2006年12月14日木曜日

有罪無罪を問うまえに


Winny開発者に対する判決が出ましたな。


著作権法違反(公衆送信権の侵害)幇助罪に問われ、求刑が懲役1年で、判決は罰金150万円。。。
被告は即刻控訴し、原告の検察も量刑不足で控訴を検討中だとか。
被告、原告の双方から不服を申し立てられる判決って、なんじゃらほい!ってかんじですが。。。

被告は、
開発した技術を頒布し、そのことで見知らぬ第3者が違法運用したことまでが罪に問われるのなら、リスクが大きすぎて技術者はなにも開発が出来なくなってしまう、と言っています。
要するに、包丁をつくった人は、見知らぬ第3者が包丁で殺人を犯した場合、殺人幇助の罪に問われなければならないのか、と言っているわけです。

原告は、
著作権侵害目的で使われることが大であると認識しながら開発し、頒布したのだから、幇助罪にあたる、と。

そして地裁の判決は、
双方の言い分に配慮するかたちのものになりました。

2ちゃんあたりでは、被告の言い分に分があるとする意見が、圧倒的ですね。もっとも、2ちゃんに書き込みしてる人たちは、Winnyのヘビーユーザーだから、そうなるのも当然でしょうが。

結局のところ、問われているのは、技術者のモラリティです。
ある技術を開発するとき、それが世のなかに与える影響を、技術者がどこまで考慮しなければならないか、ということです。

技術者はそこまで責任を負わされるとリスクが大きすぎてなにも開発出来ない、と、言いますが、でも、技術者がなにかを開発する動機って、自分の開発したもので世のなかをより良い方向に変えてやろう、って動機が出発点になってるんじゃなかったですかね。

より良い方向に変わることもあれば、悪い方向に変わることもあり、開発者が思いもよらなかった運用方法を誰かが見つけることもあり、そのダイナミズムこそが、開発の醍醐味だと思うんですがね、オレは。

たとえば、ノーベル賞。
これは、工事現場での岩盤の破壊を容易にするためにダイナマイトを開発したノーベルさんが、それが戦争で人を殺す爆弾として使われるようになった現実を嘆き、平和貢献のために設立したものです。
ノーベル賞というのは、批判もあるけれども、いち技術者が、自らのモラリティに照らして設立させたものです。
自らが自らに対して裁判を行い、おまえは資産を運用してノーベル賞を設立し、ダイナマイトの誤った運用に歯止めをかけなさいと命じた、ということでしょう。

また、アインシュタインは、自らの研究が原子爆弾の開発に繋がることを怖れて、ウランに関する技術開発を原子炉開発に集中させるよう、あらゆる政府機関に手紙を送り、平和運動に身を投じました。

オレは、こうしたことは、技術者のモラリティに照らして行なわれるべきだと思いますけどね。

そして改めて思うのだけれども、
Winnyの開発者もまた、自らの開発した技術が、著作権侵害に使われる可能性を考慮し、そうした運用をしないよう、広く呼びかけてきたと言っています。
検察が主張するとおり、認識はしていた。しかし、それを奨励したことはない、と。
そのうえで、あらゆる技術者に、幇助の罪に問われるようなリスクを負わせてはならない、と。

これはたしかに難しい問題ですね。
なぜなら、モラリティが問われているのだから。
また、モラリティに属する問題に法が関与するであれば、そこだけをとってみれば、憲法に抵触するだろうし、基本的人権を侵害している可能性すらあります。

それを考えると、刑事裁判に問う問題なのか、というふうに、オレなんかは考えてしまいます。

著作権を侵害された人が、Winny開発者や運用者に対して、損害賠償請求の民事訴訟を起こしたほうが、話がスッキリするような気もします。
そうした民事裁判が全国で行なわれれば、判決が出そろう過程で、技術開発や運用に関するガイドラインめいたものが出来るんではないか、と、思うんですけどね。というか、そうなったら素敵やん、と思います。


ほら、契約書の作成がそうなんですよ。
今どきの契約書は、あらゆる運用方法を想定して、そうした使いかたはしないでください、との但し書きが延々と書かれています。日本語だけじゃなくて、数カ国語で書かれています。
それが書かれていなかったために、損害賠償請求の民事訴訟を起こされてきたからです。
そうした経験を踏まえて、今日の契約書のスタイルは出来ているし、技術開発の場面に、そのプロセスを応用出来ないのかな、と思います。

いずれにせよ、今回の判決は、玉虫色のはっきりしない判決ですが、落としどころとしては、そこしかないようにも思います。
ただし、今回の判決では、ではどうすれば罪にならないのか、に、ついて、まったく触れられていません。そこにこそ踏み込むべきだろうと、そこだけは不満に思いました。

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