2006年11月26日日曜日

相方さんの広報活動

またまた相方さんネタ(笑)

えーっと、とりあえずご報告から。
相方さん、今月25日発売のエルマガ最新号(1月号)に「ニット教室」の記事が掲載されました。モノクロのP148の隅っこにちょこんと掲載されてますので(でも写真アリ)、お暇な方、見てやってくださいませm(_ _)m

エルマガ最新号の案内はこちら。もっとも、下記リンク先には、相方さんのあの字も出てきませんが(笑)


さてさて、エルマガジンと聞いて、関西にご縁のない方には、なんのこっちゃい?だと思いますので、少しご説明を。

ぴあ、ウォーカー、1週間なんかの関西ローカル版だと思っていただいて間違いないです。
といってもね、古いんですよ。
まだ、ぴあもウォーカーも1週間も関西版がなかった時代、オレが中学・高校のころのことですが、関西には、このエルマガジンとプレイガイド・ジャーナルという、2つの情報誌があったのでした。どちらも充実し、それぞれ頑張っていた情報誌なのですが、プガジャのほうは、かなりマニアック☆
『かねてつ啓蒙かまぼこ新聞』を『宝島』で連載していた故・中島らもさんが、似たような企画『微笑家族』を連載していたのが、プガジャです。そーいえば、いしいひさいちの名作『バイトくん』が連載されていたのも、プガジャ。まだまったく売れていなかったころの大友克洋(『AKIRA』の作者ね)を真っ先に取り上げたのもプガジャ。とにかく、関西中の数奇者と歌舞伎者が集結していたプガジャはマニアックすぎてつぶれてしまいましたが(笑) 生き残ったエルマガは、今や関西では知らぬ者がいないほどの情報誌に成長しました。

そのエルマガジンも、今では、ぴあやウォーカーと並ぶ関西情報紙の三本柱ですが、むかしはちっこかったんですよ、これが。
ページの両端余白に「イエルイエル」というコーナーがあるんですが、ちょっとした小ネタ、笑いネタなんかを1行で紹介する投稿コーナーです。

携帯でゲームをしながら、「あれ? 携帯どこに置いたっけ?」と考え込むことがある。脳年齢が心配。
QRコードを読み取るよりも入力したほうが早いことが割とある。

なんてかんじの、読者の投稿で成り立ってる、創刊当時からあるコーナーなんですが、オレ、高校生の頃、このコーナーの常連でした(笑) 毎号、5本くらい同時掲載とか、メチャメチャ頑張ってたな。なんか、同級生と競うようにして投稿してましたわ。
なんでってね、そのコーナーの担当編集者のお名前がヒヨコさんという方で、しがない男子高校生は、ヒヨコさんというかわいらしい名前から、勝手な妄想を膨らませ、なんとか彼女の気を惹こうと、そういう動機で投稿しまくってたわけですよ(笑)

あるとき、投稿とはべつに、我等が同級生は連名で、ヒヨコさん宛に手紙を書いたんです。
ファンですだとか、かわいらしいお名前ですねだとか、お顔がわかる写真を送ってくださいとか、お会いしたいです、とか(笑)
そしたら、返事が来まして、しかもお顔がばっちり写ってる写真も同封され。。
今にして思えば、どこの誰ともわからんいち読者から顔写真を送ってくれと手紙を送りつけられて、送るほうもどうかと思いますが、そーゆー牧歌的な時代やったんですよ(笑)
んで、送られてきた写真は、20代前半とおぼしき婦女子さん当人の麗しき…ではまったくない、当人には違いないのでしょうが、ブサイクな写真。。。

はい、その写真を拝見した瞬間、我等が同級生全員の投稿熱は一気に冷め、写真を送っていただいたお礼も書くことなく、バックれたのでした(笑)
今にして思えば、あまりに失礼極まりない、アホアホでしたが、オレはそういう中学生なのでした。。。
あのときはすんませんでした、ヒヨコさん。。。

ま、そんなオレでしたが、その数年後、まさかエルマガジンの編集を手伝うことにもなり、同社が発行する新雑誌の創刊にもかかわるようになるとは、夢にも思っていませんでした。

情報誌のエルマガジン。
ファッション情報に特化したサヴィ。
この2誌が同社からは発行されていたのですが、もう少し大人にターゲットを絞った飲食店情報をメインとする雑誌を創刊することになり、オレにもお声がかかったのは、1990年のこと。
エルマガジンの「L」、サヴィの「S」と来たので、次は「M」を頭文字にした雑誌名がいいんではないかという、非常に安易な理由で生まれたのが、あの「ミーツ」です。
こちらも、関西にご縁のない方には、なんのこっちゃい?の話ですが…。


と、話はとめどなく横道に逸れていきますが、ちゃうちゃう、思い出話に浸っている日記ではないのでした。そんなことを書きたいのでは、ないのよ(笑)

えーっと、相方さんが、自分が働いているカフェの営業時間外の時間を借り切ってニット教室をやりたい、と、言い出したのが、今年の夏。
んで、チラシをつくることになり…、
その節は、マイミクさんのジャイ子さんに素敵なイラストを描いていただいたのでした☆
ジャイ子さん、改めて、サンキュ☆

とはいえ、おカネもないことですし、つくったチラシはわずかに500枚。
クラブイベントの告知チラシなど、チラシにもいろいろありますが、さすがに500枚は少なすぎます。でも、おカネがないから仕方がない。そこは、身の丈にあった投資なので仕方がないし、それでいいんです。
なので、おカネがないからこその少部数500枚なのですが、印刷というのは、枚数が少なければ少ないほど、1枚あたりの単価は高くなります。
たとえば、仮の数字を出しますが、
500枚だと印刷代が10,000円。 1枚あたり20円。
5000枚だと印刷代が50,000円 1枚あたり10円。
こんなかんじです。
なので、このときのチラシは、少部数しか印刷しなかったため、1枚あたりの単価がどえらい高いモノになってしまってるんです。
だから、貴重なんですね。枚数は少ない、でも1枚あたりの単価は高い。マツタケとおなじ、貴重品ですわ。

でも、相方さん、生まれて初めて自分のチラシをつくったわけですから、はしゃいで、あっちこっちのお店に片っ端から、置いてください!を連発して、おもいつくかぎりの場所に、ドサドサとチラシを置いていき…。
ま、初めてのことやし、はしゃぐからこそなので無理もないのですが、そんなんやから、オレに、ちょっと待ちなはれ、と、背中を引っぱられるんです。
これな、1枚○○円の現金やと思って、配ってるか?と。
レンタル倉庫を借りても置ききれないほどの枚数を印刷したのならともかく、高い高いチラシが、たったの500枚ですから。
やみくもに片っ端からお店においてもらいに営業するのではなく、どの店に置いてもらうのが効果的なのかを考えに考えて、置いてもらう枚数も考えて、いろんなことを考えながら、動きはなれよ、と。
それから、置いてもらったあと、数日か1、2週間後に、様子を見にいきなはれや、と。
なくなってたら補充。出来たらお店の人に、どんな人がチラシを持って帰ったか、聞いてみる。
隅っこに追いやられてぞんざいに扱われていたら、撤収。
現金を配ってると思って取り組むと、チラシ配りひとつにしても、そこまで考えるでしょうから、そうしなはれ、と。ま、そーゆーことです。

とはいえ、なんせ枚数は500枚。はっきりいって、ニット教室に来てくれる人が1人いてくれたら上出来かな、と、オレは思ってたんです。問い合わせの連絡が10人あれば上出来で、そのうち1人でも教室に来てくれる人がいる、そこまでこぎ着けられたら上出来やと、思ってたんです。

でも、現実はやっぱりそれほど甘くもなくて、最初の1ヶ月、問い合わせはゼロやったんじゃないかな。
1件でも問い合わせがあれば、まだホッとするところがなきにしもあらずですが、ゼロはダメです、ゼロは! チラシつくってないとおなじだから。

そりゃ、ゼロだと、相方さんはあせりますね。
あかん、次の動きをせなアカン! と、相方さんが呟いたのは、チラシをつくってから1ヶ月経った、とあるエスニック・カフェでのこと。。
おれ、ほう!と思いましたよ。
ちゃんと、次の動きをはじめようとしてるし、諦めてない。いつもなら、どうしよう!って焦って、おなじところをグルグルまわってるだけの思考悪循環に陥る人ですから。

んで、彼女がオレに言ったのは、「雑誌の編集部とかにチラシを持っていくのって、どうすればいいの?」。
オレ、チラシが出来たときに、相方さんに、チラシを雑誌の編集部に持っていって雑誌に載せてもらえるように交渉してみ、と、言ったか言ってないか覚えてないんですが、次の一手として、その方法があるのは知っていたんです。で、頃合いをみて、それを進言しようとも思ってたんです。

上記のエルマガジン、古くから仕事上の付き合いがあるから、知ってる人も何人かいます。
といっても、オレが知っている人は、みんなエラくなっていて、取締役だとか、そういうポジションに行っちゃってる人たちばかり。だから、オレが言えば、載せてくれます。
それをしてもいいけれども、それだと、安易すぎるし、だから、相方さんに、編集部へのアプローチの仕方だけを教えて、自分でやってみなされ、と、そういうことにしたんですわ。

ここは褒めてもいいと思ってます。
雑誌掲載のお願い手紙を自分で書き、チラシを同封し、いろんな編集部に郵送。あるいは、いろんな編集部に直接足を運んで、直談判。
相方さん、やってましたね。
初めてそんなことやってるんだから、これだって勇気のいることだし、腰が重かったら出来ない。
頑張ってやってましたね。
それも、オレが手取り足取りやったわけじゃない。相方さんが自分で考えて、自分でやろうと決めて、そのうえでわからないところが少しだけあって、そのやりかたを相談されたから、そこを教えただけです。
だから、ここは褒めますよ。でかした☆(笑)

そしたらば、その甲斐あって、エルマガジン社から連絡があり、掲載したい、と。
エルマガジンは公称発行部数28万部です。
そりゃ、記事の扱いはちっこいですけどね。でも、公称28万部です。
1枚○○円の現金を配ってるつもりでチラシを撒いてるか?と、言っていたわけですが、そのうちの1枚は、28万枚に化けました!

よかったじゃん☆

それと相前後して、いろんなところに置いたフライヤーを見た人からも問い合わせの連絡がちらほらと来るようになり、さらにホームページを見た方から出張ニットの依頼が舞い込むようにもなり、ちょっとずつだけど、歯車がまわりはじめましたわ。

悪いことも続くもんだけれども、いいことも続くんですよね。
歯車は、まわりはじめたらどんどんまわっていくからね。
もう、夜明けは近いです☆

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