2006年7月3日月曜日

近江商人に学ぶ





京都神社仏閣巡りもまだ半分も消化していないというのに、なぜか、心は、その奥の滋賀へ。
庭は京都、仏像なら奈良というのは定番ですが、滋賀にも素敵な仏像がわんさと眠っているんですよね~。延暦寺は滋賀県ですが、あそこは京都文化圏なので除くとしても、向源寺(渡岸寺)の木像十一面観音立像なんかは、死ぬまでに絶対に拝んでおきたい仏像ですわ。マスト・ミート・オア・ダイ!ですね。

そんなわけで、ぼちぼちと滋賀について調べはじめているんですが、やっぱ、目を引くのは近江商人。

よく、財を成した社長さんに会ってお話を聞くと、「しまつしてきばる」という言葉を耳にしてきました。
ざくっと言ってしまうと、金を貯めるのには倹約するしかないのだよ、ということですが、単なる倹約ではなくて、モノの効用を使い切るということですね。それにしても、この教訓、どれだけたくさんの人に言われてきたことか。

この教訓は近江商人の代名詞みたいになってるので、近江商人=ケチという図式がオレのなかではどうしても出来てしまっているんですが、もちろん、そんなもんですむはずがありません。それだけじゃ、名を成さんだろ(笑)

近江商人といえば、天秤棒を担いでの行商を思い浮かべます。
だから、富山の薬売りみたいなもんだと思ってたんですが、これも全然違った(笑)
天秤棒の中身は、商品じゃないんですね。
帳簿と現金、それと身のまわり品。
彼らは、これはと思った土地に出向いていって、そこで開店することを目的としていたんですね。
地元の有力者、たとえば寺院だとか庄屋さんとかの家に逗留し、信頼を得、やがては開店にこぎ着ける。取扱商品は、その土地のニーズに適ったものならなんでもいいってことです。つまり、自分を売り込んでいったわけですね。
これ、今の営業に通じる話ですね。優秀な営業マンは、商品の特性に頼ってセールスせずに、自分自身を信用してもらうことでセールスしますから、なんでも売れますよね。そういうこと。

それと、小売りだけではなく、卸業を本業としてましたね。
これ、知りませんでした。こうなると、おなじ行商でも、富山の薬売りとはかなり様相が違ってきます。
物販をしているのではなく、契約を取りにいったということです。だから、商売相手はエンドユーザーじゃなくて、小売店。
こうなると、おそらくですが、金融業もやってますね。

では、
自分(自社)を信用してもらうための心得とは、なにか。
有名なのが、三方よし。
売り手よし、買い手よし、世間よし、です。
売り手と買い手の双方がハッピーになるのが商売の本道ですが、世間のためになるものでなければならない、と。
なるほど。
たしかに、世間を敵にまわして潰れていった会社がいくつもあります。

人事制度も面白いです。
奉公人は最初は本宅のある近江で住み込みですが、やがて、遠国の出店に転勤になります。その間、女将さんが、本宅で読み書きからソロバンまで教えるんですが、その女将さんは、丁稚の適性を見抜き、出店に出すころには、この子はどこそこの出店がいい、と、勤務評定&人事異動を取り仕切るんだとか。
で、出店に出向くと、なかなか帰省出来ず、一般的に12歳で遠国の出店に出されるとして、最初の帰省(初登り)は5年後らしいですね。以後、数年旅に登り(帰省)が許され、これを繰り返して昇進していく、と。
この間、商売に向いていないと判断されると、解雇されたとのことです。
終身雇用じゃないんですね。実力主義の人事制度だったんですよ。これって、結構、驚きでした。
じゃあ、終身雇用というのは、いったい、いつから日本に根付いた制度なんですかね?
少なくとも江戸時代の武士は終身雇用だったし、近江商人が異質な考えの持ち主だったんですかね。

こうしたことは家訓として残っていて、いろいろな貴重な教訓が残されています。
「三里四方釜の飯を食うところに店を出せ」とかね。
釜の飯を食べるような、豊かな購買力のあると見込みをつけたところが開店地として有望であるという意味です。

「陰徳善事」。
人に知られないように善行を施すことです。陰徳はやがては世間に知られ、陽徳に転じるので、近江商人は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行なったとのこと。

一番驚いたのが、
「押し込め隠居」。
家業をおろそかにして道楽に走る当主が現れた場合は、後見人や親族が協議して当主を押込め隠居の処分にしたんだとか。積み上げてきた家財は、当主の私物ではなく、一種の法人財産と見なされたってことですね。こうした考えが江戸時代に確立されていたことに、ビックリです。取締役会で、出来の悪い代表取締役を解任するみたいなことです。


調べていくと、まだまだおもしろい話がいっぱいありそうです。
ありそうなんですが、お世話になっている社長さんたちから、かたちを変えて聞かされていることばっかりでもあります。
大阪は、やっぱ、近江商人の影響が大きいのかもしれません。




ワールドカップ日記
ポルトガルvsイングランド=0-0(PK3-1)
デコを欠いたポルトガル、ベッカムを欠いたイングランド。上がり調子のポルトガル、まだ本領を発揮出来ずにいるイングランド。それでも、前回のオランダ戦で壮絶な肉弾戦をやったポルトガルが、コンディションが原因で負けるのだろうと思っていました。ところがどっこい…。
試合自体は結構、凡戦。勝敗を分けたのはなんだろうか?
ポルトガルはC・ロナウドとフィーゴが絶好調で、イングランドはランパードとジェラードがついに爆発しなかった…、これに尽きるんですかねえ?
唯一の見せ場は、ルーニーの一発レッド! さすが、ルーニー!ってかんじで、笑ってしまいました。彼の悪道ぶりは誰もが知るところなので、8年前のベッカムのような扱いにはならないと思います。


ブラジルvsフランス=0-1
一向に状態が上がってこないブラジルと、ここへきてチームが上昇気流に乗ったフランス。戦前からフランス有利だとは思ってたんですが、ブラジルが爆発したらブラジルだし、そういう、予断を許さないなかで試合を見てました。
ブラジルは、なぜかアドリアーノを先発させず、ロナウジーニョを前線に。この布陣の意図がよくわからなかったのですが、これまであまり機能してなかったロナウジーニョをなんとか機能させようと苦心した末の布陣だったと思います。結果、これまで以上に機能しなかったロナウジーニョ。
一方で、フランスはジダンが最後の力を振り絞るかのように、コンディションを上げてきました。
結局のところ、フランスにはビエラとマケレレがいたけれども(そしてリベリ!)、ブラジルには彼らはいなかった、ということに尽きるのだと思います。
お互いのゲームメーカーの周りを衛星のようにまわって献身的に守備をしてくれる選手。この選手の有無が、勝敗を分けた。フランスのほうが、それだけチームとしてのバランスがよかった、ということです。
それにしても、ここでブラジルが敗退したおかげで、ベスト4は、すべてヨーロッパ。やっぱ、ヨーロッパ開催の大会は、どうしてもこうなるんですかね。ちょっと淋しいです。

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