2007年8月24日金曜日

『私の小さな楽園』


最近、仕事でDVDを観ることが減っていたんですが、今日、久しぶりに観ましたですよ。
やっぱ、定期的に観ておかないと、いろんな感覚が鈍ってきますね。
映画を観る、音楽を聴く、物語を読む、美味いものを食べる、なにかに触れ合う、人と出会う…、インプットするのは、もちろんその行為自体に目的があって、それ以上でもそれ以下でもないんだけれども、でも、自分の感受性やバランス感覚の現在地を知る、いい機会にはなりますね。
むかしはこんなもんで泣かなかったのに、とか。

そんなわけで、今回観たのは、ブラジル映画の『私の小さな楽園』。2000年公開の映画ですわ。

この映画を観て、オレはやっぱり情けない男が描かれている映画がとっても好き、人間が讃歌されている映画がとっても好き、ということを再確認しましたです、はい。

本作の舞台、ブラジル北東部ノルデスチです。
ここは、アフリカからの奴隷が陸揚げされた拠点、バイーアはサルバドールを含むエリアで、ブラジル音楽の故郷でもありますね。あの、重層であり複雑なブラジル音楽の源泉は、この地でアフリカン・ブラックが陸揚げされ、リオの洗練を受けて、完成します。
この地のカーニバルを見に行ったことがあるけれども、リオのカーニバルがバカっぽく見えるくらいに、ブラック・テイストが溢れてて凄まじいカーニバルですわ。
サンバもボサノヴァも、この大地がなければ、どれほど薄っぺらくて味気ないものになっていたことか。

そんな故郷の、広陵とした剥き出しの大地と、どこまでも広がる青空が舞台の映画。人々が旱魃に苦しむ、極端に降雨が少ない乾燥地帯でもあります。リオのスラムの殺伐とした対極にあるのだけれども、ここもまた厳しい大地です。
そんな厳しい自然環境を舞台に、女主人公・ダルレーニのおおらかな積極思考が、希有な物語を産み出してます。

ひとりの婦女子さんに、彼女を愛する4人の男。
生活能力もあれば、人生を楽しむ術も知っている婦女子さんダルレーニと性格のバラバラな男4人が、ひとつ屋根の下、絶妙な距離を保ちながら共同生活するわけです。
けっしてベッピンさんとはいいがたいダルレーニ(だからいい!)なんだけれども、彼女の持つ逞しく、得もいわれぬ魅力に、男たちは次々とノックアウトされていきます。
ブラジル社会は、同時にマチスモ(男性優位思想)の色が濃い社会でもありますが、正にイスラム社会の一夫多妻の逆をゆく、ダルレーニの痛快な実話がもとになっている映画でして、ジルベルト・ジルの軽快な音に乗せて、このフェミニズム映画は、男たちのありようの本質に迫ります。
男たちは家とメシと肉体を捧げ、婦女子さんは愛を捧げる。あぶり出されてゆく人間の性のオルタナティブ・サイドに、常識は木っ端微塵に粉砕されていきますね。いまだ日本にもあまた棲息する家父長信者(特に婦女子さん!)には、まず理解出来ない映画なんじゃないですかね
原題の「EU TU ELES」は、ポルトガル語で「私、あなた、彼ら」。この、関係性!

さて、物語は、ダルレーニが結婚式を挙げるところからはじまります。
結婚式には新郎が現れない。そんな新郎に背を向け、妊婦のダルレーニは、馬車で都会へと旅立ちます。
それから3年の月日が流れ、男の子を抱いたダルレーニが村へ戻ってきます。彼女は、初老の頑固者オジアスから「家を提供するから結婚しよう」と持ちかけられ、あっさりと結婚するのですね。
でも、蓋を開けてみれば、指図するだけでまったく働かないオジアス。家事も仕事も女まかせのグータラ亭主は、日がな一日、ハンモックの上でラジオを聴いている家父長野郎だったのでした。

ダルレーニは、朝6時から夕方5時までさとうきび畑で太陽に灼かれる重労働。そして、家へ戻ると家事と夫のお相手が待っている。
でも、元来が楽天的な気性のブラジル女。鼻唄を歌いながら家事をこなし、夜にはちゃんとパブで踊ってたりもします。大地のおおらかさに太陽の明るさを合わせ持ったダルレーニの、笑顔がじつにいいですわ。

物語が動くのはここから!
ダルレーニの天真爛漫な逆襲がはじまります。
黒人ではないダルレーニとオジアスとのあいだに生まれたはずの子供は、何故か黒人なのですよ(笑)

さらにさらに、同居することになったオジアスの義理の従兄弟のセジーニョの優しさに惹かれ、情交。またもや妊娠し、当然パパはセジーニョですわ。
ただ、フェミニストのゼジーニョは、ダルレーニに代わって家事をこなし、彼女の働くさとうきび畑まで毎日嬉しそうに弁当を運ぶような男で、オジアスからいつも馬鹿にされながら、秘かにダルレーニとの愛を育むのでありました。

で、それだけで終わるような映画ではなくて、次に登場するのが、若い色気を発散させるイケメンのシロ。季節労働者の彼を同居させたのが運の尽きです。
セジーニョの不安は的中して、いつも通り弁当を届けた折に、さとうきび畑の茂みでシロとセックスするダルレーニを見てしまうのでありました。そしてまたもや父親の違う息子の誕生(笑)

もう、めちゃくちゃ☆
でもね、男たちによる錯綜する嫉妬と牽制を尻目に、一家の稼ぎ手のダルレーニは、男たち、息子たちを平等に愛しながら、暢気に逞しく生きていくのですよ(笑) わははは。

娼婦なのか天使なのか。はたまた宿命の女なのかビッチなのか。
どれも、外れてる。
だってさ、ダルレーニを必要としているのは、男たちのほうだからです。打算などこれっぽっちもないダルレーニの愛のカタチに、じつは、男たちこそが、「楽園」を見い出しています。

人間誰しも、自己の欠落した部分を他者に補完してもらうことによって、生きることが出来ます。だから、絶妙な4人のバランスが生んだ相互扶助に、因襲もクソもないですね。
結局、ダルレーニがいい女なのだ!ってことです。

この自由をゆく情熱の女ダルレーニを演じたのが、ヘジーナ・カセー。彼女の好演なしでは、本作の説得性もクソも、なかったでしょうね。

家父長的で人種の混ざり合いがあたりまえのブラジルにあって、メスティーソ(混血)のことや、貞操感の違うブラジル社会の背景は、ブラジルを知らない人にとっては、やや、理解しがたいものになっているかもしれません。
なにしろ、妻が、夫以外の男の子を次々に産み、それがみな夫に似ていない混血児。でも、最後には、混血の子供たちの出生届けをして、めでたしめでたしという展開ですから。
暴力を振るわないダメ親父、女の機能をフル活用する精力絶倫おばさん…、もう、抱腹絶倒☆

今や世界第10位の経済規模を誇るブラジルは、また世界一激しい所得差、貧富の差を抱える社会でもあります。
苛烈な暴力とドラッグの一方で、燦々と降り注ぐ太陽の国が、ブラジルです。
この落差は、まじめに向き合うと目眩を覚えるほどクラクラするものだけれども、この落差が焙り出すのは、じつは、目映いばかりの生の充溢ですね。

アジアでは、生きたい生きたい!と、叫ぶ人がたくさんいます。
キリスト教的価値観のヨーロッパでは、死にたくない!と叫んでいる映画がたくさんあります。
ブラジルは、南米大陸は、どちらでもあり、どちらでもないですね。

死ぬまで生きることを楽しむ!というかんじ。
かつてオレが乗ったタクシーの運ちゃんは、70歳だか80歳だかでしたが、そりゃ教会に行ってるときは神のことを考えるけれども、それ以外は寝ても覚めてもサンバのことばっかりだな、と、のたまってましたわ。

楽しんで生きることの達人だけが讃歌される。

この映画を観ていると、そういうブラジルのオジィ、オバァ、婦女子さんのことを思い出したりもしたのでした。
人は、燦々とした太陽を浴びていると、みな、そうなるのですかね?




『PALCO』 / Gilberto Gil

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