2007年8月25日土曜日

万人という名の人は、いません

相方さんはニットアーティストで、今、毛糸屋さんに勤めています。
その毛糸屋さんで、ニットの本を出すらしく、相方さんも、いろんな作品をつくってました。
もちろん、社内で選考あり、そのまえに上司のチェックやアドバイスあり…、いろんな人からいろんなことを言われて、四苦八苦してはりましたな。

結構な数の作品をつくったらしいのですが、最終的には、全部ボツになったのかな。
まだ新人さんだし、仕方ないっちゃ仕方ないんでしょうけれども。

まあ、どんなものをつくっているのかはオレは知らんのですが、いろいろ言われるたびに、へこみ、悩み、考え、また奮い立ち、腹も立ち、忙しくやってはりましたわ。

その四苦八苦ぶりを、オレは横目で眺めていただけですけれども、毛糸のこともニットのこともオレはなんも知らんから、言えることなんて、知れてます。

ただ、端で、漏れ聞こえてくる話を聞いているとですな、いろいろと頓珍漢なことも多いですよ。

相方さんは、個性的なものをつくる(と、言われる)ことが多いらしいのですが、それを指して、もちょっと万人受けするものを、と、上司から言われるらしいのですよ。

それを耳にしたときは、なんもわかっとらん人が上司についとるなあ、と。

モノヅクリをするときの、絶対に外してはいけない点は、それは誰に向けてつくっているのか、ということです。
雑誌であれwebであれ、それを商売としてつくるのなら、訴求対象を明確にしておかないと、輪郭のぼやけた、頓珍漢なものにしかなりません。
オレは、なにをつくるにしても、それは誰に向けてのものなのか、を、必ず、明確にしておきます。
年齢は何歳で、男なのか女なのか、服装の趣味は、どんな音楽を聴いて、どんな食べものが好きで、どんなところに住んでいて、可処分所得はどれくらいで、なににどれくらいのお金を毎月使うのか…、なんてことを、出来るだけ細かくリアルに想像していきます。リストにすら、しますね。
どういう価値観の持ち主に訴求したいのかを細かく考えて、その人のライフスタイルを、細かく細かく、リアルに想像していきます。
最終的に、該当する要素をすべて持っている自分の知り合いに辿り着けたら、しめたもんですね。その人が喜んでくれるものをつくればいい。それだけ考えてつくれば、半分は成功したも同然です。

だから、なにかをつくっていて、迷ったときは、オレは、必ず最初に立ち返ります。
あの人は、こっちが好きかな、こっちのほうが喜んでくれるかな、って、そこに立ち返って考えます。

こんなことは、おそらく、マーケティングの本の第1ページ目に書いてあることです。でも、そこがぼやけていると、出来上がったものが完全にぼやけてしまって、頓珍漢なものになってしまいます。

万人受け、という言葉は、言葉としては存在しても、そもそも、万人という人間が存在しません。
オレは、万人という名前の人なんて、会ったことも見たこともないしね。
会ったことも見たこともない、想像すら出来ない人に喜んでもらえるものって、なんですかね?
つくりようがないですね。
これはね、言葉を換えれば、誰にも訴求しないものをつくっているのと、じつはおなじことです。

訴求対象をね、最終的に自分の知り合いひとりにまで絞ってしまうのは、そりゃ、怖いことですよ。
そこまでレンジを絞ってしまってもいいものか、と、怖くなります。
誰だって、たくさんの人に喜んでもらいたくて、モノをつくりますからね。
でもね、不思議なもんで、訴求対象を絞って絞って絞ってモノをつくると、かえって多くの人に訴える、多くの人の琴線に触れるものになることが、多いんです。
なぜって、それだけシャープなものになっているから、輪郭がくっきりしたものになっているから、わかりやすいんですよね。
わかりやすさは、モノが売れる大きな要素なので。
わかりやすくさえあれば、多くの人が理解するし、多くの人が理解すれば、自分が想像すらしていなかった層の人の心にヒットすることもありますから。

たとえば、かわいい!って商品をつくったとして、それは果たして、どういう人にとって、「かわいい!」のか。かわいさなんて、人それぞれで感じるところが違うのだから、「誰にとって」の部分が抜けていたら、どうにもならんです。
でも、こういう人は必ずこれをかわいいと思うはずだ!というモノなら、それはその人にヒットするだけでなく、誰もがそれを見て思うところがあるほどわかりやすいのだから、こんなのは絶対にヤダ!という人もいれば、あ、これは好き!って人も、いるわけです。わかりやすくさえあれば、人は、反応しやすいのだから。そのなかには、自分が想像すらしていなかった層の人の心に、深く届くことだってあるわけです。

だから、個性的というのは褒め言葉でしかなく、万人受けという言葉は、言葉のうえだけで存在している空虚で実態のないものだということを理解しないと、モノはつくれんですね。

ちゃんと訴求対象を細かくリアルに設定したのに、売れなかった。
それは、訴求対象を間違えているか、訴求対象の欲求に応えきれていないからですわ。そういう失敗はね、経験を積めば回避出来るようになるから、どんどん失敗すればいいんです。
その失敗が後々に大切な糧となることを、オレは経験で知っています。
でも、万人なんてことを考えていたら、まともに売れるものは絶対につくれません。

モノをつくる人で、売ることをキチンと考えない人って、案外多いですね。
もちろん、そうじゃない人もたくさんいるけれども、自己満足でモノをつくる人って、やっぱ、意外なほど多いです。
遊びや趣味でやるのなら、それでいいんですけれども、商売でやっていくなら、それではしんどいですわ。第一、誰も喜んでくれない商品をつくってどうするのか(笑)

モノをつくる人、特に、手づくりを大切にする人ほど、それで儲けることに罪悪感を感じる人が、多いような気がします。
儲ける、という言葉の実態をね、よく掴んでないんではないか、と、オレは思うんですけれどもね。
売れる、ということは、それを必要としている人がたくさんいて、その人たちの欲求に応えている、ということです。
自分がつくったモノで、たくさんの人がハッピーになる、ニコニコっとしてくれる。
売れる、儲けるということの実態は、そういうことです。
そこには、罪悪なんて、これっぽっちもありません。
媚びろと言っているわけでもない。
あの人が喜んでくれるものをつくる、その気持ちを原動力としたものだけが、売れるということです。

モノをつくるということはね、じつは、あの人に宛てたラブレターにほかなりません。

もちろん、阿漕にお金儲けをしている、なによりもお金が大好きな人もたくさんいます。モノヅクリをしている人のなかにも、そういう人はたくさんいますよ。

でもね、お金よりもラブレターのほうが好き!という人のほうが、やっぱり多い。
多いからこそ、この社会では、市場経済が曲がりなりにも成立しています。

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