2007年3月20日火曜日

浦島伝説


人は、どうして、遠くへ行こうとするんですかね。
人は、どうして、ここではない向こう、水平線や地平線の向こうの、未だ見ぬ彼方へ、遥々とした視線を向けるんでしょうかね?
人、というより、オレの裡にね、抜きがたい、そういう彼方への憧れがあります。
旅でも漂泊でもいいんですが、そういうものが、かつては色濃く、そして今でも、それはあります。
読み残した物語、あるいは書き残した物語、そういう物語の続きや結末へ馳せる思いと、そういうものへ憧れる気持ちとは、どこか共通するものがあるようにも、思うのです。

どこかわからない無辺彼方に、物語の結末は預けられています。

その結果、物語の続きを探しにいこうとする行為が、ひとつにはオレにとっての旅であるような気がします。書き終えない、あるいは読み終えないその続き、結末が存在するかもしれない彼方へ向かって、その距離を埋めていく。それが、旅なのかな、と。

旅でもいい、漂泊でもいいです。そういうものへ、なにが人を駆り立てていくのか。
旅には、不思議な力学があります。

たとえば、哀しみの深さ、喪失したものの大きさに合わせて、人は、遠い距離を動いていくもののようです。旅の力学のなかには、間違いなく、そういうものがあるように、オレには思われます。

行き場のない身体内の力を持て余して、それこそ、歯を軋らせながら、ただ歩き続ける。そういう山を何度かやりましたな。
新しい物語を書くことも、未だ行ったことのない山に登るのも、オレにとっては、同様の力学の裡の行為であったような気がします。
そして、そういう力学は、今もって、オレの行動パターンを、どこか、根の深いところで支配しているようです。

かつて、21歳の折りに、ヒマラヤに出かけました。

書くことでメシを食っていこうとする覚悟が、ようやく出来たか出来ないかのころです。

自分が何者であるのか、自分にはなにが出来るのか、なにもわからないころだ。自分が、なにをやりたがっているのか、そういうことすらも、わかっていなかったかもしれない。わかった気になった夜が明けたとき、朝の光に照らしてみて、じつはなにもわかっていない自分に気がついて背中に冷や汗を掻く、そんなことを繰り返してきたはずです。

自分は、モノを書いていくべき人間ではないかという気負いや不安に、苛まれているころです。なにもわからない代わりに、未来の量だけはほとんど無限にあるかのように思い込んでました。

やりたいことの、一番上の席は常に空白で、とりあえず、二番目をやっている。ヒマラヤへ行っても、なにかを書いていても、いつも自分は今その二番目をやっているのだという意識が抜け切れなかったような気がするのですよ。
一番目の座は、常に、空白のまま、なにものかのためにとっておく。

今も、そういう意識が少し残ってます。

なんだ、これは少しも進歩していないということではないか。

なんだか、これは、どうも、相当にこっ恥ずかしいことを書いているような気がしますが、まあ、よろしい。恥はかき捨てですから。

21歳のときにヒマラヤに向かった自分も、40歳を過ぎてしまった現在の自分も、じたばたし、混沌としています。
その混沌を、混沌のまま、ゴッホの表現を借りれば、掘り出したばかりの土のついた馬鈴薯色のまま、混沌としている自分を引き受ける覚悟のようなものは、今ではあるんですけどね。

自分は何者であるのか。

古代神話の英雄譚がそうであるように、旅というのは、自分自身を探すための果てのない彷徨であると、大体が、そういうことになってます。
苔の一念でやってきた仕事や、ささやかなオレの旅を、そういう神話の英雄譚に準えるつもりはないんですが、いくらかは、そういう要素を、旅というものは含んでいるはずです。



なになら恥ずかしい前説になってしまいましたが、浦島太郎伝説について書きたいのでした。
じつは、こっからが本題(爆)

18日付の読売新聞の夕刊に、浦島太郎伝説について書いてあったんですよ。
この記事を読んで、いろんなことを思い出してしまい、上段前説のようなことを勢い余って書いてしまった次第で。

この物語、好きでしてね。
はからずも旅をしてしまった浦島太郎さんなんですが、行ってみたいけれども行けそうにない、行ったら戻ってこれないかもしれない、というところへね、オレ、いっつも、行ってみたいと思うんですね。

西遊記もそうですが、浦島太郎伝説も、オレを夢中にさせた物語なんですよ。
どちらも、相当に、オレの身体内に入ってしまってます。

京都府には違いないんですが、丹後半島の日本海に面しているところに、浦嶋神社というのがありまして、ここに玉手箱があるというので、見せてもらいに行ったことがあります。もう、10年以上もまえのことだけれども。

浦島太郎のお話自体は日本書紀にも万葉集にも風土記(丹後国)にも書かれています。
どれも少しずつ異なります。

この玉手箱は、蓋を開いても煙が出ることはなく、櫛やら筆やら手鏡やらのメイク道具が収められていて、それもきれいな蒔絵が施されていて、なかなか美しい逸品です。正しくは「亀甲文櫛笥」。
つまるところ、婦女子さんの秘密でもある化粧箱を覗いた罰で、煙が吹き出て浦島太郎を老人に変えた、ってのが、一般的な説なんですけどね。

この浦嶋神社には「浦嶋明神絵巻」というのがありまして、お願いすれば、宮司さんが玉手箱も絵巻も見せてくれます。
ただ、ストーリーは大きく違う。
亀を助けたという逸話は描かれていなくて、海上で五色の亀を釣り上げ、居眠りしているうちに亀が乙姫になり、行き先は竜宮城ではなく、海の彼方の未来永劫の国である蓬莱山。不老不死の世界ですな。戻ってきて、玉手箱を開けたときに煙が出るんじゃなくて、風雲とともに飛び去ってしまう…、とまあ、ストーリーは、大きく違ってます。

蓬萊山(日本庭園の真ん中に石組みでつくるのがそうですが…)が登場するあたり、中国の神仙思想が入り込んでいるのは間違いないんでしょうが、かといって、なら中国が起源なのかというと、じつは中国にも原型らしきお話はあるんですが、それだけでもないんですわ。
もうね、ルーツらしきお話がいたるところにあり、かつ、それぞれが独自に発展して、いろんなお話と混じり合って、混沌としてます。

記事では、横浜に伝わるお話に、観音信仰があることを紹介していました。
浦島太郎はじつは三浦半島の出身で、竜宮から戻ったあとに神奈川に立ち寄り、両親の墓を見つけて草庵を建て、観音像を納めたのだとか。
その観音像は現在、慶運寺にあり、このお寺さんには浦島太郎の供養塔まであるんだそうです。
ぜひ見たいけれども、三浦半島か…。遠いです。。。

じつは、沖縄にも浦島伝説があります。沖縄だけじゃなくて、ハワイイ、というか南太平洋のポリネシア全般にもあります。

沖縄では、海の彼方に異郷があって、そこから神が現れるという、ニライカナイが信じられています。この信仰をベースにして、やはり浦島伝説があります。
浜辺を訪れる亀は神の化身だし、ニライカナイは時間を超越した理想郷なので、竜宮城の条件を満たしているんですね。

ポリネシア全域だと、カーニムエイソという伝説があります。
海の彼方には時間を超越した場所が存在するという、浦島伝説の骨子と寸分違わぬお話。
こっからムー大陸伝説を導き出す人もいるんですが、それはちょっと飛躍のしすぎかな、と思わないこともないんですが。

ただ、蓬萊山にしてもニライカナイにしてもカーニムエイソにしても、不老長寿がキーワードになってますから、その願いは、世界のあらゆるところであったんでしょうな。

探しものが不老長寿である点は、オレにとってはあまり重要なことではないんですが、探しものをするために、まだ見ぬ土地へ遥々と視線を向ける、というお話は、かなりかなり好きです。

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