2006年12月15日金曜日

夜の音楽


夜の音楽、というジャンルがあります。

夜の静けさのなかで着想された、夜の感覚で音を表現した、夜の孤独者にふさわしい音楽、というほどの意味ですかね。ショパンやフォーレが、そういう微妙な音楽をよく書きました。マーラーの第7交響曲も、夜の音楽としてつくられています。バルトークは、ルーマニアの山村の、深い夜のしじまのなかに聞いたカエルの声から、神秘的な彼の夜の音楽を作曲しました。けっして、尾崎豊がどうとかという話ではなく(笑)

夜の音楽は、不思議なジャンルです。

人々が寝静まって、あたりは深い静けさに包まれる。人間の意思や欲望が掻き立ててきたノイズが消え去ると、かわってそこには、べつの種類のノイズ、自然の内部から湧き上がってくる、たくさんの微妙で、豊かな音楽が、聞こえてくるようになります。しかし、夜のなかで人は眼が見えないから、それがどこから、また誰からやって来る音なのか、わかりません。
そのために、夜のしじまの全体が、この複雑で微妙な音を奏でているような気がするのですね。
人はその体験をもとにして、夜の音楽をつくります。かすかな震え、いつまでも続くかと思われる反復のなかから発生する微妙なうねり、最小限度の要素だけから生み出される、宇宙にも匹敵する複雑さ…。

夜の京都の庭で聞こえてくるのは、このような夜の音楽です。百鬼夜行の音楽とは、まさにそのような音楽です。

京都には、ナマのままの自然は存在しません。どんな小さな自然でも、そこでは、人間の精神によってたわめられ、手を加えられなかったものはありません。
庭園の設計者たちは、ナマのままの自然から、最小限度の要素だけを取り出し、宇宙と生命のすべてを表現してみようとしたわけです。

一面に敷きつめられた砂、その砂の表面に、反復する模様だけが描かれている。月明かりのもと、その反復のなかから、微妙で、豊かな音楽が発生してくる。静かに、渦が巻き起こり、空気がうねっていくような、眼に見えない動きをはじめる。そうすると、さらさらの、抽象的な砂だけでつくられた庭が、精妙な生命を持つもののように、感じられてくる…。
そんなかんじです。

また、べつの庭では、地面を覆い尽くす苔が、あたりをふかふかの緑に変えています。隠花植物である苔には、花はありません。そこでは、生命の花は、眼に見える植物の表面にはあらわれては来ず、見えない生命の内部空間に咲きだします。
そのとき、夜の庭にいて、無数の苔に囲まれたオレは、生命のあでやかな花を見るのではなく、まず、聴きます。表面の彩りは否定され、そのかわりに、植物の内部からは、生命が華麗な夜の音楽に姿を変えて、庭のすみずみまでを充たしています。

京都の町中の、市民の芸術家たちも、負けてはいませんね。
彼らは禅宗庭園を造ります。この抽象の原理を、騒がしい町のなかに持ち込んで、もっと現世的な魅力を持った、彼らの庭を造り出してきました。家並みのひしめきあう京都の町屋の内側に、市民は小さな坪庭を造ってきました。

坪庭は、町屋のパテオに出現する、一種の空中庭園です。
夜、柔らかい灯りに照らされて、その小さな庭は、家屋の中央に、すっぽりと抜けた空虚をつくり出します。そして、この空虚のまわりを、人間の生活の暖かさや賑やかさが、ぐるっと取り囲みます。水を含み、静かな音楽に満たされている小さな庭が、人間の暮らしの中心に、無を穿ちます。
京都の町は、いたるところにこのような小さな無を穿たれることによって、軽さを身につけることが出来たように思うのです。

この軽さは、夜の音楽に特有のものですね。
夜の音楽では、人間的な感情が大きく盛り上がったりはしないし、意思や欲望の強さによって、あたりが息詰まる感覚に充たされることもありません。そこでは、自然にフィットしてつくられた生命たちが奏でる、微妙な音楽があたりを包み込み、人間の世界の騒々しさを、気化してしまいますから。

もしも都市が、人間の意思や感情だけで造られているとしたら、京都のような狭い空間に開かれた都市は、すぐに息が詰まってしまっていたと思います。
ところが、ここでは、いたるところに庭があり、そこでは抽象的な砂だとか、植物の見えない内部空間から発生する微妙だとか、家屋の中空に穿たれた無だとかから、夜の自然の音楽が、生まれています。

そして、静けさと、反復の美と、なにかが月に向かって立ちのぼっていくような感覚に充たされた、この夜の音楽は、この世界がすべて人間のものなどではなく、ここは大いなる流れのただなかに浮かぶ浮世にすぎないという事実を、人に告げようとしているように、オレには思えてなりません。

この、どうしようもない諦念こそが、侘びや寂びの本質か、と、近ごろ思ったりします。
今日、ジェイムス・ホイッスラーの画集を見ていたのですが、ふと、そんなことを思いました。
彼の絵画もまた、夜の音楽の様相を呈しています。


Van Morrison / 『Enlightenment』

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