2006年1月22日日曜日

日本ストリップ史に残る名曲





1970年代の中〜後期、残念ながらオレはまだ毛の生え揃わないティーンズだったので馴染みはないのだけれども、この時期、ストリップ劇場に慣れ親しんだ人なら、サンタナは別格の存在であるはずです。

どこの劇場でも、「ブラック・マジック・ウーマン」が流れなかった日はなかったといいますから。
なので、
サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」は、日本ストリップ史に残る名曲です。
加藤茶の「ちょっとだけよ」で有名な「タブー」 (アーサー・ライマンによる1959年のヒットでよく知られていますが、1934年、マルガリータ・レクォーナの作です) が60年代を代表するストリップ曲であるように、70年代は、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」です。
これは、ロック史のなかではほとんど記されていないので、ここに、オレが断言しておきます。
80年代初頭の奈良の小屋で使われていたのをオレはリアルタイムで知っていますから、もしかしたら、今でも日本のどこかの小屋でバリバリの現役である可能性も、否定出来ません。

この曲を、フリートウッド・マックもヒットさせていますが、使用されるのは、決まって、サンタナ。
なぜ、サンタナなのか。
といえば、その有名度の違いはもちろんのことですが、音質的まろやかさも秘訣であるかと。
サンタナとはもちろんバンド名で、その主役はバンマスでありギタリストのカルロス・サンタナですが、カルロスのタメと引き延ばし、一気の速弾きによるギターさばきによって、ストリッパーのおねえさんたちの腰つきも決まるってもんです。
カルロスがクイイイイィィィンといけば、薄物の腰布もハラハラと宙を舞うわけです。

でも、カルロスの技は、もちろんそれだけではありません。

スリチンモイも教えにハマってしまったように、音楽家とは、人と人、人と宇宙を結びつかせる触媒であり巫女であるとの強い覚悟のあるお人のことです。
なので、
カルロスは、演奏だけではなく、ジャケットや盤をも含めた作品そのものをシンボリックにして、人々に伝えることにも力を注いできました。
その最たるものが、LP3枚組22面ジャケット (!) のライブ盤「ロータスの伝説」でした。
世界の平和について、平和の実現について、音楽で提言/表現し続けたことでは、その継続力と機動性と親近感において、地球上でも1、2を争う人ですね。
神、それも人類に平安な心をもたらす存在を求めることでは、音楽界でも、現役ではトップ独走中でしょう。
オマ・イラマやネヴィル・ブラザーズのような具体的主張、パブリック・エネッミーやエイジアン・ダブ・ファウンデーションのような現状批判、を、交えたものではなく、サンタナとカルロス・サンタナが提示するものは、より直接的な抽象表現といいましょうか、つまり、人に必要なのは広い心の愛であり、宇宙と通じた至上の誠意、であるといったようなもんです。戦争をやめたり差別心を捨てたりということは、それらに当然のように含まれていますね。

「ボクの目標はいつも、ギターを心で弾くことだ。それが出来ているときはもう、弾いている、という感覚ではない。伝達している、というかんじなのだ」

ライナーのなかで、カルロスは述べています。

音楽家はチャネラーなのだ、とはリー・ペリーのお言葉ですが、まさにカルロスの指がエレキとなって世界中のおねえさんの服を脱がしてしまう。そういう脈動が、サンタナのどのアルバムからでも充満しているように、オレには思えるのです。


今日は、音楽を語らせたら人後に落ちない、マイミクのゆらりさんと初接触記念、ということで、サンタナについて熱く語ってしまいました。
ゆらりさん、今度は電話じゃなくて、ぜひ!




Santana / Blakc Magic Woman

0 件のコメント: