2007年3月31日土曜日

まだ奥の手はあるのか?


今まで興味がなくて申し訳なかった!
ただ金持ちでど天然で正体不明の巨乳美人姉妹がいる、というだけでは、この流行物件をどう料理すればいいものか、さっぱり見当がつかんかったんですよね。
それにしても…、なるほどこういう落としどころが用意されてましたか~。

金曜のスポーツ新聞朝刊の芸能欄に記事が出てたから、木曜に記者会見でもあったんでしょうね。まだ、刑事告訴してないみたいですね。しないんでしょうね、きっと。

本当は三人姉妹だったって…。有名な姉と妹のあいだに、じつは知られざる次女がいて、その次女が姉の宝石・貴金属類5億円相当を持ち逃げしたって言われてもねぇ。
それならばとっとと刑事告訴でもなんでもすればいいものを、マスコミには洗いざらいしゃべって、まだ被害届の1枚も出してないんだとか。

なんかね、スゴいですよこの人たちは。このデタラメさ加減というか、なにひとつ信憑性のあることを言っていないところがね、すごすぎます(笑)
だいたい、その、次女なんて人は本当に実在するんですか?(笑)
総額5億円っていうけど、あの人たちは、5億10億くらいはハシタ金ってくらいの、大富豪のセレブさまじゃなかったんですか?(笑)

まあ、本当に「ある」ことなら証明出来るけれども、「ない」ということを証明するのは絶望的に不可能なので、彼女たちの主張を、嘘だのデマだのと決めるつけることもないでしょうが、日を追うごとに、「貴金属類は出てきた」だの「次女は自分で警察に出頭した」だの「皆さんこれは話題づくりのやらせじゃないんです信じてください」だの、言ってることがどんどんトーンダウンして、どんどん常識的になってきて、いまいちおもしろくないんですけど…。

もうね、
最初は「仁義」や「信用」や「挨拶」なんていう筋の通った話だったものが、いつの間にかエスカレートしてしまい、取り返しがつかなくなっている「おふくろさん」状況と好一対ですな。
でも、こっちのほうは、当事者の人格がどうだとかということとはべつにしても、トラブルの実態そのものは真実じゃないですか。たしかに、まともにトラブってる。

でも、あの姉妹には、オレたちの心を揺さぶる真実が、どこにもありませんな(笑)
それは、写真集なんかで披露されている、あの偽装・粉飾だらけの肉体を見ただけでもじゅうぶんにわかりますが。

それにしても、底の知れんご家庭ですな。
これから、どうするんでしょうかね。
このまま調子に乗って、「紛失した貴金属を発見して舞い戻ってきた冒険家の4女」だの「宇宙ステーションの衛星回線からすべてを黙って見守っていた寡黙な5女」だの、もっとエスカレートさせた虚像キャラクターを、ぜひ、登場させてほしいものです☆

2007年3月30日金曜日

タミフルか? インフルエンザか?

19日、インフルエンザにかかった男子中学生14歳が自宅2階から飛び降りていたらしいです。ま、ケガはなかったのは幸いでしたが、男子は、ベランダのパイプに手をかけたことは覚えているけど、どう落ちたかは記憶がない、と。
ちなみ、この男子は、インフルエンザに罹患していたけれども、タミフルは服用していない…。

で、こっちは、タミフル服用後に眠っていた女児9歳が、2、3時間で飛び起きて叫びながら家の外に飛び出したんだとか。もっとも、こちらも家族が身体を押さえつけて、事なきを得た、と。
ちなみに、この女児は、タミフルは服用したけれども、インフルエンザには罹患していなかった…。

こうなってくると、タミフルもインフルエンザも異常行動とは因果関係がないんじゃないの?と思ってしまうんですが、どうなんでしょうか。
それよりも、春なんだから、不思議な動きをする人たちが増えるのは、あたりまえなんじゃ…。。




追)
2個目のニュース、インフルエンザに罹患していないのにタミフルを処方したってのは、普通に医療ミスなんじゃないの?(笑)

2007年3月29日木曜日

早く帰りたいのだ


今週は、月・火・水と名古屋出張。
1時間もあれば行けてしまうし、夜は夜で大阪で仕事があるから、3日間とも日帰りですよ。毎日、通ってました。
名古屋まで通いといっても、京都から大阪の心斎橋まで通っている相方さんのほうが、下手をすれば通勤時間は長いんじゃなかろうか。

今は腰が重くなっちゃって、あんまり出張しないんですけど、むかしは飛びまわってました。
大阪→東京→福岡→広島→岡山→徳島→大阪コースで10日間なんていう、旅芸人みたいなことを、しょっちゅうやってました。

今、やれ!と言われたら、断りますけどね(笑)
いや、出張に出るのはいいんですけど、外で泊まるのが億劫で。
大阪の天満が一番ですわ。

だから、東京出張も、基本は日帰り。
でも、今、毎月行ってる東京出張は、夜通し会議なので、夕方に東京に着いて、そのまま会議に突入、翌朝帰阪、ってかんじです。
東京は人が多いから疲れるのであんまりウロウロしたくないというのもあるんですが、やっぱ、とっとと大阪に帰ってきたいという気持ちが強いですな。

そうそう、大阪から宇都宮に出張したことがあるんですが、関西人からすると関東の地理がよくわかっていないようで、宇都宮なんて東京から1時間もあれば着くだろうとタカをくくって日帰りの予定を組んだら、全然ムリ! 関東平野をなめてました(笑)

そういうわけで、今回の名古屋出張も3日連続で通ったんですが、なんせ1時間で着いちゃうから、うかうか寝てられないんですよね。名古屋止まりの新幹線なんてないし、寝たら最後、東京行きは必至です(笑) そのまんま横浜あたりまで行って伊勢崎町に繰り出すなんてオツなプランも、今じゃ食指も動かないし。。。

だから、寝るわけにはいかんのです。
もっぱら読書かiPodで音楽。
いち時期、イラストロジックにハマっていたことがあるんですが、これを新幹線でやっていたら、いつの間にか降りるはずの新大阪をやり過ごしていた…、なんてことが、1度や2度ではないので、今では新幹線のなかでイラストロジックは、オレのなかでは御法度になってます(笑)

降りそこねたといえば、
ロスから関空に戻ってくるとき、飛行機が着陸したので降りたら、ソウルだったことがありました…。ロス→ソウル→大阪便だと知らんかったとですよ…。あんときは、マジで焦りましたわ。なんとか頼み込んで、再び予約を入れたソウルから大阪までのぶんは、タダにさせましたけど。

さあ、月末まで、支払いの段取りを組まねばっ!



今回は新幹線で、こんなのを聴いてました。
チカーノ・ロック、好きなのよ☆


ロス・ロボス / キコ

2007年3月28日水曜日

あっかんべー


ZAZEN BOYSも好きやしあふりらんぽも好きやしHiGEも好きやし犬式も好きやし銀杏BOYZも大好き。ええ年して、ラテンも土臭い音楽も好きなくせに、やっぱ、パンク・ミュージックが大好きなルイスです。

なんやろね。

パンクというのは、初期衝動そのもので、意味なく殴りたくなる衝動、思わず唾を吐いてしまうような若い行動、気がついたらガッコとは反対方向の海に向かう電車に乗ってるような、なんら建設的ではない、でも、やむにやまれぬ行動の象徴です。
日頃、商売は社会の役に立ってなんぼ、などとエラそーに言ってるくせに、オレ、やっぱ、パンクが好きなんですね。
いらついてね、誰彼なしにしばいたろか、という感情は、今でもむっくと顔を覗かせるときがありますから。ただ、大人になって、知恵もついて、そうした気配を感じとられないようにする術が身についているだけで。

この、ミドリという年若いパンク・バンドを見て、やっぱオレはパンクが好きなんやなあ、と、呆れながら思いましたわ。

桜の蕾がね、綻びはじめましたな。
風が吹けば、桜の匂いがかすかに届いてきます。夜道を歩いている折り、桜の香りが深く染み込んでいる大気の層に出会うと、今さらながらに、季節の巡りの疾さに驚かされます。
もう、じゅうぶんに落ち着いたものと思っていた自分の感情の層に、不意にぶつかって、そういうものの生々しさにハッとしたりすることがあります。
枯れる、
ということは、おそらく、一生、人にはないのだろうな。
ときおり、感情や欲望が凪いだように穏やかになっている状態が続くときもあり、それはそれで仕事も進み、悪くない気分であるのだけれど、その代わり、歯軋りするような辛さや想いが減ったぶんだけ、歓びや感動も、少し薄まっているような気もするのですよ。

かつて、自分が有していた、辛かっただけの日々や、息が苦しくなるほどの濃い感情が、急に懐かしくなるときがあります。
おそらく、たぶん、人は、こういうことを、繰り返し繰り返し、続けていくのだと思います。ふたつのもののあいだを、行ったり来たりする旅を、繰り返していくんでしょうな。

ジョンとヨーコがなにをしたか。記者に見守られながらベッドインしただけだ。
レイジは言語の自由を訴えてステージにフルチンで立っただけだ。
でも、それができなければ、パンクはクソです。

世界に対して、あっかんべーをする爽快感。
あっかんべーをして走り去るくせに、誰よりも淋しんぼう。
それがパンクなのだとして、ミドリは、久しぶりに出てきたパンクバンドですな。
きっと、売れない。
売れないからこそ、パンク☆




ミドリ / 愛のうた


ミドリ / あんたは誰や

2007年3月27日火曜日

この春ファッション



オレは、日本人で最初にメジャーリーグに挑戦した野茂英雄が大好きです。
ドジャーズ時代の野茂なんて、サイコーでしたね☆

で、甲子園生まれ大阪育ちのオレの宗教は、阪神タイガース。

昨日ね、商店街のワゴン市で、虎の靴下色違い3色を525円で購入☆
しかも、5本指の憎いやつ!
野茂Tシャツは、そのむかし、京都のフリマで100円で購入。

今年の春は、これで行きます☆
今年の春は、スポーツ少年やな☆




ヤンキースの松井のテーマ曲が、ゴッドファーザーのテーマなので。


東京スカパラダイスオーケストラ / ゴッドファーザーのテーマ

2007年3月26日月曜日

マッサージに行きたいのだけれども


首の痛みは治まったんですけどね、ダルさがね、どーにもこーにも。
肩から背中にある肩甲骨の端までにかけて、なんか背負ってるかのようなダルさんです。
水子も背後霊も、なーんも背負った憶えはないんですがね(笑)

でも痛みはほぼ消えたし、疲れ目症状も出なくなったし、これはいよいよマッサージの出番☆
何人かの知り合いの準専門家(←医者に行かないから、こういう人たちをアテにすることになる。笑)

マッサージ、大好きなんですけどね。
なので、早速にでも行きたいんですが、問題が、ないこともないんですよ。

えーっと、オレがマッサージに行くといえば、この15年くらいは、ミナミは道頓堀にあるサウナ・ニュージャパンです。サウナからなにから、ひと通りあるところですね。
マッサージ師をご指名出来るんです。というか、オレがいつも選んでるのが、そういうコース。
サウナに入って、身体洗ってもらって、アカスリやってもらって、マッサージ師を指名して、マッサージ全身60分のコースですわ。〆て9,700円也。

オレがご指名するのは、それこそ15年くらいの付き合いのある、佐々木さん(超仮名。笑)。オレより7つ上の婦女子さんですわ。こちらの方は、板東英二が大阪に来たときにはホテルに出張マッサージに出向くという実力者さんでしてね、なかなかの人気者です。
人気者だからご指名しているというわけではなくて、オレの身体のことを知り尽くしているんで、いちいち説明する手間が要らなくて、それでいつもご指名しちゃうんですけどね。

ただ、人気者なので、ふらっと行っても、指名が埋まっちゃってることも多いので、事前に本人か店に電話して、要予約。もうね、人気風俗嬢みたいです(笑)

ほいでね、無事に予約も確保して、いそいそと向かうわけなんですが…。

彼女たち、ニュージャパンで働いてはいるんですが、歩合制なんですよね。1人マッサージして、いくら。
なので、時間に縛られてないから、予約さえこなしていれば、いつ出社していつ帰ってもいいわけですよ。
で、オレが行くと、いっつも、オレで打ち止めにしはる。。。
で、メシ食べに行こう!と。こーなる。
もうね、昼であっても、オレで打ち止めにして、メシ食べに!とか言ってるし。。。。

ほいでまた、美味いところをたくさん知ってはるんですわ。
メチャクチャな大酒飲みで、美味いところ行っても酒しか飲んでないから、どこでもよさそうなもんです。でも、きっちりと、美味いところばっかりをピンポイントで把握してます。
ほんと飲んでばっかりで食べないくせに、不思議な人ですわ。

だからさ、マッサージ後の飲み食いが、必ずセットになってるんですよね、オレの場合。
だから、9,700円で収まるなんてことは、ないんです。。
最低でも15,000円はいるわけで、それも15,000円で収まればいいほうで。

ならべつのところに行け!ということにもなるんですが、なかなかねぇ。
オレは、これにかぎらず、一度馴染みになってしまうと、べつんところに行かないタイプなんですよね.
八百屋しかり、魚屋しかり、肉屋しかり、豆腐屋しかり、喫茶店しかり、飲み屋しかり、ゴハン屋しかり…。
馴染みになると、いろいろと得することもあるじゃないですか。おまけがもらえたり(笑)

八百屋さんは自家製のソーセージくれるし、魚屋さんはいつ行っても閉店間際の割引価格にしてくれるし、豆腐屋さんはいろいろ料理を教えてくれるし、喫茶店はいつもコーヒーのおかわりを出してくれるし…。
きっとね、長い目で見たら安いんですけどね、でもね、今回のマッサージみたいに、いざというときに高かったりします(笑)

2007年3月25日日曜日

ほっこりゴハン


洗面器持って、いつもの豆腐屋さんに、絹ごしを買いに行ったんですけどね。
まあ、絶品豆腐以外にも、お揚げさんにおからに蒟蒻にウドンにお蕎麦なんかも売ってるんですが、今日は、筍を湯がいたのを売ってました。
ま、旬だからね。

で、筍は大好きだから、買って食べるかな、と。

カツオで出汁とって、味醂、醤油をちゃっと入れて、火をかけて、ものの4、5分。
くつくつっと出汁が煮立った音がして、火を止めたのでした。

そしたらちょうど、サッカーの日本代表vsペルー代表のゲームがはじまって、鍋をそのままにして、TVに釘つけ。

ペルー代表はFIFAでの順位こそ日本よりも低いけれども、実力は明らかに日本より上です。でも、日本でゲームをやってるし、ピサロが来てないし、日本代表も今はコンディションがいいからなあ、とか、中澤はやっぱり代表に必要だわとか俊輔は珍しく守備してるなあ、とか。

ゲームが終わるまで、ハーフタイムを入れて2時間弱。
その間、火を止めていたので、筍に出汁がしみて、いいかんじです。
で、最後にワカメを入れて、もっかいさっと煮て、出来上がり。
奮発して木の芽も買ったので、手のひらに乗っけてパーンッと叩いて、乗せて。

そうそう、筍とワカメって、出会いものって言いますね。
黄金の組み合わせで大好きだけど、でも、なんで筍とワカメなんだろうか?

豆腐屋のオバァに、筍を買うときに、ちょっと聞いてみました。
そりゃ、どっちも旬のものだからや。
旬のものを組み合わせると、たいていのものは美味しいわな。

ん? ワカメに旬なんてあるんですかいな?
最近の若い人らは、なにも知らんなあ。
ワカメは今が一番美味しいんやで~。

ははは。たしなめられてしまいました。
しかし、ワカメに旬があるとは知らなんだですよ。
あんなもん、年中普通にあるし。。。
出会いもの、というだけあって、上手いこと考えられてるのね。。

あとは、
冷や奴に塩辛を添えて。
いさきの刺身。
昨夜の残りのおから。

おからがね、オバァのところのおからは、大豆の殻を取り除いてつくってあるんで、真っ白なんですよ。
干し椎茸、人参、こんにゃくを薄切り、千切り、細切りにそれぞれ切って、ゴマ油で炒めて、最後におからを加えて、汁気がなくなるまで炒める、塩で味を整える、と。そんなかんじ。

昼間は名古屋に出張したりしてバタバタしてましたけど、今日はちょっとほっこり気味です。
首がまだ完治してないことですしね。

BGMも、ほっこりしたやつを。


Jack Johnson, Donavon Frankenreiter and G-Love / Orange Room






まったく関係ないけれども、商店街で見かけた北島三郎(笑)

2007年3月24日土曜日

バイクに灰皿


バイクに灰皿か~。

でも、よく考えたら、バイクに乗ってるときって、メットしてるやん!
それやのに、灰皿、要るか?
それやのに、吸い殻、何本刺さってるねん…。

オレはチャリなので、この灰皿はチャリにつけるほうがよさそうです。
1日にハイライト2箱半のオレ。つけよかな。



首の痛みはなくなったんですが、ダルさがかなりかなり残ってます。で、目がすごく疲れてる!
期末でバタバタしてるんですが、出来るだけPCからは遠ざかって仕事することにしよう。。。

2007年3月23日金曜日

なにがどうなってんだか…

水曜から木曜にかけて、完徹だったんですよね。
んで、明け方、首が痛くなってですな、それもみるみるうちに痛くなってきて、午前中にはとうとう1mmも動かない状態になり…。

あのね、ひと仕事終えて、朝、いつもの喫茶店にモーニングを食べに行ったんですよ。
そのまえから首に痛みが走り出して、兆候はあったんですけどね。

一日中PC見ながら仕事、寝ない、肩凝り症と三拍子揃ってるんで、ときどきなるんです。
でも、今回のはヒドかったですわ~。
ズッキズキ痛みだして、徐々に首の可動域が狭くなってくるの。左右、上下…、いつもなら30度くらいは動かせるところで終わって、しばらくしたら、何事もなかったかのように、治っちゃうんですけどね。

でも今回、収まる気配、まったくなし!

上下左右、1mmも動かせんようになりましたよ。。。
しかも、下向いたままの状態で(笑)
自分の足元以外、なんも見せません(笑)
しかも、喫茶店までチャリで行ってたので、そっからチャリに乗って家に戻るのって、大変でしたわ…。
下向いたまま、目一杯上目遣いで、ゆっくりチャリをこいで。しかも、ルートは、商店街のなか。人通り、多し!

完全に、血行障害というか、筋肉が固まってしまっていて、鞭打ちになったようなかんじで、1mmでも首を動かせば、飛び上がるような痛みが。。。

ここまで強烈なのは記憶になくて、これはヤバイかなと思って、まず、知り合いの医者に電話。
医者といっても、耳鼻科なんですけど(笑)
ピッポッパ。
這々の体で家に帰って、知り合いの医者に電話したら、携帯は電源オフ。やっぱ、診察中か。。。
ピッポッパ。
次に、これまた知り合いの、高校のラグビー部のコーチに電話してみたら、出てくんない。ガッコの授業かしらん。。。

さて、誰に聞くかなとなって、思わず電話したのが、寧楊さん。
いや、オレの周りで、フィジカル系といえば、残るは舞台女優の寧楊さんくらいしか、思いつかんかったのですよ。
んで、寧楊さんに電話してみると、運よく出てくださってですな、「それは間違いなく血行障害&筋肉が固まっており、炎症を起こしているので、まずは頭の重みを首から取り除くために、コルセットをしてもらいに、病院に行きなさい」と。

なるほど。

でも、こんなことで病院に行ってゼニ使うのなんて、もったいないじゃん!
と、オレ。
はい、病院、大っキライですから(笑)

そいで、段ボールを使ってコルセットを自作することにし…、カッターを取り出したところで、再び、寧楊さんから電話。
段ボールじゃなくても、バスタオルを細く折り畳んで、それを首に巻いておけばコルセット代わりになるから、と、名案を!
もちろんそっちのほうがラクだし、そうすることに。いや、寧楊さんに電話してよかったです!
んで、アイシングしたほうがいいからと、冷シップを首に貼ってですな、血行をよくしないとダメだからとタバコはとりあえず吸わないほうがいいよという言いつけも守ってですな、ビタミンとったほうがいいからグレープフルーツを食べたほうがいいよというのは、せっかくなんですが買いにいくのが面倒なのでパスしてですな、そういうかんじで、仕事どころじゃないから、もうね、出ていく仕事は全部ずらしてもらって、寝てたのですよ。
といっても、考えないといけない企画があったので、それを考えながら、ずーっとベッドで寝てましたよ。首にバスタオルをグルグル巻きにして(笑)

もう、メシも食べずに、そのまま寝てましたね。
ほいで、いつの間にか、翌朝まで寝入ってましたよ。

ほいで、今朝だ。
こんだけしたら、すっかり治ってるだろうと思って、さわやかに目覚めてみるとですな、治ってる☆
治ってるんですが、首を思いっきり曲げると、少し痛みがありますな。
たしかに90%以上は治ってるんですが、これだけやって完全に痛みがとれないとは、今回のは相当手強いです。。。

まあ、病院行けよ!って話なのかもしれんのですが、病院は嫌いなので。学生時代、予防注射とかも、極力逃げてきた男ですからね、オレは。




んでね、これでこのドタバタも終わりだったはずなのに、なぜか終わらんのですよ。
あのさ、22日付のオレの日記、今朝見ると、消えてるんですけど。。。。

オレね、
まったく自覚はないんだけれども、こんだけ首が痛むのは、きっと疲れ目にも原因があると思っていて、昨日はPCを一切立ち上げなかったんですよ。
んで、昨日の昼だか夕方だかに、携帯からmixiを見ただけなんです。
そしたら、「新しい書き込みが2件あります」「メッセージが届いています」ってメッセージが出ていて、ポチッと押したら、21日付の日記にコメントがあり、それを読んでもっかいトップページに戻ったら、「新しい書き込みが1件あります」って出てたから、それもポチッとしたら、画面が真っ白に。。。

んで、なんじゃらほい?と思って、でも、首が痛かったので、そこで携帯を切って、また寝たんですよね。
んで、今朝になってPC立ち上げたら、22日付の日記がどこにもなくてですな、昨日読まなかったメッセージを見ると、「日記が削除されたみたいですけど、どーしたんですか?」みたいなメッセが、数人から。

や、オレは削除してない。。。
あんな長文テキスト書いてるのに、削除なんて、もったいなくて出来ません!(笑)
それにしても、なんなんだろか。。。。
えーっと、22日午前0時に日記をアップして、朝までにコメントいただいたぶんはコメントを返してますので、コメント返しがなかった方のぶんは、オレ、読んでません。。。。大変申し訳ないのですが、読んでないんです~。
でも、なんで消えたのよ??????

ったく、首といい昨日の日記といい、なにがどうなってんだか。。。

2007年3月21日水曜日

獲物になる人、獲物を追いかける人


相方さんが自分の日記で書くと差し障りがあるかもしれないので、オレんところで書きます。

ニット製作の傍ら、ニット教室の講師をやってる相方さんではありますが、最近、ひょんなことから、編みぐるみの教室を主宰する先生と知り合ったんですね。

この先生、きっと30代前半やと思うんですが、教室のときは上品に着物をお召しになられてまして、まあ、それだけでも金持ちやな、とは思ってたんです。
というか、自己プロデュースが出来てるな~、と、オレの趣味とはかけ離れてるんですが、そんなふうに思ったもんです。

んで、こないだ、その方が運営しているサイトを相方さんから教えてもらいまして、ちょっと覗いてみました。

もうね、すごいですよ(笑)

トップページにある教室のお知らせ欄、のっけから「超満席」のキャンセル待ちのオンパレードですから。
満席じゃなくて、超満席!
なんかね、値打ちつけまくってます(笑)

そのページをスクロールして一番下に行くと、「画像転載・ダウンロードは固く禁止。権利侵害が発生した場合は、専門家を通し対処…」の、真っ当ではあるけれども、超強気の文言が…(笑)

続いて、「作者」のボタンをクリックするとですな、べつにいいんですが、編みぐるみとはまったく関係ない事項のオンパレードでして、要するに、自慢コーナーなんですよ(笑)
車自慢にヴィトン自慢にチワワ自慢! 金持ちアイテム、満載です(笑)

いやいや、さっきから文末に(笑)ばっかり付けて笑ってますが、なかなか自己プロデュースが秀逸です。
よくわかってらっしゃいます。

講師であるご自分こそが生徒さんの憧れの存在として君臨し、生徒さんをファンにすることで、市場を形成していくというやりかた。

ご本人がどこまで意識してやってらっしゃるのかはわからんのですが、現実に教室は盛況のようですし、じつにじつに上手いことやってはると思います。

翻って、相方さん。
こっちが相方さんのサイト(プロデュース&製作 by ルイス。笑)。

相方さんのサイトを自分でつくっておいてなんですが、おなじニットのサイトとは思えんほど真逆です(笑)
もっとも、相方さんは違う路線なので、これをやれ!というのは酷ですが、参考になるところはたくさんあると思いますわ。

それにしても…、
つくづく思うのは、婦女子さんには2種類あって、獲物になる人と、獲物を追いかける人とに分かれますな。

この人は、私はこんだけかわいくてこんだけ素敵でこんだけすごいです~!というのを、ごくごく自然にアピールしていて、獲物としての自分の価値を高めていってます。
きっと、彼女がポケットに入れてるティッシュでも売れるでしょうね。キャバ嬢やったら、絶対に成功するタイプ。

逆に、獲物を追いかける人は、貢ぐわけで(笑)
商売でいったら、値を下げるってことです。
一度下げた値段を元に戻すのは至難ですから、これをするとしんどいですよ~。

相方さんが獲物を追いかける人に分類されるのかどうかはさておき(相方さんはどっちでもないな)、やっぱり、このサイトを見て、も少し出しゃばってほしいと思いますわ。
謙虚なのは悪いことではないし、とっても重要なことなんですが、自分をアピールする、売り込むことに照れや罪悪感があるのが、どーにもこーにも。
アピールと謙虚さは、相反するものでも矛盾するものでもないからね。

何度も書くんですが、商売は、売り手と買い手が五分と五分で、等しくハッピーになる取引のことです。
なにもね、タダでおカネを寄付してもらおうってわけじゃなくて、相応の作品をつくり、その作品を持つことであなたは物心ともに満たされハッピーになりますよ、その見返りに、お代をくださいってことですから。

あなたをハッピーにします!というのが、商売における、営業ですから。
まあ、道で立ってる、「あなたのために祈らせてください」おじさんは、ちょっと違うけどさ。

だから相方さん、もっと営業しなさい。

PS
マイミクさんのハルーさんのご要望で、先日撮影し完成したポスターをアップしました。写真、左。




こういう展開やと、マドンナですかね。それくらいしか思い浮かばんあたり、発想が貧相(笑)
でも、マドンナは相変わらずカッコいいですな☆

本日の1枚:
マドンナ / 『 Get Together』


2007年3月20日火曜日

浦島伝説


人は、どうして、遠くへ行こうとするんですかね。
人は、どうして、ここではない向こう、水平線や地平線の向こうの、未だ見ぬ彼方へ、遥々とした視線を向けるんでしょうかね?
人、というより、オレの裡にね、抜きがたい、そういう彼方への憧れがあります。
旅でも漂泊でもいいんですが、そういうものが、かつては色濃く、そして今でも、それはあります。
読み残した物語、あるいは書き残した物語、そういう物語の続きや結末へ馳せる思いと、そういうものへ憧れる気持ちとは、どこか共通するものがあるようにも、思うのです。

どこかわからない無辺彼方に、物語の結末は預けられています。

その結果、物語の続きを探しにいこうとする行為が、ひとつにはオレにとっての旅であるような気がします。書き終えない、あるいは読み終えないその続き、結末が存在するかもしれない彼方へ向かって、その距離を埋めていく。それが、旅なのかな、と。

旅でもいい、漂泊でもいいです。そういうものへ、なにが人を駆り立てていくのか。
旅には、不思議な力学があります。

たとえば、哀しみの深さ、喪失したものの大きさに合わせて、人は、遠い距離を動いていくもののようです。旅の力学のなかには、間違いなく、そういうものがあるように、オレには思われます。

行き場のない身体内の力を持て余して、それこそ、歯を軋らせながら、ただ歩き続ける。そういう山を何度かやりましたな。
新しい物語を書くことも、未だ行ったことのない山に登るのも、オレにとっては、同様の力学の裡の行為であったような気がします。
そして、そういう力学は、今もって、オレの行動パターンを、どこか、根の深いところで支配しているようです。

かつて、21歳の折りに、ヒマラヤに出かけました。

書くことでメシを食っていこうとする覚悟が、ようやく出来たか出来ないかのころです。

自分が何者であるのか、自分にはなにが出来るのか、なにもわからないころだ。自分が、なにをやりたがっているのか、そういうことすらも、わかっていなかったかもしれない。わかった気になった夜が明けたとき、朝の光に照らしてみて、じつはなにもわかっていない自分に気がついて背中に冷や汗を掻く、そんなことを繰り返してきたはずです。

自分は、モノを書いていくべき人間ではないかという気負いや不安に、苛まれているころです。なにもわからない代わりに、未来の量だけはほとんど無限にあるかのように思い込んでました。

やりたいことの、一番上の席は常に空白で、とりあえず、二番目をやっている。ヒマラヤへ行っても、なにかを書いていても、いつも自分は今その二番目をやっているのだという意識が抜け切れなかったような気がするのですよ。
一番目の座は、常に、空白のまま、なにものかのためにとっておく。

今も、そういう意識が少し残ってます。

なんだ、これは少しも進歩していないということではないか。

なんだか、これは、どうも、相当にこっ恥ずかしいことを書いているような気がしますが、まあ、よろしい。恥はかき捨てですから。

21歳のときにヒマラヤに向かった自分も、40歳を過ぎてしまった現在の自分も、じたばたし、混沌としています。
その混沌を、混沌のまま、ゴッホの表現を借りれば、掘り出したばかりの土のついた馬鈴薯色のまま、混沌としている自分を引き受ける覚悟のようなものは、今ではあるんですけどね。

自分は何者であるのか。

古代神話の英雄譚がそうであるように、旅というのは、自分自身を探すための果てのない彷徨であると、大体が、そういうことになってます。
苔の一念でやってきた仕事や、ささやかなオレの旅を、そういう神話の英雄譚に準えるつもりはないんですが、いくらかは、そういう要素を、旅というものは含んでいるはずです。



なになら恥ずかしい前説になってしまいましたが、浦島太郎伝説について書きたいのでした。
じつは、こっからが本題(爆)

18日付の読売新聞の夕刊に、浦島太郎伝説について書いてあったんですよ。
この記事を読んで、いろんなことを思い出してしまい、上段前説のようなことを勢い余って書いてしまった次第で。

この物語、好きでしてね。
はからずも旅をしてしまった浦島太郎さんなんですが、行ってみたいけれども行けそうにない、行ったら戻ってこれないかもしれない、というところへね、オレ、いっつも、行ってみたいと思うんですね。

西遊記もそうですが、浦島太郎伝説も、オレを夢中にさせた物語なんですよ。
どちらも、相当に、オレの身体内に入ってしまってます。

京都府には違いないんですが、丹後半島の日本海に面しているところに、浦嶋神社というのがありまして、ここに玉手箱があるというので、見せてもらいに行ったことがあります。もう、10年以上もまえのことだけれども。

浦島太郎のお話自体は日本書紀にも万葉集にも風土記(丹後国)にも書かれています。
どれも少しずつ異なります。

この玉手箱は、蓋を開いても煙が出ることはなく、櫛やら筆やら手鏡やらのメイク道具が収められていて、それもきれいな蒔絵が施されていて、なかなか美しい逸品です。正しくは「亀甲文櫛笥」。
つまるところ、婦女子さんの秘密でもある化粧箱を覗いた罰で、煙が吹き出て浦島太郎を老人に変えた、ってのが、一般的な説なんですけどね。

この浦嶋神社には「浦嶋明神絵巻」というのがありまして、お願いすれば、宮司さんが玉手箱も絵巻も見せてくれます。
ただ、ストーリーは大きく違う。
亀を助けたという逸話は描かれていなくて、海上で五色の亀を釣り上げ、居眠りしているうちに亀が乙姫になり、行き先は竜宮城ではなく、海の彼方の未来永劫の国である蓬莱山。不老不死の世界ですな。戻ってきて、玉手箱を開けたときに煙が出るんじゃなくて、風雲とともに飛び去ってしまう…、とまあ、ストーリーは、大きく違ってます。

蓬萊山(日本庭園の真ん中に石組みでつくるのがそうですが…)が登場するあたり、中国の神仙思想が入り込んでいるのは間違いないんでしょうが、かといって、なら中国が起源なのかというと、じつは中国にも原型らしきお話はあるんですが、それだけでもないんですわ。
もうね、ルーツらしきお話がいたるところにあり、かつ、それぞれが独自に発展して、いろんなお話と混じり合って、混沌としてます。

記事では、横浜に伝わるお話に、観音信仰があることを紹介していました。
浦島太郎はじつは三浦半島の出身で、竜宮から戻ったあとに神奈川に立ち寄り、両親の墓を見つけて草庵を建て、観音像を納めたのだとか。
その観音像は現在、慶運寺にあり、このお寺さんには浦島太郎の供養塔まであるんだそうです。
ぜひ見たいけれども、三浦半島か…。遠いです。。。

じつは、沖縄にも浦島伝説があります。沖縄だけじゃなくて、ハワイイ、というか南太平洋のポリネシア全般にもあります。

沖縄では、海の彼方に異郷があって、そこから神が現れるという、ニライカナイが信じられています。この信仰をベースにして、やはり浦島伝説があります。
浜辺を訪れる亀は神の化身だし、ニライカナイは時間を超越した理想郷なので、竜宮城の条件を満たしているんですね。

ポリネシア全域だと、カーニムエイソという伝説があります。
海の彼方には時間を超越した場所が存在するという、浦島伝説の骨子と寸分違わぬお話。
こっからムー大陸伝説を導き出す人もいるんですが、それはちょっと飛躍のしすぎかな、と思わないこともないんですが。

ただ、蓬萊山にしてもニライカナイにしてもカーニムエイソにしても、不老長寿がキーワードになってますから、その願いは、世界のあらゆるところであったんでしょうな。

探しものが不老長寿である点は、オレにとってはあまり重要なことではないんですが、探しものをするために、まだ見ぬ土地へ遥々と視線を向ける、というお話は、かなりかなり好きです。

2007年3月19日月曜日

美しく正しい日本語


職業柄というわけではけっしてないんですが、大きめの書店に入ると、言語関係の書籍を取り揃えたコーナーに立ち寄ってしまう性癖があります。
んで、そこには必ず、「美しい日本語のために」とか「日本語の危機」といったタイトルの背表紙が、何冊か並んでいます。

どうやら、世のなかには、美しい言葉と醜い言葉があって、かくあるべき理想的な日本語が存在すると思っている人が、結構いるらしいのですね。

んで、1冊を手にとってパラパラとめくってみると、それは、ベテラン・アナウンサーが正しい発声法や発話法を伝授する本であったり、作法の達人であると自他ともに認める著者が礼儀に適った話しかたについて蘊蓄を傾けていたりします。
あるいは、自分こそは正統的な日本語の使い手であり、守り手でもあるという使命感に燃える教養人が、日本語の乱れに危機感を覚えて警鐘を鳴らす、というものとか。

日本語のここが乱れとる。けしからん。間違っとる。かくかくしかじか正しくはこう言うべきだ云々。

ごもっとも。
そう思いつつも、なんやしらん、腑に落ちまへん。はっきりいって、不快感を覚えますわ。上から見下すようにモノを言われたときにカチンとくる、あの気分に似てます。

何様のつもりか知らんが、日本語はアンタだけのものじゃないで!
と。

不快感の要員は、つまるところ、そこにありますねん。
言葉は、その言語を共有する共同体全員のもので、日本語は、日本で生活するすべての人々の共有財産なんですけどね。
ときの為政者が強大な権力にモノをいわせてどんだけ強要しようと、正義を振りかざす団体が当然とばかりに圧力をかけようと、どんなに権威ある学者や専門家が高邁な学識を動員して啓蒙しようとね、圧倒的多数の人々が、その言葉を使うようにならないかぎり、その言葉は、言葉になれんのですよ。
このあたり、言葉というのは、小気味いいほどに、単純民主主義ですから。

だからこそ、自分の美意識を露ほども疑うことなく、
日本語はこうあるべきや!
と、悲憤する人の姿は、なんだかひどく哀れでおかしいです。

ということを、むかし、とあるマイミクさんに言ってあげたら、あんたのせいで病気になり、寝込んでしまい、日常の生活に支障が出た、どうしてくれるねん!と、わざわざメッセージを使って脅されましたが(笑)

もちろん、他人の発言を聞き、文章を読んで、美しいと感動したり、逆に不快感を覚えたりするのは、誰もが経験する心の反応です。
誰もが、程度の差こそあれ、言葉に対する独自の審美眼を持ち、聞き取った言葉や読み取った言葉を、美しい!とか、汚い!とか、醜い!と判断し、使い分けてます。

ふと思ったんですが、これは、ミュージシャンが楽器を奏でるときの感覚に、似てなくもないですな。

というのも、こないだ、子供の音楽教育に取り組んでいるチェリストを共同取材したときのこと。
某大新聞記者が(Aのつくとこですが…)、
「子供たちが美しい音楽を奏でるようになるのには、どんな点に留意するべきなのでしょうか?」
と、質問したのですね。
この質問が発せられた時点で、オレは、さすがは某大新聞(Aのつくとこですが…)、アホな質問してはるわ!と思ったんですが。ま、それはよろし。
でも、このチェリストさんも、きっとおなじことを思ったんではなかろうか、と。
彼は、待ってましたとばかりに、かなり嬉しそうに、こう答えました。
「プロコフィエフの『ピーターと狼』を聴いたことはありますか? あの狼の音、あれは、一般的に、必ずしも美しい音ではありません。むしろ、醜くて汚い音です。あれが清らかな音では困るんです。自然界にも世のなかにも、人間の感覚にとって心地いい音、耳障りな音があります。
でも、音楽そのものには、美しい音も醜い音もないのです。
要は、伝えようとするメッセージを、それが美しいものであれ醜いものであれ、もっとも的確に表現すること、これが音楽も含めたすべての表現に求められていることですから」
と。

そうそう!
オレは、内心、拍手喝采なのでした。

言葉だって、そうなのですよ。
言葉は、絵を描くときの絵具の色、曲を奏でるときの音色です。
世のなかの森羅万象、それに複雑怪奇な人の精神を描き尽くし、伝え、微分も積分もし、解釈し、讃え、批判し、呪い、祝福するためには、美しく正しい言葉と言葉遣いだけでは、到底間に合わんのです。

ら抜き言葉はね、らを抜かざるを得ない切迫した事情が、その言葉を発する人たちの裡に、あるんです。
それはもう、その言葉を発する当人が意識していようがしていまいが。
そんなことに思いも馳せずに、日本語はかくあるべし!などと言ってる人はね、頭のなかが晴れっぱなしの、ノー天気な人です。
オレは、願い下げです。
あ、件のマイミクさんは、メッセージを送りつけてきたあと、マイミクをぶった切ってくれました(笑)
ま、これは余談でした。突っ込まないよーに(笑)

2007年3月18日日曜日

チャイをつくる(超簡単編)


もういい加減あったかくなってくれませんかね。。。

エアコンは空気が乾燥してノドも鼻も痛くなるので、滅多に使いません。
まあ、それほど、寒さ暑さが気にならんというのもあるんですが。

それでも、最近は、寒いわ。
きっと、ぼちぼちあったかいはずなのにあったかくなってくれんから、期待を裏られて、身体が必要以上に、寒い!と言っている気がします。

で、寒いから、チャイを沸かすんですけどね。

ただ、ちゃんとしたチャイを沸かそうとしたら、面倒くさいんです。

1)鍋に水を沸かし、茶葉大さじ1とジンジャー、カルダモン、クローブ、黒胡椒、シナモンなんかのスパイスを入れて、茶葉が完全に開くまで煮出す。
2)水の1.5倍の牛乳を入れて、香りづけに大正漢方胃腸薬を入れ、もっかい沸騰させて、漉して出来上がり。

こんだけですが、こんだけでも、寒い夜に仕事の合間につくるのは面倒で(笑)
大正胃腸薬がスパイスなのは知っていたので、これはよくやります。カレーにも入れます。
でも、コンデンスミルクは、かなり盲点でした。

んで、昨日、仲よしのインド料理店オーナーのインド人セシュ(♂・推定年齢50歳・超オンナ好き)に、じつにじつに簡単なつくりかたを教わったのでした。

こんなつくりかた。

1)コップにコンデンス・ミルクを好みの量だけ入れる。
2)ティーバッグを入れて、お湯を注ぐ。完成。

これ、いけます☆
しかもこれ、もしかしたらインドで飲んでた安食堂のチャイにかなり近いかんじがします(笑)


ほっこりしたいの、今日は、リッキー・リー・ジョーンズ。

Rickie Lee Johnes / Young Blood

2007年3月17日土曜日

時間も気力もないとき


今日打ち合わせしたwebデザイナーの婦女子さん、花粉対策で最近はマスクしてます。
でも、今日は、マスクだけじゃなくて、帽子にサングラスも。

完全に不審者やん。。。。

時間も気力もなかったんだとか。
洗顔→化粧水→乳液→下地(下地だけどカバー力はある)なんですと。

じゃ、時間も気力もあるときは?
洗顔→化粧水→乳液→美容液→下地1→下地2→リキッド→コンシーラー→ルースパウダー→眉毛→アイシャドー(4色使いでグラデーション)→アイライン→マスカラ→チーク

作業工程、何段階ですか!(笑)
完成まで30分だそうです。

だいたい、コンシーラー、普段から必要なのか?(笑)

コンシーラー使わないと、貧血か?って言われます~。
だから今日は、サングラスに帽子、マスクで。

まあ、なんでもいいですが、
オレ、一応はあなたのお客さんだからさ、お客さんに会うときの格好をしてきてください(笑)

2007年3月15日木曜日

マダム・ギター


焼肉屋さんというかホルモン屋さんというか、その手のごっつ美味いお店『河童』に、マイミクさんの寧楊さんに連れてってもらった日記を書いたとき、吾妻光良 & The Swinging BoppersをBGMにつけておいたんですね。
肉、といえば、彼しか思い浮かばなかったので。

んで、ほぼ同時期に、やはりマイミクさんのぱなぬふぁさんが、「ギターおやじとピアノおばさん」と題して、えらいこと味のあるレコードを紹介してはって、かなり興奮してコメントを書いたのですが、そんときは、気がつかんかったんです。

これ、ギターが吾妻さんやというのは見てわかったんですが、ピアノおばさんって、マダム・ギター長見順さんやないですか。。。。

ギタリストのイメージが強いから、ピアノおばさん=長見順さんやなんて、でんでん気がつきませんでした。

長見順さん。。。。
現役にして伝説のブルーズ・ギタリストですから。
八代亜紀の『舟歌』をブルーズにしちゃうような、とんでもない自由な精神の持ち主の方ですから。
キヨシローをして、俺はこの女に一生ついてゆく!と言わしめたお方ですから。

このへんで試聴出来ます。
「音、聞いてみる?」をクリック
あと、これ


ギターを抱えた婦女子さんがね、大好きです。
最近では、相方さんがアコーディオンを抱えているのを見て(相方さんのトップページの画像☆ 撮影 by Luis☆)、アコーディオンを抱えている婦女子さんもいいなあとも思うんですが、長見順サンなんかを見てると、やっぱ、ギターや!と思ってしまいます(笑)
5678'sのロニー・フジヤマとか、R&Bだとバーバラ・リンとか、かしまし娘の正司照江、…花江、あれ、どっちだっけ(笑)

だいたい、エリック・クラプトンという不器用でアホウな男が、ブルーズのイメージをシブいだけのものにしやがったおかげで、ブルーズは、ずいぶんと窮屈な思いをしてます。
でも、長見順さんを聞いてると、ブルースが元来持っている多彩性やユーモアや、おどろおどろしさやヤバさや、いいかげんさや愛らしさがいっぱい詰まっていて、すっごく楽しい☆

ライブは1回だけしか見たことないです。
何年かまえの、春一番。
たった4曲のステージだったのですが、伴侶でもある岡地曙裕氏(ボ・ガンボス、現・The Swinging Boppers)のドラムに、吉森信(モダン・チョキチョキズ、ヒカシュー)のピアノという百戦錬磨のリズ
ム隊をしたがえて、マダム・ギター・長見順さんは弾きまくり、歌いまくったのでした。
ウイスキー・バーを居酒屋と翻案し、日本語英語のチャンポンで歌われた『アラバマ・ソング』のカヴァーは、元来、こういう歌なんだろうな、と、思わずそう思わせてしまう力技で。ニール・ヤングさん、チミは長見順さんに負けてるよ(笑)

ほいで、待望の新作、登場!
前人未到の樹海に足を踏み入れつつも、頭のなかでは今晩呑む酒のことを考えている、そんなふてぶてしさが逞しいです。
凄い人の凄い歌。すごい女のすごいギター。すごい音楽です。
苦し紛れに、オレも酒飲んで酔っぱらいたくなります(笑)

長見順が生活の柄(ネック)をしごく夜、冷え切った歌は体温を取り戻します。
マダムは弾かなきゃ音が出ない。
ギターに火をつけて! …誰が消す?(笑)

相方さんが、今日は体調不良で寝込んじゃってんですよね。
そういうときこそ、マダム・ギター!
この人がいれば、ほかにはなんも要らん!と、一晩だけでも思わせるものが、彼女にはあります。

ぱなぬふぁさん、新作に「ギターおやじピアノおばさん」収録☆


本日の1枚:
『クー・チー・クー』
マダムギター・長見順

2007年3月14日水曜日

神降臨!


マイミクさんののりっち☆さんが外部ブログで教えてくれたのでした。
な、なんと、オウムの上祐史浩が、mixiをはじめた、と!
ついでに、のりっち☆さんの件のブログ日記タイトルも、パクってきました(笑)
のりっち☆さん、もらった!(笑)

上祐クン、本名でmixiやってますから、検索かければ、一発で出てきます。

これが彼のトップページ


まだ加入して数日のはずなんですが、マイミクさんがすでに600人以上います。
おもろそうなので、あっつ~いメッセージをつけて、マイミク申請しました(笑)
24時間以上経ちますが、まだ返事は来ません。。。。

オウムについては、なんだかんだで思うところがあるんですよ。

上祐クンは44歳らしいですが、ということは、オレと同年代。彼に代表されるように、オウムの中核を担った世代というのは、オレの世代なんですね。
刺殺された村井は、面識はまったくなかったけれども、オレの高校の3年上の先輩でした。

10代の終わりくらいかなぁ。その年代特有の病気でしょうけれども、閉塞感とか、息苦しさがあったんですね。
世がバブルに突入する前夜で、あっちこっちで浮かれた狂躁が繰り広げられてる世のなかで、すんごい違和感を、オレは感じてたんですよ。
ディスコ(まだクラブって言葉はなかったのよね)は、婦女子さんを連れてないと入れてくれないし、それも小洒落た格好でないと入れてくれないし。。満席です、とか言われて、思いっきり選別されてましたから。
カネも力もなかったけれども、有り余る情念だけを持て余していて、バカヤロウ!って、あっちこっちで毒づいてました。

豪華な暮らし、豪華な格好、豪華な遊び、ノー天気な狂躁…、べつにそれが悪いことだとは思わないけれども、それだけだったんですよ。それ以外の価値が、キレイさっぱり忘れ去られて、バカなんじゃないか、こいつら、って思ってました。

死ね!
なにがわかる!
バカヤロウ!
つぶれちまえ!

尖った言葉をね、あっちこっちに、教科書の余白に、ノートの切れ端に、壁に、レコードのジャケットに、書き殴ってました。
何年かまえに、レコードの置き場所に困って売っぱらおうと整理したときに、そういうレコードが出てきて、そこに書き殴ってある言葉を何年かぶりに見たとき、笑ってしまいました。
今と、そんなに変わってないのよ。
そりゃ年もとって、いろんな経験もして、清濁併せ飲むようなこともやってきて、知恵もつけばついてきただろうけれども、本質的に、な~んも変わっていない自分がそこにいて、大笑いしました(笑)

いや~、あのころの自分に、授業サボって屋上に寝っ転がってタバコ吹かしてオレに会いにいって、大丈夫だ、おまえは!って、言ってやりたいな。

さて、そういうころですな、オウム真理教が身近にあれば、オレはフラフラと入信してたかも知れんなあ、と思うんです。
たまたま身近になかっただけで、あれば、フラフラと入信して、地下鉄にサリンを撒くなんてことも、やってかも知れんなあ、と思いますね。
だから、オウムが引き起こした一連の事件って、オレにとっては他人事じゃないんです。一歩間違えていたら、オレが実行犯だったかも知れん、という思いがありますから。

矛盾だらけのイヤな世のなかなんてぶっ壊してね、きちんと整合性も調和もとれた美しい世界を再構築するってのが、そもそものオウム真理教の金看板だったじゃないですか。
そういうものに対する憧れというのは、ありましたな。
入信した多くの人たちが読んでいた中沢新一の『チベットのモーツァルト』も、オレだって夢中になって読んでたし。
神秘系やスピリチュアル系への憧憬はまったくなかったけれども、絶対や不変への憧れは、強くありましたからね。

だから、オウムへ入信していった人たちの、入信に至るまでの心の変遷プロセスは、オレには、痛いほどわかるんです。
ただ、あの、俗物のかたまりのような麻原に惹かれるってところだけは、どうしても理解出来ないけれども。

そのころですね、オレが旅に出たのは。
オウムに入信した人たちと、おそらくはおなじような動機で、オレは旅に出ました。
オウムが旅にすり替わったのは、これはもう、まったくの偶然としか言いようがないです。
つくづくね、オウムじゃなくて旅を選んでいてよかったと思いますよ。
無差別殺人の実行犯にならなくてすんだということではなくて…。

あのね、
インドに行くと、空港を出た瞬間に、数十人に取り囲まれました。
全員が、オレに手を差し伸べて、カネくれ!って言ってるんですよ。乞食です。
ビビって、もっかい空港に引き返して、考えましたね。自問自答しましたね。
あの人たちは、明日にも飢え死にするかも知れん生活だ。どーせわずかなカネだし、喜捨すれば生き延びられるかも知れん。でも、これから先、おまえはすべての人にそれをするのか、と。

道を歩いているとね、両手両足がない子供が、壁にもたれかかってるんです。壁に立てかけてある、という表現のほうが正確かもしれません。
インドにはカーストがあるから、乞食に生まれたら、ずっと乞食です。そっから抜け出すことは、奇跡が重ならないかぎり、無理。
母親が、我が子が乞食として憐れみを買いやすいようにと、親心で、我が子の両手両足を切るんです。
それを聞いたときにね、やっぱ、絶句しましたよ。

オレの旅は、そういうことの連続だったです。
なんのために生きてるのか、とか、生きる意味とか意義とか、そんなことをね、観念をいじくりまわしているような暇は、まったくなかったです。そうする暇もなく、現実が次々とやってきて、さあどうすんの!って、のど元に匕首を突きつけられてました。
絶対への憧れも美しい調和もへったくれもなく、さあどうすんの!って、オダギリジョーよろしく、ライフカードを突きつけられてましたよ。

そういう環境に身を置くことによってね、生きる意味だとか意義だとかということよりも、生きる手段のほうに、いつしか、オレの視線は移っていったんですね。図太さというか、耐性も、いつしか身についてましたね。

ガンジスのほとりで、洗濯をして、川岸に何枚もの洗濯物を干してるオバァがいます。
洗濯はヒトの汚れを扱う仕事だということで、カーストの順位では下のほうにあるんですが、そうやってゼニを稼ぐ方法もあるんだな、と、オレはその光景を、穏やかに見ていたのでした。

オウムの修行と違って、旅をすることには、具体的な現実がありました。
押しても引いても手応えのある、具体的な現実がね、目のまえになんぼでもあったんですよ。矛盾や!とか、おかしい!とか言ってるひまもなく、さあどうすんの!と、その対処だけで精一杯でした。

おかげで、観念をいじくって、自分のオナラにむせってるような自家中毒にならずにすんだんですね。
オウムのやらかしたサリンによる無差別殺人は、観念を観念で処理しようとして観念のダンゴ状態になった、自家中毒の果ての仕業ですから。

そうはならんでよかったと、腹の底から思いますわ。

のちに、ラテン社会にずぶずぶと足を踏み入れていったとき、
「博打ででもいいから手を使え」
という諺を知りました。
身体を使ってないと、ロクなことを人間は考えないから、サイコロを振るのでもいいから手を使え、身体を使えって意味です。

我が身に照らしてみて、そうやな、そのとおりやな、と、腹の底から思ったもんです。

ラテンの国々というのは、これまたいい加減の極北みたいなところでしてね。
人間はどうしようもないし、いやらしいところもたくさんあるけれども、だからこそ楽しいし、愛すべき存在なんでしょ!と、100人いたら100人がそういうふうに思ってますわ。

上祐クンとね、マイミクになれたら、そんな話をしたいなあと、思ってるんですけどね。
まだマイミク申請の返事が来ませんわ。

はよ承認しろや~(笑)

2007年3月13日火曜日

momokoさん

mixiの紹介文、自分から書いたことがないんです。
あれ、気が進まんのですね。なんぞ意味があるんやろか?とも思うし。
まあ、それを言い出したら、オレの日記だってなんぞの意味もないので、書くな!ということになってしまいますが。

そんなわけで、誰の紹介文も書かないということもあって、オレんところのトップページは、長らく紹介文ゼロの、なかなか孤独な男やったんですよ(笑)
第一、オレの相方さんですら、オレの紹介文を書いてくれてませんからね(笑)

それが、チラホラとオレの紹介文を書いてくださる奇特な方が何人か出現しましてですな、そうなると書かれっぱなしというのも性にあわんので、ちゃんと書かせていただきます。べつに義務感からイヤイヤ書いてるわけではなくて、喜んで書いてるんですけどね。

そういうことを知ってか知らずか、イヤ、知らんとは思うんですが、な、な、なんと、オレのマイミクさんのmomokoさんから、私の紹介文を書かんというのはどういうこっちゃ!?という脅迫を受けまして(笑)
いや、そういうわけではないんですが、ま、ノリやらツッコミやらの紆余曲折ありましてですな、書くことになったわけです。

でもですなぁ、
オレの日記をご覧いただいている皆さんはご存知やと思うんですが、あのmomokoさんです。オレとご同業で、オレよりも博覧強記で、深淵謀略…、基、オレよりも思慮深く、オレよりも頭脳明晰なmomokoさんですからね。しかもオレは、広告・文筆はプロやと公言している人間ですから、下手な紹介文は書けんわけですよ。もうね、場合によっては、紹介文を書いたがゆえに、見切られ、マイミクをぶった切られる事態にまで発展しかねませんから。。(違)

そんなわけでプレッシャーに苛まれて夜も寝れない日々が続いているオレなんですが、まさか、mixiでこれほどプレッシャーに苛まれる日が来るとは!(笑)

さて、momokoさんの紹介文。
他の人がなにを書かれているのかよく見ていないんですけどね、どーせね、書き尽くされているんですよ。
交友関係も広く、斯界の権威もたくさんいらっしゃるし、多方面で活躍するmomokoさんの溌剌とした姿を伝える紹介文は、たーくさんあるに決まってるんです。
だいたい、momokoさんのトップページには、ご自身で作成されたメチャメチャ詳しい履歴書が、アップされてますがな。
だから、そのうえ、オレがなにを書けばいいのか?って話ですよ。。。

と、ウダウダと言い訳をたーくさんしておいてですな、オレも一応は売文屋の端くれだし広告屋でもありますので、ここはキャッチコピー風に1行2行で…、って、さらに言い訳を重ねますと、オレ、1行2行で表現するキャッチコピーって、苦手なんですけどね(笑) 400字で、とか、1000字で、とか、そーゆーのだと大得意なんですが…。いやいや、余計なことを言うと自分の首を絞めるだけなので、ここらでやめておきます(笑)

えっとね、1行2行のキャッチコピーにしたんです。もうね、でしゃばらんとこ、と(笑)

でも、それだけやと愛想ないし(←まったく腰が据わっていないルイスです。笑)、続きをですな、こっちに書いておこうかと。
ほいで、この日記をご覧になってる皆さんもですな、オレの日記で頻繁に目撃されているであろうmomokoさんのコメントから、momokoさんの人となりを、どーかですね、書いてくださいませ。
はい。紹介文づくりをお手伝いくださいませ(笑)


さて、なにを書きましょか…。
夜な夜な、オレの日記のコメント欄を使って延々とチャットを繰り広げている深夜のスナック飲み仲間?(笑)

ずいぶんと男前な方やな、というのは、皆さんもご存知やと思います。オレの日記でmomokoさんと絡んだことのない方でも、それはおわかりかと(笑)

いや、オレもね、最初、どこで知り合ったのかすでに覚えてないんですが…、どこやったかいな?
たぶん、オレの地元の天満コミュで、のりっち☆さんとマイミクさんになって、のりっち☆さんの日記のコメント欄でmomokoさんを発見して、メッセージを出したような…。
そんとき、えらい男前のオバハンがおるなあ(笑) と、そんな印象やったんですわ。

京都の宇治にある進学塾で、アルバイト講師をしていた同志社大生が、小学生の生徒を殺害したでしょ。あの事件の直後で、その事件についてコメントしていたのが、momokoさんだったんですよね。
そんとき、momokoさんは、たしか、同志社大生のアルバイト講師を非難しながらも、なお、「あっちへ行ってよ!」と先生に向かって平気で言えるようなこの生徒は、躾がなってないと、そこへ着目し、そのようにコメントをされたのでした。

あのね、オレがその典型やと思ってくれたらいいんですが、mixiで社会問題に言及する人って、ロクなもんじゃないですよ。自分の身に関係ないことをね、さもエラいこっちゃ!みたいに騒ぎ立ててね、自分は安全圏にいてエラそーに言うなんてのは、ロクなもんじゃないですよ。
遠い国の政治問題ほどキレイに苦悩出来る、という至言もありますしね。

でも、momokoさんは、違いましたね。
自分の身に振り返って、常日頃、子育て奮闘記を地で行ってはる我が身と照らすからこそね、躾がなってない!という感想も出てくるんですよね。
そこが気に入りましてね、マイミクさんになってください、と。
家、近所やし。
業界、微妙に被ってるし。

そっから、濃厚な日々が延々と続いているのは、皆さんご存知の通り(笑)

リアルの知り合いやと思ってらっしゃる方も多いみたいなんですが、mixiで知り合ったんですよ。
お互い、近所に住んでるんですが、初めてお会いしたのはマイミクさんにしてもらってから半年後の昨年4月。それも、共通のマイミクさんでもあるかずさんの仲立ちで、皆で飲み会を実現してもらったもので、両者が自発的に会ったわけではないんです。その次は、これまた半年後の10月。こんときは、時代祭にお誘いいただいて。そのあと、寧楊さんのお店でお会いして、なんだかんだで、3回しかお会いしてまへん(笑) だから、お会いしたのは知り合って1年半で3回だけの、実生活では、うっす~い付き合いですわ(笑)

男前というか、向こうっ気が強くて、行動力があって、姉御肌で…、そういう方です。
オレと考えかたが決定的に違うところもあるから、延々と喧嘩してるときもありますし、一歩も引きまへん。バッサリ斬らはるときもあるから、だから、怖いでっせ! 感情の振幅も激しいですしね。
そういう方やということは、皆さんもご存知でしょうが、そういう人って、ほら、一皮むいたら、じつは婦女子さんらしい弱さを持っているもんです。
表に出ている男前っぷりは、奥に婦女子さんらしい弱さを持ってるからこそ、ですね。
momokoさんも、じつは、そういう人。

ここがわかればね、momokoさんは、かなりおもろくてチャーミングな人ですよ!

そもそも、彼女は、そうしたことも隠さないですけどね。
普通、隠すんですけどね。
隠して、見抜かれて、オロオロするのが、オレの経験上、よくあるパターンなんですがね’(笑)
でも、momokoさんは、ときどきではあるけれども、そういうのをちゃんと出しますから。

完璧主義者で、なんでもかんでもちゃんとやらんと気がすまん人なんですが、ま、人間誰しも、なんでもかんでもちゃんとパーフェクトに出来るなんてことはないので、それで落ち込んだりしてはりますわ(笑)
そーゆーことも、ちゃんと表に出さはるところがね、かわいいというか、素敵というか。
そないに頑張らんでも、と、外野は微笑ましく見てます。

しょーもないことにも気をとめて、グダグダ言うてはるときもありますし。ま、そこはオレも人のことは言えませんが、そーゆー側面も、momokoさんにはちゃんとありますねん。よくも悪くも、婦女子さんやな、と。

万葉に思いを馳せる、永遠の乙女でもあります。
そりゃオレも歴史好きですが、奈良の時代は遠すぎます。オレは、平安までいいところです。それでも、オレのマニアックな神社仏閣話に付き合ってくれますねん。まあ、奈良時代だけじゃなくて、奈良からこっち、昭和・平成まで、頭のなかに年表が入っている人ですから。

もともとがスタイリストさんやから、それもスタイリストという職業が完全に黎明期にあったころに、苦労してスタイリストという職業を確立させた人ですから、テレビに出てるタレントの服装チェックにもうるさいです(笑)

親バカ…、基、過保護っちゅーか(笑) 一粒種の小太郎クンのことを四六時中気にかけてる、お子が可愛くて可愛くて仕方がない、なかなか子離れ出来ないおかあさんでもあります(笑) お子が嫁さんを連れてきた日には、mixi premiumの割り当て容量すべてを消費するまで文句を書くほうに、オレは米100俵賭けてますから(笑)

お姑さんほか、天○教を巡る、理不尽なドタバタに付き合わされ、それすらも完璧にこなそうと頑張ってはる、きちんとさんでもあります。

家のなか、カントリー調の家具で着々と統一されていってはります。そのうち、大阪中をカントリー・チックに変えてしまいかねん勢いです(笑)

もちろん、日本の古きよき伝統をこよなく愛し、この国の行く末を真剣に案じている、怒れる庶民代表でもあります。

……
まだまだなんぼでもあるんですが、これ以上書いても、おんなじことはmomokoさんご自身がトップページで自己紹介がてら書いてはるし、ほかのマイミクさんがそれこそ紹介文で書いてはるやろうから、これくらいにしときます。



この人、ちょっと怖いな~、と、ビビってはるそこのマイミクさん、大丈夫ですわ。momokoさんは、根が乙女ですから(笑)

だからね、

怖れずに、皮をむいてみてください。
なかはロマンチックな桃色ですから。



そんなわけで、今日は、momokoさんの大好きなのを。


ビリー・ジョエル / 『ピアノマン(The Very Best of Billy Joel)』

2007年3月12日月曜日

『女はみんな生きている』


久しぶりに、お仕事でDVDを観る。
いや、爽快! スッキリしました! まさにまさにまさに、こんな映画が観たかったのでした!

ハリウッド映画や日本映画の、その細部に宿るさりげないジェンダーの保守性に、どうにも辟易することが多いんです、オレ。
男の役割とか、女の役割とか。きらいなんですわ、そんなん。名作やヒット作といわれる映画に往々にして見受けられる、ステロタイプな役割に甘んじる男女…。それって、単なるアホやん!といった類いのヒーローやヒロインが多過ぎるんですよ。まあ、音楽同様、観衆が安心出来るところにカネはついてくるということですかね。サラリーマンと専業主婦、子供2人の「健全な家庭モデル」を頑なに保ち続けるためには、あまり刺激や毒が強過ぎてもダメってことですか(笑)
安寧秩序どこ吹く風のブニュエルやアルモドバルが日本でさほど売れないのも、むべなるかなです。

でも、人生も世界も、そんな具合に簡単には出来ていません。

原題は『chaos』。
名付けられた邦題は『女はみんな生きている』なんですが、むしろ、「男はみんな死んでいる」とでも言いたくなるような、男どもの堂々たる情けなさっぷり、バカっぷりが描かれてます。
こう書くと、世の大方の男どもは尻込みするやもしれませんが、非日常的悲劇的事件を描きながらも、喜劇的な、あるある、この感じ~☆のオン・パレードです。
偶然の出会い、笑い、涙、スリル、アクション、先読み不能な展開、感動…。いや、全部詰まってるなあ☆

子育て奮闘記の名作『赤ちゃんに乾杯!』や、黒人掃除婦と白人実業家の滑稽な愛の行方を描いた『ロミュアルドとジュリエット』など、女性喜劇監督のコリーヌ・セローが描く物語は、どれも極上の人間讃歌です。
人生に同居する悲劇と喜劇が、バビロンのカオスを洗い出してゆく、えもいわれぬ痛快な小気味よさに、男のオレは断然拍手を送りたいですね。マチズモも自称フェミも、全部粉砕してくれ!

舞台はパリ。主婦エレーヌ(カトリーヌ・フロ)は、夫のポール(ヴァンサン・ランドン)とわがままなひとり息子ファブリスから、ほとんど家政婦扱いされている毎日。
ある夜、エレーヌとポールがディナー・パーティへと車を走らせているとき、通りを血塗れの娼婦ノエミ(ラシダ・ブラクニ)が必死の血相で駆けてくるんですわ。ノエミは殺気立った数人の男たちに追われ、殴打されてます。開けて! お願い! 車の窓ガラスを叩き、助けを求めるノエミ。でも、筋金入りのことなかれ主義者のポールは、即座にドアをロックし、救急車を呼ぼうとするエレーヌを制止、血の付着した車を洗車するために走り去るのでした。

翌日エレーヌは、病院をしらみつぶしにあたり、ノエミの行方を突きとめます。集中治療室で瀕死の危篤状態にあるノエミの凄惨な姿を見たエレーヌは、どうしても立ち去ることが出来ず、家庭も仕事も放棄して、そのまま病院に泊り込みで介護をはじめるのですよ。

で、病院の周辺をうろつく売春組織……。

一転、エレーヌの不在に怒りわめくダメ亭主とドラ息子……。

エレーヌの献身的な介護により回復してゆくノエミは、次第に、アルジェリア移民である自らの複雑な生い立ちを語りはじめます。政略結婚からの逃亡。売春組織との出会い。ヘロイン浸けの娼婦の日々。大富豪から騙し取った莫大な遺産。その遺産を横取りしようとする組織……。

そしてついに、ノエミとエレーヌの宣戦布告、全面戦争がはじまるんですけどね♪

平凡な主婦であったエレーヌは、会社経営者である夫と何不自由のないリッチな生活を送っていたわけです。でも、すべてを持っているようで、なにも持っていない空虚な生活。
その空白を埋めるがごとく突然現れたノエミによって、エレーヌがいよいよ自らのために人生を生きようと思い立つんですわ。

自分勝手で無感動な仕事人間、しかもその厄介さにまったく気づいていない間抜けな男たち。常に解放されるべきは男たちであることを、声高に訴えるでもなく、絶妙なストーリー・テリングのサスペンス・コメディ・タッチでさりげなく提示してみせるセロー監督の、切っ先鋭いセンスが、じつにじつに冴えてます。要するに粋なんですね。しかも演出の上手さか、ダメ亭主が、どこか憎めない(笑)

「こういう男性は、とにかくいっぱいいます。忙しそうにしていて、実際はなにもしていない。私は彼らを描くだけでジャッジしているわけではありません。私は、男性をかわいそうだと思うことがあります。男らしくしろ、強くなれと言われて……。(中略)女性のなかの男性的なところは仕事で出すことが出来ます。ところが、男性が女性的なところを出すことは認められない」
「私たちが生きている社会のいろいろな状況の一部を切り取りたい。そのうえで、娼婦の問題、家庭の問題、移民の問題、マフィアの問題などといった社会的な意図も込めたかったのです」

監督のコリーヌ・セローは、そんなことを言ってます。

娼婦ノエミ役のラシダ・ブラクニの、知的で凛とした美しさやスタイル、俊敏なアクション(なんと陸上のフランス代表!)も魅力なんですが、なんといっても、主婦エレーヌ役のカトリーヌ・フロの、悲喜こもごもあわせ呑んだ演技に目が行きっぱなしでした。彼女が主役でキャスティングされた映画を、ぜひぜひ観たいです!

静かな余韻たたえるラスト・シーンの力強さ。
気持ちのいい苦味。
再生への希望。

もっかい観ます! 3回は観れます☆

公式サイト(なんちゅーURLや! 笑。)
関西より東は、終わっちゃってます…。。。




super junkey monkey / Bucking A Bolt



睦美ちゃんが亡くなって、もう何年になるんかなぁ。。。

2007年3月11日日曜日

値段をつけるということ

相方さんの作品を売ってくれるというお店が現れまして、めでたく商談がまとまったらしいんですがね。

商談の中身をつらつらと聞いていたんですが…。
材料費がこんだけかかったから、同額の製作料、小売店のマージンも同額にして、下代がこれこれ、上代がこんなかんじ、と、まあ、そういう値付けをしたとのことです。
要するに、材料費=製作料=小売店のマージンってことですから、まあ、至極常識的な値付けではあります。

ただね、今からこんな値付けをしていたら、ダメですね。
なんで、つくり手の都合で値付けをするかね。。
ユーザーの視点が、まったく抜けてるじゃないの。

もはや常識ですが、値段の決定権は川上にはなくて、川下にあります。
コンビニが、この値段でないと売れませんよ!と言えば、メーカーは、その値段でつくることを考えざる時代です。
もう、軽く15年以上前から、そんな時代になってるんじゃないですかね。つくり手が値段をつけられるなんて牧歌的な時代は、とっくの昔に終わってます。
だからこそ、定価じゃなくて、メーカー小売り希望価格であり、オープン価格のわけで。

作品であっても、それは売られるわけですから、市場に出た瞬間から、それは商品です。
商品には、いうまでもなく、値段がつきます。
作品をつくる人って、その作品にはいろんな想いを込めて、いろんな能書きを垂れますけど、案外と値付けには無頓着ですね。
こんだけかかったからこれくらいの値段かな~、とか、こんくらいの値段だと買ってくれるかな~、とか、まったくなんの根拠がない(笑)

値付けというのは、作品をつくるのと同等かそれ以上に、じつはつくり手のメッセージを込めることが出来ます。
たとえば、ロッキンオンという雑誌があります。
あの雑誌は、35年ほどまえに創刊しましたが、その当時、たしか280円という値段をつけていました。
先発の音楽雑誌が、軒並み500円だ700円だという時代にです。
たかだかロックの雑誌に、エラそーにそんな値段で売ってるんじゃない!っていうのが、まず、あったんですね。最初に値段があって、その値段で売っても儲かる仕組みを考えて、既存の雑誌以上のクオリティを出してやろうじゃないか、というのが、あの雑誌が最初に放ったメッセージです。既存の音楽雑誌を否定するところからスタートした雑誌ですから、そういうメッセージを、値付けに込めたわけです。

エルメスの大判スカーフが、なぜ38,000円もするのか。
それにだって、意味があるはずです。
エルメスの大判スカーフに価値を見出し、その値段で買い、身にまとうことに満足感を覚える人に向けて、メッセージを放っているわけです。値段がそのままメッセージであり、そのメッセージを受け止める人だけを対象に、エルメスは商売をします。

おなじクオリティのものを、利幅をさげて、べつのメーカーが半額の19,000円で売ったとしたら、それは、訴求する対象が違うということです。

38,000円のスカーフを100枚売ったら3,800,000円の売り上げ。
19,000円のスカーフを200枚売ったら、やっぱり3,800,000円の売り上げ。
おなじ売り上げですが、商売の仕方が違い、訴求対象が違い、モノの考えかたが違います。

子供に向けたニット帽をつくったとして、それを、子供に、お小遣いの範囲で買って!という商売をするなら、200円がいいところですかね。でも、お母さんに売ったら、2,000円で売れます。おばあちゃんを相手に商売したら、20,000円で売れるかもしれません。
おなじ商品でも、誰を相手にするかで、値段を変えることが出来ます。

熱帯に住む人には、モノが腐らないです!とメッセージを込めて、冷蔵庫を売ります。
アラスカに住む人には、モノが凍りません!とメッセージを込めて、冷蔵庫を売ります。
おなじ商品でも、込めたメッセージが違うなら、訴求対象が違ってきます。

要は、誰を相手にどういうメッセージを込めて商売をするかということなのですが、なにも、難しく考えることはないんですよね。
つくり手さんに、商売だ経営だビジネスだといっても腰が引けるだけだろうけれども、なにも難しく考えることはない。

商売というのは、売り手と買い手が等しくハッピーになる、五分と五分の取引のことです。
買い手は欲しい商品を納得出来る価格で手に入れてハッピーになる、売り手は売りたい商品を納得出来る価格で売ってハッピーになる、これが商売です。
どちらか一方だけがハッピーになる取引ではなく、売り手と買い手の双方が等しくハッピーになる取引、そえれが商売です。

では、あなたは、誰をハッピーにしたいのか。誰をハッピーにすることによって、自分がハッピーになりたいのか。
それを考えればいいわけです。

相方さんのホームページには、
「単なるモノではなく、それぞれの人の歩調にあわせて、服もその人ともに歩んでいけたら…」
と、書いてあります。
でも、それは、どこのどんな人に向けたものなのか。
そこを突き詰めてみると、このメッセージも、雰囲気だけの抽象的なモノ言いで、単なる言葉遊びでしかないことがわかります。

誰に向けてどんなメッセージを放つのか、ということは、とりもなおさず、自分がどんなことに価値を置くのかという表明と、おなじ価値を持つ人を探すという行為に、ほかなりません。

まず、自分がなにに価値を見出す人間なのか。それを見つめること。
それが具体的に見えれば、放つメッセージは明快になります。メッセージが明快であればあるほど、具体的であればあるほど、それは、訴求すべき対象に届きます。

届けば、勝手に寄ってきます。類は友を呼ぶのだから、寄ってきます。
あとは、あなたの周りに集まってきた人とあなたが等しくハッピーになる価格を、探っていけばいいわけです。

じつは、この段階に来て初めて、値付けというものがとんでもなく難しいものであると実感することが出来るのですが、(マクドナルドが、ハンバーガーの値段をどれだけコロコロ変えていることか!)それ以前に、この手順を踏まえておかないと、うどん屋にうどんを売りつけるような、頓珍漢な商売になります。

2007年3月10日土曜日

スピリチュアルっぽく言う


『オーラの泉』(美輪さん…、あんな胡散臭い番組に出ないでください…)なんかの影響でスピリチュアルが花盛りの現代日本においてですな、「スピリチュアルっぽく言う」技術は、もはや、サバイバル術の必須科目のひとつなんじゃないですか、と、神戸の編集部に巣食うアホウな部下が言うのですよ。

いや、今度、スピリチュアルな方(笑)とメシを食わねばならんので、なんの話をしたらいいんかいな、と、ちょっと相談してみたら、そんなことをのたまう。。。

それじゃあさ、普通に発言してたら、意識の低い人とレッテルを貼られてしまうじゃないですか(笑)

なので、ちょっと練習。ほら、転ばぬ先の杖と言いますからね。

×低意識「このカフェは、雰囲気がいいですな」

普通です。普通過ぎます。こんなことでは、美しい国を築くことなんて、夢のまた夢です。

○高意識「このカフェは、波動がいいですな」

雰囲気を波動と言い換えるだけで、見えない世界が見えるような気がしてきます。この「波動」を「エネルギー」「エナジー」と言い換えてもOKですかね?

×低意識「あの人と一緒にいると、ムラムラする(性欲が高まる)」

下品です。下品過ぎます。こういう表現では、叶う恋も叶いません。けしからんです。

○高意識「あの人と一緒にいると、第一チャクラが活性化する」

ちょっと聞くと、なんのことかよくわかりませんが、要するに生殖器が疼くということです(笑) 東福寺の紅葉くらいキレイな表現です。

×低意識「今日のあなたは、元気そうですね」

もはやはじまりがこんな挨拶では、弾む会話も弾みません。

○高意識「今日のあなたには、8次元に降臨した大天使ミカエルのエネルギーを感じます」

素敵です。素敵すぎます。

ミカエルって天使だったかどうかすら知りませんが…(笑)

近々、そういう人と会ってメシを食わねばならんので、今から練習してます。こんなんでいいんでしょうか?(笑)

2007年3月9日金曜日

愛花夢


最近、我が家の近くにオープンしたカフェなんですけどね。

愛花夢…。
I COME
と、読ませるらしいんですが…。

平成19年3月現在、こんなセンスでやっていけるのか?(笑)
我が家の近く、目一杯都会なんですけどね。。。
絶対に行きません☆

もっとすごいのがある!という方は、コメントどーぞ☆

2007年3月8日木曜日

韓国恋愛事情

韓国のカレンダーから。


1月14日 ダイアリーデー
1年間使う手帳を恋人にプレゼントする日。

2月14日 バレンタインデー
好きな男性に愛を告白する日。

3月14日 ホワイトデー
日本だけじゃなかったのね。。。

4月14日 ブラックデー
2月と3月になんのプレゼントもなかった人が、黒い服装に身を包み、真っ黒な食べものであるチャジャンミョンを食べる日。そのときに出会ったカップルが意気投合してカップルになることも…。

5月14日 イエローデー&ローズデー
ブラックデーまでに恋人ができなかった人はこの日に黄色い服を着て、カレーライスを食べないと恋人が出来ないといわれている。
また、5月はバラが満開の季節。相手との関係を発展させるために雰囲気のいいデートが必要ということで、バラ祭りにひっかけてローズデーがつくられた。

6月14日 キスデー
5月のローズデーを無事に乗り越えたカップルの当然の順序であると、キスデーがつくられた。

7月14日 シルバーデー
お互いに銀製品をプレゼントするシルバーデー。
銀を意味するシルバーと、年長者を意味するシルバーの2通りの意味を引っかけてあって、つまり先輩たちがデート費用を捻出してくれる日でもあり、周りの人たちに自分の恋人を紹介する。

8月14日 グリーンデー
蒸し暑い夏に涼しい山に行き、森林浴をする日。
その一方で、まだ恋人がいない人たちが「グリーン」という名前の焼酎を飲みながら、お互いに慰めあう日。

9月14日 ミュージックデー&フォトデー
クラブなど、音楽があり、友だちが集まっているところで、恋人を公式化する日。
また、晴れた秋空のもと、恋人同士で写真を撮り、それぞれの手帳に挟んだりする。

10月14日 ワインデー
雰囲気のいい秋に、恋人とワインを飲みながら2人だけの特別な時間を過ごす。
少し厳粛な日。

11月14日 オレンジデー&ムービーデー
恋人と一緒に感動的な映画を観て、ほんのりと甘いオレンジジュースを一緒に飲む日。

12月14日 ハグデー
恋人同士で抱き合うことが許される日。
恋人同士の抱擁が許される。2月に出会い、恋人同士になった2人。
これで寒い冬も暖かくすごすことが出来る。


さすがは恋愛大国・韓国! 本気か?(笑)
こんなもんが日本に上陸した日には、オレ、海外逃亡しますから。
毎月毎月14日は仕事にならんではないですかっ!
12月とか、まったく意味がわかりません…。


なんか、流行ってるらしいですな。名前が奮ってます☆


ナイス橋本 / キンミライ



ものすご~く聞き覚えのあるトラックなんですが、元ネタはなんだろか?『キンミライ』。

2007年3月7日水曜日

相方さんのポスター撮影秘話



相方さんも最近ではいろいろ手を広げてまして、某カルチャーセンターのニット教室の講師なんてのもやってます。
でも、月給制ではなくて、自分で生徒さんを集めて、生徒さんの人数によって手取りがなんぼになるか、ってかんじで。
んで、たまに、生徒さん集めのために、センター主催の体験教室みたいなのをやってくれるらしいんですが、今日、その体験教室の告知用ポスターのための撮影を行ったのでした。

まあ、例によって、オレがアート・ディレクター兼コピーライター兼カメラマン兼進行係兼雑用みたいなかんじで、1人5役とかの重労働を仰せつかまつるんですけどね…。

ポスターのコンセプトは、自分でつくったニット作品を身にまとって春の日だまりのなかをお散歩♡ ってかんじなんですが、カルチャーセンターのニット教室なので、応募してこられる生徒さんは、40代50代の主婦さんたちが主なのですね。なので、その層に受け入れられるもんにせなあかんわけですわ。

スタイリッシュすぎてもあかんし、モデルは若すぎてもあかんし…。
ブツはちょいダサめ、モデルはターゲット層と同年代。

40代50代でモデルやってくれはる人なぁ…。
ここ、ちょっと難航してたんですわ。
「Aさんは?」
「あんなオバハンはアカンやろ~」
「Bさんは?」
「絶対にイヤって言うやろし、ウチも頼みたないし…」
「Cさんは?」
「ケバケバやん!」
「Dさんは?」
「え~っ……」
「Eさんは?」
「…………」

オレと相方さんの会話ですが、さて、問いかけをしているのはどっちでしょう?

まあ、そういう作戦会議を経てですな、お願いすることになったのは、マイミクさんのNさん(この数時間、ご本人と連絡がつかんので、イニシャルにせざるを得ません。笑)☆
N
Nさんには、ふたつ返事で快諾してもらったんですが、えーんでしょうか? カルチャーセンターの受付の後ろに1枚貼るだけのポスターに、ほんまもんの女優さんを駆り出して(笑) しかもギャラ、出世払いやし(笑)

ただ、同年代で、ちょいハイソで、ワンランク上の生活をしていて、憧れられる存在ってことではイメージ的にぴったりなんですが(あくまでイメージ!)、Nさんは、ちょっとキレイすぎるのが難点やったんですけどね。
あんまりキレイな人がモデルで出てると、作品に目がいかずに、モデルさんのほうに目がいってしまって、こんなん私には無理やわ~、ってなってしまうことだってありますからね。

んで、撮影当日。
相方さんが、Nさんに身につけてもらう作品をそのときに初めて実際に見たわけですが、いや、これがまた、じつにダサい!(笑)
体験教室ではその作品をつくってもらうことになるので、初心者でもつくれるもの&おばちゃんウケするものってことで、必然的にある程度おばさんチックになってしまうんでしょうが、それにしても、これをNさんに身につけてもらうのか~(笑) オレ、腹のなかでかなり笑ってましたね。結構、アンバランスですから。全然似合ってないんだ、これが!

とはいえ、そこはプロ。なんとか着こなしてもらってですな、無事にというか、ソッコーで撮影は終わりました。

いやいや、Nさんにはかなりお世話になってましてね。
相方さんも、モノヅクリで食べていく人生のやっと緒についたばっかりで、オレが教えてあげられることもたくさんあるんですが、オレが教えられないものも、じつはたくさんあるんですよ。
そのあたり、相方さんをNさんにピッタリとはりつけさせて、いろいろ吸収してもらってます。

最近、相方さんとNさんさんとオレの3人でお茶したりゴハン食べたりすることが多くて、余計にそういうことを感じますわ。
男だと教えられんことって、たくさんありますね。
またこれがね、オレが言っても聞かないくせに、おなじことをNさんが言うと、聞いたりするんですよ。

困ったもんです(笑)

あ、画像は、左がポスター用に撮影したNさんのひとコマ。真ん中が、ちょっと隙を見せればすぐに遊ぶ相方さんです。まったく困ったもんです(笑)

2007年3月6日火曜日

重森三玲邸に行く

先週に引き続き、またしても重森三玲です。もう飽きた!って人、これで最後なので、も少しだけお付き合いくだされ(笑)

こないだ、重森三玲の作庭した庭について書いたんですが、早速、重森三玲美術館というか、重森邸なんですが、行ってきました!

2、3年前にシャープのAQUOSのCMに、ここの庭が使われたとのことで(←まったく記憶にないんですが…)、それを機に、クリエイターを中心に注目が集まっているらしいです。集まっているらしいのですが、まだまだマイナーな存在。完全予約制なのですが、お天気とにらめっこしながら前日に予約を入れたら、すんなり予約が取れてしまいました~。

京都は吉田山の麓にありまして、京都大学のすぐ南なんですが、なんやしらん、迷いもって行きました。土地勘、ないんです。

予約していたのにもかかわらず、這々の体で到着したときは、すでに10分遅刻。
もともとが、吉田神社の社家である鈴鹿家のお住まいの場所だったので、吉田神社の表参道に近いところにあるとは思っていたんですが、そうじゃなくて、裏参道に面しているのでした。普通に住宅街だし、なかなかわかりづらいです。。

吉田神社というのは、都が奈良の平城京から長岡京を経て平安京に移ったとき、平安京の鎮守神として、清和天皇が藤原家に命じて創建した神社です。
平安京の鎮守といっても、世は藤原家謳歌の時代ですから、藤原家繁栄のための鎮守とも言えるんですが、ま、そこまで言うと意地悪ってもんですかな。

で、藤原家の分家でもある近衛家をスポンサーとして、鈴鹿家が吉田神社を取り仕切り、裏参道に社家も建築してもらった、というのが、現・重森三玲旧宅/重森三玲美術館の建物です。
ですから、このあたり、近隣の家の表札を見ると、鈴鹿姓だらけです。

建物自体は、何度かの火災に遭っているのでしょうが、平安の時代からのものではなく、江戸時代の遺構。それでも、格式のある社家建築の趣を伝える遺構はとっても貴重です。

近衛家といえば、第2次大戦時の首相、近衛文麿が有名ですが、京都大学に通っていた際に、この家を下宿にしていたそうです。
下宿といっても、鈴鹿家にとっては大スポンサーである近衛家の御曹司を迎えるわけですから、一番いい部屋を用意し、箸の上げ下げまで奉仕したということですが。

そういう格式のある家も、ま、経済的な事情から売りに出されるわけです。そこを、重森三玲が買い求めたということですが、もちろん、そういう邸宅ですから、金銭の多寡で売り先が決まるものでもなく、買い求めた後になにをどう改築するのか、どのように使っていくのかなどの聞き取りを経て、売却先が重森三玲に決まったのだとか。

ところで、この邸宅が重森三玲の手に渡って以降、彼は、自らの設計で新たにふたつの茶室を建て、書院前庭、茶庭、坪庭をあらたに作庭しています。特に、書院前庭にはもともとの庭があったのですが、それを壊し、ランドマークとしての役割を果たしていた松の木すら抜いた、ということです。
おかげで、この場所は新旧融合の大変に珍しい邸宅となっているのですが、ついでにいえば調和もしているのですが、かなり大胆な改造を施したわけです。
裏を返せば、それを鈴鹿家が許したということでもあるのですが、そうした大胆な改造を許可させてしまった重森三玲のプレゼンテーション能力は、かなり高かったのだな思います。

造園業界というところは、伝統に重きを置きすぎるきらいのあるところでして、そのせいもあって、大胆な作庭をする彼に対する風当たりは、相当にキツかったと、言われています。
そのせいで、今でも彼の著作物や彼について書かれた本は、そのほとんどが絶版になっています。(最近、スイス人の研究家が、彼の作庭した庭を論評した本を上梓しましたが、英語です)
それでも、東福寺や松尾大社、大徳寺をはじめ、大小さまざまなお寺や個人邸宅に、なんだかんだ言って100以上の作庭をしているのだから、業界の外で、かなり認められていたということにもなります。

そのあたりのことを伺うと、池泉廻遊式庭園を造る作庭家はたくさんいたけれども、白砂川と青石の石組みを得意とする作庭家が重森三玲しかいなかったのが幸いし、彼のもとに注文が殺到したという側面もあったのだとか。

ということは、昭和の時代に、日本を代表する庭園表現である枯山水を作庭する作庭家がいない造園業界の伝統ってなんなのよ?って話ですが…。

なんだか、背景の話に終始していますが、なにはともあれ、見てきたのでした。

メインの書院の庭は、中央に蓬萊島、東西に方丈、瀛州、壷梁の三島を配した枯山水庭園で、枯山水でありながらも宗教性をほとんど感じさせない、趣味の庭といった趣です。
白砂川は大海、そこに浮かぶ4つの島というのは、日本庭園の基本中の基本ですが、なにを表現しているかというと、ぶっちゃけた話、理想郷というか桃源郷というか、極楽を表現しています。

オレは熱心にあれやこれやと質問攻めにして当主と話し込んでいたのですが、相方さん、よくお眠りになられてましたわ(笑)
前日の夜更かしがたたったのでしょうが、陽光もよく、気持ちのいい景色をまえにして、夢見心地になったんでしょうな。そういう、夢見を誘う庭ですね。無心になったりなにかと対峙したり、というのは、じつは重森三玲の庭の特長でもあるとオレは思っているのですが、この、自室の庭は、どうやらそうではなくて、力強さを感じさせながらも、どこかほっこりとさせるものがあります。


帰り道、吉田神社に立ち寄るために、吉田山を登りました。
橘が満面に花を咲かせていて、近づくと、濃厚な香り。

花びらをお茶に浮かべると、いい気分になれそうやな、などと思いながら、春を感じたのでした。
相方さんの細い目が、素麺みたいになってます(笑)
春眠の季節、です。


2、3年前、シャープのAQUOSのCMで使われ、一躍注目された庭です。



木戸をくぐると、こういう玄関。
江戸時代の社家の様子がそのままのかたちで残っている貴重な遺構です。
玄関前の庭ですが、こんなところに住みたいです~。



書院前の庭です。
白砂川を大海に見立て、4つの島が浮かんでいる風景を、築山と青石で表現しています。
蓬萊の庭といいます。


書院左手にある祠。
この家は、もともとは、吉田神社の社家である鈴鹿家が住まれていました。
吉田神社は、平城京から長岡京を経て平安京に都が移った際、藤原家を祀るために、藤原家の分家である近衛家が創った神社です。
その、近衛家を祀っているのが、この祠。庭に祠が存在するのは、極めて珍しいのだとか。



濡れ縁のすぐ下、庭の際は、このように曲線が多用され、波を表現しています。
重森三玲が好んで用いた表現で、彼の作庭した庭の多くに、この表現が見られます。



書院の襖。
大胆に波が表現されています。モダンですね。



ここは予約制なので、ちゃんと説明がつきます。
オレは熱心に説明を聞いていたのですが、相方さんは前日の夜更かしがたたってか、すっかり眠りこけておりました。
ようやく起きて、髪を直してます(笑)



すぐ近くの吉田神社にも行きました。
吉田山をのぼっていく途中に見つけた風景。
家が先か樹が先か…。



葉を見るかぎり、橘…だと思うんですが、花弁が赤すぎるのが気になります。
花を近づけると、濃厚な香りがします。

2007年3月5日月曜日

赤ちゃんポストをどう思いますか?


熊本市の慈恵病院が「赤ちゃんポスト」の構想を打ち出したのが、昨年末。
先だって、厚労省は、事実上、これを容認しました。今、熊本市が、これを容認するかどうかを検討しています。

オレがかかわっている教育委員会でもこの話題がチラと出ましたが、まーったく話がまとまりません。

当然のごとく賛否両論噴出してますが、どうなんですかね?

育児放棄を助長するのは間違いないだろうし、かといって、赤ん坊の生命を守るのは最優先だし。
それ以前に、安易に妊娠・出産する母親の教育を、という意見もあるし。

現実的に喫緊の問題となっていることへの対応策の是非と、中長期での問題の取り組みが、それこそダンゴ状態になって、百花繚乱、ありとあらゆる意見が噴出してます。

赤ちゃんポストの是非は、オレにはよくわかりません。
発案としてはすごく斬新だし、少なくとも、育児放棄を巡る問題を議論するきっかけにはなったな、くらいの、呑気な意見しか吐けそうにありません。
赤ちゃんポストの先進国ドイツでは、賛否両論ありながらも、すでに80ものゆりかごが設置されているとのことです。
でも、ヨーロッパにはカソリックの精神が息づいているし、それこそ、そうしたことを修道院が担ってきた歴史もあります。

ごめんなさい。ちゃんとした意見が、言えません。

ゆりかごは人目につきにくい病院の東側に扉をつくり、内部には適温に保たれた保育器を設置する。ここに赤ちゃんが置かれると、待機中の看護師のブザーが鳴って駆けつける。
扉の前と保育器には、母親に宛てて「秘密は必ず守る。とにかく病院を信じてまず相談を」という内容のお知らせと手紙も置く予定。母親が名乗り出て、自ら育てるか、親権放棄して里親に引き取ってもらうかを決めてもらう。これが大原則。名乗り出てくれない場合は、警察や市役所、児童相談所などと連絡を取ったうえで施設に引き渡す。

これが、仕組みの概要です。

オレは、縁あって、ネパールの貧村の子供たちの里親をやっています。
毎月いくらかのお金を送金し、毎月、日々の暮らしをしたためた手紙をもらっています。
この、里親制度とはずいぶんと違う印象もあります。

皆さんは、どう思われますか?
ご意見を、聞かせてください。



ドロレス・ケーン / Gray Funnel Line

2007年3月4日日曜日

地蔵院に行く

2月、なんだかんだで7、8ヶ所くらいの神社仏閣をまわってまして、いかに仕事をしていないかっちゅー話なんですが、暖かい日が続いているので、またしても時間を見つけて行ってきました。といっても今週の月曜のことで、アップするのにすっかり時間を食ってしまいました。ちなみに、相方さんは忙しいらしいので、久々の単独です。

午前中のみ時間がとれそうだったので早朝から出かけて…、と、前日の夜につらつらと考えていたんですが、めぼしいところは行ってるし、3、4時間で大阪に戻ってこないとダメだからあんまり遠くへも行けないし、と思案した挙げ句に見つけたのが、松尾さんの近くにある地蔵院。ガイドブックには載っていない、ちっこいお寺さんですわ。

阪急電車嵐山線の松尾駅を降りて、お酒の神さん・松尾大社から人気の鈴虫寺へ向かって歩くんですが、直前で道を分ちます。
でも、鈴虫寺へ向かう婦女子さんたちと大部分は一緒に歩きますから、なーんかね、それがイヤで(笑)
鈴虫寺はいっつも行列が出来てるからまだ行ったことないんです。行ったことないので、詳しいことも知らないんですが、なんでも、ここのお守りが縁結びに絶大な威力を発揮するとかで、全国から婦女子さんが列をなして訪れてくるんですわ。そこへ、オレ、男子ひとり! もてないクンみたいになってます(笑)
いや、だから、オレは縁も結ばれてるし、鈴虫寺へ行くわけではないからね!と、周囲からの視線に必死で心で睨み返しながら、歩いてました(笑)

んで、そんな這々の体で辿り着いたのが地蔵院。臨済宗の禅寺です。
山門まえにある縁起を読んでますと、一休さんがこの近くで生まれ、幼少時代をこのお寺で過ごされたんだとか。アニメに沿って説明すると、母上さまとわかれる直前まで過ごしたのが、このお寺ってことです。
今年は2月の頭に一休寺に行ったし、なにかと一休さんに縁があります。

夢窓国師が開山とのことですが、お庭は国師作庭ではなく、国師がつくられたのは、ご本尊の地蔵菩薩。でも、秘仏でご開帳ならず、でしたわ。
室町管領の細川頼之の創建といいますから、それじゃ伽藍はたくさんあるんかいな、と思って縁起を読み進めていたら、末寺26寺、領地24ヶ所の一大禅刹にまでなってるやないですか。それでガイドブックに載ってないのはどういうことや!ってことですが、応仁の乱でことごとく焼けて、今、本堂と方丈のほかに、2、3の建造物がある程度の、ひっそりとしたお寺さんですわ。

ただ、境内は、山門をくぐってから本堂までがずずーっと竹林になってましてな、か・な・り、気持ちいいです☆
山門をくぐるとすぐに、竹の青い香りが漂ってきます。あのフレッシュな香りに包まれると、身体が洗われるような気分になります。この日は暖かかったので、なおさら!

京都の竹林といえば、嵐山と大原野が有名ですが、嵐山は車も通るし人が切れないし、ちーっとも静かじゃないです。大原野は静かだけれども、あそこは遠すぎ! だから、このお寺さんで竹林を堪能出来るということを発見したのは、かなりの収穫です。

本堂にはご本尊の地蔵菩薩さんと細川頼之像が安置されているとのことですが、どちらも秘仏でご開帳なし。いつご開帳なのかもわからないんですが、おかげで、このお寺さんで拝見出来る仏像って、ないんですよね。そりゃ、ガイドブックにも載りませんよ。

ただ、お庭はいいです。
こじんまりとしていて、全面を苔が覆っていて、ツツジに侘助が存在感を示しています。枯山水ですが、白砂はどこにもなく、植物と石だけで構成されたお庭です。
羅漢さんが修行している様を表現しているので、羅漢の庭。
お庭の隅に十六羅漢を模した石が配されているんですが、地蔵院の羅漢は男山の八幡宮に願をかけているので、置かれている石も、その方向に少しずつ傾けさせているのだとか。

誰もいなかったので、ベスト・ポジションで、庭を独り占めしてました。
小1時間ほど、横になって昼寝しましたかね。
寒くも暑くもなくて、陽気がよくて、景色のいい庭で、それもいろいろと解釈を必要としないわかりやすい庭で、禅寺というよりも、趣味人の隠れ家に遊びにきたような、そんなかんじです。

午後からは大阪に戻って、深夜まで仕事に忙殺。
束の間の、ノンビリした時間を過ごしたのでした。

見どころは?と問われればなにがあるわけでもないんですが、人も少ないし、気持ちの竹林とお庭があって、ノンビリ出来ます。
こういうお寺さんが、またひとつ手持ちのカードに加わりました。
今度は、秋にでも相方さんを連れて。



一休さんが幼少時代を過ごしたお寺さんです。
竹林が気持ちよくって、訪れる人も少なく、の~んびり出来ます☆
まずは、鈴虫寺の参道の喧騒を離れて、こういう道を歩いていきます。



途中、梅と椿の共演を見つけました。



地蔵院山門です。奥に、竹林が見えます。



山門をくぐると、延々と竹林。
相当気持ちがいいです☆



もいっこ竹林。木漏れ日というか、陽光が気持ちいいです☆
この日は気温16度。春ですね♪



本堂到着です。
応仁の乱でことごとく燃えちゃいましたが、これだけ再建なりました。
秋には紅葉が色づいてキレイでしょうね。



本堂からお庭に向かいます。



方丈から眺める庭園です。
どんな庭園を眺めるのにもベスト・ポジションが決められているのですが、誰もいなかったので、その場所からひとりでずーっと眺めてました。



平庭式枯山水の庭園ですが、十六羅漢の庭と呼ばれています。
置かれている石が、羅漢さんを表現しているわけですな。
地蔵院の羅漢は男山の八幡宮に願をかけているので、置かれている石も、その方向に少しずつ傾けさせているのだとか。
午前中、この庭を眺めながら、小1時間ほど昼寝をしていたのでした。

2007年3月3日土曜日

恋慕とストーキングを分かつものは


ここ何年も、小説は、単行本ではなく文庫本が出るのを待ってから読みます。
文庫化されるスパンが短くなってきているし、良質の小説もガンガン減ってきているので、文庫本でじゅうぶんだと思うからです。
ただし、新人作家のデビュー作は出来るだけ単行本で読むようにしています。フレッシュさが命ってところはあるから、文庫化されるまで待っていたら、色褪せてしまいます。
それでも、読んでみたいと思わせる新人作家のデビュー作もあまりなくて、ましてや、本棚に残しておきたいなあと思う新人作家のデビュー作なんてのはもっとなくて、ほとんどは、読後すぐに古本屋行きです。

昨日、森見登美彦という新人作家のデビュー作『太陽の塔』を、読みました。
文庫本です。
3年前に単行本が出たとき、本屋さんで手にとり、かなり触手を動かされたんですが、ギリギリで買いませんでした。きっと、アンテナが違う方向を向いていたんでしょうね。
で、今、文庫本が出ているのを見つけて、ちょうどアンテナがピピッと鳴ったので、買いました。

作者がモデルらしい主人公の森本クンは、京大5回生です。
この本、京都が舞台になってるんですわ。
そこが、アンテナに引っかかりました(笑)

北白川別当交差点では角にあるコンビニエンスストアが二十四時間光を投げ、本屋は午前三時まで立ち読み客でいっぱい、山中越えに向かう御蔭通りはへんてこな改造車がびゅうびゅう通る。

私の立っている場所から右を見ると、叡山電車の線路が北東へ延びている。少し先で東大路通と交差し、一乗寺方面へ向かうのである。市街地の中を突っ切るので、半ば路面電車のように見える。あてもなく街をうろついているとき、ふいに目の前の夕闇を叡山電車が駆け抜けることがあった。それはまるで、ごたごたと立て込んだ暗い街の中を、明るい別世界を詰め込んだ箱が走っていくように見え、私はひどく気に入っていた。

こんなかんじ。
京都の街を描写したエッセイは1日1冊くらいのペースで世に出ているような気がするんですが、小説は、そんなにないですな。
具体的に場所がイメージ出来るのがね、きっとそこがアンテナに引っかかったんでしょう。

んで、読み進めるうちに、これ、アタリでしたわ☆

京大生であるところの主人公「私」の独白で物語は進んでいくんですが、この青年は、水尾さんなる2個下の法学部婦女子学生さんの追っかけを日課としていて、それを研究と称してレポートにまとめてるんですわ。

彼女の家に愛車の自転車まなみ号で駆けつけ、「素早く携帯電話を出して、待ち合わせしているのに相手が十五分も遅れているのでむしゃくしゃしている二十歳すぎの若者を巧みに演じ」ながら、彼女の帰宅を待ち伏せるんですよ。

ストーカーですわ(笑)

はい、ストーカー日記です(笑)

でも、「私」は、これをストーカー行為ではないと、断言します。

私の日常は、かつての恋人・水尾さんの日々の行動を観察することに費やされている。
誤解してもらっては困るのだが、これは決して「ストーカー行為」などではない。
私のように頭脳も人格も性格もずば抜けて優秀な人間が、
なぜ彼女ごときに袖にされたのかという疑問を、客観的かつ科学的に解明するための「研究」なのである。
今日も私は愛車・まなみ号(自転車)にまたがり、京都の街を走り抜ける。

と、この調子ですな、あらゆる行動が、彼の頭のなかでは正当化されているんですわ。それがまた、豊富なボキャブラリーとイギリス文学的な凝った言いまわしで、展開されるんです。

男子大学生なんてのは、根本的にダサイですな。
理屈っぽくて、情念を持て余していて、カネがなくて、力もなくて…、京大生でも京大生でなくても、そのへん、変わりませんな。

独り者にとっては憎悪の対象でしかないクリスマス・シーズンに、頭でっかちの「私」のモノローグは炸裂し、自我がうねりをあげて旋回します。さらに大言壮語、文士的なモノ言いが…、結局のところ、この物語は、大好きだったのにふられてしまった水尾さんを巡る、四畳半の自室と京都市内を舞台にした、小さな冒険譚であり、とどのつまり、降られた男の冴えない真冬の独白小説に過ぎないのですが、古色とした清潔感があり、「私」は、どこまでもダサイです。ただし、そのダサさがこれ以上ないくらいに正しいダサさであるゆえに、読後、爽やかな気分を残します。

禁欲的生活。
この言葉を聞いて、まず思い浮かぶのは、かつての僧坊であるが、そんな彼らも禁欲的生活を維持するために様々な手を弄した。ためしに手を弄することを止めてみれば、途端に世界は輝きに満ち、あまりにも眩しすぎてそれはもはや正視に耐えず、上求菩提下化衆生などと言ってはいられない。かえって手を弄することに夢中になって、本道を忘れる者もいたろうが、我々は彼らの轍を踏むこと避けたいと願っている。あくまで理性を保ち、我々がジョニーを支配するのだ。決してその逆であってはならない。
この美しくも涙ぐましい禁欲的生活を支えるために、欠くべからずものがビデオ店である。隙あらば理性の頸木を逃れようとするやんちゃなジョニーのご機嫌をとり、つねに静謐な心を保つためには、連日のごとく新鮮な具材が必要だ。

ビデオ店でアダルトビデオを借りるのに、これだけの言い訳を要し、そうする自身を正当化して納得しようとするこの情熱と頭でっかちさ加減!

このダサさは、男子大学生の正しきダサさなのだけれども、今、見る影もないような気がします。
このダサさを失ったことと引き換えに、この世のなかは、恋慕を失い、ストーキングにとって代わられたんじゃないでしょうかね。

この小説は、オモロいですよ☆
ハッピーモードの恋愛小説が横行するなかで、救いようのないダサさで展開される妄想モード炸裂の抱腹絶倒モノローグは、異色です。異色ですが、大好きですね、こういうの。
しかも、舞台は京都。その京都の風景が詩的に描写されます。

ま、笑いたい人は読んでみてください。
amazonで「森見登美彦」「太陽の塔」と検索かければ、一発で出ます。

桃の節句の日、男の子は、こんな日記を書くのです(笑)

2007年3月2日金曜日

「オンナが止まって見える!」


最近、モテ期に突入している後輩、31歳♂がおりましてな。
彼曰く、
「オンナが止まって見える」
と。

普通の視力で捉えられないほどのスピードで動いている婦女子さんもなかなかいてないとは思うんですが、止まって見えるらしいです(笑)
川上哲治か!(←おわかりにならん方は、オレのマイミクさんの動く百科事典部所属momokoさんにお尋ねください。笑)

ちなみに、未だかつて、「オンナが止まって見え」たことのないオレなので、モテ期はこれからやって来るということでしょうか?


そうそう、話は少し変わりますが、今日、電車に乗っていたら、淀川の河川敷に、「好きだから待ってる」と、デカデカと書いてありました。ひとつの文字が数メートルの大きさ(笑)
テレビの企画かなにか知りませんが、やるなぁ。初めて見ましたよ、あんなの。

2007年3月1日木曜日

重森三玲と枯山水の庭

重森三玲の名前を最初に知ったのは、30歳過ぎのことでした。

まだ京都の神社仏閣巡りをはじめた頃のことで、東福寺に参拝に行った折り、方丈の、それまでに見たどの庭とも似ていない、斬新でモダンな庭と出会ったのでした。

調べてみると、重森三玲という、昭和の作庭家が存在し、彼がつくったのだということがわかりました。
重森三玲は、作庭でだけでなく、東京美術学校で日本画を学び、茶の湯に浸り、生け花の革新を唱えて「新興いけばな宣言」にも名を連ねた、稀代の芸術家なのだということを知りました。イサム・ノグチは、彼から多大な影響を受けています。

禅寺の方丈といえば枯山水の庭がほとんどセットになっていますが、東福寺の方丈は四方すべてに庭が配されている、日本で唯一の方丈です。
東庭の北斗七星の庭、西庭の大市松の庭、南庭の蓬萊の庭、北庭の市松の庭。どれもこれもが斬新で、既成のスタイルにまったくとらわれていない自由さに溢れています。

この庭こそが彼の作庭デビュー作なのですが、
彼がまだ庭園の研究家として活動していた頃、昭和13年、室戸台風が近畿地方に多大な被害をもたらした折り、東福寺の方丈庭園もまた、激しく傷んだのでした。で、この台風によって庭の修復には困難が予想され、今後の研究が発展しないことを痛感した重森三玲が、作庭に乗り出したわけです。
また、旧態依然とした伝統だけが重んじられ、アートの神髄である自由な発想がまったく無視されていた当時の庭園界にあって、そして昭和期にいたっては将来に誇れる庭が造られていない現実を見るにつけ、彼の芸術家魂に火がついたという側面もありました。

1200年の都にあって、昭和に入ってから造られたお寺さんの庭って、それだけでドキドキしませんか?

といって、彼が、伝統を軽んじているわけでは、ないんですね。
東福寺方丈を例にとると、東庭は北斗七星がモチーフになっていますが、そもそも七という数字は吉兆を示す数字だし、柱石の余材を利用することで、余すことなく使うという、禅の精神を踏襲した庭となっています。
南庭は神仙境を表現しているんですが、蓬萊・方丈・瀛洲、壺梁の四島に見立てた巨石、砂紋による荒波、四方に五山を築山と、モチーフ自体はありふれているうえに、鎌倉以降の質実剛健さを基調にすらしています。それでいて、自由闊達というか、大胆無敵な作庭をします。実際、目の当たりにしたら、仰天しますね。
伝統とモダンのミックスと言ってしまえばそれまでですが、デザイン能力の高さと、肝っ玉の太さを感じずにはいられません。大胆でいて、洗練もされてます。

いつぞや、年のほんのいち時期だけ公開される、東福寺塔頭の龍吟庵を参拝したときのこと。
そこの方丈庭園もまた、重森三玲作庭の庭であると知り、実際に目の当たりにし、なんという庭か!と、仰天したものです。
もうね、巨大な浮世絵を見るような心地でした。石と砂紋だけで、黒雲を切り裂いて龍が躍動しています。

同じく通常は非公開の、東福寺塔頭、霊雲院南側にあるの「九山八海の庭」。
九山八海ですから、これは宇宙全体がテーマです。禅宗においては、宇宙全体といえば曼荼羅という優れた表現がありますが、重森三玲の表現する宇宙は、大胆かつ、不遜です。
同心円の紋様を白砂に幾重にも描き、中心に遺愛石を据えて、須見山とする。
大胆に抽象化され、かつ、豪快で、不遜です。

優れた芸術は皆そうですが、彼の庭をまえにして、のんびりほっこり、という気分を求めるのは、無理というもので。
ワクワクし、ドキドキします。冷や汗や脂汗すら、出ます。鑑賞したり味わったりというよりも、対峙させられている気分です。

先日、時間をやり繰りして、松尾大社に行ってきました。そこにも、重森三玲の作庭した庭があるのです。最晩年に作庭した、遺作となった庭です。
昭和49年着工、50年完成ですから、オレが生まれてからこっちの時代に、京都を代表する神社に庭が造られたこと自体が驚きじゃないですか。歴史ではなく、リアルタイムです。

禅寺ではないので、枯山水ではありません。お寺さんではなく神社なので、浄土式ということもないのですが、松尾大社がもっとも栄えたといわれる平安期を表現しているのだとか。
曲水の庭は、文字通り、曲がりくねった川が庭を貫いています。背後を緑で築山し、手前は敷石で平地を。山から平地を縫うように、縦横無尽に川が曲がりくねっています。そして、川面に突き出た無数の青石。この青石はすべて、杯です。川面を無数の杯が滑るように流れてくる…、なんとも風流で優雅な平安期の風景が、この庭には再現されているのです。そのように、風流ではあるのですが、洗練を拒むような豪快さが、この庭は同時に存在しています。風流と豪快さが同居するそのさまに、呆気にとられます。


さて、重森三玲の庭と出会ったのとときをおなじくして、オレは枯山水にものめり込んでいきました。
何故に、あれほどまでに具象を削ぎ落とし、狂気の世界とでも呼びたくなるような表現が出現したのか、ということです。

調べていくうちに、
枯山水の呼称は、もともとは仮山水であって、それも鉢山に対抗して名づけられたものだったろう、ということがわかりました。鉢山とは、盆山水のようなもので、鉢に盛ったミニチュアの山水のことです。

『作庭記』という本があります。
平安時代に書かれた日本最古の庭園書であり、寝殿造の庭園に関することが書かれていて、意匠と施工法が網羅されているんですが、そのくせに図がまったくなく、すべてテキストだけで構成されているという、なかなかの奇書です。
平安期に書かれた本ですから、枯山水出現以前のものです。まだ、石組みは存在しません。
存在しませんが、本来の庭園作法ではけっしてそこに庭を造ってはならないとされた場所に、石組みが出現した、と、かろうじて記されています。

この、一種、禁断の地に現れた石組みこそが、仮山水です。

真名のオルタナティブとしての女文字である仮名がひっそりと出現したように、真正の山水の矮小化を旨とするのがそれまでの庭園のメイン・ストリームであったなか、仮の山水が試みられ、矮小化の対抗手段としての抽象化が、ひっそりと出現しました。

なぜ、そのようなものが出現したのか。

ひとつの例として、細川勝元が妙心義天を竜安寺の草創に招いたときの高足だった鉄船禅師の試みを、引きます。
般若道人とも称した鉄船は、文明9年の『仮山水譜并序』に、意訳すれば、こんなことを書いています。

そもそも庭園などというものは、資金があればどんなに珍しい樹木も持ってこられるし、各地の立派な巨石だって集められるものであって、そんなふうにして大庭園をつくったからといって、それで風流の心が満足出来るとはかぎらない。
だから、我々のような貧しい者は、資金がないからといって庭園を造れないと諦めることはない。無論、大樹も巨石も集められないから、このたびは工夫して、一石一木をよく選び、これらで小さな石を組み、ここに仮の山水ともいうべき小さな庭を完成させた。
こうして完成させてみると、このような小庭においても五岳を感じることは出来るし、大海を遠望する気分になれるものである。それゆえ、得心のいく庭をつくるには、必ずしも富者豪族ではなくとも、自分のような貧しい者がそれをつくる可能性はじゅうぶんにあったのである…。

この鉄船の言葉は、村田珠光から武野紹鴎に及んだ侘茶の草庵の出現の経緯と、ピッタリと重なっています。
仮山水が貧者の一徹によって生まれた可能性を示すとともに、禅の精神を考えれば、その仮山水がやがて寺院塔頭の枯山水として、大きく引用されていっただろうことをさえ、雄弁に告示しているではないですか。

無論、これだけで枯山水が確立したわけではありません。

ここにはもうひとつ、残山剰水というモノの考えかたが、庭園に及びます。
白砂を用いて、残余を表現する。これはすなわち余白と空白の導入ですが、逆にいうなら、引き算の実験です。
なにかを削ぎ、残余を出現させ、余白と空白に積極的な意味を持たせていく。
仮山水が窮余の一策としての抽象化だとすれば、そこに積極的な意味を持たせることによって、仮山水は大きく飛躍し、枯山水となります。

このあたり、日本の山水感覚のみならぬ造形感覚の全般におよぶ、ヴァーチャル・リアリティの感覚の肝があるように、思うんですよ。

思っていたら、つい最近、思い知らされたのですが、そんなことは重森三玲が、とっくのむかしに気づいていたのでした。
重森三玲は、日本人に「空」が飛来した、と、書いています。
まさに、「空」であって、また「白」であって、また「余」というものであって、「負」というもの、だと。

京都は吉田に、重森三玲邸書院があり、公開されています。
吉田神社の社家である鈴鹿家所有の江戸期本宅を譲り受け、新たに自作したふたつの茶席、書院前庭園や坪庭がつくられている、新旧融合の興味深い場所です。さらには、社家建築の趣を伝えるほぼ唯一の遺構でもあります。

近いうちに行ってきます☆


大徳寺塔頭 瑞峯院 方丈南庭の「独座庭」




蓬莱山を表現した巨石と大海の伸びた出島の造形がなんとも不思議な石組です。
この石組こそが、重森三玲庭園の真骨頂でもあります。





方丈北庭は「閑眠庭」。配石が十字架になっています。




東福寺塔頭 霊雲院。書院の南側の「九山八海の庭」
「九山八海の庭」は江戸時代に作庭された庭園ですが、荒廃していたものを重森三玲が改修しました。
白砂の中心に遺愛石を据え、須見山に見立てています。
ものすごいインパクトです!





東福寺塔頭 霊雲院。書院の南側の「臥雲の庭」
この庭にね、やられたんです!
この庭と出会って、作庭した人物が重森三玲と知り、オレは、彼に惹かれていくようになりました。




おなじく東福寺塔頭、龍吟庵の枯山水庭です。
「龍門の庭」。
東福寺塔頭 霊雲院。書院の南側の「臥雲の庭」と同様、独壇場というかんじです。
龍が海中から黒雲を従えて昇天する姿を表現しています。
石組が龍の身体、砂紋が黒雲。
垣根になっている竹は、稲妻を表現しています。大胆すぎます。。






禅宗の方丈には庭園がつきもので、さまざまな禅寺の方丈庭園がありますが、四方すべてに庭園を配した方丈は、東福寺方丈だけです。
そのすべてに、重森三玲の手が入っています。
まずは、南庭と西庭。





続いて、北庭。
この庭が、オレが重森三玲にのめり込んでいくきっかけとなりました。超モダン!
東庭です。





松尾大社にも、重森三玲作庭の庭が。
曲水の庭、上古の庭、蓬萊の庭です。
曲水の庭は、川をたくさんの杯が流れている様を表現しています。