2005年12月9日金曜日

キムチオバァの闘いは今日も

近代的なビルと下町の香りを色濃く残す天神橋筋商店街を結ぶタイムトンネルのような小路が、我が家の最寄り駅であるJR天満駅より延びています。
小路の入口と出口に広がるそれぞれの光景の落差にクラクラするのだけれど、この小路のおかげで、落差をダイレクトに感じることはなく、一種の精神の緩衝地帯としての役割を、この小路は果たしています。

で、この小路の近代側の入口で、キムチを売るオバァがいるのですよ。そこは、正確には店舗ではなく、路上。
オバァは、毎日毎日どこからやって来るのかは知らぬがリヤカーにキムチやトックや韓国海苔などの食材を山積みにして、この場所に腰をおろし、店の屋根のつもりなのだろうが領有権を主張するかのようにパラソルを立て、やおら商品を並べはじめます。そして、道過ぎる人々に、片っ端から声をかけて売っていくんですよ。
オレは、ひいきにしているキムチ屋があるので、残念ながら、このオバァからキムチを買うことはなく、したがって味のほどは知らぬのですが、まず、高い。100グラム当たり200円で売ってますから、この界隈のキムチの相場の約2倍の値付けです。で、この界隈には天満市場があり、天神橋筋商店街があり、舌の肥えたグルメ・グルマン・業者の人口密度が異様に高いので、当然のこと、こんな値段では売れまへん。イヤ、真偽のほどは知らぬが、売れているところを、オレは、まず見たことがありまへん。
それでも、オバァは、買っていけ!と。命令形です。オレの顔など毎日見ていて覚えているだろうはずで、オレがオバァからキムチを買わないことなど、重々承知しているはずだと思うのですが、それでも、オバァは、毎日毎回、オレにも声をかける。きっと、他の人たちも、似たような経験をしているはずです。もちろん、それでもオバァはめげずに、今日も…。ここらあたりが、在日コリアン・オモニ魂の面目躍如といったところです。とにかく、孤高の叫び。

ところが、です。
ある日のこと。いつものように小路を抜けようとしたら、いるはずの定位置に、オバァがいない。その代わりにあったのが、柵。
オバァの定位置を狙い撃ちして、カラーコーンを四方に置き、カラーバーで囲み、ロープで結わえ、柵を置き、ご丁寧に重し代わりの台車と砂袋まで置いてあるではないですか。んで、カラーコーンには大阪市の紋章が。
大阪市の仕業ですね。出店厳禁の札まで下げてます。そりゃあね、一応は公道だし、行政の管理する場所だし、無闇矢鱈且つ勝手に出店してもいいはずがない場所ではないですよ。

でもなあ、あのオバァは、ずーっとこの場所でキムチを売ってきたんですよ。オレが生まれるまえから、飲んだくれの亭主に愛想を尽かして、オンナの細腕一本で、ここでわずかなキムチをでっかい声と押しの強い営業で売って、かつがつその日その日を凌いできたんですよ。

イヤ、本当のところは知らないんですけどね。
いつからここで商売してるのかも知らぬし、身の上のこともなんも知らぬのですが、そこに思いを巡らせるのが想像力であり、行政に最も必要な、国民の立場に立った施策の実行への第一歩ではないですか!
それをね、今まで黙認してきておいて、今日からは出て行けというのではね、オバァの生活設計が成り立たんではないですか。第一、この小路を利用する人が、オバァの所業を黙認してきたからこそ、オバァは、ここで商売出来たわけでしょう。少なくとも、オレは、黙認してきたぞ。だから、いーじゃん。
オバァの所業も大概うっとおしかったが、それでも、黙認するに足る所業であり、うっとおしさであったと、オレは思っているのですよ。街のちょっとしたアクセントとして、生活の潤いとしてね、必要だったとすら言ってもいい。
それをなぁ、行政のやつらはなぁ…。生活あっての行政だろうが。行政のやることって、やっぱ、野暮ですわ。

と、思っていたら、オバァは、大阪市にぶんどられた定位置の東3メートル横にあるインターナショナル幼稚園の入口のすぐ横にわずかばかりのスペースをめざとく見つけ、早速、何事もなかったかのように、商売をはじめていました。
さすが、だ。
オバァのほうが、一枚も二枚も上手ですな。生活力の、桁が違う。

でも、幼稚園の入口でキムチの出店は、いくらなんでもまずいんでないか。大概にしとけよ、オバァ!

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