2006年3月10日金曜日

『炎のジプシーブラス 地図にない村から』





いや、素敵なDVDを観ました。ずっと前から観たかったのだけれども。
『炎のジプシーブラス 地図にない村から』ってやつです。
オレと彼女の大好きなルーマニアのジプシー音楽集団ファンファーレ・チョカリーアのドキュメンタリー映画です。2年くらいまえに、上映したのかな。

ルーマニアの、それこそ地図に載ってないくらいの小さな村を訪れたドイツ人の音楽プロモーターが、チョカリーアと出会うところから、話ははじまります。

ルーマニアを含む東欧、バルカンのジプシー音楽というのは…、
19世紀のはじめ、バルカンがトルコの支配下にあったころ、そこを北上してきたオスマン・トルコの軍楽が、この音楽のルーツです。トルコの軍楽は、太鼓と大量の笛で構成されており、それがバルカンのジプシーたちによって、トルコの笛からヨーロッパのブラスへと切り替えられ、音楽の意味も、軍楽から冠婚葬祭のための音楽という日常性のなかへと変化していきました。そこにバルカンのさまざまな民族の伝統音楽のメロディ、リズムが、このブラス・サウンドには混ざりあっています。

そんな彼らを、ドイツ人の音楽プロモーターが、まさに、発見するわけです。で、彼らの音楽の素晴らしさを、ヨーロッパ中、果ては世界中に知らしめようと奮闘するわけです。
ただし、チォカリーアの面々はといえば、降ってわいたような儲け話をきっかけにどんどん強欲になり、ギャラの釣り上げ交渉から、CD発売のリクエスト、移動の待遇、スタジオ代を誰が負担するかとか…、関心の先は、そんなところばっかりです。そりゃそうだ。文化のために音楽をやっているのではなく、生活のために音楽をやっているのだから、要するに、金儲けなのですよ。だから、カネの話にうるさい。もう、カネと待遇の話ばっかりですから。

このドキュメンタリーの素晴らしいところは、ベルリンでのコンサートや東京での路上ライブ(警官と交渉しながら!)の素晴らしさもさることながら、そうした彼我の意識の違いが、くっきりと隠すことなく描かれているところかなぁ。
ある程度の小金があって、生活の心配が一応は払拭されて、次は文化でも、って人と、食うために音楽をやってる貧乏人とでは、音楽に対する意識の差があります。それが、ちゃんと、それもあからさまに描かれてる。その意識のズレがね、ユーモラスを醸し出してるし、リアリティを与えてもいました。

でも、なにかに似てるなぁと思ってチョカリーナの演奏を聴いていて、ふと思い出したのは、飲み屋の風景。よく考えてみるとそれは毎晩飲みにいくような、飲み屋の風景なのでした。
毎晩来ている常連さんたちがいて、その常連さんたちは仕事も育ちも違っているけれども、みんな仲よくて、話は途切れない。ある人が話し出せば、みんなでその話に花を咲かす。たまには言い合いもする。そんな普通の会話が、彼らの演奏のなかには、あります。長年一緒にやってるメンバーだからこそ、の、呼吸ですね。

そういう映画をDVDで観ながら、どこにも行かずに、晩ゴハンも弁当を買い込んできて、彼女と2人でホッコリしてました。

夜が明けて、昼頃から、いよいよ今年も京都の神社仏閣巡りをはじめました。
今年一発目は、龍安寺と等持院。
龍安寺は、例の石庭と、「吾、唯、足るを知る」のつくばいで有名な禅寺。ここ、ものすごく崇め奉られてますが、初めて行ってみて、それほどすごいところとは思いませんでしたな。まあ、石庭があんまり好きじゃないというのもありますが。
等持院は、室町幕府歴代足利将軍の木像とお墓が祀られているところ。ここの夢窓国師作の池泉廻遊式庭園のほうが、彩りがあって好きですね。鶯張りの廊下もあって、歩くたびにピヨピヨと音がしてましたよ。

ほんとはね、彼女と2人でもっともっとノンビリしたいのですが、貧乏ヒマなし、です。
もうすぐ、お寺さんの庭にも花がたくさん咲いて、彩り鮮やかになります。そんときは、も少し、のんびりホッコリしたいものです。




ファンファーレ・チョカリーア / 『Maue Ca Voca』

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