2005年11月30日水曜日

月末を乗り切るために

明日の支払いのカネのやり繰りのために、大変なのですよ。
大変というわりには、こんなところで日記を書いているのだから、それほど大変でもないんじゃないかと思われるかもしれませんが、大変なのです。大変なので、現実逃避するために、こんなところで日記など書いているのだから。

明日、あそことあそこが無事に入金してくれんと、あそことあそこの支払いが足らんようになります。

あー、なんでこんなにギリギリ?

なんか、見落としてる入金予定とか、ないやろか?
請求書を出し忘れてるとことか。
誰か間違って振込とかしてきてくれんやろか?

あー、もうイヤや!

月末が、多すぎるんやな。
月末って、2ヶ月に1回とかでいいねんけどな。
あ、あかんわ。そんなことになったら、入金も2ヶ月に1回になってしまいますがな。


こういうときに、音楽なんぞ聴いてる余裕はまったくないのですが、
でも、こういうときこそ、音楽の力を借りんと。

こんなときは、
アース・ウィンド&ファイヤー。

やつらの大げさすぎる壮大な調べに乗ってですね、気だけでも大きくなっとかんと。
大船に乗った気分でいらっしゃい!

美しき創造〜異次元旅行
時空を超えて
銀河の奇蹟

曲のタイトルを並べただけでも、気が大きくなってくるってもんじゃないですか。

もう、エンドレスで流しっぱなし!

で、気も大きくなり、カネもガッポリ儲かった気分になって、さあ、もっかい帳簿とにらめっこ。

ん〜。
ん〜。

ん〜、やっぱり、銀行に助けてもらわんとアカンかもな〜。
銀行、助けてくれるやろか?




Earth, Wind & Fire / 『September』

2005年11月29日火曜日

ズラと言えば





耐震強度偽造問題で世間を騒がせてくれている姉歯一級建築士クン(建築士の資格は剥奪されんだっけ?)、ズラらしいじゃないですか! 耐震強度だけじゃなくて自分の頭まで偽造するかぁってかんじなんですけど。

イヤ、本当のところはズラかどうかわかんないけど。
ただ、ウチの社員さんたちが、あれはズラに違いない!と叫んでたんで。

ほとんど、というか、完全に名誉毀損ですな。
姉歯クン及びその関係者が、こんな極北のサイトなんて見てないことを祈りつつ…。
訴えられたりして。
まあ、いっか。

んで、ズラといえば、
やっぱ、ムッシュ・かまやつ?
あの人、何年、あの髪型でやってるんでしょうか。禿げてるから、という理由ではないというのは聞いたことがあるのですが…。

でも、ノーノーボーイとか、カッコいいから好き。
コーネリアスとジョイントしてた頃も、セクシーだった。
ウォッカ・コリンズが再結成されたときなんて、鳥肌もんだった。
喫茶ロックに参加したときも、すげえ異彩を放ってました。

御年66歳。
ああ、こーゆーふうに、素敵なジジイになりたいのですよ、オレは。




VODKA COLLINES / 『Automatic Pilot』

2005年11月28日月曜日

歌そのものから歌うことを強要された者に会いに





この火曜日、あの、都はるみにインタビューすることになりました。
ずっとチェックしてて、インタビューする機会をうかがっていたのですよ。新曲と年末のコンサートに関することに限定されたインタビューなのだけれど、それだけでも、かなり嬉しい。

その、新曲がすごいのだから。

『枯木灘残照』。

女流歌人の道浦母都子が作詞した文語体の歌詞に、弦哲也が100人以上のオーケストラを率いて作曲した、壮大な歌謡シンフォニーです。

カラオケが普及して以降、歌は、聴くものから歌うものへと変化していきました。カラオケで歌いやすい、というのが、ヒット曲をつくる際のひとつの重要事項に、今ではあたりまえのようになってしまっています。

そんななかにあって、都はるみは、プロの歌い手として、果敢なチャレンジを続けていますね。
デビューから42年。とくに、引退を撤回して復活した17年前から現在に至る彼女の活躍は、目を瞠るものがあります。
三里塚で歌い、熊野本宮で歌い、合歓集落保存チャリティーライブに参加し、上賀茂神社で歌い、ワールドミュージックの祭典である『WOMAD』で毎年のように歌っています。もう、ソウルフラワーかエゴラッピンか、みたいな活動になってます。

また、革命歌の『インターナショナル』を歌い、『イムジン河』を歌います。特に、南北コリアンの統一を願う『イムジン河』を彼女が歌うことの意味 は、小さくありません。彼女自身が小さくではあるけれども公言しているのであえて書きますが、彼女は在日コリアンです。それがどうした!ということでは済 まない時代に、済まない世界で、彼女は生きてきた人です。

もはや、演歌歌手の範疇に収まらない、マージナルな枠を次々と広げていくアティテュードは、まるで先端的ロック・ミュージシャンのそれですね。

作家の故・中上健次は、大の都はるみのファンで、87年、『天の歌 都はるみ』を発表しています。
そのなかで、
「16歳のときから歌が春美に歌うことを強要した。春美と同期のなかで、歌うことを歌そのものから強要されているのは誰もいない。歌手のなかから、そんな天性の受難を感じるのは、春美ただ一人だけだ」
と書いています。

オレは、そのとき以来、都はるみを見続けてきましたが、中上の都はるみ評は、今もって、1mmも変わることなく、オレのなかで息づいています。

ちなみに、中上健次の代表作といえば『枯木灘』ですが、都はるみの今回の新作『枯木灘残照』とは、どのように繋がっているのか。そのあたりのことも、聞いてみたいと思っています。

2005年11月27日日曜日

ハワイアンではなくてハワイイアン





月末のクソ忙しいときに、太平洋に浮かぶ小島のようにぽつんと出来た休息の一日、いや半日くらいやったかな…、
のはずやったのに、急な東京出張が入りやがって、やっぱり、休めなかった本日。

明日も、もちろん、休む時間なし。

そんな今日のオレのために用意した音楽は、ハワイイアン。

そう、ハワイイアンです。
ハワイアンではないですよ。ハワイイアン。
だって、英語表記は、hawai'iやもん。これ、どう読んでもハワイではなくて、ハワイイでしょ。トマトをトメィトと書け!なんて堅苦しいことは言わないけれど、これだけは譲れませんな、ハワイイアン。100歩譲って、ハワイー。

んで、
ハワイイアンを歌わせたら日本一のサンディーさんの名盤を、本日の夜のお供にしようと。
チャイなど飲んで、ハワイイアン。
まるで脈絡ありませんが。

サンディーさんは、久保田真琴さんという人がそのむかし結成してた夕焼け楽団のボーカルに迎えられて歌手人生をスタートさせた人で、ブルースから アジアンポップスまで幅広く歌ってこられた人ですが、95年発売のこのアルバムから、いよいよ満を持してハワイイアンに腰を落ち着けて活動されてます。

どこらへんが「満を持して」なのかというと、彼女自身が日系ハワイイアンなのですね。

上手いです。
上手い人がさらに磨きをかけて、腰を据えて自身のルーツを掘り下げる作業をしていくと、こんなにもすごいことになる、という見本のようなアルバムです。

ハワイイアンは、風のゆらめきやそよぎを捉えて音に託す音楽で、んなもんを日本の冬にこたつに丸まってチャイを飲んで聴いてもどーしようもないような気もするのですが、そういうのは、状況によるんでしょうね。

だって、癒されるねんもん。
なごむねんもん。




Sandii / 『You Can Get It Really』

2005年11月25日金曜日

人を凶暴にする音楽





直しやら変更やらの、もっと早く言ってくれよ〜!&聞いてへんやん!みたいな仕事が重なりまくり、かなりむしゃくしゃした気分の本日。

こーゆーときは、とりあえず仕事をほっぽり出して、チャリでそこらへんを走りまわるにかぎる。

ので、
iPodに、デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデンの『アイアンマウンテン報告』をDLして、チャリに!

このアルバムは…、4、5年くらい前、ジャケ買いというか、バンド名で買いましたね。よく考えたら、ジャケは愛想なかった (笑)
買ってみたら、細々とチェックしてた菊地成孔さんの、新しいバンドで、しかも変拍子かつ変態ダンス・ファンク・プロジェクトだったので、かなり狂喜乱舞したような…。
だって、インテリが奏でる肉体派変態ダンス・チューンですよ、しかも、エロい! こんだけ機能的な音楽って、なかなかないよな。

その菊池さんも、
今や、東大で講師を勤め、出す本出す本があたりまくり、情熱大陸にもご出演され…、いよいよブレイク間近? ついに個人のメルアドをシークレットにしちゃったけど、そもそも個人のメルアドを全方位に公開してること自体がセクシー過ぎでしょ。

などと、大昔からのファンとして感慨にふけっていたことなどはほんの一瞬で、
あとは爆音ガンガン鳴らして、チャリで走りまわってました。

信号、無視!
逆走、あたりまえ!

上半身、裸!

…イヤ、これは寒いからやめました。


チャリで走りまわること小1時間。
今ごろは、すっきりした気分で仕事に向かっておりまする。

それにしても、安く出来てるな、オレは。



DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN / 『Mirror Ball』

2005年11月24日木曜日

インディアン・サマー





今日みたいな小春日和というかインディアン・サマーな日の昼下がりには、午睡のお供にブラジルの至宝2人が若き日にタッグを組んだこの名盤を聴きながら微睡みたいのだけれども、

…とてもそんな時間はありませんでした。

イヤ、昨日の夜も徹夜だったし、眠たいのはすごーく眠たいのだけれども。

で、このようなアルバムを聴いてしまうと、一瞬で眠れてしまうこと必至なのだけれども。

でも、仕事がなぁ。

今週いっぱいは関西はインディアン・サマーな小春日和が続くみたいなので、どこかで、コイツを聴くチャンスがあればいいのだが。


ボサノヴァのくせに、妙に張りつめた緊張感があって、真夏に聴くのはちょっとの一枚。でも、暑いでもなく寒いでもない、今日みたいな日には、うってつけの一枚。



Gal Costa & Caetano Veloso / 『domingo』

2005年11月23日水曜日

同心円とヴァン・モリソン





友人が今月で今の会社を退職して、新たなスタートを切ることになった。
ヘッドハンティングがあたりまえの業界なので、会社を変わること自体は珍しいことでもないのだが、彼にとって初めての経験だ。

餞の手紙でも書こうと思って、行きつけの喫茶店のテーブルにレターセットをひろげているのだけれども、これが一向に進まない。

もう、コーヒーも2杯目だ。

彼とは、最初は飲み友だちだったのだけれども、ひょんなことから一緒に仕事をすることが多くなり、それで儲けたり、損をしたり、いろんなことがあった。

ただ、思い出されるのは、そうしたトピックスよりも、交わしたなんてことのないメールや電話や飲み屋でのアホらしいお喋りだったりする。

ビジネスとは関係のないところで知り合って、その後、お互いにカネをあいだに挟んだ関係になったわりには、知り合った当初となんら変わらない付き合いが出来ていることは、大変にラッキーなことだったと思う。

ほら、カネが絡むと、人間関係って、こじれることも多いしな。


オレも彼も、早い時期から、自分が一生かけてやること、仕事みたいなものを、見つけていた。

身につけるスキルが新しくなったり、身を置く環境が変わったりすることはあっても、やりたいことが見えているので、そこらあたりで、ブレることがない。立ち位置も変わらない。


そういうことをつらつらと考えていると、ヴァン・モリソンのことを思い出した。

この、アイリッシュの巨人は、ウッドストックの頃からだから、もうかれこれ、40年近くも音楽の第一線で活躍していることになる。

ブリティッシュ・ロックではじまった彼のキャリアは、その後、アメリカン・フォーク、ブルーズ、ソウル、ジャズ、アイリッシュ・トラッドと、雑食性を極めるかのごとく、その幅をひろげていく。

しかし、なにをやっても、ヴァン・モリソンの音楽にしかならないところが、すごい。

もはや、ヴァン・モリソンというひとつのジャンルが出来上がっていると言ってもいいかもしれない。

それを評して、彼はおなじところをグルグルまわっているだけじゃないか、と、揶揄する人がいる。

そうではない。
彼は、同心円を描いてはいるが、その円は半径を変えて幾重にもなり、豊かな厚みと深みと滋味を加えている。文字通り、円の中心だけがブレていないだけだ。

こうやって生きていくしかない、と、見つけてしまったはるか遠くの一点から視線を外せない人たちは、ヴァン・モリソンのように、同心円を描いて生きていくしかないのではないか。

願わくば、オレも、中心点はそのままに、さまざまに半径を違えた同心円を、幾重にも描いていきたい。



友人の彼は、自分のキャリアのなかに新たな同心円を描くために、来月から東京に向かう。




Van Morrison / 『Days Like This』

2005年11月21日月曜日

一日の糧





は〜、ぼちぼちお仕事が年末進行に突入しつつある。
メディアの仕事をしていると、クリスマスなんざ気がつけば過ぎ去ってるし、23日の祝日が邪魔でしょうがなかったりする。

加えて、社員に支給するボーナスの原資を調達するために、通常の支払いよりも余計にお金をかき集めてこなけれらばならないので、頭からゼニのやり繰りのことが離れん。

毎月毎月、来月はウチの会社、なくなってるかも〜、
なんてことを思うのだけれども、なぜか、カネはまわり、新しい月を迎えることが出来てしまっている。

不思議なことだわ。

でも、
会社が存続しているということは、とりあえずは世間から必要とされているということなので、まあ、よしとする。

今日は、チャボさんを聴いている。
こういうときに、心に突き刺さってくるのは、こういう歌だ。



空の果てから 眺めれば
そりゃぁ どーってこともないんだろう
でもまさか ここは 空の果てでもあるまいし
気にもとめるは 一日の糧

流れ星を 追いかける
ある日 何処か 遠い丘の上に立って
でもまさか流れ星などに 乗れるわけもあるまいし
丘を下りれば 探してる 一日の糧

陽は昇る 陽は沈む
あらゆる命の どんな朝に夜にさえ



一日の糧をあくせく探すよりも音楽があればどーにだってなる!なんて歌が多いなかで、チャボさんは、それはわかってるけど、一日の糧を探してしまうオレがいるんだよ、それだって大切なことなんだよ、でもなぁ…、なんてことを、ほかでもない音楽で表現してしまう。

そりゃそうだ。
でも、そんなことに眼をつぶってる、ウソの音楽が多いんだよ。
チャボさんは、50歳を過ぎて、どんどん言葉が重くなってきた。
オレも、年を重ねて、チャボさんの言葉がどんどんどんどん突き刺さってくるようになってきた。

そういえば、RCサクセションのデビューアルバム『初期のRCサクセション』には、「この世は金さ」って曲と「金儲けのために生まれたんじゃないぜ」って曲が並列に並んでて、大笑いしたなぁ。

チャボさんとは逆に、キヨシローは、矛盾や難問を、羨ましいほど鮮やかにあっけらかんに、スルーしてくる。

この2人がバンドを組んでたんだから、そりゃあ、RCはすごかったはずだわ。


…チャボさんの話を書いていたのに、最後はRCの話になってしまったな。




仲井戸“チャボ”麗市 / 『今夜、R&Bを』

2005年11月18日金曜日

ティファニーで朝食を





某マイミクさん(日本の妙齢婦女子に大人気の韓国人俳優と同名の方といえば丸わかりか…)の日記で、ムーンリバーがどうたらこうたら、という話が出てきて、それで、思い出したように、さっき、CDをセットした。

ヘンリー・マンシーニが歌う、『ティファニーで朝食を』の主題歌ですな。

ラウンジ・ジャズ系の甘ったるい音など、オレの人生のどこにも居場所はないし、普段は聴くことなどないのだけれど、これだけは、べつ。

思い出がね、あるのですよ。

好きな曲であれ、好きではない曲であれ、その曲が自分の人生の某かのシーンとリンクしていれば、記憶の澱に残ってしまいますな。

20歳をちょこっと過ぎた頃、リュックを背負って、オレは、世界中を、あてもなく、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ふらふらふらふらしてました。

そのときにね、
ハンガリー出身のジプシーで、普段はストリップ劇場で踊り子をやってる女性と、パリのバヤすぎるナイト・カフェで知り合ったのでした。

それから、ひと夏、オレは彼女の家で浴びるほど音楽を聴いて、筋肉痛になるほどダンスをしてました。

ロックンロールを聴き、ブラックミュージックを聴き、ファンクを聴き、レゲエを、スカを、ロックステディを聴き、アイリッシュを、オキナワ民謡を 聴き、サルサを、ルンバを、チャチャチャを、ボサノバを、サンバを、ブーガルーを、クンビアを、メレンゲを、フラメンコを、ミュゼットを、ライを、アフリ カンファンクを、ブルーズを、絶え間なく聴いて、ダンスしてました。

激しく議論もしたし、激しく愛を貪りあったりもしました。

なにかね、人間としての基本的な必須事項の大半は、このときに、彼女から教わったような気がするな。

青臭いばっかりのパンク小僧だったオレに、それ以外の世界を見せてくれたのは、彼女でした。

そういう時期に、
『ティファニーで朝食を』が、パリでリバイバル上映していて、2人で観にいったんですよ。
で、そのあとで、
ムーン・リバーのダンス・ステップをね、教えてもらいました。

まあ、
話の骨格はそんなもんですが、そういうことを、この曲を聴いたり映画を観たりすると、どうしても思い出してしまいますな。
もうはるかむかしの話だけれども、
どうしても、思い出してしまいますな。

今日は、ひょんなことからサム・クックの『ワンダフル・ワールド』を誰かがカバーしてるのを聴いてしまったりもして、
なんだか、
懐かしい気分になってみろよ!
と、誰かに言われてるような変な日でした。

2005年11月17日木曜日

ご利益は?




前列左から
孔雀大王、大日如来、愛染明王
中列左から
韋駄天、阿修羅

前列と中列は豪華色彩版で
後列は通常版

彼女の努力のおかげで、仏像フィギュア、揃いましたぁ!

さあ、なんの願い事をしようかしら?

2005年11月16日水曜日

アンゴラ?





国籍はサッカー日本代表、宗教は阪神タイガースのオレとしては、今晩のフレンドリーマッチである日本代表vsアンゴラ代表のゲームは見逃すわけにはいかん のですが、晩の7時なんちゅー中途半端な時間にテレビの前にいられるわけもなく、泣く泣く録画。ゲームの結果、オレがビデオを見るまで誰も教えないでね。

そうそう、ヒデは来年のドイツW杯で代表を引退する可能性があり、さらに来年のドイツW杯まで日本の国内で行なわれる代表のゲームは少なく、さら にさらに、その数少ない国内で行なわれる代表ゲームの日取りは、ヒデが所属するボルトンが戦ってるプレミアリーグ真っ盛りの頃なので、本日のゲームが、ヒデの代表での姿を「日本国内」で見る最後のチャンスなのかもしれないのですよ。
ヒデ・ファンの皆さん、お見逃しなく〜。

で、今晩の勝利に向けて気分を盛り上げるべくなにを聴こうかと悩んでるオレ。

まず最初に考えたのは、アンゴラの音楽。
いやー、脳内検索を相当丹念にかけてみましたが、アンゴラの音楽は知らんな。
アンゴラ。パスポートの記録を見ると、どうやらオレはアンゴラに行ったことがあるようなのですが、記憶にないぞ!何語やったっけ?通貨はなんやったっけ?

EU内の国境が取っ払われてから、夜になると宿代わりに行き先すら知らん列車にとりあえず飛び乗り、そのまま朝を迎えたところで、よくわからん駅 で降りて駅前のカフェでまず最初にすることが、「ここはなんという国のなんという街ですか?」を、知ってるかぎりの言語を並べて訊くという塩梅で世間の荒 波を乗り切ったオレにとって、アンゴラは、悲しいほど記憶の片隅に残ってない国なのでした。

で、アンゴラの音楽、却下。
却下もなにも、持ってない。

そうなると、やっぱ、ドイツか。
ドイツはいろいろあるぞ。

ニナ・ハーゲン?
朝からキツすぎるな。

マイケル・シェンカー?
とうの昔に売っぱらったな。

べ、ベートーベン?
持ってないような気がするな。

あったあった!
えーのがありました!

ネーナの『ロックバルーンは99』!
オールドファンには懐かしい、脇毛を生やしまくってた一発屋のオネーチャン!

エレ・ポップ〜ニュー・ウェイヴ風のキーボード使いに時代を感じさせるわ〜。
This is 80's!


Nena / 『99 luft Ballon』

2005年11月15日火曜日

鼻毛が157本





風呂に入って、湯船にゆっくりと浸かりながら、伸びた鼻毛を抜く。
抜いた鼻毛は、浴槽のヘリに1本ずつ並べていく。いつもの癖。

ぶちっ。置く。
ぶちっ。置く。
ぶちっ。痛っ!置く。

延々とやってたら、右が105本、左が52本。
左右で100本超えることはままあるが、さすがに157本は…、新記録やな。

全部並べ終わったとき、浴槽のヘリにびっしり鼻毛が並んでで、それはそれは壮観な眺めになってましたわ。

べつねに、鼻毛が飛び出てることは、オレにとっては、何の支障もないのですよ。

あれは、おしゃれ鼻毛やしね。

どっちかというと、抜く快感?
あの、ちょっと痛い快感がな。

全部抜き終わったころには、風呂の外で流れてたフィッシュマンズの『ロングシーズン』が終わりました。

ということは、35分16秒経ったということか。

男の長風呂やな。



Fishmans / 『Season』

2005年11月14日月曜日

日米と言えば…オノ・ヨーコ?

京都にブッシュが来るらしい、明日。
日米首脳会談ですな。

なんか、警備が厳しそうだから、ブッシュが帰るまでは京都には近づかんとこうかな、とか、怪しい風体ですぐに職質を受けそうなオレは思うのですよ。

日米か…、なんてことを考えたら、ふと、オノ・ヨーコが頭に浮かんで、今日の仕事のお供はオノ・ヨーコに。

はっきり言ってついていけんアルバムも多いのだが、このアルバム『Approximately Infinite Universe (無限大の宇宙)』だけは、べつです。

ちゃんとした音楽になってますから。叫び声だけとか、前衛のその一歩先まで行っちゃってるアルバムが多いなかで、これだけは、ちゃんと聴ける。

ジョン・レノンを寝取ったことで、真っ当な評価を得られてない彼女ですが、さらに、言動がノーテンキすぎるので彼女自身が自分の評価を下げてると も思いますが、このアルバム一発で、20世紀を代表するポピュラー・ミュージックのアーティスト10,000人くらいのなかに入れてもいいと思う。

ああ、でも、こんなもんを聴いてたら、聴き込んでしまって仕事がまったくはかどらんですな。

ポップだけど、ヘヴィだし。

どうしたものやら。

しかも、調べてみたら、アルバム、廃盤になってました…。


Ono Yoko / 『New York Woman』

2005年11月13日日曜日

治ったぞ!





痔が。
ので、ここはやっぱりブルーハーツでしょう!

イヤ、30歳を超えたあたりから、夏季オリンピックの年になると『痔』が勃発、椅子に座るのもひと苦労な人生を送っているのですが、ここ数年は冬季オリンピックの年にも勃発するようになり…。

イヤ、今年はオリンピックないやん!

そっか、来年のぶんが前倒しでやって来たのね。

まあ、でも、もはや手慣れたもので、早速、ダイコク行ってですね、「ボラギノールAください、軟膏じゃなくて座薬のほう。黄色のパッケージのやつね♥」などとバイトのおねーちゃんを呼びつけて、購入。

軟膏は、ダメだな。
弾丸型の座薬を肛♥に挿入し、ピタリと所定の位置に収まった瞬間の、あの、えも言われぬ快感!
あの快感が、軟膏では味わえんのよ。イヤ、軟膏なんか、最初から試してないけど。

その座薬とも昨日でおさらば。
再びキレイな肛♥になってしまった。

それはそれで、元気が出た。
ので、
今日はブルーハーツを聴こう!

僕、パンクロックが好きだ!

我が家の冷蔵庫には、未使用のボラギノールA黄色のパッケージ座薬タイプの弾丸が、まだ6弾残っている。

あ、ハイロウズが活動休止ですな。



ザ・ブルーハーツ / 『終わらない歌』

2005年11月12日土曜日

奈良とマリサ・モンチ





仏像を見に、正倉院展に足を運びに、鹿と戯れに、木・金と奈良に行ってきました。

東大寺、興福寺、奈良公園と、修学旅行生やら観光客のオバハンやらにまじってウロウロしていたのだけれど、あのあたり、デカいですね。

東大寺南大門の運慶と快慶がつくった仁王像のあまりのデカさに、笑ってしまったわ。上が見えないやん!

建物から、敷地から、そんで大仏も、京都に比べて、とにかくデカい。なにか、パーステクティブが狂ってるかんじ。ま、建立当初から官営の寺が多かったから、気合いが入ってるんでしょうが。あ、でも、唐招提寺は私営の寺か。今回は行かなかったけど。

んで、奈良公園の、延々とデカい芝生の敷地を眺めてたら、
ブラジルの歌姫、マリサ・モンチがよく似合うことに気がついた。

スケールのデカさというか、それでいて大味になってないところというか、品のよさというか、そういうのが、ピッタリと重なるかんじ。

美しいところも、よく似てる。

ただ、奈良と違う点は、伝統に寄りかかるだけではない、というところですな。

すんません。奈良の悪口を言ってるんではないのですがね。

ただ、東大寺にしても、つまるところ、観光の名所なのであって、観光資源で食ってるところですね。だから、寺としては死んでるわけです。過去の遺産で食ってるんであって、宗教を持った寺としての使命は、今現在果たしていないわけです。ま、役割を終えたというか…。

マリサ・モンチは、ブラジルの伝統に敬意を払いながらも、明日の音楽のために、伝統の森に分け入っているように思います。

優れた前衛主義者は、例外なく伝統主義者でもある、とは、誰が言ったのか忘れたけれど、マリサ・モンチの音楽からは、そうした息吹を感じます。

そんなことを奈良公園の雄大な景色を眺めながらボーッと思っていたら、
その後、知り合いに紹介してもらったカフェで、なんとマリサ・モンチが流れてきて、ちょっとビックリした。

やっぱ、奈良とマリサ・モンチというのは、どこか繋がるところがあるのですかいな?


Marisa Monte / 『Diariamente』

2005年11月9日水曜日

今日のお供はシャロン・シャノン





今日もぬくかったですな。

ので、
オープンテラスのあるカフェで、仕事の原稿書いておりました。

執筆のお供は、
アイルランドのシャロン・シャノンを。
アコーディオンなのですが、哀愁漂うタッチでは全然なくて、春のそよ風のように、軽やかなアコーディオンを奏でてます。

ドーナル・ラニーあたりが必死こいてアイリッシュ・トラッドをコンテンポラリーなものにしようとしてるのを横目に、彼女は、あっさりと、たった一人でブレイクスルーしてしまったです。

キュートなルックスからは似つかわしくない表現なのは承知してるとしても、やっぱ、革命児!と呼ばんわけにはいきません。

どっかのライナーには、革命児の喩えのつもりでアイルランドのジミヘン!とか書いてたけど、さすがにそれはイメージからかけ離れすぎてるでしょ。
ビョークあたりを引き合いに出すのが最適なのですが、あくまで、革命的!ミュージシャンのくくりとしてね。

なんてことを考えながら、ステップ踏みながら、カフェで原稿書いてると、いつの間にか夕方に。
寒いやん!いつのまにか。
結局、原稿は書きかけの断片だけがいっぱい出来て、まったく進んでまへん。

また印刷屋に怒られるんやろな…。

また、締切引き延ばし根回しをせねばならんのか…。


Sharon Shannon / 『Mouse of Tobique』

2005年11月7日月曜日

赤犬とタラフ・トゥ・ハイドゥークス




という、どう考えても両者を同時に好きなファンなどオレと彼女以外にいるとは思えない、オレと彼女のためにブッキングされたとしか思えないようなツーマンのライブに行ってきました!こないだの土曜日の夜。梅田のバナナホール。

どっちも、それほどメジャーとは思えんので、解説をしておきますとですね…、

赤犬は、
極楽エンタテインメントなライブばっかりやってる、まあ、大阪の秘宝館みたいなバンドですわ。ブラス、バイオリンを含む13人編成のビッグ・バン ドで、アイリッシュ、パンク、スカ、ダブ、歌謡曲、ディスコ、スラッシュ、現代音楽など、なんでもありの全方位型ノン・ジャンル・バンドでありまする。情 熱と変態性が過剰なんですが、演奏技術が恐ろしく高くて、単なる変態バンドに終わらんところがすごいんですね。えー年したオッサンが、ブルマ一枚とかグン ゼの白ブリーフ一枚とか、そういう姿で登場しますが。
かつてのジャガタラ、ソウルフラワー、米米クラブ、スカパラ、氣志團…、あのあたりを足して500くらい掛けたようなバンドと思っていただければ…、知らん人には何のことやらさっぱりわからんやろな。
とにかく、技術は恐ろしく高いけれど、変態なバンドなのですよ。

で、タラフ。
こっちはですね、ルーマニアからやって来たジプシー楽団で、平均年齢は、たぶん、60歳くらいかと。じじいばっかりです。
昨今、ちょっとしたブームになってる、ジプシー・ミュージックの先頭を走ってるバンドですな。
バイオリンとアコーディオンに、ポータブルな琴みたいなリズム楽器と、ウッドベースの編成。こっちも、ある意味変態で、とにかく、人間業とは思え んような速弾きなんですよ、みんな。しかも、死ぬほど技術がしっかりしてる。元XジャパンのYoshikiの比ではありません。Yoshikiよ、世界は 広いぞ!

とにかく、この両バンドがジョイントすること自体に無理があると思うのですが、はたして、どんな客層になることやら…

と思って、バナナホールにいそいそと足を運んだんですが、やっぱ、タラフのファンと思われる層が圧倒的に多くて。だって、アレグリアとかに来てそ うな、ハイソなオッサンとオバハンばっかりやねんもん。もしくは、ワールドミュージック好きなおとなしめのにいちゃんとかねーちゃん。あるいは学者とか。 それと在阪のルーマニア人?
そーゆー人がですね、赤犬のステージを見て、どういう反応をするか、逆に赤犬は、どういうステージを展開するのか。見どころは、はっきり言ってそこです!

赤犬は、タラフを意識して、「オレたちもワールドミュージックなんです、ジャンルは堂山!(バナナホールがあるところです。ゲイのメッカでもありまして、バナナホールという名称は、そこからついてます)」とか叫んでましたが、いやー、きつかったですな。
最前列こそ赤犬の追っかけで軽いモッシュ状態になってましたが、で、オレは、そのモッシュのなかに飛び込んでましたが、そもそもがスタンディングじゃない、椅子が出てる会場でライブをやること自体、赤犬は初めてのはずで。
オカマの歌とか借金まみれの歌とか貧乏人の歌とかを、スカやらアイリッシュやら河内音頭のたしかな演奏に乗せてやってましたが、いかんせん、ブル マに白ブリーフに土方のオッサンに酒屋のオッサンにホストに、そんな格好ばっかりなんで、最前列のモッシュ以外は、会場の反応ゼロ!いやいや、すごいライ ブでした。えーもん見させてもらいました。

そういう冷えきった場の空気のなか、続いて、タラフ。
みなさんお待ちかねのタラフです。
みなさん、椅子に座って行儀よく聴いてるんですね。
もう、明日死ぬんちゃうか!みたいなおっさんが、人間業とは思えん動きで、バイオリンとアコーディオンを猛スピードで奏でてるんですけどね。
いやいや、こんなもん、踊ってなんぼやと思うんですけど、会場は、クラシックの鑑賞会のように、じっと聴き入る!みたいなノリで。
ところが!です。さすがジプシーというか、さすが年季が入ってるというか、徐々に客が立ちはじめたんですよ。
もう、中盤以降は総立ち状態になってですね。それこそ、普段の赤犬がライブをやってるときのフロア状態になりましたね。いや、すごかったな。
これみてると、赤犬はエンターテイメントとして極上やと思ってたけど、まだまだやな、と、痛感しましたわ。
タラフは、ギミックなしで、純粋にスキルだけでフロアを最高に湧かしてしまいましたから。
最後は、おねーちゃんが何人かフロアからステージに上がって踊るわで、すごいことになってました。
しかも、アンコールも終わってライブが終了して、タラフじじいの面々は楽屋に引っ込むところを、フロアに降りてきて、フロアの最後尾に行って、今度はストリートライブみたいなかんじで、客に囲まれながら、またまたライブですよ。
で、おひねりの嵐!みんな、1000円札とかばんばんわたしてました。つか、タラフのオッサン連中は、おひねりを要求してましたけどね。

というような、わけのわからん、でも、とんでもなく素敵なライブで、土曜の夜を過ごしたのでした。



Taraf de Haidouks / 『Latcho Drom』

2005年11月5日土曜日

スティーヴィー・ワンダーの



古いアルバムを引っぱり出してきたのはなぜかと言うと、今日は天気がよかったからだったのだ。

『トーキンブック』『インナーヴィジョンズ』『ファースト・フィナーレ』『キー・オブ・ライフ』あたりの、70年代ニューソウルのクールさにやら れてスティービーを聴きはじめたクチなのだけれど、年を重ねるごとに、それ以前の、まだリトル・スティービー・ワンダーと名乗っていた頃の無邪気な天才性 にぐんぐん惹かれていってるオレ。

小難しい理屈よりも歌心イッパツ!のほうが、ガ〜ンと来るのね。
それだけ歳をとったということでしょうか。

イヤ、70年代の神がかっていたとしか思えんスティービーもたまらなく好きではあるんですがね。



Stevie Wonder / 『Superstition』

2005年11月4日金曜日

ポエトリー・リーディング




の形態で初めて、おもしろい!と思ったのは、NYのパンク娘、アーニー・ディフランコ。
黒人なのにパンクをやるから、メディアがカテゴラズを決めかねているために、いまいち日本では浸透していないみたいだけど、そんなのどうでもいいね。
相当にカッコいい。インディペンデンスで、DIY精神に溢れてて、全部自分で自由自在にやっちゃってるもん。プリンスやマドンナが彼女のレーベルに移籍させてくれ!って言ってきたのもうなずける。

ポエットをリーディングして、サビはメロ有り…、ヒップホップと非常に似てるけれども、なにかが違うのね。

なにが違うんやろか?

やっぱ、パンクのスピリッツが勝ってるからかなあ。

うん、表現者はパンクでないとイカン!

と、今日の打ち合わせ兼晩ゴハンでさつま揚げを食べながらなぜか思ったのだった。

あとで、久しぶりにアーニー・ディフランコを聴こう。久しぶりに来日せんかな。



Ani Difranco / 『32 Fravers』

2005年11月3日木曜日

愛しのシンディ




ローパーが、今朝、テレビをつけたら出ていた。来日しているらしい。つか、この時期になると来日するのは、もはや彼女の恒例行事になっているような気もする。なんつっても、NYの日本人がたむろするクラブで歌っててスターダムにのし上がった人ですからな。

今年で御年52歳になるのだけれど、相変わらずキュート!

ロックのフィールドに女性アーティストはあまたいるけれど、
たとえば、
性差に怨嗟を込めて、世界中を華麗な爆弾で絨毯爆撃したマドンナ、
たとえば、
アクメの最中もしっかりと眼を見開いて世界を解析しようとしたポーリー・ジーン・ハービー、
たとえば、
孤高の寂しさに押しつぶされてしまったジャニス・ジョプリン、
たとえば、
圧倒的な諦念を抱えつつも世界中の憎しみと終わることのない戦いを強いられてきたパティ・スミス…

彼女たちにもし会うことが出来るのなら、僕は、彼女たちと議論してみたい。それがたとえ、議論のための議論になってしまうのだとしても、議論してしまうだろう。

でも、シンディ・ローパーは違う。

シンディ・ローパーと会ったなら、僕は、彼女を抱きしめてしまうだろう。
女性性を素直に全身で放ち続ける彼女を前にして、僕は、抱きしめる以外に彼女とコミュニケーションをとることなど出来ないような気がする。

今日は、久しぶりにシンディの古い曲を聴いた。
ファルセットに移る瞬間、彼女の声は小さな引きつりに震える。
それなのだ。
その震えこそが、僕が、彼女を抱きしめてしまう要因になっている。
そう、キュートなのだ。



Cyndi Lauper / 『Time After Time』

2005年11月2日水曜日

生田神社で仲井戸麗市さんを聴く




日記でもはじめますかぁ。

今日は天気がよかったので、最近はご無沙汰してた生田神社境内にて軽く昼寝なんぞをしておりました。もう寒くなってきたけどね。
で、お供は、仲井戸麗市さんのポエトリー・リーディング。
彼がやんちゃだった頃、新宿の花園神社は逃げ場だった。そこへ逃げ込んだときの追いつめられたヤバいかんじが、キング・クリムゾンの『レッド』を BGMに、ポエットをリーディングしていく、って寸法の曲。ヒップホップ全盛のこの時代に、自由詩をリーディングしていくというスタイルは古くさいけれ ど、オレは気に入ってる。

月末を乗り切って、ヘロヘロのときに聴くような代物ではないんだけれども、今月から年末にかけては片付けなければならない仕事が山積みで、ヘロヘロしてる暇はない。

自分を鼓舞するためにも、今日はこれだ。


仲井戸麗市 / 『ティーンエイジャー』