2006年7月11日火曜日

ハーヴェスト・ムーン





1ヶ月の長きにわたったワールドカップが、ついに幕を閉じました。
サッカー・バカ世界一はイタリア、MVPはジダンでした。
それにしても、至福の1ヶ月でしたよ。
過去3大会を現地で観戦(日本戦は日韓大会のときに1試合のみですが)してきたオレにとっては、久々の、オールTV観戦となりました。

この、4年に1回というのは、人生の歳時記というか、マイルストーンのようになっていて、なにがしかの思い出がこびりついています。その大会、その試合を思い出すと、そのときの自分が置かれていたさまざまな状況が一緒になって思い出されるんですね。

12年前の94年アメリカ大会のときは、クソ暑いアメリカだったのにもかかわらず、初めての現地観戦ということもあって精力的に飛びまわってました。あの当時は今の36ヵ国参加ではなくて、24ヵ国参加の大会だったので、今ほど日程がタイトではありませんでした。なので、試合のない日にメキシコに遊びにいったり、いろいろ出来たんです。チケットがダフ屋経由でバンバン溢れていて、決勝戦を見ることが出来ました。ブラジルvsイタリアの世紀の凡戦でしたが、バッジョがPKを外したときの、バーにあたったカーンという鋭く乾いた金属音は、今でも頭のなかで鳴っています。考えてみれば、ワールドカップの決勝戦がPK戦までもつれたのは、このときと今回の大会だけ。もっとも、試合内容はまったく違いますが。

オヤジが亡くなって、それまで住んでいたペルーから帰ってきて、ペルーで生活するか日本で生活するか、迷いに迷っていました。その合間を縫っての、ワールドカップ観戦でした。
アメリカで大会観戦を終えたあと、ペルー、ブラジル、キューバ、ロシア、ギリシャ、タイ経由で1ヶ月くらいかけて帰ってきました。ほとんど世界一周です(笑) 安いチケットがあったんですよね。

98年フランス大会は、日本が初出場したこともあって、チケットをとるのが熾烈だったのを覚えています。結局のところ日本では買えず、フランスの友人に頼んで、買いました。決勝トーナメントのベスト16から準決勝まで6試合を観戦。フランスが勝ち進むにしたがって、それまでサッカーに関心があるとは言いがたかったフランス人が盛り上がりを見せていったのが感動的でね、優勝した夜にそれが一気に爆発しました。いや、あれは感動的な風景でした。

フランスでは、再会を果たしたかった人がいましたが、叶いませんでした。

02年日韓大会。地元開催のためにアジア予選を免除された大会でした。しかし、あの、ジェットコースターのような感情の起伏を味わえる予選がないのは、淋しいもんですね。いろんな意味で、予選を闘ったほうがいいと感じた大会でもありました。
地元開催なので、チケットを手に入れるのは、ほぼ絶望的でした。ありとあらゆるコネを使ってスポンサー・チケットを奪取してましたね(笑) おかげで、日本が初めて勝利したロシア戦など、合計4試合をスタジアム観戦。神戸でロナウジーニョも見ました。全部、招待チケットで観戦しました。
ただ、いろんな国の代表のキャンプ地を訪れることが出来たのは、地元開催ならではのよさでもありました。和歌山でキャンプを張ったデンマークとかね。
大会直前のテストマッチもいくつか見ることが出来ました。ベッカムは大会直前にケガしてましたけど、テストマッチのときは試合後にひとりだけピッチに出てきてリフティングしたりして、観客を楽しませてました。

仕事が忙しすぎた時期でもありました。引退して、隠遁生活を送ろうかと本気で悩んでいる時期でもありました。事実、ワールドカップ観戦に向けて、すべての仕事を打ち切ったんですよ。あの年の6月、一切仕事しませんでした。
いろいろと悩んだ末に、また仕事を続けることにしたんですが、今でも、あのときに引退していたらどうなったかなと夢想することがあります。

それ以前のワールドカップにも、もちろん、なんやかんやと思い出がこびりついてます。
マラドーナの大会だった86年メキシコ大会、守備的なサッカー全盛&暑さで退屈な大会になった90年イタリア大会など。

ワールドカップ本大会だけじゃない。
ドーハの悲劇のとき、オフトが初の外国人監督として代表監督に就任したとき、ジョホール・バルで初出場を決めたとき、木村和司が伝説のフリーキックを決めたとき、カズが帰国したとき…。

まあ、いろいろあります。
そーいえば、ワールドカップ毎に、付き合ってるおねーちゃんが違います(笑)


今回のワールドカップで印象に残ったことを少し。

まず、守備力が問われた大会でありました。
守備的というわけではなく、強い守備、攻めるための守備、積極的な守備、高い位置からの守備がきちっと出来ているチームが多かったですね。そのうえで攻撃力を持っているチームとバランスの取れたチームが上位に進出してきました。
なので、得点の少ない大会だったけれども、ちっとも退屈じゃなかった。逆に試合は締まったし、スピーディーな試合が多かったですね。

そういう大会である、ということを最初に印象づけてくれたのが、アフリカ勢でした。
攻撃と個人の身体能力のすごさに比べて、守備に難があるのがアフリカ、ゆえに勝てないのがアフリカ、とうのがこれまでのアフリカでした。でも、アフリカはすっかり新旧交代が行なわれていたんですね。かつてのアフリカの代表格だったナイジェリアやカメルーンが今回、本大会に出てこなかった意味が、初参加組を見ていてよくわかりました。次の南アフリカ大会に向けて、アフリカは強くなりますよ。

ただ、フランスの強さは…、どうなんだろう。
フランスは、たしかに強くなりました。でも、かつてのシャンパン・サッカーと呼ばれたころの、華麗なパスまわしはなくなりましたね。あの美しさと引き換えに、フランスは強くなったように思います。問題は、それでいいのかどうか。今回の準優勝を、フランス自身がどう評価するのか、それを見てみたいと思います。

新星に期待が寄せられた大会でもありましたが、実際には、ベテランが最後の輝きを放った大会でもありました。フランスのジダン、マケレレ、テュラム、ポルトガルのフィーゴ、パウレタ、イタリアのデル・ピエロ、トリニダード・トバゴのヨークは、じつにじつに渋い輝きを放っていました。そして3位決定戦に出場したカーンも。今回輝いたベテランの選手たちは、背負っているものの重さ、紡いできた物語の量で、今大会でスターになると予想されていた選手たちを圧倒していたように思います。ひとつひとつのプレイに込められている情報量が、他の選手とはまるで違って見えました。

新たな発見は、フランスのリベリ、ドイツのシュバイツタイガー、ポドルスキ、イングランドのレノンくらいですかね。
アルゼンチンのメッシやブラジルのシシーニョ、イングランドのルーニー、スペインのセスクは輝けなかったし、ポルトガルのC・ロナウド、ブラジルのロビーニョ、オランダのロッベンはすでに世界デビューしている選手です。

アジア勢は全滅でした。韓国がわずかに染みを残したように思いますが、イラン、サウジアラビア、日本はなんの印象も残さずにドイツのピッチを去りました。セルビア・モンテネグロ、コスタリカ、クロアチアも同様。

日本代表のことは、以前にも書いたので、ここでは繰り返しません。
さまざまないきさつを超えて、オシムには期待したいです。
日本が初めて迎える名将は、この国のサッカーにどのような道筋をつけてくれるのか。非常に楽しみです。
個人的には、三浦カズが、少なくとも1回は代表に呼ばれるような気がしています。

何年か先で、今回の大会をどのように振り返るでしょうかね?
mixiで盛り上がったな、なんてことを振り返っているかもしれません。
まだ日本代表が全日本と呼ばれていたころ、代表のシャツがブルーじゃなかった頃、サッカーで盛り上がれる友人は、ほんとにわずかでした。海外では、見知らぬ人たちとその場かぎりのサッカー談義に花を咲かせていました。
日本にプロリーグが出来、ワールドカップに出場し、決勝トーナメントに進出することが現実的なノルマとなり、居酒屋で職場で隣近所で、いつでも誰とでもサッカー談義に花を咲かせることが出来るようになりました。その代償として、ワールドカップのチケットを入手することが現実的にはかぎりなく不可能に近くなってしまったけれども、でも、今のほうが全然嬉しいですよ。
そして、ブログやmxiの出現のおかげで、話し相手は無限に広がりました。こうしたツールがサッカー世論を形成するところまで来たとも思っています。

何年か先で、そういう現象面のことを振り返りつつ、個人的なキャリアでは、なにを思い出すのかなあ。
今はまだ、放心状態で、心地いい疲労を味わっています。

今晩、満月ですね。季節外れの、ハーヴェスト・ムーンです。

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