2007年7月1日日曜日

スポーツ少年団、フジロックへ☆


オレのマイミクさんにスポーツ少年団というハンドルネームの男がいてましてですな、まあ、滅多に書き込みはせんし、オレも滅多に日記を覗きにいくこともないという、なんのためにマイミク同士になっているのかよくわからん間柄なのですが、一応、リアルでの知り合いなのですよ。

ミュージシャンでしてね。

彼の前身のバンドのときはいろいろとかかわりもあったのですが、そのバンドが解散し、現在のバンドになってからは、なんかタイミングが合わずにライブにも行けず、ちょっと縁遠くなってたんですけどね。

んで、こないだ、久しぶりに第100回目とかいう日記を覗いてみたら、なんとまあ、フジロックへの参戦が決まってるじゃないですか☆
まだメジャーデビューもしとらんのに…。
まあ、フジロックは、これから!ってバンドもたくさん出ますけどね。でも、出れるんだから、めでたいこってす。ちなみに、オレは今年のフジロックは、きっと参戦しないんですが…(笑)

で、そのむかしですな、彼についてのちょっとしたテキストを書いたことがあるんですよね。
それを久しぶりに引っ張り出してきたので、アップします。

題して、「愛すべき過不足」

ロックンロールの素晴らしいところは、どんなに理想を声高に叫んでも、叫んでいる当の本人が、聖人でも君子でもなんでもなくて、クソみたいなくだらない現実にまみれた、一個の人間であるところに、あるのだと思う。クソみたいなくだらない現実にまみれた、一個の人間であるところの彼が、そこに踏みとどまることなく、精神の棒高跳び世界記録を目指すがごとく、ワン・ステップ・ビヨンドしようとするからこそ、その必死の咆哮は、ボクらの心臓を突き刺す。それが、ロックンロールの真髄だろ?
ボクらは、完璧でも完全でも、なんでもない。一人の人をキチンと愛していられているかといえばそうでもないし、誰にも後ろ指を差されないような生きかたをしているかといえばそうでもない。イラクやパレスチナで毎日のように殺戮が行われていることを知っていながらも、そのことに悲しみを抱きながらも、同時に、下半身は目の前に現れた待望のアナルセックスの相手に全身の血を集めていたりするわけで。
まったく、ボクらは、どうしようもない。
阿守孝夫もまた、どうしようもない。
バイト募集先に応募の電話をして、短期は募集していないと言われると、なら終身雇用のみの募集ですか!と、無茶な食いつきをしたりする。だいたい、普段から地下足袋を愛用している。ラーメン屋にバイトに行けば、ラーメンを作ってやっているという感覚で、接客する。そのくせに、たったの200円がなくて、慕ってくれているバンドのライブに行けなかったりする。財布に200円がない男の社会生活が、まともであるはずがない。なにげない会話に、空海だのサルトルだの村上水軍だの、マニアックな単語を散りばめる。はっきり言って、うるさい。そしてライブのMCでは、落ちもなにもない話を、唐突に、かつ延々と、喋る。
生きていくうえで、なにかが過剰なのであり、なにかが欠落している。でも、ボクらは、そうしたものこそを、愛してきたのではないだろうか。GRAYになくてミッシェル・ガン・エレファントにあるもの、アーノルド・シュワルツェネッガーになくてアルチュール・ランボオにあるもの、矢吹丈にあって読売巨人軍にないもの、スーツ着たリーマンになくて阿守孝夫にあるもの、それは、過不足だ。でも、それは、愛すべき過不足なのだ。それこそが、ロックンロールじゃなかったか?

なんてことをね、むかし、書いたことがあるのですよ。
彼がどれだけアナルセックスを愛し、どれだけヘンタイなのかは、このテキストを読んでいただけるとよくわかると思いますわ。

で、このテキストは今もってやっぱり有効で、彼は、今もこの通りだと思いますな。いや、最近は全然会ってないんだけれども(笑)
でもさ、まだロックンロールを、音楽を、真剣にやってるしな。
ぼちぼち30歳になろうかという大の男がね、真っ当に働かずにさ、音楽をやってるんですよ。
それだけでも、じゅーぶんヘンタイです。
でも、音楽とかロックンロールとかって、じつは、そういうヘンタイさんたちが、脈々と紡いでいたんだよな。

フジロック、楽しんでこいよな☆


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シベリアン・ニュースペーパー / 柵から逃げ出し亡命する軍馬の話~僕の村は戦場だった

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