2006年2月5日日曜日

『愛よりも強い旅』





やーっと、トニー・ガトリフの新作『愛より強い旅』を観てきました。
もう、公開も4日まで。ぎりぎり、滑り込みセーフです。しかも、朝10時からのみ。これ逃したら、アウトですから。

各地のレビューで絶賛されていたし、カンヌでも最優秀監督賞をかっさらった映画ですから、観るまえから傑作だということは、わかりきっていました。なによりも、ガトリフの映画なのですから。

これは、アルジェリア出身でロマ/ジプシーの血を引くガトリフ監督の、自伝的要素を含んだ作品です。ストーリーは単純。
アルジェリア移民の子でパリでの生活に違和感を感じ続けていたザノは、アラブ風の名前を持つが出自を隠している恋人のナイマを連れて、未知の故郷であるアルジェリアへと、自らのルーツを探す旅に出ます。
パリにはじまり、スペインのアンダルシア、モロッコ、アルジェリアを、音楽を携えて放浪する2人の、ロードムービーです。音楽とロードムービーとガトリフ、もう、オレのためにつくられた映画だとしか思えんくらいで。。

自らのルーツに深い関心を持つザノと、自らの出自を忌み、そのことに蓋をしてきたナイマの2人は、旅のなかで、放埒な性を謳歌する一方、心をすれ違わせていきます。

2人がアルジェリアへ向かう際にとったルートは、スペイン・アンダルシア地方を通って、ジブラルタルの海をわたり、北アフリカへ入る方法。
途中、ロマたちやアルジェリアからの不法労働者たちに出会い、歩き、野宿し、無賃乗車を繰り返す旅をするなかで、2人は今まで知らなかったお互いのことを知るようになります。
ザノは、革命の後のアルジェリアから引き上げてきた両親のもとに生まれるが、のちに交通事故で両親をなくしている。それ以来、アルジェリアへ行くことも、自ら音楽を奏でることもどこかで避けていたことなど。
ナイマは、アルジェリア移民の両親を持つが、自らはアルジェリアにいたことはなく、自らが何者であるかという問いに蓋をし、精神的な根無し草になっているということなど。

全編を支配しているのは、まさに、音楽でした。

2人はそれぞれにソニー製のMDウォークマンを持ち、ドラムンベースやブレイクビーツを聴きながら旅を続けます。しかし、音楽は共有されていません。共有されていないところに、2人の、自らのルーツへの向き合い方が違うということが、すでに暗示されています。

辿り着いたアンダルシア、セビリアで、2人はフラメンコと出会います。フラメンコは、アンダルシアを通り過ぎていったアラブ、スーフィー、ユダヤ、スペインの文化が、その血に住み着いた貧しいジプシーたちの元で発酵した音楽ですが、このフラメンコで、一見、2人は音楽を共有したかに見えます。が、心がすれ違ってしまうのです。

モロッコでは、夜露をしのぐバラックで、ライの演奏に聴き入ります。ライは、アラブのブルーズです。このとき、2人は音楽を共有していました。けれど、2人は歌には加わらない。2人と音楽が、一体化していないのです。

このあたり、音楽が隠喩の役割を負っています。
自らのルーツを巡る旅で、2人は、さまざまなルーツ・ミュージックに出会うのですが、どれも、傍観者としてしか、接することが出来ない。その音楽と、一体化することが出来ないのです。フランス化してしまった2人にとって、ルーツとは、望郷的なものではあっても、すでに喪われてしまったもの、なのだということです。事実、2人のウォークマンに収められている曲は、相変わらず、ブレイクビーツでありドラムンベースであり、テクノ・ミュージックなのです。

2人が辿り着いたアルジェリアは、大地震の爪痕が残る、無惨な街に変わり果てていました。実際、2003年にアルジェリアは大地震に見舞われているのですが、そのこと自体が、都市生活者にとってのルーツ=失われてしまったもの、という事実を、象徴的に表しています。

最後、アルジェリアに辿り着いたとき、そこでナイマを待っていたのはよりいっそうの疎外感、落ち着かなさでした。
両親が住んでいた場所を訪れ、両親を知る人々と出会い、涙を流し、過去と折り合いを見せたかに見えるザノに比して、神経症的な様相をよりいっそう増していくナイマ。その様相は、しきりに爪を咬むしぐさや、肌を覆い隠す布を乱暴に脱ぎ捨てる動作に端的に表されていました。

そんななか、2人はスーフィーの儀式に参加します。
霊媒師の女性から、ナイマは告げられます。あなたの魂は居場所がない状態だ。自らのルーツを、祖先を見出さねばならない、と。
それこそ、まさにナイマが常に求めつつもいつも逃げてきた、自らのアイデンティティを探る行為です。
霊媒師はスーフィーの儀式で忘我の状態になることにより、自らを見直すきっかけをナイマに与えます。
今まで辿って来た実際の放浪の旅ではなく、ある意味、本当の旅、精神の旅へとナイマは旅立つ…。

最後の、スーフィーの儀式は、10分以上も長まわしが続く、圧巻のフィルムでした。
ループされるスーフィーの音楽によって2人はやがてトランス状態に陥っていくのですが、これこそ、2人が常日頃から聴き続けてきたテクノ・ミュージック、つまり、ループ・ミュージックなのです。テクノ・ミュージックという都市生活者のための音楽と、スーフィーの儀式で使用されるルーツ・ミュージックのなかのルーツ・ミュージックが、じつは同じループ・ミュージックであるという事実!そして、どちらもが、トランスするための音楽であるという事実!
過去を探ることで、未来を見つけだす、端的な好例が、ここには描かれていました。

ストーリーは単純であっても、そこに詰め込まれている情報量は、ハンパではありません。
フランスにおける移民の問題、都市生活者のアイデンティティの確立の問題、汎地中海音楽を横軸とし、現代音楽と民族音楽を縦軸とし、それぞれがハイブリッド化しているという事実、音楽の聴かれかたの違い…、アクセス出来るポイントがいくつも用意されている映画です。

あぁ、これだけ書いても、まだ書き足りません。というか、なにも書いていない、なにも伝わっていないような気すらします。
まだ、この映画を観たあとの興奮が収まっていないのです。
そして、圧倒的な情報量を前にして、まだ消化しきれていないのです。

DVDが出たら、即買いです。サントラはすでに売り切れ状態。再出荷を激しく待っています。

今回は、マニアックに好き放題書いてしまいました。
じつは、まだまだ全然書き足りないのですが、いったんは、このあたりでお開きにします…。




Tony Gatlif / 『愛より強い旅 (EXILES) 』

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