2007年2月14日水曜日

Dixie Chicksのグラミー受賞に見るアメリカの動向


今年のグラミー、Dixie Chicksがまさかまさかのグラミー5冠でしたな☆
最優秀アルバム賞、最優秀レコード賞を含む、最優秀ソング賞を含む、完勝。

ニュースにも出てますが、この人たち、反ブッシュを旗印にし、そういう発言を繰り返し、また楽曲も最近はその手のものばっかりだったので、よくもまあ、グラミーが選出したな、という、驚きの結果です。

ディスコグラフィを見れば、デビュー盤が1998年となってますから、その年ですわ。オレ、デビュー盤はよく聴いてたんです。
普段、カントリーはあんまり聴かないし、チェックもしてなかったんだけれども、馴染みのレコード屋の店長がやたらに勧めてくれて、それなら、ってことで聴いてたんです。
カントリーっぽくなくて、どっちかというと、ロック・テイストにアレンジされているものが多くて、そこが聴きやすかったし、キャッチーだし、BGMにはちょうどよかったんですけどね。
一応、若いくせに本格的なカントリーを聴かせる、って触れ込みでしたが、フィドルとマンドリンとバンジョーを操るってだけのことで、本格的なカントリーとはほど遠いというのが、オレの印象だったんです。ま、でも、聴きやすいし、キャッチーだし、それはそれでいっか、と(笑)

だいたい、カントリーというのは…、
アメリカにおける演歌。
なんですけどね…。

カントリー・ミュージックについては、過去、相当研究しました。現場まで、フィールドワークに行きましたから。

行きます! ちょっと長いです(笑)

アメリカの東海岸をハイウェイを何時間も走ると、平坦だった風景の遠くに、やがて山脈の影が見えてきます。アメリカ北部の奥地から、ヴァージニア、ケンタッキー、ノース・キャロライナ、テネシーを経て、ジョージアの北部まで連なってます。これが、アパラチア山脈。
地図で見ると、この山地のなかには、古く小さな町の名がいくつも記されていて、ブリストル、ノックスヴィル、オークリッジ、パインヴィル、メアリーヴィル…とあります。
ヴィルとは、「町」を示す古い言葉です。んで、じつは、こういった小さな町から、アメリカの音は生まれてきました。レコードやラジオが普及する1920年代よりもまえから、小さな町や村落に住む人々によって愛され、そして伝えられてきた、アメリカの音楽の原型ともいうべきものがここにはあるんですが、これがそのまま、カントリーの原型となります。

その音楽、つまり商業と出会うまえの、純粋な生活の音としての音楽は、マウンテン・ミュージックとかオールドタイム・ミュージックなどと呼ばれていて、まあ、俗称としては、ヒルビリーという言いかたが一般的です。ヒルビリーって、田舎者とか野蛮とかいったような意味ですけど。

このときの音楽で、今も名残を残しているのは、いわゆるフォーク・ダンスです。
あれ、マウンテン・ミュージックではバーン・ダンスというんですが、ルーツはアイリッシュ。
みんなで輪になって踊るやつです。2重の輪が互いに逆方向に回転していって、ペアの組み合わせが次々と変わっていくやつです。
男女で輪を分けて、キライな人とのペアがまわってきたら、指一本で繋がるくせに、好きな人とのペアの順番がまわってきそうでドキドキするときにかぎって、その人とペアになる直前でダンスが終わってしまうという…、あれです(笑)

この、マウンテン・ミュージックをルーツに持ち、もっとも直接的な影響を残しているのが、カントリー・ミュージックです。マウンテン・ミュージックの基本的なフォルムは、ギター、マンドリン、フィドルなどですが、これらの音をアコースティックからエレクトリックに換え、ドラムとベースを加えると、ほとんど現在のカントリー・ミュージックの音とおなじになります。

マウンテン・ミュージックがカントリー・ミュージックというジャンルへと名前を変えたのは、レコード会社の単なる商品イメージ戦略によるものです。
ヒルビリーでは品が悪いし、マウンテンでは都会のリスナーの共感を得られないため、カントリーという響きのいい言葉に変えられました。都会の人がカントリーという言葉を聞くとき、そこにはのどかな田園風景やきれいな空気を思い浮かべる傾向があったわけです。まして、当初のカントリーはオール・アコースティックだったのだから、いかにも清潔で楽しい音楽として聞こえたに違いないんですね。

ただ、このような言葉のごまかしによって、カントリーという音楽の本質は、都会の消費者によって誤解されてしまいました。
元来のマウンテンという言葉が示すように、カントリーは山間部における厳しい現実を歌ったタフな音楽であったはずなのですが、その本質がいつしか忘れ去られて、単なる娯楽音楽へと変容していったわけです。

このへんが、アメリカ版演歌、カントリーの誕生です。

そこに、開拓時代の伝説のカウボーイのイメージが加わることで、カントリーという音楽は、いよいよわけのわからないものになっていきます。
銀ラメの衣装をまとい、大げさなカントリー・ハットをかぶったカントリー歌手がラスベガスでショーをする、というような商業的現実は、まさにアメリカ的悪夢の象徴ですな。
大体、カウボーイが活躍した地域と、マウンテン・ミュージックが生まれた地域は現実にもかなりかけ離れているし、現実としてのカウボーイは、白人ではなくメキシコ系の移民労働者ですから。

でも、中西部におけるカウボーイの存在は、いつしか白人を主人公としたヒーロー伝に変わってしまい、マス・マーケットだった東部にその噂が届くころには、かなりディテールが演出されたストーリーとなってしまっていました。
んで、このようなストーリーが、作家たちの手によって短い小説として書き留められ、ダイム・ノベルズとして人気を博したわけです。ダイム・ノベルとは、1ダイムで買うことの出来る粗末な本のことで、安酒場などで主に売られていたんですが、その本を読んだ労働者階級が、ヒーロー伝にそのままそそのかされ、実際に開拓に参加するような動機となっていったわけで…。

こんなかんじで、山間部に埋もれていたマウンテン・ミュージックがレコード会社に目をつけられ、レコードという商品となって都会に出ていったとき、その音楽とカウボーイのヒロイズムが合体することとなり、現実にはもはやカウボーイなどほとんどいないのに、脳のないシンガーはレコード会社のイメージ作戦にそのまま乗って、カウボーイのロン・サムな生活を、マウンテン・ミュージックの旋律とともに歌ったんですね。いわゆる、シンギング・カウボーイの誕生です。

その後,音楽が都会に定着すると、カントリーは都会のことを歌うようになりました。失恋や仕事の歌です。まさしく、演歌!女にふられた男が、そのまま職も捨ててある日ふらっと町を出て旅を続ける、というような歌が今でもカントリーには多いのですが、そういうことです。

アイリッシュ好きのオレとしては、だから、マウンテン・ミュージックはすごく好きです。
カントリーとは、アイルランドからの移民がもたらしたものが、ある種のアメリカナイズを経て出来たものです。

でも、それが商業化されてわけのわからないモノになってしまったカントリーは、好きじゃないです。
ただ、だからこそ、カントリーはアメリカの大衆音楽としての地位を守り続けている、とも言えるんです。イメージは借りものであるにせよ、それは多くのアメリカ人の琴線に触れる、現実以上のリアリティを持っているものであり、カントリーの最大の特徴である「歌詞というストーリー」の素材には事欠かないから。カウボーイ気取りの男が、いかにもアメリカに古くからある男のイメージをもって(つまり、ドナルド・レーガン風)、「オレの町にもホンダが来た。前の工場は閉鎖され、友人も町から出ていく。しかし、オレはホンダに勤める。ジャパンに心を売ったんじゃない。この町に残るために、この町でアメリカ人として生きるために、オレはホンダで働くんだ」と歌えば、これは多くのアメリカ人が涙なくしては聴くことの出来ない、立派なカントリーになってしまいます。

一方、マウンテン・ミュージックは、ロックンロールにも強い影響を与えました。アパラチアと隣接する南部の綿花地帯で、ブルーズと音が混じったのだ。ザ・バンドのギタリストであるロビー・ロバートソンは、こういう言葉を残しています。
「ロックンロールとは、ブルーズとカントリーの結合なのだ。黒と白が結合したとき、まったくべつのものが、ひとつ、生まれた。私たちの音楽は、このロックンロールなのだ。エルヴィス・プレスリー、ファッツ・ドミノ、リトル・リチャードたちの伝統を受け継いでいる」

マウンテン・ミュージックを基盤とした従来のカントリーではなく、その後の商業化されていったカントリーでは、歌詞(ストーリー)が重要視されるんですが、一方のロックンロールでは、音やビートが強調されます。
つまり、心に作用してくるものよりも、身体に作用してくる要素のほうが、重要だったってことです。そのため、ロックンロールは白人的な生活のリアリティを、元々は含んではいません。白人として日常生活を送る人たちの琴線に触れるようにつくられた音楽ではなく、本来は白人からは遠い音楽なんですね。
60年代初頭からのアメリカにおける意識革命に、ロックンロールが大きな役割を果たしたのは、これが原因です。
ロックンロールは政治的であったとか、ロックは政治性を持つべきだとか、メッセージを持つべきだとかいうような幻想や期待は、だから完全な誤解で、白人の生活にそのままマッチするような音や価値観を持たない音楽を、白人の親を持つティーンエイジャーが支持したから、それが政治的な意味を持ったわけです。

ロックンロールそのものは、元来、政治とはなんの関係もない。アパラチアの山間で辛い日々を送っていた人たちが、唯一の救いとして楽しんでいた音楽と、明日のない日々を強いられていた黒人たちの末裔が心の底から絞り出したような音楽が、どこか底辺の部分で共通していたからこそ、そのふたつの音楽は融解したのだし、その融解を可能にしたのは、なによりも音楽のなかに宿る真実でしかないです。
つまり、現代のカントリーにおける真実は、白人の日常生活というレベルでの真実であり、ロックンロールにおける真実は、従来その音が持っていた、生命のような力のことですが。

アメリカの音の流れのひとつを、本当にざっと大雑把に遡ると、こういうかんじなんですが、そういうなかで、保守的でしかありえないカントリーのなかから、反ブッシュを標榜するDixie Chicksが出現し、全米でバッシングを受け、最後にグラミーをかっさらってしまったということは、なかなか驚愕するに値しますよ。
もともとが保守的なカントリーで、アメリカ的保守主義に異を唱える存在自体が珍しいですから。
しかも、アメリカという国は、意外なほど棲みわけが出来ている国で、たとえば、カントリーしか聴かない白人保守層は、黒人音楽であるヒップホップなんて聴いたこともない人も多いし、逆もまたしかりです。
その、南部の保守層向けのいちジャンルに成り下がっているカントリーにカテゴライズされる人たちが、現体制に異を唱え、バッシングの果てにグラミーをかっさらう…。

よくある波といってしまえばそれまでですが、なにかが変わるかもしれませんね。
アメリカの次期政権は、初の黒人オバマ氏か初の女性ヒラリー・クリントンかで騒がれてます。どっちの初が最初に誕生するかといえば、きっと、順番からいって初の「女性」だろうと思うんですが、いずれにしても次は民主党から大統領が選ばれるんでしょう。(ヒラリーになれば、アメリカの大統領職は、この20年間、ブッシュ家とクリントン家が交替でつとめることになるわけですが…)

世は歌に連れませんが、歌は世に連れますから、しばらくはアメリカの動向を、音楽の面から注視していきたいと思っています。



オレが好きなのは、デビューのころの彼女たちです。


グラミー受賞の原動力になった曲はこっち

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