2006年11月27日月曜日

交換と交歓の時間について

まだ、霞が立ち込めている早朝だった。
虚ろで冷たく、薄暗い街角のあちらこちらには、夜が名残惜しそうに去り切れずに這っていた。

神戸で朝を迎えるときには必ず行く喫茶店は、裏通りにある。徹夜明けで朦朧している私は、いつもそこに向かう。今朝も。
通りには深い緑色の大きな影がどっぷりと横たえ、喫茶店にはピンクのネオンサインが輝いているけれども、壁は寒々としていて、夜と朝がひっそりとせめぎあっていた。女と男の横顔は、珈琲カップの縁で皺に閉じ込められているか、吐く白い息に掻き消されている。

私は席をとると、火傷しそうなほど熱く沸かしたチャイを注文した。数種の香辛料を仕込んだ熱くコクのあるチャイの滴が、香りを立てながら、くたびれて柔らかくなった腸の襞に沁みていくと、一滴一滴、花が開くようだった。澱んだ疲労の下で、期待が冬眠から目覚めたように、もぞもぞと蠢きはじめる。それは急速にチャイと混じり合い、犯されたものが浄化されていくさまが、たしかな感触でわかった。チャイは、身体よりも精神に、即効力があった。私は、覚醒してきた。

彼女は、横浜からやって来ることになっていた。
どれくらいになるのだろう? 8ヶ月? 9ヶ月? 朦朧として、捉えようがない。
今月の半ば、彼女から連絡があった。突然の連絡だった。横浜に住む彼女が、所用で神戸に来る。会えないか、ということだった。

mixiとは不思議なものだな、と思う。
ネットワークを介して男女が会った、という話は、よく耳にする。その先、誘拐沙汰、監禁沙汰、殺人沙汰、家出沙汰、詐欺が、新聞紙上を賑わせる。
あたりまえだ。人間は、元来、卑しい。その卑しさは、匿名を装ったとき、存分に発揮されるからだ。
ネットワークを介した出会いになにかを期待するほうが間違っている、と、私は長いあいだ思ってきた。
そこは、夜のとまり木のように、誰もが仮面を被り、その仮面の彩りや表情を楽しむ場だ。そういう場なのだと、私は思っていた。
だから私は、最初、mixiに消極的だった。懐疑的だった。
それが、どうだ。
過剰であり欠落しているのが、その人の指先から放たれた生の肉筆の文字だと思うのだが、そうしたものはキレイさっぱりと洗い流され、余白は削がれ、繁っているところは剪定され、整備も整地もされたものであるはずのメールの文面やネットワーク上でのやりとりは、やはり、つるんとしている。
そのはずだった。
そのはずだったのだけれども、私は、大きな見落としをしていたようだ。考えてみれば、活字がそうだ。
ある作家が書いた物語は、そもそも物語が巨大な虚構の構築物であるのにもかかわらず、そこに刻印されている活字はそこにしか収まりようがないと思われるほどの精緻さで収まっているのにもかかわらず、私たちは、その隙間からすら零れ落ちてくる某かを掬い上げて、その作家の人となりに思いを馳せる。
思いを馳せたその人と、幾ばくかの期間、私たちは多少の不自由さも感じながら、それでも大通りを闊歩するような自由さで、某かを交換させてきた。交歓をさせも、してきたのだ。
それが、私にとっての、mixiだ。

洗練された記号に堕しかねないネットワーク上の文字に、私たちは、いびつでしかないはずのナマの声を込め、顔を突き合わせることでしか得られないはずのものまで、手に入れてきたように思う。
そうやって、ネットワークを介して袖を摺り合わせた何人かと、実際に会ってもみた。いや、会うことへの不安はすでに払拭され、実際に会うことで手に入れられるものへの期待と希望で膨らんだとき、縁があれば、私は会ってきた。こちらからという場合もあれば、あちらからという場合もあった。
会ってみて、変わったものもあれば変わらなかったものもあるけれども、日なたと思っていたところが影に変わってしまうのは変わりかたをした人は、ひとりもいなかった。

大丈夫、ネットワークを介してでも、交換や交歓は、出来るのだ。
そして、今日、私は彼女と会うのだ。

*

その日の午後、風が強く、風の強さに比例するような速さで、時間が流れていった。
その時間は、現像に出していた写真が出来上がってくるような、不安と期待が入り交じっているだけれども期待のほうが上回っているような、なんともいえない時間だ。
あの店に行き、あれを食べ、あそこを案内し、こんな話をし、こんな話を聞いてみよう…。
私は、ついついそんなことを考えている自身の裡を外から眺めて、微笑むしかなかった。

陽もとっぷりと暮れたころ、私は待ち合わせの場所に向かう。
その直前、メールが入り、私は電話をかける。
こんなとき、どういえばいいのだろうか?
初めまして。では、ない。ではないのだが…。

そう思って逡巡していたら、彼女は、うどんを咽喉に流し込むようなあっけらかんさで、初めまして、ゆみ☆です、と、そう言ったのだった。
その声は、初めて聞いた声ではなかった。いや、初めて聞いたに違いないのだが、すでに、ネットワークを介して、mixiでのやりとりを通して、彼女の文面を触媒として、私は聞かされていた。そう、交換も交歓も、出来るのだ。

それからほどなくして、彼女が現れた。
体格のよさにびっくりしないでください、と、事前に彼女から釘を刺されてもいたのだけれども、私がびっくりしたのは、山の神でも背負っているかのような大振りのカバンを背負う彼女の、華奢な外見には似つかわしくない力の持ち主だということだった。

柔道に打ち込んでいる彼女は姿勢よく、パワフルで、前を向いて歩くことの正しさと気持ちよさを、これ以上ない輝きを放って体現していた。
健全なる精神は健全なる肉体に宿る、という、誰が言ったか知らないこの言葉を、私は信じているわけではないが、彼女を見ていると、その言葉を信じたくもなってくる。そういう女性だった。
もっともそれは、これまでに交わしてきた交換や交歓からも窺い知ることは出来たのだ。私は、そのことを改めて確認したに過ぎないのだけれども、それでも、日なたは日なただったことは、私にとっては喜ばしいことだった。

私は、彼女が持っている、前を向いて歩くことの正しさと気持ちよさを体現するものの正体を、その日、ほんの少しだけれども覗き見たような気もする。
はるかむかし、彼女の声は、切れ切れだったのだろう。口のなかで転成しきらない言葉を、彼女は、持て余しては囁いていたのだろうと、私は妄想する。
なにがきっかけとなり、どこにとば口があったのか、私は知らない。知らないけれども、彼女は、彼女自身の裡から湧き出る勇気と情熱と不断の努力で、きっと、今の彼女の正しさを、獲得したのだ。私は、そんなふうに妄想していた。

古くから海の向こうに向けて拓かれていた神戸に相応しいだろうと思い、スペイン料理を彼女に案内した。
なにを食べたのか、今となってはほとんど思い出せないのだけれども、それほど、私と彼女のあいだでは、おしゃべりの花が咲いたのだった。堰を切ったようだった。幕が開いたようだった。

食育のこと、プラントミネラルのこと、波動のこと、柔道のこと…、彼女の口から飛び出してくる言葉、事柄は、私にとっては、どれもこれもが、獲れたての真鰯のような新鮮さで、私の身体中に沁みていったのだった。
私からは、なにを話しただろうか? つまらないことを話したに違いなく、見せあった獲物の量は、彼女のほうがはるかに多かったに違いない。

楽しさも悲しさも、なかった。ただ、玩具を与えられた子供が延々とそれに夢中になっているような浮かされようで、けっこうな時間を、私たちは、おしゃべりに費やしたのだった。

最後、私は、彼女を、西村珈琲に案内した。
神戸の震災で一度は消滅してしまった名店だが、この店を自身の思い出と重ねあわせている人が神戸中にいることを自覚している店主が、震災などなかったのだと言いたくなるほどの精緻さで、そっくりに再建させた店だ。神戸に来た思い出を刻んでもらう舞台として、これ以上ない場所だとして、私は、彼女をこの店に案内した。

そういう珈琲を彼女に案内し、ほどなくして、私たちは、その日の交換と交歓を終えたのだった。

ネットワークを介して彼女へ感じ得たものの確かさが、そのままのかたちで目のまえにあった。その収穫は、季節外れのハーヴェスト・ムーンのようでもあり、その日、私は、心地よい風にあてられていたのだった。西村珈琲での一杯は、そのことを、これからも私に思い出させてくれるのだろう。願わくば、彼女にとってもそうであることを。




ははは、マイミクさんのゆみ☆さんと初ランデブーしたのですが、今回は趣向を変えて、ハードボイルドタッチにしてみたのでした(笑)

ゆみ☆さん、あの日は、楽しかったですね♪ 今度は、京都にでも遊びにきてくださいね。相方ともども歓待いたしまする~。

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