2006年10月2日月曜日

チンドン屋考察


昨日、久しぶりにmixiに復帰したルイスです☆
そしたら、マイミクさんが2人減ってる…。50人だったマイミクさんが48人になったわけですが、未だに誰が抜けたのかわかりません(笑) 誰か、オレに教えてください(笑) mixi脱退ですか? 縁切りですか?

さて、日記といっても、ここんところ、ずーっとPCに向かって仕事する以外のことをなにひとつやってないので、日記といっても書くことがなんにもないです…。
インプットもせずにアウトプット出来るような魔法使いではないので、これは困ったことですわ~。

仕事の話でおもろいことがないこともないんですが、それはここでは書かれへんし…。などと考えつつ、銀行に向かって歩いてたら(月末の〆の仕事を今ごろやってマス…)、前方からチンドン屋さんが。しかも、知ってる顔!

知り合いのミュージシャンが、チンドン屋さんやってましたわ(笑)
写真の真ん中、赤いワンピースを来てタイコを叩いているのが、オレの知り合いの、「ボーカリスト」です。
ちなみに、大阪だとミナミが多くて、キタ、それも天満でチンドンが駆り出されることはあんまりないんですけれどもね。

オレ、チンドン屋さんは結構好きです。
大阪は、最近またチンドン屋さんが復活してるんですよね。
やっぱ、広告媒体としてはかなり古い部類に入るので、一時は廃れてました。
でも、この5、6年、若いなり手が増えてきて、活況を呈してきてます。
チンドン通信社、東西屋、華乃家…、業績好調なところが、大阪には少なくとも3社あります。

華乃家さんはサイトがありまして、しかも、ここの初代女社長は、ミナミでスナックやってます。オレ、ときどき行きますから(笑)

ちょいと資料を抜粋すると、
鉦(カネ)をチンと鳴らし、タイコをドンと叩くからチンドン屋。江戸末期、大阪・千日前の飴売り「飴勝(あめかつ)」が不振の寄席小屋に頼まれ、口上の面白さで客を惹きつけたのがはじまり。戦後の経済成長とともに最盛期を迎えたが、昭和50年代に全国で数十人にまで激減した。しかし、若手が参入するようになって新たな活況期を迎えている…。(月刊・大阪人)

ですわ。
若いミュージシャンがバイトがてらやってるし(基本が往来を練り歩くストリート・ライブなので、若手ミュージシャンにとってはライブの腕を磨く格好のバイトですわな)、それだけではなくて、チンドン・ルネサンスというか、広告宣伝媒体としての役割から大きくはみ出した、アーティストとしての活動まで最近では行なわれています。

オレは、最初は、そっちから入っていったんですけれどもね。

まず、
ソウル・フラワーが、自作に参加を要請しましたね。
大熊亘は、チンドンの芸風を自作のなかで発展させてます。
大工哲弘も、彼らと何度も共演してますね。

音楽として、表現形態としてのチンドンの魅力は、異形にあるんだと思います。その圧倒的な非日常性や祝祭の香りが、とても素敵です。素敵のみならず、音楽の原点を思い出させてくれるものでもあります。
結婚式や祭に楽団を呼ぶっていうのは、非日常性や祝祭の香りを求めるからでしょ。音楽の、実生活での役割や実効的な要素って、そういうもんです。それを色濃く残しているから、チンドンには魅力があるんですよね。

ここでふと考えます。
これって、ジプシー・ミュージックとおなじですな☆
非日常性と祝祭を求めて、ジプシー楽団を呼ぶ。ジプシー楽団は、表現のための手段としてではなく、生活のための手段として、音楽と接している。
しかし、そうであるのにもかかわらず、そこにはいつしか高い芸術性が宿っている…。
チンドンとジプシー・ミュージックは、かように、そっくりです。
ちなみに、ここまで話をひろげると収拾がつかなくなりますが、アメリカの黒人音楽であるブルーズは、チンドンとよく似た歴史を持っています。

フェスという形態が日本に根付いて10年。世界中のあちこちでフェスが催されるようになって、今、人類史上でもっとも多くの人が、音楽で踊り、祝祭の時空を満喫していると言われています。人類がこの星に誕生して以来、今ほど多くの人が音楽で踊っている時代はないんだそうです。
そういう時代に、チンドンは、とても似合っています。

広告宣伝の媒体と表裏一体だからこそ魅力があるチンドンではあるのですが、そこから出発して、チンドン単独で成立してしまう音楽が生まれ、それを耳にすることが出来る時代に音楽を聴いているオレは、なかなか幸せだな、と、思ったりもします。

0 件のコメント: