き合いくだされ。
思いっきり季節外れですが(笑)


オレ、尾形光琳という日本画家が大好きでしてね。
日本画家のなかでは、たぶん、一番好きかもしれません。
繊細さとダイナミックさが同居していて、なんというか、スケールが大きくて、王さまの芸術とでも呼びたくなるような趣です。

なかでも傑作の誉れ高い『紅白梅図屏風』は、死ぬまでに一度は見たいなあと願ってる作品でして。熱海のMOA美術館にあるんですが、熱海に用事はないし。。
あ、これが『紅白梅図屏風』です。



この実物もさることながら、2月に梅情報を調べていたときにですな、な、な、なんと尾形光琳が『紅白梅図屏風』を描く際に参考にしたという梅が、下鴨神社にあるというではないですか!
そんなん全然知らんかったんですが、今年のJR東海の「そうだ 京都、行こう」のキャンペーンで紹介されて、一気に人気者になっとるらしいですやん。

下鴨神社は何度も行ってるけれども、そんなん、全然知りませんでした。
ちょうど、あのあたりは椿がたくさんありますから、そっちも見頃やろうし、ほんなら行きまひょ!ということで、行ってきましたですよ、仕事サボって(笑)

この日は、大快晴の梅日和でしてね。しかも平日だから、人も少ない! いうことないです。

下鴨神社は京都で一番古い神社。上賀茂神社の親でもありますが、みたらし団子の生みの親でもあります。御手洗川も御手洗社もありますからね。
すぐ横には京都のジャングルというか、人の手の入っていない数少ない森、糺の森がありまして、さらにその向かいには京都家裁があります。「糺す」と命名された森の横に裁判所があるというのは、偶然なのかどうか知りませんが、なかなか意味深ですな。もっとも、本当のところは、賀茂川と高野川の合流点にあるので、只洲→糺す、となったとする説が有力ですが。

この森を縫うように下鴨神社の参道が続いており、今日みたいな天気のいい日には、原生林の森から木漏れ日が射し込んで、とーっても気持ちがいいです。この森は、夏に来ると虫が多くて閉口しますが、それ以外の季節だと、いつ来てもいい気持ちになれます。市中のど真ん中にこういう森を抱えているところがね、京都の奥深いところです。この森は、里山の森ではなくて、正真正銘の原生林ですから。

さて、目指すは、本殿横にある「光琳の梅」です。幸いなことに、人影もまばら。
それにしてもあんなところに梅なんかあったっけなあ、などと思いながら歩いていくと、もうね、一瞬で目に入りました。

いやいや、艶やか! お見事です! って梅。
御手洗川に架かる輪橋(そりはし)のたもとにね、1本だけなんですけど、それはそれは見事な梅が。。
ちょっとね、これ、溜め息が出ますよ。
一応、写真を撮る目的で来たんですが、ほえーっと、見とれてしまいました。
1本しかないからなおさらだけど、すんごい、フォトジェニックな梅です。
また天気がよくって抜けるような青空だから、そのコントラストが鮮やかで。









光琳が『紅白梅図屏風』の梅はかなりリアリスティックに描いてありますが、この梅をそのまんま模写するように描いたわけではないですね。
眺めていて、そう思いました。
そうではなくて、この梅が持っている本質、それは王さまの梅とでも呼びたくなるような桁外れの艶やかさと華やかさなんですが、それこそを、光琳は屏風に写しとったのだな、と、この梅を見て思いましたよ。

光琳の作品は、どれも、規格外です。繊細さと大胆さが同居するというウルトラC級を内包するのが光琳の作品の特長だとオレは思っているのですが、そういう光琳だからこそ、この梅が心に響いたのだな、と、そんなふうに思いましたな。

ところで、この梅を見ていて、あっ!と思ったことがあります。
光琳が描いた『紅白梅図屏風』は、真ん中を大胆に川が流れていて、屏風を左右に仕切ってしまっている構図なのですが、これがね、この場所の地形を想起させるのですよ。
nがYの字になっているのが、光琳の『紅白梅図屏風』です。
きっとね、この地形にインスピレーションを得たのではないか、と、オレは思うのですよ。
大胆さは光琳の代名詞でもありますが、まさにね、地形の大胆さがそのまま構図に写し取られています。
そういうふうに考えると、なかなか楽しい妄想が出来るじゃないですか。

これで『紅白梅図屏風』の実物と対面する日が、ますます楽しみになってきました☆
誰か、熱海に行くような仕事をくれませんかね?(笑)
もしくは、屏風を熱海から関西に持ってきてくれるとか(爆)

相方さんの黄色のスモッグと梅の赤が、いいコントラストを描いてますね。




帰り道、再び糺の森を歩いていると、鮮やかな椿を見つけました。




そして、神社をあとにした住宅街の玄関先で、心尽くしの梅の鉢を発見☆



紅葉のこの時期に梅の日記なんて、あったもんじゃないですが、ま、そのへんはお許しを(笑)