2005年11月28日月曜日

歌そのものから歌うことを強要された者に会いに





この火曜日、あの、都はるみにインタビューすることになりました。
ずっとチェックしてて、インタビューする機会をうかがっていたのですよ。新曲と年末のコンサートに関することに限定されたインタビューなのだけれど、それだけでも、かなり嬉しい。

その、新曲がすごいのだから。

『枯木灘残照』。

女流歌人の道浦母都子が作詞した文語体の歌詞に、弦哲也が100人以上のオーケストラを率いて作曲した、壮大な歌謡シンフォニーです。

カラオケが普及して以降、歌は、聴くものから歌うものへと変化していきました。カラオケで歌いやすい、というのが、ヒット曲をつくる際のひとつの重要事項に、今ではあたりまえのようになってしまっています。

そんななかにあって、都はるみは、プロの歌い手として、果敢なチャレンジを続けていますね。
デビューから42年。とくに、引退を撤回して復活した17年前から現在に至る彼女の活躍は、目を瞠るものがあります。
三里塚で歌い、熊野本宮で歌い、合歓集落保存チャリティーライブに参加し、上賀茂神社で歌い、ワールドミュージックの祭典である『WOMAD』で毎年のように歌っています。もう、ソウルフラワーかエゴラッピンか、みたいな活動になってます。

また、革命歌の『インターナショナル』を歌い、『イムジン河』を歌います。特に、南北コリアンの統一を願う『イムジン河』を彼女が歌うことの意味 は、小さくありません。彼女自身が小さくではあるけれども公言しているのであえて書きますが、彼女は在日コリアンです。それがどうした!ということでは済 まない時代に、済まない世界で、彼女は生きてきた人です。

もはや、演歌歌手の範疇に収まらない、マージナルな枠を次々と広げていくアティテュードは、まるで先端的ロック・ミュージシャンのそれですね。

作家の故・中上健次は、大の都はるみのファンで、87年、『天の歌 都はるみ』を発表しています。
そのなかで、
「16歳のときから歌が春美に歌うことを強要した。春美と同期のなかで、歌うことを歌そのものから強要されているのは誰もいない。歌手のなかから、そんな天性の受難を感じるのは、春美ただ一人だけだ」
と書いています。

オレは、そのとき以来、都はるみを見続けてきましたが、中上の都はるみ評は、今もって、1mmも変わることなく、オレのなかで息づいています。

ちなみに、中上健次の代表作といえば『枯木灘』ですが、都はるみの今回の新作『枯木灘残照』とは、どのように繋がっているのか。そのあたりのことも、聞いてみたいと思っています。

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