2008年1月8日火曜日

快楽主義者は律する

毎度です。
win機を使ってるので、テキストを作成するのが圧倒的に億劫です(笑)
ショートカットやら変換やらキー配列やら、微妙に違ってて慣れないから、非常にメンドクサイ。アルファベットキー以外のキーの配列がね、微妙に違うのが、腹立ちます(笑)
おかげでブラインドタッチが出来なくて、ブラインドタッチが出来ないのは、相当にストレスがたまりますな。
なので、皆さんの日記にコメントを書いていないのですが、ちゃんと拝見しておりますので。
明日、macが無事に戻ってくるらしいので、明日っからはちゃんとします〜。
じつは、この日記を書くのだって、相当につらいのですよ。。。

さて、昨日、地下鉄のなかで刺身をパクついている少年たち日記を書いたのですが、やっぱ、違和感がありましてですね、その違和感の正体を、ずーっと考えておりましたです。(←仕事しろよ、おい! 笑)

今、全員が納得できるモラルって、他人に迷惑をかけないこと、くらいしか、ないですね。
これは裏を返すと、他人に迷惑をかけなければなにをやってもいい!ってことですな。

車内は臭いがこもるから、ってのも、結局のところ、他人に迷惑がかかるかどうかの一点が境目になってるわけで。。。

他人に迷惑がかかるかどうかっていうのは、人間、生きてりゃなにかしらの迷惑をかけてるわけだから、オレはあんまり考えないんですよね〜。

それよりも、やっぱ、自分内法律というやつのほうが、重要かな。

16歳の誕生日の夜に、オレの部屋のドアを蹴破って、ジャニス・ジョプリンの『パール』を差し出してさ、これ、聴いてみ!って言ったやつがいるんですよ。
それ以来、そいつはずーっとオレの部屋というかオレの頭んなかにに住み着いていて、オレがなにかをするときに、ほんとにそれでいいの? それって、かっこ悪くない? って、囁きやがる。
どっちかというと、そいつに褒めてもらいたくて、オレは、いろんなことをやっているような気がするんですよね。

その人の評価は他人が決める、と、オレは相方さんによく言うのですが、それを言ってるオレは、じつは、他人の目をほとんど気にしていません。そのかわり、誰よりも厳しい目で自分を見てくれる、もうひとりの自分の目が、一番気になります。


長田の知り合いのオバァの家のまえに、牛丼屋さんが出来て、食べたい!っていうから、オバァ連中を引き連れて食べに行ったことがありました。松屋とかすき家か、そーゆーとこ。
コリアンのオバァは、平気で、行きたい!行きたい!って言ってたんだけど、どうしても、そんなところには行けない!ってオバァがいてね。そのオバァは、コリアンでもウチナンチューでもなくて、むかしっから長田で生まれて生きてきた人なんですが、やっぱね、松屋だすき家だってところは、シースルーの外壁になってるから、食べてるところが外から丸見えじゃないですか。それがね、恥ずかしくて無理!ってオバァなんですよ。

むかしはね、食べてるところを人さまに見られるのは恥ずかしい、って感覚が、特に婦女子さんにはありましたな。
今、ないですね。でも、オバァには、そういう感覚が残ってる。

20年くらいまえだけれども、婦女子さんだけが入れるお店で、なにを食べてもタダってお店があったのですよ。
でもそこは、婦女子さんが食べているすぐ横がマジックミラーになっていて、マジックミラー越しに、ヘンタイの男どもが、ものを食べてる婦女子さんを眺めて興奮している、というマニアックなお店でね。
20年まえの男は、そうやってカネを払って婦女子さんがモノを食ってる姿を至近距離で眺めていたもんですが、今、それが地下鉄で普通に展開されているわけです。

これまた知り合いのお茶の先生に教えてもらったことがあるのですが、会席の作法として、お箸を1cm以上汚してはいけない、というのがあるらしいですな。たとえお茶漬けをいただいたとしても、箸を1cm以上濡らしてはいけない、と。
なかなかハードルが高いですが、お茶も型にはじまって型に終わるから、そうなってるみたいです。でもこれは、内実は、美意識でしょう。みっともない、というのがまずあって、一期一会の瞬間に、みっともない姿をさらすのは、瞬間瞬間をおろそかにしていることになる、ってことでしょう。

美意識の問題だから、これはもう理屈でもなんでもないですね。
理屈だと、他人に迷惑をかけなければ、なにをしてもいい、ってことですよ。
臭いさえこもらないのなら、地下鉄のなかでなにを食べてもいい。
理屈からいけば、そういうことですな。
でも、ある種の美意識を持っている人は、それが許せない。ほかでもない、そうしている自分が許せない。

オレは、地下鉄のなかで刺身を食っている自分というものは、やっぱ、許せないですね。
そういう美意識というのは、それこそ、ストイシズムというか、なにかを律するということですね。
オレは、快楽主義者なので、いろいろと律していることはあります。律すれば、それだけ快楽は増しますからな。

ある種のストイシズムを持たずに生きている人を見ると、ああこの人は快楽を欲していないのだな、と、オレなんかは思ったりします。





べつにキレイに生きたいとは思わないけれども、自分のなかに存在する法律にはしたがって生きていたいとは、思うのですよ。

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