2007年4月26日木曜日

mixi Graph 再び


mixiの仕様が変更になってから使用不能になっていたmixiGraphが、ヴァージョンを新しくして、また使えるようになってますわ。

ダウンロードはこっち。



最近、あっちのマイミクさんとこっちのマイミクさんがいつのまにかマイミクさん同士になっていたりで、わけがわかんなくなってきたので、ちょっとチェック☆

いつの間にか、網の目みたいになってました。
オレんところ、そのうち、全部のマイミクさんがマイミク関係になって、webかnetかという状態になるんじゃなかろうか?(笑)




細野さんのトリビュート、出ます☆

中村一義 / 恋は桃色

2007年4月25日水曜日

笑うしかない…


じつは少しまえにどっかから仕入れてきて、そんときは爆笑だけしてブックマークもしなかったんですが、マイミクさんのドキンさんのマイミクさんのにゃごさんが紹介されていて、そのブログを再び覗きにいったら、やっぱり爆笑してしまって、今度こそブックマークして購読することにしました。

なんちゅーかね、リアクションのとりようがないブログ。。。。
笑うしかないというか…。

えーっと、元ボクシング世界ミドル級チャンピオンの竹原慎二のブログです。
はっきり言って、ガッツ石松以来の逸材かと(笑)
こちらです。

2007年4月24日火曜日

旅をすることについて思う、2、3のこと


昨日、寧楊さんのお店で、ハルー(半角カナは勘弁してください…。変換がめんどくさすぎる。笑)さんと、少し喋ったのでした。
就職活動まっただ中の彼女の大学生活も、残すところあと1年を切ったわけで、就職先が決まれば、どっか外国に旅行に行きたいな、と。
それも、買いものツアーじゃなくて、もちょっと実のなる旅行を、と。

どれくらいの期間、どこに、ということが決まっているわけじゃないから、なにを言うこともないんですが…。

なんでもいいから知らないものを見たくて、好奇心の赴くままに行くというのはね、もちろん、素敵なことです。
ただ、
3日、4日、1週間程度の旅行ならともかくとして、も少し長期の、そういう旅行、具体的な目的を持たない旅行は、真面目にやればやるほど、ヘビーになっていきます。
外の世界を知るということは、自分を知らされることに他ならないし、自分の内面を旅することに他ならないんですが、自分の内面なんて覗いてみたところで、たいていは、空っぽだからね。
空虚。
その、なんもなさに愕然として、どーんと落ち込んじゃうことは、ありますな。
真面目にやればやるほど、そうなりますわ。
と言いますか、
旅行というものは、元来がそういうものなのですよ。
ひとつ知れば、知らないことが10個出現し、外を知れば知るほど、自分というものが見えてきます。
その、自分が見えてきたときの、そしてなにもない空っぽの自分を思い知らされたときの落ち込みようといったら、なかなかないですよ(笑)

それは、覚えておくと、いいです。

あとね、
なにか目的を持って外に出る、というのは、意外と、いい結果を生むんですよ。
たとえば、音楽が好きなら、自分の好きな音楽のルーツを探ってみる旅、とか。
パスタが好きなら、パスタを食べまくる旅、とか。
ひとつの軸を据えることで、軸の周辺にある有象無象もちゃんと見たり聞いたり感じたりすることも出来るどころか、そのほうがいろんなものを見たり聞いたり感じたりしやすくなるんですね。だから、これは、案外といいです。

焦点を絞るとね、視野は逆に広がるんです。
一方、焦点を絞らない、漠然とした目は、文字通り、漠然とぼんやりとしかモノを見られなくなることもあるので、投資分を回収出来ないなんてことにも、なりかねないわけでね。

いつだったか、寧楊さんの日記、ハルーさんの日記の両方で、「なんのために働くのか?」と、いろんな人を巻き込んでわいわいと盛り上がったことがありました。

オレも、ハルーさんの年のころに、おなじようなことを考えてましたよ。
なんのために働くのか? ってね。
おおげさな物言いをするなら、オレは、なんのために働くのか?の問いを抱えて旅をしていたような気がします。
それで、というわけでもないけれども、いろんな国のいろんな場所で、働く人たちとお喋りしてきたような気がします。

韓国だと、お葬式の盛り上げ役として、泣きわめくのを仕事にしているオバァがいますね。
シリアで、毎日道端に本を300冊くらい並べて売ってるオヤジがいたんだけど、毎日夕立が降って、そのたんびに濡れるから慌てて片付けて、雨が上がったらまた本を並べて売ってるオヤジとかね。
インドで、ガンジス川の川畔で、クリーニング屋をやってるオバァがいました。このオバァは、クリーニングしたシーツをお客にわたしたあと、こっそりと、シーツに泥をつけに行ってるんですよね。んで、もっかいクリーニングに持ってこさせる…。
パキスタンでウォークマンを盗まれた翌日、泥棒市に行ってみると、盗まれたオレのウォークマンが売られていました。
ナイジェリアのガラクタ市では、輪ゴムを1個、売ってる子供がいましたよ。
パリで、ストリップ・ダンサーをしながら放浪している妙齢のジプシーの婦女子さんに出会いました。
ブラジルには、砂金を求めて人々が殺到している村があります。
フィリピンでは、トイレで小便するオレの横に立って、用を足したあとにティッシュでオレのを拭き取ろうとしてゼニを要求しようとしたやつがいました。
ボリビアで、インカの財宝を今も探しているシュリーマン気取りのトレジャー・ハンターをたくさん見ました。
そして、ポン引きは、世界中のどこに行っても道ばたに立っていて、揃いも揃って、オレはポン引きです!という顔をしています(笑)

いろんな仕事があって、いろんな生きかたがあるのだなあ、と、オレは、いつしか、なんのために働くのか?という問いよりも、どのようにして働くのか?という問いのほうへ、興味の対象は移っていってました。
それは、その人の生きかたに関わってくる問題だから、興味深かったですよ。

そういう視線で、いろんな場所に赴くのも、悪くないと思います。
もちろん、目や耳や花や皮膚から身体に飛び込んでくるものを片っ端から無差別にインプットする、という、具体的な目的を持たない旅というのも、それはそれでいいんですけどね。

ただ、そういう旅もあるよ、ということで。

それはそれでいいんですが…、
もうひとつだけ。
たとえば、インドに行って、カメラを構えれば、360度どこを見ても、シャッターを切りたくなります。
どこを見ても、新規の、未知のものばかりだから。
でも、住み慣れた大阪を歩いていたって、高性能な目を持っていれば、360度どこを見ても、シャッターを切りたくなるもんです。
その目をね、新規で未知のものだけに囲まれて麻痺させてしまうと、後年、エラい目に遭います。

2007年4月23日月曜日

国際語としての英語を話すということ


安倍首相が、アメリカのニューズウィーク誌のインタビューに応じて、従軍慰安婦問題に言及したことがニュースになってます。

一部、英語で受け答えしたらしいですね。
やめておけばいいのに、と思いました。

以下、オレが、特に政治家が英語を話すことについて思うことです。

自分の国に生まれ、そこで大人になっていくというかなり長いプロセスのなかで、母国語の構造と性能を、その精緻で微妙な隅々にいたるまで、人はほとんどなんの苦労もなしに身につけていきます。
そしてその母国語を使うときには、自分を守りつつその自分に出来るだけ多くの利益をもたらすことを目的に、きわめて主観的に、利己的に、自由自在に、母国語の性能を駆使します。

そのような駆使が出来れば出来るほど、人は母国語の性能の内部に、閉じ込まれていきますね。

その構造や性能の特徴的な傾きの内部深くに、もっとも強くその人を囲い込み呪縛するものが、母国語です。だから、人は、母国語からだけは、逃げることが出来ません。

外国語を知らない人は母国語も知らない、という有名な言葉があります。
誰だったか忘れたけれども、むかしのヨーロッパの文豪のような人が、残した言葉です。
母国語しか知らない人は世界というものを知り得ない、という意味に解釈することが出来ます。世界を知るとは、いくつもある外国となにごとかを目指して関係をつくり、その関係を発展的に維持させていくことです。そのためには、人は、母国語の外へ出なければならない、と、その文豪は言っています。

外国の人を相手に外国語を使うということは、母国語によって自分の頭のなかに精緻に構築された世界、つまり発想や思考そして表現の仕方のすべての、外に出るということです。
きわめて当然の、しかも基本中の基本のようなことだけれども、オレがテレビで見る英語を話す日本人たち、特に日本の政治家には、この基本的な認識や理解が、ごっそり抜け落ちているように思えてなりません。

英語は、国際語だと言われています。
でも、イギリスやアメリカの国内で使用されている、それぞれに固有の文化的歴史的な背景を持った言語を、そのまま国際語などにすべきではないと、オレは思います。
第1、国際語という言語は、どこにもありません。
今、世界中でもっとも多くの情報を乗せ、もっとも広く、そしてもっとも数多くの人たちのあいだを飛び交っているひとつの言語という意味では、英語、特にアメリカ寄りのそれは、たしかに国際的に通用する言葉です。国際、という視野のなかでとらえた日本は、否応なしに、英語のうえに乗っかっています。
日本人が学習によってある程度まで身につけた外国語としての英語の性能や機能の仕方という、1本の細い柱によって、国際という世界のなかの日本は、かろうじて支えられています。

世界に対してアメリカがこれまで維持してきた影響力、アメリカが保ってきた人材の質や量、アメリカという国の基本的な性格、たとえば異質なものを多く受け止めては自国の力に変えつつ、自由や民主あるいは市場経済などを世界へ広げていったことなどが、複雑に重層的に作用した結果として、アメリカの英語は世界中に広く普及しました。
特に、アメリカの英語が国際語のようになり得たもっとも本質的な理由は、その英語が基本的な性格として持っている、開かれた抽象性だと、オレは思っています。
開かれた、とは、英語という言語の正用法の全域をきちんと学んで身につけ、それ以後の努力と現場での修練を積むなら、どこから来た誰であろうとも、自由に出入りして活用することの出来る言語世界がそこにある、という意味です。

そして抽象性とは、アメリカ国内のネイティブ文脈の外で、そのような文脈とは無関係でありながら、おなじ言語によるおなじ論理を誰もが駆使することが可能な世界、というものを意味しています。

ネイティブな母国語としてではなく、学習して身につけた外国語、つまり汎用性や共通性が極めて高い言語のひとつとして、世界のどこにおいても機能させることの出来る特性が、英語にはあります。
日本も含めて、世界の全体を今支えているのは、このような英語です。日本の人たちがこれからも英語の学習を続けていくのなら、学ぶ英語は、このような開かれた抽象性のある英語であることが、もっとも望ましい。

ネイティブの閉じられた文脈のなかへわざわざ囲い込まれるために、出来るだけネイティブに近い英語を学ぼうとする作業は、ちょっと変わった個人的な趣味の位置へ降ろすといいと、オレは思うのですよ。

固有の文化的なそして歴史的な背景を強固に持つ言語、つまり母国語は、その文脈のなかで生きる人たちの言葉として持たざるを得ない基本的な性格のひとつとして、母国語の文脈の外にある異質なものすべてに対して、閉じられた防衛的な機能を発揮します。自分たちの文脈の外にある数多くの異質なものすべてに対して、自らの正当性を可能なかぎり強く主張するための言葉、それが母国語です。

母国語によって長い年月をかけて培われた思考や発想の外に出ることは、ごく控えめに言っても、至難の業です。その難しさや面倒さに比べたら、思考や発想は母国語のまま、それを薄皮一枚の英語にくるんでしゃべったり書いたりするほうが、はるかに容易いですな。
外国語を習いはじめたときの、わずかな単語とごくかぎられた構文しか自由にならないもどかしい苦さの次の段階には、多少は使えるようになった英語で母国語の思考と発想を包み込むという、落とし穴が待っています。この落とし穴は案外と魅力的なのですね。
なぜなら、自分の側の論理をいくらでも主観的に利己的に自在に表現し抜く母国語の、かりそめの代用品になり得ますから。

母国語の呪縛の外に出るためには、母国語の教育を初等から高等にいたるまで、徹底的につくり替えなければなりません。この、途方もない作業のあと、今度は英語なら英語の抽象性、つまり論理の筋道のつくりかたやその提示の仕方や受けとめかたを学ぶ作業へ、入っていかなければなりません。
国際、と呼びうる領域のなかで、英語に自分を託するとは、きわめておおざっぱにいって、そのようなことです。

この大変な作業を引き受けて身につけないことには、外国という異質なものとともに公共の場に立つという、最初の第1歩が踏み出せません。

そのような英語はいったいどんな英語なのかと問われたら、オレは、ダライ・ラマの英語が印象に残っている、と、答えます。
日本の首相、政界や財界の高い位置にいる人たちが、ダライ・ラマのような英語を駆使したなら、そうでない場合に比べて、日本の運命は大きく違ってくるに違いない、と、オレはにらんでいます。
英語の開かれた抽象性をきっちり学んで自分のものとした、誰とでも共通の場に立てるという意味において、大変にインテリジェントな、したがってどこまでも機能してやむことのないグローバルな言葉としての英語を、ダライ・ラマの英語からは感じます。

安倍さんの英語は、そうではありません。



今日は雨が降っていたので、木漏れ日系の音楽を…。
変わってるけど、すっごく好きです☆



avey tare & kria brekkan / 『Pullhair Rubeye』

2007年4月22日日曜日

『アーリャマーン EPISODE 1 帝国の勇者』


深夜にテレビでやってる映画をHDDに片っ端から録画しておいて、気に入ったやつを時間があるときに見るってのを、ずーっとやってます。

これやってると、思わぬ拾いものがありますね。
最近の大ヒットだったのが、『アーリャマーン EPISODE 1 帝国の勇者』!(笑)

タイトルから想像出来るとおり、スターウォーズのパロディというかオマージュというか、そーゆーのです。

えーっとね、インド映画です。
なんでもインド史上最高視聴率を叩き出したスペース・マサラ・ムービー!というか、スターウォーズのパクリなんですが、おもろすぎます!
オープニングの銀河系を俯瞰するような映像は凝ったCG(といっても、ふた昔ほどまえのファミコン・レベル)なんですが、そっからgoogle earthの起動直後ようにカメラが地表にパンしていって、いきなり地上での戦闘シーン…、こっからウルトラマン並みの特撮に変身します(笑) あまりの落差に、クラクラするぅ~。

どっからどー見てもかっこよくない中年太りの主人公の、まったくスムーズではないワイヤー・アクション、口が裂けても華麗とはいえないスローなチャンバラ、低予算の悲哀が滲み出ている手作り感漂いまくりのロボットたち…、もうね、なにからなにまで素晴らしすぎます(笑)

こんなもん、狙ったって出来ないですよ☆

ちなみに、クライマックスになると、アーリャマーンによる、マトリックスばりの背中をそらせた避けアクションも見られます(笑)

あ、ストーリーは…、
地球が誕生する10万年前――。
アリアナ銀河系で最強と謳われた剣士・ホーシンが、自分を超えた若き剣士に対し、隠し続けていた自らの素性を語りはじめるところから、お話ははじまります。
そのお話とは…、
遙か彼方の銀河系でたったひとり巨大な悪の帝国に立ち向かった最強の戦士、アーリャマーンの冒険物語!

まあ、ストーリーは、どうでもいいですけど(笑)

でも、
エピソード1とあるくらいだから、続編があるんでしょうね。
ググってみたら、DVD発売されてます(笑) エピソード2は、存在があるとかないとかの未確認情報が飛び交ってます(笑)
続編、見たいな(笑)

2007年4月21日土曜日

44444〜!


さて、44444! よよよよよ~ってことで、少しまえに会ったドラァグ・クイーンのシモーヌ深雪さんに聞いた話を。
シモーヌ深雪さんは、いつもこんなかんじでクラブで踊ってますけどね。

オレ、あるとき、ゲイとホモとニューハーフの違いについて教えてもらったんですよね。

で、シモーヌ深雪さん、曰く…、
ゲイとは、
人は生まれた瞬間から、男性なら男らしく、女性なら女らしく、というものを、社会(共同体)から強要されて生きていく、と。そうやって、生物的な男性は男性性を獲得し、社会的な存在としての男性になり、生物的な女性は女性性を獲得し、社会的な存在としての女性になる、と。
簡単なところでいえば、スカートはきなさい!なんてのは、まさにそうですね。
んで、その呪縛から逃れたいと思い、逃れた人が、ゲイなんだ、と。
だから、ゲイというのは、男性でも女性でもない、あるいはどちらにでもなれる存在なんだ、と。

ホモというのは、
男性を愛する男性のことですな。女性が女性に対する場合は、レズ。

ニューハーフというのは、
女性になりたい男性。

ドラァグ・クイーンというのは、性差を超えるための手段として、ド派手な衣装を着て大仰に振る舞うことを目的としている人たちのことですけれどもね。

シモーヌ深雪さん…、今、日本に現存する最古のドラァグ・クイーンらしいですが、普段は、玉造の下町に住む、普通のおっさんです(笑)

2007年4月20日金曜日

おたま地蔵


この1年くらい、オレが一番熱心に見ているテレビ番組といえば、NHK教育の『知るを楽しむ』です(『特命係長只野仁』は終わっちゃったしね)。まあ、一種の教養番組なんですが、それほど堅苦しくなくて、かといって民放のバラエティほどにカジュアルでもなくて、いろいろと面白いことをやってくれるので、好きなんです。
月~木の22:25からの30分、曜日ごとにテーマを変えて、1ヶ月単位でワン・テーマをやってくれるんですけどね。

『知るを楽しむ』のサイトは、こっち。

んで、今月の月曜日にやっているのが、彫刻家・仏像保存集研究家の藪内左斗司が案内する仏像の技。仏像と聞いて、オレが黙ってスルー出来るわけがないじゃないですか(笑)

第1回目に、新薬師寺のおたま地蔵をやったんですが、これがね、めっちゃくちゃおもろかったんですよ。

新薬師寺さんの、おたま地蔵のお話。
少しまえにマイミクさんのgoutさんのところでチラと書いたら、有名なお話みたいです。
あたしゃ知らなかったので、すごく新鮮で。やっぱ、仏像漁りに、奈良へ遠征しないとダメですな。。
仏像、数年前にかなり本腰を入れて頭に詰め込んだんですけどね、まだまだですわ~。

で、どんな話かといいますとですね…。

奈良の新薬師寺さんに、とある地蔵菩薩がありまして、傷みが激しくなってきたから、修復することになったんですね。
んで、修復を担当したのが、当時、東京芸術大学に在籍していた彫刻家の藪内左斗司さん。

まず、X線で撮影して、この仏像がどのような技法で造られているのかを、調べます。
木造であっても、1本の木をくり抜いて一木造りもあれば、パーツごとにつくってそれを嵌め込む寄せ木造りもありますから。
撮影してみると、この仏像は寄せ木造りで造られていたことがわかり、どのようにパーツ分けされていたのかもわかったのですが、写真を見てみると、通常は内部が空洞になっているはずなのに、どうやら、なにかが埋まっているようなのですよ。しかも、それぞれのパーツのかたちも、従来の知られているかたちとは、少し違う…。

手なら手のパーツというよりは、タイル状につくられた木片を、なかにあるものに貼りつけるようにして、つくられているのですね。
で、おそるおそる木片をはがしていくとですな、なんと! なかから一体の裸形像が現れたのでした!
仏像のなかに、手のひらサイズの小さな仏像を体内仏として納めてある例はいくらでもあるのですが、外の仏像とほぼおなじサイズの仏像がその下に納められているなんてのは、前代未聞です。

これが、1984年のことで、当時、世紀の発見と呼ばれたらしいのですが、1984年といえば、オレが18歳のときのこと。大学をクビになって、渋谷のストリップ劇場で使いっ走りをしていたころのことですから、んなことに目を向けるなんて高尚な人間ではなかったのですよ…。

ですから、構造を説明すると、裸の仏像のうえに、それこそ衣を着せるように木片がペタペタと貼られていて、地蔵菩薩の姿が形成されている、と。
すごいです! 京都でいろんな仏像を見てますけど、そんなの聞いたことも見たこともありません。

ちなみに、裸の仏像というのは、結構あるんです。鎌倉時代にたくさんつくられてます。
新薬師寺さんからほど近い伝香寺というお寺さんにも裸の仏像がありまして、年に1度、7月の地蔵会のときに、本物の衣を着せてあげる行事があり、厚い信仰と功徳への感謝を表す行事として、今も続いています。
お地蔵さんというのは、本物の衣を着せると、ビックリするくらいに人間らしくなりますけどね。

だから、新薬師寺さんの裸形像も鎌倉時代につくられたものなのですが、この仏さんは、本物の衣ではなく、木片を着せられているわけで…、いや、ちょっとすごいな。ガンダムのモビル・スーツみたいなもんですから。

解体し、いろいろと調べてみると、この裸形像も、鎌倉時代のものだということがわかりました。
なかから出てきたのは、体内仏が多数、当時の通貨、願文など。
そして、裸形像を着装像にするために、裸形像にさまざまな改良が加えられていることも、わかりました。
たとえば、裸形像の手をとって、着装像に新たにべつのかたちの手を付け加えたり…。
でも、とっちゃった手や、削った木屑、木片など、ありとあらゆるものが、ひとつ残さず、このなかに納められていたそうです。

本来なら捨てられるようなものまで、納められていた、と。
つまるところ、裸形像から着装像につくりかえるとき、裸形像に対する思い入れが、強くあったってことですよね。

願文を読むと、
大僧正実尊という偉いお坊さんがいて、その弟子に、尊遍という人がいたということがわかりました。
どちらも、奈良の春日絵巻に登場するお坊さんで、実尊は、藤原氏の出身であり、晩年、藤原氏の寺である興福寺の住職を務めた偉いお坊さんです。

春日絵巻では、大法要の前日、ぜんそくに苦しんでいて法要でちゃんとお経が読めるかどうか心配している実尊のもとに鹿が現れ、お告げをし、ぜんそくが治った、という内容の絵が描かれています。
また、そんな実尊を案じる尊遍のもとにも鹿が現れる絵が描かれており、子弟でおなじ夢を見るほど2人は強い絆で結ばれていたことが、表現されています。

1236年、実尊が亡くなります。
そのとき、師の生前のありのままの姿を残したいとして、尊遍は、実尊像をつくるのですね。これが、発見された裸形像です。
願文から、そこまでのことがわかりました。

問題は、ではなぜ、その後、この実尊像は木片で衣を着せられ、地蔵菩薩につくり変えられたのか。

ここから先は、修復を行った藪内さんの推測となるのですが…、
尊遍は毎日、師である実尊を象った裸形像を熱心に拝むものの、やがて年をとり、老い先短くなってきた。
そのとき、自分が亡きあとも、実尊像が裸のままで残っていくことに、非常な抵抗感があったのではないか、と。
なんせ、裸形像ですから。オチ○チ○まで、ちゃんとついてますから。
だからこそ、お地蔵さんのかたちにつくり変えたのではないか、と。

そうやって、封印された裸形像が、800年の時を経て、日の光を当てられた、と。
そして、この裸形像は、新薬師寺の住職によって、おたま地蔵と名付けられました。
だから今、新薬師寺には、従来の地蔵菩薩とおたま地蔵の2体が安置されているそうです。

美術品修復の

こっから先、改造のためのさまざまな技法が紹介されていくのですが、それはさすがにマニアックすぎるので省略するとして、そういうお話です。
これはもう、見にいくしかないですね。
普段は秘仏らしいのですが、希望すると開扉してくれて、担当オバァの説明つきで、拝めるらしいのですよ。

新薬師寺のサイトはこちら。

この日記の画像は、おたま地蔵なのですが、こっからパクってきました(笑)

今年は、相方さん引き連れて、奈良のお寺さん巡りになるかもしれません。。。
はぁ、滋賀にも素敵な仏像がたくさんあるし、コンプリートはまだまだ気が遠くなるほど先です(笑)

2007年4月19日木曜日

ヤミ金業者だ! ヤミ金業者だ!


もうね、どこで名簿が流出しているのか知らないけれども、ときどき身に覚えのないDMが舞い込んできますよね。

で、昨日来たのが、これ。
カード会社から、カードの入会キャンペーンのご案内。

JCカードだって。

聞いたことないっちゅーの。
青年会議所がカードでも発行したのか?(笑)

利率がまともなのはいいとして、
オレのカード利用可能枠とやらが、勝手に審査されて、勝手に承認されてます(笑)
キャッシング限度額が200万円で、ショッピング限度額が50万円。普通、逆です(笑)

第一、審査してくれなんて、頼んじゃいないのに、ありえんだろうが!

中身を見ていくとヤミ金の類いに違いないんですが、一見、カネのかかったDMです。
オールカラーで、めくれるタイプのDMをつくるなんて、ちょっとカネをかけすぎ。

でも、電話で申し込んで即日のうちに指定預金口座に振り込みって、ありえん!(笑)

で、気になったので、調べてみました(笑)
調べたって、googleで検索してみただけですけど。
だって、このカード会社、HP持ってないみたいだし。どの金融会社もイメージだけでもよくしようと躍起になってるご時世、HPのひとつも持ってないなんて、ありえませんが。

んで、googleで検索してみると、
ソッコーで、JCBカードのサイトがヒットしました。

「こんな手口にご注意ください JCBカード」やって(笑)
クリックしてみると、
ドンピシャで、オレんところに送られてきたDMのことが書かれているではありませんか!

JCBの商号、登録商標、カードデザインなどを模倣・詐称し、JCBとの提携を装い、貸金業者が融資等の勧誘・営業を行っている件について各方面からお問い合わせが寄せられています。以下の貸金業者については、JCBおよびJCBグループとは一切関係ありませんのでご注意ください。

だって。
さらに、「関東財務局の悪質な貸金業者の情報」にリンクが張られていたので、そっちもクリックしてみると…、

業者名:
株式会社ジェーシーカード
TEL 03-3530-1836

詐称している登録番号:
関東財務局長(6)第00929号

勧誘手段:
ダイレクトメール

備考:
第00929号は廃業済の貸金業者の登録番号です。

掲載日:
H19.3.30

もう、なにからなにまでドンピシャで!(笑)

そっか、近畿財務局からもマークされてる悪徳金融会社だったのね!
しかも、3月の30日にアップされているということは、今、現在、もっとも幅を利かせていて勢いがあって苦情がバンバン来てるヤミ金業者ってことですな!

なんか、電話してみたくなりました(笑)
忙しいので、しませんけど。。。

で、もうあきらめてるけど、どっからオレの名簿が流出してるのよ?
それだけでも、聞いてみようかな(笑)



ヤミ金と聞いて、すぐに村八分を思い浮かべてしまうオレは、発想があまりにも貧困でしょうか(笑)

んで、YouTubeを漁っていたら、ボ・ガンボスのどんと氏が、村八分の名曲『水たまり』を歌ってました。
なので、そちらを。

2007年4月18日水曜日

永遠のモータウン


日曜の深夜、映画『永遠のモータウン』をやっていて、仕事をしながらチラチラ見ていたのだけれども、ダメ。仕事になりゃしない。もう、画面を見入ってしまって見入ってしまって(笑)
この映画、劇場で見て、ビデオでも見て、今回で3回目ですけど、何回でも観たいです。

この手の映画は説明しても虚しいだけなんですが、少しだけ説明しますと…、

60年代、アメリカのデトロイトに、モータウンというブラック・ミュージックを専門に扱うレーベルが設立されたのです。
スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス(シュームリームス)、テンプテーションズ、フォートップス、ジャクソン・ファイブ、スモーキー・ロビンソン、ミラクルズ、マーヴィン・ゲイ…、もうね、キラ星のごとく輝くブラックの天才たちが、このレーベルによって見いだされ、デビューし、あるいは通過していったという…、そういうレーベルのお話。

ただ、そうしたモータウンの栄光の歴史を伝えるだけのものではなくて、その影の立役者、ファンク・ブラザーズにスポットを当てた映画なんです。
ファンク・ブラザーズとは、先に挙げたスーパースターたちに楽曲を提供し、バックで演奏していた、つまり、ハウス・バンド(レーベル専属のバック・バンド)なんです。
オレね、この映画を見たときにはすでにモータウン・サウンドにどっぷり浸かって10年以上が経っていたんですが、このバンドの存在すら知らなかったし、そういうバンドのことを想像したことすらなかったんです。いやー、初めてこの映画を見たときは、我ながら自分の不明さ加減に、呆れました…。

そう、この映画は、モータウンの影の立役者である、ファンク・ブラザーズの功績を称える、という映画なんです。
だから、前提として、モータウンがどれだけ素晴らしいレーベルだったのかということを知っていなければ、もしかしたら、この映画の面白さは半減するかもしれません。
だから、原題は『Standing in the Shadows of Motown』となっていて、彼らがいかに影であったかを強調する原題となっています。もっとも、この原題自体が、フォートップスの『Standing in the Shadows of Love』に引っ掛けてあるので、やっぱりある程度の基礎知識を持っていないと、その面白さが半減するかも…。
でもでもですな、次々と繰り出されるヒット曲は、どれもこれも、誰しもが一度は耳にしたことのある曲なので、それを聴いているだけでも楽しめるものだと、オレは信じています。

モータウンの繰り出す音楽は、徹底的にボーカルとダンスに焦点を絞った音楽だったので、本当に、バック・バンドと作曲者に思いを馳せることがありませんでした。
オレの音楽への造形はハンパでないと自負していますが、そのオレですら、この体たらくです。
彼らが、いかに、その貢献ほどの恩恵に与ることが出来なかったか!

そういう彼らを褒め称えるための映画なのですが、映画自体は、メンバーによる回想と、再結成された現在のライブを交互に織り交ぜながら進んでいき、ファンク・ブラザーズというバック・バンドの正体を多面的に伝えていきます。

そういう目と耳でこの映画を見ると、彼らがどんだけファンキーでどんだけとんでもない存在だったのかということがわかります。
1日で4曲作曲なんて、ざら。それも、全部が全部ヒット曲になります。ちょっと、とんでもないです。
彼らが世に生み出したヒット曲の総計は、ビートルズやストーンズのヒット曲の総計を凌駕してますから。でも、無名!

同時期、アトランタではスタックスという、やはりブラック・ミュージック専門のレーベルがあり、そちらもオーティス・レディングやパーシー・スレッジなどのスーパースターを輩出した名門レーベルなのですが、こちらのバック・バンドであるブッカー・T&MG’sは、彼ら名義のアルバムも出しているし、名前も知られています。
それに比べて、ファンク・ブラザーズのなんと無名なこと!

と、マニアックな話は尽きないのですが、ご安心を!
回想と交互に織り交ぜられた、再結成された現在の彼らのライブが、これまた素晴らしいです。

ボーカルを務めるのがね、
のっけから、見た目マーヴィン・ゲイまんま!のベン・ハーバー。そして、黒い魂を持った白人ジョン・オズボーン、そしてなんとなんとブーツィー・コリンズ! 若手随一のスピリチュアルな雰囲気を漂わせるミシェル・ンデゲオチェオ! 最後は説明不要のチャカ・カーン!
もう、これでもか!というメンツです☆ ああ、素晴らしすぎます…。
大丈夫! モータウンのことなんてなんも知らなくても、このライブだけでじゅうぶんに元がとれますから!
ブーツィー・コリンズなんて、モータウンと縁もゆかりもないし、スタイルもおよそ違うのですが、それでも、誰がボーカルをとったところで、モータウン・サウンドとして成立してるんですね。それだけ、楽曲に力があるということです。


と、こういう映画が、日曜深夜に放送されていて、仕事そっちのけで見てしまっていたのですが、
じつは、それに付け加えるかたちで、どうしても書いておかなければならないことがあります。
もしかしたら、こっからが本題かもしれません(笑)

さて、モータウンは、なぜ、それほどヒットしたのか。
そのまえに、アメリカのブラック・ミュージックの歴史についての講釈を垂れなければなりません。。。(笑)

50年代の半ば、白人のカントリー&ウェスタンと黒人のリズム&ブルーズがひとつになり、白人による水増しではないブラック・オリジナルが、白人の世界に、コマーシャリズムの力を背景として、入っていきました。
エルヴィス・プレスリーが、あらゆる意味で、ホワイトとブラックの中間に、そのときはいたんですね。

ブルーズがリズム&ブルーズにまで進展しながら、そのときどきの時代のなかで白人に受け入れられていく歴史は、ブルーズが白人に真似されていく歴史でもありました。
リトル・リチャードの『トゥティ・フルッティ』をもっとも真似しやすい体質を持っていたのが、エルヴィス・プレスリーであり、プレスリーを真似することは誰にも出来ませんでした(スローなナンバーで、エコーの助けを借りて、エディ・コクランのみが、上手くやっていました)。
当時、白人が黒人を真似るのは、白人にとって商売になることだったし、黒人が、たとえばモータウン・サウンドのように、白人向けにもなるようにソウルのポップ版をつくることも、またおなじように、商売になることでした。
そして、モータウンとは、まさに、そういう音楽だったんですね。
黒人が、白人向けに、ソウル・ミュージックのポップス版をつくった。結果、それがヒットした。それが、モータウンです。
ものすごくわかりやすい卑近な例でいうと、歌謡曲寄りのロック、ということです。端的にいうと、ニセモノです。それが、モータウン。

そういう風潮に、アメリカ全土がなっていっていたんですね。

あらゆるもののホンモノと、そのホンモノに新しい意義を与えていく前衛との中間に、コマーシャリズムという怪物がいて、そのコマーシャリズムは、ホンモノや前衛が社会と接するときのクッションになり、ショック・アブソーバーの役目を果たしました。
同時に、ホンモノをひろめ、前衛を前進させる推進力に、コマーシャリズムはなっていきます。
だから、コマーシャルでしかもつまらないものは、罪深いというよりもむしろ、みっともないものとして捉えたほうが妥当でしょうね。
たとえば、アーティスト個人の例でいうと、1959年にABCに移ったレイ・チャールズが、『愛さずにはいられない』というようなカントリ-&ウェスタンを歌った事実は、レイがなにを好き好んで歌おうと勝手なのですが、それはやはりみっともないことです。そして、そのみっともなさと引き換えに、レイは、ロサンゼルス市に制定された『レイ・チャールズの日』を手に入れることになるわけですが。

モータウンとは、そういう流れのうえにある音楽です。

ただ、モータウンは、ヒットとはラジオで頻繁に放送されることであるということを知っていて、カー・ラジオで出来るだけ多くの人たちに聴かれることを目標に、ある方程式に則って、ヒットをつくっていきました。
そして、ここが重要なんですが、そうやってつくられた楽曲が、天才たちによってつくられた楽曲であったゆえに、そしてまた天才たちによって歌われたがゆえに、ポップの水準からいくとほかのヒット曲よりもよく出来ているという事実を持っていました。

そしてそして、このような数多いヒットは、人々をモータウンのあとで、ホンモノに目覚めさせる役目すら、果たしました。
誰かの外側をただ真似するだけであれば、白人が黒人を真似ても、黒人が白人を真似ても、出来の悪いジョークにしかなりません。
でも、アメリカのポピュラー音楽のなかでは、白人が黒人的な音をつくる作業が、歴史の中心のひとつになっています。トミー・ドーシーという白人、そして彼のジャズ・バンドは知っていても、ロイヤル・サンセット・セリネイターズという、黒人のジャズ・バンドのことは誰も知らない。トミー・ドーシー楽団のヒットのひとつ『マリー』は、このフィラデルフィアの黒人バンドのレパートリーの、コピーでした。こういう例は、いくらでもあります。

さて、どうしてこんなことを長々と書いているのかというと、今でこそ、好きは音楽は?と聞かれて、モータウン!と答えておけば、それなりに音楽通でセンスのいい音楽が好きなんだな、というふうに受け止めてもらえます。
でも、オレがブラック・ミュージックを聴きはじめた時代、モータウンが好き!なんていうと、あんな白人化された黒人音楽もどきのなにがいいのよ?もっと本物を聴け!と、言われたもんです。

モータウンって、じつはそういう音楽なのですね。

ああ、やっと、本題というか、本当に書きたいところまで辿り着きました(笑)

で、オレは、自分でも責任を持って断言しますが、音楽通です。
音楽を聴くという行為は、オレにとってのライフワークですら、あたりまえのように思っています。

そういう人間が、臆面もなく、モータウンが好き!と、堂々と公言出来るようになるのには、ちょっと時間がかかったんですよ。オレは、モータウンが、本物でないということを、否定はしません。でも、あの音楽が好きです。たまらなく、好きなんです。
『ヒート・ウェイブ』なんて、たまらなく好きです。きっと、生涯の5本に入ると思います。

以前、どこかで書いたことがありますが、
一番好きなミュージシャンは、誰がなんと言おうと、シンディ・ローパーです。
そして、ブラックのなかでは、モータウンのサウンドが一番好きです。

そういうラインナップをバカにする人は、すればいい。
そういうものを、好きでいる自分が、ここにいるだけです。
昨日の日記と同じようなことを書いているけれども、そういうことです。



YouTubeは、オレの大好きな大好きな『ヒート・ウェイブ』☆

漁ってると、映画のフィルムがまんまカットされて、YouTubeにアップされてました。ジョン・オズボーンが歌う『ヒート・ウェイブ』☆





あ、おまけの桜は、今日、家の近くで咲いていた、満開の遅咲き桜。造幣局の通り抜けが終わった今、遅咲きは満開ですわ(笑)

2007年4月17日火曜日

R35


01. SAY YES/チャゲ&飛鳥
02. 君がいるだけで/米米CLUB
03. 何も言えなくて…夏/JAYWALK
04. Get Along Together ~愛を贈りたいから~/山根康広
05. TRUE LOVE/藤井フミヤ
06. シングルベッド/シャ乱Q
07. 離したくはない/T-BOLAN
08. クリスマスキャロルの頃には/稲垣潤一
09. Woman/中西圭三
10. 夏の日の1993/class
11. もう恋なんてしない/槇原敬之
12. サボテンの花 ~“ひとつ屋根の下”より~/財津和夫
13. 接吻 kiss/オリジナル・ラヴ
14. 壊れかけのRadio/徳永英明
15. 愛が生まれた日/藤谷美和子・大内義昭
16. 世界中の誰よりきっと/中山美穂&WANDS

ワーナー・ミュージックから『R35』というコンピ盤が出るのですが、このアルバムのそのラインナップが、上記。
6曲目と13曲目は知ってるけれども、あとはどれも知りません(笑)

宣伝文句は、こんなです。

もう一度、妻を口説こう。
あなたは今も「I LOVE YOU」と、言ってますか?
90年代前半…トレンディ・ドラマやCMタイアップにより数々の名曲が生まれた素晴らしい時代。そしてその時代はトリプルミリオン、ダブルミリオン、ミリオンセラーのシングルが数多くリリースされた。そんな時代背景の中で生まれた90年代前半のドラマのクライマックスを飾った美しいバラード、CMにより数多くの人に愛されたラヴソングにフォーカスした究極のラヴ・バラード集!収録曲のトータル売上げ枚数はなんと!2,000万枚を超える超豪華な楽曲ばかり!メガヒット・バラードの決定盤といえるコンピ!!!

90年代前半といえば、旅をやめて、オレが、日本で暮らしだしたか暮らしていないかくらいのころですわ。
だから、これらの曲を、きっと聴いてるんでしょうけどね。だって、合計で2000万枚超えてるんでしょ。耳にしてないわけがない(笑)
表題は「R35」で、オレは41歳だけどさ、まあ、同年代ですよ。

もう、バブルが弾けるあたりのころですよね。
こっから先の10年が失われた10年と呼ばれているわけだけれども、オレにとっては、ここまでの10年、日本にいなかったので、90年代前半までが、オレの失われた10年ですわ。
バブルの開始前夜に仕事をはじめたから、それこそバブルの恩恵に少しは与ったんですけど、あの、毎晩パーティみたいな躁状態に居心地の悪さをかんじて、オレは旅に出ました。

日本を捨ててやる気分も、少しはありました。
もちょっといえば、自分が根を張る場所、それは自分が具体的に生活していくための土地であったり人間関係であったり、職業であったり価値であったりするわけですが、そういうものを探すために旅に出たのですが、そういってしまうと少しかっこつけすぎで、身もふたもないいいかたをしてしまえば、なんかいいことないかな、と、そんなかんじで旅に出たんですよね。

あんとき、
なんかいいことないかな、と思ったってことは、バブル前夜のあの空気を、オレは、いいことだとも居心地がいいともまったく思っていなくて、そこに混ざっている自分がとてもイヤでかっこわるくて、とにかく、いち抜けしたいな、と。

もっともっと端的にいうと、
オレはおまえらとは違うよ、という意識が、かなりありましたわ。
オレは特別でっせ、ヘンタイでっせ、と。
第一、聴いてる音楽が違う。
今でも、どっかで、そういう意識はありますけどね。

ただ、自分がマイノリティだという感覚は、持っていても仕方がないし、どっかでそういう意識があるにせよ、出来るだけ、そういうことは思わないようにしてます。
普通というのは案外と偉大なものだということも、少しはわかる年になってきました。

同年代の知り合いやマイミクさんを見ていると、いわゆる普通といわれるような平々凡々な人生とは違う道を歩んでいる人は多いんだけれども、そういうのを見ていると、普通も普通じゃないもないな、ということを、かんじます。
それぞれが固有で、それぞれが特別で、それでいいんじゃないか、と。
だから今、オレは、普通でっせ!と、堂々と言えるし、そう言えるぶん、少しはタフになっているんだろうなと、思うのです。

年若かったあのころの自分、力がなくて、情熱だけを持て余して立ち尽くしていただけの自分に、今のオレが、大丈夫なんだよ!と、言いにいってやりたいくらいです。

こないだ、神戸出身の古い友だちが、長く東京で暮らしていたのだけれども、転勤で戻ってきました。
彼は、震災を知らないのですね。
帰ってきた彼にとって、神戸は、すでに幼いころに暮らした神戸とは違う景色になっていたそうです。
そして、震災も体験していない。
だから、ずっと神戸で暮らしている彼の旧友たちとは、なにか、決定的に違うものを感じたそうです。
共有していたはずのなにかが、なくなってしまったような、そんな喪失感がある、と。

それを言い出したら、オレなんて、このアルバムにあるような曲を知らないし、そういう意味では、同年代の人たちと共有しているものは、少ないかもしれない。
でも、それでもオレは普通だと堂々と言えるし、知らないことの負い目もないし、それでいいのだ!ってことじゃなくて、それはそれで仕方ないじゃないか!ってかんじなのですよ。

それでもオレはオレで、生きていくしかないではないですか。
震災を体験しなかった彼が、かつての居場所をなくしてしまった彼が、やはり、それはそれとして生きていかなくてはならないように。



このアルバムに収められた曲が流行っていたころ、オレはオレで、こんな曲を聴いていました。
速いとか遅いとか、リズムはそうした曖昧で相対的なものではなくて、3/4拍子だとかエイトビートだとか、徹底的に絶対的で、秩序の根本でありながら何者からも自由で、そういうものへの憧れがオレのなかにあったからこそ、こんな音楽ばかりを聴いていたのでした。

それはそれでしょうがないと思うし、それでよかったのだと、思っています。


こだま和文 / 『STARS』

2007年4月14日土曜日

大学は出たけれど…

■大阪市職員400人学歴詐称、大卒者が高卒枠で就職(読売新聞 - 04月14日 03:23)

大阪市職員約4万5000人のうち400人以上が、学歴が大卒や短大卒なのに「高校卒」と偽り、受験資格が高卒以下に限定されている職種で採用されていたことが、市の調査でわかった。

おいおい(笑)

いや、目的達成のために手段を選ばないのはキライじゃないし、学歴詐称といっても、学歴を低く詐称しているというものなので、そんなに罪はないと思うのだけれども…。

ま、そこはよろしい。

それにしてもだ。そんなにまでして、公務員になりたいですかね。
ましてや、高卒でもじゅうぶんに出来る仕事なので、大卒・短大卒の人は受験しないでください、という職種でしょ。
そんな職種に就くためだったら、わざわざ、大学を出ることもないでしょう(笑)

オレは、大学をクビになりましたけどね。
でも、学歴とはまったく関係ないところで仕事をしてます。
むしろ、クビになったと話したほうが、話のとっかかりがつくれて、有利なくらいで(笑)

一生のうちで、なにに一番時間を割いているのかというと、普通の平民に生まれたオレは、やっぱ、仕事なんですね。
だから、どーせやる仕事なのだったら、好きなことをしていたいし、その時間は実りの多いものであってほしいと、オレは思うんですね。
仕事をすることによって、自分が少しでもましな人間になりたいという欲望も、ありますわ。

もちろんね、人生のファースト・プライオリティを仕事に置く必要はどこにもないし、そうじゃない生きかたは、あると思います。
仕事以外のところに価値観を置いて、長い人生を歩いていく生きかたは、あると思います。
それならさ、高卒以上の人が、最終学歴を偽って、高卒の人のための労働市場を荒らしてはいかんですね。

ほんと、大阪市は毎日のように、なんかしらニュースを提供してくれますわ。




高学歴の人が高卒の人のための労働市場を荒らすと、彼のような愛すべき人間が、困るじゃないですか。。。


ワタナベイビー / 下を向いて歩こう

2007年4月13日金曜日

いいことしたのにっ!

昨晩、花見も宴会も終わった帰りのこと。夜、11時くらいですかね。
おカネを引き出そうとしてですな、ATMボックスへ向かったわけです。
ここは、銀行でもコンビニでもなくて、ただただATMが置いてあるだけのボックスなんですけどね。
んで、ボックスに入ってATMのまえに立つと、なんと、まえのお客さんが置き忘れていったらしい携帯と定期入れが。
さて、どうしたもんですかね。
折りたたみになっている定期入れを開いてみると、難波にある老舗百貨店の高○屋の社員証と、そこからこのATMがある最寄り駅までの定期券が、目に飛び込んできました。どうやら、20代の婦女子さんのようです。
こりゃ困るだろうな、と、思ってですね、さて、どうしたものか。。。

定期券から察するに、職場から帰宅する途中に、家の最寄り駅に降りて、ATMに立ち寄り、そこで携帯と定期入れを忘れた、と。
とりあえずですな、ATM横に設置してある銀行本部につながっている電話をとりました。どーせ、オレの行動は一部始終監視カメラに映ってるだろうし、パクったと思われるのも癪だしね。

んで、電話。ぴ・ぽ・ぱ。
どうしましたか?
えーっとですな、お客さんが携帯と定期入れをATM横に置き忘れてますわ。名前もわかるし、そちらから連絡してあげてもらえませんかね。
いや、そーゆーのはちょっと…。お手数ですが、交番へ届けていただけませんでしょうか。

つれません。。。
ま、当然の反応かもしれませんが。

じつは、ATMと大通りを挟んですぐ向かいなんですがね。
でも、交番に届けると、届ける方も受け取る方も、手続きがあるから面倒じゃないですか。

次。
ちょっと携帯を拝借してですな、着信履歴と発信履歴を覗き見することにしました。
とっかかりのありそうなところに電話してあげるしかないでしょ。
着信履歴を見ると、ちょうど1時間前に、やはり婦女子さんから着信があったようです。しかも、通話してる。
ということは、1時間前までは、電話を持っていたということですね。
えーい、と、思いながら、この、直近の着信履歴の番号に電話してみました。

ぴ・ぽ・ぱ。
はいはい~。やたら低いテンションで、どなたかわからんのですが、婦女子さんが電話に出ましたですよ。
えーっと、この携帯がATMに置き忘れてありまして…、と、オレが言った途端、向こうさん、声のテンションが一気に変わりましたな(笑)
そりゃそうだ。知り合いの女友だちだと思って電話に出たら、知らぬおっさんの声だもんだから(笑)

ちょっと落ち着いてもらって、事情を説明。
上手く、飲み込んでもらえたようです。
そしたら、
携帯の主さんは一人暮らしらしく、固定電話はあるらしいんだけど、この婦女子さんは知らなくて、でも携帯の主さんの実家の連絡先がわかるから、そちらに電話して、携帯の主さんに連絡をとりますから、5分だけ、その場で待ってあげてください!と。
ふむ。唐突な出来事に直面したわりには、結構なプランです。ちょっと頭いいですな、この婦女子さん。

んで、待つこと5分。
かかってきました。
はいはい~、携帯拾ったオレです~。
えーっとですね、実家に電話してみたけど、誰もでないとのこと。でも、携帯と定期入れがないとすごく不便なのは間違いないから、電報使ってでも今晩中に本人に連絡をとって、必ず引き取りにいかせるので、面倒ではあるが近くの交番に預けてくれないか、と。
電報って!
声や話しかたのかんじからすると、20代と思われる婦女子さんなのですが、電報に思いが至るとはやりますな! 電報を届けることができるのなら、住所がわかるはずですが、一人暮らしの婦女子さんの家の深夜、見知らぬ男が訪ねていくわけにもいきませんから、そのプラン、乗りました!

ここに至って、オレはやっと交番に行くのですね。
で、あたりまえといっちゃあたりまえですが、交番に人なんていません。
仕方ないから本署に電話して、携帯と定期入れを拾ったから来てくれ、と。
本署からやって来るんでしょうが、ここから本署って、ちょっと距離があるんですよね。15分くらいはたっぷりかかりそうで。。。
もう11時半くらいなんですけどね。

しょうがないから、交番でポケッと座りながら、大通りを挟んで向かいにあるATMを眺めていたんですよ。
そしたら! なにやら買い物袋をたくさん提げて走ってATMのボックスに入る婦女子さんがいるではないですか! ボックスに入ったと思ったら、すぐに出てきて、今度は隣にあるホテルに入っていきました。
ああ、間違いなくこの人だと思いましたね。きっと、ホテルのフロントにでも届いていないか、確かめにいったんでしょう。

そのときです。オレがそっちに向かおうとしたら、携帯が鳴りました。
見ると、公衆電話から(笑)
出てみると、
すいませーん、その携帯の落とし主です!
と。
はいはい~。ATMのところで定期入れと一緒に置き忘れてたでしょ。今、向かいの交番に来てます~。
あ、ありがとうございます! すぐに行きます~。

ここで、やーっと邂逅!
念のために定期入れの中身を確認してもらって、携帯の着信履歴を見せてもらって、直近の着信の人に連絡をとったことを告げました。携帯の主さんは、結局、その人と連絡はとれていなくて、買い物をしていたときに気がついて戻ってきたんだとか。
ま、なんしても、無事にわたすことが出来ましたですよ。

んで、よかったね~、と言って別れようとしたら、ちゃんとお礼をさせていただきたいので、ご連絡先を!と言うんですよ。
いや、そんなのはいいからさ。
いや、それでは私の気が済みませぬ~、と言って、今度は財布から現金を出そうとするから、いやいや、本当にいいから、と。
最後は、今、自分のために買ってきたという紅茶をオレにわたそうとするので、次はあなたが携帯を拾ったりしたら、同じようにしてあげたらそれでいいじゃない、と言って。やーっと押し問答終了。

あ、ポリさんが、そんときになってやっと来たんですが、今、話に入ってこられるとややこしいので、落とし主と会えたから!と言って、丁重にお引き取り願いました(笑) 遅いよ、来るの!

という顛末なのですけどね。
いいことしたでしょ☆
いいことしたから、いいことありそうでしょ☆

ところが、だ。

家帰って、mixiやりながら、仕事してたんですよ。
そしたら…、
ハードディスクがクラッシュ!
もうね、うんともすんとも言わなくなりましたわ…。
これの修理で、今日1日、大変だったのよ。。。。
もうね、てんやわんやよ!!
まだ完全修復なってません。

なあ、いいことしたのに!
どういうこと????

2007年4月12日木曜日

桜の森の満開の下



今年は、例年になく早い時期に設定された、大阪造幣局の通り抜け。気がつけば、最終日ですわ。
資料用に取材&撮影しなきゃならないので、カメラマン連れて、慌てて行ってきました。滑り込みセーフ☆

暖冬で公開時期を早めに設定した直後に花冷えですから、ちゃんと開花してるんかいな~、と気を揉みながら行ったんですが、案の定、咲いてない桜がごっそり。あそこ、遅咲きのさくらばっかりですからね。

それにしても、改めて思うのですが、桜というのは妖しいですな。

坂口安吾の『桜の森の満開の下』を、思い出します。

山賊が都の婦女子さんをさらってくるお話なのですが、さらわれてきた婦女子さんは、その過程で山賊にダンナを殺されたのにもかかわらず、恨みに思うような素振りを露ほども見せないのですね。
そして、山賊の女房になることを承諾します。
山賊の家に着くなり、それまでに山賊に連れてこられた古女房を全員殺させ…、結局のところ、山賊は、その婦女子さんのあまりの美しさに呑まれて、言いなりになってしまうのですよ。
けれども山賊は不安でね。どういう不安だか、なぜ不安だか、なにが不安だか、彼にはわらぬのですが、婦女子さんが美しすぎて、彼の魂がそれに吸いよせられていたので、胸の不安の波立ちをさして気にせずにいられただけです。

その感覚がね、山賊をして、桜の森の満開の下を通り抜けたときの感覚に似ているな、と、気づくんですが、ときすでに遅し…で。

そういう、人を狂わせる、毒のような妖気が、桜にはあるんだと思います。
水墨画のような、淡い、儚い色調なのにね。

桜の樹の下には死体が埋まっているに違いない、と言ったのは、梶井基次郎でした。
もっとも彼は、レモンを時限爆弾に見立てた人ですから、そういう妄想が好きなんでしょうが、そういう妄想を人にさせてしまうだけの力が、桜にはあるのでしょう。

そのむかし、オレの大好きな民俗学者の折口信夫によると、桜を家に植樹することは、異なるものの侵入を拒む結界をつくる意味合いがあったんだとか。

春雨に 争ひかねて わが屋前の 桜の花は 咲き始めにけり

と、万葉集にもあります。

このころの桜といえばヤマザクラでしょうが、家桜がヤマザクラから枝垂れ桜に移り変わるのは平安末期のことで、畿内と東国の交流の深まりによって、東国の枝垂れ桜が都に移され、貴族たちに愛されました。

渡辺淳一の『桜の樹の下で』に、秋田角館へ桜を見にいくくだりがあります。
この城下町の武家屋敷の枝垂れ桜は有名ですが、武家屋敷の主、佐竹家は京の公家と婚姻を通じて深く結ばれていました。武家屋敷の枝垂れ桜は、その京文化の雅を今に伝える名残ですね。

桜は枝垂ればかりでなく、江戸の桜園芸の粋である紅鮮やかな麒麟、黄色い花をつける鬱金、純白の白妙…。こうした遅桜をしっかりと鑑賞出来るのが、造幣局の通り抜けのいいところです。

今年もいっぱい桜を見たけれども、これが打ち止め。

桜を見ながら、酒宴を開くのは、江戸になってからですかね。
それに倣って、オレたちも、帰り、某大手編集部数人と合流して、寿司を食べに行ったのでした。

お通し 白魚

真子鰈

墨烏賊
春子
縁側
タイラギ
赤貝

赤身
中トロ
大トロ砂ずり
小肌二枚づけ
鰹スモーク
小柱軍艦
ミル貝
縞鯵
鳥貝
煮蛤
車海老
赤ウニ軍艦
白ウニ軍艦
穴子
穴子海苔巻
鉄火太巻

玉子焼

気づいたらお勘定が終わってたけど、誰が払ったんやろか?
きっと、編集部持ちやとは思うんですけどね(笑)

2007年4月11日水曜日

さんちゃんの前髪

さ~て、今週のあいのりは~♪♪


さんちゃんが前髪を切ってかっこよくなりました(。→∀←。)
あいらぶさんちゃん♡♡
ちょっと細すぎるのがネックです。。。。

ちなみに・・・・・
今のメンバーの中でならおそらく森ケンに恋する。
そして間違いなくグラサンと物凄いマブダチになる。
でも、バンビとはしゃぎすぎてきっとみんなに引かれる。
女部屋では宮ネエに甘える。

そうじゃなきゃー、ISSYへの想いを断ち切れずリタイア・・・ww



そんな妄想をしつつ、今日は暇でも暇を楽しんでます♪♪


それにしても、最近はあいのりを見るたびに行きたいなぁ
って結構リアルに思ったりする( ・Θ・)ゞ
今さ、転職とか言ってるからさ、
あいのり参加後転職・・・みたいな!?wwww


恋愛がどーこーとかもさ、まぁなくはないけども、、、、
あんな風に海外で思いっきりはしゃいできたいなぁって。

だってだって!!!!!

大学2年の夏に1ヶ月間行ったアメリカ研修、
ほんっっっっっっっと~~~~~~に!!!!!!!!!
楽しかったんだもんっっっ(。→ˇ艸←)


もしもね、もしも転職する間に1週間でも時間があるなら・・・
私は深谷きみチャンの元へ行きたい!!!!!!!!
カナディアンになりに↑↑

ね~、きみチャン泊~めてっ(人・㉨・)♡


そいでねそいでね、現地のノリノリな人たちといっぱい遊んでね、
いっぱいいっぱいはしゃいでグッタリ疲れるくらいはしゃいで~、
1年分くらい笑って帰って来たい!!!!!!!!!!!



楽しいコト考えてたら楽しくなってきたぁヾ(o・∀・o)ノ♪
やっぱ暇な時間は楽しいコト考えるに限るねっ♪♪



明日から2連休ですが、予定は無です!!!!
暇な人は誘ってください。
明日どうしても暇だったら髪の毛をいっそのことショートにします。
だって、倖田來未ショートになったし!?(笑)


くだらない妄想にお付き合いありがとーちゃん(`・ω・´)ノ"
明日も幸せな一日がきっと来るぜ☆☆



いや~、23歳のキャピキャピOLさんになりきって書くのって、しんどいですわ…。
そういう仕事が来てまして、ちょっと練習がてら…(笑)
上手いこと書けてますでしょうか?(笑)
ちなみに、「あいのり」という番組は、見たことがないです。聞き取り調査だけで書いたの。。。

2007年4月10日火曜日

先生なんてものはね

選挙が終わりましたな。
東京で石原慎太郎があそこまで圧勝するとは思ってなかったので、ビックリしました。といって、どういう事情があったのか、まったく知らないんだけれども。なんとなく、です。
浅野史郎がもちょっと頑張るのかなと思ってたんですが、これも、なんとなく。
桜金蔵はどうだったんですかいな?

3選がいいとは思わないし、年齢的にも難があるような気もするんですが、まあ、大阪府民のオレには、取り立てて関係あることでもなく、どうでもいい部類の話ですわ。

大阪では、府議の選挙がありました。
オレは、某府議の後援会の会報誌を請け負ってる関係で、その府議を応援せねばならんのですが、選挙区が違うので、票で貢献することもなく(笑)

いつもなら、府議の選挙に密着して、当選の暁には会報を大々的に発行せねばならんのですが、今回、オレが後援会会報誌を請け負っている件の府議の選挙区は、無風区。無風区というよりも、対抗馬が誰も立候補していないので、無投票選挙区になっちゃってるんですよね。
激戦になって、チラシの増刷でも決めてくれれば、こっちの言い値で受注出来て儲かるんですけどね(笑)
まあ、そういうこともなく、おかげでオレも駆り出されることもなく、淡々と選挙当日を迎え、めでたく当選となり、その間、オレは桜吹雪の中で昼寝してましたが(笑)

商売上の付き合いで、いろんな政治家さんとお話するんですが、ほとんどに共通して感じるのは、モノをあんまり知らんですわ。学がないですね。
教育問題、環境問題、福祉問題、治安、経済、外交…、なんでもいいんですけど、独自の調査なんて夢のまた夢で、そこらへんの専門書に載ってるようなことすら、知らないですね。ちょっと突っ込んで話をすると、知ったかぶりをするのはおてのものらしいですが、すぐに馬脚を露にしますよ。
オレは、政治家の人に会ったときは、せっかくだから、政策の議論をしたいんですが、まあ、出来ません。

その代わり、人間関係については、異常に敏感ですね。
あの人にイエスと言わせたかったら、こっちの人を突つけばいい、とか。
そういうことに、異常に長けてます。
結局のところ、利害の調整役以上の何者でもないのが、今の政治家だと、オレは思ってます。
大きなグランド・デザインなんて、オレが知ってるかぎり、誰も描けてないですわ。
利害の、差配役ですよ。

と、自分の顧客の悪口を言うのも品のない話ですが、相手は公人なので(笑)

で、悪口はまだまだ続きます(笑)

オレも、仕事がほしいから、先生!先生!って、すり寄ってます。
べつに、先生!なんて思ってないですけど、先生!って言わなきゃダメらしいのよ、どうやら(笑)
オレも長いもんに巻かれてますから、先生!先生!って言ってますけど、あれ、言うほうも言われるほうも、なんともないのかしら?

オレもときどき、先生!って言われることがあります。
そう言ってくるのは、すんごい下心が見え見えのときか、尊敬の念を持ってくれていて、そう言わなきゃダメだと思っている人たちです。
頼むから先生と呼ぶのだけはやめてください!って、即座に言います。
だってさ、オレは先生じゃなくて、ルイスだからさ。
第一、先生なんて呼称は、ここまで読んでくれた方はおわかりのとおり、オレにとっては、蔑称でしかありません。

むかし、旅をしていたとき、チュニジアだったかな、土産物屋さんに、日本人のお客が来たら、なんて言えばいいんだ?と訊かれて、カネ持ってそうなやつには「シャチョー」、カネ持ってなさそうなやつには「センセー」って言っておけば、気持ちよく買いものしてくれるよ、と教えてあげたことがあります。
新地のホステスさんは、皆、これですけどね(笑)


先生なんて、そんなもんですよ。
そう思ってるくらいで、ちょうどいいですわ。

2007年4月9日月曜日

日曜の昼下がりにうってつけ

朝っぱらからずーっと仕事してて、いつもならそのまま夜まで仕事してるんですが、最近、例の首痛以降、肩凝りがヒドくてですな、連続して仕事してられないんですよね。

なので、
ちょっと休憩がてらですな、チャリを飛ばして川縁へ行ったんですね。
こないだ、大人の宴会やった、桜ノ宮方面。
そしたらさ、この土日、お花見宴会がピークですな。
桜ノ宮の桜は川縁に沿って全長2kmあるんですが、川の両側とも、立錐の余地なくブルーシートですよ。
何千人いたんだろか。それも、全員が全員、判で押したように鉄板焼き&網焼き(笑)

でも、オレたちが宴会やったときのほうが、寒かったけれども、桜はきれいでしたわ。今日なんて、もう散りはじめてたもんね。

家族連れも多かったですね。
まだ髪の毛の柔らかな男の子、女の子、
希望を胸いっぱいに膨らませた男の子、女の子、
いっぱい遊んでましたね。

そういうお子たちを横目で眺めながら、久しぶりに、外で昼寝しました。
仕事抜け出して外で昼寝するのは、オレの、趣味というよりも、ライフワークですからね。

むかし、デパートの屋上から上げているアドバルーンを見張る仕事というのがありましてね。
消防法かなにかで、アドバルーンを上げているふもとで、誰か一人見張りが必要だったんですよ。
高校時代にやってたバイトですが、思えば、あれが、広告業界(笑)におけるオレの最初の仕事でした。
誰にも干渉されず、読書も昼寝もし放題。ウォークマンも聴き放題。
ほんと、天職や!と思ってましたな(笑)

昼寝も読書も仕事になることはなかったけれども、毎日毎日忙しくしているけれども、仕事抜け出しての昼寝は、相変わらずのライフワークです。

そういう季節になりました。

で、そういうときにお似合いの音楽を、今日は聴いてました。
日曜の昼下がりにうってつけ!って音楽です☆
知らない人のほうが圧倒的に多いだろうから、おすそわけ☆


Vincent Delerm / Sous les avalanches



もういっちょ!

2007年4月8日日曜日

炊飯器を買う(先月だけど)


1ヶ月くらいまえ、家の照明のライトが切れて、ちょっと特殊なスポットライトだったので、ヨドバシまで買いにいったんですよね。
そしたら、だ。
新生活シーズンでもありますから、えらいこと混んでいて、レジがすんごい長蛇の列なんですよ。たかだか500円程度の電球買うのに、こんな列に並んでられるか!と思い、店内をちょっとブラブラすることにしたのでした。

ちょっとまえに、長田のオバァ連中から、美味い米をもらったんですが、そんときに炊飯器の話になって、うちは15年くらいおなじのを使ってる、って言ったら、えらいことブーイングが。

そんな、15年もまえの炊飯器で米なんか炊いても、せっかくの美味い米が美味く炊けない!と言われですな、じゃ買ってよ!って言うと、自分で買え、と。
買ってくれるわけでもないのに、人んちの炊飯器にケチをつけるんじゃないよ(笑)

といういきさつもあったので、電球を買いにきたついでに炊飯器を買うことにしたのでした。
ついでに、っていう買いものではないような気がしないでもないんですが、電球ごときで長蛇の列に並ぶのは腹が立つんで、無理矢理、ついでに(笑)

んで、ヨドバシで店員つかまえて、IH炊飯器なるものを買ったのでした。
15年前の炊飯器とはいえ、それで全然不自由していなかったので、ここで新しいのを買うのは不本意ではあったんですが、なんか、意地ですな(笑)

ほいで今日、日経プラス1を見てたら、今週のランキングは、「美味しく炊けるIH炊飯器」。
にゃんと、オレが買ったやつが、読者アンケートでトップでしたわ。

詳しくは、ここ

1位 JKC-R100(タイガー魔法瓶)
2位 SR-SD10(松下電器産業)
3位 RZ-FD10J(日立アプライアンス)
4位 NJ-RE10(三菱電機)
5位 ECJ-HG10(三洋電機)
6位 RC-10MY(東芝コンシューママーケティング)
7位 NP-HT10(象印マホービン)

オレが買ったのが、タイガーのJKC-R100ってやつです。
5.5合炊きで、特価2万円くらいだったかな。定価は39,900円。
たしかに、美味いですけどね。

なんかね、IHだけでもオレからすればすごいんですが、もはやIHはあたりまえで、今、差別化は「釜」に向かってるみたいです。メーカーも、いろいろ頑張ってますわ(笑)
内釜が5層構造になってまして、そのうちの2層は銅。さらに表面には銀が塗ってあって、IHで絶大な効果を発揮するんだとか…。
こうなってくると、家電というよりも釜メーカーみたいなこだわりようですわ(笑) 実際、釜だけが本体とはべつで3年保証になってるし。。。

でもさ、
「高速早炊き」「おこげ」「おこわ」「玄米」「おかゆ」「パン焼き」「煮物」まではわかるとしても(まあ、炊飯器で煮物つくったりパンを焼いたりしようとは思いませんが…)、「かまど風調圧」とか「極うま」とか「炊きたて保温」とか「つやつや保温」とか、もうこのあたりになると、なにがなんだかわかりません(笑)
「炊きたて保温」と「つやつや保温」って、なのがどう違うのよ?

日経プラスワンに載ってたアンケート回答によると、
「かんでいると粘りが出てくる」(30代男性)
「つやと軟らかさ、粘りが他より抜きんでている」(30代男性)
「癖がなく炊けている」(50代女性)
らしいです。
んなもん、他も似たようなもんだと思うんですが、どうなんでしょうかね?

そうそう、買うときに気になったんですが、
炊飯器って、いろんな機能がついているし、性能もいちいち説明してもらえるんですけど、肝心の炊きあがった米がどんな味なのか、ってことが、店頭ではわからんですね。
保温とか米の種類とかいろいろあって難しいとは思うんですが、食べ比べをして炊飯器を選ぶことが出来たらいいのにね。



ココロージー、新譜が出るみたいですな。
形容しがたい不思議な存在感を放っている彼女たちが、大好きです。現実離れ、というよりも、時代離れしてます。西も東も、夢も現実も、ジャンルというジャンルの境界線をことごとく溶解してしまうワン・アンド・オンリーでノマディックな越境音楽は、真の意味での、吟遊詩人的トルバドール・ミュージックだと思います☆

cocorosie / 『Noah`s Ark』



フランスから現れた21才の要注目ラッパー/MC、Spleenが参加してのライブは圧巻!

2007年4月7日土曜日

蓮花寺&詩仙堂 with すぎさん

首と肩がね、さすがに全方位動くようにはなったんですが、ごっつう凝ってまして、もう鉄板みたいになってまして、しかも、この数週間、ずーっとそんな状態なのですよ。。。。
きっとそのせいだと思うんですが、非っ常ーに、疲れる。疲労蓄積度がね、普段の倍以上で、夜、寝ないと全然ダメ。
なので、夜中にmixiチャット出来るような状態でもなく、日記書くだけでヒーヒー言ってます。いや~、体力低下って、人生最大のピンチかも、です。それでもまだ、病院にも整体にも行ってないんですけどね(笑)

さて、昨日の続き。

すぎさん関西遠征の2日目は、オレと相方さんで、京都をご案内。
といっても、なんのことはない、いつも京都神社仏閣巡りスタンプラリーに、お付き合いいただいただけのことなのですがね(笑)

どこ行こうかな、と、じつは当日の朝まで決めてませんでした。
すぎさんは学生時代を京都は深草で過ごされ、京都はまるっきり初めてってわけでもないんですが、でも、訪れるのはかなりかなり久しぶりだとのこと。
だから、
清水寺だ南禅寺だ金閣寺だの、初心者向けコースはきっとご経験されているだろうし、かといってあんまりマニアックなところにお連れしても、東京に帰られてからお友だちにどこ行ったの?と訊かれて、そんなとこ知らない、ってなってもなんなので…、なんてことを考えていたら、でんでん決まらないでやんの。

ほいでですな、熟慮も思案もして、当日の朝、京都に向かう電車のなかで決めたのが、蓮華寺→恵文社→詩仙堂→時間があれば東福寺、ってコース。

蓮華寺は、じつは超マニアックなスポットなのですが、おかげで参拝者が少なくて静かだし、じつはお庭がかなりいいのですよ。仏像は奈良に軍配が上がりますが、京都といえば庭ですから。
恵文社は、今、京都でも1、2を争うオシャレ・スポット。セレクト本屋さん&生活雑貨屋さんで、相方さんの作品も置いているお店ですから、ここがいいかな、と。
で、恵文社まで来ると、近くには詩仙堂があります。詩仙堂は、近年、参拝客が急増しているお寺さんだけにうるさいくらいに賑わっているはずですが、4度目5度目くらいの京都でやっと訪れるくらいの位置付けにあるお寺さんですから、すぎさんにはちょうど喜んでいただけるくらいのマニアック度かと。

そんなこんなで、まずは蓮華寺から。
あ、そのまえに、相方さん、やっぱりの二度寝で遅刻(笑)
朝、電話で起こしてあげたのに、それからまた寝てやがるの。。。
罰として、今度、ブタ鼻にして道に立たせますから(笑)

しかし、お天気が定まりませんな。
花冷えで寒いとはいえ、ムチャクチャ寒いわけでもなく、でも、朝、すぎさんと合流したころには雨が降って、蓮華寺に着いたころには、またまたいい天気で。。。わけがわかりません。



蓮華寺は、京都の上のほう、上高野にあります。
鴨川を上っていくと枝分かれして高野川になるのですが、その高野川の上流なので、上高野。
交通の便も悪いし、他になにかがある場所でもないので、いつ行っても空いてるんですよね。そこが、よろし。
途中、鴨川沿いを走るんですが、ずーっと桜並木。もうね、延々と桜並木ですから。
で、若狭街道、別名鯖街道に入るあたりの桜並木がじつはかなり豪快で穴場だと聞いていたんですが、さすがにそのあたりではまだ桜は咲いてないでやんの(笑) 鴨川の桜も上のほうまで行きますと、まだ蕾が綻んですらいません。やっぱ、北山通りを越えると、気温が違うのね。

蓮華寺の入口自体は、街道に面したところにあるんですが、街道から脇に細い小径を入っていったところに山門があるので、ちょっと油断していると見逃しちゃうような、隠れ家的なお寺さんです。
そう、お寺さんというよりも、隠れ家のような、数奇者の別荘ってかんじなんですよ。

浄土教系の古寺なので、禅寺のような肩肘張ったところがなくて、どこか、気を許せるお寺さんなんです。
蓮華寺という名称も、浄土=蓮の花が咲き誇る場所から名付けられているんだと思います。
手入れもなされているし、端正でもあります。でも、肩肘張ってない。どこか、可憐なんですね。

石川丈山作庭の庭がこれまたよろしくて、小ぶりの池泉回遊式なんですが、池の周り、ほぼ全面に、苔。オレの大好きな、苔の絨毯です。
今は、薮椿がキレイですね。苔の絨毯に、薮椿が一輪一輪、花を落としています。この、紅とモスグリーンのコントラストったら、ないですよ。

なんといいますかね、こじんまりしていて、参拝客が少なくて静かで、適当な広さの庭があって、その庭は季節の草花が咲き誇る具象の庭で、苔がたくさんあって、縁側で昼寝が出来る…、はっきりいって、オレがお寺さんに求める要素がこれだけ揃っているお寺さんは、滅多にありません。京都で、一番好きなお寺さんですわ。これでちゃんとした仏像があればいうことなしなんですが、まあ、そこはほら、仏像は奈良、庭は京都ですから。

すぎさんと相方さん、本堂の奥のベスト・ポジションに座って、じーっと庭を眺めてましたね。
オレは、苔の絨毯に落ちる薮椿を、ぼんやりと眺めてました。

チャボさんの歌、なんとなく口ずさんでました。

今日はすごくいい天気
女の子がフルーツをむいてる
吹きぬける風はカラフルで
愚痴の破片<かけら>もこぼれない
友達が届けてくれた
甘いお菓子をほおばってる
タバコの煙の向こうで
隣の奥さん何かつぶしてる

なんてかんじ。。。。

東京から京都に来て、蓮華寺に行った!なんて言っても、誰にも自慢は出来ないんですが、でも、すぎさんには、このお寺さんを案内したかったんですよね。
お寺さんって、こんなにもホッコリ出来る場所なんですよ、ってね。


さて次は、恵文社

ここはですねえ、じつはあんまり好きじゃないんですけどね(笑)
いや、行ったことないんですけどね(笑) でも、ほら、あっちこっちの雑誌に載ってるからさ。
ま、本屋さんのセレクトショップです。ガケ書房と並んで、京都で1晩人気の本屋さんですな。建物そのものがレトロな雰囲気を漂わせていて、まあ、いいかんじではあるんですけどね。
ただ、本はね、セレクトされてしまうと、オレみたいなヘビーな本読みにはまったくもってもの足らんのですよ。やっぱ、紀伊国屋、ジュンク堂あたりのなんでもある大型本屋さんを徘徊してるほうが、オレは好きなのです。。。
といっても、すぎさんは、なにもオレみたいなヘビーな本読みでもないでしょうし、こういうセレクトショップは、いいのかもしれません。セレクトしてある本自体は、悪くないですしね。
あ、そうそう、オレが編集した雑誌なんかも置いてあったので、それをちょっと自慢したりもして(笑)

んで、この本屋さんには、生活雑貨のコーナーも併設されていて、じつはそこには相方さんの作品が売られているのですが、コースターは完売御礼の売り切れ、ルームシューズは今は店頭に並べていないということで、なんのことはない、相方さんの作品は一個も店頭に並んでいないのでした。相方さん、すぎさんに自慢出来ずに残念でしたな(笑)

そのあと、お昼ゴハンにしたのかな。
恵文社のすぐ近くにあるカフェ、ツバメ食堂とかいう名前やったよーな。。。
なんかね、恵文社で本を買って、ツバメ食堂でランチして…、ってのがオサレらしいです(笑)
でも、まーったくどうでもいいカフェでしたわ。
切り干し大根に、ミートボール…、普通に家で食べてるやん! んなもん、ありがたがって食べてる連中の気が知れませんが、結構、席は埋まってましたな(笑)
すぎさん、優しいからニコニコしながら食べてはりましたが、オレは、腹のなかで、バッテンマーク10個くらい並べてました。。

んで、早々にここを引き上げて、次は、詩仙堂
しかし、今回の日記も長いですな(笑)
ペース、上げます!




ここ数年、詩仙堂は、ちょっとマニアックな京都旅行者のあいだでは、ナンバーワンではないでしょうかね。
来るたんびに、境内が人で賑わってます。
今回も、観光バスが到着したこともあって、これがまあ、結構な賑わいで。
むかしはね、ひっそりしてたんですけどね。
司馬遼太郎が、新聞記者時代に京都を担当していた際、よくここに来て昼寝をしていたという、なかなか風流なお寺さんではあるんですけどね。

江戸の名作庭家、石川丈山が造営し、90歳で没するまでここに住んでました。
永平寺の末寺なので曹洞宗の禅寺なのですが、それにしては風流ですわ。
その名のとおり、中国の漢晋唐宋の詩歌36人の肖像を狩野探幽に描かせ、図上にそれ等各詩人の詩を丈山自ら書いて四方の壁に掲げた詩仙の間を中心としていることから、詩仙堂と呼ばれているんですけどね。この肖像画が36枚、天井に飾られているだけで、ずいぶんと風流な趣を醸し出してます。

山の斜面にへばりつくようにして境内が設けられておりましてね、この詩仙の間から斜面を下に向かって庭が広がってます。
丸く刈り込まれたサツキがキレイでしてね。一幅の絵を眺めているような気分になります。5月の中旬くらいに訪れると、サツキがピンクの花をたくさん咲かせてキレイなんですが、花のついていないこの時期でも、白砂川に鮮やかなサツキの緑が浮かび上がって、なかなかの見応えですわ。

端正な庭でしてね、すぎさんがこの庭を歩いていると、結構、マッチしてます。
オレの相方さんは、サツキを触りまくって遊んでる小学生みたいでしたけどね(笑)

そうそう、すぎさんと相方さんと並んで写真を何枚か撮ったんですが、身長差がかなりかなりある2人が並ぶと、小学生と引率の先生みたいな図で(笑) めっちゃオモロくて、公開出来ないのが残念でなりません(笑)

まあ、参拝客もたくさんいて、ゆっくりしても仕方がないので、早々に退散。
こっからオレの予定では東福寺に行くことになっていたんですが、そこまでの時間もすでになく、なんや知らんのですが、いつの間にやら、すぎさんと相方さんのあいだで、今宮神社のあぶり餅を食べることになっていましてですな、そのまま一路、今宮神社へ。

市中を京都駅から洛北、そのまま南下して一乗寺、そっから西へ横断して紫野へ行くわけですから、京都市中を縦横無尽に走りまわっております(笑)

で、今宮神社へ行ったわけですが、なーんと、あぶり餅は定休日(笑) 定休日なんかあったんや…。

じゃ、しゃーない。今度は、そっから西陣へ車を走らせて、さらさ西陣へ。

夜は、すぎさん、憂歌団の木村くん&RCのチャボさんのライブに参戦ですから、その時間まで、ここでお茶
することに。。。
さらさ西陣は、銭湯やった建物を改装してカフェにしたお店。江戸時代の銭湯か!といいたくなるような外観で、なかに入れば、タイル張りの壁が目を引く、いいかんじのカフェです。天井、高いしね。
なんかね、東京あたりから京都カフェツアーにやって来る集団がたくさんいるんですけど、この店は、必ずコースに入ってますね。
フード系がもひとつなんで、あんまり行かんのですが、お茶だけやったら、全然問題なしですわ。
もっとも、すぎさん&相方さんの婦女子さんコンビは、きっちりスイーツを注文してましたけれども(笑)

ここで1時間、2時間、ウダウダと喋りながら、盛り上がってました。
なんの話をしたんやっけな?
いや、よく考えたら、婦女子さんコンビで盛り上がっていて、オレは会話に入れてもらってなかったような…(笑)
でもね、えーんです、それで。
相方さんが、年上の素敵なおねーさんといーっぱい仲良しになって、賢くなってくれたら、それでいいんですわ(笑)

とまあ、こんなかんじ。
このあと、すぎさんは、ライブ参戦のために磔磔へ。
ライブ後に再び合流して、モツ三昧やったんですが、そっからの記述は、相方さんが担当するそうです(笑)

それにしても長いな(笑)
長いうえに、時系列で出来事追っかけるだけで終わってしまったよ。。。
とんでもない日記です、すぎさん、ゴメン!(笑)
ところで、すぎさんには楽しんでいただけたのでしょうかね? 肝心なこと、わからんようになってるわ(笑)

本日は憂歌団の木村クンしかないでしょう。
木村クン、かっこいい☆
すぎさん、オレもこのライブに行きたかったですよ。。。。

すぎさん、これはライブでやってた? 加山雄三の『君といつまでも』

2007年4月6日金曜日

「大人の花見」舞台裏(笑)


大人のケンケンパッを見せたる!と、息巻いて、夜中に公道にチョークで○をたくさん描き、なぜかパンツ一丁になってケンケンパッをやったのは、まったく自慢出来ないオレの変態友だちのテリーさん♂48歳です。
ビルの一室にテントを並べて、ヒーリング音楽を流し、大阪はミナミのど真ん中で1時間500円で「昼寝屋」なる商売をはじめたのが、もう、15年近くまえで、もちろんそんな商売は話題にこそなれお客が来るはずもなくあえなく頓挫し、その後、なんの後ろ盾も自前の組織もなく、オマケに人望も人脈もないくせに、思いつきで、機は熟した!とのたまい、5年ほどまえに堺市の市議会選挙に出て、2桁しか得票出来ないという当然の結果に終わり、それでも生意気に落ち込んでいるのが、まったく自慢出来ないオレの変態友だちのテリーさん♂48歳です。

なんでこんな前フリになっているのかと言いますと、お花見宴会をやりましてですな、それがまたずいぶんと大人のお花見宴会となりまして、んで、「大人の花見」とタイトルを冠した日記を書こうとしていたら、やはりお花見メンバーのmomokoさんに、一足先に「大人の花見」のタイトルで日記を書かれ…、あちゃ!タイトルが被るやん!と、さてどうしたもんですかいな。

とまあ、大人の、とそこだけで、しょーもない前フリを書いてしまいました。お許しあれ(笑)

えーっとですな、
憂歌団の木村クンのライブを見にくるのだ~!って、マイミクさんのすぎさんが東京からわざわざ京都に来ることが判明したのが、約1ヶ月前。
せっかくなので遊びましょうということで、この1ヶ月、いろいろと企画を練りつつ…、いや、結局は練らずに寝てましてですな、ほら、首が動かなくなったりいろいろありまして(笑)
そうこうしているうちに、momokoさん&寧楊さん、相方さんでお花見しようぜ!と突如盛り上がったのが、2日前のこと。
こりゃいいや!ってことで、お花見にすぎさんをお誘いしたら、ぜひ!と。
すぎさん、このメンツですぜ? オレの日記のコメントをご覧になっていたらわかるでしょうに。コワイですぜ、大阪最強の婦女子さんのお出迎えですよ! すぎさん、チャレンジャーです(笑) 素敵すぎます(笑)

でも、こんなメンツで集まってお花見する日が来るなんて! オレ、かなり楽しみでした。
すぎさんはすごくお会いしたかった人だし、お会いするなら、momoさんや寧楊さんにも紹介したいし、ほーんとにワクワクするようなメンツです。

で、お花見の舞台はといえば、大阪では桜の名所で名高い桜ノ宮。
オレん家からチャリで5分だし、はりきって前日の昼間に桜の開花具合まで偵察に行ってしまいました(笑) で、写真もパチリとやって、皆さんに、今こんなかんじです~8分咲きの超見頃です~!とメールしようとしたのだけれども、あいにくとこの日は黄砂が吹いていて、空がまっ黄色…。写真がちっともキレイじゃなかったので、メールするのやめました。。。

大体ですな、オレの相方さんは、嵐を呼ぶ女。ピンポイントで台風を呼び寄せたり、地震・雷・火事・オヤジ…、イベント当日には、いろんなもんを呼び寄せるのですよ~。
なので、お花見んときは、黄砂(笑) 加えて、真冬に逆戻りしたような花冷えの日々を(笑) それでも、天下無双の晴れ男のオレが頑張って、少しはましな天候にして差し上げました☆

で、特にリーダーがいる集団であるわけもなく、まあ、それもいいんですが、momokoさん、寧楊さん、相方さんがそれぞれお弁当をつくって持ってきてくれる、ってことだけが決まっていてですな、その他の酒、シート等、誰がなにを用意するかなどなにも決めることもなく、そのまま当日突入。
なんとなく、食べる役に徹することを宣言したオレが、レジャーシートやら紙コップやらは用意したほうがいいのかなと思い、午前中、100均に向かっていたわけです。

そしたら、まず、相方さんから電話。
泣きそうな声になってます。。
どしたの?
あんな、あんな、つくってもつくってもお弁当が埋まらへんねん。。。9品つくってんけど、5人分のお弁当なんてつくったことないし、分量がわからなくて、お弁当がスカスカなの~、どーしよう。。。
いや、よろしいやん。なにもあんさんだけがお弁当を用意しているわけでもなく、寧楊さんもmomokoさんも用意してはることやし、そないに頑張らんでも…。
アカンねん! うちは弁当だけは信用してもらってるみたいやから、しくじるわけにはいかんの! このままやと、あなたの顔に泥を塗ってしまいます…。
いや、泥は普段から塗ってもらってるんで、今さらそんなこと気にせんでよろし。
ゴハンも炊くの忘れてるねん…。
いや、寧楊さんがちらし寿司つくってくれてはるんやから、あんさんがゴハンは炊かんでいいやろ。
そーなん? ちらし寿司だけで足りるの?
足りるどころか、じゅうぶんでっしゃろ。
でも、おかずがスカスカやねん。
だから、9品もつくってるんやから、仮にスカスカでもよろし。そんなことより、この時間に家にいてたら、大遅刻やんか! 早く、家を出てください。。。。

ってな、電話。
なんかね、婦女子さん3人がお弁当つくってくるとなると、気合の入りかたが違うみたいですわ、ウチの相方さん。
考えてみたら、これはなかなかのプレッシャーかもしれませんな。オレ、つくづく、最初から、食べる役に徹する宣言をしておいてよかったです(笑)

ま、そんなわけで、相方さんの遅刻が決定。
オレは、すぎさんをお迎えに行くのでハナから遅刻することになっていたのですが、最年少の相方さんが遅刻してどーするんですか。寧楊さんに連絡しておきなはれ、と、メールを送った矢先に、今度は寧楊さんからメール。
用事をこなしていて、遅刻します、先にはじめておいてください、と。。。。
おいおい、寧楊さんまで遅刻かい?

なんや、ややこしいことになってきました。
そもそも、momoさん、前日まで体調が思わしくないというお話を寧楊さんからお聞きしていて、当日の体調と相談して、ってかんじで、その後、どうなったのかは、オレ、知らされていなかったのですね。
なので、もし来られないのなら、オレとすぎさんが一番乗りってことにもなるわけで、食べるものもないのに、東京から来られるすぎさんを連れて一番乗りって…。

でも、
momoさん、当日の朝からmixiにログインされていて、あっちゃこっちゃにコメントを書かれているのを発見していたので、これは体調もよくなり、参加されるに違いないな、と(笑)
ひそかに、そんなふうに睨んでおりました。
でもでも、ですな、
そうなると、相方さんが遅刻で、寧楊さんも遅刻で、オレとすぎさんは最初から遅れていくことになっていたわけだから、momoさんが最初に来られることになるわけで、でも、momoさんはお花見の概要をきっと知らされていないだろうから、なにもわからずに待ち合わせ場所でポケッと待っていただくハメにもなるわけで、これはこれで困ったぞ、と。。。

もうね、企画責任者というか、リーダーがいないと、こういうことになります(笑)

気を揉んでも仕方ないので、とりあえずは、オレは、すぎさんをピックアップするため、梅田に。

空港からのリムジンバスから出てきたすぎさんはですな、初のご対面だったのですが、どえらいベッピンさんで! しかも、すらっと手足が長くてスリムで、ウチの相方さんが横に並んだら、子供と大人やん!ってくらい。
いや、そういうことはどうでもいいんですが(いや、本当はどうでもよくはないのだけれども。笑。)、楚々としていて、品がよろしいんですわ。都会のおねえさん!ってかんじで。だからね、いきなり関西最強婦女子さんに四方を固められるのは、大丈夫なんかいな、と(笑)

と、今さらそんなことを言っても仕方がないので、すぎさんをお連れして、オレは、momoさんがきっと待っているはずの、JR桜ノ宮駅改札へ。
んで、着いてみるとですな、momoさん、いてない…。
ん? 不参加か?
と思いつつも、とりあえず、電話してみることに。
そしたら…、出ません。。。
電話、出ーへんし…、誰も来んし…、はるばる東京からやって来られたすぎさんを駅前で待たせるわけにも行かず、さてどうしたもんかいなと思案してましたらですな、かかってきましたよ、momoさん。
momoさん、開口一番、ごめーん!
仕事が終わんなくて、今から出ます~!
この時点で、オレ、momoさんが本日、体調もよくなられ、参加されるということを、初めてちゃんと知らされた次第(笑)
わかりましたわかりました、近くの喫茶店ででも待ってますんで、ごゆるりと~。

そんなこんなで、待つこと30分足らずで、チャリを飛ばしてmomoさん登場。
そっから遅れることさらに30分足らずで、相方さん登場。
そっから遅れることさらに15分足らずで、寧楊さん登場。

もう、揃いも揃って遅刻ですから(笑) ほんま、カンベンしてくれ!(笑)

そっからはね、すぎさん、関西の奥の院・momoさん、関西の五重塔・寧楊さん、関西の地蔵・相方さんら強烈な婦人に囲まれ、すこし緊張気味になりながらも、ワイワイと楽しまれ、ほーんと、いい宴になりましたです。
桜も、キレイだったしね。

お弁当、すごかったですよ!
寧楊さんのちらし寿司は、宝石でした☆ いくらがトッピングされていて、じつはこのいくらを買いに阪神百貨店に急遽走ったために遅刻したんだとか。凝りすぎです(笑) しかも、刻み海苔はべつで用意して、食べる直前にちゃんとふりかけてくれるし。いちいち、やることが憎いです~。
それにしても、お稲荷さんともども、さすが☆のお味でしたな!

momoさんのお弁当もですな、晩ゴハンのついでとおっしゃったものの、これまたどんだけ凝るねん!と言いたくなるような、それでいてmomoさんの普段から察するに、これは凝ったうちに入らんと断言出来るほどの、普段からレベルの高いところを見せつけられたというか、とても美味しくいただきました。
デザートの桜餅&水出しアイスコーヒーは、衝撃的な美味さでした☆

相方さんのお弁当は、このなかに混じるとさすがに見劣りするんですが、んなもんね、いいのよ。
あれだけつくれたら上等ですから。
オレの顔は泥に塗れへんかったよ(笑) オレの顔は破顔一笑なのでした。サンキュ☆

で、すぎさん! さすが、出来る婦女子さんは違います! ちゃっかりですな、ごっつう美味いチーズケーキをご用意されており、いや、東京から気を遣っていただき、申し訳ないですっ☆

オレ、食べる役(笑)
罰、当たるな(笑)

ふわぁ~、なんか、出来事を追っかけるだけの日記で、こんだけの分量。。。。
続きはまた明日(笑)


写真、momoさんの日記に大量アップされてますから、そちらを参照くださいませ(笑)

2007年4月3日火曜日

そんなつもりじゃないねん!

そんなつもりじゃないねん!
というのが、オレの相方さんの口癖です。

こんな言いかたしたら、人はこんなふうにしか受け取らへんよ、と言ってあげると、いや、そんなことはないねん!そんなつもりじゃないねん!と。

コミュニケーションのとりかたが、下手クソですねん。

言いたいこと、書きたいことを全部出せてるやろか、と、そればっかりを考えて、それで満足してしまって、それがちゃんと伝わっているのかどうか、こちらの意図したとおりに相手にちゃんと受け止めてもらえているのかどうか、まで、気がまわらんのですね。

どっちが大切なのかは、言わずもがなですが。

私は頑張ってるんやから、給料上げてください。
そんなんでは給料は上がりません。
周りの人たちが、あの人は頑張ってるし、いろんなことをこなしてくれるようになったから給料を上げてもよろしい、と、なって初めて、給料は上がります。

あなたがあなた自身で下すあなたの評価に価値などはなくて、他人が下すあなたの評価にしか、価値はありません。
あなたがあなた自身で下すあなたの評価と、他人が下すあなたの評価が一致しているとなおいいし、他人の誰よりも、あなたがあなた自身で下すあなたの評価が一番厳しいと、なおよろし。

モノヅクリをする、インディペンデントでやるのなら、そういうことが特に求められます。

16歳の誕生日の夜に、ドアを蹴破ってオレの部屋にずかずかと入り込んできて、ジャニス・ジョプリンのアルバム『パール』を差し出して、これ聴いてみ!と言った彼は、そのときから今の今に至るまで、オレに棲みついています。
そやつは、もうひとりのオレです。

時間もないし、こんくらいでいいやろ、と、甘えたモノをつくろうとしたら、そやつが、そんなんで恥ずかしくないの?と、詰め寄ってきます。
そやつは、オレよりも厳しいし、容赦ないし、オレも、そやつに認めてもらいたい一心で、モノをつくっています。
そやつ以外にも、オレには世界中で一番厳しい師匠がいましたが、その師匠が亡くなられてからは、オレを叱ってくれる唯一の存在は、そやつだけになりました。だから、こいつを手放すわけにはいかんので、オレは、頑張ってるわけです。歯を食いしばってるわけです。
師匠も厳しかったですけど、こいつも厳しいですよ。

さて、
飯島愛が引退しましたな。

板の上(舞台)で勝負できない。芸能界は非常に厳しい世界。目標や夢が見いだせず、頑張れないのなら生き残っていくことは不可能、と、引退の理由をブログに書いてましたが、正しく高い見識だと思いました。

今、テレビは、バラエティ番組にすっかり占拠されてしまって、一発芸とリアクション芸という、芸とも呼べないようなものを振りまわす連中と、私生活を切り売りする、いったいなんの資格を得てテレビに出ているのかわからんような連中の、オモチャになってしまいました。

飯島愛も、そういう人でした。
そういう人だったけれども、彼女には、その自覚がありましたね。
Tバックの女王(笑)で世に出てきたときも、私はお尻を出すことくらいしか出来ないから、と、よく言ってました。
謙虚でしたね。
謙虚であると同時に、自分をよく知ってる人だなと思っていました。

彼女のように自分を見つめられることはとても難しいですが、それ以上に、そのようにして見つめた自分を受け入れることは、もっと難しいことだと思います。果たして、これほど厳しい決断を自らに下せる人が、どれだけいるか。彼女もまた、自身の裡に、もうひとりの自分を棲まわせていたのかな、と思います。

ところで、大根役者という言葉があります。
刺身を食べるとき、剣にした大根を一緒に食べると、食あたりしません。そこから、当たらない役者→下手っぴいな役者のことを、大根役者というのですが、昨日、べつの意味もあるのだということを、ある人に教わりました。

役者も名人級になると、自分の色を消して、どんな役にもなれます。それが出来ない人は、どんな役をやってもその人の色になってしまい、それは存在感という言葉になって今ではかえって持ち上げられたりもするのですが、本当の名人は、そうじゃない、と。
で、どんな役をやってもその人の色になってしまうのだから、どこを切ってもおなじ真っ白の大根にたとえられて、大根役者。

飯島愛という人は、自分が大根役者だということをしっかりと見つめ、受け入れ、そのうえで自分の居場所をテレビのなかに見つけて活躍し、その場所がなくなりつつあることも見極め、受け入れ、決断を下したのだと思います。
大根役者だらけの今のテレビの世界にあって、そこに惑わされることなく、誰よりも厳しいジャッジを下せるもうひとりの自分を棲まわせていたからこその、正しく高い決断だと思います。

三遊亭円楽師匠も、今年の2月、進退をかけて高座に臨み、口演後、その出来に納得いかずに引退を決意されました。周囲の説得を振り切っての、引退でした。

ふたりは、芸歴も芸の質もまったく違うけれども、引退を決意するまでの、心の裡で繰り広げられた葛藤は等しいものだったんだろうな、と思います。

難しい言葉でいうと、
自分を相対化、客体化する、ということです。


今日は、ジャニスの遺作となったアルバムを。YouTubeは、そのなかに収められた小品。初めて聴いたころ、よく歌ってました。。


ジャニス・ジョプリン / メルセデス・ベンツ