2006年12月7日木曜日

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

ふう~、特急仕事の突貫工事、無事に終了。
ただでさえ忙しい12月に余計な突貫工事が割り込んでくると、エラい目に遭いますな。

といっても、mixiで遊べないほど忙しいわけでもなかったのですよ。
徹夜徹夜といってもそれはいつものことだし、なんだかんだで深夜4時には仕事を終わらせてたので、まあ、とんでもなく忙しいというわけでもない。ちゃっかり飲みにも遊びにも行ってたし(笑)

なんかね、mixi、あんまりやる気にならんかったんですわ。書きたいことがないわけではないけれども、気分が乗らないから書かないだけ。

いつもは仕事で複数のウインドウを立ち上げ、複数のソフトを起動させ、賑やかにやっているけれども、ここ数日は、mixiにログインすらしてませんでした。
何人のかの方が、忙しいのか?とか、日記を書いて!とか、いろいろとメッセージをくれたのだけれども、それもスルーしました。
mixiはオレの仕事ではないし、慈善事業でもないし、趣味ですらなく、単なる息抜きなので、忙しくて書かない日もあれば、忙しくなくても気が乗らなくて書かない日もあるのですよ。
なので、気にかけてくださる方には、それはそれでありがたいし申し訳ないなとも思うのですが、オレも子供じゃないので、そういうご配慮はなさらぬよう、よろしくです。

さて、その間、なにをしていたかと言いますと、じつはやっぱり忙しかったのですね。
仕事の合間合間に、将来の身の振りかたについて、考えていたのでした。

この夏くらいから漠然と考えていたのだけれども、いろいろときっかけがあって、猛烈に考えるようになったのでした。そのせいで、mixiやってる時間も気力もなくなっちゃったんでしょう、きっと。

オレは大学をプイと辞めて、20歳から売文屋として商売してきたわけですが、そっから現在に至るまで、売文屋だけじゃなく、企画もすれば企画の製作もするし、デザインもすれば撮影現場を仕切ることもするし、予算がなけりゃ自分でカメラを持つこともスタイリストの真似事することすらあります。印刷工場の職工さんに口を出すことすらありますな。オフセットの機械、操作出来るし(笑) だから、印刷物と名のつくものならなんでもするし、今じゃweb製作だってやってる…。そこへきて、商売が好きだから、いろいろと仕掛けていくことも好きだし、一方でクリエイターでもあるわけで、モノヅクリの現場にも相変わらずウロウロしてるし。しかも、その守備範囲は、右足は商工会議所で左足はアメ村に突っ込んでるってくらいに、広いわけです。そのうえで、アマゾンで農場経営もやってる(笑)
女子高生のコギャルを取材して、市町村のトップの会議に出席して、アーティストと打ち合わせして、銀行とカネのやりとりで丁々発止して、風俗店の求人広告つくって、農場栽培のレポートつくって…、なんてことを、1日のうちにやったりしてるわけです。その合間に、寺に昼寝に行き、相方さんと遊ぶ…。
出版社と編集プロダクションと広告代理店とビジネス・コンサルタントと農場経営と貿易業と、1人で6役やってるみたいなもんですわ(笑) そりゃ、忙しいはずだわ、と、我ながら思うけれども。
たぶん、日本中探してみて、オレみたいな業態で仕事をしている人って、いないんじゃないですかね。少なくとも、オレは、オレみたいな業態で仕事をしている人を見たことがない(笑)

どれもね、おもしろいからやってるわけです。やりたくて、どれもやってきたわけです。
だから、しんどいことは全然ないし、24時間やってろ!といわれたら、やるんでしょうね。

よくね、何屋さんなの?と、聞かれるんですよ。
そんなの聞いてどーするんだ?と、オレは思ったりもするんですが、まあ、わかりやすさというのはひとつの価値ですから、そうなるんでしょうね。
でも、初対面ならともかく、一緒に仕事をしたこともある人がね、オレのアイデンティティを確認するかのごとく、何屋なのか?と、問うてくるほどに、いかほどの意味があるのか…。
その人との仕事で、オレがライターとしてかかわれば、その人にとってはオレはライターさんでしょう。デザインをすれば、デザインを書いて文章も書くことの出来る人ってことでしょう。それ以上でもそれ以下でもないと思うんですけどね。
いくらオレが、ライターだ!と叫んだところで、オレの仕事を見て、あんなもんライターの仕事じゃない、と判断されたら、それまで。
だから、何屋さんか?と問われても、その人が見たものが、オレの職業ですとしか、言いようがないじゃないですか。オレのアイデンティティ? 知ってどーする(笑) んなこと、オレだって知らない(笑)

話はとめどなく横道に逸れていきますが、じつはここまでは、前置き。
そして、なにを書きたいのかも、じつはまだ定まっていない状態で(笑)

えーっと、まあ、そうやって仕事をしてきたわけです。
んでね、今、40歳なんですよ。来月で41歳。
実年齢よりも若く見られることがほとんどなのだけれども、それはきっと、しなければならないことには一切見向きもせずに、したいことだけをしてきたことと、常に若い人と接してきたからこそなのだと、思うわけです。
年齢的にね、行政レベルの仕事をしていくほうがギャップが少ないし、でもオレは、サブカルチャーが大好きだし、若い人と触れ合うのも大好きなので、そっちの仕事もしていきたいのですよ。

ところが、だ。
この3、4年かな、ネットを中心とした物事の変化のスピードのあまりの速さに、ちょっとついていけなくなってきてるんですよね。
そのため情報収集に汲々としてしまっていて、それだけで結構な時間をとられちゃう。そこのさじ加減は割合と難しいのですが、それでもそれは、経験則でなんらかの方法を見つけるだろうな、と、自分では思っています。
問題はそんなところにはなくて、若い連中がおもしろがっていることが、オレにとっては、だんだんとおもしろくなくなってきていることなのですよ!
昨日今日出てきた連中の音楽で、心を動かされるものは、さっぱりありません。
若手芸人? おもしろいと思ったことがない…。
新しいビジネススタイル? 驚愕したのは、googleがやってることくらいです。
新人漫画家、小説家、詩人、絵描き…、興奮した人は…、やっぱ、いないわ。
そんなかんじなのですね。

これがね、いち個人としてみた場合、全然問題じゃないんです。
おもしろくないんだから、オレには関係ないから勝手にやってくれ、でいいんです。
でもね、職業人としてみた場合、これはちょっと由々しき問題だな、と思うわけです。
軸足をね、社会的に年齢相応の場所に移せば、それでもいいんですが、それだとね、おもろくないんですよ。
毎日毎日ネクタイ締めてスーツ着たオッサンと顔つき合わせて、カタい話ばっかりなんて、やだわ。
どっかの参与や顧問に迎えられるのなんて、もっとイヤだし。
そっちに軸足を移したいと思うときがきたらそうするだろうけれども、今は、そんなこと思いません。

そういう状況でね、3年先の目標を像として結べていないのが、ここ最近、悩みの種なのですよ。
中長期の目標が立てられないから、短期の目標が立たない。
このままのんべんだらりと惰性で仕事をしていくしかないのなら、こんなアホらしいことはないですしね。

で、さてどうしたものかいな、ということを、いろいろとシュミレートしつつ、漠然と考えていたんですね。

そういう折り、出会ったのが、今、マイミクさんの寧楊さんで。
ようやく本題に入りつつあります(笑)

寧楊さんは、オレのマイミクさんのmomoさんのマイミクさんで、今年の時代祭のときに、momoさんが引き合わせてくれたのでした。
ひと目で大好きになって、そのあたりのオレのはしゃぎようは、何度かこれまでの日記でも触れたので苦笑されている方もいらっしゃるでしょうが、なんちゅーかね、久しぶりに、出会ったな!っていう感覚を感じたんですよ。

んで、家が近いこともあって、何度かお会いして、オレはすっかり寧楊さんになついてるんですが、そうするなかで、じつは彼女も、将来像を模索していることを吐露されて、それがきっかけになったんです。

漠然と考えていたことを、真剣に考えるようになったわけです。
ここ数日、mixiにログインすらしなかったのは、忙しい仕事の合間を縫って、3年先のシュミレーションを、あらゆる角度からやってたんです。
ただ、どの角度からシュミレートしてみても、あんまりおもしろい地点に行ける道筋が、見つからないんですよね。だから、答えはまだ出てないんですが。

出てないのだけれども、
ひとつ、再認識したことがありました。

それは、じつはもうひとつのきっかけがありましてね。

えーとね、藤原和博さんが書いた『リクルートの奇跡』がいつのまにか文庫化されているのを本屋さんでたまたま見つけて、単行本でも読んだのですが、今回、文庫を買って再読していたんです。
オレは成功のケーススタディにはほとんど興味がなくて(成功要因はたいていの場合いろんなことの複合なので、あまり参考にならんのです)、読むとすれば失敗したケースタディの、なぜ失敗したのかというほうに興味があるのですが、この本だけは別。
まず、オレも長いことリクルートにかかわってきたので、リクルートの成長物語であっても、その裏の失敗も山ほど知ってますから、これはリアルにわかる話なので。第一、知っている人がいっぱい出てきます。

ここでリクルートの話などに触れていたら、この日記は際限なく長くなっていくのですが、行きがかり上、触れないわけにはいきませんな(笑)

オレの、社会人としての出発は、リクルートと縁を持ったところからはじまるんです。
べつにリクルートの社員でもなんでもなく、最初に開いたコピーライターの事務所で、売上の70%以上占めていたのが、リクルートの仕事だったんです。
今から20年もまえの話だけど、おもしろい会社なんですよ。社員も契約社員もアルバイトも、オレみたいな取引先までが、平等に扱われていてね。上から下まで、役職で名前を呼ぶ人は誰もいなくて、全員が、さんづけ呼んでるし。
自分が社会に出た一番最初の時期に、黄金期を迎えようとしていたあの会社とかかわりを持てたことは、今振り返ってみても、とんでもなくラッキーなことでしたね。オレの会社観というものはそのときに決定づけられたし、自分が会社を興すたびに、会社を経営するたびに、どれほどの知恵を、あの時代に学んだものから取り入れてきたことか。
以降、7000~8000社ほどの会社とかかわりを持ってきたけれども、今もって、あの時代のリクルートに並ぶほどの魅力的な会社に出会ったことは、ないです。

会社の財産は、人であるということ。
そのために、採用には、狂っているとしか思えないほどの予算を注ぎ込みます。
1人を採用するのに、800万円ほど注ぎ込みますから、あの会社は。1000人採用したら、80億円ですよ。そういうカネを、人材を確保するためだけに、注ぎ込む会社です。
当然、最優秀の人材が来ます。
アルバイトをとるのだって、2次面接までして、最終面接者は支社長ですから。
人がいれば、事業は後からついてくる、そういう会社なんです。しかも、それを、強烈に実践してきた会社。全社員がリクルーターだし、優秀な人材を引っぱってこない社員は、それだけで評価が下がります。
そこが、最優先の会社。

いや、こんなことから書きはじめていたら、それこそ藤原さんが1冊の本にしたように、1冊の本が出来てしまうから、話は大幅にはしょらざるをえないんですが…。
えーっと、なにが言いたいんだっけな?(笑)

リクルートには見えない財産が無数にあって、たとえば、
そのなかのひとつに、社会に対して常に独自性のあるユニークな情報システムを創出し、世に問うことを仕事にしている誇り、とでも呼ぶしかないプライドのなかで、多くの人が仕事をしている点が挙げられます。
給料だとか人事だとか、そういうところにはほとんど関心がいかない会社でした。
んで、そういうことを誇りに持って仕事をしているのがリクルートとかかわった人間だから、誰しもが経営者感覚を求められるんですが、それにしたところで、闇雲に求めたところで生まれるものでもなく、それこそ超優秀な人材を狂気とも思える予算を突っ込んで確保し、そのうえで、経営陣の親類縁者を一切入社させず、社員持株会を筆頭株主にするところまで、徹底してましたね。
ダイエーに買収されたとき、そのフェアネスが損なわれることを怖れた社員たちが立ち上がって、リクルートの企業風土を守ろうと躍起になったんですが、それも頷ける話で、そこが損なわれたら、この会社は、たちまち地に落ちてしまったでしょうね。そうなれば、優秀な人材ほど真っ先に抜けていくでしょうから。とにかくね、人事だとか給料だとか、そういうことに関心が向く人がほとんどおらず、多くの人が、お客さんのほうを見て仕事をしてきた、そういう会社だったんですわ。
飲みに行って、社内の話をするよりもはるかに多くの時間をお客さんの話をしているような会社。
うん、誇りのなかで仕事をしてきた人たちの集まりだったですね。

そのつぎ、これまたスピリッツの話になるんですが、
この会社の古い社訓に、
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というのがあるんです。

創業者の江副さんが考えた社訓ですが、今に至るまで、オレの仕事観の中心に近いところを貫いています。
ずーっと、それを実践してきたからこそ、今のオレの仕事は、何屋か?と問われるほど守備範囲の広いものになってしまったわけだけれども、そのことをね、今回、藤原さんの本を再読して、思い出したんですよね。

おもしろくないのなら、おもしろくすればいいんや!って。
ちょうどね、寧楊さんと出会ったことと、この本を読んだことと、時期がピッタリ重なってね、そうだそうだ、機会をつくろう、そういう機運だわ、と、確信出来るにいたったとのが、今日(笑)

今、さっそくいろんなことを仕込みにかかってます。
来年、動きますよ!

そんなわけで、すっきりしたことだし、mixiの日記もぼちぼちと書いていくのでした。


たった今、これ聴いてます。やっぱ、かっこいいわ☆


ani difranco / Pick Yer Noise

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