2006年7月4日火曜日

みっともない引退劇

中田英、引退しちゃいましたね~。

代表はこれが最後かもって匂わせていたけど、まさかサッカー選手そのものを引退するとは!

なんか、テレビの速報で流れ、号外まで出たらしいですが、オレは全然知らなくて、報道ステーションのオープニングのニュースで知りましたよ。
自身のHPで発表されたらしいですが、報道ステーションでは、中田英が書いた結構な量の引退声明文を、全文、読み上げてましたね。

中田英が29歳で現役を引退しちゃうのは、日本のサッカー界にとっても損失だし、彼のキャリアを考えてもすごくもったいないとも思うんですが、まあ、それは、彼が決めたことだから、誰がなにを言うこともありません。

ただ、一連の報道を見ていて、みっともない引退劇だなあ、と思ったのも事実。

引退声明文には、
彼がどのような思いでサッカーに取り組んできたのか、
プロ選手としてどのような覚悟で過ごしてきたか、
理想と現実とのギャップに悩まされ続けてきたこと、
ブラジル戦終了後にどんな感情が込み上げてきたのか、
などが、長々と綴られていました。

彼は、日本のメディアの不誠実さに気づき、早くから自身のHPを持った人でした。アスリートがHPを持つ先駆けでした。
それは、ある種の自己防衛でもありました。
でもなぁ、
自由に発言出来るメディアを手に入れたというのは、彼にとってはマイナスのほうが大きかったかもしれません。
言うまでもなく、プロ・アスリートの表現の場は、競技場です。
彼は、引退声明文に書いたようなことを、すべてピッチ上で表現してきたはずです。
それは、伝わる人には伝わるだろうし、伝わらなければ、さらに熱いプレーをしていくしかありません。
黙して語らず、ではありません。
彼には、全世界が注視するなかで、ピッチ上で、自身のすべてを表現出来る場がありました。
それだけの場を持ちながら、まだ、言葉でなにかを補足するようなことをしたいのか? ということです。

オレがカネを払ってでも見たいのは、彼のプレイであって、彼の言葉にはなんの興味もありません。
HPを見れば、いろいろと載っているんですが、彼のお勧めの本、彼のお勧めのレストラン、彼のお勧めの音楽…、サッカーのことももちろん充実していますが、それ以外の、サッカーとは関係ない情報も、たくさんアップされています。
そんなの、要らない。
要らないうえに、みっともない。

ブログが発達して、いろいろなことが変わりはじめています。
たとえば、本を出すということ。つまり、世間に向けて発言するということですが、これには資格が伴うと、オレは考えています。
たとえば、自分が書いたものを、自分の出版社から発刊する。
これは、反則です。反則である以上に、みっともない。
なぜなら、そこには、第三者のチェックがないからです。
自分以外の誰かが、これは世に出してもいいよ、これはぜひとも世間に知ってもらいたい、と思い、本にするためのカネを出してもいい、と、そういう資格を得て初めて、本は世に出ます。
でも、ブログやHPには、そうしたチェック機能はないですね。
だからこそ、自己満足の価値も意味もない表現が垂れ流される。
それでもブログにはべつの意味があるし、誰でもが気軽に思ったことを書ける敷居の低さは大きな力を持ちえます。ブログには、ブログの意味も意義もあります。

でも、
中田英には、HPよりもなによりも、全世界が注視するピッチ上での表現が許されていました。彼にとって、そこに勝る表現の場なんて、ないはずです。
なのに、そこに言葉を重ねる。屋上屋をつくるようなもんです。それも、みっともないものを。

その、みっともないものを、全文報道する報道機関って、なんですか?
中田英は、疑いようもなく、日本サッカー史上、もっとも優れたサッカー選手です。でも、それ以上でもそれ以下でもありません。
報道は、彼の引退の事実を報道し、そのもととなったHPの引退声明文の要約を伝え、足跡を辿るだけでいいはずです。
少なくとも、メディアが検証するべきことは、彼のプレーであって、彼の言葉ではないはずです。



引退と言えば、これですかね?
結局、復活しちゃいましけど。中田英も、引退を撤回して復活することを願って…。

Cocco / 雲路の果て

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