2005年11月23日水曜日

同心円とヴァン・モリソン





友人が今月で今の会社を退職して、新たなスタートを切ることになった。
ヘッドハンティングがあたりまえの業界なので、会社を変わること自体は珍しいことでもないのだが、彼にとって初めての経験だ。

餞の手紙でも書こうと思って、行きつけの喫茶店のテーブルにレターセットをひろげているのだけれども、これが一向に進まない。

もう、コーヒーも2杯目だ。

彼とは、最初は飲み友だちだったのだけれども、ひょんなことから一緒に仕事をすることが多くなり、それで儲けたり、損をしたり、いろんなことがあった。

ただ、思い出されるのは、そうしたトピックスよりも、交わしたなんてことのないメールや電話や飲み屋でのアホらしいお喋りだったりする。

ビジネスとは関係のないところで知り合って、その後、お互いにカネをあいだに挟んだ関係になったわりには、知り合った当初となんら変わらない付き合いが出来ていることは、大変にラッキーなことだったと思う。

ほら、カネが絡むと、人間関係って、こじれることも多いしな。


オレも彼も、早い時期から、自分が一生かけてやること、仕事みたいなものを、見つけていた。

身につけるスキルが新しくなったり、身を置く環境が変わったりすることはあっても、やりたいことが見えているので、そこらあたりで、ブレることがない。立ち位置も変わらない。


そういうことをつらつらと考えていると、ヴァン・モリソンのことを思い出した。

この、アイリッシュの巨人は、ウッドストックの頃からだから、もうかれこれ、40年近くも音楽の第一線で活躍していることになる。

ブリティッシュ・ロックではじまった彼のキャリアは、その後、アメリカン・フォーク、ブルーズ、ソウル、ジャズ、アイリッシュ・トラッドと、雑食性を極めるかのごとく、その幅をひろげていく。

しかし、なにをやっても、ヴァン・モリソンの音楽にしかならないところが、すごい。

もはや、ヴァン・モリソンというひとつのジャンルが出来上がっていると言ってもいいかもしれない。

それを評して、彼はおなじところをグルグルまわっているだけじゃないか、と、揶揄する人がいる。

そうではない。
彼は、同心円を描いてはいるが、その円は半径を変えて幾重にもなり、豊かな厚みと深みと滋味を加えている。文字通り、円の中心だけがブレていないだけだ。

こうやって生きていくしかない、と、見つけてしまったはるか遠くの一点から視線を外せない人たちは、ヴァン・モリソンのように、同心円を描いて生きていくしかないのではないか。

願わくば、オレも、中心点はそのままに、さまざまに半径を違えた同心円を、幾重にも描いていきたい。



友人の彼は、自分のキャリアのなかに新たな同心円を描くために、来月から東京に向かう。




Van Morrison / 『Days Like This』

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