2005年12月31日土曜日

今年はお世話になりました





昨日の夜、天神橋筋商店街を歩いていたら、前方からK-1の武蔵選手が。
大晦日は決戦だろ、なんでこんなところで歩いてる?
と思ったら、大阪ドームで試合するんでしたね。

明日の試合、頑張れよ!
とは、声はかけなかったけど。



コマゴマといろんな雑用をこなしてたら、もう大晦日。

みなさん、今年はお世話になりました☆
来年もよろしく!

2005年12月30日金曜日

時代は変わる'04





今、大掃除をしながら、仲井戸“チャボ”麗市さんを聞いてます。

古井戸、RCサクセションの、主要メンバー。
めちゃくちゃ、ロックの人。
多くのミュージシャンから尊敬を集めている、ミュージシャンの中のミュージシャン。

ロックって、基本的に、若い人の音楽。
どんだけ新しいメッセージが書かれたTシャツを着てるかに価値がある、みたいなところがあるので、10代の心象風景を歌ったものはあっても、30代や40代の心象風景を描いたものって、なかなかないですね。

たとえば、
クリスマスをモチーフにつくられるロックンロールはあっても、年の瀬をモチーフにしたものって、なかなかないです。
でも、今のオレだと、クリスマスよりも、年の瀬に、その年のなんやかんやあったモノを振り返ってる気分のほうが、しっくり来るのですよ。

もちろんね、10代の心象風景を描いたものでも、それが普遍的なものであれば、今のオレにだってじゅうぶんに重ねあわせることは出来るんです。
でもね、やっぱり、ドンピシャなものがほしくなるときもある。

現在55歳のチャボさんは、そういうことが歌える人で。
年をとれば、年をとっただけのロックンロールをやっていけばいいと言い放つ人で。


歌詞を引用するのは基本的には好きではないのだけれども、これは引用してみます。感触だけでも味わってみてください。ボブ・ディランの名曲『時代は変わる』に自作の詩をつけてカバーした歌です。

かなり長いけれど、ライムではなくて、あくまで歌詞です (笑)


時代は変わる'04


ある朝かごをぬけ出した小鳥さん いったいどこまで行ってしまったの?
きっと大空の自由が恋しくて 今ある幸せ捨てたんだな
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

今年は麗蘭で明け暮れた一年で 13年振りのセカンド・アルバム(SOSが鳴ってる)
キャンペーン Liveで全国歩きました いったいどれだけの事が どれだけの人達に届いたんだろう
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

いきなり2月17日の新聞 TVで チャボが死んだというNEWSが
ビックリ仰天だって俺はこんなにピンピンしてるのに よく見りゃそりゃチャボ違い 大分県で鳥インフルエンザで死んだチャボのこと
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

いいことがたくさんありますようにと 願った年始め でもあり得ない悪いNEWSばかり早々と次々と
不滅の男Mr.長島茂雄倒れる それは激動の2004年の序章だったのかも知れない
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

(Ah それにしても)今年もいらつく事ばかりありそうで それはオヤジになったという証拠なんだろう
どこもかしこも どいつもこいつもいらつく事ばかり いらつく俺自身にもいらつくのさあ
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

老後の備えは国民年金と 国民には年金加入強く迫りつつ
未納、未加入者が足元にぞろぞろ 国会議員の皆さんの燈台もと暗し
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

小泉首相再訪朝は 日本政府の大切な外交カードだったはず でも再訪朝の成果は 納得出来るものではなかった(ハズ)
どーして大切なカード あっさり すんなり 切ってしまったのか 拉致被害者家族の怒りと落胆は限界越える
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

皇太子様宮内庁批判の発言「雅子様のキャリアと人格否定する動きがあった」と
それはそうと皇室ってのは(いったい)いつまであり続けるんだろう? いったい天皇陛下様ってのは何様なんだろう?
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

まぁまぁそれでも明るいNEWSもあるにはありました オリンピック愛ちゃん柔ちゃん北島康介 大リーグ イチロー 松井
明るい話題ならスポーツ新聞(読め) 勝っても負けてもスポーツ 爽やかな汗
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

ところがプロ野球史上初めてのストライキ オリンピック「アテネを見てね」の裏でドーピング
爽やかなイメージ スポーツにさえ黒い影 Ah いったいスポーツの本質ってのは何だったんだろう?
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

突然降って沸いたような韓国 ソウル・ブーム 冬のソナタ「冬ソナ人気」ってのがすごかったそーな
猫も杓子もおばさんも 韓国 ソウル ソウル あー俺は昔から(ずっと)好きだったぜ Soul Music
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

やっぱり強かった アメリカは保守 ブッシュ再選 時代は変わってゆく 変わってゆかぬ大統領
アメリカは一国 単独主義をどこまで押し広げるんだろう? 世界は日本は どこへ向かって行くんだろう?
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

イラクで日本人フリージャーナリスト2人殺害 (同じく)イラクで無差別テロ 民間人 人質拘束 惨殺
ロシアでテロ 小学校占拠 人質300人以上殺害 パレスチナ紛争 痛ましき 終わり無き 報復 殺戮合戦
北朝鮮の闇 路上の家無き子達 見殺し 餓死 (同じく)北朝鮮 未解決 拉致被害者 生死不明
長崎で小学校6年女子 クラスメイト ナイフで殺害 インターネットで呼びかけ募集 実行 集団自殺
奈良県小学校女子誘拐殺害 茨城県水戸市 19歳少年 鉄アレーで両親撲殺
台風23号 西日本直撃 無情の悪夢 新潟中越地震 無情の悪夢 生死の分かれ目
私達は死の数にマヒしている マヒしている 一人 ひとりに名前があり 死の重みがあるってことに
戦争 人災 天災 殺人 事故 テロ 拉致 あー取り返しのつかぬもの い・の・ち
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

それにしても猛烈な暑さでうだった(この)夏の日 それにしてもすさまじかった台風 大地震
この異常気象は 自然が人類に何か訴えかけてるんだろうか? 科学や知識では歯が立たぬ この星の叫びを
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

人並みに暮らせることは幸せなことだろう じゃぁ 人並み以上ってことは もっと幸せなんだろう
ところで人並みってのはどういうことなんだろう? 誰を 何を基準に「人並み」って言うんだろう?
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

家族のこと 友達のこと考える 仕事のこと 生活のこと ふるさとのこと考える
愛する 愛されること 生きるということ考える そして時々考える.......死ぬということ.......
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

生まれてくる子供はみんな天使さ(エンジェル) お偉い方々の子供も犯罪者の子供も
貧しき人 裕福な人 どんな肌の色 生まれくる すべての子供達に 祝福あれ!
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

悲しい別れがありました 奇跡の生還 新しい出会いもありました
明日を生きてく君がいる 生きてく君の明日がある
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

こんな歌 唄ってる俺は全くいい気なもんだろう 唄など間に合わぬ暮らしの中
でも来年もきっとまた唄ってるだろう "Love&Peace" "平和を我等に"なんて.....
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は変わってゆく

ある朝かごをぬけ出す小鳥さん いったいどこまで飛んでみるの?
大空の果てしない自由求めて さぁ 羽根をいっぱい広げて飛んでみるんだな
泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代はもう変わってゆく

泣いてる人 笑ってる人が歩いてく 北風の中 時代は今 変わってゆく

The times they are a-changin'.......

2005年12月29日木曜日

満艦飾のママチャリ





小物関係のお仕事もすべて片付けて、本年の仕事、終わりました〜♪

で、今、買い出し&大掃除の真っ最中。
やーっと、年の瀬気分ですよ☆


食材はすべて家の真下にある市場で事足りてしまうんで、今日はPC周りの細々したのを買いに、ヨドバシカメラまでチャリを走らせることに。

ここで、ふと気がついた。

チャリ置き場のオレのチャリの横を定位置にしているママチャリがですね、徐々にすごいことになっているのですよ。

まず、
後部に巨大な買いものカゴ。
21インチ型テレビが余裕で入りそうなくらいの、巨大カゴですよ。毎回買い出しか?

で、前部。
ハンドル前に、チャイルドシート一体型の、前カゴですよ。前と後ろのカゴに荷物を詰め込んで、そのうえ子供まで乗せたら、いったい何キロになるんだ? (笑) 毎日、出稼ぎ? 危険、きわまりない♪

と、ここまでが、この夏のスタイルでした。
この時点で、オレの定位置に余裕ではみ出してきていて、ママチャリのカゴがオレのチャリのハンドルにぶつかって、邪魔なことこのうえなかったのですが、ま、それは許す。今となっては、許します。今、えらいことになってるから!

まず、ハンドルに、あんぱんまんのぬいぐるみが装着されました☆
続いて、
やはりハンドルに、ドラえもんのぬいぐるみが装着されました☆
さらに、
ハンドルから紐でぶらさがるかたちで、もう一匹のあんぱんまんの、今度はフィギュアがお目見え☆
またまた、
ハンドルに新たに装着されたのが、やはりあんぱんまんの、クラクション☆
これで終わりと思いきや、
ほとんどなくなっているはずのハンドルのわずかな空きスペースをめざとく見つけてきて、なんと、絵本☆ ちっこい絵本がぶらさがってるのですよ!

ほとんど、遊園地状態♪
もう、どんだけ子供のご機嫌をとらなければなんないのか…。
まるで王子さまかお姫さまかって、かんじなのですよ。
ってことは、ハンドル前にあるチャイルドシートは、玉座?

ここまで賑やかになってくると、さすがにうるさすぎて、勘弁してくれ!って叫びそうになるんだけど、まだ終わってなかった。

本日、新たなグッズを発見してしまいました…。
後輪の泥除けのところにね、点滅ライトが装着されてるのですよ。
それも、オレが通ると点滅を開始するという、センサー付きの優れもの♪
ってことは、オレがチャリを出し入れするときには、必ずライトが点滅をはじめるってことですよ。
ウザっ!

ウザウザ…。

このチャリの持ち主の母子にはまだ出会ったこともないのだけれど、一回見てみたい。母は強し、ってやつを。


母と言えば、即座に連想するのが矢野顕子。
その天賦の才をすべて使い切ることなく家事と育児にまわしてなお、誰も追いつけない境地にまで達しているという、そら恐ろしいお母さんによる、お母さん応援ソングがぎっしりなのです。



矢野顕子 / 『電話線』

2005年12月28日水曜日

敵ながらあっぱれ





ヤマ、越しました♪

あとは、正月用のWebの更新ページの作成が少々と、小物印刷物の校正関係が少々と、支払い関係と、バックアップ・データの作成と、来年早々に手をつける企画の打ち合わせと…、こうして書き出してみると、少ないようで結構あるな (笑) それと、挨拶まわりと大掃除。

そんなわけで、本日は比較的ゆるゆると仕事してます。

さて、
こないだ、ジョージ・マイケルが自身の映画のプロモーションのために来日してましたね。男前のパートナーを伴って。

少しまえに試写にお呼ばれして映画も観てきたことだし、今回はその話などを少し。

今どき、マイケルといえば「ドン、マイケル」のマイケルなのだろうけれども、ついこないだまで巷で流れていたクリスマス・ソングの『ホワイト・クリスマス』を歌っていたのが、ジョージ・マイケル。当時は、ワム!か。

ジョージとオレはほぼおなじ世代で、日本ではバブル世代と言われてます。そーいえば、新人類なる呼称もつけられた世代でもありますが…。苦笑。

ワム!がジャニーズみたいな姿でデビューした82年、高校生だったオレは全身を白粉で塗ったくった不気味な舞踏劇団で脚本を書いていたようなアングラ少年だったので、当然、その後のバブルとは関係のない人生を送っていました。
その頃の若者は、オレみたいなアングラ系と『なんとなく、クリスタル』(今の若い衆は知らんかもしれんが、現・長野県知事の田中康夫は、当時、それはそれはナンパな小説を書いていたのですよ。これは、そんな彼のデビュー作にして出世作)族とにはっきりと色分けされていて、ジョージ・マイケルは、どちらかといえば後者に支持されていたけれど、オレだってそのメロディと歌唱には、敵ながらあっぱれ!と思っていたものでした。

『ラスト・クリスマス』なんて、曲もいいけど、ストーリー仕立てのPVもいいし。『ケアレス・ウィスパー』も最高だったな。郷ひろみと西城秀樹が同時にカバーするなんて、尋常じゃないっしょ。

ジョージにはバブル世代特有の水っぽさがあり、そこがファンにはたまらなかったのですよ。もっとも、サブカル系婦女子たちは、ジョージのワイルドなイケメン(なんて言葉はなかったが)ぶりに、ホスト(なんて職業も稀少だったが)を見るような眼で敵意をむき出しにして引いてましたけど。で、繰り返すけれども、当時の彼は、もちろんオレの敵。

ところが、です。
そんなジョージが、ある日、ゲイをカミングアウトしたもんだから、おったまげたもんですよ。ルックスもまさに、ハードゲイでーす!みたいになってしまっていて。でも、オレは、このとき、なぜか納得してしてしまい、むしろシンパシーを持ってしまったな。去年発表されたアルバム『フェイス』も、とてもよかったことだし。

映画は、おなじゲイ仲間のボーイ・ジョージ(カルチャークラブというアイドル・バンドを、今どき、どれほどの人が知っているのだろうか?)が指摘する通り、とにかくジョージは真面目すぎる。被害妄想も強い。アイドル時代の狂躁に懲りたかのごとく、カメラも大嫌い。レコードのプロモを巡ってソニーと裁判したり、挙げ句の果てに負けたり、今でも「ツアーはゴメンだ!」と断言するように、とてもデリケートな人間なのです。
ルックスにやっと自信が持てたのも41歳になってかららしい。友人のエルトン・ジョンも「彼はもっと外に出るべきだ」と叱る。かと思えば、公園のトイレで猥褻行為を働いて現行犯で逮捕されたり、9.11の際には突然アメリカを批判する曲を出して反感を買ったり、オアシスのノエル兄弟に鼻で笑われたり…、バブルどころか、なかなかツラい日々があったようなのですよ。

そんな彼だが、亡き母親や、エイズで失った恋人のアンセモルや、現恋人のケニーなど、支えとなるものも多いようです。
なかでも、今も友人だというワム!のアンドリューとの関係は、なかなか微笑ましいです。20年の時間を経て、「キミが羨ましいよ」「キミこそいい人生だ」と笑いあう姿には、グッと来るものがありましたですよ。

ある世代にとっては、小学校高学年から中学生にかけて最初に聴く洋楽のなかに入っていたであろうワム! つまり、その後、必然的に恥ずかしいものとして退けられる運命にあった音楽のわけですが、それでもときおり届けられた新作には、ついつい耳を惹かれてしまったというのが、正直なところ。

そこのロックンロールおじさんにロックンロールおばさん、もう我慢しなくてもいいのです。今なら、普通にグッド・ミュージックとして聴けますから! 映画も、なかなか上質です。




GEORGE MICHAEL / 『Faith』

2005年12月26日月曜日

締切ははるかむかしに





ある雑誌から原稿の依頼を受けて、今、ひーこらとやっつけてる最中です。
締切は…、24日の朝♥
もう、編集者が泣いてます。
この40時間くらい、3時間おきに電話やらメールやらが来ます。
でも、手をつけはじめたのが、さっき♥
もちろん、今やってます!もう少しです!と言い続けて、丸2日くらい経ちますが (笑)

オレは、自分でも雑誌をつくってる人間なので、編集者がどれだけサバを読んで締切を伝えてくるか、わかってます。
だから、この時期に、そんなサバを読んだ締切をオレに伝えても、無駄です。
こっちで、デッドラインを読んでますから。編集長にも手をまわしてますから。
そのデッドラインを過ぎても、まだなんとかなることも、知ってます。
そのうえ、オレは印刷のことをパーフェクトに知っているし、この雑誌を印刷している印刷屋さんとも昵懇の仲なので、どの機械が埋まっててどの機械が空いているかまで、今現在、知り尽くしてます。
だいじょーぶ、印刷段階でまだ数時間稼げます。一応、そっちにも手をまわしてます♥

ほいで、合間にmixiも♥

タチ、悪すぎ♪

でも、オレが今抱えている仕事量を知ったうえで仕事を寄越しやがる…、イヤ、お仕事を発注してくださる編集者さまも、そーゆーことは覚悟してもらわんと。

だいじょーぶや、最後にはなんとかなる。
なんとかならんかったことなど、ありはせぬだろうが。

では、今から、景気づけに爆音でも鳴らして、仕事をやっつけます。
やっぱ、こういうときは、ジョンスペの『ベルボ〜〜トム』!
ブルーズとパンクが合体して、いろんなものがバクハツ。今の気分にピッタリ!


The Jon Spencer Blues Explosion / 『Bellbottoms』

2005年12月25日日曜日

ルミナリエの夜





皆さん、イブを楽しんでますか!
オレの場合はイブといっても特段書くこともないので、書きそびれていたことを今のうちに…。


22日、ギリギリ駆け込みの最終日、ルミナリエに行ってきました。

と言っても、すでに2回目。神戸にも事務所があるので、毎年2回、多いときには3回行くんですけどね。

1回目は、1人で行きました。いっつもね、1回は1人で行くんです。この時期は毎年忙しくしてるんで、無理矢理にでも時間をつくって、ポケッとするために、1人になってルミナリエを歩きます。その年の1年を振り返ったりしてね。でも、今回はその話ではありません。

今回は、長田在住コリアンのオバァとウチナンチューのオバァを都合3人引き連れての、ルミナリエ見学ご一行様。オレ、ツアコンですわ。こっちの話。

全員、震災のときに知り合った方々。

震災のときは豊中に住んでいて、家んなかのものが全部ひっくり返りました。ガラス、陶器、CD、割れまくり。家のまえの地面が軽く割れたりもしていたけど、建物自体はビクともしてなかったので、姉歯設計事務所も木村建設も平成設計もヒューザーも総研も絡んでなかったってことです。今にして思えば♪  でも、活断層は真下を走ってましたが…。

まあ、そんなこんなで絨毯ごと丸めてガラクタ捨てちゃえば我が家は無事だったので、当日の遅くにやっと連絡のついた知り合い連中を迎えに、車を出して神戸に向かったのでした。
当時、神戸の外国人連中に知り合いが何人かいたので、彼らをピックアップ。彼らをピックアップするついでに、彼らの知り合いもピックアップ。ほいで、そのまた知り合いも…。
3、4日、連日のように神戸にピックアップに行って、なんやかんやで20人の外国人が、我が家で寝起きしてました。12ヶ国21人8言語が入り乱れて足の踏み場もないような生活でその年の冬を越したけれど、それはそれで楽しかったですな。

で、そのなかの1人、ウズベキスタン人の留学生が、長田の在日コリアンのオジィやオバァのデイケアみたいなことをしてたんですよ。ウズベキスタンと韓国は活発に交流があるから、その線からやと思うんですけどね。(←このあたりの事情、あいだに通訳の言語が入りすぎて、込み入ったことがわかりません (笑) いまだに)

それがきっかけで、オレ、長田のオジィやオバァと遊ぶことが多くなりました。
むかしっから熟女キラーの異名をいただいてきたオレは (笑) 、お年寄りが大好きなのです。だって、むかしのおもしろい話をいっぱいしてくれるもん。教科書に載ってないような話をね。

「朝鮮人は臭いからキライや!」
なんてことを、たとえばウチナンチューのオバァは平気で言ったりします。偏見の塊やけど、オバァが若いころからの実感として持ってるものなので、もはや改善不可能です。だって、そう思って50年とか60年とか生きてきたんやもん。こびりついてるし、染みついてるんやもん。今さらなにを言ってもムリってもんです。体験から抽出された実感に対して、言葉なんて、どんだけ重ねても無力です。

神戸の長田といえば、貧乏長屋が並んでいて、いろんな境遇の人がいて、みんなが協力して仲よく、かつがつその日をしのいできたイメージで見られがちです。でも、そんなことないですね。イメージ通りのこともあるし、そうじゃないこともいっぱいあります。もちろん、ひとつのイメージが全員に当てはまるものでもない。
戦争で儲けた人もいれば、戦争で大切な人を亡くした人もいるし、戦争で人を殺した人もいます。みんな、立場や背負ってる歴史によって、まちまちです。
それをね、ひとつひとつ知っていくことが、オレは、好きなんです。
長田、という、共通の括りではなくて、そこで生きてきた人が、名前のある個人が、なにを思ってなにを感じてなにを拠り所にしてきたのか、そういうことを、いっぱい教えてもらいました。

オレらはね、新聞や本や映画や音楽や演劇や絵や雑誌や写真から、いろんなことを学びます。
でも、そうやって身につけた知識は、薄っぺらいですね。
遠くの国の政治問題ほどキレイに苦悩出来る、
と、開高健は、インテリの痛点を刺すような至言を書き残してるけれど、ほんと、その通りです。
長田という、水はけの悪い安い土地に住みつくしかなった人が、安い革しか売ってもらえなくて安い靴しかつくれなかった人が、これでもかこれでもかと頭を押さえつけられて、なにかが間違ってるはずや!と感じて、そっから出てきたモノの考えかたというのは、やっぱり、迫力があります。
新聞や本や映画や音楽や演劇や絵や雑誌や写真から得た知識なんかでは絶対に太刀打ち出来ない、凄みがあります。
ブッシュや小泉や石原がなにか言ってるのが、寝言みたいにしか聞こえないです。

そういう話をいっぱい聞かせてもらえるのが楽しみで、何回も何回も長田に遊びにいってます。

もちろんね、そんなカタい話ばっかりじゃない。
白木家具の汚れを落とすには、布に大根おろしをつけながら、こするように磨くと手あかなんかの黒ずんだ汚れがきれいに落ちる、とか。
咽喉が痛くて寒気がするときなんかは、梅干しを2〜3個、弱火で焦げないようによく焼いて、熱いお茶を注いで飲むと、汗が出て寒気も咽喉の痛みも治る、とか。
どこまで真なんかわからんそういうことをね、もう、惜しみなく教えてくれます。

そういう人たちとね、毎年、ルミナリエに行くんです。
ワーワーキャーキャー言いながらね。
もうね、震災から10年経ってるし、むかしとちがって、しょっちゅう会うわけじゃないです。恋愛の初期みたいにして盛り上がる時期はとうに過ぎてて、ワンクールに1回会う、みたいなかんじ。忙しさにかまけて。
だから、ルミナリエみたいなイベントがあると、すごく助かる。

仮設に入ってらっしゃったときに、亡くなったオジィやオバァも、たくさんいます。
孤独死もあったし、生きる気力をなくされた人も、たくさんいます。
櫛の歯が抜けるみたいにね、毎年、誰かが天に召されていきます。
だから、湿っぽい話になるときもある。むかしはな、みたいな話になるときもあります。
でもね、すぐにワーワーキャーキャー言ってる。今年のモニュメントは出来がいいとか悪いとか、あとで中華食べにいきたいとか、83歳のオバァはオレに結婚迫ってくるしね。

今年は、通りを抜けた広場のところで、ソウルフラワーの中川クンとばったり会いました。あの人混みのなかで出会うのは奇跡みたいなもんやけど。
中川クン、1人で来てたんで、こっちに合流。

オバァ連中、カニ食べたいなぁ、カニ食べさせてーなぁ!
オレ、この寒いときにカニなんか食べたら、身体冷えて凍死するでぇ。
中川クン、ほんまや、これまでさんざん美味いもん食ってきたんやから、居酒屋でじゅーぶんや。カネももったいないわ。

で、最後は元町のやっすーい、居酒屋に行ったのでした。中川クンの行きつけ。




Japonesian Balls Foundation / 『Another Girl, Another Planet』

2005年12月23日金曜日

スポーツ草の根運動





20日、Jリーグの年間表彰式「2005 Jリーグアウォーズ」が開催されました。最優秀選手賞には、リーグ初制覇を成し遂げたガンバ大阪のエースストライカーにして今季得点王のアラウージョ選手が受賞しました。
その他、新人賞やベストイレブンなどの表彰に混じって、Join賞 (チェアマン特別賞) というものが、発表されました。受賞したのは、「『神達彩花ちゃんを救う会』の募金活動を支援したすべてのサポーター」です。

ご存知の方も多いと思いますが、生まれつき腸が機能しない重病を持ち、多臓器同時移植を受けるため渡米した茨城県水海道市の神達彩花ちゃんが、18日、マイアミ大学ジャクソン記念病院で手術を受け、無事成功したことが報じられました。

彩花ちゃんは出生後、腸の神経が未発達のため正常に機能しない「ヒルシュスプルング病類縁疾患」と診断され、出生2日目に緊急手術して以来、5回も手術を繰り返してきました。
担当医から、助かる道は臓器移植だけと宣告され、肝臓と小腸の多臓器移植手術を受けるため、ご両親とともに今月8日渡米していました。

彩花ちゃんのお父さんがJリーグ・鹿島アントラーズのサポーターだった関係で、同クラブが1000万円の寄付をしたほか、Jリーグの複数のクラブから寄付の申し出があり、その輪は、日本代表のサポーター・ウルトラスや他クラブのサポーターにまでひろまり、最終的には、渡航費や手術費など約1億 3000万円が集まりました。Jリーグのみならず、プロ野球の千葉ロッテマリーンズのファンのあいだでも、おなじような募金活動が展開されたと聞いてます。オレは、ウルトラスに加入しているので、この件では、頻繁にメールを往復させていました。

まず、こうした動きが、自発的に草の根の活動によってひろがったことは、特筆していいかと思います。
さまざまなスポーツの分野で、トップアスリートがチャリティや寄付によって社会に還元することは今やあたりまえに行なわれるようになってきましたが、ファンがこうした動きを見せたことは、これまでにはなかったことだと思います。
ファンは、これまで、お上が決定し、与えてくれたものを咀嚼する立場でしかありませんでした。それが、今や、自分たちで考え、自分たちの主張を口にし、それらを集約する組織を確立させるまでになりました。

サッカー界は、まだ比較的、モノを言うサポーターがたくさん集まっているように思います。
たとえば、日本代表監督の解任要求などは、ときどきマグマが噴火するように燃え上がってひろがっていくことがあります。
これは、とってもいいことです。
日本代表は、みんなのものなので、みんなの意見が届くのは、とてもいいことです。

思えば、
ドーハの悲劇で有名な当時の日本代表監督、ハンス・オフト氏が監督に就任する直前、日本のサッカー界はどん底にありました。
それまで、学閥による順送り人事でやってきた日本代表監督選考に、はっきりとノー!を突きつけたのが、当時のサポーターです。
当時、日本サッカー協会友の会の会費は年間で1万円。会員は約1000人。約1000万円の友の会会費収入が、日本代表の強化遠征費に充てられ、強化遠征費はこれ以外にはどこにもない状況でした。今みたいに、スポンサーなどついていなかったのです。あのとき、オレたちは、ノー!の意思をはっきりと伝えるために、会費の不払い運動を起こしたんですよ。結果、学閥順送り人事は取り消され、初めての外国人監督である、ハンス・オフト氏を迎えることが出来ました。

欧米では、監督のみならず、選手を獲得する際にも、ファンの声が反映されることがままあります。それがシステムとして確立しているチームやクラブだって、あります。
それに比べたら、日本のファンやサポーターはまだまだだけれども、今回のように、皆のあいだにひろまった連帯感が1人の命を救ったというケースは、まず聞いたことがありません。前例になって、今後も積み重なっていけばいいな、と、思ってます。

2005年12月22日木曜日

洗顔と洗髪の格闘史






オレは、冬になると、ニットキャップを被ります。
するとね、頭皮が荒れるんですよ。
今現在、頭皮、吹き出物が増殖中。

ちゃんと洗ってるんですよ。

だいたい、オレは、39歳にもなって、いまだに顔に吹き出物をつくるんですが、どーしたものですかね、これは。

ちゃんと洗ってるんですよ。

思い起こせば…、
中学生のころは、ニキビ盛りでした。
オレの世代では、顔にニキビを満開にさせてる男の子はすでに少数派になっていたので、ま、主流からは外れていたわけです。
それ以外にも、主流から外れっぱなしなのが、オレの人生のような気もしますが、それは今回の話題とは関係がないので、また後日にでも。

で、中学1年生のとき以来、オレは、中学高校大学と、10代のほぼすべてにわたってニキビと付き合うことになっていくわけですよ。
クレアラシルなるものが登場したのは、中学生のとき。おかんにカネをもらって、買いに行きました。当時、中学生の男の子が薬局に行くようなことはまずなかったから、ちょっと恥ずかしかったのを覚えています。
だいたい、オレのおかんは、顔をちゃんと洗いなさい!しか言わなかったので、本気で息子の肌状態を心配していたかどうかは疑問なのですが、クレアラシルを買いに行くと言えばカネをくれたし、おかんが使っていたウグイスの糞が混じった粉 (? 未だに謎) を水に溶かして気が向けばオレの顔に塗ったりもしていたので、まあ、それなりに心配はしていたのでしょう。

しかし、オレの顔からニキビは消えてくれんのよ。
ただ、年代を経るにつれて、出没の仕方、形状は変化してきましたですな。
数は減った。ほっぺに出ることも、ずいぶんと少なくなりました。
そのかわりに…、
首筋、うなじ、耳の裏などに、巨大なのが出来る。
頭に出来出したのは、20代も半ばを過ぎてから。
うなじに超巨大なのが出来たときには、肩が痺れたことすらありましたよ。
顔は、口元の、笑い皺のところに出来ます。もう、場所は決まってます。定位置があります。

歴代の彼女たちは、そんなオレの姿を心配して、やはり、ちゃんと顔を洗ってる? と、訝しむのですよ。

だから、
ちゃんと洗ってるんですよ!

石鹸で。そりゃあもう、ゴシゴシと。皮膚が破けそうなくらいに。

は? 石鹸? ダメじゃん、そんなの。
と、のたまったのは、大手化粧品メーカーの美容部員をしていた、歴代彼女のなかの1人です。
ダメなのか?
ダメ。ちゃんと洗顔料を使って、泡立てて。ゴジゴシこするんじゃないの! キメの細かい泡をつくって、その泡で顔をそっと撫でるように! だいたい、最後の水洗いが全然ダメ! 洗顔料がちゃんと落ちてないから、汚いのが残ってるのよ! それだと、かえってよくないよ!

そーなのか!?

はい…。でも、洗顔料って…、なに? どこで売ってんの?

それからですよ。
西にダイコク薬局で特売があれば走り、東に安いコクミン薬局があれば自転車を走らせ、モイスチャーミルク1/4配合120g定価630円のダブが20%増量かつ280円で売られているのをめざとく見つけては買い…。

洗顔だけだと顔がつっぱるから、化粧水もつけないとね♪

そうのたまったのは、画廊でピカソやラミロやらの版画を売っていた、歴代彼女の1人です。

け、化粧水? あれは、女性の方が使用するのでは…?

あんたみたいなのは、ちゃんとつけないとダメなの! だいたい、化粧水くらいならメンズのものもなんぼでも売ってるから! 朝と晩と洗顔したら、ちゃんと化粧水つけるのよ! お風呂上がりもね!

そーなのか!?

はい…。でも、化粧水って、やっぱり薬局で売ってんの?

それからですよ。
西にOS薬局で特売があれば走り、東にマツモトキヨシがオープンすれば自転車を走らせ、肌水クリーム混入タイプ240ml定価700円が365円で売られているのをめざとく見つけては買い…。

次、頭皮。

ちゃんと石鹸でゴシゴシ洗ってるよ! もう、頭皮が破けそうになるくらいに、しっかりと!

は? 石鹸? シャンプーは? コンディショナーは?
と、のたまったのは…、 (略)

ちゃんとシャンプーで洗って、洗うときは爪を立てずに、指の腹を使って、いっぱい泡立てて、優しく優しく! それから、シャンプーを落とすのは時間をかけてしっかりと! シャンプーの洗い残しがあったら、頭皮が傷むだけだからね。だいたい、生え際とかうなじとかに洗い残しが多いから、そこはシッカリとね! で、シャンプーが終わったら、次はコンディショナー! これは頭皮につけなくていいから、髪の毛だけにね! 髪の毛に染み込むように両手で優しく塗り込んで! 3分くらい経ったら、洗い流していいからね! でも、これはシャンプーじゃないから、そんなにしっかりと洗い流しちゃダメだよ!

それからですよ、西にスギ薬局で特売があれば走り、東にミックで消費税ゼロ円の日があれば自転車を走らせ、ヴィダルサスーン詰め替え用スタイリッシュフローラルの香り付き400g定価522円が399円で売られているのをめざとく見つけては買い…。

そんなこんなで、オレの人生、2/3くらいは、ニキビ&吹き出物との闘いなんです。

でもなぁ、
脂性の乾燥肌 (らしい) だし、タバコは1日に2箱半だし、寝ないし、暴飲暴食だし、仕方ないんじゃない?

じつは昨日、彼女から手づくりのステキなステキなニットキャップ (耳当て付き! しかも右の耳当てはそのままマフラーと繋がっている!) をいただいてしまったので、
ので、というのもヘンだけれど、
ニキビ&吹き出物格闘史を振り返ってしまいました♪


今日の音楽は…、
えーっと、えーっと、
肌繋がりで、スキン。坊主頭に鋭い眼光で圧倒的な存在感と、その重量感溢れるバンド・サウンドでUKパンク・シーンを席捲した元スカンク・アナンシーの女性ヴォーカリストです。 01年のバンド解散後、ソロ活動を開始。バンド時代のパワフルな歌唱力を保持しつつ、最近は、よりスタイリッシュに!




Skin / 『Faithfulness』

2005年12月21日水曜日

300億でなにを買う?






あ〜忙しいっ!
あんまり忙しいので、いろんなマイミクさんの日記にグチめいたコメントを残して、姑息な憂さ晴らしをしているルイスでござります。

マイミクさん各位
ごめんなさい。今日は自分の日記で愚痴ります。

以上、業務連絡。

先日、相も変わらずPCに向かって、乾いた雑巾を絞って水を得るような作業をしていたところ、飲みのお誘い。
今年は連日連夜の忘年会をお断りしていることだし、鬱憤も溜まり気味だし、飲みの場所は歩いていけるところだし、仕事が遅れたところで死者が出るわけでもないし…、要するに、いろんな理屈をつけて飲みに出たわけです、久しぶりに。あ、オレはアルコールがからっきしダメなので、飲むといっても、牛乳のオン・ザ・ロック☆ですが♪

飲みは、オレの古くからの友人で某広告代理店の営業部長の長曽我部氏 (仮名) と、彼の部下の営業マンが2人。武者小路クン (仮名) と有栖川宮クン (仮名) 。んで、オレ。

夜も深まり、エロ話やらの楽しい話もひととおり終わって、まどろみだしたころ、話題は、武者小路クンが本業よりも燃えているという、株の話に。

武者小路クン、今、持っているライブドア株が値上がり中でウハウハらしい。といっても、決済したわけではないので、単に持ち株が値上がりしているだけのことですが。
そーいえば、24歳だかの青年が、ジェイコム株で5億儲けたらしいですな。あれも、決済したのですかね?
オレは株のことは通り一遍のコトしか知らないのだけれど、本業以外に持っている株式は不労所得と見なされて60%くらいは税金で持っていかれるのではないのか?
んなもん、決済しないとどーにもならんような気がするのだけれど、申告時と納税寺とで株価が大幅に違ったら、どうなるんですかね? 大幅下落してたら?
毎年毎年、税務署と仁義なきバトルを展開しているオレは、すぐにそんなことを考えてしまいます。

さて、武者小路クン、サラリーマン故かどうかは知らぬが、商売をしているオレが羨ましいらしい。

僕もね、ルイスさんみたいに商売がしたいんですよ〜。
そこですかさず、長曽我部氏。おまえみたいな営業の仕事も満足に出来ないようなのが、商売だ?
武者小路クン。イヤ、ボクは飲食店をやるのが夢なんですよ〜。
もっかい長曽我部氏が突っ込む。飲食店? コンビニ弁当専門のおまえが?
で、すかさず武者小路クン。イヤ、だからね、腕のいいマネージャと料理人を雇ってね、ボクはオーナーで、たま〜に店に顔を出して…。それって、株で大儲けしたら出来ますよねぇ。

チャンチャン。
さすが! 発想が代理店!
チミ、それは、商売がしたいのではなくて、資本家、出資者になりたいってことだよ。
武者小路クン、当年31歳。
ネットで小口で株取引が出来るようになって、1億総トレーダー化していると聞くが、こんなのばっかりなのか? 経団連の奥田会長が、バブル再来を危惧している、と嘆いていたのは、こういうことなのですか?

話はまだ続く。

ジェイコム株で儲けた24歳、いいなぁ。彼は100万円の自己資金ではじめて、それを28億まで膨らませて、今回、5億儲けたわけですよ〜。この調子でいって、年収300億くらいになったら、人生バラ色ですよね♪

アホらしくはあったのだけれど、その場に居合わせてしまっていた手前、オレは言いましたよ。

あのな、
年収300億も手にしたらな、人生はつまらんものになるぞ。
世の中にある商品とサービスで、年収300億円の人をターゲットにしてるものなんて、たぶん、0.00000001%くらいしかないぞ。
年収300億円の人間なんて、市場からオミットされてるぞ。
年収300億のチミの購買意欲をそそってくれるものは、0.00000001%くらいしかない、ということだぞ。
エルメスのカバンもアルマーニのスーツも、欲しくなくなるぞ。おもしろくないぞ。買いたいものがないというのは、つまらん人生だぞ。バラ色どころか、ドドメ色の人生だぞ。

で、武者小路クン。
そんなもんですかねぇ。でも、国とか買えちゃうんじゃないですか?
国? 300億で買える国があるのかも、国が売買されている市場があるのかも知らんが、国なんか買うと、維持するのが大変だぞ。だから今、どんな国も植民地政策をやらんだろ?

武者小路クンは、イマイチ納得してなかったようですが、そんなことはオレにはどーでもいいことなので、長曽我部氏に、大変やね♪ と、コソッと言って、おひらきとあいなりました。


むかしのブルーズマンは、カネにまつわることをよく歌ってました。
ミルク代が酒に化けて、赤ん坊が泣いてるんです、神さま、助けてください♪ みたいな歌。
でも、こういう身勝手さは、浮世離れしてないぶん、人間臭くて、オレは好きです。
今日は、そういうブルーズを。

ん? 有栖川宮クンが登場しなかったですな。せっかく仮名考えたのにな。




ROBERT JOHNSON / 『Cross Road』

2005年12月20日火曜日

ジプシー音楽の強度を再考する





最近、仕事が超繁忙期に突入してて、少しストレスがたまり気味。
なので、超マニアックに行きます。誰もついてこれなくても、いいんです。浮世のあらゆるしがらみを断ち切って、オレは書きますですよ。

本日のお題は、ジプシー・ミュージック。
いきます!

ジプシー・ミュージックとは、あらゆる景観への既視感を拒否して、移動を繰り返した民族による旅団の音楽であり、ロマンチックに言ってしまえば、漂流民のBGMです。
そして、それは、代償の担保によってのみ演じられる生来の門付け芸人たちの、現実の断面でもあります。

どんな音楽にも、それを生み出した文化的背景、アーティストやアーティストに関する情報が含まれています。
また、音楽には人の生きかたや夢、愛、哀しみ、おかしみ、怒りといった感情面を刺激する、物語性もあります。
さらに、音楽には、踊りたい、陶酔したい、セックスしたいなどといった、人の中枢神経を直撃する官能や薬物的なものも内在しています。

ジプシー・ミュージックは、3番目の効能に特化した音楽です。

いつでも無意識に官能目がけて演奏され、穏やかな場合ですら、踊りを誘発する程度には薬物的です。
本来、彼らの宿命的な流浪と漂流には語り尽くせぬ歴史や物語が潜んでいるはずなのに、ひとたびジプシー/ロマが演奏しはじめた途端、そこに現出するのは、景観を遮断し、ただただ踊らせ、感じさせる媚薬のような快楽にのみ支配された空間です。
もちろん、嘆きも艶歌も、なかにはあります。しかし、その本質はいずれも漂流する日々の刹那と、大地に拘束されない足取りの軽さを反映し、ひたすら無責任に疾走するところにこそ、存在しています。

そういう文脈から言えば、ジプシー・ミュージックは、ワールド・ミュージックの語から連想される、定置された地域性とは相容れない相貌をもって現れます。

遡れば18世紀に起源し、イベリア半島の南部アンダルース地方に萌芽したヒターノ文化の結晶であるフラメンコ、20世紀初頭に出現した天才ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトが切り拓いたジプシー・スウィング、19世紀以降の伝統を踏襲するハンガリーで確立されたクラシックを流麗かつ精緻に操るハンガリアン・ジプシー・アンサンブル、南仏発で1980年代後半にブレイクしたジプシー・キングスなど、彼らの音楽のヴィアタルな多様性は、ひとつのカテゴリーやフレームワークに収まるものではありません。

さらに1990年代に入って、ルーマニアから世界の現前に登場した脅威の弦楽集団、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスによる荒削りながらも圧倒的なエナジーの塊には、世界が絶句し驚愕しました。イヤ、彼らのライブの、それはそれは楽しいことといったら!
これを追うように登場したおなじルーマニア北東部の管楽器集団、ファンファーレ・チョカリーアは、超高速の管楽 (ブラス) の共鳴によって、ジプシー・ミュージックの次章への展開を急き立てました。

そうなんです! 居住地の異文化へと侵入し、それを収奪/剽窃し、いつの間にか変容せしめて己の身体内血流へと取り込んでしまうジプシー・ミュージックの真髄が、ブラスバンドにもっとも顕著なのです。
元来、権力の表層としての軍楽に由来するブラスバンドの様式を借用し、平然とジプシー・ブラスへと置き換えてしまう図々しさや逞しさのなかにこそ、その魅力が隠されています。

ルーマニア北部には、ファンファーレもしくはファンファーラの名を冠したバンドが、数十もあります。金管職人までがいて、楽器そのものをさえ変造しかねないこの地のジプシー/ロマが生み出すブラスの響きは、強靭にして非常識です。
マケドニアで、もっぱら宗教祝祭や結婚式に駆り出されるオーケスターには、スラブとトルコが共存しています。
ブルガリアのブラス・オーケストラ、カランディーリャや、イヴォ・パパゾフにいたっては、表層的な装いはほとんどエイジアン・テイスト、つまりトルコ仕様で、加えて強力な変拍子が聴く者を最初は混乱させ、しかし次第に虜にしてしまいます。

そして、セビリア。
この南部スラブ文化の塊のような地で40年余も続くブラス・フェスティバルである、サボール・トゥルバーチャ・グチャに見られるジプシー・ミュージシャンと非ジプシーの聴衆/客との関係性こそが、ジプシーという民族の成り立ちを見事に映像化しています。
ジプシーにとってそれは、けっして定置された景観ではなく、他人の祝祭への闖入であり、自らの稼ぎ場所なのです。
現代において、旅をやめてなお、旅する集団であり続けるジプシー/ロマの音楽は、文化の言説的な規定に対する、無意識ながらの強烈な反骨精神を表し、翌日にはそこを去っているのでした。


あ〜、気持ちよかった!



Fanfare Ciocarlia / Manea Cu Voca

2005年12月16日金曜日

雪と裸





仕事部屋以外はなんでこんなに寒い? オレの部屋は胎内か! と、入口のドアを開けた瞬間に叫んでしまったほど寒いですね。皆さま、寒さ対策はいかがなさっておりますでしょうか?

本日、
日本海側にお住まいの方から一面の雪景色の写真、ドイツにお住まいの方からも一面の雪景色、関東地方にお住まいの方からオールヌードの写真(この方はモデルさんでありまして、ご自分の作品をお送り下さったので、素人の方のセルフポートレイトとかではありませんぞ!)などがメールで届きました。
スライドショーにして、
「裏日本の雪景色」→「ドイツの雪景色」→「ヌード」→「裏日本の雪景色」→「ヌード」→「ドイツの雪景色」→「ヌード」→「ドイツのドライブイン」→「裏日本の雪景色 (お年寄り3名付き) 」→「ヌード」
などという流れで眺めていると、非常に暖まりますね♪

雪と裸。
というのは、どういうワケだか、暖かさを連想させますな。
どういうワケだかって…、ほんま、どーゆーわけや? (笑)

『八甲田山』という映画で、過酷な雪原での行軍に発狂してしまい、突如すべての服を脱ぎ捨てる軍人が出てきますが、痛ましさをアピールするシーンで解放感や暖かさを感じてしまった自分の感受性は清浄…、もとい、正常なのかどうか、エイゼンシュタインの霊にお伺いを立てたい気分です。

ちなみに、映画『八甲田山』 (古すぎて若い婦女子の方々は知らんかもしれませんが…) の映画音楽、というか効果音ですが、担当しているのは、オレの大好きな大好きなムーンライダーズ。
ムーンライダーズが売れてなかった時期の (今も、…イヤ、一回も売れたことはないんですが!) 営業仕事の一環です。マニアックすぎるな!

2005年12月15日木曜日

会社とはなんぞや?





先月末、友人が会社を整理しました。倒産ではなく、廃業です。
業績が悪化し、赤字がかさみ、見通しも暗く、これ以上続けていっても好転することはなかろうということで、大怪我をするまえに会社を畳むことになったとのこと。
30人近くいた社員全員の再就職を世話し、退職金代わりに1ヶ月余分の給料を支給し、現在は残務処理をしているといいます。そして、昨日、彼自身の再就職先が決まりました。

畑がまったく違うので、なにもしてあげられなかったけれど、彼自身の再就職先が決まったと聞いて、オレは、自分のことのようにホッとしました。

まったくね、自分のことよりも、社員の生活を先に考えしまうような、もしかしたら商売に向いていないのかもしれないくらいに、誠実で、人がいい男なんですよ。そもそもね、この状況下で30人近くの人の再就職を世話するなんて、その労力たるや、並大抵のモノではないです。

「社員さんの食い扶持はなんとか確保したからさ。会社は潰しちゃったけどね、人は残ったんだよ。生き残ったんだ。だからさ、今度また、事業をはじめるときには、集まってくれるかもしれない。縁は切れてないから」

うんうん。その通りだ。

「会社は人が集まって、人が食べていくために共通の営利の目的を持ってつくるものだからさ、会社が人に奉仕すればいいんであって、人が会社に奉仕することはないんだよ。会社なんかのためにね、個人の生活が犠牲になっていいはずがないじゃない」

彼はね、ずーっと、そんなことを考えながら、会社を経営してきた人です。オレは、彼から会社の経営というものついてずいぶんといろんなことを学んだし、折に触れて、彼とは、そんな話ばっかりしてきました。

会社はね、人のために、そこで働くすべての人のためにあるもんです。会社が目的ではなくて、人がよりよい生活をするための、会社は手段です。
そんなふうには考えない会社や経営者はゴマンといますが、オレや彼は、そんなふうな話ばっかりをしてきました。

転勤に伴う引越、単身赴任…。
会社のために、住む場所を異動させられたり、家族がバラバラにされるなんてことは、あっていいはずはありません。
会社は、社員と社員の家族のために、存在します。
人があって、家族があっての、会社、でしょ?

彼は、人を守るために、会社を潰しました。

ときどきね、こんなことを考えます。
トヨタとニッサン。
双方の社員が、そっくりそのまま入れ替わったとします。
おなじように自動車をつくっていても、それぞれの会社の社風や、価値や、やりかたや、取引先との接しかたなどは、違うでしょう。
人がそっくり入れ替わると、当然、そうしたものも、とりあえずは入れ替わっていくでしょう。
でも、会社の看板はそのままです。当面は、お客さんも取引先も、そのままです。
さて、問題です。
全員がニッサンの社員になってしまったトヨタは、トヨタですか?
全員がトヨタの社員になってしまったニッサンは、ニッサンですか?


* * * *


面白いバンドがあります。
ひとつは、ファンカデリックというバンド。
もうひとつは、パーラメントというバンド。
どちらもジョージ・クリントンという男が総帥 (笑) をつとめており、ファンカデリックはロック寄り、パーラメントはファンク寄りという、若干の色分けはありますが、主要メンバーはどちらもほぼおなじだし、バンド間でメンバーの入れ替えや交流もあります。

だから、パーラメントのライブのファンカデリックが出てきて、パーラメントの曲を演奏しても、誰もわかりません (笑)

さらにはこのふたつのバンドを統合するかたちで、Pファンクオールスターズなるバンドまであります。どのバンドも、音に大きな差はないし、はっきり言ってひとつのバンド名でやっても問題はないと思うのですが、なぜか、わかれてます。しかも、3つのバンドそれぞれが、違うレコード会社から出ています。

死ぬほど契約にうるさいアメリカでこんな離れ業をやってのけるのだから、よほど有能な弁護士がついているはずですが、なんでこんなことをしているのか、さっぱりわかりません (笑) わかりませんが、たぶん、おもしろいからやってるんだと思います (笑)

バンドも会社も、いろいろあります。(←どんなまとめかたや!)




FUNKADELIC / 『One Nation Under A Groove』

2005年12月14日水曜日

彼女について思う、2、3のこと






オレの沽券にもかかわることなので、あまり書きたくはないのですが、全国の圧倒的なリクエストにより(笑)、しゃーなしに書きます。あくまで、しゃーなし、です。


彼女がオレのことを友だちに、「自慢してきてん!」というのですが、どーも正確に友だちに伝わっていないようなのですよ。

1)ウチの彼氏はいつもいつも鼻毛が飛び出てるねん!(笑)
→お洒落で、の、ひとことがないばっかりに、オレの鼻毛は不精扱いになっております。

2)ウチの彼氏、キウイがいっぱいプリントされたスニーカー履いてるねん!(笑)
→コンバースの (のちに韓国限定発売とのことが発覚) 、オールスターの、純正の、日本一長い由緒ある天神橋筋商店街のとある店の店頭でワゴンに山積みにされていた、本来なら10万円は下らんと思われる逸品を右と左で併せて500円!というお値打ち価格で購入した、キュートなキウイがいっぱいプリントされた、黄緑と白の配色が憎い、多くの人の羨望の的になっている、あのスニーカーが、詳しい説明がないばっかりにキワモノ扱いになっております。

3)ウチの彼氏、ノモティー着て歩いてるねん!(笑)
→日本人メジャーリーガーのパイオニアであり、ルーキーイヤーから4年連続で最多勝獲得という日本記録を持っており、メジャーリーグでは2度のノーヒットノーランを達成している偉大な偉大なベースボールプレイヤーである野茂英雄投手の、ドジャーズ時代の、トルネード投法の勇姿がプリントされた、京都のフリマのTシャツの山のなかからめざとく見つけた、本来なら20万円は下らんと思われる逸品を100円!というお値打ち価格で購入した、丸首のシルエットが憎い、多くの人の羨望の的になっている、あの野茂Tシャツが、詳しい説明がないばっかりにゲテモノ扱いになっております。

4)ウチの彼氏、ノバティー着て歩いてるねん!(笑)
→NOVAウサギがヘッドホンを装着してダンシ〜ングしてる、NOVAのタグが入った、純正の、NOVAの生徒か関係者しか買えない、にもかかわらずNOVAとはなんの縁もゆかりもないオレが手に入れた、黒地にピンクのウサギが憎い、多くの人の羨望の的になっている、あのNOVAのTシャツが、詳しい説明がないばっかりにバッタもん扱いになっております。

説明が足りないばっかりに誤解を生む。怖いですね。彼女には猛省を望みます。

彼女について思う2、3のこと、というようなタイトルの曲がサニーデイサービスにあったような気がしたのですが、どこをどう引っくり返してもなかったので、しゃーなしに、サニーデイサービスのお気に入りを聴いてます。


Sunneday Servise / 『魔法』

2005年12月13日火曜日

枯れない情熱





三浦カズが、今晩、シドニーFCの一員として世界クラブ選手権に出場しました。
もうね、それだけで涙が出そうになりましたよ。
京都パープルサンガでは屈辱のゼロ円査定を提示され、ヴィッセル神戸では主将の座を追われ、ベンチ入りメンバーからも外され、J2の横浜FC移籍。
しかし、どれほどの辛酸を舐めようとも、彼は這い上がって来ます。
今回、彼は、シドニーFCから、世界クラブ選手権で闘うためだけに期間限定のレンタル移籍をオファーされ、日本人プレイヤーでは初めて世界クラブ選手権のピッチに立ちました。
現在、彼は、38歳です。普通なら、とうの昔に現役を退いていてもおかしくはない年齢です。ましてや、かつては日本のトップに君臨した、スーパースターです。
その彼がね、請われればどんな場所ででもサッカーをする。

「どこもクラブが雇ってくれなくなるときが必ず来る。それが現役生活の終わりだと思ったらそうだろうけど、サッカーはどんなところでもずっと続けられるじゃない。プロじゃなくてもいいんだから。プロサッカープレイヤーでなく、サッカープレイヤーとして」

彼は、インタビューで、そんなふうに語っています。
華々しいうちに現役を引退して、指導者や解説者になるよりも、どうしようもなくサッカーが好きで、サッカーをプレイしたいんだろうな。見栄も外聞も世間体も、サッカーをしたい!という気持ちに比べたら、屁みたいなものなんだろうな。

オレは大好きですよ、カズが。


似たような人に、ボブ・ディランがいます。
現在、64歳です。デビューアルバムの『ボブ・ディラン』を発表してから、44年になります。
このクラスになると、ワールドレベルのコンサートツアーが数年に1回、アルバムも数年に1回、なんてペースになることが一般的ですが、彼は、年がら年中いろんな場所でコンサートを行っているし、アルバムも、2年に1枚くらいの割合で出ているような気がします。
あるとき、誰かが、ボブ・ディランに質問しました。
「あなたのツアーはえんえんと続いているが、いつまでやるのか?」
と。
ボブの答えは、こうです。
「私は歌手です。歌手は歌うことが仕事なのだから、歌えと言われれば、私はいつまででも歌います。あなたがいつまででも仕事をするのとおなじようにね」
と。

情熱が枯れない。
才能ある人の、才能の中身とはこういうことなのだと、オレは、思っています。


今晩は、三浦カズ選手の姿に涙しながら、ボブ・ディランの古いアルバムを聴いています。




Bob Dylan / 『Forever Young』

2005年12月12日月曜日

『黒猫白猫』





今日は、久しぶりに、仕事をしながら、『黒猫白猫』の映画のサントラを聴いてました。
サントラの話よりも、映画の話ですな。

ユーゴの天才エミール・クストリッツァが引退を撤回してつくった作品です。
解説から抜粋するとですね、
「ドナウ川のほとりに暮らすロマの一族に起こる若者の恋愛や石油列車強奪計画といったエピソードを、陽気にストレートに描いたコメディ。自称ダマしの天才、マトゥコはロシアの密輸船から石油を買うが、見事に騙されて大金を失う。金に困ったマトゥコは、息子のザーレと共に“ゴッドファーザー”グルガに石油列車強奪の計画を持ちかけ資金援助を乞うが…。」
って話で。
とにかくね、主役・脇役の強烈なキャラ(柱に打ち込んである五寸釘をケツで抜くオペラ歌手!)もさることながら、悪人が誰一人として出てこないところが、すごく好きなんですよ。強欲で狡猾で粗暴で…、悪いヤツはいっぱい出てくるけど、悪人として描かれてるヤツは、一人もいてない。みんな、フリークスではあるけど、愛すべきキュートさを持ち合わせてて、その人間臭さが、好きなんですよ。
クストリッツァのさすがなところは、世界は複雑ゆえに、容易に善悪など決めることは出来ない、ということを前提にしてることですよ。
善悪なんて立場や視点によっていくらでも変わるし、そのことを前提にしてないと、今の時代、表現なんて成り立たへんと思うんですけど、残念ながら、そうではない表現ばっかりなんで、余計にクストリッツァのすごさが際立ちます。

善悪とか正義とかいう概念が、『黒猫白猫』を観て以降、オレの中からは、すっかりなくなってしまいました。それこそ立場や視点によって、そんなもんは、どのようにも変わるわけで。正義も善悪も、絶対的なものではなくて、どのようにも変わる、相対的なものでしかない、と。
だから、今では、正義=融通のきかん頑固な理屈、と、オレは翻訳してます。イラクもアフガンもパレスチナもイスラエルも東ティモールも、オレは、そういう視点で見てます。
そういうことを、クストリッツァは、悲劇ではなくて喜劇で表現したところがすごいんですよね。ヘビィなテーマを糖衣にくるんで、甘くして、食べやすくしてくれてる。それが、エンターテイメントの神髄です。あの、ことごとく強烈なキャラたちは、あんなんじゃなくてもいいはずやのに、でも、あれくらいの個性である必然が、あの映画には、あるんでしょうね。
結局のところ、あの映画は、『寅さん』なんです。強烈なキャラは、生命力の強さの表れで、正義だの善悪だのよりも、生命力が旺盛なことのほうが、どれほど魅力的か!ってことを、クストリッツァは言ってるような気がします。

サントラも素晴らしいけれど、今回は映画の話になってしまいました。




Emir Kusturica & The Smoking Band / 『Unza Unza Time』

2005年12月11日日曜日

ケアレスミス

1株61万円で売りに出すところを、間違えて61万株を1円で売りに出したって?
で、損失が300億? ご愁傷さまとしか言いようがありませんな。

だって、単純に入力ミスでしょ。ケアレスミスやん。

この社員をクビにすることも減給にすることも降格させることも出来んでしょ。
だって、単純なケアレスミスやねんもん。
こんなんでいちいち懲罰出してたら、仕事なんて誰もしてくれなくなるわ。
仕事はノビノビやらないとね♪
損失が300億はシャレにならんけど、仕方ないっしょ。
まあ、人類史上最大のケアレスミスになるかもしれんけどね (笑)

ケアレスミスの範疇に入ると思うが、オレは、忘れ物キングです☆

喫茶店に傘や携帯やタバコやライターや財布を忘れてくるなんてのは、朝飯まえ!
人の名前はすぐに忘れる!
場所も1回では絶対に覚えられない!
CDストアでCDを手にとったまま会計するのを忘れて、カネ払わずにそのまま店を出てきたこともある!
メモするときの最大の注意事項は、メモした紙をどこに置いたかを忘れないことだ!

おそらく、人生の1/3くらいは、忘れたものやなくしたものを探しているよーな気がするな。

人生は、探しものだ! オレは探求者だ!

ちょっとかっこいいな。

探求者と言えば、エレカシの宮本を思い浮かべるのはオレだけだろうか?
4枚目のアルバムは、エレカシのなかでも一番聴いたような気がする。
気狂いがさらに気狂い道を探して歩いているようなアルバムだ。
今思えば、こんなにもへヴィーなアルバムを聴き込んでいた当時のオレは、探しもの中毒だったのだろうか?




エレファントカシマシ / 『今宵の月ように』

2005年12月10日土曜日

根負け婚





中野悠 (♂ 53歳) &陽子 (♀36歳) に、第一子が誕生しました♪
おめでとうございます☆

いや〜、よくぞここまで辿り着いたよ。

話は12年前に遡ります。
当時、悠さんはフリーのコピーライターとして活躍していました。で、経理やら雑用やらを引き受けてもらうアシスタントを募集していて、そこにやって来たのが、陽子さんです。
これが、その後10年以上にわたって繰り広げられる抗争の、そもそものはじまりでしたね。

えーっとですね、当時41歳だった未婚のむさいオッサンがですね、当時24歳のこれからオンナとしての最盛期を迎えようかという陽子さんにですね、ひと目惚れしてしまったのですよ。
自分が雇った女性を口説くことにも問題がないこともないような気もするのですが、41歳がね、大学出たての右も左もわからん女性をね、口説くんですよ。それも、採用してスグに。
当然、断りますわなぁ。普通なら、即、転職を考えますわなぁ。
もちろん、陽子さんは、断りました。それはもう、キッパリと。毅然と。アッサリと。
でも、給料が結構よかったのと、当時は就職氷河期でもあったのと、断ったときの悠さんの落ち込みようがヒドかったので、ここで辞めちゃうのも悪いかな、と、優しい心を持った陽子さんは、思ったのでした。
この、優しい心がね、今にして思えばすべての原因。

だってね、悠さん、あきらめないんだもん。
また口説く。また断られる。またまた口説く。またまた断られる。またまたまた口説く。またまたまた断られる。…もう、果てしなく。それこそ、パレスチナとイスラエルのように。
でも、陽子さんも、辞めないのね。優しいから。

ほいで、陽子さんは、もてるんですよ。ベッピンさんだし素直だし優しいし。だから、それ相応の男からのオファーは、なんぼでもある。そんなんじゃなくても、ゴハンだとかお茶だとかのお誘いも、数多ある。
でもね、悠さんがね、ことごとく、潰すんですよ。妨害するんですよ。
仕事で、オレが悠さんの事務所に行くでしょ。ひとしきり仕事の話をして、ついでだから陽子さんとも、なにげない話をするでしょ。そしたらね、彼女に話しかけるんじゃない!って、怒るんですよ。ぜ〜んぶ、こんな調子。
で、陽子さんは、そんな悠さんを見て、クスクス笑ってるだけ。
さすがに陽子さんの携帯のチェックとかはしてなかったと思うけど、とにかく、近寄ってくる男がいれば、どんな種類の男であれ、必ず制止する。

ここらあたりのニュアンスを説明するのは難しいんですが、管理の厳しい、独占欲の強い彼氏とは、また違うんですよね。いや、そもそも彼氏でもないんですけどね。口説いては振られてるんだけれども、振る舞いは、彼女の身を心配する彼女のおとーさんなんですよ。それも、かなり子供っぽいおとーさん。だから、ちょっと憎めないんですよね。やってることはかなりヒドいけど、憎めない。だから、陽子さんも、クスクス笑ってるだけ。

でもね、悠さんがそんな調子だから、陽子さんに男なんて出来るわけないじゃない。近寄ってくる男が全部、悠さんに撃退されるんだから。

そうやってね、10年が過ぎたのですよ。
もうね、陽子さんは、青春を棒に振ったみたいなもんですよ。
もう、陽子さんは悠さんに責任とってもらうしかないですね。

で、根負けした陽子さんが、2年前、ついに悠さんと結婚…。
「根負け婚です! 私の青春を返せ! おかげで私はまだ生娘だ!」
の名言を吐いて、祝福と罵倒が入り交じるなか、2人は結婚してしまったのですよ。そんときの悠さんの嬉しそうな顔といったら…。

そんな夫妻に、第一子が授かりました。悠さん、53歳にして、第一子!
年いってからの子供が出来るととんでもない親バカになると言いますが、たぶん、そうなるでしょう。

2005年12月9日金曜日

キムチオバァの闘いは今日も

近代的なビルと下町の香りを色濃く残す天神橋筋商店街を結ぶタイムトンネルのような小路が、我が家の最寄り駅であるJR天満駅より延びています。
小路の入口と出口に広がるそれぞれの光景の落差にクラクラするのだけれど、この小路のおかげで、落差をダイレクトに感じることはなく、一種の精神の緩衝地帯としての役割を、この小路は果たしています。

で、この小路の近代側の入口で、キムチを売るオバァがいるのですよ。そこは、正確には店舗ではなく、路上。
オバァは、毎日毎日どこからやって来るのかは知らぬがリヤカーにキムチやトックや韓国海苔などの食材を山積みにして、この場所に腰をおろし、店の屋根のつもりなのだろうが領有権を主張するかのようにパラソルを立て、やおら商品を並べはじめます。そして、道過ぎる人々に、片っ端から声をかけて売っていくんですよ。
オレは、ひいきにしているキムチ屋があるので、残念ながら、このオバァからキムチを買うことはなく、したがって味のほどは知らぬのですが、まず、高い。100グラム当たり200円で売ってますから、この界隈のキムチの相場の約2倍の値付けです。で、この界隈には天満市場があり、天神橋筋商店街があり、舌の肥えたグルメ・グルマン・業者の人口密度が異様に高いので、当然のこと、こんな値段では売れまへん。イヤ、真偽のほどは知らぬが、売れているところを、オレは、まず見たことがありまへん。
それでも、オバァは、買っていけ!と。命令形です。オレの顔など毎日見ていて覚えているだろうはずで、オレがオバァからキムチを買わないことなど、重々承知しているはずだと思うのですが、それでも、オバァは、毎日毎回、オレにも声をかける。きっと、他の人たちも、似たような経験をしているはずです。もちろん、それでもオバァはめげずに、今日も…。ここらあたりが、在日コリアン・オモニ魂の面目躍如といったところです。とにかく、孤高の叫び。

ところが、です。
ある日のこと。いつものように小路を抜けようとしたら、いるはずの定位置に、オバァがいない。その代わりにあったのが、柵。
オバァの定位置を狙い撃ちして、カラーコーンを四方に置き、カラーバーで囲み、ロープで結わえ、柵を置き、ご丁寧に重し代わりの台車と砂袋まで置いてあるではないですか。んで、カラーコーンには大阪市の紋章が。
大阪市の仕業ですね。出店厳禁の札まで下げてます。そりゃあね、一応は公道だし、行政の管理する場所だし、無闇矢鱈且つ勝手に出店してもいいはずがない場所ではないですよ。

でもなあ、あのオバァは、ずーっとこの場所でキムチを売ってきたんですよ。オレが生まれるまえから、飲んだくれの亭主に愛想を尽かして、オンナの細腕一本で、ここでわずかなキムチをでっかい声と押しの強い営業で売って、かつがつその日その日を凌いできたんですよ。

イヤ、本当のところは知らないんですけどね。
いつからここで商売してるのかも知らぬし、身の上のこともなんも知らぬのですが、そこに思いを巡らせるのが想像力であり、行政に最も必要な、国民の立場に立った施策の実行への第一歩ではないですか!
それをね、今まで黙認してきておいて、今日からは出て行けというのではね、オバァの生活設計が成り立たんではないですか。第一、この小路を利用する人が、オバァの所業を黙認してきたからこそ、オバァは、ここで商売出来たわけでしょう。少なくとも、オレは、黙認してきたぞ。だから、いーじゃん。
オバァの所業も大概うっとおしかったが、それでも、黙認するに足る所業であり、うっとおしさであったと、オレは思っているのですよ。街のちょっとしたアクセントとして、生活の潤いとしてね、必要だったとすら言ってもいい。
それをなぁ、行政のやつらはなぁ…。生活あっての行政だろうが。行政のやることって、やっぱ、野暮ですわ。

と、思っていたら、オバァは、大阪市にぶんどられた定位置の東3メートル横にあるインターナショナル幼稚園の入口のすぐ横にわずかばかりのスペースをめざとく見つけ、早速、何事もなかったかのように、商売をはじめていました。
さすが、だ。
オバァのほうが、一枚も二枚も上手ですな。生活力の、桁が違う。

でも、幼稚園の入口でキムチの出店は、いくらなんでもまずいんでないか。大概にしとけよ、オバァ!

2005年12月8日木曜日

あの年の12月8日


ジョン・レノンが亡くなっちゃった日ですね。
NYの自宅、ダコタハウス前で、クレイジーなファン、マーク・チャップマン(だっけ? 仮釈でシャバに出るとか出したらアカンのとちゃうかとか出たら殺されるんちゃうかとか、数年前に騒いでたよーな…)に「ハロー、ジョン!」とか言われて、いきなりピストルぶっ放されて、亡くなっちゃった日。

80年のこの日、オレは中学3年生の受験生でした。
イヤ、受験勉強は年が明けてからの一夜漬けしかしてないので、この時点では受験生でもなんでもなくて、単に、放課後サッカーに明け暮れる中学3年生でしかなかったですかな。

で、当日。
その日、吉田拓郎が好きだったオレは (イタい過去やな。メロコアや!ワールドや!ブラジルや!ってきどってる今の若いコらの最初に買ったアルバムがB'zやったってバレたときの赤面とおんなじくらいにイタいな。B'zに罪はないのにな)、放課後サッカーを早々に切り上げてですね、FM大阪で放送される吉田拓郎特集をエアチェックするべく…。

解説、要るな。
エアチェック。まだ、802もKISSもなかった時代、関西の音楽DJといえば若宮てい子やった時代、エアチェックなる行為が一般的だったのですよ。FM funという雑誌がありましてですね、これにはTV BrosみたいにFMの番組放送予定が2週間分ついてて、そこには、各番組ごとに、放送される曲と、その曲が何時何分に放送されるかが、事細かに書かれていたんです。
それでですな、LPなどという、ほぼ一律3300円のものしか売られてなかった時代に、財力が乏しくてあたりまえの中学3年生だったオレにかぎらずですが、世の音楽ファンはですね、それぞれお目当ての曲が放送される時間にラジカセの前の正座してですね、ラジカセにカセットを挿入してですね、お目当ての曲が流れる時間にですね、録音ボタンを、ガシャン!と押していたのですよ。これが、エアチェック。ほいで、そうやって録りためたテープは、FM funの付録についていたカセットラベルを切り取って、かわいくデコレーションして、コレクションの端に並べていく、と。ダウンロードがあたりまえの今からすると、タイマーすらなかった時代。隔世の感がありますな…。戻りたいとは絶対に思わへんけど。

で、吉田拓郎の曲をごっそりエアチェックしてやろうと、その日は放課後サッカーを早々に切り上げて、おニューの生テープを用意してですね、ラジカセにセットして、正座して、録音ボタンに人差し指を置いて、鼻息を荒げて、スタンバイしてたわけですよ。
そしたら、ですわ。ビートルズのなんたらいうオッサンが殺されて、その日は、急遽、その、なんたらいうオッサンの追悼番組に変更…。延々、その、なんたらいうオッサンの曲が流され…。イヤ〜、あのときのオレは、かなりご立腹でしたよ。

それから月日は流れ、洋楽を聴くようになり、古いのを漁るようになり、日米英以外のも聴くようになり、音楽バカになり、音楽極道になり…、あぁ、あのとき亡くなったオッサンはジョン・レノンだったのか、と。で、現在に至っております。

たまに若い衆のバンド運営にかかわったりもしますが、なにしでかすかさっぱりわからんオッサン、あんなオッサンがバンドに一人いたら、やりにくいやろな〜って、思いますわ。表現も行動もシニカルやし、突発的やし、唯我独尊やし、無邪気やし。案の定、オッサンのせいで解散してるし。
でも、そーでなかったら、「マザー」も「ゴッド」も「ワーキング・クラス・ヒーロー」も生まれんかったとも思います。全部、気狂いの歌ですやん。気狂いでない表現者なんかに興味はないから、外野のオレは、それでいーんですけどね。でも、近所にいてる人たちは、たまらんかったやろな、と。

それをね、あのオンナがね、愛と平和の使者みたいなイメージに収斂させやがってね。天才がね、世の中のこととか他人のことを考えるわけがないっしょ。天才は、徹頭徹尾、自分のことだけ考えるもんでしょ。そんなこともわからんとね、ほんまに夫婦やったんかいな?って思いますけどね。

そんなわけで、今日はジョン魂でも聴いて、オレも唯我独尊になってみます〜。

そうそう、最後になっちゃったけど、ジャイ子さん!おめでとう!いい日になるといいですな!



John Lennon /『God』

2005年12月6日火曜日

愛のプレゼンテーション





スピッツの『チェリー』だっけな。
愛してる、の響きだけで 強くなれる気がしたよ〜
って歌詞。

あの一節がね、好きなのですよ。
愛してる、ってことよりも、
その響きにどれだけのものを込められるかのほうが、はるかに大切なのだと、オレは思ったりもするのですね。

言いたいことは全部言った!
とか。
好きです、って、とりあえず言えた!
とか。

それで終わりなのか? と思ってしまいます。

コミュニケーションにおいて、
言いたいことを伝える、よりも、それがどうすれば伝わるのか、を、考えることのほうが、はるかに大切なのだと、オレは思っています。

内実は、大切です。同時に、方法論も、大切です。
でも、方法論は、軽視されがちですね。

マニュアル本には、いろんなことが書いてありますね。具体例が、たーくさん、書いてあります。
でも、そこには、特定の誰かを振り向かせるためのマニュアルが書かれているわけではありません。
不特定の、顔のない、名前のない、実在しない、とても不思議な人を振り向かせるための、不思議なことが書かれてますね。
あなたが振り向かせたい相手を想定して、指南が書かれてあるわけではないですね。

これが方法論なのだとすると、方法論は、軽視し蔑視していいな。

そうではなくて、
あの人を振り向かせるためには、自分が思っていることを、正確に、過不足なく、伝えるためには、どうすればいいのか。

これはもう、考えるしかありません。考えて、考えて、考え抜くしかありません。
大きな声で言えばいいのか、小さな声で囁けばいいのか、外なのか、暗い場所がいいのか、遠回しがいいのか、直接がいいのか、誰かに言ってもらうほうがいいのか…。
考えるしかありません。
で、
こういうのは、もちろんのこと、オーダーメイドなので、具体例をマニュアル化することは出来ません。

どう考えるのか。
考えられるようにするには、どうすればいいのか。
これは、じつは、かろうじてマニュアル化出来ます。
かろうじてマニュアル化出来るけれど、とんでもなく長くなるので、またいずれ書くことにします。


京都に、史上最凶&最強のロックンローラー、山口冨士夫という人がいます。内田裕也なんかメじゃないくらいの、ロックンローラーです。
伝説のバンド、村八分でギターを弾いていた人です。タンバリンズとかティアドロップスで、ギターを弾き、ボーカルをとっていた人です。
今は、ジャブ中&アル中で、めちゃくちゃになってますけどね。

その山口冨士夫は、かつて、「好きなんだ」という曲を演奏し、歌っていました。
歌詞は、
好きなんだ、
だけです。

好きなんだ、というフレーズだけが、さまざまな響きで、さまざまな表情で、100回くらい繰り返される曲です。
それでいてポップな名曲になり得ている、すごい曲です。
あの、いかつい山口冨士夫が歌うのだから、それだけでキュートになってしまっています。

どの「好きなんだ」が、おまえの心臓に突き刺さるのだ!という曲です。
今日、久しぶりに聴きました。
山口冨士夫は、内実の人に見えて、そのじつ、方法論の人です。




山口富士夫 / 『皆殺しのバラード』

2005年12月5日月曜日

ファイト☆





朝、いつもの喫茶店に行き、モーニングを食べ、コーヒーを飲む。
日刊スポーツと読売新聞と日経新聞を読む。
これで約30分。
で、いつも、ここで便意。
3紙読み終わった時点で、いっつも便意発生。
今日も、便意発生。

体内時計が、
朝起きる→コーヒー飲む→30分かけて新聞3紙読む→便意発生
で、出来上がってるみたいで。

で、その喫茶店の便所に行けばよさそうなものなのだが、ここは和式オンリーなので、和式が好きではないオレは、ここでは、しません。

で、オレは自宅が仕事場なので、そのまま便意を我慢して、自宅に戻ります。

いつもの喫茶店から自宅までは、徒歩約5分。
でも、この5分が、難関なのですよ。

最初は、我慢出来そうな気がして店を出るのだけれども、店を出てから自宅に辿り着くまで…、つか、ほぼ店を出た瞬間あたりから、ロケット砲が発射されたかの如く、猛烈な便意に襲われる。

肛門に力を入れる。
そのうちに一歩も動けなくなる。
道の真ん中で立ち止まってるのも変なので、とりあえず携帯を出して、メールでも打つふりをする。
便意が少し和らぐ。
その隙に歩く。
あのコーナーまで。
あの階段まで。
喫茶店から自宅までに自分で設定してあるチェックポイントは、5ヶ所。
マンションに行くまでのコーナー、階段、エレベーター前。エレベーター降りたとこ。そして自宅の玄関。
それぞれのチェックポイントを目指して、それはそれは頑張る。
脂汗が出る。
道の真ん中で、モジオくんみたいになる。
変なので、パントマイムを練習してる人を演じてみる。
フルマラソンを走りきったような体力を消費して、エレベーター前まで到着する。
祈る。
誰もエレベーターに乗ってきませんよーに!
自宅のドアを開けてからトイレに到着するまで、あと数歩なのに、一歩も進めない。
ここで気を抜いたら、すべてが水の泡と化す…。

こんなとき、頭のなかでは、
中島みゆきの『ファイト』が鳴っていたりする。




中島みゆき / 『ファイト』

2005年12月4日日曜日

コミュニティの音楽





広島で女の子が殺されたと思ったら、栃木でも。
かなり、やりきれません。

男女間のもつれ、ゼニのこと、怨恨…、こうしたことが原因で起こる事件は、少なくとも理解出来ます。日常の延長線上にあることですからね。
でも、性犯罪は病気だし、日常の延長線上にもないから、理解も想像も出来ません。動機、心情、心象風景…、どれをとってもイメージ出来ません。

栃木での事件の報道を見ていると、女の子が行方不明になった夜、地元の消防団を中心に、近所の住民の方が総出で山狩りをして、夜遅くまで女の子を捜索していた、とありました。

まだ、地域のコミュニティがしっかりしているところなのだな、と、印象深く見ていました。

オレが住んでいる大阪のど真ん中でも、一応は、消防団もあるし、自治会もあるし、町内会もあります。でも、出入りが激しいし、顔見知りなんて、数えるほどしかいません。
ましてや、誰かが行方不明になったら総出で捜索、なんてことは、ちょっと考えられません。
誰かが亡くなって、お葬式を地域が仕切るのではなく、葬儀会社が仕切っていることを見ても、それは、一目瞭然です。
コミュニティの組織はあっても、形骸化してるんですね。

それが、都市生活者の宿命と言ってしまえばそれまでですが、コミュニティがもう少しキチンと機能していれば、もう少し生活にも潤いが出るのかもな、なんて思うこともあります。
あ、でも、mixiは文字通りのコミュニティだし、mixiのおかげで、生活も少しは潤っているような気もします。

コミュニティがしっかりしていたけれど、栃木では事件は起こりました。
コミュニティがしっかりしているにこしたことはないけれども、それでも事件が起きてしまうほど、いろいろなことが悪化してるんでしょうね。

今日は、コミュニティについて考えています。

コミュニティと音楽は、歴史上、切っても切れない仲なのですが、現代のポピュラーミュージックの世界では、ヒップホップとレゲエに、そのことが色濃く残っています。

ボブ・マーレイの音楽は、世界的に知られるようになるまでは、ジャマイカの、キングストンの、ゲットーの、まさしくコミュニティのための音楽でした。
ピーター・トッシュとバーニー・ウェイラーが在籍していた、このアルバムまでが、そうです。



Bob Marley & The Wailers / 『Kinky Raggae』

2005年12月3日土曜日

長居するしかないカフェ





テーブルをどんと叩いて力強く断言したくなるが、日本中どこを探したところで、こんな店はないです。

四条通高瀬川西側の西木屋町通の細い路地を入っていった、風俗店街のとば口に、その店はある。もっとも、店の創業が戦後直後の昭和21年だから、後出しのじゃんけんに負けまくったようなもんか。まあ、それはいいです。問題なのは、風俗店でもないくせに、この店のほうがよほど妖しい雰囲気をプンプンと匂わせていることなのですよ。

港町の場末のバーのような扉を押してなかに入ると、妖しさは一層の輝きを増します。地下でもないのに、窓が一切ない。ベルベットの赤で統一された椅子。低い間仕切りのような柵は、SMチックに黒光りして尖っている。テーブルも椅子も、恐ろしく低い。並みの男性なら、脚をテーブルの下に入れるとかなり窮屈な姿勢を強いられる。短い丈のスカートを穿いた女性なら、間違いなく中が覗く。まず、リラックス出来ない。近ごろ流行りの開放的な空間とは、あらゆる意味で、真逆。

店を仕切るのは、ママひとり。佐藤美恵サン。戦後直後にお母さんがはじめたこの店の、美恵サンはその当時からの看板娘です。当時、『夫婦善哉』で有名な織田作之助が木屋町を舞台にした小説を京都新聞に連載していたらしいのですが、その作品のなかで、木屋町一のベッピンさんと評された女性です。
しかし、それも50年以上も前のこと。もはや何歳なのかもわからないし、恐ろしくて聞くことも出来ません。

当然なのかも知れないけれど、かなりの妙齢であるはずの美恵サンの給仕は、恐ろしく遅い。まず、動きが遅い。絶対に、ゼンマイで動いてるな。厨房とホールを行き来するためにカウンターの下の低い通路を通るのだけれど、そのせいか、背中はほぼ直角に折れ曲がっていて、美恵サンのご尊顔を拝することは、稀です。
注文をとりにくるのも遅いけれど、出来上がるのは、もっと遅い。ホットコーヒーを注文して、なにをどうすればあれほどの時間がかかるのか知れぬが、ありつけるまでに平均で1時間はかかる。それまで、水も出ない。途中、カウンターを出て、レコードやカセットをリセットしたりするなどの、中断もある。

しかし、イライラしてはいけない。文句を言ってもいけない。そういう店なのですよ。この店を訪れるすべての人が、そのことを了承してやって来る。だから、ちょっと時間が空いたからお茶でも、という感覚で来てはいけない店なのです。あくまで、優雅にタンゴを聴いて楽しむ、それがメインの店なのだから。そう、書き忘れてましたが、ここはタンゴ喫茶なのです。
しかし、供されるホットコーヒーは、とても美味いです。。濃いけど、澄んでいて、切れ味の鋭いコーヒーが味わえます。 ミックスジュースはなにが入っているのかついにわかりませんでしたが、ピンク色をしていて、とても爽やかな味です。これもまた美味い。

結局のところ、こういう店なのだと思わなければ、とても行けない店なのですね。
午後3時開店という不思議な開店時間にもかかわらず、店には朝刊が各紙揃っている。さらにいえば、店が3時ちょうどに開くことすら、毎日ではない。4時、5時、6時に開店がずれ込むことすら珍しくはないのです。まわりの風俗店とは仲よくやっているようで、ときどき、出前の注文が入ります。コーヒー1杯の出前ですら、1時間以上かかる。なのに、出前の注文が入る。不思議なことです。出前に持っていくころには、注文主は注文したことすら忘れているのではないか、と思うほどで。

でも、 店全体から醸し出される不健康さ加減から、タバコは何本でも吸える。それだけでも素敵な店ではないですか。美恵さんの一風変わった人柄も、多くの人から慕われています。
いつも、次に行くときまで美恵サンはご存命でいらっしゃるかしら、と、そんな不謹慎なことを考えてしまうのも、彼女にまた会いたい、その一心からなのです。

あ、音楽についてなにも書いてませんでしたね。
この店の名前は、『クンパルシータ』。
タンゴの名曲であるらしい『ラ・クンパルシータ』から拝借したとのことですが、オレは、不勉強にも、この曲についてはなにも知りません。
スペイン人の中学生にスペイン語を教えていたこともあるオレですが、このスペイン語の言葉の意味も、よくわかりません。
調べれば簡単にわかるのでしょうが、調べてわかるよりもどこかで不意に出会いたいので、あえて調べていません。

とりあえず今は、タンゴを聴いています。

あ、京都在住の方は、このお店のことをご存知の方も多いと思います。追加情報、補充などありましたら、どんどん教えてくださいませ。





Astor Piazzolla / 『リベルタンゴ〜ピアソラ名曲集』

2005年12月1日木曜日

たぶん、二度と行かないカフェ

束の間の、ボーッと出来る月初。

神社の境内で寝るのにはちょっと寒いので、前から気になっているカフェへ。

そこは、
地元の日本一長い商店街の中腹あたり、あるのかないのかわからんような路地を入っていった先にある、これまたあるのかないのかわからんような店なのです。

1階がレトロ雑貨屋で、ブリキのオモチャやら古いLPやらが足の踏み場がないほどに置かれていて、これが堀江やら神戸やらのお洒落スポットにあればそれなりにお洒落な雑貨に見えてくるのだろうが、いかんせん、ここは天神橋筋商店街。はっきり言って、ただのガラクタにしか見えません。

南極に冷蔵庫を売りにいっても売れんのとおなじで、…ん? 南極で冷蔵庫は保温庫として売れるんやったけ?

ま、なんにしても、商売は場所を考えんとね。

いや、そんな話ではなくて、その、あるのかないのかわからんレトロ雑貨屋の2階、それも、普通に家にあるような階段をトコトコと昇っていくとですね、これまた、普通に家にあるような4畳半の間が。つか、この建物全体が、普通に民家。それも、町屋とか茅葺きとかの文化財的価値のある民家ではなくて、普通に、古い、ボロい、民家。
壁とかが聚落塗りの、触ればボロボロとこぼれてくるような、もはや耐震性とも強度とも無縁の、ボロ民家。

窓の前に板が置いてあるだけの、2人しか座れんカウンターと、使い古した応接セット(これも2人仕様)があるだけの、本気で、やる気なんか絶対にないやろ〜、ってかんじです。

壁には、定番であるかのように、ボンカレーの古いポスターが貼ってあったり、観光地の三角のペナントが貼ってあったりするんやけど、それが、狙ってるのか狙ってないのかわからんところが、ちょっとすごかったりします。

メニューは、いわゆるレトロ喫茶の定番ものばっかり。カフェオレじゃなくて、カフェオーレ、とか。ミックスジュースにレモンスカッシュあたりが限界のメニュー構成です。(レモンスカッシュじゃなくて、レスカって書いてあったところで、笑いをこらえるのに必死でした☆)

サニーデイサービスの曽我部クンとかが好きそうな店といえば、わかる人にはわかるかも。

それにしても、マックス4人、マックス2組の店内というのは、おそろしく居心地が悪いですな。4畳半程度のスペースやから、余計に。
話し声が自然と小さくなり、ひそひそ声になり、無言になり、おそろしく居心地の悪い空気が流れます。

で、店のおばちゃんの声だけが、やたらにでかく響きわたるんですね。しかも、このおばちゃんがよく喋る。
客に話しかけて喋るだけならまだしも、店で電話で喋る!それもかかってきた電話ではなくて、自分からかけた電話で!世間話を!近況を!

かような店なのですが、ひとつだけ、好感が持てるところがありました。(人の長所を見つけて、そこを見るのは、ストレスを溜めん秘訣ですな)

それは、キャロル・キングの『タペストリー』を流していたこと。
20世紀を代表する名盤中の名盤で、オールタイムで聴けるこのアルバムは偉大でしたね。

こんな店でも、ちょっとは素敵に変えてしまうマジックを持ってるみたい。
ボンカレーが美味そうに見えてくるし。
観光地ペナントがシブく見えてくるし。
茶色に変色したガラスの重厚な四角い灰皿が、由緒ある品に見えてくるし。

まあ、でも、店の外に一歩出るとマジックも消えてしまうわけで。

たぶん、2度と行かんやろな。
持っていった本は、数ページ進むも、ちっとも頭に入りませんでした。