2007年4月18日水曜日

永遠のモータウン


日曜の深夜、映画『永遠のモータウン』をやっていて、仕事をしながらチラチラ見ていたのだけれども、ダメ。仕事になりゃしない。もう、画面を見入ってしまって見入ってしまって(笑)
この映画、劇場で見て、ビデオでも見て、今回で3回目ですけど、何回でも観たいです。

この手の映画は説明しても虚しいだけなんですが、少しだけ説明しますと…、

60年代、アメリカのデトロイトに、モータウンというブラック・ミュージックを専門に扱うレーベルが設立されたのです。
スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス(シュームリームス)、テンプテーションズ、フォートップス、ジャクソン・ファイブ、スモーキー・ロビンソン、ミラクルズ、マーヴィン・ゲイ…、もうね、キラ星のごとく輝くブラックの天才たちが、このレーベルによって見いだされ、デビューし、あるいは通過していったという…、そういうレーベルのお話。

ただ、そうしたモータウンの栄光の歴史を伝えるだけのものではなくて、その影の立役者、ファンク・ブラザーズにスポットを当てた映画なんです。
ファンク・ブラザーズとは、先に挙げたスーパースターたちに楽曲を提供し、バックで演奏していた、つまり、ハウス・バンド(レーベル専属のバック・バンド)なんです。
オレね、この映画を見たときにはすでにモータウン・サウンドにどっぷり浸かって10年以上が経っていたんですが、このバンドの存在すら知らなかったし、そういうバンドのことを想像したことすらなかったんです。いやー、初めてこの映画を見たときは、我ながら自分の不明さ加減に、呆れました…。

そう、この映画は、モータウンの影の立役者である、ファンク・ブラザーズの功績を称える、という映画なんです。
だから、前提として、モータウンがどれだけ素晴らしいレーベルだったのかということを知っていなければ、もしかしたら、この映画の面白さは半減するかもしれません。
だから、原題は『Standing in the Shadows of Motown』となっていて、彼らがいかに影であったかを強調する原題となっています。もっとも、この原題自体が、フォートップスの『Standing in the Shadows of Love』に引っ掛けてあるので、やっぱりある程度の基礎知識を持っていないと、その面白さが半減するかも…。
でもでもですな、次々と繰り出されるヒット曲は、どれもこれも、誰しもが一度は耳にしたことのある曲なので、それを聴いているだけでも楽しめるものだと、オレは信じています。

モータウンの繰り出す音楽は、徹底的にボーカルとダンスに焦点を絞った音楽だったので、本当に、バック・バンドと作曲者に思いを馳せることがありませんでした。
オレの音楽への造形はハンパでないと自負していますが、そのオレですら、この体たらくです。
彼らが、いかに、その貢献ほどの恩恵に与ることが出来なかったか!

そういう彼らを褒め称えるための映画なのですが、映画自体は、メンバーによる回想と、再結成された現在のライブを交互に織り交ぜながら進んでいき、ファンク・ブラザーズというバック・バンドの正体を多面的に伝えていきます。

そういう目と耳でこの映画を見ると、彼らがどんだけファンキーでどんだけとんでもない存在だったのかということがわかります。
1日で4曲作曲なんて、ざら。それも、全部が全部ヒット曲になります。ちょっと、とんでもないです。
彼らが世に生み出したヒット曲の総計は、ビートルズやストーンズのヒット曲の総計を凌駕してますから。でも、無名!

同時期、アトランタではスタックスという、やはりブラック・ミュージック専門のレーベルがあり、そちらもオーティス・レディングやパーシー・スレッジなどのスーパースターを輩出した名門レーベルなのですが、こちらのバック・バンドであるブッカー・T&MG’sは、彼ら名義のアルバムも出しているし、名前も知られています。
それに比べて、ファンク・ブラザーズのなんと無名なこと!

と、マニアックな話は尽きないのですが、ご安心を!
回想と交互に織り交ぜられた、再結成された現在の彼らのライブが、これまた素晴らしいです。

ボーカルを務めるのがね、
のっけから、見た目マーヴィン・ゲイまんま!のベン・ハーバー。そして、黒い魂を持った白人ジョン・オズボーン、そしてなんとなんとブーツィー・コリンズ! 若手随一のスピリチュアルな雰囲気を漂わせるミシェル・ンデゲオチェオ! 最後は説明不要のチャカ・カーン!
もう、これでもか!というメンツです☆ ああ、素晴らしすぎます…。
大丈夫! モータウンのことなんてなんも知らなくても、このライブだけでじゅうぶんに元がとれますから!
ブーツィー・コリンズなんて、モータウンと縁もゆかりもないし、スタイルもおよそ違うのですが、それでも、誰がボーカルをとったところで、モータウン・サウンドとして成立してるんですね。それだけ、楽曲に力があるということです。


と、こういう映画が、日曜深夜に放送されていて、仕事そっちのけで見てしまっていたのですが、
じつは、それに付け加えるかたちで、どうしても書いておかなければならないことがあります。
もしかしたら、こっからが本題かもしれません(笑)

さて、モータウンは、なぜ、それほどヒットしたのか。
そのまえに、アメリカのブラック・ミュージックの歴史についての講釈を垂れなければなりません。。。(笑)

50年代の半ば、白人のカントリー&ウェスタンと黒人のリズム&ブルーズがひとつになり、白人による水増しではないブラック・オリジナルが、白人の世界に、コマーシャリズムの力を背景として、入っていきました。
エルヴィス・プレスリーが、あらゆる意味で、ホワイトとブラックの中間に、そのときはいたんですね。

ブルーズがリズム&ブルーズにまで進展しながら、そのときどきの時代のなかで白人に受け入れられていく歴史は、ブルーズが白人に真似されていく歴史でもありました。
リトル・リチャードの『トゥティ・フルッティ』をもっとも真似しやすい体質を持っていたのが、エルヴィス・プレスリーであり、プレスリーを真似することは誰にも出来ませんでした(スローなナンバーで、エコーの助けを借りて、エディ・コクランのみが、上手くやっていました)。
当時、白人が黒人を真似るのは、白人にとって商売になることだったし、黒人が、たとえばモータウン・サウンドのように、白人向けにもなるようにソウルのポップ版をつくることも、またおなじように、商売になることでした。
そして、モータウンとは、まさに、そういう音楽だったんですね。
黒人が、白人向けに、ソウル・ミュージックのポップス版をつくった。結果、それがヒットした。それが、モータウンです。
ものすごくわかりやすい卑近な例でいうと、歌謡曲寄りのロック、ということです。端的にいうと、ニセモノです。それが、モータウン。

そういう風潮に、アメリカ全土がなっていっていたんですね。

あらゆるもののホンモノと、そのホンモノに新しい意義を与えていく前衛との中間に、コマーシャリズムという怪物がいて、そのコマーシャリズムは、ホンモノや前衛が社会と接するときのクッションになり、ショック・アブソーバーの役目を果たしました。
同時に、ホンモノをひろめ、前衛を前進させる推進力に、コマーシャリズムはなっていきます。
だから、コマーシャルでしかもつまらないものは、罪深いというよりもむしろ、みっともないものとして捉えたほうが妥当でしょうね。
たとえば、アーティスト個人の例でいうと、1959年にABCに移ったレイ・チャールズが、『愛さずにはいられない』というようなカントリ-&ウェスタンを歌った事実は、レイがなにを好き好んで歌おうと勝手なのですが、それはやはりみっともないことです。そして、そのみっともなさと引き換えに、レイは、ロサンゼルス市に制定された『レイ・チャールズの日』を手に入れることになるわけですが。

モータウンとは、そういう流れのうえにある音楽です。

ただ、モータウンは、ヒットとはラジオで頻繁に放送されることであるということを知っていて、カー・ラジオで出来るだけ多くの人たちに聴かれることを目標に、ある方程式に則って、ヒットをつくっていきました。
そして、ここが重要なんですが、そうやってつくられた楽曲が、天才たちによってつくられた楽曲であったゆえに、そしてまた天才たちによって歌われたがゆえに、ポップの水準からいくとほかのヒット曲よりもよく出来ているという事実を持っていました。

そしてそして、このような数多いヒットは、人々をモータウンのあとで、ホンモノに目覚めさせる役目すら、果たしました。
誰かの外側をただ真似するだけであれば、白人が黒人を真似ても、黒人が白人を真似ても、出来の悪いジョークにしかなりません。
でも、アメリカのポピュラー音楽のなかでは、白人が黒人的な音をつくる作業が、歴史の中心のひとつになっています。トミー・ドーシーという白人、そして彼のジャズ・バンドは知っていても、ロイヤル・サンセット・セリネイターズという、黒人のジャズ・バンドのことは誰も知らない。トミー・ドーシー楽団のヒットのひとつ『マリー』は、このフィラデルフィアの黒人バンドのレパートリーの、コピーでした。こういう例は、いくらでもあります。

さて、どうしてこんなことを長々と書いているのかというと、今でこそ、好きは音楽は?と聞かれて、モータウン!と答えておけば、それなりに音楽通でセンスのいい音楽が好きなんだな、というふうに受け止めてもらえます。
でも、オレがブラック・ミュージックを聴きはじめた時代、モータウンが好き!なんていうと、あんな白人化された黒人音楽もどきのなにがいいのよ?もっと本物を聴け!と、言われたもんです。

モータウンって、じつはそういう音楽なのですね。

ああ、やっと、本題というか、本当に書きたいところまで辿り着きました(笑)

で、オレは、自分でも責任を持って断言しますが、音楽通です。
音楽を聴くという行為は、オレにとってのライフワークですら、あたりまえのように思っています。

そういう人間が、臆面もなく、モータウンが好き!と、堂々と公言出来るようになるのには、ちょっと時間がかかったんですよ。オレは、モータウンが、本物でないということを、否定はしません。でも、あの音楽が好きです。たまらなく、好きなんです。
『ヒート・ウェイブ』なんて、たまらなく好きです。きっと、生涯の5本に入ると思います。

以前、どこかで書いたことがありますが、
一番好きなミュージシャンは、誰がなんと言おうと、シンディ・ローパーです。
そして、ブラックのなかでは、モータウンのサウンドが一番好きです。

そういうラインナップをバカにする人は、すればいい。
そういうものを、好きでいる自分が、ここにいるだけです。
昨日の日記と同じようなことを書いているけれども、そういうことです。



YouTubeは、オレの大好きな大好きな『ヒート・ウェイブ』☆

漁ってると、映画のフィルムがまんまカットされて、YouTubeにアップされてました。ジョン・オズボーンが歌う『ヒート・ウェイブ』☆





あ、おまけの桜は、今日、家の近くで咲いていた、満開の遅咲き桜。造幣局の通り抜けが終わった今、遅咲きは満開ですわ(笑)

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