2007年10月9日火曜日

どうしようもない感情の、たまもの


倉庫に必要な本を探しにいったら、一冊の写真集が出てきたのでした。

『たまもの』。

主人公は、この写真集の作者でもある神蔵美子さん。

夫がいるのに、婚約者のいる男に恋をし、結果、その男は1週間後に控えていた結婚をとりやめ、美子さんと結婚してしまいます。
美子さんは、その後、べつの男に恋をし、その男は、30年連れ添った妻を捨てて家を出、美子さんと暮らすようになります。

1週間後に控えていた結婚を取りやめた男は、坪内祐三氏で、売れっ子の文芸評論家です。
30年連れ添った妻を捨てて家を出た男は、末井昭氏。白夜書房の名物編集者にして、エロとギャンブルを語らせたら人後に落ちない人。女装家。

この写真集には、美子さんと暮らした坪内氏が登場し、美子さんのもとに駆けつけた末井どんが登場し、坪内氏と末井どんが談笑している姿が登場し、それらすべてにカメラを向けているのは、ほかならぬ、美子さんです。

坪内氏と末井どんの葛藤はあったのだけれども、2人の男は、気丈にもそれを表に出しません。
少なくとも、美子さんの目を通して切り取られた風景には、その気配は、微塵もありません。
その代わりと言ってはなんだが、この写真集の表紙は、美子さんの泣き顔です。


ほんとにね、美子さんは子どものような人だな。
自分の気持ちに、素直に生き過ぎている。
他者の存在を知らない、子どもみたいな人だな。

分別のつく歳どころではない。
地位も名声もあれば、背負っているものもある。
たぶん普通の、このくらいの歳の人は、そんなことしないんじゃないんだろうか。
もう、40だ50だという人たちなのだから。
情やしがらみに負けそうになったりしながらも、恋を大切にするなんてね。
わがままだなあ(笑)
でも、清々しいわ。。。

奇妙な三角関係を記録し続け、あまつさえ、それを作品にして世に出してしまう傲慢…。
でも、美子さんには、その傲慢さを引き受けてでも、落としまえをつけなければならない気分が、あったのでしょう。
だからこそ、わがままだし、清々しいのだと、オレは思います。

ときどきね、自分の裡にもまだそういうものが眠っているような気が、するんですよね。

キンモクセイの香りが、漂ってきます。
風が吹けば、キンモクセイの匂いが届いてきます。夜道を歩いている折り、キンモクセイの香りが深く染み込んでいる大気の層に出会うと、今さらながらに、季節の巡りの疾さに驚かされますな。

もう、じゅうぶんに落ち着いたものと思っていた自分の感情の層に、不意にぶつかって、そういうものの生々しさにハッとしたりすることがあります。
枯れる、
ということは、おそらく、一生、人にはないのでしょう。
ときおり、感情や欲望が凪いだように穏やかになっている状態が続くときもあり、それはそれで仕事も進み、悪くない気分であるのだけれど、その代わり、歯軋りするような辛さや想いが減ったぶんだけ、歓びや感動も、少し薄まっているような気もするのです。
なんだか、マイミクさんのにゃごさんも、おなじようなことを書いていたな(笑)

かつて、自分が有していた、辛かっただけの日々や、息が苦しくなるほどの濃い感情が、急に懐かしくなるときがあるのですね。

おそらく、たぶん、人は、こういうことを、繰り返し繰り返し、続けていくのだろうと思います。
ふたつのもののあいだを、行ったり来たりする旅を、繰り返していくのでしょう。

それを繰り返していく覚悟は、とっくに出来てます。


この写真集の最後のほう、何枚か写る坪内氏の、ぼんやりした表情が印象的でした。
振りまわされた挙げ句に、ぼんやりしちゃったのかな。

アラーキーが、陽子さんが亡くなったあとに発表した写真集の最後は、延々と、抜けるような空を写したものでした。

その気分、なんとなく似てるな。
どうしようもない感情の、たまものだな。



本日の1枚:
『La Foule』
Edith Piaf

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