2007年5月29日火曜日

フューチャー・パイレーツ☆☆☆☆☆


今、自分がこれまでに書いてきたmixiの日記をカテゴリー別に分類して、それぞれを個別のブログに移植していってます。
「京都」「音楽」「食べもの」「お仕事」にとりあえずは分類してみたんですが、カテゴリーからこぼれてしまうものがあまりにも多く、分類方法は要再考かもしれません。ま、悪戦苦闘中です。mixiの日記は、テーマを限定せず、なんの制約も設けずに書いてますからね。写真ブログなんてのもあるし、自業自得ですが、分類するとなると、ほんと、難しいです。。。

ブログだとGoogle AdSenceが使えるから、そっからの広告収入を…、なんてことを目論んでいるわけではなくて、SNSで書いたものはGoogleの検索に引っかかってこないし、そこを解消したいな、というのはあったんです。mixiの日記って、自分が書いた日記を検索する機能すら、ないでしょ。
1年半ほど日記を書いてきたので、それなりに資源になってるし、検索出来るようにしたかったっていうのが一番大きな動機で、2番目の動機としては、もっと広いところにさらしておこう、と。

広いところにさらしておこう、というのは、ネット上の自分の時価総額をあげるというか、要するに、検索結果に、自分が発信したものが出来るだけたくさんリストアップされるように、ということです。
最近、人を募集したときの採用基準に、自分のブログを持っているかどうか、という点を加えました。
メディアに従事しているから、ということではなくて、自分でなにかを発信する力というのは、ビジネスにおいてはかなり重要な項目なので、ブログの有無というのは、ひとつの基準となり得るな、と思ったからです。
あと、短い時間の面接ではいくらでも嘘がつけますが(もちろん、見破られる嘘もたくさんありますが)、長期にわたって書かれたブログは、なにが嘘でなにが本当かを、ある程度浮き彫りにしてくれるからです。

オレのマイミクさんには、リアルの世界で名前が売れている方が2人います。
ひとりは実名、ひとりはハンドルネームを使っているのですが、ハンドルネームを使っている方とお会いしたとき、「私がどんなことをやってる人間なのかは、Googleで私の名前を検索してくれたらだいたいわかりますから」と、おっしゃったんですね。
ご本人のポートフォリオはもちろん、いろんな人が、その人について書かれているページがヒットするので、それらをひとつひとつ見ていくと、その人の人となりや業績といったものを、立体的に、ある程度知ることが出来ます。
ご本人が書いたものではないものもたくさんあるので、差し出された名刺を眺め、ご本人とお話する以上の情報を、容易に手に入れることが出来ます。

クリエイターは特にそうなんですが、過去にしてきたことは、正直言って、どうでもいいんですね。学歴だとか職歴だとか業績だとか、一緒に仕事をするとき、そういうのは、なんの判断材料にもなりませんわ。もうね、見事にならない。
そういうことよりも、今、なにが出来るのか、どこへ向かって歩こうとしているのか、が、圧倒的に大切で、ブログは、そういうことを知る重要な手がかりになります。
そういうことがわかっている人って、自己紹介のところに、学歴も職歴も業績も、なにも載せていない人が多いですね。そういうものを載せていない、というのも、ひとつの意思表示だし、その意思表示は、その人の人となりを知る重要な手がかりになっています。
誰のブログを読むのかって、その人の業績だとかはあんまり関係ないでしょ。ただただ、そこに書かれているブログが、自分にとって魅力的なのかどうか、その一点だけですよ。今現在、その人が魅力的なのかどうか、その一点に尽きます。これは、クリエイターの評価のされかたと、じつにそっくりです。

で、件のマイミクさんの話に戻るけれども、これはかなり有効な自己紹介の仕方だと、そのとき以来、オレは思い続けているんですね。
そういうことも考えて、自分のブログが出来るだけたくさんの人の目に触れるように、と、今、悪戦苦闘中です。軌道に乗ったら、またここで報告します。

さて、その作業をしていたときに、ふと思ったんですが、たとえば、「京都」と検索ワードを入れたときに、出てくる検索結果が10000件だったのが、オレが京都についてブログに書くことで、検索結果のリストは10001件になるわけですね。
ということは、オレは、Googleの検索結果リストの充実にひと役買ってるってことですね。
というか、ブログであれなんであれ、ネット上になにかを書く・アップする人たちは、よってたかって、意図せずして、Googleの検索結果リストの充実に一役買ってることになるわけで、これってすごいな!と、思ったわけです。
オレが、京都について書けば書くほど、ネットにおける「京都」の時価総額をあげることが出来るんだ、と。

だから、Googleさん、あんさんところの検索結果リストの充実にひと役買ってるんだからゼニをくれよ、とは、あんまり思わんです。まあ、Google AdSenceというシステムを通じて、幾許かのゼニをもらえるようにはなってますが。
多くの人に語られていることだけれども、Googleという企業は、ビジネスよりも先に思想が強烈にある企業で、たとえば、「ネット世界を民主化する」だとか「邪悪なことはしない」だとか、そういうことを宣言しているし、またそういうことを強烈に感じさせる企業なので、オレは好きです。Googleという企業は、もちろんGoogleの主観に則ってのことですが、世界をよくしようという思想で貫かれているように思えます。

最初にGoogleのポータルサイトを見たときの印象は、これはもう、強烈のひとことでしたね。
だって、検索用のボックスしかないんだもん。
Yahoo!みたいに、ニュースやら天気予報やらなにやら、ゴチャゴチャしたものがまったくなくて、なによりも、そこには広告が貼られていませんでした。
要するに、検索しにやって来る人が見たい広告なんてないだろ!ってことですよ。
あるキーワードを検索ボックスに入れ、その結果、検索結果リストが並んで初めて、それに関連する広告がある。それが正しい姿じゃないか!と、言わんばかりです。
だから、ポータルであってポータルじゃないのがGoogleのトップページなんだけれども、ポータルなんだから、毎日毎日、億単位の人がそのページにいくわけで、そこに広告スペースを設ければ、何億何兆というカネを生むことは子供だってわかるのに、Googleは、絶対にそれをしませんね。ここがね、Googleの素敵なところです。だからこそ、検索ボックスをツール化してブラウザのツールバーに組み込んじゃうなんてことも、なんの抵抗もなく出来ちゃう。
今はどのポータルサイトもマイページ化が進んで、GoogleもiGoogleとなり、マイページ化することが出来るようになったけれども、頑に、広告スペースを設けませんね。素敵です。

次、YouTubeについて少し書きます。

YouTubeが出てきたとき、あ、これは確信犯や!って、思ったもんです。
だって、著作権が完全に治外法権化してるんだもん。
たとえば、見逃したテレビ番組で見たいものって、結構あります。一部のドラマはDVD化されて見ることが出来るけれども、歌番組だとか特番だとかニュース番組だとか、再放送もされずDVD化もされないものって、たくさんあります。
新聞は縮小版が出るし、雑誌も、探せばバックナンバーを手に入れることが出来ます。
でも、テレビとラジオだけは、カネを出しても手に入れられないコンテンツが多すぎるんですよね。エラそーに著作権の重要性を訴える一方で、コンテンツを独占してね、自由にアクセス出来ないようにタンスの奥にしまっているのが、テレビとラジオですよ。
オレは、むかしっから、そのことに腹を立ててたんです。

そこへYouTubeが、フラッシュ・プレイヤーもメディア・プレイヤーも不要で、macもwinも関係なくワンクリックで見られる便利さで、登場しました。
動画をアップするのもものすごく簡単だから、著作権を保護したいメディア側の削除依頼とユーザーの違法アップロードは、完全にいたちごっこになってますね。
でも、コンテンツをタンスの奥にしまって眠らせておきながらね、著作権を侵害するようなものをYouTubeにアップするな!と抗議するのは、おかしいですよ。
YouTubeの出現は、著作権の考えかたを、きっと変えます。YouTubeこそが、そんなものは破壊してしまえ!って思っていると、オレは思います。

著作権保護の意義は、個人の観点から見ると、著作権者の食い扶持をなくさないためにあり、社会の観点から見ると、クリエイターの創作意欲を支え、社会に与える活力を確保するためにあります。
著作権法というのは、そういう考えのもとで、制定されている法律です。

さて、YouTubeは、著作権者の食い扶持を損なっていますかね? YouTubeにアップ出来る動画には画素数、時間の長さともに制限があり、じつはオリジナルをそのままのかたちでアップ出来ないようになっています。
たとえば、映画を丸まる1本アップ出来るわけではなく、その映画のどこか10分だけを、それも画質を落としたものだけがアップ出来る、ということです。そうするとこれは、実質的に、映画の予告編的な位置づけになります。映画の予告編の役割がまさにそうですが、こうなると、市場の拡大やニーズの掘り下げなど、著作権者の利益に貢献すらしている側面もある、と言えます。
事実、オレが毎日毎日、YouTubeの音楽動画のリンクを張ることで、その音楽に興味を持ったり、実際にCDを買ったりした人は、何人もいる。

次に、iTunes Storeなどで音楽を買い、ダウンロードしたことのある人ならわかることですが、現状、すべてに認証システムが施され、むかしのCDやレコードのように、友だち間での貸し借りや、要らなくなったからあげるよ、なんてことが非常に困難になってきています。
テレビなんて、地上デジタル放送が完全普及する2011年に、HDDレコーダーに録画したものをDVDにコピーしたら、そのファイルはHDDから消滅するシステムにする!なんて言ってます。

デジタル化によって、著作権が完全に守られる環境が実現しつつある一方で、それはユーザーにとってあまりに不便ではないか、という議論が、数年前からあります。
図書館というものは、つくりすぎたら著作権者に不利益をもたらしますが、ある程度はつくらないとユーザーが不利益を被る、と、おなじ理屈です。
なので、著作権法というものは、あえてグレーゾーンが残るようなものがいいのではないかという考えかたが、だんだんと主流になってきています。
YouTubeの出現は、この考えかたを、強力に推し進めるでしょうね。

その意味で、YouTubeは、かなり確信犯的に登場したのだと思います。
だからこそ、おなじように確信犯であるGoogleが、YouTubeをソッコーで買収したんでしょう。仲間に加えたんでしょう。

IT関係については、ちょっと焦っているところもあって、スピードがね、ついていけないくらいに速いんですよね。しかも、オレがこれまでに立ててきたアンテナに引っかかってくれないけれども重要なものが、たくさんあるんです。
たとえば、Googleは、数年前に、相方さんと同年代の人に、その存在を教えてもらったのでした。
YouTubeは、去年の早い段階ではあったけれども、相方さんに教えてもらったのでした。
そもそも、mixiをオレに紹介し、招待してくれたのも、相方さんです。
My Spaceも、神戸の編集部の若い社員に教えられました。
Second Lifeや宅ファイルやいくつかのオンライン・ストレージやDemocracyやLast FmやPodcastやFlickrなど、自分のアンテナに引っかかってきたものもたくさんあるけれども、パラダイム・シフトを起こしてしまいそうなほどの大きなものがね、自分のアンテナに引っかかっていないというのは、ちょっと焦りを覚えます。
YouTubeなんて、起業してから数ヶ月でわーっとひろまって、2年でGoogleに2000億円で売れたんだから、有史以来、最速のスピードで物事が進んでいっているかんじです。


長くなってきましたな。
つらつらと思うままにいろんなことを書いているんですが、なんでこんなことを長々と書いているのかといいますと、最近、すんごくワクワクしながら読んだ本がありまして、その本について書きたいのでした。

『フューチャリスト宣言』という本で、今をときめく脳科学者の茂木健一郎さんとシリコンバレーと日本企業を結んでIT系のコンサルタントの仕事をしている梅田望夫さんの対談集です。
この本、1ヶ月近く、毎日のようにどっかしらを読んでいて、もう5回も10回も読んでます。
今、本屋さんの先頭に平積みで並んでます。

梅田望夫さんという人は、茂木健一郎さんほど名が売れている人ではないでしょうが、去年、彼の本に出会って、オレは興奮しながら日記を書いたんですね。

オープンソースやロングテールについて、じつにわかりやすく書かれていて、オレは、この本で初めてリアリティを持ってその概念を掴むことが出来たんですね。かなり刺激的な本でした。

茂木さんはテレビでよく見かけるものの、それほどオレのアンテナには引っかかってなくて、でも、マイミクさんのカノくんがすごく勧めてくれて、ちょうどその時期に彼の出世作の『脳と仮想』が文庫化され、それを読んでみたら、エラいこと刺激的な本だったのですよ。

おかげで、オレ、今では、茂木さんと梅田さんの両方のブログのヘビーな読者ですわ。

この本には、オレが普段、つらつらと思っていたこと、この日記の冒頭から延々と書いてきたようなことが、ど真ん中で、確信を持って書かれていて、かなり背中を押された感があるんですね。

さらに、もっとボンヤリと思っていたこと、まだ自分の頭のなかでもやもやとしていてカチッとした像を結んでいないようなことが、この本ではクリアに語られていて、思わず膝を叩きましたですよ。

たとえば、YouTubeの話を続けると、
YouTubeの動画をアップする際、ユーザーは、自由にタグをつけます。それがキーワードになります。
検索して動画を探す際、キーワードに引っかかってくるのは、この、タグです。
だから、「下鴨神社」を映した動画に「みたらし団子」というタグをつけていたら、「みたらし団子」の動画を探している人がそれをキーワードに検索したら、その「下鴨神社」の動画が引っかかってきます。

この、ユーザーが勝手にタグをつけるという行為は、じつはかなり画期的なシステムです。
自分の本棚を使い勝手がいいように自分でカテゴライズする、ということではなくて、ネットというパブリックな場で、各人が自由にタグをつけたものがアーカイブ化されていくということが、画期的なんです。
この仕事は、18世紀にカール・リンネが完成させた分類学に端を発し、図書館司書が担当してきた、専門的な仕事です。つまるところ、タグをつける、分類するという行為は、専門家の特権だったのですね。図書館情報学という学問があるくらいですから。
あるいは、ぴあやリクルート・ブックなどの情報誌に用意されているインデックスも、ユーザーが自由にインデックスをつくっているわけではなくて、あるシステムに則って、ひとつの意思が集中管理でインデックスをつくっています。
それをユーザー全員が、よってたかって、各人の思惑に則ってやる、と。

もちろん、不適切なタグも、いっぱいあるでしょう。
でもね、それなら図書館司書がつけたタグは完全無比なのかというと、そんなことは全然ないわけで。
分類するということは、それをどう認識するのかということに繋がるのですが、認識というのは、所詮、誤解の産物でしかなくて、なにが正解なのかは、その人の主観によるものです。
もっといえば、認識における正解というのは、さまざまな誤解がたくさん集った姿、でしかない。
ひとつの動画に、非常にたくさんの人がそれぞれにタグをつけたとします。それを1枚の紙に分布図にしてみると、あるひとつのかたちが出来上がるはずですが、それがその動画の真の姿だ、と、そう捉えるほうが正解に近いんじゃないか、と、オレは思ったりもします。
ひとりの専門家が、この動画のタグはこれです!とやるよりも、このほうが、より正解に近づけるんじゃないかな、と。

そして、そのことは、じつは、Wilipediaがあれだけ充実してるってことが、まさに証明してますよね。
素人も専門家も関係なく、みんなでよってたかってつくった百科事典に、あれだけの精度があるのは、驚き以外の何者でもないでしょ。
千や万の単位ではなくて、億の単位の人間を動員出来るシステムが出来て、かつての常識では測れないことが、たくさん起こってきました。「過剰の経済学」というんですけど、今、一番ホットなジャンルの学問は、まさにここですね。

そういうことを、ぼんやりと思っていたんですが、まさにそのことが、この本では、それこそがネットのあるべき姿でネットとの接しかたなんだ!と、断定されてます。
それこそね、背中を押されたような気分で、そのくだりに出会ったとき、オレはかなり嬉しかったんですよ。

このことは、ブログにもあてはまるんです。
たとえば、なにか話題性のある事件があり、それについてなにかを知りたいとき、これまでだと、テレビや新聞に目を凝らすしかありませんでした。
つまり、専門家の意見を聞く、ということです。
でも、ブログが出現し、非常にたくさんの人がブログになにかを書くようになって、状況は完全に変わりましたね。
もちろん、ブログはなんのチェック機能も経ずにアップされますから、いろんなことが書かれています。ただただ感情的になっているものや、マスメディアで流布されているものを書き写しただけのものや、どうしようもないようなものまで、いろいろです。
でも、専門家の意見が正しいとは、かぎらないんですね。
それよりも、それについて書かれたブログを片っ端から読んでいって、右方向の意見がこんだけあり、左方向の意見がこんだけあり、ポジティブに捉えている人はこういうことを言っていて、ネガティブに捉えている人は、こんなふうに思っている人が多い…。そういうふうにして、いろんな人が書いたブログを読んでいったほうが、少数の専門家の意見に耳を傾けるよりも、はるかに有効なんだと、オレはぼちぼち思ってきているんです。
サッカーの話題なんて、完全にそうなってきてます。
サッカーにかんする報道って、テレビ、新聞、雑誌…、どれをとってみても、野球よりも数段レベルが高いんですが、それでも最近は、そういうものよりも、ブログを読みまくってるほうが、有効だと思うようになってきました。なによりも、そっちのほうが、おもしろい!

そういうことが、この本にはたくさん書かれているんですが、そういうことだけじゃなくて、今の日本の大学みたいな談合体質のものは滅ぶだろう、といったことも書かれています。

大学って、オレは、もう何年もまえから、今のままだと滅ぶだろうなと思っています。あのビジネスモデルは、もうこれからは間違いなく通用しません。でも、変わる兆しもないから、進路相談に来る高校生なんかには、大学なんて行ったらダメ、もし行くのなら、アメリカかオーストラリアの大学でないと、時間もエネルギーもカネも、すべて損をするよ、と、オレは、言ってます。もうね、日本の大学に行くメリットって、真っ当に考えたら。どの角度から見ても、まったく見つかりません。
だいたい、受験勉強なんてのは、くだらなさすぎるんですよ。あんなものに18や19の大切な時期を犠牲にしなければならないのって、犯罪だとすら、オレは思います。そんなこと、みんなわかってる。みんなわかってるけれども、それをやり、それを子にさせてきたのは、大学に入れば、某かのいいことがあったからです。でも、その大学に行くメリットがなくなってしまったんだから、今、子供に受験勉強を強いて大学に入れさそうとしている親なんて、犯罪以外の何者でもないと、オレは思ってますけどね。あれ、子捨てとおんなじです。

むかし、いい大学を出た人が威張っていられたのは、かぎられた資源である一流大学卒という肩書き、みんなが持っていないものをその人が持っていたからです。でも、知的なスキルは、今、望めば、ネットにすべてあります。最先端の論文から、最先端の議論から、最先端の人との交流から、もちろん基礎的なものまで。すべて揃ってます。それを手に入れるのに、受験勉強する必要がまったくないのが、ネットです。
最先端の論文を読み、わからないところは検索して調べ、論文の著者にメールで議論を吹っかけることだって、今なら出来ます。
そして、そのことが、その人のブログに書かれていたら、ネットにおける彼の時価総額が上がり、彼は、受験勉強をすることなく、実質的な知のスキルを身につけ、人脈をつくり、個人の信用をネットで保証することが出来ます。社会でやっていけるわけです。それがタダで出来る時代に、受験勉強を経なければならない、閉じられた空間でしかない大学は、今のままでは、どの角度から見ても不要ですね。
つまんない受験技術に長けた人間だけに知を与えます、というのがこれまでの大学だとしたら、これは談合体質そのものですね。でも、ネットがこれだけ発達してきたことで、談合サークルのなかに入らなくても、なんとでもなるようになってきました。

大学入試と本物の学問の隔たりって、ものすごいですよ。
たとえば、日本史ひとつをとってみても、やるべきことは青天井にあるのに、入試の日本史なんて、知識を詰め込むだけで、どうしようもありません。なのに、生徒一律に18歳の春までそれを押しつけるなんてのは、もう、理不尽の極みです。下手をすれば、そんなことを、19や20歳まで強いてるという現状。。

こういうことは、オレが言うまでもなく、今や誰でもが言うことだし、この本でも書かれているのですが、その先ですね。
その先がね、拍手を送りたくなるくらい、素敵なんですよ。

自分の人格をより高度なものにしていく歓びは、おそらく人間が体験出来る歓びのなかでももっとも強く深い歓びで、お腹がいっぱいになっちゃえばそれで終わりの食べる歓びも、限界がある性的な歓びも、学ぶ歓びには全然かなわないです。

で、インターネットというものは、学ぶ歓びを大爆発させてくれるものだし、大学なんかの既得権益を保持する側とは対立するけれども、長い歴史のなかで、人間の社会は必ず学ぶ歓びを青天井に開放する方向に変わってきたのだから、今後も、絶対に、いい方向に転ぶ、と!

ネットには、悪影響を及ぼすようなサイトもたくさんあるし、ワナもたくさんあるけれども、知る歓びや学ぶ歓びのほうが奥が深くて普遍性があるから、トータルでインターネットのインパクトを考えたとき、善性が自己増殖していくほうがはるかにたくさん表に出てくる、インターネットは善を蓄積していく、と、梅田さんと茂木さんは、断固信じています。

この本の最大のキモは、ここにありまして、ふたりのイメージする未来がね、明るいんですよ。
オレが一番ワクワクするのは、ここなんです。
未来が明るい。未来を、明るくとらえる人たちがいる。
だからこそ、この本のタイトルは、ネットがどうたら、というタイトルではなく、『フューチャリスト宣言』という、威勢のいいタイトルになっています。

それに触れられただけでもね、この本を読む価値がありましたよ。
じつに、爽やかな、底抜けに明るい本です。バカみたいに明るい本です。
文化論を語った本で、こんなにも明るい本は、見たことがありません。

こないだ、サッカーの三浦カズについて書いていたときに、オレはなんでこんなにもカズが好きなんだろうか、と、自問しながら書いていたのでした。
そしたらさ、カズが見ている未来って、絶対に明るいんですよ。だからこそ、どこまでもポジティブになれる。まだまだやれる、まだまだ上手くなれるし、まだまだサッカーを楽しめるし、愛せる。カズは、そう思っているし、ワクワクしながら、未来を拓いていこうとしているんだと思います。そうだからこそ、オレはカズが好きなんだ!ってことが、わかったんですね。
この本からも、同様の明るさをかんじます。

つい最近、年若い、オレの大好きなマイミクさんが、mixiを退会しました。
ご本人曰く、PCに長く居座る生活を続けすぎました。これではいかん!と思い、このたび、mixiを退会することにしました、といったことです。
それも一興。
PCとのつきあいかたに自覚的で、じつに爽やかでいいなあ、と、エールを送ったもんです。
彼女の未来も、きっと明るいな☆


そういえばね、むかし、バブルがはじけたころだから、27、8のころ、『フューチャー・パイレーツ』というミニコミ誌を出したことがあったんです。音楽の未来は、リズムの未来は、音像の未来は明るいぞ!ということだけを言いたかった雑誌。
そのころの気分を、思い出したりもしたのでした。

長々と書きました。
最後までご笑覧いただいた方に、謝!謝!



未来、という言葉が一番ぴったり当てはまる人を探してみたとき、いろいろいるんですが、やっぱりこの人が一番ぴったり来るかな。

Bjork / Hyper Ballad

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