2007年5月27日日曜日

我的家在山的那一邊


旅していたとき、世界中のどこに行っても、その土地の料理に敬意を表して、その土地のものを食べるようにしていたんですが、どうにもこうにもダメなときもあって、そういうときは、中華料理屋さんに飛び込んでました。

中華料理屋は、世界中のどんな僻地に行ってもありますもんねん。
華僑、おそるべし、ですよ。マジ、どこ行ってもあります。

サハラを縦断するハイウェイのサービスエリアで中華料理屋を発見したときは、本気でビビりました。
チャプスイとメニューに書いてあったので、八宝菜のことなのですが、それを注文してみたら、もうね、どこのゴミ箱から拾ってきたんだ!って言いたくなるような野菜クズでつくったチャプスイで。そりゃ、バターではなくてゴマ油の香りがするので、それが中華料理だというのなら認めるしかないのだけれども、むしろ、馬の餌でしたな、これは。
試しに、八宝菜、と紙に書いたら、首をブンブン縦に振りながらそれを読んでいたので、この店のコックは中国人のはずなんですけどね。

まあ、そんなこんなで、中国人は、世界中のどこにでもいるってことなんですが、旅のさなか、彼らと仲よくなるのには、テレサ・テンの名前を出せば、一発でした。もっとも、日本の芸名のテレサ・テンではなくて、中国語の、鄧麗君(デン・リー・チェン)だけれども。
とにかく、どの国の中国人と話をしていても、テレサ・テンの人気って、すごいものがありました。
テレサ・テンといえば、つまんない不倫ソングを歌っている台湾出身の歌手としか知らなかったオレは、それをきっかけに、ちょっと興味を持ったんですよね。

帰国してから、いろいろと調べてはみたんですが、当時はまだネットもなく、文献を漁るのも音源を探すのも、かなり苦労しましたけどね。
弱小だけれども良質のレコードを出す、オーマガトキというレーベルがあるんですが、そこから、中村とうよう監修で、テレサ・テンの子供のころの歌声を収めたアルバムが、出てました。
それを聴くとね、めちゃくちゃ上手いんですよ、歌が。子供らしい、明るくて元気な歌声なんですが、ファルセットに移る直前が素晴らしいし、音程を絶対に外さないし、突き刺さってくるものがあるんですね。

そのあと、『淡々幽情』というアルバムの存在を知ります。
これは、中国の古典詩にメロディをつけて、テレサ・テンがセルフ・プロデュースして歌っているアルバムです。
表題通りの、幽玄で、淡く儚い歌声が、素晴らしい美しさで迫ってくる名盤です。

世はワールドミュージック・ブームで、それこそ世界中の民族音楽を植民地的に採集してきては発表する時代に突入していたんですが、テレサ・テンの中国での活動が日本に紹介されることって、ほとんどなかったですね。

台湾出身だし、国民党軍の軍人一家の娘だということもあって、北京からは目の敵にされていた彼女ですが、中国メインランドでの彼女の人気はすごくて、アルバムが発禁扱いであっても、みんな、海賊版で聴いていたといいます。歌は、国境を越えますね。
そういうこともあって、あの、フェイ・ウォンが、テレサ・テンの『淡々幽情』をカヴァーしてます。そっちもよく聴きました。北京の一番星であるフェイ・ウォンがテレサ・テンをカヴァーするという事実だけでも、テレサが中国メインランドでどれほどの人気を誇っていたのかが、うかがえます。
「昼は老鄧(鄧小平)のいうことを聞き、夜は小鄧(鄧麗君:テレサ・テン)を聴く」だとか、「中国大陸は2人の鄧(鄧小平と鄧麗君)に支配されている」なんていうジョークを知ったのも、そのころ。

天安門事件が勃発して、香港で行われた抗議集会にテレサ・テンが現れ、その映像を目にしたときは、なかなかショッキングでしたね。はちまきをして、泣きはらした目をサングラスで隠して、彼女は、『我的家在山的那一邊 私の家はあの山の向こう』を歌います。北京で座り込みを続ける学生に、エールを送ります。
その後、パリに拠点を移して、パリからラジオを通じて、北京政府に向かって抗議の声を上げてました。

日本の、不倫ソングを歌うテレサではない、中台双方の国民的英雄であるテレサが、そこにはいました。

チェンマイで客死したという報道が流れたとき、オレはたまたまアメリカにいたのですが、そんときのチャイナタウンの悲しみようって、すごかったですよ。
みんな、我が子が亡くなったかのような悲痛さで、泣いてました。

今日、テレビで、テレサ・テンの生涯を紹介する番組をやっていたそうですね。
見てないんですけど、中国でのテレサ・テンは紹介されたんでしょうか。
彼女の真価は、やはり、中国語のなかにあります。
今日、久しぶりに、『淡々幽情』を聴いてます。




鄧麗君 / 我的家在山的那一邊

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