2007年3月11日日曜日

値段をつけるということ

相方さんの作品を売ってくれるというお店が現れまして、めでたく商談がまとまったらしいんですがね。

商談の中身をつらつらと聞いていたんですが…。
材料費がこんだけかかったから、同額の製作料、小売店のマージンも同額にして、下代がこれこれ、上代がこんなかんじ、と、まあ、そういう値付けをしたとのことです。
要するに、材料費=製作料=小売店のマージンってことですから、まあ、至極常識的な値付けではあります。

ただね、今からこんな値付けをしていたら、ダメですね。
なんで、つくり手の都合で値付けをするかね。。
ユーザーの視点が、まったく抜けてるじゃないの。

もはや常識ですが、値段の決定権は川上にはなくて、川下にあります。
コンビニが、この値段でないと売れませんよ!と言えば、メーカーは、その値段でつくることを考えざる時代です。
もう、軽く15年以上前から、そんな時代になってるんじゃないですかね。つくり手が値段をつけられるなんて牧歌的な時代は、とっくの昔に終わってます。
だからこそ、定価じゃなくて、メーカー小売り希望価格であり、オープン価格のわけで。

作品であっても、それは売られるわけですから、市場に出た瞬間から、それは商品です。
商品には、いうまでもなく、値段がつきます。
作品をつくる人って、その作品にはいろんな想いを込めて、いろんな能書きを垂れますけど、案外と値付けには無頓着ですね。
こんだけかかったからこれくらいの値段かな~、とか、こんくらいの値段だと買ってくれるかな~、とか、まったくなんの根拠がない(笑)

値付けというのは、作品をつくるのと同等かそれ以上に、じつはつくり手のメッセージを込めることが出来ます。
たとえば、ロッキンオンという雑誌があります。
あの雑誌は、35年ほどまえに創刊しましたが、その当時、たしか280円という値段をつけていました。
先発の音楽雑誌が、軒並み500円だ700円だという時代にです。
たかだかロックの雑誌に、エラそーにそんな値段で売ってるんじゃない!っていうのが、まず、あったんですね。最初に値段があって、その値段で売っても儲かる仕組みを考えて、既存の雑誌以上のクオリティを出してやろうじゃないか、というのが、あの雑誌が最初に放ったメッセージです。既存の音楽雑誌を否定するところからスタートした雑誌ですから、そういうメッセージを、値付けに込めたわけです。

エルメスの大判スカーフが、なぜ38,000円もするのか。
それにだって、意味があるはずです。
エルメスの大判スカーフに価値を見出し、その値段で買い、身にまとうことに満足感を覚える人に向けて、メッセージを放っているわけです。値段がそのままメッセージであり、そのメッセージを受け止める人だけを対象に、エルメスは商売をします。

おなじクオリティのものを、利幅をさげて、べつのメーカーが半額の19,000円で売ったとしたら、それは、訴求する対象が違うということです。

38,000円のスカーフを100枚売ったら3,800,000円の売り上げ。
19,000円のスカーフを200枚売ったら、やっぱり3,800,000円の売り上げ。
おなじ売り上げですが、商売の仕方が違い、訴求対象が違い、モノの考えかたが違います。

子供に向けたニット帽をつくったとして、それを、子供に、お小遣いの範囲で買って!という商売をするなら、200円がいいところですかね。でも、お母さんに売ったら、2,000円で売れます。おばあちゃんを相手に商売したら、20,000円で売れるかもしれません。
おなじ商品でも、誰を相手にするかで、値段を変えることが出来ます。

熱帯に住む人には、モノが腐らないです!とメッセージを込めて、冷蔵庫を売ります。
アラスカに住む人には、モノが凍りません!とメッセージを込めて、冷蔵庫を売ります。
おなじ商品でも、込めたメッセージが違うなら、訴求対象が違ってきます。

要は、誰を相手にどういうメッセージを込めて商売をするかということなのですが、なにも、難しく考えることはないんですよね。
つくり手さんに、商売だ経営だビジネスだといっても腰が引けるだけだろうけれども、なにも難しく考えることはない。

商売というのは、売り手と買い手が等しくハッピーになる、五分と五分の取引のことです。
買い手は欲しい商品を納得出来る価格で手に入れてハッピーになる、売り手は売りたい商品を納得出来る価格で売ってハッピーになる、これが商売です。
どちらか一方だけがハッピーになる取引ではなく、売り手と買い手の双方が等しくハッピーになる取引、そえれが商売です。

では、あなたは、誰をハッピーにしたいのか。誰をハッピーにすることによって、自分がハッピーになりたいのか。
それを考えればいいわけです。

相方さんのホームページには、
「単なるモノではなく、それぞれの人の歩調にあわせて、服もその人ともに歩んでいけたら…」
と、書いてあります。
でも、それは、どこのどんな人に向けたものなのか。
そこを突き詰めてみると、このメッセージも、雰囲気だけの抽象的なモノ言いで、単なる言葉遊びでしかないことがわかります。

誰に向けてどんなメッセージを放つのか、ということは、とりもなおさず、自分がどんなことに価値を置くのかという表明と、おなじ価値を持つ人を探すという行為に、ほかなりません。

まず、自分がなにに価値を見出す人間なのか。それを見つめること。
それが具体的に見えれば、放つメッセージは明快になります。メッセージが明快であればあるほど、具体的であればあるほど、それは、訴求すべき対象に届きます。

届けば、勝手に寄ってきます。類は友を呼ぶのだから、寄ってきます。
あとは、あなたの周りに集まってきた人とあなたが等しくハッピーになる価格を、探っていけばいいわけです。

じつは、この段階に来て初めて、値付けというものがとんでもなく難しいものであると実感することが出来るのですが、(マクドナルドが、ハンバーガーの値段をどれだけコロコロ変えていることか!)それ以前に、この手順を踏まえておかないと、うどん屋にうどんを売りつけるような、頓珍漢な商売になります。

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