2005年12月8日木曜日

あの年の12月8日


ジョン・レノンが亡くなっちゃった日ですね。
NYの自宅、ダコタハウス前で、クレイジーなファン、マーク・チャップマン(だっけ? 仮釈でシャバに出るとか出したらアカンのとちゃうかとか出たら殺されるんちゃうかとか、数年前に騒いでたよーな…)に「ハロー、ジョン!」とか言われて、いきなりピストルぶっ放されて、亡くなっちゃった日。

80年のこの日、オレは中学3年生の受験生でした。
イヤ、受験勉強は年が明けてからの一夜漬けしかしてないので、この時点では受験生でもなんでもなくて、単に、放課後サッカーに明け暮れる中学3年生でしかなかったですかな。

で、当日。
その日、吉田拓郎が好きだったオレは (イタい過去やな。メロコアや!ワールドや!ブラジルや!ってきどってる今の若いコらの最初に買ったアルバムがB'zやったってバレたときの赤面とおんなじくらいにイタいな。B'zに罪はないのにな)、放課後サッカーを早々に切り上げてですね、FM大阪で放送される吉田拓郎特集をエアチェックするべく…。

解説、要るな。
エアチェック。まだ、802もKISSもなかった時代、関西の音楽DJといえば若宮てい子やった時代、エアチェックなる行為が一般的だったのですよ。FM funという雑誌がありましてですね、これにはTV BrosみたいにFMの番組放送予定が2週間分ついてて、そこには、各番組ごとに、放送される曲と、その曲が何時何分に放送されるかが、事細かに書かれていたんです。
それでですな、LPなどという、ほぼ一律3300円のものしか売られてなかった時代に、財力が乏しくてあたりまえの中学3年生だったオレにかぎらずですが、世の音楽ファンはですね、それぞれお目当ての曲が放送される時間にラジカセの前の正座してですね、ラジカセにカセットを挿入してですね、お目当ての曲が流れる時間にですね、録音ボタンを、ガシャン!と押していたのですよ。これが、エアチェック。ほいで、そうやって録りためたテープは、FM funの付録についていたカセットラベルを切り取って、かわいくデコレーションして、コレクションの端に並べていく、と。ダウンロードがあたりまえの今からすると、タイマーすらなかった時代。隔世の感がありますな…。戻りたいとは絶対に思わへんけど。

で、吉田拓郎の曲をごっそりエアチェックしてやろうと、その日は放課後サッカーを早々に切り上げて、おニューの生テープを用意してですね、ラジカセにセットして、正座して、録音ボタンに人差し指を置いて、鼻息を荒げて、スタンバイしてたわけですよ。
そしたら、ですわ。ビートルズのなんたらいうオッサンが殺されて、その日は、急遽、その、なんたらいうオッサンの追悼番組に変更…。延々、その、なんたらいうオッサンの曲が流され…。イヤ〜、あのときのオレは、かなりご立腹でしたよ。

それから月日は流れ、洋楽を聴くようになり、古いのを漁るようになり、日米英以外のも聴くようになり、音楽バカになり、音楽極道になり…、あぁ、あのとき亡くなったオッサンはジョン・レノンだったのか、と。で、現在に至っております。

たまに若い衆のバンド運営にかかわったりもしますが、なにしでかすかさっぱりわからんオッサン、あんなオッサンがバンドに一人いたら、やりにくいやろな〜って、思いますわ。表現も行動もシニカルやし、突発的やし、唯我独尊やし、無邪気やし。案の定、オッサンのせいで解散してるし。
でも、そーでなかったら、「マザー」も「ゴッド」も「ワーキング・クラス・ヒーロー」も生まれんかったとも思います。全部、気狂いの歌ですやん。気狂いでない表現者なんかに興味はないから、外野のオレは、それでいーんですけどね。でも、近所にいてる人たちは、たまらんかったやろな、と。

それをね、あのオンナがね、愛と平和の使者みたいなイメージに収斂させやがってね。天才がね、世の中のこととか他人のことを考えるわけがないっしょ。天才は、徹頭徹尾、自分のことだけ考えるもんでしょ。そんなこともわからんとね、ほんまに夫婦やったんかいな?って思いますけどね。

そんなわけで、今日はジョン魂でも聴いて、オレも唯我独尊になってみます〜。

そうそう、最後になっちゃったけど、ジャイ子さん!おめでとう!いい日になるといいですな!



John Lennon /『God』

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