2007年4月3日火曜日

そんなつもりじゃないねん!

そんなつもりじゃないねん!
というのが、オレの相方さんの口癖です。

こんな言いかたしたら、人はこんなふうにしか受け取らへんよ、と言ってあげると、いや、そんなことはないねん!そんなつもりじゃないねん!と。

コミュニケーションのとりかたが、下手クソですねん。

言いたいこと、書きたいことを全部出せてるやろか、と、そればっかりを考えて、それで満足してしまって、それがちゃんと伝わっているのかどうか、こちらの意図したとおりに相手にちゃんと受け止めてもらえているのかどうか、まで、気がまわらんのですね。

どっちが大切なのかは、言わずもがなですが。

私は頑張ってるんやから、給料上げてください。
そんなんでは給料は上がりません。
周りの人たちが、あの人は頑張ってるし、いろんなことをこなしてくれるようになったから給料を上げてもよろしい、と、なって初めて、給料は上がります。

あなたがあなた自身で下すあなたの評価に価値などはなくて、他人が下すあなたの評価にしか、価値はありません。
あなたがあなた自身で下すあなたの評価と、他人が下すあなたの評価が一致しているとなおいいし、他人の誰よりも、あなたがあなた自身で下すあなたの評価が一番厳しいと、なおよろし。

モノヅクリをする、インディペンデントでやるのなら、そういうことが特に求められます。

16歳の誕生日の夜に、ドアを蹴破ってオレの部屋にずかずかと入り込んできて、ジャニス・ジョプリンのアルバム『パール』を差し出して、これ聴いてみ!と言った彼は、そのときから今の今に至るまで、オレに棲みついています。
そやつは、もうひとりのオレです。

時間もないし、こんくらいでいいやろ、と、甘えたモノをつくろうとしたら、そやつが、そんなんで恥ずかしくないの?と、詰め寄ってきます。
そやつは、オレよりも厳しいし、容赦ないし、オレも、そやつに認めてもらいたい一心で、モノをつくっています。
そやつ以外にも、オレには世界中で一番厳しい師匠がいましたが、その師匠が亡くなられてからは、オレを叱ってくれる唯一の存在は、そやつだけになりました。だから、こいつを手放すわけにはいかんので、オレは、頑張ってるわけです。歯を食いしばってるわけです。
師匠も厳しかったですけど、こいつも厳しいですよ。

さて、
飯島愛が引退しましたな。

板の上(舞台)で勝負できない。芸能界は非常に厳しい世界。目標や夢が見いだせず、頑張れないのなら生き残っていくことは不可能、と、引退の理由をブログに書いてましたが、正しく高い見識だと思いました。

今、テレビは、バラエティ番組にすっかり占拠されてしまって、一発芸とリアクション芸という、芸とも呼べないようなものを振りまわす連中と、私生活を切り売りする、いったいなんの資格を得てテレビに出ているのかわからんような連中の、オモチャになってしまいました。

飯島愛も、そういう人でした。
そういう人だったけれども、彼女には、その自覚がありましたね。
Tバックの女王(笑)で世に出てきたときも、私はお尻を出すことくらいしか出来ないから、と、よく言ってました。
謙虚でしたね。
謙虚であると同時に、自分をよく知ってる人だなと思っていました。

彼女のように自分を見つめられることはとても難しいですが、それ以上に、そのようにして見つめた自分を受け入れることは、もっと難しいことだと思います。果たして、これほど厳しい決断を自らに下せる人が、どれだけいるか。彼女もまた、自身の裡に、もうひとりの自分を棲まわせていたのかな、と思います。

ところで、大根役者という言葉があります。
刺身を食べるとき、剣にした大根を一緒に食べると、食あたりしません。そこから、当たらない役者→下手っぴいな役者のことを、大根役者というのですが、昨日、べつの意味もあるのだということを、ある人に教わりました。

役者も名人級になると、自分の色を消して、どんな役にもなれます。それが出来ない人は、どんな役をやってもその人の色になってしまい、それは存在感という言葉になって今ではかえって持ち上げられたりもするのですが、本当の名人は、そうじゃない、と。
で、どんな役をやってもその人の色になってしまうのだから、どこを切ってもおなじ真っ白の大根にたとえられて、大根役者。

飯島愛という人は、自分が大根役者だということをしっかりと見つめ、受け入れ、そのうえで自分の居場所をテレビのなかに見つけて活躍し、その場所がなくなりつつあることも見極め、受け入れ、決断を下したのだと思います。
大根役者だらけの今のテレビの世界にあって、そこに惑わされることなく、誰よりも厳しいジャッジを下せるもうひとりの自分を棲まわせていたからこその、正しく高い決断だと思います。

三遊亭円楽師匠も、今年の2月、進退をかけて高座に臨み、口演後、その出来に納得いかずに引退を決意されました。周囲の説得を振り切っての、引退でした。

ふたりは、芸歴も芸の質もまったく違うけれども、引退を決意するまでの、心の裡で繰り広げられた葛藤は等しいものだったんだろうな、と思います。

難しい言葉でいうと、
自分を相対化、客体化する、ということです。


今日は、ジャニスの遺作となったアルバムを。YouTubeは、そのなかに収められた小品。初めて聴いたころ、よく歌ってました。。


ジャニス・ジョプリン / メルセデス・ベンツ

0 件のコメント: