2006年1月4日水曜日

頭のなかの五月蝿いハエ





本日の日記は、マイミクのジャイ子さんにスコープを当てております。
ジャイ子さん、あなた、昨晩、

>ロックって今はただのジャンル分けの言葉でしかないんですけどね。

と、聞き捨てならぬ発言をいたしましたですね (笑)
ので、
ロックがジャンル分けの言葉などであるはずがないだろうが、という熱いテキストを書くハメになってしまいました、オレは。

というのはもちろん嘘で、
ロックとはなんぞや? なんてことについて書いてくれ、というリクエストもずいぶんと前からいただいていたので、これを機会に書いてみました。ただし、熱いので、取り扱いにはご注意を♪


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五月蝿いハエが身体のなかや頭のなかに飛びまわっているときが、あるんですね。そのハエは、ちょっとした瞬間にどでかい蛇やゴリラに変身したりもします。ハエのほうから変身したがって騒ぎ立てるときもあります。ちょっとした瞬間を、ハエから仕掛けやがるんですよ。
で、その、五月蝿く身体のなかで騒ぐハエたちのことを音楽にしたものがロックだから、ハエやその変身した蛇やその他のケモノたちが好むのは当然のことなのです。

20世紀以前にも世界各地で身体のなかにはさまざまな生きものやケダモノが暮らしていましたが、それらの身体内獣虫のためにつくられた音楽がどういうものだったのかについては、まだ判然とはしていない。判然とはしていないけれども、地面を踏みしめる両足や太鼓の乱打あるいは落雷の爆音がその身体内獣虫音楽の先祖や始祖であろうことは、たしかです。

身体内のハエやケダモノや象に餌をやりすぎたり、そいつらを甘やかしすぎたりすることを、世間ではよく、不良 (死後?) というらしいです。
分別というのは身体内脳内心内と外界 (シャバ) との折り合いをはかって人類として人さまに迷惑をかけないようにする術のことであるらしいです。
ロックはだから、分別とは仲よく出来ません。してたまるかという気概のない身体内獣虫など信用出来ません。物わかりのいい大人のためのロック、なんてモノは、それゆえに存在しません。ましてや、分別ある恋人同士のためにつくられたロックなど、嘘っぱち以外のないものでもありません。
今や、むしろ、老いていく身体内で再び騒ぎ出したハエたちのためにロックが重要であり、老年による新たなロックの発見、長寿の不良たちによってこの世がねじ伏せられることを密かにワクワクしながら支援している者は、年々世界各地に増えていますね。

たかが40数年の歴史、とはいえ20世紀の後半を完全に牛耳ってしまったロックは古典にもならなければ死滅したりもしません。
なぜなら、ロックはもはや形式などどうでもよくなってしまったから。ロックとは、身体内や人と人あるいは人と自然界とのコミュニケーションにおける欲望の、犯罪すれすれのエネルギーの暴発のことだから。
ノイズだけのロックもあれば、ただナンパし続けるだけのロックもある。ただし、他人のやりかたを真似てカッコつけているだけのやつはロックンロールではありません。なぜなら、闇雲な自発こそが、ロックの心臓だから。

それにしても、紛いモノほどカネになるらしい。四の五の言うやつは道端や便所のなかで泣いてろって。とりあえずはスッキリしたい心に幸あれ。ロックの目指すものそれは無秩序の平和なのですから。

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