2005年12月28日水曜日

敵ながらあっぱれ





ヤマ、越しました♪

あとは、正月用のWebの更新ページの作成が少々と、小物印刷物の校正関係が少々と、支払い関係と、バックアップ・データの作成と、来年早々に手をつける企画の打ち合わせと…、こうして書き出してみると、少ないようで結構あるな (笑) それと、挨拶まわりと大掃除。

そんなわけで、本日は比較的ゆるゆると仕事してます。

さて、
こないだ、ジョージ・マイケルが自身の映画のプロモーションのために来日してましたね。男前のパートナーを伴って。

少しまえに試写にお呼ばれして映画も観てきたことだし、今回はその話などを少し。

今どき、マイケルといえば「ドン、マイケル」のマイケルなのだろうけれども、ついこないだまで巷で流れていたクリスマス・ソングの『ホワイト・クリスマス』を歌っていたのが、ジョージ・マイケル。当時は、ワム!か。

ジョージとオレはほぼおなじ世代で、日本ではバブル世代と言われてます。そーいえば、新人類なる呼称もつけられた世代でもありますが…。苦笑。

ワム!がジャニーズみたいな姿でデビューした82年、高校生だったオレは全身を白粉で塗ったくった不気味な舞踏劇団で脚本を書いていたようなアングラ少年だったので、当然、その後のバブルとは関係のない人生を送っていました。
その頃の若者は、オレみたいなアングラ系と『なんとなく、クリスタル』(今の若い衆は知らんかもしれんが、現・長野県知事の田中康夫は、当時、それはそれはナンパな小説を書いていたのですよ。これは、そんな彼のデビュー作にして出世作)族とにはっきりと色分けされていて、ジョージ・マイケルは、どちらかといえば後者に支持されていたけれど、オレだってそのメロディと歌唱には、敵ながらあっぱれ!と思っていたものでした。

『ラスト・クリスマス』なんて、曲もいいけど、ストーリー仕立てのPVもいいし。『ケアレス・ウィスパー』も最高だったな。郷ひろみと西城秀樹が同時にカバーするなんて、尋常じゃないっしょ。

ジョージにはバブル世代特有の水っぽさがあり、そこがファンにはたまらなかったのですよ。もっとも、サブカル系婦女子たちは、ジョージのワイルドなイケメン(なんて言葉はなかったが)ぶりに、ホスト(なんて職業も稀少だったが)を見るような眼で敵意をむき出しにして引いてましたけど。で、繰り返すけれども、当時の彼は、もちろんオレの敵。

ところが、です。
そんなジョージが、ある日、ゲイをカミングアウトしたもんだから、おったまげたもんですよ。ルックスもまさに、ハードゲイでーす!みたいになってしまっていて。でも、オレは、このとき、なぜか納得してしてしまい、むしろシンパシーを持ってしまったな。去年発表されたアルバム『フェイス』も、とてもよかったことだし。

映画は、おなじゲイ仲間のボーイ・ジョージ(カルチャークラブというアイドル・バンドを、今どき、どれほどの人が知っているのだろうか?)が指摘する通り、とにかくジョージは真面目すぎる。被害妄想も強い。アイドル時代の狂躁に懲りたかのごとく、カメラも大嫌い。レコードのプロモを巡ってソニーと裁判したり、挙げ句の果てに負けたり、今でも「ツアーはゴメンだ!」と断言するように、とてもデリケートな人間なのです。
ルックスにやっと自信が持てたのも41歳になってかららしい。友人のエルトン・ジョンも「彼はもっと外に出るべきだ」と叱る。かと思えば、公園のトイレで猥褻行為を働いて現行犯で逮捕されたり、9.11の際には突然アメリカを批判する曲を出して反感を買ったり、オアシスのノエル兄弟に鼻で笑われたり…、バブルどころか、なかなかツラい日々があったようなのですよ。

そんな彼だが、亡き母親や、エイズで失った恋人のアンセモルや、現恋人のケニーなど、支えとなるものも多いようです。
なかでも、今も友人だというワム!のアンドリューとの関係は、なかなか微笑ましいです。20年の時間を経て、「キミが羨ましいよ」「キミこそいい人生だ」と笑いあう姿には、グッと来るものがありましたですよ。

ある世代にとっては、小学校高学年から中学生にかけて最初に聴く洋楽のなかに入っていたであろうワム! つまり、その後、必然的に恥ずかしいものとして退けられる運命にあった音楽のわけですが、それでもときおり届けられた新作には、ついつい耳を惹かれてしまったというのが、正直なところ。

そこのロックンロールおじさんにロックンロールおばさん、もう我慢しなくてもいいのです。今なら、普通にグッド・ミュージックとして聴けますから! 映画も、なかなか上質です。




GEORGE MICHAEL / 『Faith』

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