2006年11月11日土曜日

「何度でも夢を見せてやる、世界が平和だったころの夢を」と、彼は言った。


昨日の夜中、サッカーの日本代表20歳以下のアジアユースを観ていて、そのままなにか観ようと思い、HDDレコーダーの録画リストを眺めていたのでした。
HDDレコーダーって悪魔ですね。100時間以上は余裕で録りため出来るから、観るか観ないかわかんないモノまで、とりあえず録画予約しちゃう。結果、未視聴の録画ファイルのたまることたまること!
んだもんで、時間もないし、きっと観ないだろうと思われるものはゴミ箱に行ってもらって消えてもらおうと、整理してたんですよ。

そしたら、です。比較的新しかったので、たぶん今週か先週の番組だと思うんですけど、キヨシローが先月に発表したアメリカ・テネシーはナッシュビル録音のアルバム『夢助』の制作ドキュメンタリーがあるじゃないですか! んなもん、放送してたことも知らないし、録画予約した覚えすらなかったんですが、さすがオレ! ちゃーんと、番組表から無意識のうちにピックアップして、録画予約ボタンを押していたんですね。
これだから、人生はやめられません。青少年及びうら若き女子諸君、自殺なんてしてる場合じゃないんだよ☆

そのむかし、スタックス・レコードというアメリカ南部のブラック・ミュージックを代表する名門レーベルがありまして、オーティス・レディングだパーシー・スレッジだといった偉大なソウル・ミュージシャンを輩出したレーベルなのですが、そこに所属するアーティストのほとんどのバックをつとめたのがスティーブ・クロッパー率いるブッカー・T&MG’sなのですね。RCサクセションは、彼らに憧れて、どこまでも彼らに近づこうとしたんですが、結果、RCは世界のどのバンドにも似ず、RCはRCです。そこがすごい!
で、今回、清志郎がメンフィスに乗り込んで、スティーブ・クロッパーと共同作業でアルバムをつくる、と。そういうドキュメンタリーです。ちなみに、このコンビでの共同作業は2度目。10年ほど前にはMG'sを引き連れて、清志郎は日本でツアーやってますからね。オレ、それは観てますから☆

ああ、時間がない!
清志郎とメンフィス・サウンドの繋がりを書くのは、今回の日記の本意ではないのですよ。いや、それについても思いっきり書いてみたいんですが、今回は、違うんです。

えーっとね、今回のアルバムのなかに、『激しい雨』というナンバーがあるんです。

盟友のチャボさんが、言い出しっぺです。
ニール・ヤングが、30年以上も前の、自身のキャリアの出発点となったバンド、バッファロー・スプリングフィールドというバンド名を、最近、歌詞のなかにしのばせたんですね。
それを聴いたチャボさんが、長い年月を経て、そういうことが出来るのはいいなあと思い、清志郎に、やってみなよ!って提案したんだとか。

みんな、清志郎の声は大好きじゃないですか。あの声でね、「RCサクセション~」ってフレーズの歌詞を歌われて、それがたまたまラジオから流れてきて、それも一発で本人だとわかる声で…、それって、ちょっと素敵じゃないですか。そういうことが、発端だったらしいのですよ、テレビによると。

そういうことが発端となって出来た曲が、『激しい雨』。
でも、ただの懐古ソングになってないのが、清志郎のすごいところですよ。この人は、全然現役ですから。

季節外れの、激しい雨が降ってる、

というフレーズではじまるこの曲は、
クロッパーらしいタイトなリズムを刻みながら、

あちこちで起こっている厄災や悲惨な出来事を嘆いたり悲しんだり怒ったりするんです。

そして、最後、やはり彼の詩の世界は個人的な出来事に帰結していきます。

お前を忘れられず、世界はこの有様、


そしてそして、
必殺のフレーズが、出てくるんですよ。

oh 何度でも夢を見せてやる
oh この世界が平和だったころの夢を
RCサクセションが聞こえる
RCサクセションが流れてる

ねえ、こんなふうにRCサクセションって言葉を使うのって、すごいですよ。
もう20年も前のことだけどさ、あの時代は、今よりもよっぽど平和だったんですよ。
そんときの夢を、いつでも何度でも見せてやるぜ、って、この強烈な自負。
時代のことなんかじゃないんですね。あの年齢の頃、若かった頃、ジタバタしてたし息苦しかったし、上手くいかないことのほうが多かったし、なんにもいいことなんてなかったけれども、それでも、今、いろんなことを諦めたり妥協してきたりして辿り着いた今に比べたら、なんぼかマシだ! それに、あんときは、RCがあったじゃないか!
そういう曲。
平和だったの頃のこの世界というのは、いうまでもなく、清志郎が見ていた世界のことです。オレが見ていた世界のことです。

平和というのは、政治的な定義を持ち出すと、「戦争が行なわれていない状態」でしかありません。飢餓が起ころうが大地震が来ようが、戦争が行なわれていない状態なら、それは、政治的な、「平和」と呼ぶ範疇に入る状態です。

歌が、ロックがそれに対抗するには、清志郎のように歌うしかないんですね。
「夢を見せてやる」と。
それは、清志郎が、あの声でもって、「RCサクセション」と叫ぶことで現出する夢です。その夢を見る、それが、政治に対する、音楽の、歌の、ロックの対抗手段なんです。

音楽は、つくづく歌詞じゃないよな、これを聴いていると思います。
だって、清志郎が、あの声で、『RCサクセション!」と叫ぶだけで、マジックが起こるんですよ。発語の快感以外のなにものでもない。

ナッシュビルでクロッパーが集めたバック・ミュージシャンは、皆、凄腕だけど、清志郎のことを知る人なんて、いないんです。それがね、一発で、あの声とあの歌いかたとあの立ち居振る舞いとあの面構えとあのオーラで、みんながみんな、一発でやられちゃう。皆が皆、「偉大なソウル・シンガーだ」と、興奮してます。

つくづく、音楽は、言葉ではないな。



忌野清志郎 / Otis Taought

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