2005年12月3日土曜日

長居するしかないカフェ





テーブルをどんと叩いて力強く断言したくなるが、日本中どこを探したところで、こんな店はないです。

四条通高瀬川西側の西木屋町通の細い路地を入っていった、風俗店街のとば口に、その店はある。もっとも、店の創業が戦後直後の昭和21年だから、後出しのじゃんけんに負けまくったようなもんか。まあ、それはいいです。問題なのは、風俗店でもないくせに、この店のほうがよほど妖しい雰囲気をプンプンと匂わせていることなのですよ。

港町の場末のバーのような扉を押してなかに入ると、妖しさは一層の輝きを増します。地下でもないのに、窓が一切ない。ベルベットの赤で統一された椅子。低い間仕切りのような柵は、SMチックに黒光りして尖っている。テーブルも椅子も、恐ろしく低い。並みの男性なら、脚をテーブルの下に入れるとかなり窮屈な姿勢を強いられる。短い丈のスカートを穿いた女性なら、間違いなく中が覗く。まず、リラックス出来ない。近ごろ流行りの開放的な空間とは、あらゆる意味で、真逆。

店を仕切るのは、ママひとり。佐藤美恵サン。戦後直後にお母さんがはじめたこの店の、美恵サンはその当時からの看板娘です。当時、『夫婦善哉』で有名な織田作之助が木屋町を舞台にした小説を京都新聞に連載していたらしいのですが、その作品のなかで、木屋町一のベッピンさんと評された女性です。
しかし、それも50年以上も前のこと。もはや何歳なのかもわからないし、恐ろしくて聞くことも出来ません。

当然なのかも知れないけれど、かなりの妙齢であるはずの美恵サンの給仕は、恐ろしく遅い。まず、動きが遅い。絶対に、ゼンマイで動いてるな。厨房とホールを行き来するためにカウンターの下の低い通路を通るのだけれど、そのせいか、背中はほぼ直角に折れ曲がっていて、美恵サンのご尊顔を拝することは、稀です。
注文をとりにくるのも遅いけれど、出来上がるのは、もっと遅い。ホットコーヒーを注文して、なにをどうすればあれほどの時間がかかるのか知れぬが、ありつけるまでに平均で1時間はかかる。それまで、水も出ない。途中、カウンターを出て、レコードやカセットをリセットしたりするなどの、中断もある。

しかし、イライラしてはいけない。文句を言ってもいけない。そういう店なのですよ。この店を訪れるすべての人が、そのことを了承してやって来る。だから、ちょっと時間が空いたからお茶でも、という感覚で来てはいけない店なのです。あくまで、優雅にタンゴを聴いて楽しむ、それがメインの店なのだから。そう、書き忘れてましたが、ここはタンゴ喫茶なのです。
しかし、供されるホットコーヒーは、とても美味いです。。濃いけど、澄んでいて、切れ味の鋭いコーヒーが味わえます。 ミックスジュースはなにが入っているのかついにわかりませんでしたが、ピンク色をしていて、とても爽やかな味です。これもまた美味い。

結局のところ、こういう店なのだと思わなければ、とても行けない店なのですね。
午後3時開店という不思議な開店時間にもかかわらず、店には朝刊が各紙揃っている。さらにいえば、店が3時ちょうどに開くことすら、毎日ではない。4時、5時、6時に開店がずれ込むことすら珍しくはないのです。まわりの風俗店とは仲よくやっているようで、ときどき、出前の注文が入ります。コーヒー1杯の出前ですら、1時間以上かかる。なのに、出前の注文が入る。不思議なことです。出前に持っていくころには、注文主は注文したことすら忘れているのではないか、と思うほどで。

でも、 店全体から醸し出される不健康さ加減から、タバコは何本でも吸える。それだけでも素敵な店ではないですか。美恵さんの一風変わった人柄も、多くの人から慕われています。
いつも、次に行くときまで美恵サンはご存命でいらっしゃるかしら、と、そんな不謹慎なことを考えてしまうのも、彼女にまた会いたい、その一心からなのです。

あ、音楽についてなにも書いてませんでしたね。
この店の名前は、『クンパルシータ』。
タンゴの名曲であるらしい『ラ・クンパルシータ』から拝借したとのことですが、オレは、不勉強にも、この曲についてはなにも知りません。
スペイン人の中学生にスペイン語を教えていたこともあるオレですが、このスペイン語の言葉の意味も、よくわかりません。
調べれば簡単にわかるのでしょうが、調べてわかるよりもどこかで不意に出会いたいので、あえて調べていません。

とりあえず今は、タンゴを聴いています。

あ、京都在住の方は、このお店のことをご存知の方も多いと思います。追加情報、補充などありましたら、どんどん教えてくださいませ。





Astor Piazzolla / 『リベルタンゴ〜ピアソラ名曲集』

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