2007年10月31日水曜日

タヌキは実在するか?




タヌキって実在するんですか? 母親に聞いたら架空の動物だと言われたんだけれども、動物園で見たような気もするし…。

と、某マイミクさん(特に名を秘す。ご本人、名乗り出てください。笑)に聞かれたので…。

タヌキ?
あれは想像上の動物です~。いろんなものに変身して人を騙すんですよ。そんなの実在するわけない☆
だから、タヌキは動物園にはいなくて、どっちかというと、うどん(厳密にはソバだけど)のうえにいたりします~。
まあ、キジムナーみたいなもんだよ! タヌキは…、いると思えばいるし、いないと思えばいないし、あなたの心のなかにいます。動物園にもいるかもしれん。大阪の天王寺動物園の動物一覧を見てたら、いましたが。。

と、答えておいたのですがね。。。

それを横目で見ていた相方さんがですな、

そっか、タヌキはやっぱり伝説上の動物やってんな!
信楽焼のタヌキの焼きものかって、キンタマが異様にでかいし、あんな動物はいてへんはずや!って思ってたけど、あれはやっぱり、信楽が考えだした伝説やってんな!と、ひとりごちてました。。。


えーっと、こういう場合は、なんと言えばえーんですかいな?(笑)


昔、京都の鞍馬の山の奥深いところに、いたずら好きのタヌキが棲んでました。
この狸は大の相撲好きで、いつも小僧に化けては相撲をとっていたんですね。
ある日、山の麓に住む木こりが木を伐りに山へと入っていきました。この木こりは大変な怪力の持ち主で、しかも大飯ぐらいであったとのことです。
昼食が終わったころにですな、小僧に化けたタヌキが、相撲をとろう!と姿を現したのでした。木こりは力に自信があるので、勝ったほうが腹いっぱいになるモノを食べさせる!と条件をつけて、相撲をとることになったのでした。
早速、相撲がはじまったのだけれど、ほどなくして、木こりが小僧に化けたタヌキを思い切り投げ飛ばして勝利☆。
それからしばらくしてですな、木こり、「張まん」という、腹がぷっくりと膨れる病気に罹って亡くなり、小僧もそれ以来姿を見せることはなくなったという…。

てな話をすればいいのか、あるいは、動物園で確かめてきなはれ!と言えばいいのか…。



さて、どうしましょうか?(笑)

2007年10月30日火曜日

夢の玉手箱、到着〜☆


ドキンさんから、夢の玉手箱到着~☆

先日、かおかおさんからいただきたイナゴのつくだ煮をおすそ分けして、それプラス、いろいろと地元アイテムの詰め合わせ(たいしたもんではない)ておいたら、倍返しされましたですよ☆

チョコレート関係はほとんど試供品☆
さすがは、日本社会の裏の裏までコネクションを張り巡らせているドキンさん! どんなルートなんだ?(笑)

でもでも、試供品ってことは、
レアものってことじゃないですか~!
まだ売ってないんですよね!
まだ発売前なんですよね!
日本でありつける人はごく少数ってことですよね!
選ばれた人ってことですよね!
セレブってことですよね!

と、喜んだところで、ほとんど相方さんに持っていかれるのだろうけれども…orz


でも、天然かけ醤油があります☆
ちょうど醤油が切れかかっていたところなのですよ~(涙)

しそわかめもあります☆
ご飯食いのオレは、ふりかけ、大好きなのですよ~(嬉)


なんか、ちょっと味をしめてきました。
オレのマイミクさん、日本全国に散らばってるし、お取り寄せ交換会とか実施しようかな(笑)
あとは、海外のマイミクさんを増やさないとっ(笑)
マイミク間お取り寄せ交換会コミュとか、つくろうかな?

オレんところからすぐに発送出来るのは、大阪名物の旭ポン酢と鶴橋のキムチです~☆


えっと、これはクワロフスキー将軍さんからいただいた、ドS女王とドMメイドによる、フットサル(笑)

本日の1枚:
『ドSフットサル』

2007年10月29日月曜日

ロコ・モコ☆


ハワイイでは、ハワイイ人だけが住んでいるように思われているけれども、じつはそんなことは全然なくて、そもそも、労働に連れてこられたスパニッシュがギターを持ち込んで、ウクレレが誕生してますわな。日系人はアロハを発明してるし、コリアンも入ればアイリッシュもいて、もともとのポリネシアンがいてますから、わりに多人種の島ですな。

第2次世界大戦でドンパチやってる1949年に、リチャードとナンシー井上夫妻が、ヒロのキノオレ通りとポナ・ハワイイ通りの角に、小さなレストランを開店したのでした。
ポナ・ハワイイ通りを挟んでリンカーン公園があるので、『リンカーン・グリル』って店名ですね。
『リンカーン・グリル』のメニューは、主としてハンバーガー、ホットドッグ、パンケーキ、ビーフシチュー、サンドイッチ、スパゲッティー。店の近くに、ヒロ高校やリンカーン公園があるので、若い人たちが連日押し掛けて、まあ、学校の近所にある安くてボリュームのある料理が食べられる食堂、ってノリで繁盛していくわけです。朝6時~夜の11時まで、目のまわる忙しさ。

その頃ですな、ヒロでは、アメフトのチーム、『リンカーン・レッカー(難破船略奪者)』と『ワイケア・パイレーツ(ワイケアの海賊)』の2チームがあって、毎週末、リンカーン公園のグランドで猛烈なアメリカン・フットボールの闘争をしていたわけです。ヒロのダービーですな☆
世界中、どの地域で展開されるダービーもそうですが、ヒロでもダービーは熾烈で、しばしば乱闘騒ぎに発展することもあったんだとか。

そんな試合のあと、『リンカーン・レッカー』の連中は『リンカーン・グリル』に行き、ビールとハンバーガーで気勢を上げるのが常なのでした。
一方で、『ワイケア・パイレーツ』のメンバーは、カメハメハ通りの『カフェ100』に集合して、その日のゲームを振り返って、やはり気勢を上げるのでした。『カフェ100』は、店のオーナーが、第2次世界大戦でイタリアとフランスの戦線で活躍したハワイイ2世で構成された100部隊に属していたことに由来しています。この頃、ハワイイに移住した日系人は、ルーツに日本を持ちながらも日本を相手に戦争せざるをえなかたっという悲劇があるけれども、その話をはじめてしまうと話はとめどなく横道にそれてしまうので、それはまたってことで。

ある日ですな、ヒロ高校の生徒数人が、行きつけの『リンカーン・グリル』で、今日、オレは財布に35セントしか持ってないねんけど、めちゃくちゃ腹が減ってるから、なんでもいいから35セントで出来るものを食べさせてくれ!って頼んだんですね。
んで、ナンシーは、サイミンボール(ラーメン鉢)に熱いご飯を入れ、そのうえにハンバーグと目玉焼きを置き、つくり置きしていた牛肉のたれをかけて、こいつらに出したんですわ。

これが、大受け☆
で、ヒロ高校で評判となり、この料理は「ロコ・モコ」と名付けられたのでした。

命名にはいくつかの説がありまして、
クレイジーな料理だから、クレイジーの意味であるロコに、ゴロがいいモコを引っ付けて、「ロコ・モコ」。
あるいは、「ロコモーティブ(機関車)」みたいに活気のある若者を象徴しているから、「ロコ・モコ」。
あるいは、ハワイイはピジン英語(もともとの現地語とまざった英語ですな)なので、ローカルでしか通用しないから、それをもじって「ロコ・モコ」。

ま、いろいろあるのですが、とにかく、ロコ・モコはこうやって誕生したんですと。

ヒロはもちろん狭い街ですから、噂はたちまち広がっていき、どの店もロコ・モコを出すようになり、『ワイケア・パイレーツ』のメンバーは贔屓にしていた『カフェ100』でもロコ・モコを出すようになり、たちまちハワイイ中を席巻していくわけです。1980年代に入ると、アメリカ本土の大学の学食にまでメニューが載るようになり、ついにアメリカ全土でその存在が認められるまでになった、と。

井上夫妻はケンタッキー・フライドチキンみたいに特許申請をしなかったので大儲けすることはなかったけれども、今は引退して、ハワイイ島の南部で有閑な生活を送っているらしいですな。

さて、1984年に『カフェ100』がロコ・モコの特許を申請して、自分ところをロコ・モコの誕生の地と宣伝しはじめます。誕生の地だという宣伝は、『リンカーン・レッカー』のOBたちの抗議によって取り下げられたけれども、特許はどうしようもないですな。もっとも、ロコ・モコを発明した井上夫妻にとっては、ロコ・モコが広がったことが一番嬉しいことで、それ以外の名誉や儲けについては、どこ吹く風というかんじらしいですが。。。。



今日、ハワイイから商業誘致に大阪府を訪ねてこられたハワイイ経済界の重鎮に取材をしていまして、ロコ・モコ誕生秘話を聞いたのでした。
で、ついでにロコ・モコもつくってもらったですよ☆

ロコ・モコも、今や完全に日本に定着しましたですな。
ワンプレート・メニューはもともとは日本の料理には存在しないけれども、日本には丼があるから、こういう食べかたは、受け入れられやすかったんでしょうな。


なんか、婦女子さんを虜にして武道館をいっぱいにしてるカッコいいビジュアル系のバンド「ナイトメア」が、別名でおバカな宴会ライブをやってるらしいですな☆

本日の1枚:
『神様もう少しだけ』
仙台貨物

2007年10月28日日曜日

右から見るか、左から見るか…。

金曜日、久方ぶりに相方さんと京都神社仏閣巡りを敢行☆
かなり久しぶりなのですが、さすがは嵐を呼ぶ女の相方さん、案の定、雨です(笑)
まあ、雨の京都も雨のお寺さんも風情があっていいじゃないか!ってことで行ってきたのですが、さすがに雨のなかを傘1本で2人で歩いてると、きついですな(笑)
雨のなかをしっぽりデートどころか、相当イヤがってましたな(笑)

京都市内のお寺で事前予約なしで行けるところはあらかた行き尽くした感があって、最近は、山科へ☆
といっても、京都からJRでひと駅だし、地下鉄も走ってるし、でも、京都市中とはまた趣が違っていて、ここは穴場ですな。

今回向かった先は、毘沙門堂。
以前にも行ったことがあるのですが、そんときは、拝観時間に間にあわず、山門から先には一歩も進めなかったのですよ。そのくせに、ともりんさんが京都に来られるときに、ここはいいから行ったらいいよ!って推薦してるという…(笑)

でも今回、念願叶って、ようやく行ってきましたですよ☆ 雨だったけれども(笑)
ほいで、このお寺さんは、当たりでしたね☆
マイフェイバリット・昼寝スポットに、またひとつ素敵なお寺さんが加わりました。

山科は、京都と琵琶湖に挟まれている一角でして、むかしからの要衝。なので交通の便もよくて京都からはすごく行きやすいのですが、行ってみると、京都市中とは趣が少し違います。山がすぐそこまで迫ってきていて、お寺さんも、山寺が多いですね。それでいてそれなりに便利なので、いい場所です。
それに、琵琶湖から京都に水を通している疎水が流れているので、疎水に沿って歩くのも風情がありますわ。
ま、雨だったので、それどころじゃなかったですけどね(笑)

ちなみに、疎水はこんな風景です~。



さて、毘沙門堂というのは、その名のとおり、毘沙門天をご本尊としている天台宗のお寺さんなのですが、毘沙門天自体はもともとが仏教の外にあるところから取り入れられた、いわば外様の神さんです。仏さんじゃないので、毘沙門天をご本尊にしているお寺さんなんて、まず聞いたことがありません。お寺さんで聞くと、静岡とここにあるきりで、非常に珍しい、とのこと。

古い古いお寺さんでして、創建が703年と言いますから、まだ都が奈良の飛鳥にあったころですよ。
もともとが格式の高いお寺さんなのですが、室町の末期に天皇家が身を寄せたこともあり、その縁で門跡となって、ますます格式が高くなったお寺さんです。
あ、門跡というのは、皇族が出家した際に住まうお寺さんのことです。なので、ここの正式名称は、毘沙門堂門跡。

駅から山に向かって歩いていく道中もゆったりとした地の住宅街を縫うように行くのですが、山の稜線を眺めながらなので、いいかんじです。
途中、疎水もあり、自然がねたーくさん残っていて、山里に来た趣がありますわ。
で、歩くこと10分程度。
山の麓にやって来ましたら、毘沙門堂へと続く階段です。
青々としたモミジの青葉がキレイでしてね、これ、1ヶ月後には真っ赤になって、さぞかし賑わうんだろうなあと思います。
混むんでしょうけれども、京都市中ほど混むわけないだろうし、今年の紅葉はここにしようかな、と。



んで、階段を登りきって山門をくぐると、毘沙門天と書かれた迫力の提灯があって、その向こうに、入母屋式の本堂が。
いやいや、見事にシンメトリーな本堂の背景を山の稜線が横切っていて、なかなかな風景です☆




ちなみにここはなかなか太っ腹なお寺さんでして、本堂に上がってお参りするだけなら、拝観料を取られません。
本堂の奥にいろいろと見所があるのですが、そこへ行って初めて拝観料が発生するシステムになっていて、京都のお寺さんはどちらも強欲に拝観料を取りますから、これはなかなか貴重な太っ腹具合です☆
しかも、拝観料400円。ほかのお寺さんよりも、少し割安です。

このお寺さんは、絵がね、素晴らしいんです。
まずは、狩野永叔が描いた天井龍。睨み龍ですね。京都だと相国寺や天龍寺が有名ですが、天台宗のお寺さんの伽藍の天井には、この龍が描かれている場合が多いですな。んで、どこの睨み龍も共通してるんですが、この龍ね、どっから見ても自分を睨んでいるかのように、視線がかち合うんですよ。。
もし機会がありましたら、どこぞのお寺さんで天井に描かれた龍を見てみてください。右から見ようが左から見ようが、どっから見ようが、必ず、龍に睨まれてますから。

写真だとわかりにくいですけど、こんな龍です~。



ほいで、この龍を見上げながら、ぐるぐるまわっていたらですな、お坊さんが登場して、
この龍はな…、と、説明開始。
この日、オレは背中に龍が描かれた上着を着ていたんですが、その龍を見るなり、これは中国で買ったんか?と。
なんでかっちゅーと、中国の龍は指が5本で、日本で描かれている龍は指が3本なのですよ。で、オレの背中に描かれた龍は、指が5本。だから、中国で買ったのか?と。
まあ、日本で買った日本製の服ですが(笑)

あと、玉を持っている龍は中国製、持っていないのが日本製の龍。
オレはどの龍も玉を持っているとばかり思っていたけれども、そうじゃないらしいですわ。中国の龍は皇帝の守り神なので、皇帝の象徴である玉を持って描かれるんだとか。ま、仏教とはなんの関係もない話ですが、そんな話を教えてもらっていたですよ。

んで、そのまま次の間に案内されて、そこは宸殿。天皇が来たときに滞在する建物です。
ここにはやり、狩野派の襖絵がふんだんにありましてですね。
ま、狩野派といってもたくさんいますから、なんでもかんでもありがたがることはないんですが、ここの襖絵はいいです! いいというよりも、楽しい☆

「九老之間襖絵」と言いまして、弟子が師匠に教えを請うている風景なんかを中心に絵が描かれているのですが、ぜーんぶ、仕掛けがあります。

オッサンの顔が、右から見ると丸顔なのに、左から見ると面長になっていたり…。
松の木が、右から見ると寝ているのに、左から見ると天高く起きている…。
オッサンの目線が、右から見ると左を向いているのに、左から見ると右を向いている…。
机のかたちが、右から見ると横長なのに、左から見ると正方形に近い…。





写真じゃ、わかりにくいかもしれないですけれども、実際に見ると、変化が実感出来て楽しいですよ。

そんなかんじで、不思議な不思議な絵が、襖に描かれているのですよ。
襖絵の横にいちいち説明書きがないから教えてもらわないと全然わからないんですが、ここで先ほどのお坊さんが登場。まずはここに立って! そのまま襖に沿って歩いて! はい振り返って! ほ~ら違って見えるでしょ! って(笑)
延々と説明してくれます☆

これは、隠元さんが狩野派の絵師に教えた技法らしいです。
隠元さんといえば、インゲン豆を日本にもたらしてくれた黄檗宗のお坊さんでして、京都は宇治に万福寺というこれまたオモロいお寺さんがあるのですが、オレも相方さんも万福寺が大好きでして、そのせいもあって、このお寺さんが一気に身近なものに感じられるようになりました(笑)

麩を使って鰻の蒲焼きそっくりの料理をつくったりする精進料理があるのですが、それを日本にもたらしたのも隠元さんです。精進料理といい、この襖絵といい、どうやら隠元さんは、そうやって仕掛けをつくるのが好きだったみたいですな☆

ちなみにこの技法は、逆遠近法ってのが使われていて、そのせいで、見る方向によってかたちが変わるような絵が出来上がるんだとか。
どこを見ても自分を見ているような視線をつくるのには、両目をね、ロンパリに描くと出来ちゃうんですと。
ロンパリって、わかるかな? 右目と左目の焦点が合ってなくて、どっちかの目が変な方向を向いちゃってる目のことですね。手術して直しちゃったけれども、テリー伊藤がそうですわ。オレも、そうだけれども。

ほいで、どうしてこんな襖絵が描かれているのかと言いますと、この建物は宸殿ですから、天皇が滞在している場所です。で、この部屋は、天皇を訪ねてきた人が待つ、控えの間です。
待っているあいだは退屈だから、この襖絵を見て楽しんでてください!ってことですね。
だから、襖のそばを、行ったり来たりして遊んでるわけです(笑)
こんなお寺、ないですわ~。

そこでひとしきり遊んでから、さらに奥へ奥へと行きますと、庭があるんですね。
禅宗のお寺さんだけれども、枯山水の庭ではなくて、ここは池を中心に据えた池泉回遊式の庭園です。
「心」という字の右半分のチョンチョンを島に見立てて、鶴島と亀島にしている、心字を模した池です。
池の向こうには観音堂があります。色とりどりの草花が植えられていて、眺めていて和みます~。
ここもまた、お昼寝には絶好のスポットですね☆
しばし、縁側に座って、ぼーっと眺めておりました。






途中、相方さんは、好き放題にくねっているサルスベリの木とコラボして遊んでましたが(笑)



庭を後にして、源氏物語の写本を見たり、そこでまたまたお坊さんにつかまって説明聞かされたり、有名人のサイン色紙が並べてあるのを発見して、お坊さんと、真矢みきの話で盛り上がったり…(笑)
とにかく、おしゃべり好きのお坊さんが多すぎます、ここは☆

最後に衝立発見。
なんと、円山応挙の筆による鯉☆



これまた左から見ると左を向いているけれども、右を向くと右を向いているように見える鯉でして。
円山応挙が、ここの襖絵を研究して、独自にこの技法を習得し、書いたものなのだとか。
右から左に歩いて移動するときに、鯉来い!鯉来い!鯉来い!鯉来い!鯉来い!鯉来い!って言いながら歩きや!ってお坊さんに言われたんですが、そんなことせんでよろし(笑)

その他、中庭の松がかっこいい枝振りやったり、カエルのお出迎えがあったり、欄間の装飾に見とれたり…、見ていて本当に飽きないお寺さんです。







最後の最後、お寺さんを後にするべく山門を抜けようとしたら、またまたお坊さんに捕まってですな…。
もうちょっとお金があると、庭師を入れてバシッとした庭にするんやけどなあ、とか、
ここの毘沙門天像は世にも珍しい座っている像で、でも秘仏やからご開帳されることは滅多になくて、でも、4年後は寅の年やからもしかしたらご開帳があるかもしれん、とか(笑)
ちなみに、秘仏の毘沙門像は、全長2寸。つまり、約6cmの小さな小さなお像です。比叡山を創建した最澄が、ときの天皇の守護仏として彫ったのだとか。どうして座っているのかといいますと、天皇が烏帽子のなかにこの像を納めていられるように、安定を考えて座像になった、と。ま、ここのお坊さんの推測だとそうなるのですが、推測を語られてもなあ(笑)

最後まで、おしゃべりなお坊さんに付き合わされてしまいました(笑)




おまけ。

相方さんがつくってきてくれたおむすび。いろんな種類の雑穀米に心尽くしの塩鮭が美味かったです☆



おまけ。その2。

京都市内に戻ってから入ったカフェで相方さんが食べていた、いちぢくのなんちゃらかんちゃら。

2007年10月27日土曜日

「阿」に生まれたばっかりに…




東京に、主に東日本を担当している神社仏閣巡り仲間(笑)がいるのですが、その彼から、こんな画像が送られてきました。。。

新潟の大洗磯前神社ってところに鎮座してます、狛犬。

ご存知のとおり、狛犬というのは、「阿」と「吽」の2匹いて、阿は口を開いて息を吐いている様子、吽は口を閉じて息を吸っている様子ですな。
サンスクリット語のアイウエオだと、最初に来る文字が「阿」で最後の文字が「吽」なので、最初と最後、みたいな意味もありますわ。アイウエオだって、「阿(あ)」ではじまって「吽(うん)」で終わるから、なんか関係があるのかも知れませんな。

向かって右側に「阿」形の狛犬がいて、左側は「吽」形の狛犬。
「阿」は口を開いていて、「吽」は口を閉じてます。
「あ」を発音するときは口を開けなければならないし、「うん」と発音するときは口を閉じるので、まんまそのかたちをしてます。

狛犬については折に触れて調べるんですけど、わりと謎に包まれてますな。
そもそも、なにがモデルになったのかすら、よくわかってません。
オレは、インドあたりのライオンがモデルとなって伝わったんだろうな、と思ってますが。

神社の前で向き合ってるのがあれば、2匹とも正面を向いてるのもあるし、2匹が神殿を向いているのすらあります。なんで、決まった定型がないのよ!(笑)

かように、わからんことだらけです。

ちなみに、沖縄のシーサーは神社の狛犬とは全然関係なくて、あれはもともとが1匹で存在しているものです。
大阪の神社の神主さんが言ってましたが、シーサーは沖縄の大工のオッサンがある日考えだしたもので、魔除けの獅子なんだとか。獅子が訛って、シーサー。
まあ、どこまでほんまの話なのかは知らないけれども、もともとが1匹で存在していたのはたしかで、今、建物の入口に2匹セットで鎮座しているのは、明らかに狛犬の影響ですな。つか、シーサーはもともとが、屋根に座ってるものだし。

ま、狛犬の講釈はこれくらいにしてですな、新潟の大洗磯前神社ってところの狛犬の画像が、突然送られてきたのでした。

開いてみると、
爆笑☆

「吽」はいいですよ、「吽」は。
「吽」は普通。

でも、
「阿」がね、「阿」が!
口開けてるからさ、「阿」は。口のなかに、土蜂の巣が!
口のなかになにかが巣食ってるって、かなりイヤですな☆


これ見てると、「吽」は普通なのに、「阿」が不憫でねえ(笑)
「阿」に生まれたばっかりにこんなことになってるのかと思うと、「阿」が不憫でねえ(笑)

教訓:口をぽかんと開けていてはロクなことがない☆



七尾旅人は、いつの間にか、いいかんじのヘンタイさんになってきましたなあ☆

本日の1枚:
『萌えの歯』
七尾旅人

2007年10月26日金曜日

ぽっかりと




性格でもあるし、いろんなことをチャッチャと決めていかんとあかん立場でもあるので、考えることはあっても悩むことって、オレにはほとんどありません。
また、グレーのままにしておいても一向に差し支えのないものは、そのままグレーにしておける図々しさも、オレは持ち併せています。

でも、ほとんどないけど、たまに、どうしていいのかわからんときがあります。

支払いの前日にゼニが全然ない!なんてのもかなりかなりキツいですが、それはもうなるようにしかならん!と開き直ることが出来るので、まあ、いいです。

選択肢を並べてどれにしようかと考えられてるうちは、全然大丈夫です。
でも、ときどき、選択肢すら浮かばないときがあって、ほんまにね、どうしていいのかわからなくて、途方に暮れるときがあります。

といっても、最終的にはなんらかの決断を下しているんですが、それが正しい決断だったのかどうか、確信が持てないときがね、一番不安になります。

正しいか間違っているかは結果論なので、結果は割り切れるんですが、決断したときに、それが正しい!と確信が持てるかどうかが、オレの場合、かなり重要で。
確信が持てたら猛スピードで進めるけれども、確信が持てなかったら、上手くいくことも上手くいかなくなります。
根拠はなくてもいいのですが、確信が持てる!という手応えは、オレにとっては、やっぱり、かなりかなり重要なことです。

決断するときって、合理的に解答を導きだすか、合理的じゃないけれどもこれで行きたい!って結論を出すかしかないと思うのですが、そのときに、根拠などなくてもいいから、確信を持っていたいのですね。でないと、その後が、とてもしんどい。

だから、誰かに、それでいいんだよ!と言ってもらいたいときも、あります。

でも、
誰もね、それは正しいから大丈夫!とか、間違ってるからやめときな!って言ってくれないんですよ。

自分で気づかずに間違ってる方向に進んでいたとき、身体を張ってそれをとめてくれる人は、もういません。
真剣に怒ってくれる人も、もういません。

なにかを決断するときに、
そのことを思い知らされるときがたまにあって、えも言われぬ不安に陥ります。
ぽっかりと空いてしまった穴は、全然埋まってないんだなあ、と、呆然とします。


26歳のときに、師匠に出会いました。

師匠は、当時、大阪でも1、2位の大きさを誇る家具屋さんの社長で、いろんな団体の会長職や理事長職を兼任していて、保護司なんかのボランティアもされていて、まあ、大阪の経済界の超偉いさんでした。オレが知り合ったときは、たしか63歳でした。オレは密かに、会長職コレクターと呼んでましたが(笑)

ヤクザみたいな風貌のでっかいオヤジで、実際にヤクザとケンカして勝って帰ってくるようなやんちゃなオヤジでしたが、笑顔がとんでもなく素敵でね、人がいっぱい集まってくるような、それでいて気取りがまったくない人でしたわ。

お店やお店の裏にあるオフィスも立派なんですけど、自分がいつも仕事してる社長室は、離れのバラックみたいなところです。で、むかしの人なので、もったいないが染み付いていて、自分の机やら来客用のソファやら応接テーブルやらは、ぜーんぶ、売れ残った自分ところの商品でまかなっていてですね、傷ものだったり不良品だったり修理に失敗したやつやったり…、テーブルとか脚がガタガタ言ってるし、ボロボロですねん。おまけにエアコンを設置してないので、夏は扇風機、冬は電気ストーブ。
そこにね、大阪経済界の偉いさんが詣でてるという(笑) そのへん、まーったく飾らん人でした。
スーツには金をかけてましたけれども、そりゃ、いい年ですからね(笑)

で、保護司もやってはったんで、毎朝、人相の悪いヤンチャそうなのが数人、社長室のまえにいてるんですよ。少年院やら刑務所やらを仮出所してきた人たちの面倒を見てるんですが、毎日、顔出させてね、いろいろ報告させてましたわ。そういう人らが社長室に出入りするのも、全然おかまいなしの人でした。

瞬間湯沸かし器で激情家なのですが、情に厚くて、器が大きいというか、とにかく、いろんな人が集まってきてました。もう、カリスマでしたね。偉ぶったところなんて全然なかったけれども、一瞥しただけで、エラい人!ってオーラが出ていて、とにかくね、それこそいろんな大人を見てきましたけれども、この社長以上の大人って、今もって見たことないです。

この社長にね、オレは育てられたんです。
26歳のとき、チラシでもDMでもパンフレットでもなんでもいいから!って飛び込みで営業に行って、なにを見られたのかわかんないですけど、一発で気に入られて、それも、おまえみたいな生意気なやつは見たことない!って気に入られかたで、それから10年以上、かわいがってもらいました。

飛び込みの営業だったけれども、もちろん事前にいろいろと調べていってて、御社がこれまで出してきた広告は出来が悪すぎる!どこの業者とお付き合いされてるのか知らないけれども、オレやったらもっと安い金額でもっとデカいリターンが期待出来る広告戦略を出せます!って営業してましたから、そら生意気やったはずです(笑) オレ、なんでそんな物言いで営業してたんやろか?(笑)

結局、そのときは広告がもらえなかったんですが、しばらくして、飯食わしたるから来い!とお誘いがありまして、出かけていったら、ご自宅に招かれての奥さんの手料理でした。
で、オレは今もむかしもこんなんですから、仕事の話は抜きにして、笑わせるだけ笑わせて、ごはん、いただけるだけいただいて、美味しい美味しい!って食べまくってたんです。
そしたら、奥さんに、いたく気に入られてしまいまして…。
あとで、聞いたんですが、どうやらこれは試験やったらしく、社長は、奥さんが気に入った人間はひいきにするらしいのですよ。でも、奥さんはなかなか若い人を気に入るなんてことはなくて、なんか、オレは奥さんの眼鏡にかなったらしいのですね。ほら、オレは今もむかしも熟女キラーだから☆(笑)

そんなこんなで、まずは奥さんから、奥さんが通っている日本画の展示会のパンフ、民謡教室のパンフ、地元の町会の婦人部の会報誌と、ごっそりお仕事をいただくことに相成り、そっからお付き合いがはじまっていきました。

ちょうどこの頃、社長は、社長職を息子に譲って、ご自分は会長になられました。だからお店の実質的な経営は息子の社長に移り、オレはこの社長とはそりが合わなかったこともあって、仕事はもらうものの、上手いこといかへんかったことが多かったんですが…。

まあ、仕事のことはいいです。
社長、基、会長、つまりオレの師匠のことです。
オレはもともとがあまり相談をしない人間なのですが、そらわからんことは知っている人になんぼでも教えてもらいますけれども、自分で決めなあかんことは、あんまり相談をしない人間なんです。

会長にも特になにも相談しなかったんですが、会長経由で、家具の業界団体から仕事をいただくようになり、家具業界のことなんてなにも知らなかったので、そのあたりのことはちょくちょく教えてもらいにいってました。
そんときオレは、名刺に、自分の名前と連絡先しか書いてなかったんですが、会長に、役職をちゃんと書け、と。
そりゃ、2人だけど従業員もいたし、社長っちゃ社長ですけど、社長だから仕事がもらえてるわけじゃなし、オレ個人を買ってもらって仕事をもらいたい!って思ってましたから、役職名なんてつけてなかったんですよ。そんなの、かっこわるいと思ってましたから。
でも、つけろ、と。
それがついてるだけで、相手の待遇が変わって、仕事がやりやすくなるし、営業に行っても応対してくれる人間の種類が変わるから、と。

世話になってるし、せっかくオレのことを思っていってくれてるんだから、イヤだったけど、言うとおりにしたんですね。
そしたら、です。会長が言ったように、仕事が全然しやすくなりましてね。
それから、いろんな相談をするようになりました。

その当時のオレは、モノをつくるということについては、いっぱしのスキルがあって、そのスキルのレベルは今とあんまり変わってないと思います。モノヅクリのスキルについては、オレはその時点で完成されていたように思います。
でも、それ以外の、たとえば経営であったり、営業の仕方であったり、交渉の仕方であったり…、そーゆーことがまだ、全然ダメでした。
そこを、会長に、よく相談してましたわ。

そうこうするうちにね、帳簿を見てやるから、毎日持ってこい!と、そういうことになって、オレ、毎朝、人相の悪い連中と一緒に、朝っぱらから帳簿をまえにして、会長のお説教ですよ。
毎朝です、毎朝。朝、お客さんのところに行かなきゃならなくて、行かなかったら、電話がかかってきましたから。んで、その時間は、どこにも行かずに、オレのところに来い!と。

出来ないところがいっぱいあってね、ほんと、よく怒られました。
毎日毎朝、怒られに行ってたようなもんですよ。
まだ営業力が自分になくて、ときどき値引きをしてたんですけど、それは帳簿を見ればわかりますから、値引きするたびにメチャクチャ怒られました。値段を落としたら誰でも仕事はとれるんだから、そんなのは営業でもなんでもない、おまえを信用してもらって仕事をもらってるんじゃなくて、安いから仕事もらってるだけ!ってね。

オレは会長の息子でも社員でもなんでもないけれども、毎日毎朝ね、猛烈な勢いで怒られてました。
怒られるのはすごい怖くて憂鬱だったけれども、赤の他人にこんだけ怒ってくれる人なんて、いません。
怒るのにどれほどのエネルギーを使うのかということが後になってわかるにつれ、こんだけ怒ってもらってありがたいなあ、って、思うようになりました。

お金がなくて困ってたときでも、一銭も貸してくれませんでした。でもその代わりに、銀行から融資を受ける方法を教えてもらいました。銀行との付き合いかた、税務の処理の仕方、利益の確保の仕方、人件の管理の仕方…、オレは広告業で会長は家具販売業で、業種が違うからやりかたはそれなりに微妙に違うんですけど、でも、言われたことは、盲目的に、受け入れてましたね。もう、なんでもいうことを信じて聞いてみよう、って。

当時、会長から教えられたことで、それは絶対に違う!って今でも思うことがあるんですけれども、でも、今でもそれは、違うと思いながらも、会長の言ったことを守っていることがあります。
赤の他人のオレのために、あれほど親切に熱心にモノを教えてくれた会長が言うことだから、間違ってると思ったことでも、そのとおりにしよう!って、決めたんです。
ひとつだけあるんですけど、でもそれは、会長が言ったことだから、オレは、間違ってると思いながらも、言われるままにずーっとやっていこうと、今でも思ってます。

いろんな人に会わせてもらいましたよ。
偉いさんだから、会長室にいるだけでいろんな偉いさんが訪ねてくるし、宴会がしょっちゅうだったから、よくお供させてもらってました。
行く先々で、オレの息子や!って紹介されて、こそばゆいやらなんやらで(笑)
会長に、オレの息子や!って認定された人は、じつはたくさんいてるんですが、オレが最後の息子でした。
ちなみに、娘も多いですよ。演歌歌手で、紅白の常連のような人が、たくさん、会長の娘さんになってます。
ほいで、オレの息子や!って紹介してくれるんですけど、会わせてくれる人はみんな雲の上の人ばっかりで、官庁のトップやったり上場企業のトップやったり、はっきりいって、そんな人に会わせてもらっても、エラすぎてオレの仕事には結びついていかないんですね(笑)
でも、愚直なまでに、次から次へといろんな人に紹介してもらいました。だから、オレの名刺ホルダーには、とんでもない人の名刺がたーくさん詰まってます(笑)

あるとき、会長に、そんなに紹介ばっかりしてもらわんでもよろし、と言うたことがあります。
そしたら、
おまえはその年代で頑張ってるけど、コネがないやろ。でも、ひとりで出来ることって限界があってな、そっから上に行くには、誰かが引っ張りあげてやらなあかんねん、と言われました。
オレ、引っぱりあげてもらってたんですわ。
会長が何十年とかかってつくってきたコネクションを、そのまんまオレに紹介してくれました。
26歳の小僧の手をとってね、こいつはオレのお墨付きやから使ってやってくれ!って、言ってまわってくれるんですよ。どんだけ嬉しかったことか。。。

そこにはなんの打算もなかったし、ただただ愛情だけがあって、なんの見返りも求められなかったです。
あ、酒の相手はよくさせられましたけれども(笑)
国歌褒章を会長がいただいたときは、しおりのパンフレットを、もちろん無料でつくらせてもらいました。そんなん、お金なんかとれません。というか、タダでオレにつくらせてくれ!ってかんじですよ。

4年前に、会長は亡くなりました。社葬と密葬がべつべつに行なわれて、奥さんから密葬に呼んでもらいました。もう、ほんまに家族みたいにして、お付き合いさせてもらいました。

10年ほどのお付き合いで、怒られるだけ怒られて、ほんまにね、いろんなことを教わり、相談し、大切ないろんなことをもらいましたよ。全部、オレの財産です。オレは今、その財産で食ってます。

会長に親子のように接してもらったことはオレのかけがえのない財産だし、誇りでもあるし、自慢でもあるけれども、ちょっと、言葉で言い表せられるようなもんではないですね。

亡くなられたときは、ぽっかり穴があいた気分でね。
でも一番感じたのは、この世にはもう、オレを怒ってくれる人やオレが相談出来る人っていうのはいないんだ、っていう、ものすごい喪失感です。
これほど不安になったことはないし、その不安は、今でもあります。この喪失感は、ほんまにデカいですね。

ときどきね、思い出したように、家にあげてもらって仏壇に手を合わさせてもらったり、お墓に行ったりします。
なにかを決断して確信が持てなかったとき、相談しにいくんです。
答えなんて、出ないですけれどもね。でも、そこに行くと、ちょっと安心したりもするんです。

今日は、久しぶりに、お墓に行ってきました。
行くたびに、穴はまだぽっかり開いたままやなあ、と、しみじみ思います。
で、しっかりせえよ!と、怒鳴っている師匠を、懐かしく思い出したりしてます。


本日の1枚:
『oide no umi』
Tennis coats

2007年10月25日木曜日

松葉サイダー


松葉サイダーというのを、ご存知ですか?
三ツ矢サイダーじゃなくて、松葉サイダー…。

オレは知りませんでした。

松葉からサイダーがつくれるんですと!
初めて聞いたときは、ほんまかいな!と、耳を疑いましたわ。
でも、ちゃーんと、サイダーが出来るんですと☆

つくりかたをざくっと説明すると…、

1)針みたいになってる松葉を集めてくる(出来ることなら、梅雨時の新芽がいいらしいです)。
2)葉を水でキレイに洗って1升瓶などに、びっしりと詰める。
3)冷ました砂糖水を瓶いっぱいに流し込む。
4)キッチンペーパーかティッシュで瓶に栓をする。
5)日光に2時間~3日ほどさらす。

結構コツがあるらしくて、何度か試行錯誤しないと美味いサイダーは出来ないらしいのですが、たったこれだけでサイダーが出来てしまうんですと。
しかも、むかしは結構、いろんな家庭で自家製のサイダーをつくっていたとか。。。
いやいや、まーったく知りませんでした。

松葉に付着している酵母菌が発酵して、ブクブクと泡をつくってくれるらしいのですが、まさかこんなことで出来るとは!

ひとくち飲んだら、口の中にぱーっと松林の香りが広がるらしいですな☆


んで、
なんでこれを知ったのかと言いますと、じつは、京都の北のほうに美山町というところがありまして、そこは茅葺きの民家が並ぶ村、景観が100年ほどタイムスリップしたみたいな町なのですが、そこで旅館を営むオバァが、絶品の松葉サイダーをつくってらっしゃって、それを目当てに泊まりにくるお客さんも多いってことで、オレんところの若い編集者が取材に行ったんですね。

で、そんな話を聞かされて。。。

でも、オレに松葉サイダーのお土産を持って帰ってないんですよ!
だから、オレは、かわいそうに涎ばっかり垂らしておあずけ状態ですわ~。
ほんまに気が利かんことで…(涙)

腹立つんで、近いうちに時間を見つけて行ってやろうと思ってます☆


この人も、松葉サイダーみたいな味わいがあります☆
この春、オレの知り合いの結婚式に新婦の友人として彼女が出席して、さだまさしの『関白宣言』を歌ったらしいのだけれども、完全に結婚式の余興かと思いきや、新譜に収録されてるし(笑)
さすがにそれは見つからなかったので、べつの曲を。

本日の1枚:
『今日を問う part 2』
二階堂和美

2007年10月24日水曜日

ガラスを見にいく




ガラス好きのマイミクさんであるJ-fishさんが、日記で、ガラス展の模様をときどきアップしてくれるのですね。

オレはガラス工芸のことはよく知らないのですが、お写真を拝見しているだけでもキレイで、ガラスには見えないものもたくさんあって、ガラスって自由度が高い素材でおもしろそう!って、思っていたのですよ。

で、J-fishさんのマイミクさんがガラス作家さんで、そちらの個展が行われたときも日記で紹介してくれて、これまたキレイでしてね、いっぺん実物を見たいなあと思っていたところ、なんと、その方の個展が奈良で開催される!って教えていただき、奈良といえば最近は勝手知ったる場所(笑) そうだ、奈良行こう!ってことで行ってきたのでした。

といっても行ったのは先週の火曜だったかな? もう1週間が経ちますが、例によって写真を撮ってくるのをすっかり忘れていて、これは写真があったほうがいいなあ、と思っていたところですな、奈良在住のマイミクさんのgoutさんが行かれたついでに写真を撮ってきてくださって、ようやく日記のアップとなりました(笑)

なので、上記の写真は、photo by gout-sanです☆
goutさん、恩にきます☆

場所がね、いいところにあるんですよ。
奈良の高畑町ってところなのですが、志賀直哉の旧居があったり新薬師寺があったりする、閑静な場所なのですね。その一角にですな、瀟洒な洋館風のカフェというかブティックというかイベントスペースというか、そういうお店がありまして、お寺さんをまわったりしながらぶらぶらと散策にうってつけの場所なのですが、いろいろとまわっているうちに結構な時間になってしまい、最後は、滑り込むようにして個展に辿り着いたのでした(笑)

ガラスは、大皿になったり花器になったり、アクセサリーになったり、さまざまなかたちに姿を変えるのですが、粉状になった金属が吹き付けられていて(吹き付けられていて、という表現が適当なのかどうかはわかんないんだけれども)、一瞥してガラスとはわからないものまであります。漆かな?なんて思ったものもあるし。。
でも、それでいて、ガラスの持つ清潔感のようなものはまったく失われていなくて、下手な陶器よりも、よほど品がいいですね。

写真の壁にかかっているものは、花器です。一輪差しだったり数本の草花を生けられるものだったりさまざまですが、これまた、一瞥しただけではガラスに見えません。でも、うっすらと透明感があり、奥行きがあり、ガラスでありながらも柔らかさが感じられて、これまたすごく品がいい。

器を眺めるときは、いつも、どんな料理を盛りつけたらしっくり来るかなあ、ってことを想像しながら、眺めています。
色の濃いお皿だと、ウニやフルーツを使った原色の色が入ってるオードブルなんかが映えるだろうな、とか。
白い大皿は、なにを盛りつけてもいいけれども、カツオのたたきとか、どかーんとした料理が美味そう!とか。

そんなことを想像していたらお腹が空いてきてしまいました。
この日は、goutさんもお誘いしてまして(結局、goutさんはこの日と最終日と2度ご来場☆)、その後、goutさん宅で今年初の柿をいただいたのでした。

そういえば、柿を盛りつけてもいいかんじのお皿もありました(笑)



なんか、たまたま手元にあったので、エンヤを聴いとります~。
なんとなく、ガラスっぽいな(笑)

本日の1枚:
『Orinoco Flow』
Enya

2007年10月23日火曜日

汗をかく

素直に表に出していい話なのかどうかわからないので(きっと大丈夫だとは思うのですが、念のため)、仮名で話しますが、すこしまえに、こんなことがありました。

某マイミクさん、マダム・マーさん(仮名。笑)が、以下のような日記を書いたのでした。

娘さんが大学のグリークラブに所属していて、12月に開催される定期演奏会のパンフレットに載せる広告をとることになったのでした。これもいい経験だ、頑張れ、娘よ! という内容の日記。

広告屋としては、黙ってスルーするわけにはいきませんから(笑) ちょこちょことアドバイスめいたことを、頼まれもしないのに、ええかっこして書いたわけです。

この手の広告は、効果がまず期待出来ません。
大学の近所のカフェがそこに広告を出したところで、きっと大きな集客には繋がらないだろうし、また、費用対効果の面で納得させられるだけのデータも、持っていないでしょう。
ですから、売り手と買い手がハッピーになるビジネスではなくて、これは、一方的な取引のお願いになります。

お付き合い、寄付みたいなもんです。
ですから、マダム・マーさん(仮名。笑)の娘さんは、徒手空拳で、それこそなんの武器も持たずに、広告掲載のお願いにまわらねばならんわけですね。

こうなると、本人の人間性、やる気、誠意…、そんなもんだけしか、拠って立つところはないわけです。

なので、そうしたものを相手に見せる方策をアドバイスして差し上げたのですがね。

1)婦女子さんのお願いはそれだけで男よりもアドバンテージがあるけれども、念押しで、クッキーでも焼いて持っていくといいのでは。。。

2)営業先のお店や団体のことを事前に勉強して、広告を取りにきただけじゃなくて、そのお店や団体に興味があるところを示す。

3)断られても諦めずに、日を置いて、再度お願いにあがる。


ざくっと書くと、そんなところです。
この3つに共通しているところは、ご本人が汗をかきなさい!ということです。

クッキーなんか焼かなくてもいいし、事前に勉強しなくてもいいし、断られたところはそれで諦めても、誰も文句はいわないと思います。
広告とりにいったけど、ダメだったね~、で、終わりです。

でもそれだと、広告の枠が用意されていて、営業先のリストは代々からのものがあって、それらを手渡されて順番にまわってきな!って、言われたことをやってるだけ。
リストを上から順番にまわっただけのことで、言われたことをやっただけで、当人は、知恵も出してないし、汗もかいてないわけです。

それは、仕事でもなんでもなくて、ただの奴隷です。

言われてないけれども、なにかいい方法はないかと自分で考えて、自分が汗をかくことで出来ることがあるのなら、それをやってみる。そうじゃないと仕事なんて、おもしろくもなんともないです。
オレは自由を愛する人間だけれども、それが自由ってもんじゃないですか。言われたことしかしちゃいけないのなら、オレには無理だな(笑)

若い娘さんが汗をかいていたら、悪い気がする人はいないですよ。
少なくとも、好意を持ってもらえる可能性は高まります。そこからですね。そこが、スタート地点。
広告を出してもらう、人様からおカネをいただくというのは並大抵のことじゃないけれども、ましてや今回のケースは、寄付、お付き合いみたいなもんですから、その人の人間性にかかってるわけじゃないですか。

オレがアドバイスして差し上げたのは、汗をかくことというよりも、汗をかいていることを相手にアピールするための方策という、どちらかというと小手先のテクニックで、大前提として、汗をかかなければどうもならんわけです。

もちろん、世のなかというのは理不尽なことがたくさんあって、それで成り立っているのだから、汗をいっぱいかいてもダメなときはダメだし、心ないことも言われます。
学生さんだから、心ないことを言われたら、めげるでしょうね。そういう耐久性が身についていなくて当然の年代ですから、傷を負うこともあるかと思います。
でも、世のなかとはそういうものなのだよ、ということがその年代でわかればね、その傷も、あとで生きてきますから。


昨日、ご丁寧に、マダム・マーさん(仮名。笑)の娘さんからメッセが来まして、
おかげさまで広告がとれました!と。

こうしてご報告してくれるって、嬉しいですね。
最初に図々しくアドバイスして差し上げたときもお礼のコメントをいただいたし、きっと、マダム・マーさん(仮名。笑)の躾が素晴らしいんでしょうね。大きなお世話だ!って言われそうだけれども、そう思います。

これもまた汗をかくことですね。mixiででもリアルででもお付き合いのない娘さんが、こうしてご報告してくれる、汗をかいてくれることで、ご当人に対する好感度は上がっていきますし、ひいては、マダム・マーさん(仮名。笑)の株が上がるわけです。
いや、よく出来た娘さんですよ。これまた、大きなお世話だ!って言われそうだけれども(笑)

もうおわかりだと思うんですが、広告がとれたのは、オレのアドバイスがどうということではなくて、ご本人がちゃんと汗をかかれたからです。
きっと、ご苦労もいっぱいあっただろうけれども、そういうことは書かずに、広告がとれました!って報告で、オレを喜ばせてくれるんですね。嬉しかったなあ。

最近、そういう若い人が減ってきている印象をすごく感じるので、こういうことに触れてね、ちょっと心があったかくなりました。

いい話でしょ♪
いい娘さんでしょ♪

オレは、汗をかく人が、大好きです☆

2007年10月22日月曜日

加工仕事終了につき、おやすみなさい☆



超特急のハードな仕事、なんとかならんですかね。。。。

昨日の夜もですな、いきなり電話がかかってきて、仕事お願いします~!って。
んで、よくよく話を聞いてみたら、なんか、仕事でミニチュアのジオラマ画像を用意せねばならんことになって、でも、ジオラマを一からつくってるような時間もカネもないので、風景写真からミニチュアのジオラマっぽい画像をつくってくれ、と…。。
しかも、締切がすでに過ぎてます(笑)

ーしんどいからやりたくない!
「や、もうルイスさんしかお願い出来るところがないのですよ~」
ーオレ、もう寝たい!
「や、不死身のルイスさんがなにをおっしゃる~」
ーおまえね、オレが聞き分けのない相方さんの相手をするだけで、どんだけボロボロにされていることか!
「それは、ただのノロケじゃないですか~」
ーおまえは彼女がいないから、苦労がわからんのじゃないのか!
「でも、仕事では苦労してますよ~」
ーそりゃ、こんな時間に閉め切りすぎてる仕事を持ってくるんだから、苦労してるんだろうね!
「そこまでわかってるんだったら、お願いしますよ~」
ーギャラは?
「通常料金で~」
ーおまえなあ!
「じゃ、10%増しで~」
ーおまえなあ!
「じゃ、15%増しで~」
ーおまえな!
「じゃ。16%増しで~」
ーインド人みたいな交渉するな!
「へい。30%増しで~」
ーそれだけ?
「晩ゴハン、1回つけます~」
ーメニューは?
「ラーメンです~」
ーもっと高いのがいい!
「寿司ですか~?」
ー寿司でもいいけど、おまえとは食べたくない!
「ひどいですね~」
ーおまえと食ったって、新しく仕事の依頼が来るだけやもん!


そういう押し問答がありましてですね、結局、徹夜。。。。
その間、相方さんからは、アホウのようなグチ電話。。。。

左が、元の風景写真。
右が、加工後のミニチュアのジオラマっぽく加工した画像。

これつくるだけで6時間(笑)
昨日の夜は、こいつをつくるだけで夜が明けてしまいましたわ…。
ま、かようにしてですな、世に出ている写真の多くは加工・修正を施されているわけです。
婦女子さんのバストをおっきくしたり、小顔にしたり…。

もういい加減、こういう仕事をしているような年齢ではないのですがね。。。。

んなわけで、今日は寝ます~。

2007年10月21日日曜日

もらいもん尽くし



オレが住んでるマンションの1FとB1Fは市場で、毎日のように野菜やら肉やら魚やらを買っているわけですが、いつも買ってる八百屋さんの女将さんがですな、それまではべつのところに住んでいたところを引き払って、こっちのマンションの上層階に引っ越してきたのでした。

なかなかファンキーな女将さんでして、オレが買った野菜から、今晩の献立を言い当てたりします(笑) 悔しいことに、よく当たるんだわこれが…。

ピーマン買えばピーマンの挽肉詰め、キャベツ買えばロールキャベツ、ジャガイモ買えば肉じゃが…、なんか、ことごとく見透かされてます(笑)
ちょっと悔しくもあるのですが、いろいろレシピも教えてもらったりするので、そうそう悔しい顔も出来ずで。。。

さて、ここんところ忙しくてですね、ロクな晩ゴハンを食べていないのですが、そーゆーことも、オレが八百屋さんに現れなければ、すぐに見抜かれてしまいます。
というわけなのかどうかは知らないけれども、ときどき、なにやらつくって、お皿をオレんところに持ってきてくれるのですね。

さっき、ポトフをいただきましたわ☆
こんなことしてたら自分ところの商品が売れんではないか!と思わんこともないのですが、もちろん、ありがたくいただきますですよ!

キャベツとニンジンとタマネギとカブとプチトマトなんかの野菜がふんだんに入っていて、上等のベーコンとソーセージが加わって、コトコトとコンソメで煮込んであります。

あったかいわ~。
昨日今日と急激に寒くなったから、余計にあったかくて、身に沁みますな☆

都心のど真ん中のマンションに引っ越してきて、近所付き合いなんて出来ないと思っていたけれども、この八百屋さんとか、隣に住んでるカツオブシ屋のオヤジとか、マンションの近所の豆腐屋のオバァとか、なんか、いいかんじでご近所付き合いが出来てきています。全員、市場の関係者というのが、オレにとってはこのうえないラッキーなことですが(笑)

最近、いただいてばっかりですわ。

こないだは、goutさんのところに押し掛けて、今年初めての柿をいただきました。
マイミクになったばっかりのかおかおさんからは、イナゴのつくだ煮と信州蕎麦をいただいてしまいました。
ちょっとまえには、ポップンキラキラさんからもココアをいただいたし☆

どちらさんも、ありがとうございます。
ルイスは今、おかげさんで、かつがつ食いつないでおりますですよ(笑)

そうそう、イナゴのつくだ煮は、人気ないみたいですね~。
イナゴの姿そのままだから、グロいのか?
ぱりぱりしてて、オレは好きですけどね。
食わず嫌いの人も多いですね。



官能はひとつの厳しい知性に他ならない、というではないですか!
食べるってことは官能そのものだし、食べることに至高の官能を求めるのなら、探究心と好奇心は必須ではないですか!

2007年10月20日土曜日

鐘をチン!と鳴らして太鼓をドン!と叩くから、チンドン


今日、梅田を歩いていたら、華乃家ケイさんとぱったり出くわしたのでした。
オレも、いつもいつも、あなたの幸せを祈らせてください~!の人にばっかり出会っているわけではないのですね。

ケイさんは、大阪のチンドン屋の親方みたいな人でして、今、大阪ではチンドンが復活しつつあるんですが、これはもう、ひとえにケイさんが頑張ってらっしゃるから。

飲み屋もやってはりましてね。むかしはそこでケイさんの昭和懐メロをカラオケでよく聴いたもんです。今月、お店をリニューアルしはってですね、カラオケは撤去してライブ中心のお店にしたとこ!とおっしゃってはりましたわ。

なーんで、リニューアル記念のライブに来てくれへんかったんよ!
って言われたけど、
案内もらってへんから、知らんし(笑)
また近いうちにのぞきまっさ、ということで。。。

チンドンは、原始的な広告手段でして、お店の新装なんかを宣伝するときに、お願いしたりします。
いっとき完全に廃れましたけれども、この10年ほどで復活しまして、その立役者がケイさんで、ときどき、お仕事をお願いすることがあるんですよね。

路上練り歩きで、全編ライブなんで、若いミュージシャンが度胸付けのために、チンドンのバイトすることも増えてきました。

そのむかし、大阪は千日前に「飴勝」という飴売りがいてましてな、そこが、不振の寄せ小屋に頼まれて、口上のおもしろさでお客を惹きつけたんが、ちんどんのはじまり。
鐘をチン!と鳴らして太鼓をドン!と叩くから、チンドンです。

音楽として、表現形態としてのチンドンの魅力は、異形にあるんだと思います。その圧倒的な非日常性や祝祭の香りが、とても素敵です。素敵のみならず、音楽の原点を思い出させてくれるものでもあります。
結婚式や祭に楽団を呼ぶっていうのは、非日常性や祝祭の香りを求めるからでしょ。音楽の、実生活での役割や実効的な要素って、そういうもんです。それを色濃く残しているから、チンドンには魅力があるんですよね。

それと、通信としての役割。

チンドンはそもそもが広告の媒体として成り立ってますから、そこには某かの情報が含まれているわけです。どこそこで歳末大売り出しやってます~!とかね。

音楽には、そうした通信の役割を担っているものがありましてね。
大昔、ブルーズがマーチング・バンド形態をとっていたころ、そうやって街中を練り歩いて、「○○の家のオジイが亡くなった~」とかニュースを触れてまわってたんですよ。トーキング・ブルーズという言葉は、そっから来てます。

沖縄民謡も、そんなかんじですな。

演歌もね、大正時代に成立した壮士演歌は、モロにそれですわ。
関東大震災があって、○○地区は全滅~、とか、それこそテレビが伝えるニュースを、壮士演歌の歌い手さんが、触れてまわってました。
壮士演歌というのは、もともとは、政治活動や大衆運動をする人たちが、演説するのに節をつけるようになって、そこにバイオリンの伴奏が入るようになって出来たもんです。
だから、演歌というのは、元来は、「演説する歌」というほどの意味で、今のいわゆる演歌は、もともとは艶歌と呼ばれてました。
ま、これ以上話をすると、とめどなく横道に逸れていきそうですが、そういう、通信としての役割を担った音楽はたくさんあって、チンドンもその系譜にある、と。


なんてことからですな、じつは、ケイさんとちょっとした企てを思いつきまして、近いうちにかたちにしましょか、なんてことを話して、今日のところはおわかれしたのでした。

ケイさん、相変わらずパワフルでしたわ☆

華乃家のサイトはこっち。

2007年10月19日金曜日

身代わり猿ときつねうどん

マイミクさんのJ-fishさんのこれまたマイミクさんのkamekameさんが奈良でガラス展を開催されたので、行ってきたのでした。

その話はまた後日に日記にアップします。

んで、今回は、そのついでにお寺さんをまわったので、やっぱ、ルイス=お寺さん巡りなので、まずそっちから(笑)

近鉄奈良駅からアクセスのいいお寺さんは、この夏にgoutさんの奈良倶楽部へお邪魔した際にあらかたまわったのですが、まだいくつか残っているので、2、3、つぶしてきました。
といって、あまり時間がないので、簡単にまわれるところだけなのですが。

で、今回は、庚申堂。
なかに入れません。入口だけです。
入口だけしか行ってないのに、それだけで日記を1本書こうというのが今回の図々しい企みなのですが、まあ、お付き合いくだされ。

そもそも、庚申堂というお寺さんは、京都にありましてですね、そちらは八坂庚申堂。小さいですが、八坂神社の近くにあって、まあまあ有名なお寺さんです。

庚申、という字が示すとおり、干支の庚(かのえ)&申(さる)の日を意味してまして、オレたちの身体に巣食っている三尸(さんし)の虫が、この日の夜、寝ているあいだにですな、身体から抜け出して、宿主、たとえばオレがこれまでに行なってきた悪行を天帝さんに告げに行くんですわ。
ほいで、天帝さんは寿命を司ってますから、悪行の罰として、オレの寿命を縮めよるわけです。
ところがぎっちょんちょん、この三尸の虫は、オレが寝ているあいだにしか身体から抜け出すことが出来ないので、庚申の日は、徹夜して起きておけばいいわけです。これを、庚申待ちと言いますが、しょっちゅう徹夜しているオレにとっては、なんぼ悪行を尽くしたところで寿命短縮の罰を簡単に回避出来るという、なかなか愉快な物語でもあります。

ちなみに今年の庚申日は、1月26日、3月26日、5月26日、7月25日、9月23日、11月26日ですが、徹夜していたかどうかは覚えてまへん(笑)

まあ、講釈はこんなもんにして…、あ、まだ講釈が続きますわ。
なんせ、実際には入口しか行ってないんで、講釈せんと間が持ちまへん。。

この、庚申堂には、マスコットというか、ここでよく見かけるものがありまして、そいつが、くくり猿です。
じつは、この、くくり猿を久しぶりに見たいなあ、と思って、庚申堂に行ったんですけどね。

さて、猿は、人間に近い動物ではありますが、動物なので、欲、というか、本能のままに行動しますわな。
なので、この猿をですな、人間の欲に見立てて、欲が暴れんようにくくってしまえ!というのが、くくり猿です。

願いごとを叶ようと努力しても、欲が邪魔して邪魔するもんです。だったら、そいつをくくりつけて、庚申さんに上手いことコントロールしてもらおう!ってことで、くくり猿は、猿が四肢をくくりつけられた、獣縛りの格好をしてます。
なので、この場合の願いごとは、宝くじが当たりますように!とかではなくて、受験に合格しますように!といった、目標みたいなもんでないと、ダメなわけですが。


んで、奈良にも庚申堂があることがわかったので、ガラス展に行くまえに、ちょっと立ち寄ってみた次第。

そしたら、まあ、なかに入ることは出来ず、入口でたたずむしかなかったのですが…(笑)

まあ、でも、いいんです。くくり猿が見たかったので☆
しかしですな、奈良の庚申堂は、くくり猿とは言わないみたいです。
身代わり猿、って書いてましたわ。や、姿形は、くくり猿とまったくおんなじなんですがね。

縁起が書かれた立て札があったので、つらつらとそれを読んでますと、京都のそれとは、ちと違います。

三尸の虫は悪病や災難を持ってくる虫になっていまして、コンニャクが嫌いだったので、人々は、庚申の日にコンニャクを喰べて退治した、と。
ほいで、三尸の虫は、さらに、猿も大嫌いで、猿が仲間と毛づくろいをしている姿は、まるで三尸の虫を取って喰べているような格好に見えたので、三尸の虫は恐れをなして逃げてしまった、と。
そこで人々は、いつも家の軒先に猿を吊るして悪病や災難が近寄らないように、おまじないをしている、と。

おもしろいですね~。奈良と京都ではおなじ庚申堂でも、ちょっと意味合いが違いますな。
京都では、人間の欲をくくりつけるものとしてのくくり猿だったものが、奈良では、災難除けの象徴としての身代わり猿になってます。
どこでどう変わったんでしょうね。というか、奈良が先か京都が先かすら、わからんのですが(笑)

庚申堂の入口には山ほど身代わりの猿が吊るされていましたが、このあたりの軒先のあちらこちらで、身代わり猿が吊るされてまして、あっちこっち見まわってました。

という、お話(笑)

三尸の虫を猿が退治してくれるので、正面にお猿さんがいます。でも、ここから先には入れません。。


庚申堂の山門には、身代わり猿がぎっしりです。


アップで見ると、こんなかんじです。お猿さんの四肢が獣縛りでくくられてます。


このあたりの軒先は、どこも、玄関に身代わり猿が吊るされています。


ここは4匹の身代わり猿がいます。


こちらは5匹の身代わり猿がいてました。




奈良に来たとき、いつも気になってたお店がありまして、うどん屋さんなんですが、立ち寄ってみました。
軒先にメニューのサンプルが並んでるんですが、うどんのくせに、あまりのインパクトの強いビジュアルに惹かれて、ちょっと食べてみたかったのですよ。





きつねうどんです。
ありえないビジュアルでしょ(笑)
大振りのお揚げさんを巾着に見立てて、うどんがひと玉まるまる入ってます(笑)
お揚げさんをプチッと破って、なかのうどんを出して、うどんとお揚げさんを一緒に食べる、と。
味は、いたって普通。
可もなく不可もなく。
700円也。



秋も夜長となってきましたので、こんなときは、シックにヴァン・モリソン☆
ほんまもんのハードボイルドです!

本日の1枚:
『Days Like This』
Van Morrison