2006年11月21日火曜日

相方さんの才能と問題点

少しまえに、マイミクさんのmomoさんが相方さんをベタ褒めした日記を書かれまして、オレ、コメントにかなり窮したことがありました。
オレが恥ずかしいから、リンクは張りません(笑)

んで、それを受けて、というわけでもないのですが、先日、相方さんに、お仕事における相方さんの現状と未来について、オレなりに思うところを話したわけです。

以下、題して、相方さんの才能と問題点(笑)

えーっとね、オレが言うのもなんですが、ニットで食べていくうえで、相方さんは才能がありますね。

現在25歳。まだニットでは食えてません。

オレはニットのことなんてなにひとつ知りませんが、これまで、何人もの人を育ててきて、何人もの後輩を見てきて、かつ自分が歩いてきた経験も照らし合わせて、わかることはいくらでもあります。
モノになる人間は、わかりますから。
モノにならないと思って、のちに追い抜かれてしまうほどの大物になった人もいるのですが、オレの審美眼は、悪いほうに外れることはないのですよ。

もうね、間違いなく、近い将来、ニットで食べられるようになります。
相方さんのご家族は、学校を出てから就職もせずにいる彼女を見て心配してらっしゃるようですが、心配ご無用。オレには、くっきりと見えてますから。見えすぎるほど見えてます。

才能、その1。
ニットを編み続ける。編むことを、やめない。
これ、デカいです。周りにどんだけ反対されても、家族のなかで四面楚歌になってもね、相方さんはニットを断念したことがありません。まあ、でも、それはいいです。

それとですね、
相方さんは、自分の進む方向性について、迷いに迷う人でもあるんですが、それでも、編み棒を置くことがない。迷いながらも、逡巡しながらも、必ず、なにか編んでる。これがね、じつはデカい。
あのね、モノヅクリする人が、モノをつくらなったらそこで終わりなんですが、それを正当化する理由なんて、いくらでもあるんですよ。
今は行き詰まってるから、少しニットから離れてみる、とか。
それこそ、充電中とか(笑)
モノヅクリしてたら、壁にはなんぼでもブチ当たりますよ。迷いもしますよ。そうならないほうがおかしんですが、それを乗り越える方法は、ニットなら、ニットをすることしかないんです。編むことによって、編み続けることによって、壁を乗り越え、迷いを絶つしかないんです。
そういう理屈を相方さんはまったくわかってませんが、わからずに、自然とそれをやってる。それこそが、才能なんですね。

才能、その2。
作品を完成させることが出来る。
これも、デカいです。
少しでもモノをつくりたいと思った人、たとえば小説を書きたい、曲をつくりたい、絵を描きたい…、いろいろあると思うんですが、大抵の人は、そう思ってペンや筆をとったとして、最後までつくりきることがないんです。
曲ならイントロだけつくって投げ出し、小説なら最初の3行を書いてお蔵入りにし、絵なら下書きの途中で放ったらかしにし、ホームページをつくってみたものの大半は工事中のまま…、下手をすればそれの連続です。
オレなんて、曲のイントロやサビだけなら、20も30もつくってますよ。でも、欠片ばっかりで、ひとつの曲として完成しきることがない(笑) そっち方面の才能がないってことです。だからオレは、聴くほうのプロにまわってるわけですが。
そりゃね、ひとつの作品をつくるのに、その過程でボツになったものは山とありますよ。ただ、完成品が出来れば、ボツになったものは、完成品のための肥ですから。それはいいんです。でも、どれかひとつでも完成させないと、つくりきらないと、お話になりません。これが出来るかどうかは、才能の有る無しの、ひとつの分かれ目ですね。
つくりきって初めて、評価の対象になりますから。そうしないうちは、どの壇上にも俎上にも、乗っかってないのですから。
今、相方さんのサイトには、相方さんがこれまでにつくってきた作品が40点強、掲載してあります。これが彼女のキャリアに照らしてみて多いのか少ないのかは、オレにはわかりません。でも、40点強の作品をこれまでにつくったということは、すでに作品を完成させるだけの力は持っているということです。それがわかれば、いいんです。

大きく見て、相方さんには、この2点の才能があります。これは、どれだけニットに惚れているか、ということにも繋がっていくんですが、結局のところ、自分が選んだものを(あるいはニットに選ばれたと言ってもいいんですけどね)、どれだけ好きでい続けられるか、これが、才能の正体のひとつなんです。

そんなこと?と思う人もいるかもしれませんが、これ以上に大切な才能なんて、ありませんから。

あとはね、どれだけ人を幸福にする作品をつくることが出来るか、みたいなことは、当人の生きかたや努力にかかってくることですから。これは、才能ではなく、生きかたや努力や姿勢の問題。

その点で言えば、相方さんのフットワークの軽さは、ひとつの武器です。
ニットをやっていた人が、必然的に糸に興味を持ち、羊を調べ、紡ぎを独学で学び、今や、自分で糸を紡いでます。
その傍ら、各方面でニット教室の講師の仕事をはじめています。食べるためにはじめた講師の仕事ですが、他人にニットを教えることにも歓びを感じているようです。
他人から見れば、あれもこれもと手を出しすぎ、と、見えるかもしれません。
そして当人は、今ここにいたって、自分は本当はなにをしたいんやろうか?と、悩んでいます。
どれも中途半端になりそうで怖いだの、いろんなことに手を出しすぎていっぱいいっぱいになって余裕がないだの、言ってます。

相方さんのフットワークの軽さが招いた事態でもあるわけですが、それでいいんです。
糸紡ぎも、講師も、好きだからやってる。今は、ニットも糸紡ぎも講師もやりたいから、やる。それでいいんです。

人間は、どう転んだところで、好きなことしかやらないし、なりたいものにしかなれないんですよ。

心底やりたいことは誰にどれだけ反対されてもやるし、やりたくないことはやりません。
本当はプロのギタリストになりたかったけれどもオヤジが死んで家の八百屋を継がないとダメになったから、プロのギタリストになる夢は諦める、なんてのは、嘘なんですね。
心底ギタリストになりたかったら、家と絶縁してでもなるだろうし、天秤にかけて、オヤジさんの残してくれた八百屋さんを守るほうが大切だと思ったからこそ、彼は、八百屋さんになったんです。どうしても、というのなら、八百屋とギタリストを両立させることだって考えるだろうし、なんとしても、という気持ちがあれば、どんなことでも考えるもんだから、人間は。その人は、心の底で、八百屋になりたかったってことです。家族と絶縁してギタリストになるよりも、八百屋さんを継ぐほうが、自分にとって心地いい場所だと思ったってことです。そんなことは誰も非難することではないし、それでいいんだと思います。自分が八百屋になりたかったから今、八百屋をやってるということを、受け入れればいいだけのことです。そこで頑張っていけばいいだけのことです。

話が逸れたな。

だから、ニットも糸紡ぎも講師も、やりたいからやっているわけだから、やればいいんです。
そのうち糸紡ぎはやりたくなくなるかもしれないし、講師一本でやりたくなるかもしれないし、全部をトータルでやっていくと覚悟を決めるかもしれないし、そうなったらそうで、いいんです。どこに迷惑がかかってるわけじゃなし、それでいいんですよ。
どれかに絞りたくなったら絞ればいいし、そのまま行きたいと思ったら行けばいいだけのことで。
やりたいと思ってやっていることは、絶対に伸びるから、やればいいんです。
そして、やりたいと思ってやったことは、途中でやりたくなくなってやめたとしても、必ず、生きるから。それは全然大丈夫なのですよ。

以上、相方さんの才能2点と武器です。
もう1点、相方さんには得難くも素晴らしい才能がありますが、それは後述します。
以下、問題点。

悩んでる時間が多すぎるんですよね。
上記のことでも、あれもこれもと手を出して、本当は自分がなにをやりたいんやろうか?と、悩んでる。
今、本当にやりたいことが3つも4つもあるからやっているわけで、それがどれか1つになれば、そのときはそうするだろうし、今やってる3つも4つものことをやりたいと思っているうちはやるだろうし、んなもん、考えるまでもなく、今、本当にやりたいことをやっているに決まってる(笑)

まあ、でも、悩むのは仕方がないことでもあるんですが、ただ、悩んだところでなにも解決はせんし、物事は一歩も前に進まない。状況は、なにひとつ改善されません。
悩むというのは、なにか考えているようで、その実、なにも考えていないんですね。
だから、悩むのではなく、考えないとダメ。ひとつひとつのことを細部までリアルに想像して、細かくシュミレーションして、どの道がいいのか、考えないとダメです。相方さんは、それが出来ない。
ぼんやりと、どうしよう!どうしよう!と、そればっかりが頭のなかをグルグル巡ってるだけ。まったくもって、時間の無駄。そして、その時間が多すぎる。

結局のところね、雑念だらけなのですよ。

悩むことに時間と力を使っても、まったく意味はない。
そこ、集中力の発揮の仕方と、才能の使いかたを、相方さんは間違えてます。

んで、すぐにパニックになるんだな。
んで、パニックになる自分を嫌悪するんだな。
本当は、そんなことでパニックになどなってもらうと困るんですが、パニックになること自体を怖れることはないんですね。
限界まで行ってパニックにならないと、限界値が広がっていかないから。
10のことでパニックになれば、次は10のことがパニックにならずに出来るようになります。そのときに初めて、11のことが出来る可能性が見えてきます。そうやって、限界値を少しずつ広げていくしかないので、パニックになったり壁に打ち当たったりするのは、むしろいいことです。
壁に当たるなんてのは、進歩している証拠以外のなにものでもないですから。
階段というのは、前に進んで上に上がってまた前に進んで上に上がるという動作の繰り返しだけど、壁というのは、あれとおんなじでね。前に進むからこそ、次の壁が見えてきて、それを登ってまた前に進んで、また壁が見えてくる。それの繰り返しです。だから、壁に打ち当たったら、それはむしろ、喜ばしいことなのですよ。
第一、パニックになるのは実力がないからパニックになるんですが、実力のなさを嫌悪するくらいなら、努力すればいいってことです。

相方さんの自信のなさは、もうこれは性格的なもんだから変えるのはなかなか難しいですが、壁に打ち当たったときは、自分が進歩している証拠であると、そういうふうに考えてもらえんですかね。。。

さて、最後。才能、その3。
相方さんは、どういうわけか年長者に好かれます。
相方さんの周りには、相方さんに親身に助言をしてくれる大人が、何人もいます。
これはねえ、得難い才能です。オレが欲しくても手に入れられない才能。
ほら、失敗しても許されてしまう人っているでしょ。あいつはもう!でも、あいつだから仕方がないか、ってかんじで。あれも才能のひとつだけれども、相方さんのように、周りに何人もの年長者がいて、親身に助言してくれる人がいるのもまた、才能なのですよ。しかも、得難い才能。
本人がどこまで気がついているのかわからないけれども、これは、絶対に手放してはいけない才能です。

独立独歩で仕事をしていく場合、たとえばオレのような売文屋だと、腕一本、筆一本で実力で稼いできた!と胸を張って言いたいところだけれども、本当のところは、実力だけで仕事をもらっているかどうか、怪しいのですよ。仕事を発注する場合ね、実力を見込んで仕事を発注するのは当然だけれども、実力とは関係ないところで、あいつはいいやつだから、ってことで仕事を発注する場合だって、いくらでもあるんです。
もしかしたら、そのほうが多いかもしれない、ってくらいに。
だから、実力勝負の世界であっても、人間性が左右することって、いくらでもあるのですよ。
その点ね、相方さんは、いろんな人に好かれる。それも、大人に好かれる。
これはね、相方さんが考えている以上に、大きいことなんですよ。

相方さんが近い将来にニットで食べられるようになったとして、そのきっかけは、どっかのコンクールで優勝するからかもしれない。それは知りません。オレは、相方さんのニットの正確な実力なんて知りませんから。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
それはそれとして、確実に言えることは、誰かが相方さんに、大きな実のつく仕事を持ってきてくれるだろうな、誰かが大きなステージに相方さんを引っぱりあげてくれるだろうなということは、想像がつきます。
周りがそういうふうに動く才能が、相方さんにはあります。

はっきり言ってね、こんだけの才能が揃ってて、ニットで食えないままで今後も進んでいくことのほうがおかしいくらいです。
もしそうなら、よほど努力が足りない。
もっとも、よほどとは言わないけれども、今でも努力は足りません。全然、足りません。雑念が多すぎますから。
雑念を払い、集中力を最大限まで発揮する方法を手に入れたら、相方さんはびっくりするようなスピードで伸びます。


オレは、モノになるかどうかの判断は、悪いほうに外したことがありません。
人相見に関しては、まず外しません。
だから、ここに書いたことは、必ず、当たります。

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