2006年11月10日金曜日

何年かぶりに哲学の道を歩いたのだが…

なんか今月は、妙に忙しくて、日記を書くのもままならず…。
先々月から先月にかけて割り込んできたイレギュラーの大バカヤロウな仕事のせいで、今、しわ寄せが来てるんですわ。
しかも、息抜き&気分転換にはじめた相方さんのサイトのデザイン・リニューアルがおもしろくなってしまって、そっちにも深入り中…。いや、そんなことをやってる場合じゃないんですけどね。まあ、かくも人生は、ままなりませんな。

さて、そんな折り、こないだの日曜日にですな、銀閣寺から南禅寺にかけて、いくつかのお寺さんを参りながら、哲学の道を歩いてきたのですよ。
といっても、いつもように相方さんが同行しているわけではなくて、オレをとりまくご一行さまは、妙齢の、トウの過ぎたオバァばかりが20人強(笑)
いろいろとわけあって、とある婦人会のご旅行を引率するハメになってしまったのですよ。

ま、その顛末と詳細はここに書くには問題がありすぎるので省くとして、今回は、普通に京都の神社仏閣巡り日記を。

思い起こせば、京都の神社仏閣を巡るスタンプラリーは、たしか、南禅寺から哲学の道を北上して銀閣寺に至るルートを歩いたのが、最初だったのでした。
それが7年か8年か前のこと。
そんときに見た銀閣寺のあまりのしょぼさが目に焼きついているせいもあって、今さら銀閣寺なんてどーでもいいんです、本当は。


えーっとね、肝心要の観音殿(銀閣)がね、しょぼいんですよ。建設当時に銀が塗られていたのかどうかについて諸説あるとして、すくなくとも漆は塗られていたのははっきりしているんだから、それくらいは修復すればいいのに、と思います。まさか、敗者のモニュメントってわけでもないでしょうに。観光用の写真じゃ、そこそこ見栄えがするように撮影してますが、実物はね、ただのボロ屋ですからね(笑) あんなの、ほんとにどーでもいい。
ただ、ここには銀閣以外に見どころがいくつかありまして、今回、オレとしてはそっちをメインに見てました。
ここは、やっぱり庭ですね。庭に尽きると思います。
まず、銀沙灘。花崗岩が風化した白川砂を使って、湖面の波打つさざ波が表現されているのですが、はっきりいって日本美術史上に残る前代未聞のオブジェだと思いますよ。
禅の精神である極限までの抽象化でもなく、自然の模倣でもない。入口までの銀閣垣といい、とっても人工的な匂いのするオブジェなのですが、それにしても異様な迫力があります。
むかし、写真で、月明かりに照らされる銀沙灘を見たことがあるんですが、それはそれは幻想的な風景でして。だから、一度はナマでそいつを見たいと思ってるんですが、銀閣は夜間拝観をやってないんですよね。なんとかならんのかな…。



銀閣の庭は、この銀沙灘からはじまって、池と池を包むようにして背後にある小山を縫って歩くように設計されているのですが、このプロセスは、わび・さびそのもの。山茶花があり椿があり紅葉があり、南天がある。いかにも、という風情があります。京都と聞いて一般の人が思い浮かべるイメージは、ここに集約されているといってもいいかもしれません。

ただ、これはもうどうしようもないですが、人が多すぎですわ。
人が多すぎると、ところかまわずおしゃべりに夢中になる集団はどこにでも現れますから、もう、風情も鑑賞もへったくれもありません。それさえ解消されるのなら、年に1度くらいは訪れてもいいんですけどね。


で、次に行ったのが、銀閣寺から哲学の道を南下してしばらく歩いたところにある法然院




山寺になっていて、いいお寺さんなんです。ここの本堂から庭を眺める濡れ縁で、まだ無名だったころのつじあやのちゃんが、よくウクレレを弾いてました。そういう、ノンビリした雰囲気を堪能出来る、オアシス的な場所なんですよ。なんですが…。

さすが、哲学の道のすぐそばにあるだけのことはありますわ。それにくわえて日曜日。もうね、ここもやはり、わびもさびもへったくれもなにもないですよ。
雑踏とおしゃべりで、全部、台無し。やっぱ、お寺さんは日曜に来るもんじゃないですわ。
ところでここの住職さん、結構、メディアに出てますね。境内でライブやったり、そういうのがお好きみたいで。進歩派っていえばいいのかな。今回も、ある画家の油絵展が境内で行なわれてました。
えーっと、山門をくぐってすぐのところに、銀閣の銀沙灘をもじった白い盛り砂がありました(笑) ご丁寧に波模様まで真似たうえに、紅葉の絵まであしらう念の入れよう(笑) そこまでやると、進歩派でもなんでもなくて、単なる商売人ですわ(笑)

ま、法然さんはどう思っているのか知りませんが、時代を経ると、いろいろあります。
ちなみにここ、庭を観るだけなら、拝観料がいらないんですよね。山門をくぐるとすぐに拝観料を徴収するのが一般的ですが、ここは、本堂に入らないかぎり、無料。善意に解釈してもいいんですが、イベントやって儲けたり、檀家で儲けたりしてるんでしょうか?(笑)

最後に行ったのが、安楽寺



これも、法然院から哲学の道を少し下ったところにあるのですが、ここ、アタリでしたわ。
普段、一般公開してないお寺さんです。なので、あんまり知られてないんでしょうね。今回まわったお寺さんのなかで、唯一、閑散としてました。
山門に至るまでの道は、両脇を紅葉が彩っていて(…って、オレたちが行った時期は紅葉に早すぎるので、まだ青々としてましたが)、絶妙のわびとさびの雰囲気を醸し出してます。いや、まじでここはいいです。
そう思っていたら、けっこう、商業用にその写真が使われているのでした。どーりで見覚えがあると思った。
でも、普段は参拝付加のお寺。なので、この時期、一般公開されていても、あんまり人が来てないです。普通、こういう場合は特別公開となるので、人がわんさと来るもんですが、ここはなぜか閑散としてます。あんまり宣伝してないんでしょう。
あ、でも、夏の風物詩でもある、中風マジナイの鹿ヶ谷カボチャ(瓢箪型のカボチャですね)の炊き出しは、このお寺さんで行なわれてますから、知ってる人は知ってるんでしょうね。

松虫姫と鈴虫姫の出家物語など、いろいろと興味深い縁起を持っているお寺さんではあるのですが、それについてはサイトを参照していただくとして、ここは庭がいいですね。
本堂の奥から見る、障子戸に切り取られた庭は、もう、一幅の絵です。椿が全面に配されている枯山水の庭なのですが、今の時期でもじゅうぶんに楽しめます。千両や山茶花が咲き乱れていて、何時間でも眺めていられます。

ま、それでも悲しき引率者の身。オバァの面倒見てばっかりで、そんなゆとりはこれっぽっちもありませんでしたが。ここは次回、もっかいゆっくりと攻めます。問題は、次の公開を見逃さんことですわ。


それにしても…、
哲学の道は、もう、どうしようもないですな。人が多すぎ。その人を当て込んだ出店も多すぎ。
疏水沿いを歩きながら思索を巡らせた西田幾多郎は、もはや、ここにはいません。

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