2007年8月3日金曜日

自分を見つめるための、猿沢池



怒濤の7月の仕事ラッシュ、まだ納品した仕事はほとんどないんですが、それでも少し落ち着いてきたので、今日は、ちょっとゆっくりしようかと。

といっても、完全オフにはならんところが、少し悲しいところで。
でも、どっか行ってブラブラしようかしらと思っていたら、急遽、奈良に行かねばならんことになって、それなら!ってことで、ついでに奈良をブラブラすることにしました。

京都の神社仏閣巡りスタンプラリーもかなり行き尽くした感もあるので、ぼちぼち奈良を攻めるのも悪くありません。goutさんという、強力な援軍もいることだし。

そんなわけで、今回行ったのは、猿沢池。
たいていの奈良初心者は、猿沢池→興福寺→東大寺大仏殿とまわるだろうから、この池は、まさに、奈良観光の玄関口でもあります。

この池は、興福寺の放生池でして、興福寺の縁起をつらつらと眺めていると、749年にインドの仏跡である猴池を模して造られたんだとか。猴は猿のことなので、やはり字義通り、猿の池ってことですね。

この時代、高僧・行基が畿内のあちらこちらに貯水池を造ったりしてますから、もしかしたら行基が造った池なのかしら。そのあたりのことは、縁起には触れられていませんでした。

水面が高くて、地面と水面の高低差がそれほどないから、ちょっと見慣れない風景なんですよ。
池の畔にいても、カヌーに乗って水面を切っているような、そういう感覚に襲われます。
興福寺五重塔と周囲の柳の木が一緒に水面が映る風景が美しくてね。
美しいんですけど、オレは、この池の価値は、そういうところにあるのではない、と、思っています。

なんかね、思索を促す風景なんですよ。
自分と向き合うための池というかね、そんなかんじ。
むかしから、何度か来てはいるんですが、来るたびに、この家の周囲に配されたベンチに座って、何事かを考えています。
無心になれないのはオレの未熟さ加減ゆえなのかもしれないけれども、やっぱ、何事かを考えさせる池なんですね。

オレの知り合いに、奈良出身のミュージシャンがいます。
素敵な歌い屋さんなのですが、行き詰まると、よく、猿沢池の畔に座って、自分を見つめ直していたそうです。当時は大阪に住んでいたけれども、奈良まで帰って、よくこの池に来ていたんだとか。
京都の哲学の道なんて、もはや思索を巡らせられる静寂さは失われて、単なる観光スポットに堕しましたが、奈良の猿沢池は静かで、ゆったりとして、やはり、思索を促します。
ま、何事を考えたのかは、秘密ですが(笑)
いずれにしても、不思議な池です。
ただ、この40代に自分が進むべき道がくっきりとわかっているから、今はあんまり悩むことはないんですけどね。

不思議といえば、
この池には、水が流入する川がないのですが、澄むことも濁ることもなく、常に一定の水量を保っています。
そして、亀はたくさんいるけれども、なぜかカエルはいない。藻も生えない。毎年たくさんの魚が放たれるのだけれども、魚で池が溢れる様子もない。
いろいろと、七不思議があるようです。

奈良には海がありませんが、この池ははるか遠くの海に通じていて、竜宮伝説、龍神伝説が残されています。芥川龍之介が書いた短編小説『竜』は、その伝説をモチーフにした話ですな。

その他、帝に捨てられたことを嘆き悲しんで入水した釆女をモチーフにした釆女祭りなど、いろいろと逸話を残している池でもあるのですが、それはまたの機会に。


知り合いの奈良のミュージシャンは、こんな人たちです。


家根嘉 / ASUKA

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