2006年10月27日金曜日

邪道と揶揄された日本画家たち



こないだ、テレビ(NHK教育の『歴史に好奇心』)を観ていたら、2週続きで、白隠と曾我蕭白についてやってました。

どちらも、江戸時代に活躍し、邪道として画壇からは相手にされなかった日本画家です。
どっちもね、オレ、大好きなんですよ~。

まず、白隠から。
江戸時代の臨済宗中興の祖ってことになってるんですが、そっち方面は、まだあまり調べてないので、詳しいことは知りません。いち時期、妙心寺にもいたみたいですが、野に下ったとのこと。要するにね、無頼なんですよ。

写真左端のような絵を描く人です。これは達磨大師を描いたものですが、もうね、達磨さんの絵は、あちこちで描いたそうです。
寺から出て辻説法を主とした人ですから、行基、空也、良寛の類いと考えていいと思うんですが、そうやって庶民のなかに入り込んでいき、先々で平易な言葉で説法、そして求められるままに書や画を描いたそうです。
達磨さんの絵なんて、どれだけ描いたかわからないといわれています。

写真を見れば一目瞭然ですが、漫画みたいな墨絵を描きます。
漫画というのは森羅万象の抽象化と矮小化だと思うんですが、線の使いかたやデフォルメの仕方が、ものすごく大胆で、わかりやすいですね。書にしても、豪快極まりない。
禅というのは、極限まで虚飾をそぎ落として、最終的に残った本質だけを抽出する行為だと思うのですが、数多の禅画を眺めるよりも、この、白隠の描く達磨さんを1枚見ただけで、一発でその真髄が伝わってくるような気がします。写真の、袈裟を描いた線なんて、並みの神経では描けませんよ。

それに加えて、どことなくユーモアがあって、キュートですよね。

禅というものは、自分と向き合って向き合ってある境地に達するような、ある種の狂気を宿したものだと思うんですが、白隠さんは、その先、野に下った。
野に下るということは、狂気を宿しながらも、正常でい続けられたということですよ。でないと、庶民が相手にしない。
透明な世界に身を投じながらも、俗や人間が好きだったんでしょうね。このキュートさは、人間が好きでないと出てこない類いのキュートさだと思います。
ほんと、大好きです。

次は、曾我蕭白。
当時のチマチマした日本画の世界とは対極にある白隠の画はメイン・ストリームからは邪道扱いされたとのことですが、それでも、小さくない影響を、のちの画家に与えたそうです。
そのなかで、もっとも色濃く影響を受け、かつ豊かな才能を示したのが、曾我蕭白と言われています。
真ん中の画像が、彼の絵です。

この人はねえ、もう、孤高の人ですね。
日本画の歴史を見渡してみても、類似の人がまったくいない。どのジャンルにも収まりません。
白隠に影響を受けるところからスタートして、とんでもない地点に到達してますね。


ここに結構な数の彼の作品の画像があります。ご覧になってください。奇妙奇天烈の極みです。
もうね、矛盾が同居しまくってるんです。
大胆さと繊細さが同居しています。
グロテスクとセンシティビリティが同居してます。
墨絵と極彩色が同居してます。
美とグロが、グロとキュートが同居してます。
なんで、こんなにも対立するものが、ひとつの絵のなかで同居し、融合し、なんの違和感もなくひとつの世界観を成立させえるんですか?
京都の商家に生まれながら不幸続きで天涯孤独になったことが彼の絵の唯一無二の世界観が出来たのではないかと言われていますが、そんなもんですか? そんなもんで片付けられるようなことではないように思います。


ここに、彼の最高傑作と言われる「臥龍図」(ボストン美術館所蔵)がflashで観れるようになってますが、
上に列記した矛盾の数々が、不思議なことに調和して、なんの違和感もなく同居して収まっています。
絵からもわかるとおり、彼こそ、狂気の人だったに違いありません。人間嫌いの節すら見られるし、ユーモアというよりは悪趣味な皮肉と言いたくなるような代物でもあります。
でもね、ドキドキするんですよ。
そして、武装された露悪趣味を取っ払っていくと、やっぱり、最後にはキュートさが残るような気もするんです。
そこに、惹かれます。


残念ながら、白隠も曾我蕭白も、それほど詳しいわけじゃないし、第一、現物を見たことが一度もありません。京都や奈良のお寺さんにいくつか現物が残っているのですが、どこも、拝観出来るところに、彼らの絵はないようです。まれに、美術館が展覧会を企画する。それを狙うしかないんですが、なかなかそのチャンスも訪れません。

死ぬまでに一度は拝んでみたい画家たちです。

あ、この系譜だと、一番有名なのは伊藤若沖ってことになるんでしょうが、オレには、彼の絵はあまりピンと来ません。

ここらが有名ですが、題材のユニークさや色使い、とてもグラフィカルな構図を評価することは出来ても、なにかが欠落してたりなにかが過剰であるといった、愛すべきデコボコが感じられんのです。

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