
今日、梅田を歩いていたら、華乃家ケイさんとぱったり出くわしたのでした。
オレも、いつもいつも、あなたの幸せを祈らせてください~!の人にばっかり出会っているわけではないのですね。
ケイさんは、大阪のチンドン屋の親方みたいな人でして、今、大阪ではチンドンが復活しつつあるんですが、これはもう、ひとえにケイさんが頑張ってらっしゃるから。
飲み屋もやってはりましてね。むかしはそこでケイさんの昭和懐メロをカラオケでよく聴いたもんです。今月、お店をリニューアルしはってですね、カラオケは撤去してライブ中心のお店にしたとこ!とおっしゃってはりましたわ。
なーんで、リニューアル記念のライブに来てくれへんかったんよ!
って言われたけど、
案内もらってへんから、知らんし(笑)
また近いうちにのぞきまっさ、ということで。。。
チンドンは、原始的な広告手段でして、お店の新装なんかを宣伝するときに、お願いしたりします。
いっとき完全に廃れましたけれども、この10年ほどで復活しまして、その立役者がケイさんで、ときどき、お仕事をお願いすることがあるんですよね。
路上練り歩きで、全編ライブなんで、若いミュージシャンが度胸付けのために、チンドンのバイトすることも増えてきました。
そのむかし、大阪は千日前に「飴勝」という飴売りがいてましてな、そこが、不振の寄せ小屋に頼まれて、口上のおもしろさでお客を惹きつけたんが、ちんどんのはじまり。
鐘をチン!と鳴らして太鼓をドン!と叩くから、チンドンです。
音楽として、表現形態としてのチンドンの魅力は、異形にあるんだと思います。その圧倒的な非日常性や祝祭の香りが、とても素敵です。素敵のみならず、音楽の原点を思い出させてくれるものでもあります。
結婚式や祭に楽団を呼ぶっていうのは、非日常性や祝祭の香りを求めるからでしょ。音楽の、実生活での役割や実効的な要素って、そういうもんです。それを色濃く残しているから、チンドンには魅力があるんですよね。
それと、通信としての役割。
チンドンはそもそもが広告の媒体として成り立ってますから、そこには某かの情報が含まれているわけです。どこそこで歳末大売り出しやってます~!とかね。
音楽には、そうした通信の役割を担っているものがありましてね。
大昔、ブルーズがマーチング・バンド形態をとっていたころ、そうやって街中を練り歩いて、「○○の家のオジイが亡くなった~」とかニュースを触れてまわってたんですよ。トーキング・ブルーズという言葉は、そっから来てます。
沖縄民謡も、そんなかんじですな。
演歌もね、大正時代に成立した壮士演歌は、モロにそれですわ。
関東大震災があって、○○地区は全滅~、とか、それこそテレビが伝えるニュースを、壮士演歌の歌い手さんが、触れてまわってました。
壮士演歌というのは、もともとは、政治活動や大衆運動をする人たちが、演説するのに節をつけるようになって、そこにバイオリンの伴奏が入るようになって出来たもんです。
だから、演歌というのは、元来は、「演説する歌」というほどの意味で、今のいわゆる演歌は、もともとは艶歌と呼ばれてました。
ま、これ以上話をすると、とめどなく横道に逸れていきそうですが、そういう、通信としての役割を担った音楽はたくさんあって、チンドンもその系譜にある、と。
なんてことからですな、じつは、ケイさんとちょっとした企てを思いつきまして、近いうちにかたちにしましょか、なんてことを話して、今日のところはおわかれしたのでした。
ケイさん、相変わらずパワフルでしたわ☆
華乃家のサイトはこっち。
0 件のコメント:
コメントを投稿