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2008年1月14日月曜日

ケータイ小説

今日、仕事でですな、いきなり、机のうえに、ドン!と、本を二冊置かれて、レビューお願いしまーす!って、軽い調子で言われましたわ(笑) ふた周りくらい若い編集の男の子に。。。

美嘉って人の『恋空』って本。誰やねん?

ケータイ小説らしいですな。
そーいえば、ケータイ小説って言葉はよく耳にするけれども、読んだことないですわ。これが初めて。

めんどくさいなーって思いながら読んだんですが、あまりの読みやすさに、上下巻で1時間足らずで読み終えてしまいましたわ。

普通の女子高生の主人公である美嘉は、ちょっとしたことがきかっけでヒロと知り合って付き合いはじめます。べつのカップルとダブルデートしたり、一緒に授業をサボったりしてます。
んで、ある日、妊娠しちゃうんですよね。ちゃんと避妊しろよなー。でも、転んで流産しちゃう。妊娠してんだから、気をつけろよなー。で、それはそれでショックなんだけれども、それがきっかけでまた深く繋がっていく、と。
ところが、です。
ある日、ヒロがわかれを告げるんですよね。で、ふたりはそれぞれべつの人と付き合うんだけれども、あとになってね、じつはヒロは末期ガンで、美嘉には幸せになってほしいからということで、わかれを申し出たことが知れ、美嘉は今の彼とわかれて、元カレのヒロのもとへ走っていく…。
それから抗がん剤治療をして、奇跡的に3年も生きながらえるんだけれども、結局は、ヒロは死んじゃうんですよね。でも、ヒロの死後、美嘉は彼の子供を身ごもってることを知り…。

とまあ、そういうお話。

ふーん、ってだけですけどね(笑)

でもこれ、少女マンガのパターンですな。婦女子さんが熱狂しやすいストーリーがてんこ盛りというか、ちょっと理不尽な不幸ネタあり、運命的な出会いあり、裏切りあり、色恋あり…、まあ、わかりやすいお話ですわな。

売れているとのことですが、ケータイ小説というのは、既存の小説は難しくてわからないっていう層にニーズがあるんだとか。
というか、ケータイ小説ってのは、携帯で読む小説のことでしょ? ってことは、その小説の中身ではなくて、メディアが、書籍か携帯画面かって違いだけじゃないのか?
携帯にアップされている小説というのは、総じて、わかりやすい言葉で書かれている傾向でもあるのでしょうかね? この本も、印刷された書籍ではなくて、携帯の画面で読むとまた違った印象があるんだろうか?
 
というか、そもそも、携帯のどこにケータイ小説があるのか、オレ、わかってないんですけど…。

ただ、この『恋空』にかぎっていうと、描写が貧弱すぎますわ。比喩はない、オリジナルの言葉はどこにもない、どの視点で書いているのかもよくわからない…、結局のところ、出来事をただ順番に並べているだけ、というもので、これは小説でもなんでもないと思いましたですな。

なので、小説として表現される必然性がまるでないという、不思議なシロモノでした。

それでもバカ売れしているのは、身近な設定と、徹底してわかりやすい言葉で書かれているからで、そのせいで、ある種の親近感を持つことが出来るからなのだと思います。
それでも、小説というものは、つくりものなので、つくりものである以上は、徹底的に嘘をついて、そのうえでリアリティを持たせ、真実をあぶり出す、という作業をしてもらわないことには、それを小説と呼ぶことには、抵抗がありますね。

ただ、このジャンルに人が集まっているということは、そのなかからホンモノも出てくる可能性も高い、ということです。
消費のされかたのスピードが尋常じゃないから、あっという間に廃れるかもしれないけれども、この手のものは、かたちを変えて残っていくんだと思います。

さらにいえば、かつて、白人化されたブラック・ミュージックであるモータウンが、より黒いホンモノのブラック・ミュージックへと誘う扉となる役目を果たしたのと同様、ケータイ小説をきっかけに、ホンモノの小説へと向かう人も出てくるかも知れませんな。


昨日に引き続き、バルカン・ミュージックを☆

本日の1枚:
『Bulgarian Chicks』
Balkan Bea Box

2007年12月21日金曜日

『ひとはみな、ハダカになる。』


理論社という、社名からしてかった〜い出版社から出ているシリーズもので、『よりみちパン!セ』というのがあるのですが、このシリーズは、硬軟織り交ぜて、名著を連発している、なかなかのシリーズです。

日本、基、世界の漢字学の最高峰、白川静先生の『神さまがくれた漢字たち』、孤高のノンフィクション作家、森達也による『いのちの食べかた』なんていう珠玉の名作から、人気作家の重松清による『みんなのなやみ』、みうらじゅんによる『正しい保健体育』なんて軟らかいところまでカバーしていて、サブカル青少年は必読のシリーズですな。ちなみに、みうらじゅんの『正しい保健体育』は、震えるほどの名著です。

一応、対象年齢が、14歳、つまり中学生以上となってまして、全シリーズを図書館に揃えている中学校も全国にたくさんあります。児童書エリアの本ですからな。

が、しかし、こんなのもある。

『こどものためのドラッグ大全』(深見填)
『オヤジ国憲法でいこう!』(しりあがり寿)
『男子のための人生のルール』(玉袋筋太郎)

真っ直ぐに教育目的で敢行されているシリーズなのですが、下手をするとPTAから有害図書指定されかねないものもキチンと出すという、根性の座ったシリーズでもあるのですよ。

で、今回。
ついに決定版が出ましたわ。

『ひとはみな、ハダカになる。』(バクシーシ山下)

バクシーシ山下といえば、『女犯』シリーズで一世を風靡したAV監督。
その彼がこの本でなにを語っているかといいますと、もろ、アダルトビデオの世界(笑)
彼が実体験したエピソードが満載でして、それがいちいち面白いんですけどね。

彼がアダルトビデオの世界に飛び込んで一番最初にやった仕事は、ロバを迎えにいくこと(笑)
はい、獣姦モノの撮影ですね(笑)
おまけにこの撮影で一番の売れっ子出演者はロバでして、次はCMの撮影がありますから〜!って、分刻みでスケジュールをこなしていくロバらしいのですよ。

そういう、どうでもいいエピソードが満載なのですが、バクシーシ山下の射精産業を見る目は冷徹で、人間の欲望というのは、ハードの進化・普及とソフトの誕生、法律や規制と有機的に絡まりあって、それらによって変化させられ、方向づけられているものなのだという指摘は、相当に鋭いと思いましたです。
つまりですな、オレたちは、自分の意志ではなく、時代のトレンドによってちんちんを握らされている、ってことですが、これを正面から言い切った人を、オレはほかに知りません。

オナニーを覚え立ての中学生にとっては、厳しすぎる指摘です。

さらにですな、AV女優というのは、性格でも努力でも演技力でも才能でも教養でもなくて、唯一絶対に必要なものは、容姿である、という、容姿第一主義を説く、実も蓋もない結論(笑)

これ、無限の可能性を秘めている、と、建前上はされている、中学生男女を対象にした本なんですけどね(笑)

AVの世界を特殊と見なし、蓋をするのは簡単なのだけれども、特殊な世界から見えてくるものも確実にあって、目を背けるだけでは済まされないのはたしかだとしても、それにしても…、いや〜、理論社、やりますな。こいつを全国の中学校と高校の図書室にぶち込みますか〜。
核爆弾に等しいな☆

中学生がちゃんと読めるように、小学4年生以上で習う漢字にはルビが振られ、本文の文字サイズもでかく、挿絵も豊富。じつに丁寧なつくりで、中学生と向き合ってます(笑)

2007年12月18日火曜日

『エレクション・テスト』

坂本龍馬でもチェ・ゲバラでも誰でもいいのだけれども、歴史の年表に画鋲を撃ち込んでいるような偉人さんたちは、ほぼ例外なく、存命中は毀誉褒貶のただなかに晒されていたらしいですな。

ときを経て、そうした凸凹が磨かれ、決定的な評伝とともに評価が定まり、後年に偉人さんとして確定されていくのでしょう。

偉人さんだけではなく、表現者の評価というのは、そういう側面がより濃くあるのかも知れません。

真の表現者は、革命的で新しい表現を携え、そのことで既存の表現を殺すことでしか、世に出ることが出来ません。そうでなければ、新しく世に出る意味が、社会の側にはありません。
過去の手法をなぞっているだけの表現というのは、当人には某かの意味があるのだとしても、社会にとっては、あまり意味がないですな。過去の手法で表された表現は、それこそアーカイブを繰ってみれば、いくらでも素晴らしいものが収められていますから。

そう考えると、革新的な表現を携えて出現する真の表現者というのは、論争の的、それこそ毀誉褒貶の嵐に晒されることになるのは、必然ですらありますね。

だから、いくらベストセラーを連発して、その時代に受け入れられたとしても、そこに侃々諤々がないのだとしたら、その人はきっと、後世に名を残しません。

たとえば、戦前から戦後にかけて、和田芳恵という小説家がいました。ベストセラーを連発していて、全集も出版されています。オレは、彼が描く当時の風俗描写が好きなのでたまに読むのですが、まあ、今となっては、研究者レベルでないと知らない作家です。一般には、残っていない作家ですね。
やっぱね、当時からしても、革新的なところが、どこにもなかったんだと思うのです。

革新的、というか、不穏な空気といったほうがいいのかもしれないですが、そういうものを纏っている表現者は、それゆえに、存命中は毀誉褒貶に晒されるけれども、時代が変わっても残るし、何度でも蘇ってくるのだと、オレは思います。


最近、野坂昭如を読んでまして、この人はそういう作家なんだろうな、と、思ったりしました。

野坂昭如といえば、参院選に出たり知事選に立候補したり、歌を歌ったり、一方で『火垂るの墓』なんていう珠玉の掌編をモノにしている、マルチな表現者。で、コトを起こすたびに、毀誉褒貶の渦を巻き起こしてきた人。

ある資料本を目にしていたときにハタと気づかされたのですが…、
この人の文体は、博覧強記の饒舌ぶりをして井原西鶴に似ていると誤解されるのだけれども、ご本人は、井原西鶴はほとんど読んでいない、と言います。
それよりも、自分の文学的原点は、少年時代に読んだ猥本にある、と。
猥本ねえ、と、ずーっと思っていたのですが、べつのことで資料にあたっていて、ハタと目に留まったのが、告白タイプの投稿手記集なのですよ。

大阪にはそのむかし、『性生活報告』という告白本があったのですが、饒舌ではあるけれども主語が抜けていてときどき誰のことかわからなくなるような、彼の文体は、その告白本に出てくる、ひそひそ声に、よく似ているのです。体言止めの多様や、息継ぎをしながら畳み掛けるような口調…、ああ、これか!と、ここに辿り着いたときは、ひとりごちたもんです(笑)

日記のタイトルは、最近読んだ彼の短編。

近未来、超高齢化社会を迎え、国力が落ちた日本を救う起死回生の一手として、ET法なる法律が制定されたのですね。
男子65歳になったら、むかしの徴兵検査よろしくエレクション・テストを国家がやり、「現役」として合格しなかった男は死刑! 役に立たない高齢者はこの世から退場してもらうってことです。そうするとですな、仕方ないからそれまでに残った金をじゃんじゃん使う老人ばかりが出現して、消費拡大、景気回復間違いなしっ!ってお話(笑)

大笑いしながら読んでました。
筒井康隆が似たような仕事をしているけれども、筒井康隆よりも、野坂昭如のほうが、嘘のつきかたが上手いですな。嘘にリアリティを持たせるためには、具体的な名前をいっぱい出さないとダメなのですが、その点、野坂昭如の引き出しは、相当深いです。



最近聴いているモダン・グルーヴ・シンジケート。うねりがね、なかなかヤバいです☆

本日の1枚:
『Courthouse』
Modern Groove Syndicate

2007年11月28日水曜日

『駅前旅館』





月にだいたい30冊〜100冊程度、本を読みます。
幅がありすぎますが(笑) 仕事での移動が多いか少ないかでかなり変わってくるのですよ。

もともとが文学少年のパンク小僧ですから、それなりに読書歴は長くてですね、いわゆる純文学というやつは、ほとんど総なめにしておりますです。全集とか、読みあさってたし。

最近は、というか、この10年以上はもっぱらノンフィクションばっかりですな。
だって、最近の小説で食指が動くのって、年に数冊しかないし。
ノンフィクションはね、知らない世界のことがたくさん書いてあるから、食指が動くのが多いのですよ。それでも、ヘタクソな文章に当たると、放り投げてしまいますが…。
なので、薬の効能書きでも、文章に味わいがあれば、読んでますわ、きっと(笑)

さて小説です。
純文学は、存在の意義だとか孤独だとかがテーマになっているものが多いので、そりゃ若かりしパンク小僧にはぴったりなのですが、そういうことが人生上の大きなテーマではなくなってしまった年齢に突入してしまうとですな、娯楽としての文学に向かっていくのですが、これがね、読むに耐えるものがなかなかなくて…。

お話がよく出来ていても、描写がヘタクソだったり、比喩がヘタクソだったり、要するに観察が浅いのが多くてですね、よくこんなものを恥ずかしげもなく世に出してるな、と。
人間を見る目が浅かったり、キャラ設定がいい加減だったり、時代考証が抜けていたり…。

鬼平犯科帳とかね、やっぱあのクラスのものでないと、そそりませぬ。

と思っていたところ、最近、いい本が出ているのを見つけて、繰り返し読んでいるのがあるんですよ。

井伏鱒二の『駅前旅館』。

これ、新潮文庫から新装で出てまして、むかしの本ですから400円。安い!
井伏鱒二といえば原爆ものの『黒い雨』や教科書にも載ってる『山椒魚』が有名ですけど、これはノーマークでしたわ。

昭和30年代頃の東京・上の駅前の団体旅館が舞台でして、そこの番頭さんがね、宿屋家業の舞台裏をいろいろ語ってくれるのですよ。
業界の符牒にはじまって、お国によるお客の性質の違いから、呼び込みの手練手管、修学旅行生の扱い、美人女将を巡る番頭仲間の仁義と生態なんかがですね、勃発する珍騒動の傍らに織り込まれていて、非常に奥行き深い小説で、かつ、滅法おもしろい!

キャラとはお客さんのこと。
ガマ連れとは女連れ。
ハクイ玉は美人のこと。
お客の懐にカネがたんまりありそうなのは、桁深い。
カネのないのは、桁ハイ、もしくはオケラ。
一人客はピンコロ。
酒を飲むのはドジを引く。
食事をするかどうかは、ハクはいいのか?もしくはハクは出るのかい?
座敷はシキザ。
宿料はケタ。
料金の安いところはケタ落ち。
ご祝儀はバッタ。

言われてみると、なるほど〜ってのもあれば、解説されてもわからんものもありますが、こんな豆知識がですね、随所に出てきますわ〜。

オレが社会人になったころにはすでに、駅前旅館は駆逐されていて、ほぼすべてが味気ないビジネスホテルになってしまっていましたが、たま〜に、ありましたね。
泊まったことも、何度かあります。
しっかりした日本家屋で、瓦葺きの二階建てで、玄関のガラス戸が広く開けてあって、左に下駄箱があって、右にはオモトの鉢なんかがあって、正面の大黒柱には大きな振り子時計があるような…。

板間が引き戸で仕切ってあって、カレンダーの下に金庫や小机が並んでいて、見かけはさほどでなくても奥がやたらと深くて、廊下が2度3度折れ曲がっていて、あちこちに階段が口を開けていて、猫の額のような中庭越しに二階の手すりが見えて、そこにずらりと手ぬぐいが干してあって、迷路さながらで…。

そういう、王国のような場所でですな、井伏鱒二が取材しまくったであろう宿屋家業の番頭さんの生態がこれでもかと盛り込まれ、それを横糸にして、縦に珍騒動が繰り広げられていくという、小説。

涙と笑いとペーソスと酒と女と男と色恋と色恋のバカバカしさと仁義とあれやこれやの入り交じった人情話がね、しんみりほっこりしていて、よろしいのですよ〜。

なんか、少し苦い良薬を飲んだような気分です。

ちょっと寅さんチックなところがあって、こいつを下敷きにしたらいい喜劇が出来るのになあ、なんて思っていたら、むかーし、映画化されていたことがわかりました。

主演、森繁久彌(笑)
いかにも、です。
フランキー堺とか伴淳三郎とか、達者な俳優さんが脇を固めて、マドンナ役に淡島千景…。
なんか、『駅前シリーズ』とかって、シリーズ物になってますな。DVD、出てるのかな? 見たいな。

今、3回目の再読に入ってます。


人情ファンクといえば、P-Funk☆
誰がなんといようと、P-Funkは人情のカタマリ☆
音質、めっちゃ悪いけど(笑)



P-Funk All Stars / 『We Want The Funk』


2007年10月9日火曜日

どうしようもない感情の、たまもの


倉庫に必要な本を探しにいったら、一冊の写真集が出てきたのでした。

『たまもの』。

主人公は、この写真集の作者でもある神蔵美子さん。

夫がいるのに、婚約者のいる男に恋をし、結果、その男は1週間後に控えていた結婚をとりやめ、美子さんと結婚してしまいます。
美子さんは、その後、べつの男に恋をし、その男は、30年連れ添った妻を捨てて家を出、美子さんと暮らすようになります。

1週間後に控えていた結婚を取りやめた男は、坪内祐三氏で、売れっ子の文芸評論家です。
30年連れ添った妻を捨てて家を出た男は、末井昭氏。白夜書房の名物編集者にして、エロとギャンブルを語らせたら人後に落ちない人。女装家。

この写真集には、美子さんと暮らした坪内氏が登場し、美子さんのもとに駆けつけた末井どんが登場し、坪内氏と末井どんが談笑している姿が登場し、それらすべてにカメラを向けているのは、ほかならぬ、美子さんです。

坪内氏と末井どんの葛藤はあったのだけれども、2人の男は、気丈にもそれを表に出しません。
少なくとも、美子さんの目を通して切り取られた風景には、その気配は、微塵もありません。
その代わりと言ってはなんだが、この写真集の表紙は、美子さんの泣き顔です。


ほんとにね、美子さんは子どものような人だな。
自分の気持ちに、素直に生き過ぎている。
他者の存在を知らない、子どもみたいな人だな。

分別のつく歳どころではない。
地位も名声もあれば、背負っているものもある。
たぶん普通の、このくらいの歳の人は、そんなことしないんじゃないんだろうか。
もう、40だ50だという人たちなのだから。
情やしがらみに負けそうになったりしながらも、恋を大切にするなんてね。
わがままだなあ(笑)
でも、清々しいわ。。。

奇妙な三角関係を記録し続け、あまつさえ、それを作品にして世に出してしまう傲慢…。
でも、美子さんには、その傲慢さを引き受けてでも、落としまえをつけなければならない気分が、あったのでしょう。
だからこそ、わがままだし、清々しいのだと、オレは思います。

ときどきね、自分の裡にもまだそういうものが眠っているような気が、するんですよね。

キンモクセイの香りが、漂ってきます。
風が吹けば、キンモクセイの匂いが届いてきます。夜道を歩いている折り、キンモクセイの香りが深く染み込んでいる大気の層に出会うと、今さらながらに、季節の巡りの疾さに驚かされますな。

もう、じゅうぶんに落ち着いたものと思っていた自分の感情の層に、不意にぶつかって、そういうものの生々しさにハッとしたりすることがあります。
枯れる、
ということは、おそらく、一生、人にはないのでしょう。
ときおり、感情や欲望が凪いだように穏やかになっている状態が続くときもあり、それはそれで仕事も進み、悪くない気分であるのだけれど、その代わり、歯軋りするような辛さや想いが減ったぶんだけ、歓びや感動も、少し薄まっているような気もするのです。
なんだか、マイミクさんのにゃごさんも、おなじようなことを書いていたな(笑)

かつて、自分が有していた、辛かっただけの日々や、息が苦しくなるほどの濃い感情が、急に懐かしくなるときがあるのですね。

おそらく、たぶん、人は、こういうことを、繰り返し繰り返し、続けていくのだろうと思います。
ふたつのもののあいだを、行ったり来たりする旅を、繰り返していくのでしょう。

それを繰り返していく覚悟は、とっくに出来てます。


この写真集の最後のほう、何枚か写る坪内氏の、ぼんやりした表情が印象的でした。
振りまわされた挙げ句に、ぼんやりしちゃったのかな。

アラーキーが、陽子さんが亡くなったあとに発表した写真集の最後は、延々と、抜けるような空を写したものでした。

その気分、なんとなく似てるな。
どうしようもない感情の、たまものだな。



本日の1枚:
『La Foule』
Edith Piaf

2007年9月16日日曜日

向かいの安スナックの肥満した中年女との肉弾戦が延々と50ページも展開される小説


そのむかし、『バトル・ロワイヤル』という小説がありまして、映画にもなったのでご存知の方は多いと思います。
映画のときも16禁だR指定だと騒動になってましたが、原作の小説は、じつは、日本ホラー大賞なる賞の落選作なのですね。
作品の出来ではなくて、選考委員の「こういうことを考えるこの作者自体が嫌い」(林真理子)だとか、「非常に不愉快」(荒俣宏)だとか、まったくもって理不尽な生理レベルでの好き嫌いが落選の理由となったのですが、そのこと自体が作品に箔をつける結果となり、ベストセラーになったのは多く人が知るところで。

さて、今年、あんときの拒否反応に匹敵する作品が現れましたな。
飯野文彦著『バッド・チューニング』


「あまりにも後味が悪くてイヤ」(高橋克彦)
「負の部分がドドドッとイヤなかんじで流れ出てくるような作品」(林真理子)

良識派の顰蹙を買いまくっているようです。

宣伝文句が、奮ってましてね、
「全身びらびらの風俗嬢、じじいの血痰攻撃、黒い乳首と股間のアフロヘア。自称、敏腕、基、Bワン探偵の私が垂れ流すアルコールとアンモニアの妄想の果てに…、ピンサロのドストエフスキーが放つ最下流文学」。

主人公の「私」は、西武新宿線新井薬師前駅徒歩5分(JR中央線中野駅徒歩5分)の老朽マンションに自宅兼事務所を構える自称・私立探偵(自称・元刑事)。
歌舞伎町のピンサロから淫乱風俗嬢を連れて帰ったところ、ふと気がつくと、彼女が腐臭漂う死体と化していたのですね。

いったい誰が彼女を殺したのか? この死体をどう処理するべきか…。
というふうなミステリー方向へ話は、まったく進まずですな、マンション管理人の変態ジジイとのろくでもない対決を経て、本筋とはほとんどなんの関係もなく、向かいの安スナックの肥満した中年女との肉弾戦になだれ込んでいきます(笑)

延々と50ページも続くこの格闘場面こそ、この作品の肝になってましてね。いやもう、すごいことになってますから(笑)

ストーリーじゃなくて描写で読ませる小説(ということは、王道的な作品でもあるのですが)なので、とても『バトル・ロワイヤル』みたいなベストセラーになることはないんでしょうが、今んところ、今年に読んだ小説では、ダントツですな☆

表現にね、モラルとか良識なんてモノを持ち出す人は、大嫌いです。
口当たりのいい言葉はあってもいいけれども、癒しがあってもいいけれども、そんなものと表現の本質とは、まったく関係がないです。
そんなものは、世のなかに任せておけばいいのであって、表現は、モラルやインモラルを超えた地平で存在するべきものです。そういう場所で、触れる人の精神にグサグサとナイフを突き刺すような、触れるまえと触れたあとではなにかが変わってしまうような、そういう作用を持った薬剤こそが、優れた表現だと、オレは信じています。

ところで東京在住の皆さん、新井薬師という街は、こんなにもカオスな街なのですか?(笑)

2007年9月12日水曜日

ブルータスの国宝特集



雑誌の「BRUTUS」は、滅多に買わないのだけれども(そのくせに、副編集長のブログは毎日チェックしている)、今回、国宝の特集を組んでいて、思わず買ってしまいました。もう1週間前のことなんですけれどもね。。

仏画から障壁画、仏像から日常品、書に刀に茶碗に絵巻に建築まで。
画像満載でね、かなりお得な特集になってます。これで650円は、安いですな。

たいていの国宝はどれも写真で見たものばっかなんですが、こうやって一堂に集められると、やっぱ、迫力が違いますよ。文化庁や文科省のサイトにも国宝リストはあるんだけれども、意図的かと思えるほど、画像がしょぼいですから。

狩野派のプリンス、狩野永徳の聚光院室中『四季花鳥図』なんて、部屋の3面を使った襖16枚の超大作だけれども、観音開きの製本にして、1枚のパノラマ写真で、ドーンと見せてくれてます。
やはり狩野永徳作の『洛中洛外図屏風』なんて、個人所有ですから、表に出ることなんてまずないし。それも、大パノラマ図でドーン。しかも、美術印刷!

もちろん、雪舟もあるし長谷川等伯もあれば俵屋宗達に尾形光琳も。絵師、5大スターがそろい踏みの豪華絢爛なページになってます。

仏像も、これでもかと掲載されているのですが、京都と奈良の仏像はそれなりにご対面しているとはいえ、やっぱ、地方ですよ、地方。滋賀と東北の中尊寺界隈。

死ぬまでに絶対に見たい向源寺の十一面観音立像、勝常寺の薬師如来さんと両脇に安置された月光・日光菩薩立像、観心寺の如意輪観音像…、ちょっと涎がとまらん、未だ見ぬ彼の人が目白押しです。

さて、このまま国宝の話を進めていってもいいのですが、それはどうせ神社仏閣巡り日記をアップするときに、もうやめてくれ~!と言われるくらいに書くつもりなので(笑) 今回は、この雑誌のこの号について。

ちょっと専門的な話になるのですが…。
今号は、印刷がわかる人にはわかるんですが、非常に贅沢につくられています。

印刷というのは、普通、赤・黄・青・黒の4つの色を掛け合わせて、あらゆる色を表現するんですが、それに加えて、特色というやつがあるのですね。
その特色のなかでも、金や蛍光カラーはそれだけで倍ほどの値段がするんですが、その金をね、ふんだんに使ってやがるの。
たまに、表紙だけは贅沢にお金をかけて特色を使う場合はあるんですが、なかの特集の扉にまで特色を使って贅沢をするっていうのは、日本の雑誌ではちょっと聞いたことがないですな。かなり羨ましいです☆
狩野永徳の『洛中洛外屏風』が、4ページ分の観音開きで金色を使っての仕様ですよ。ほとんど、美術印刷並みですから。

さらにですな、各ページに添えられた記事のキャッチコピーがどれも奮ってましてね、無署名の記事がほとんどなので、編集部の誰かが書いているのでしょうが(というか、きっとひとりの人が書いてます)、これがね、いいのですよ~!

狩野永徳の紹介文は、こんなのですよ(笑)

天下人に愛された華麗なる一族。
プリンス永徳、聚光院に吠える「永徳参上、夜露死苦!」。

5大絵師の紹介はこんなの。

立てば蓮池、
座れば山水、
歩く姿は燕子花のザ・国宝。

雪舟。

行った! 見た! 描いた!
京都五山の落ちこぼれ画僧が国宝最多勝絵師になるまで。

長谷川等伯

30過ぎて京都デビュー?
名門を脅かしたドブ板中年絵師のアゲアゲ下克上、人生すごろく。

仏像(奈良)

あをによし、
京都の都は仏像
メルティング・ポット。

仏像(京都)

最新から最古まで、
ショーユ顔の仏像は
京都に花開く。

日常品

嫁入り道具だって
行事マニュアルだって
国宝になります!

神道

我が輩は神様である。
形はまだない。
ずっとない。

「うみやまのあひだ」に居ます神様への、ピースフルな信仰のかたち。

風姿

描いて楽しい、見て嬉しい。
美男美女こそ人間国宝だ!

絵巻

ロマンスありホラーあり
ドキュメンタリーもある、
中世の映像ライブラリー。

絵巻

俯瞰もアップも思いのまま。
絵巻ヌーベルバーグに学ぶ、
映像表現のいろはにほへと。

仏画

仏教美術が抹香臭いなんて誰が言った? 光り輝く仏の奇跡を見よ!

書跡

天皇も貴族も坊さんも、
筆一本で名を残す。

茶碗

「お茶しない?」
史上最強、ヒストリカル勝負茶碗。

茶碗

見ーてーるーだーけー、でも満足な、AAA格付け5碗。

建築

地震雷火事建て替え。
よくぞ残った風雪の古建築。

切手

切手は国宝目録です。



日本文化が見直されている昨今、より身近なものに!と配慮された特集もたくさんありますが、ここまで全編にわたってキャッチコピーのテイストを統一させるのは、並大抵の技術ではないです。
オレのような仕事をしている人間にとっては、これだけでも、買いです☆



国宝といえば、オレは、すぐさま、この人たちを思い浮かべます。
アイルランドどころか、世界遺産に指定したい人たち、ヴァン・モリソンとチーフタンズの競演☆

本日の1枚:
『The Star Of County Down』
Van Morrison & The Chieftains

2007年8月18日土曜日

ウメカヨ見参!




ウメカヨ見参!

もはやメジャーになりつつあるカメラマンだし、「ほぼ日」でも連載持ってるし、きっと久モさんあたりのチェックはばっちり入っていると思われるのですが、遅まきながら、ウメカヨ、基、梅佳代さんの写真集を手に入れたですよ☆

神戸の編集部にいくつか積んであったので、1冊拝借(笑)

新作の『うめ版 新明解国語辞典×梅佳代』もかなりそそる本だったのですが、こっちはまだ置いておいてほしいらしく、断念。
代わりに、『うめめ』と『男子』のどちらかで悩みに悩んだあげく、『男子』を選択。


ウメカヨが写真専門学校時代に近所で知り合った小学生男子たちをとらえた写真集なのですが、男子小学生のおバカな生態が、これでもか!と詰まってます。

せやねん!
小学生時代の男子は、こんなにも大バカモノなのですよっ。
そーゆーことを、愛情いっぱいに思い出させてくれる、珠玉の一冊。
アラーキーのデビュー作『さっちん』の2007年度版やね、これは。

それにしても、小学生時代の男子は、なんでこうもおバカさんなんでしょうかね。
山の裏手に秘密基地をつくり、見えない敵と戦ってたり、ウルトラ兄弟のなかで一番強いのは誰かと真剣に論争したあげくにケンカになったり、教室の机のなかはぐっしゃぐしゃで、変な顔ばっかりして、おしっこを我慢することに無上の喜びを覚えたり…。

書けば書くほど、おバカやな(笑)
でも、ウメカヨは、そんなおバカな男子に愛情をいっぱい注いでいるのがこの写真集からは見てとれて、とーっても微笑ましくあります。

ばんざい!
と、思わず叫びたくなるような爽やかさに、この夏がちょっとだけ涼しくなった。
シャッターチャンスガール、ウメカヨ! ばんざい!

そーいえば、キキララさんは、案外、ウメカヨかもしれん…と、思う、今日このごろ。。。



『RISING ON THE ROCKET』
少年ナイフ

2007年5月30日水曜日

ピーター・ビアードの超豪華本



ピーター・ビアードの『Art Edition, No.251-2500』
梅田の本屋さんで、はじめて実物を見ましたですよ。

コラージュしまくりで、コラージュ好きのオレにはたまらんです。
しかし、ガラスケースに収められていて、手にとって見ることが出来ません。
宝石ですか?(笑)

なにって…、本ですけどね。书。본。冊。Book。Libro。Livre。Buch。
345mm×500mmの大型本というか写真集ですが、なんと木製専用スタンド付きです。

お値段、
367,500円(税込)…。



CDが何枚買えるんですか…。。。。。
車が買えてしまうんじゃないか…。。。。。

はぁ…。
さすがに買えん…。
買えんです。
本買うのにローン組むのも、あれだし(笑)

買えんが、買っちまったら、経費ってことで税務署は認めるのかどーか、なんてことも頭をよぎり…。
買えんが、買っちまったら、インテリア的にオレの部屋のどこに置いても浮くな、なんてことも頭をよぎり…。

ピーター・ビアード。
アフリカのサバンナとニューヨークの社交界を胯にかけた、写真家にして日記作家。
日記を、芸術にしちまった男。
クレイジーな色男にして、野性的冒険家かつセンシティブな芸術家。



彼のような二律背反、身体じゅうから矛盾を吹き出させる存在といえば、やっぱ、カエターノか。


Caetano Veloso / 『Totalmente Demais』





追)
今日は日帰り名古屋出張、ついでに愛知県美で念願の伊藤若冲の『鳥獣花木図屏風』を鑑賞。
で、帰阪途中、叔父の訃報が。奥さんは2年前に先立たれ、子供がいないので、オレがお葬式を仕切る可能性が大…。脳溢血。自宅で人知れず亡くなったので、警察も入るだろうし、今、てんやわんやですわ~。
それ以外にも、日記に書くことがたまっちゃってるんですが、ちょっとペースダウンするかも、です。。

2007年3月3日土曜日

恋慕とストーキングを分かつものは


ここ何年も、小説は、単行本ではなく文庫本が出るのを待ってから読みます。
文庫化されるスパンが短くなってきているし、良質の小説もガンガン減ってきているので、文庫本でじゅうぶんだと思うからです。
ただし、新人作家のデビュー作は出来るだけ単行本で読むようにしています。フレッシュさが命ってところはあるから、文庫化されるまで待っていたら、色褪せてしまいます。
それでも、読んでみたいと思わせる新人作家のデビュー作もあまりなくて、ましてや、本棚に残しておきたいなあと思う新人作家のデビュー作なんてのはもっとなくて、ほとんどは、読後すぐに古本屋行きです。

昨日、森見登美彦という新人作家のデビュー作『太陽の塔』を、読みました。
文庫本です。
3年前に単行本が出たとき、本屋さんで手にとり、かなり触手を動かされたんですが、ギリギリで買いませんでした。きっと、アンテナが違う方向を向いていたんでしょうね。
で、今、文庫本が出ているのを見つけて、ちょうどアンテナがピピッと鳴ったので、買いました。

作者がモデルらしい主人公の森本クンは、京大5回生です。
この本、京都が舞台になってるんですわ。
そこが、アンテナに引っかかりました(笑)

北白川別当交差点では角にあるコンビニエンスストアが二十四時間光を投げ、本屋は午前三時まで立ち読み客でいっぱい、山中越えに向かう御蔭通りはへんてこな改造車がびゅうびゅう通る。

私の立っている場所から右を見ると、叡山電車の線路が北東へ延びている。少し先で東大路通と交差し、一乗寺方面へ向かうのである。市街地の中を突っ切るので、半ば路面電車のように見える。あてもなく街をうろついているとき、ふいに目の前の夕闇を叡山電車が駆け抜けることがあった。それはまるで、ごたごたと立て込んだ暗い街の中を、明るい別世界を詰め込んだ箱が走っていくように見え、私はひどく気に入っていた。

こんなかんじ。
京都の街を描写したエッセイは1日1冊くらいのペースで世に出ているような気がするんですが、小説は、そんなにないですな。
具体的に場所がイメージ出来るのがね、きっとそこがアンテナに引っかかったんでしょう。

んで、読み進めるうちに、これ、アタリでしたわ☆

京大生であるところの主人公「私」の独白で物語は進んでいくんですが、この青年は、水尾さんなる2個下の法学部婦女子学生さんの追っかけを日課としていて、それを研究と称してレポートにまとめてるんですわ。

彼女の家に愛車の自転車まなみ号で駆けつけ、「素早く携帯電話を出して、待ち合わせしているのに相手が十五分も遅れているのでむしゃくしゃしている二十歳すぎの若者を巧みに演じ」ながら、彼女の帰宅を待ち伏せるんですよ。

ストーカーですわ(笑)

はい、ストーカー日記です(笑)

でも、「私」は、これをストーカー行為ではないと、断言します。

私の日常は、かつての恋人・水尾さんの日々の行動を観察することに費やされている。
誤解してもらっては困るのだが、これは決して「ストーカー行為」などではない。
私のように頭脳も人格も性格もずば抜けて優秀な人間が、
なぜ彼女ごときに袖にされたのかという疑問を、客観的かつ科学的に解明するための「研究」なのである。
今日も私は愛車・まなみ号(自転車)にまたがり、京都の街を走り抜ける。

と、この調子ですな、あらゆる行動が、彼の頭のなかでは正当化されているんですわ。それがまた、豊富なボキャブラリーとイギリス文学的な凝った言いまわしで、展開されるんです。

男子大学生なんてのは、根本的にダサイですな。
理屈っぽくて、情念を持て余していて、カネがなくて、力もなくて…、京大生でも京大生でなくても、そのへん、変わりませんな。

独り者にとっては憎悪の対象でしかないクリスマス・シーズンに、頭でっかちの「私」のモノローグは炸裂し、自我がうねりをあげて旋回します。さらに大言壮語、文士的なモノ言いが…、結局のところ、この物語は、大好きだったのにふられてしまった水尾さんを巡る、四畳半の自室と京都市内を舞台にした、小さな冒険譚であり、とどのつまり、降られた男の冴えない真冬の独白小説に過ぎないのですが、古色とした清潔感があり、「私」は、どこまでもダサイです。ただし、そのダサさがこれ以上ないくらいに正しいダサさであるゆえに、読後、爽やかな気分を残します。

禁欲的生活。
この言葉を聞いて、まず思い浮かぶのは、かつての僧坊であるが、そんな彼らも禁欲的生活を維持するために様々な手を弄した。ためしに手を弄することを止めてみれば、途端に世界は輝きに満ち、あまりにも眩しすぎてそれはもはや正視に耐えず、上求菩提下化衆生などと言ってはいられない。かえって手を弄することに夢中になって、本道を忘れる者もいたろうが、我々は彼らの轍を踏むこと避けたいと願っている。あくまで理性を保ち、我々がジョニーを支配するのだ。決してその逆であってはならない。
この美しくも涙ぐましい禁欲的生活を支えるために、欠くべからずものがビデオ店である。隙あらば理性の頸木を逃れようとするやんちゃなジョニーのご機嫌をとり、つねに静謐な心を保つためには、連日のごとく新鮮な具材が必要だ。

ビデオ店でアダルトビデオを借りるのに、これだけの言い訳を要し、そうする自身を正当化して納得しようとするこの情熱と頭でっかちさ加減!

このダサさは、男子大学生の正しきダサさなのだけれども、今、見る影もないような気がします。
このダサさを失ったことと引き換えに、この世のなかは、恋慕を失い、ストーキングにとって代わられたんじゃないでしょうかね。

この小説は、オモロいですよ☆
ハッピーモードの恋愛小説が横行するなかで、救いようのないダサさで展開される妄想モード炸裂の抱腹絶倒モノローグは、異色です。異色ですが、大好きですね、こういうの。
しかも、舞台は京都。その京都の風景が詩的に描写されます。

ま、笑いたい人は読んでみてください。
amazonで「森見登美彦」「太陽の塔」と検索かければ、一発で出ます。

桃の節句の日、男の子は、こんな日記を書くのです(笑)

2007年2月19日月曜日

やっぱり午が合うんでっしゃろな


織田作之助の『夫婦善哉』、今は、復刻版が出てるみたいですね。
amazonで調べてみたら、講談社文芸文庫から出てました。これ、長らく絶版でしたから、手軽に読めるようになって喜ばしいかぎり。

オレも、今、手元にないし…。それにしても、必要ないときには目につく場所にあるのに、肝心なときにどこにあるのかわからないというのは、どういうことなんでしょうかね。。。

さて、『夫婦善哉』。
大阪は道修町の化粧品問屋の跡取り息子、柳吉は、31歳の妻子持ちですわ。お人よしのボンボンで、カネさえあれば飲んでまわる放蕩息子。船場のアホぼんの典型ですな。
一方、曾根崎新地の芸者、蝶子は、小学校を出てからこっち、あちこち女中奉公に出て、17歳のとき、自分で希望して芸者になる。陽気で声自慢、座持ちが上手かったので、たちまち売れっ子になるわけです。
その蝶子が、柳吉に、ぞっこんホの字になるんですな。
惚れたら負けよ、あばたもえくぼとは上手いこと言ったもんで、柳吉の吃りにも誠実さを感じてしまう始末で。まあ、蝶子の押しの一手で、ふたりは結婚しちゃうんですけどね。
そんなこともあり家を勘当された柳吉を、蝶子はヤトナ(芸も見せる出張仲居)までして、支えるんです。支えるんですが、その間、柳吉は安カフェへ出かけて、女給を口説いたりしてます。
おまけに、柳吉くん、いろんな商売に手を出すんですが、どれも長続きせずで。

当時の大阪の生き生きとした町人文化の風俗が丹念に描かれていて、風俗小説として秀逸なんですが、恋愛小説としても一級品でしてね、蝶子のだめんずウォーカーぶりもさることながら、ほら、男女のことって、他人には窺い知れないもんがあるじゃないですか。その、しみじみとした優しさがね、ラストの大阪はミナミの法善寺通りにある甘味処でぜんざいを食べるシーンに集約されてるんですわ。

この小説、オレ、大好きでしてね。
人間観察が素晴らしくて、理屈で成り立ってないところが、心にじわっと来るんですわ。
この甘味処は、今でも営業してるんで、稀に行きます。

で、この物語の続編がある、というのは、かねてより噂では聞いていたんですが、最近、鹿児島で見つかったらしいです。
題は、『続 夫婦善哉』。
柳吉が小倉競馬で稼いだ金を元手にして、夫婦は、大阪から別府に移住するところから、続編ははじまるんやそうです。相変わらずのアンポンタンぶりが、笑えますが。。
で、別府の温泉客を狙って剃刀店を開き、繁盛する。
でも、戦争による金属品統制で商品の仕入れが思うように出来なくなり、商売替えを決意。大阪へ戻るんですが、戻る船のなかで、船員に夫婦円満を冷やかされるんですわ。
そこで、蝶子が、こう言うんです。
「なに言うたはりまんねん。いつも喧嘩ばかししてまんねんで。でも、やっぱり午(ウマ)が合うんでっしゃろな」
と。

理屈がすっ飛んで、最後の暴力的な結論。
「午が合うんでっしゃろな」。

そうやんな。
男女って、結局のところ、そこに尽きるな、と、この話を聞いて、強く強く思いましたわ。
概略をすでに聞きかじってしまいましたが、ぜひ、ちゃんと読みたいですな。
続編、刊行されるんやろか?

そんなことを思いながら、今日のお昼は、織田作之助が『夫婦善哉』の構想を練ったミナミの自由軒で名物カレーを食べてました。黄身なしで(笑)

法善寺の夫婦善哉

自由軒

2007年2月18日日曜日

緊縛日和



責め絵師、伊藤晴雨の『美人乱舞』を古本屋で発見してしまい、全財産つぎこんでも、という勢いで、うむ、なかなかよい、というお値段で買ってしまいました(笑)
ちなみに、同時に、土方拳の『古寺巡礼』も結構な値段で見つけてしまったんですが、今回は、伊藤晴雨に軍配(笑)
 
婦女子さんを責め、撮影し、描くことに生涯をかけた最後の浮世絵師、伊藤晴雨。 
「女ってものはだまして使うものでござんすよ」
む~、わかってらっしゃる(笑)
わかっちゃいるけど、なかなかそうは出来ないのが、凡人の凡人たる所以ですが。
いや、オレのことですけど。

この人の絵は、霊気さえ感じます。

乱れ髪と、紐と紐で結ばれた肌のぷくって盛り上がるかんじが素晴らしいです。
白いつきたての餅を連想させてくれるのが、なお嬉しい。
乱れる髪の場合、結った髪からばらける髪の本数によっても、また、印象が違います。

和と、縄と、黒い髪と、着物。
日本人でよかったと思う瞬間でござんすよ(笑)

春の訪れを感じる今日この頃は、緊縛日和?(笑)

ちなみに、もっと画像を見てみたい方には、こんなページがあります。

2006年12月30日土曜日

今年の読書


商売柄ってこともありますが、毎年、年間で300冊オーバーは本を読みます。1日に1冊というわけではなくて、同時進行で何冊も読むから、1週間で7冊前後って読みかたです。
それが、今年は200冊に届かんかったです。
理由は簡単で、本を読む時間がmixiに費やされているわけで。。

ほいで、今年の読書を振り返ってみますと…、

まず、小説は、ほとんど新作を読まんかったですな。読みたくなるような新作小説がね、ほとんどなかったですわ。
年明け早々の発売された瞬間に買ったのが、劇団ひとりの『陰日向に咲く』。
モチーフ自体は、ちょっと変な人のちょっと変な話で、純文学ではよくある手法。それ自体は手垢まみれで面白くもなんともなかったけれども、文体のリズムがね、淡々としていてよろしかったですな。ちょい体温低めで、2006年のリアルを上手く体現してました。お笑い芸人だからこそテンポを考えるだろうし、それが文体に上手くいかされていて、そこが新人離れと呼ばれる所以。この人の書くものは、好きです。

テンポやリズムのよさをもっとも感じさせるのは、舞城王太郎ですな。
2年前の『煙か土か食い物』から大注目していて、いつブレイクするか!と待ってるんですが、今年も小ブレイクで終わった作家。それでも、新作の『好き好き大好き超愛してる』は、グイグイ読ませましたけどね。その饒舌さ加減は、諦めから来ているのだと思うので、音楽でいうと、ハウス・ミュージックのノリに近いですかな。快感の中枢神経を刺激するのよね。というか、それが目的で書かれているような気すらします。そこがね、かなり新しい。マニアの愛玩物で終わってほしくない作家なので、来年も期待します☆

そしてオレの大好きな平野啓一郎は、今年は新作を発表してくれませんでした。文庫化されたのがいくつか出たので、そっちで我慢したけれども、来年こそは新作を読みたいですな。ただ、文庫化された『高瀬川』は、これまでの作品よりも読みやすい文体にはなっているけれども、詩と小説のあいだを繋ぐかのような実験がなされていて、改めて読んでみても刺激的でしたな。

新作の小説で目を見張るようなのは、それくらいでしたかね。
あとは、梁石日、白石一文、横山秀夫ら現代作家の作品の読み返し、松本清張の復刻シリーズ、山田風太郎の旧作、プイグら南米の作家の旧作、『ゲド戦記』と、再読したのが多かったですわ。再読が多いということは、それだけ新作で面白い作品がなかったということですが。

次から次へと新しい作家は出てくるんだけれども、定型文のバリエーション違いばっかりで、これまでの物語定型をぶち破るような試みをする作家がほとんどいないのが残念。それと、描写の妙がね、どいつもこいつも陳腐すぎます。
その意味で、物語の定型をぶち破らんとし、かつ新しい描写の試みを繰り返している平野啓一郎はこれからも注目だし、舞城王太郎は新しい描写を獲得してますな。

漫画は、ほしよりこの『きょうの猫村さん』、西原理恵子の『毎日かあさん』のそれぞれの新作、ジョージ秋山の『アシュラ』の再発あたりを。あと、夢枕獏の『神々の山嶺』を谷口ジローが漫画化したのを。ハッとさせられるコマ割りをするのは、今んところ、この3人くらいですかな。あとは惰性で、くらたまの『だめんずウォーカー』とか読んでます。

こうして見ると、今年は、物語関係では、オレの心にドカンと突き刺さってくるものには、出会いませんでした。

翻って、ノンフィクションは、相変わらず、たくさん読みました。

サッカーの日本代表監督にオシムが就任して、昨年の発売直後に買った『オシムの言葉』はソッコーで再読。ついでにストイコビッチを軸にしてバルカン半島情勢を読み解いた木村元彦の『誇り』と『悪者見参』、宇都宮徹壱の『まぼろしのサッカー王国 スタジアムから見た解体国家ユーゴスラヴィア』『ディナモ・フットボール 国家権力とロシア・東欧のサッカー』も再読。
ユーゴ出身のサッカー選手を扱うノンフィクションは、ユーゴ紛争に触れないわけにはいかないから、勢い、大きな視点で書かれるものが多くて、バルカン半島を俯瞰出来る楽しみがあります。このあたりの本、いつ読んでも面白い。

あとは、司馬遼太郎の対談集が文庫で刊行され続けたので、出るたびに。未収録部分が少ないので、大半はどこかで目にしたものばかりだけれども、それでも、改めて読んでみても、その彗眼には驚かされっぱなしです。ナショナリズムについての話は、オレは、彼の言葉を指針にしてるし。今もって、一番、言葉を聞きたい人で、鬼籍に入られたことがまだ寂しいです。。
歴史物は、NHK教育で放送している『知るを楽しむ』やら『歴史に好奇心』のテキストを何冊かと靖国関係、満州関係、ペルシャの歴史について、アイルランドの歴史、バスクの歴史、ジプシーの歴史…、そのあたりを。
あ、京都の庭、寺、仏像関係も、何冊か読み漁りましたな。

あと、早川文庫から出てるノンフィクション・シリーズから、ココ・シャネル、マタハリ、マリア・カラスあたりの女性偉人伝めいたものを。

高山なおみさんの『日々ごはん』シリーズ(こないだ、第8集が出ましたな☆)、『記憶のスパイス』も、もちろん購読。調理器具を極力排し、自分の指先の感覚に頼っていこうとする彼女の料理観は、やはり刺激的です。さらに、音楽と料理が分ちがたく存在しているその生活ぶりも。

辺見庸はブッシュ政権に対抗軸を築くときのオレの拠りどころの一人ですが、今年は恥について重点的に書いてましたな。『いまここに在ることの恥』にまとめられ、そっちで一気読みしました。マスメディアの堕落っぷりについての現状報告が主でしたが、まあ、目新しいところはなく。

んで、今年一番刺激を受けたのが、梅田望夫というweb技術をメインにコンサルしているオッサンが書いた『web進化論』。ちくま新書の1冊ですが、これが、オレにとっての今年のナンバーワンですわ。
googleという起業のユニークな点の紹介にはじまって、amazonがもたらした市場の激変、オープンソースのこと…、知の秩序の再編成と富の再分配にまで言及した論考は、どれもこれもが新鮮で、とんでもなく刺激に満ちてましたわ。
で、この本に真っ先に反応したのが、作家の平野啓一郎。この2人が対談した『web人間論』は、ついさっき買いました。明日、読むかな。

ま、今年はこんなかんじ。来年も、いろいろと読んでます。

2006年11月16日木曜日

「記憶のスパイス」


昨日今日と、高山なおみさんの『記憶のスパイス』を読んでおりました。

オレが高山なおみさんの存在知ったとき、彼女は『クウクウ』で腕をふるってらっしゃったのですが、なにせ場所は東京、行くこともなく…。一度は行ってみたかったお店です。
今、独立独歩の料理家になられてますね。

彼女の魅力的なところは、スローライフを実践しながらも都心を離れることもなく、忙しいときは手抜きでいいやん!と、肩肘張らない生活を、送ってるところだと思います。

スローライフだ!ロハスだ!と、そのことに血眼になるような本末転倒な姿をときどき目にしますが、べき論でものごとに取り組むと、やっぱりロクなことはないですね。いかに自分のペースをキープ出来るか。オレは、それしか考えてません。

だから、
正しい/間違ってる
で、生きたいとは、ほとんど思わないんですよね。

それよりも、

好き/嫌い
居心地がいい/居心地が悪い
happy/unhappy
stop!/go!

ってかんじです。

高山なおみさんは、そういう感覚で日々歩いてるように思われるし、その歩く姿が、端正なんです。
端正で凛としているのだけれども、同時に、ダメなところもいっぱいある。そして、そんな自分を受容しつつ、地に足をつけて歩いてる。酔っぱらって大立ちまわり!なんてのもあるし(笑)
そのかんじがね、オレにはとってもキュートに映ります。

上記の本は、全日空の機内誌『翼の王国』に連載された旅行料理エッセイをまとめたものです。
ペルー風オレンジジュースってのがあるんですが、オレンジを絞り器で絞っただけなんですよ。どこがペルー風なのやら(笑)

読んでみればわかるのですが、ペルー風と名付けられているのには、意味があるんです。
彼女の料理は、料理が主役になってない。料理や素材に最大限のリスペクトを払っているのはもちろんなのですが、主役は、あくまで生活なんです。
ペルーでの生活、風景のなかでの、オレンジジュースですから。
生活の風景のなかのひとつとして、料理がある。
だから、彼女のエッセイも、料理が主役になることなく、風景が描かれ、そのなかに料理が登場しているかんじです。あるいは、思考の触媒の役目を、料理が果たしています。

フィッシュマンズやクラムボンを愛していることも、オレにとってはたまらなく素敵です。
ご主人のスイセイさんとのやりとりは、羨ましいくらいに微笑ましいです。

我が家では、彼女の著作はすべて、トイレの書棚に置いてあるのですが(笑)、また1冊増えました。

ブログがこれまたよろしくて。

2006年5月18日木曜日

『ゲド戦記』を再読する





ジブリの新作『ゲド戦記』が、まもなく封切られますな☆

ジブリファン+『ゲド戦記』ファンとしては、これはたまらなく魅力的な組み合わせです。出来ることなら宮崎駿監督の手で映画化してもらいたかったですけどね。

オレは、高校生だったころに、岩波文庫の『ゲド戦記』全5巻に出会いました。
親のない少年ゲドが故郷を離れ、魔法使いになるための学校に入学し、やがて自分に秘められた大きな力の存在に気付き、大賢人となっていく、ゲドの一代記です。壮大なファンタジーです。

そう書くと、『ハリーポッター』に似ているように思われるかもしれませんが、『ゲド戦記』は、魔法に主軸が置かれているというよりも、自尊心や猜疑心に悩む若者の心理描写に重きが置かれている物語です。だからこそ、若いころに読むと、不必要にハマってしまう(笑)おそろしい物語でもあります。

今回久しぶりに読み返してみて思ったのですが、かつて圧倒的に共感した第1巻の若年期のゲドよりも、第2巻以降の、青年期、壮年期、そして老年にいたるゲドに、共感を覚えました。
オレも、それだけ年をとったということですね(笑)

第2巻以降、ゲドは大賢人と呼ばれる魔法使いになっているのですが、それに反比例するかのように、物語の中での魔法の比重は小さくなっていきます。最終的には、ゲドは、魔法の力を失ってしまいます。
今のオレは、魔法が使えなくなってからのゲドに、圧倒的な共感を覚えます。
悩み、伏し、疲労困憊し、無力な姿を見せる人間臭いゲドは、それでも立ち上がり、自分の老いや無力さ加減に立ち向かおうとします。そして、若い世代に語りかけ、おなじように苦しみ悩む人間として、若い世代と心をひとつにしようとします。

自由は、それを担おうとする者にとって、じつに重い荷物です。
自由は、与えられるものではなく、自ら選択すべきものであり、しかもその選択は容易ではない。

年老いたゲドが、語る言葉は、とてつもない重力を伴って、オレの腹にズシリとのしかかってきました。

自由という日本語は、freedomやlibertyといった英語を、福沢諭吉が日本語にあてはめて出来た言葉だといいます。
自らを由(よし)とする。
基準は自分にある、故に基準である自分を徹底的に律しなければならないのが、自由です。
容易ではありません。

オレは、ロックンロールを聴き続けることによって、そのことをだんだんと理解してきました。


まもなく発売される挿入歌『テルーの唄』も、好きです☆



手嶌葵 / 『テルーの唄』

2006年5月16日火曜日

『インターネット進化論』

最近読んだ本で、出色のデキだったのが、ちくま新書から出ている『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』(著:梅田望夫)

これは、ちょっと参りました。
よくある新書判の啓蒙書で、ウェブに精通しまくっている人にとってはなんてことない内容なのかもしれませんが、オレにとっては、かなり刺激的でした。
3回、読み返しましたよ。

インターネットが登場して10年。IT関連のコストが劇的に低下し、技術革新が進み、ここまで来ました、という内容。そして、その結果、現実の世界に大きな地殻変動を起こし、新しい富の再分配、新しい経済圏の誕生、権威の新旧交代が起こっており、それはこれからもさらに加速的に進むだろう、という…。

IT関連のコストが劇的に低下し、技術革新が進み、誰もがインターネットを手軽に利用することが出来るようになったことまでは、誰でもわかります。その結果、さまざまな調べものをしたり、チケットの予約をしたり、商品を購入したりすることが格段に便利になったことも、誰にでもわかります。
そっから先、じつはすでに起こっていることなのに、あまり気付かれていない現状認識が、この本には書かれてあります。

まず、リナックスに端を発したオープンソースですね。
オープンソースとは、あるソフトウェアのソースコード(人間が記述したプログラム)がネット上で公開され、世界中の不特定多数の開発者が自由にそのソフトウェア開発に参加出来るようにし、大規模ソフトウェアを開発する、というものです。
つまり、ソフトウェアが構築されていくプロセスがすべてオープンになっているんです。これは、「企業組織の閉じた環境において厳正なプロジェクト管理のもとで開発されるもの」であったはずの大規模ソフトウェアの常識を、完全に覆してしまいました。

このオープンソースの成功が意味するところは、
なにか素晴らしい知的資産の種がネット上に無償で公開されると、世界中の知的生産者がその種の周囲に自発的に結びつく、ということを示しています。
さらに、
モチベーションの高い優秀な才能が自発的に結びついた状態では、司令塔にあたる集権的なリーダーシップが中央になくても、解決すべき課題に関する情報が共有されるだけで、その課題が次々と解決されていく、ということです。
つまり、優秀な才能が集まっている環境ですべてをオープンにすると、リーダーの存在がなくても巨大な開発が進む、ということです。
この方法だと、数億数10億かかっていた開発費が、かぎりなく、タダになります。驚天動地とは、このことです。

経験上、にわかには信じがたい話ですが、なるほどリナックスはそうした経緯で成功しています。


次に、この本の核にもなっている事柄ですが、グーグルです。
この本に書かれていることがすべて正確なら、グーグルはとんでもない会社です。ただの検索エンジンの企業だと思ったら、エラい目に遭います。
たとえば、検索エンジンというのは、「すべての言語におけるすべての言葉の組み合わせに対して、それらにもっとも適した情報を適応させる」ものです。では、「もっとも適した情報」は、どういう基準で選ぶのか。ヤフーなら、ヤフーに銭を払ったサイトが、トップに来ます。新聞の見出しは、権威を自認する新聞社自体の取捨選択で、順番が決まります。グーグルのすごいところは、サイト相互に張り巡らせられるリンクの関係で、自動的に検索ランキングの上位表示を決定します。そのサイトにどれだけのリンクが張られているか、それだけです。多数のリンクが張られている=多数の人がほしがる価値の高い情報、というわけです。ヤフーのような資本主義でなく、新聞社のような権威主義でもなく、グーグルの検索エンジンは、徹底して民主的です。そうして、検索ページに、もっとも適した広告を自動で付加するのが、グーグルの検索エンジンです。
まだあります。
グーグルは、一昨年あたりから、メールサービスをはじめました。
これは、自分のPCにメールをストックするのではなく、ネット上にメールをストックさせてしまおうという、試みです。グーグルがユーザーに無償で提供するのは、ユーザー1人に対して1ギガという巨大ストレージ。ヤフーなんかもやっていますが、1人1ギガの割り当てというのは、今でも強烈なインパクトがありますね。そして、このGメールでグーグルが考えているビジネスは、個々人のメールの内容を自動的に判断し、最適な広告へのリンクを忍ばせる、というものです。
普通の感覚の持ち主ならば、プライバシーの塊であるメールにその内容に合った広告が挿入されることには、嫌悪感を抱きます。
でも、グーグルはそう考えない。「迷惑メールの除去やウイルスの駆除のためにメールの内容をその判断材料に使うのは常識だし、作業はすべてコンピュータがやるのであって、そのプロセスに人間を関与させることはない。だからプライバシー侵害の危険はない」と。
グーグルは、その発想が、インターネット=善、というところから出発しています。

次が、ロングテールという考え。これは、アマゾンを例に引いています。
たとえば、本の売り上げを、縦軸に売上高、横軸に本、というグラフでつくったとします。左から売り上げの多い順番に本を並べていき、売上高の棒グラフを立てていきます。右に行くほど売れていない本なので、棒グラフの棒は、右に行くほど短くなっていきます。そして、ある地点から、売れた冊数3冊の本が延々と右に並んでいき、2冊の本が延々とその次に並んでいき、1冊しか売れなかった本、まったく売れなかった本が延々と並んでいく、という図になります。巨大な売り上げを誇る左端の本の高く伸びた棒グラフの棒を恐竜の頭にたとえ、右側の延々と低い棒グラフが並んでいく様を、恐竜のしっぽにたとえます。だから、ロングテール。
これまでのリアル書店は、皆、倉庫や在庫といった固定費を抱えます。なので、ある程度以上売れる本で収益を稼ぎ、それでロングテールの損失を補填するという事業モデルでやって来ました。
ところが、ネット書店では、じつは、ロングテールの部分の売り上げが、全体の1/3を占めているというのです。1冊しか売れなくても、それが積もれば、恐竜の首の部分に匹敵する売り上げになってしまうという事実。
リアル書店では在庫を持てない「売れない本」でも、ネット上にリスティングする追加コストはゼロです。だからこそ、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことが出来るのだし、しかも売れない本には、仕入れの価格競争も存在しないのだから、利幅も大きいわけです。
どうしてこういう現象が起こるのか。アマゾンのレコメンデーション(自動推奨)機能が働いたからです。ある本がベストセラーになり、アマゾンのソフトウェアが、一部の顧客の購買行動パターンに気付き、別の本を自動的に勧めます。そして、勧められた人々がそれを買い、熱狂的なレビューをアマゾンに書き、推奨行動が相互の加速され、ロングテールに埋もれていた本が掘り起こされる、ということです。

リアルの書店がベストセラー10点で商売するところを、ネット書店は、埋もれてしまったロングテール230万点を1冊ずつ売って商売するわけです。多品種少量生産の時代だとはいえ、これは、ネットの発達がなければ、起こりえない現象です。ロングテール230万冊は、ある意味負け犬です。売れなかったのだから。売れても、1冊なのだから。でも、それを集めると、ベストセラー10点に匹敵するという事実!そして、それが商売として成り立ってしまっているという事実!すごいです。

これが可能なら、ゼロのように扱われているチリやゴミでも、集めまくれば商売になってしまう、ということです。
オレたちが無駄にしている1日のうちのほんの2〜3分という時間を、1億人分集めたら、2億時間3億時間という時間が創出されます。
タンスに眠っている5円玉を1億人が拠出したら、それだけで5億円になります。
これは、そういう商売です。

この本は、グーグル讃歌が横軸になっている本なのですが、グーグルって、すごい会社です。
まず、グーグルでは、社員全員が、戦略の議論、新サービスのアイデアから、日常の相談事や業務報告にいたるまで、ほぼすべての情報が、社内の誰もが読めるブログに書き込むかたちで公開され、瞬時に社員全員でそれを共有しているそうです。メールはあまり使わず、すべていきなり全員に向けて公開します。
日本にも、情報がガラス張りになっていると自慢する企業はいくらでもあります。風通しがいい、と。でも、ここまで極端ではありません。人事は秘密裏に行なわれるのが常だし、銀行からの借入金や他人の給料を、誰もが見れる会社なんて、ありません。社員数人の会社ならいざ知らず、グーグルは5000 人の社員が働く会社です。

情報を皆で共有すると、誰かが提示した問題点が別の誰かによって解決されるまでに要する時間や、おもしろいアイデアが現実に執行されるまでの時間は、圧倒的に短縮されます。現代のビジネスの現場において、情報のリアルタイムでの共有化は、圧倒的なスピードを生み出します。
それは、わかっています。でも、グーグルのは、極端すぎます。第一、自分に関係のない情報まで飛び交うのだから、こんがらがります。
でも、グーグルは、こう答えます。
「情報自身が淘汰を起こすんだよ」と。
あ、あ、なるほど!
これ、ちょっと目からウロコでした。
そういえば、mixiだって、トップに表示された新着日記は、古くなれば自動的により新しい新着日記に押し出されて消えちゃうし、コメント記入履歴の欄には、レスが伸びているかぎり記載され続けるけれども、レスが伸びなければ、やがては消えていきます。そういうこと!

社内の情報空間がネット空間だと思えば、合点がいきます。
とてもではないけれども読み切れない情報がネット空間にオープンになっていることを、オレたちは知っています。全部読もうなどと思っている人はいなくて、必要に応じて検索エンジンを使ったり、おもしろいページにはブックマークを貼って更新されるたびに読みます。これを、社内の情報空間にもあてはめたら…、グーグルが社内マネジメントでやっていることは、そういうことです。


この本には、まだまだ刺激的なことがたくさん書いてあって、いくら書いても尽きません。
また後日、続きを書いてみたいと思います。


しかし、そんなマクロな話はさておき、現在、レンタルしているドメイン屋&サーバ屋がDNS情報を不用意にいじりやがって、エラい目に遭ってるルイスなのでした…(涙)