2006年12月20日水曜日

除夜の鐘と煩悩と


除夜とは、旧年を除く夜という意味で、12月31日の大晦日の夜を言います。
この夜、除夜の鐘を108回、撞く。
除夜の鐘を撞き、その音を聞くことによって、この一年のうちにつくった罪を懺悔し、罪をつくる心を懺悔し、煩悩を除き、清らかな心になって新しい年を迎える行事だということは、まあ、誰もが知ってますな。べつに、姫納めと姫初めの日にしても、いいんですけどね(笑)

ところで、人には108の煩悩があると言われています。煩悩とは、愛着、執着のことで、自分にとって離しがたい、捨てがたい感情や感覚のことです。我ながら、それは常々思うところで。

それではなぜ、煩悩は108なんですかね? ウロ覚えだったので、ちょいと調べてみました。

その数えかたには、次のようなものがあります。
まず、人間の身体全体の働きを表すものとして、六根があります。六根は、眼、耳、鼻、舌、身、意の6つであり、それぞれに好、悪、平の3種があり、6×3で18個。
次に、人身に入って本来の清らかな心を穢すものとして、六塵というものがあります。色、声、香、味、触、法の、これも6つがあり、それぞれに、苦、楽、捨の三受があるので、これも6×3で、やっぱり18個。
以上をすべて足すと,36個になり、この36個は、三世 (現在、過去、未来) のすべてにわたって存在するから,36×3で、108個。
これが、煩悩が108ある由縁ですわ。ほとんどこじつけのような話ですが…。
こじつけと言えば、四苦八苦→4×9+8×9=108というのもありますが、あれこそまさにこじつけ(笑)
んで、それらを、除夜の鐘を撞くことによって,取り除いてしまおうというのが,除夜の鐘の行事です。

さて、除夜の鐘といえば、なんといっても知恩院のそれが有名です。TVでも、毎年、「ゆく年くる年」で中継されてま。(今もやってるのかしら?)
試し撞きまでがニュースになるけれども、もっとも試し撞きそれ自体が歳時記のようなものです。

知恩院の鐘の撞きかたはかなり独特で、親綱を持つ僧1人と子綱を持つ僧16人で撞木に勢いをつけ、親綱の僧の、「えーい、ひとーつー」の掛け声で、子綱の僧が、やはり「えーい。ひとーつー」と応え、そのあとに「ひとーつー」と声をあげながら、手を緩め、親綱の僧が綱にぶら下がり、撞木の勢いをさらにつけて、鐘を撞く。全体重をかけて、鐘木を鐘にぶつけるのだ。撞いた瞬間に、鐘の音が大きく京都中に響きわたります。
鐘を撞く僧は、命がけというほど大げさではないものの、親綱を離すとどこかへ吹っ飛んでしまうので、大変です。失敗すると恥ずかしいだろうし、無論、そうならないように練習するための試し撞きなのでしょうが、なんせ、70トンはあろうかという鐘ですからね。
僧侶にとっては、鐘を撞くことは修行でもあるけれども、ハレの舞台でもあるわけですね。ここで鐘を撞くこと自体が、選ばれることですから。

知恩院の鐘は、1636年 (寛永13年) に鋳造されたものですが、あまりの重さに、鐘を吊るための環が何度も壊れ、刀匠村正・正宗によってようやく吊るすことが出来た、という話も残っています。その撞木は、長さ4メートルの代物。
なにもかもが、桁外れにデカいですな。

最近は、初詣といえば地元の天満宮に行くことが多いので、知恩院はおろか清水寺にも行ってまへん。
あ、でも、除夜の鐘はお寺さんで、初詣は神社か…。

ほいで、なんでこんなことをツラツラと書いているのかというと、じつは来月、オーストラリアに出張になりそうなんですわ。ほんまは今月アメリカのロスに出張予定があったんですが、それはなんとか逃げ切りました。でも、来月のオーストラリアは、きっと行きます。
きっと行くんですが…、問題は、
オレ、これまでに行ったことのある国は108ヶ国なんです。そこでストップさせてるんですわ。これ以上増えると、煩悩を超えてしまうんで(笑)
オーストラリアは未知の国。行くと、109ヶ国目になってしまいます。
さて、どーしたものやら…。


最近、こればっかり聴いてます。

Jane Birkin / Erisa

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